≪高村比呂希 著≫
そんな和馬は、橘が名古屋からたまに帰宅すると、バブルを惹き起こした、時の政府、財界、更には日本人一般に対する彼なりの激しい批判をぶつけることが多くなった。政府や財界も悪いが、バブルの元凶は、「理性を失った日本の大人達」との表現を使い、バブルに浮かれ、バスに乗り遅れまいと、ブレーキも掛けられなかった大人達だと和馬は言う。あながち的外れでないだけに橘も返す言葉もなかった。
橘の口を突いて出るのは、専ら、バブルに向かって行った必然性の説明であった。それは和馬にすれば、自分の父親もまたバブル経済に加担した大人の1人であるのに、自己反省もしないで、その責任を他に転嫁しているように映るのだった。
ある時、2人は遂に抜き差しならぬ対立に突入してしまった。
「お父さんは、いつも、バブル経済に導いた主役は銀行だと言うけど、お父さんのいる損保業界だって沢山の不動産を買占め、アメリカにまで行ってビルを買い漁ったんだから、冷静な目でバブルにならないように努力した業界だなんてとても言えないよ」
「それは認めるけど、損保業界は元々契約者から預かった保険料を運用して、いざというときの保険金にして支払ったり、満期が来たら約束した金利を付けてお返しをするのが使命だから、不動産運用を行うのは何も恥じることではないんだ」
「それが、父さん達の世代のずるいところで、みんな自分も自分の会社も悪くなかった、って言うんだよ」
「損保の資産運用とバブルの金儲けを、和馬が混同しているからだ」
「じゃぁ、ニューヨークのテナントビルを買い取ったのは資産運用のためだったとして、それを買値の半額以下で売らなきゃならなかったのはどうしてなんだよ。その損害はどう説明出来るんだよ」
「・・・」
「みんな正常な判断力を失って、猫も杓子も金儲けに走った結果だろう? 正義面して、そこらの不動産屋の親父よりも、もっとギラギラした人間ばかりが偉くなってたってことだよ、日本の企業は」
「だから、どの企業も苦しみながら、今回の経験を教訓に、会社の有りようを変える努力を行っているんだ」
「日本は政治三流・経済一流なんって言われてサ、経営者達はいい気になっちゃって。その挙句がこんな日本に貶めちゃったんだから、もっと経営者達は責任取らなきゃ可笑しいよ。逮捕されるべき財界人が少な過ぎる」
「どうしてお前はそれほど会社経営者に敵意を持つんだ?」
「これから、世に出る僕等の世代が、一番の被害者だと思っているからサ。明るい未来なんて僕等は誰も信じてないよ。そんな国にしちゃったんだ。なのに、今の大人の殆どはそのことに責任を痛感するどころか、責任転化したり、人ごとだったり、被害者面したりだよ。本気で日本を再生する気なら、今の日本、政も官も民もみんな三流だという厳しい認識から再スタートしなきゃ再生する訳ないんだ」
「じゃぁ、そこまで言うお前は、大学を卒業したら何をするつもりなんだ?」
「日本を設計し直す仕事が出来ればなと思ってる。いきなり政というのもないから官庁に進むつもりだよ」
そして、和馬は余計な一言を言ってしまった。
「お父さんのような会社員にだけはなりたくない。何故なら、会社が酷いことをする時、知らない内にそれに加担させられるのは真っ平だからね」
橘は血が逆流するのを感じた。どうして会社員である自分をそれ程に軽蔑するのか、意味が分からなかった。怒りというより、息子和馬に己が命懸けで頑張って来た仕事の意味を正しく伝えられなかった半生を呪いたくなる気分だった。誓って会社の悪に加担したことは無い。
「お前は、このお父さんの仕事を少しも誇りに思えないのか?」
「残念ながらそうだね」
「お父さんを、人間としても、誇りには思わないか?」
さすがに和馬も答え難かった。答えの代わりに、
「会社が金儲けのために不動産売買に手を染めた時、首を賭けてもそれに反対したお父さんなら尊敬したな」
和馬も決して父を怒らせようと言ったのではない。自分の父親はそうあって欲しいと言ったまでだ。和馬は実の父だからこそ、注文が厳しいとも言える。だが、もう橘の忍耐の限度を越えていた。
バシッ!
怒りに震える橘の右手が、和馬の左頬を平手打ちした。和馬の頭の中は真っ白になった。そして、和馬の脳裏に、高校2年生の時父に叩かれたおぞましい記憶が鮮明に蘇えった。あの時はまだ自分も未成年の高校生だった。だから父親に強い反発を覚えたものの、友人の家に2泊して家に帰るという妥協をした。
しかし、今回はもう許さない。自分に対して2度までも手を上げたことは、いくら父親でも絶対に許さない。もう絶対に! 和馬は怒りで父親を殴り倒したい衝動に駆られたが、両手を強く握ってその衝動を抑えた。
「まだ社会にも出ていないお前に何が分かる。お父さんの一番嫌いな人間はどういう奴か知ってるか?」
父親の言葉など和馬の耳には届かない。ただ和馬は父を睨み返しているだけだった。
「口先ばっかりで、何も出来ない人間だ。お前が10年後、それを言うなら許してもやろう。だが、扶養家族の分際でそんなことを言う奴、お父さん、絶対許さん。出て行け!」
丁度買い物から帰って来た雅子と入れ違うように、和馬は大きなバックを背に、家を出て行った。事情を全て知った雅子は、高校時代の和馬とは違い、今度はもう家には戻らないかも知れないと覚悟したのだった。







