≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 滝田は父幸雄の戦後史を静かに語り始めた。

 若き日に文部省の圧力に対して頑として引かなかった一徹さは、京大復帰後も変わらず、特に学長になって以降は、文部省等の大学運営への介入を一切させない姿勢で一貫していた。研究者としては何事からも制約を受けず、自由な精神で真理を追究することの重要性を様々な機会に説いた。

 東大・京大と常に並び称され比較されるが、京大に東大のような強い権威主義がないのは、伝統的傾向でもあったが、戦後間もない1950年代に、国に対しても反骨精神と一徹さで大学を守った滝田幸雄が学長をしたことが寄与していると言う学者も多い。

 但し、戦後の日本がどういう国を目指すべきか、どういう社会に変えるべきかは、一切語らなかった。多分、それを語ることは政治的分野の発言となり、それは大学を何ものからも自由にしておかなければならないという本人の信念に反すると考えていたのではないか。

 一方、全学連の学内での運動に対しても、かなり厳しい態度で臨んだようだ。滝田幸雄は、この点でも、学生運動による政治思想の学内持込を決して許さなかったと言う。

「ありがとうございました。思った通り、戦後大学復帰後もご自身のお考えを貫く立派な大学教授でいらしたのが良く分かり、嬉しいです」

「君の今後の生き方に役立つのかどうかは分からないが、父は良くも悪くも信念を持ち続けた人だったね。そのために大学を追われるようなことになっても、また、逆に学長になっても信念は全く変えなかったからね」

「一度くらいの挫折で諦めたり、変節するのは信念とは言えませんものね。大変参考になりました。ありがとうございました」

 時計は既に2時間以上経過したことを告げている。早乙女恭子は席を立った。

「もう帰るかね?」

「はい。もう2時間もお邪魔しちゃって。スミマセンでした」

「もう1つだけ、君に提案したいことがある」

「え? 何でしょう?」

「まぁ、座りたまえ」

「はい」

 恭子は再度腰掛けた。

「実は、今度の衆議院選に、大阪2区から立候補する青柳慶子という者がいる。知っているかね?」

「あっ、はい。革新党の現職議員でいらっしゃいますよね?」

「そうだ。彼女は私の教え子第1期生なのだ。卒業後弁護士をやっていたのだが、前回の選挙で当選して政治家になった」

「そうだったんですか。ということは大学も学部も私の先輩ということですね」

「その通り。もし君が彼女の元で政治向きの勉強をしたいと言うのなら紹介しても良いのだが、どうかね?」

 恭子は全く考えもしなかった成り行きに戸惑った。

「思いもしなかったことですので、何も考えが浮かびません。全共闘の私が先生に紹介して貰って、青柳さんにも先生にもご迷惑が掛からないのでしょうか?」

「もう阪大には全共闘は無いと、さっき君は言わなかったか?」

「それはそうですが・・・」

 滝田秋雄は、自分の名詞を取り出してその裏に、やや太目の万年筆で、青柳慶子宛の簡単な紹介文を書いて差し出した。

「今日、決める必要はない。12月に総選挙があるから、9月中に決心して選挙事務所に訪ねれば、選挙運動を実体験出来るんじゃないかな」

と滝田教授は言ってくれた。9月末までにまだ半月ある。恭子はゆっくり考えてみようと思った。

「突然訪ねて来ましたのに、いろいろご配慮を頂いてお礼の言葉も見付かりません。先生と大衆団交を行った当事者の1人としては、門前払いされても当然なのに・・・」

 恭子はそこまで言うと感極まり言葉に詰まった。

「いいんだ、いいんだ。青柳君のところに行くも行かないも君の自由だ。僕はこれからの君の生き方に注目しているよ」

と滝田は言いながら右手を差し出した。恭子も手を伸ばし硬い握手をして研究室を辞した。

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