≪高村比呂希 著≫
橘譲二は25歳の秋に結婚した。相手は2歳年下の雅子。2人は社内結婚である。橘の入社から遅れること2年、佐々木雅子は東京女子大の英文科を卒業し、橘のいる城北支店と同じ営業部の旗艦店である池袋支店に、OLとして入社して来た。
池袋支店ビルのなかに大塚営業部長の部屋がある。池袋支店の会議室で営業担当者会議があった日、橘は大塚部長に決済印を貰うため会議の開始時間より30分ほど早めにやって来た。
当該フロアーに行くと部長室の前に、見慣れぬ女性が座っている。すらっとした知的な匂いのする女性だ。橘は彼女を気にしながらも、従来から、直接ドアをノックして部長室に入っていたので、今回もそうしようとした。その時、
「あのう、申し訳ありませんが、どちら様でしょう? 私の方でお取次ぎしますので」
と彼女が言う。
「あっ、そうなんですか? 貴女は?」
「申し遅れました。新人の佐々木雅子と申します。当営業部の庶務兼大塚部長のセクレタリー業務担当として昨日配属されました」
「そうなんだ。俺、橘譲二。城北支店の営業係です。ある保険契約に先立って、大塚部長の決済を仰がなくちゃいけないんで来ました」
「今後ともどうか宜しくお願い致します。早速お取次ぎ致しますので、少し、お待ち下さい」
橘は直接部長室に入れなくなった面倒臭さを感じたのも一瞬で、佐々木雅子の美貌に加え、丁寧な受け答えと、新入社員としての初々しさに好感を持った。この娘(こ)がいるなら頻繁に部長室に来るのもいいかなと思った。
そんな出会いがあって以来、橘が池袋支店に用事がある時は必ず雅子のもとを訪れ、彼女と会話することにした。
同じ営業部内は勿論のこと、他の営業部の男子社員にも、また同期の男子社員の中にも佐々木雅子の名前は知れ渡って行った。橘がそれを思い知らされたのは、研修所に一泊して行われた若手営業担当者経験交流会で、久し振りに会った他営業部の同期の者に
「君のところの営業部長付きの佐々木雅子という娘(こ)、凄い美人なんだってねぇ」
と言われたのだ。
「彼女、会社のテニス部に入ったとかで、うちの後輩どもが騒いでいるんだよ」
と更に彼は言う。
そうか、これは放って置くと危ないな、と橘は思った。
翌日、早速用事を作って池袋支店に立ち寄ることにした。大塚部長が不在なのを知っていて、彼女に部長宛書類を預けるためにやって来たのだ。
「部長いる?」
「いえ、今日は本社に行っていまして夕方戻る予定ですが」
「あっ、そう。じゃぁ、この資料部長に渡しておいてよ。ところで佐々木さん、テニス部に入ったんだってねぇ」
「お恥ずかしいんですが、同期の友達に誘われたものですから」
「佐々木さんがテニスをやるとは思わなかったなぁ」
「下手なんですけどね。橘さんには私は何が似合いそうに見えました?」
「う~ん。そうだなぁ、相撲部とか柔道部とか、ハハハ」
「酷~い!」
彼女はそう言いながら、橘にからかわれていることが嬉しそうだった。橘はふと腕時計に目をやった。午前11時40分。
「佐々木さんはいつも昼食はどうしてるの?」
「お弁当の日と近くのお店で頂くのと半々かしら」
「今日は?」
「近くでお弁当でも買って来ようかなと・・・」
「じゃぁ、チョッと早いけど一緒に昼食でもどう?」
「はい、喜んで」
橘としては、昼飯ながらこれはデートの誘いのつもりである。思いの外上首尾だ。しかし、佐々木雅子の方は、会社の先輩に食事に誘われただけと思っているだろうなと橘は思った。
会社から徒歩10分の所に、評判の良いレストランがある。橘は雅子をそこに誘った。店の中は12時前ということもあって、まだ空いていた。
「今日は、俺のおごりだから、好きなもの頼んでよ」
「え? そんな、申し訳ないですから・・・」
「いいの、いいの」
結局2人はその店のランチ・フルコースを頼んだ。当時の値段で確か千百円、かなり高めの贅沢メニューだった。2人は会社では出来ない様々な話題を話した。自分達の学生時代のこと、趣味のこと、会社のことなど、彼女も興に乗ると橘によくしゃべった。途中から寧ろ橘が聞き役に回るほどだった。気が付くと午後1時。慌てて2人は会社に戻ったのだった。
「嫌でなかったら、今度は夕方以降に外で会いたいんだけどな」
「ホントですか? それってデートのお誘いですよね」
「そんな風に堅苦しく言わなくても・・・」
「橘さんに誘って頂くなんて、大変光栄です。是非お願いします」
「じゃぁ、日時・場所とか、後で電話するから」
「はい」
橘は弾む心で池袋支店を後にした。







