≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 橘は、丁度その頃、名古屋転勤を命じられ、単身赴任となった。月に1度、東京の本社で会議があり、その時だけは我が家に戻れるのだが、そうなると妻も息子も以前よりは幾分、橘に優しく接するようになったと感じられた。

 特に和馬は、全く会話が無かった前の年とは違って、夕食を共にするようになり、橘と少しは話をするようになった。父親が毎日家にいた時と違い、普段は母子家庭のようになったことを、もしかしたら息子は淋しく思っているのかも知れないが、橘はそれを和馬の成長の証と受け止めることにした。

 その年の12月に、橘が正月休みで名古屋から家に戻った時、和馬からある相談に乗って欲しいと頼まれた。父親として、自分の進路に関する相談を受けるのは、橘でなくとも、世の父親として嬉しいものだ。

「最終的に東大を受験することに決めたんだけど、僕は文系だから、法学部か経済学部、或いは文学部となるんだけど、どこにするか正月休み明けに学校に届けなきゃならないんだ。どこがいいだろう?」

 これが息子和馬の相談だった。

「お前は将来、どういう仕事をやりたいんだ?」

「普通の会社員は嫌だな。大学に残って研究の道を目指すか、新しい政策を実現するような仕事がいいかな、なんて漠然と考えているだけなんだけど」

 普通の会社員は嫌だ、という和馬の言葉に他意はないのだろうが、橘には、自分に対するあてつけのようにも聞こえたが、思い過ごしだと自らを戒めた。

「研究者になるんだったら、どの学部と言うより、どんなことに興味があるかで、選べばいいだろう。国の政策に関わりたいなら、それは何と言っても法学部だろう。東大法学部は中央官庁を目指す人達の行く所と言ってもいいくらいだから」

「ふうん。どの学部が自分に向いてるかなんて、入ってみなきゃ分かんないよね」

「そりゃそうだ」

「お父さんは、僕がどの学部に向いてると思う?」

「いや、それは自分の将来に関わることだから、自分で決めることだな」

 いよいよ和馬は、自分の道を選び大人になって行くのだと、橘も少し軽やかな気分になった。それに何と言っても、これから東大受験なのに、もう入る前提の和馬の話し振りが可笑しかったし、「大したものだ」と思わないではなかった。

 そして、親子ながら、自分が和馬の年の頃、大学になど全く興味がなかったこととの大きな落差を感じてもいた。

 翌年3月初旬に行われた入試に見事合格し、和馬は晴れて東大生となった。文Ⅰの1年生となったのだ。

 和馬の東大合格を知った親戚中が電話を寄越したり、和馬の昔からの友人の母親が幾分羨ましげにお祝いの電話をくれたり、4月の上旬まで、橘家も華やかな日々が続いた。橘も初めて、自分を越えて行く和馬を誇りに思えたのだった。

 和馬は大学で幾つかのサークルに所属しているらしい。妻が言うには、1つはボランティア活動をするグループで、交通遺児のための募金活動やリクレーション活動、障害者サポートのような活動に参加しているという。

 もう1つは、社会構造の変遷を研究するサークルのようで、社会学の若い先生が学生の有志を集めて引っ張って行ってくれているのだそうだ。更にもうひとつ参加しているサークルがあるらしいのだが、それは妻雅子にも分からないらしい。

 和馬が大学に入ったのは1993年。あの狂ったようなバブル経済が崩壊して間もなくの時期だった。自信満々だった政府も日本企業も、天国から地獄に突き落とされたような有様。当然社会全体が弱気一辺倒となり、賞賛されていたことが全て非難の的に変わって行ったのだった。

 当然のように大学内にあっても、これまで是とされて来た考え方の見直しや否定論があらゆる分野で論じられるようになり、和馬達学生も、そういう潮流の中に身を投じていた。

 橘は和馬がボランティア活動のサークルに入るなど思いも寄らなかったが、きっと和馬は和馬なりに、バブル経済を作り上げてしまった日本の酷い歪みを知って、社会的弱者を置き去りにした日本社会の実態に触れようとしているのではないかと思った。

 大学2~3年になると、和馬も大人の顔付きになって来たなぁ、と橘は息子に逞しさを感じるようになる。

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