≪高村比呂希 著≫
その後橘は関東営業本部の発展に全力を注ぐが、損保最大の激戦区ということもあり、収入保険料は対前年マイナスが続き、なかなか思うに任せない状態が続く。そもそも、損保業界全体が、バブル崩壊後、自動車保有台数減を反映して主力の自動車保険が縮小しているところに、外資系損保の参入で競争は一気に激化していたのだ。
一般家庭の多くで、家計の見直しが行われ無駄な出費が極力カットされた。その標的になっているのが保険だった。東都損保と中央損保の合併も、会社の成長が止まり、今後の生き残りのためになされた経営判断だった。
橘は、増収の難しくなった時代には、何よりも収益性を重視し、会社の体質を筋肉質に変えることだ、それこそが21世紀を生き延びる損保会社になるための第一条件だと思った。少なくても自分の担当するテリトリーでは、全国一の収益性を実現して、「これからは増収よりも増益」とのメッセージを全国に送ろうと決意した。そこから関東営業本部の収益拡大の取り組みが急ピッチで展開されて行った。
収益性アップの取組みは、必然的に営業体そのものの構造改革となって行く。無駄の徹底排除、過去からの慣行の廃止、店舗数の圧縮、自前主義から外部活用など10数項目に亘る体質徹底改善の運動だった。
その結果、既に2年目で大きな成果が現れていた。即ち、当該地域は両社とも合併前から減収減益だったものが、減収増益に転じたのだ。3年目の利益率は、更に前年を大きく上回る勢いだった。会社全体は未だに減収減益だったから、関東営業本部のような主要本部で増益に転じたことは、会社にとって初めての明るいニュースと言えた。少なくても橘はそう思った。
前年に常務取締役となっていた橘は、3ヶ月を残して、関東営業本部長の3年目が終わろうとしていた。年明けの1月初旬、新年の挨拶回りをしていた時、橘の携帯電話が鳴った。本社の営業推進担当常務の中島からだった。
「今日の夕方以降何時になっても構わないので本社に来て欲しい」との連絡だった。橘と中島は4年前、システム統合を巡って大喧嘩した間柄だったが、その後はお互い目立った対立をすることなくここまで来ていた。橘は何とか遣り繰りして午後6時に伺うと返事をした。
金井副社長と中島常務、それに営業推進部長の末松の3人が会議室で橘を待っていた。
金井副社長、年齢は橘の4歳年上で中央損保出身である。中島は入社年次で橘の1年上、同じく中央損保出身。営推部長の末松は橘の麻布支店当時の部下で五年後輩、東都損保出身。この3人は、4月からの新年度営業方針を作る任にある。金井副社長の説明では、様々な角度で主要営業本部長に話を伺い、方向性を誤たない、しっかりした方針を打ち出したいとのことだった。
「それだけのことだったら何も、こんな忙しいタイミングで呼び出すことないだろう」
と内心で反発した。
しかし、その後の会話の遣り取りで、彼等の本当の狙いが分かった。
中島が言う。
「橘さんの営業本部は、増収より増益を狙った営業を徹底されていますよね。それは決して悪いことではないのですが、我々としては、やはり営業の第一は増収だと思っていますし、来年度の会社方針でそのことをもう一度明確に謳い、全営業本部に徹底しようと考えています」
「ちょっと待ってよ。会社合併の時、これからの時代は、売上高より利益だ、他社との競争上、システムを初めとして、ちゃんと先行投資出来るだけの収益確保が最も重要なポイントだと言ってたでしょうが?」
「そう言ったのは合併直後のことでしょう?
当社が合併した時は業界3位の規模になりましたから、確かにこれからは規模よりも収益性と言っていましたが、その後続々会社合併がありましたから、最早規模的に充分だとはとても言えない状況です。
利益確保は、今でも大事なことに変わりはありませんが、損保業界にあって生き残れるか否かのメルクマールは、相変わらず会社の勢いで見られます。即ち、シェアを拡大出来たか、増収出来かという風にね」
「これからは、増収よりも増益だ、シェア競争よりも利益率の競争だ、そう明言した経営方針を撤回すると言われるか?」
「いえ、増収も増益もどちらも大事だということですよ、橘さん」
「中島さんね、本気で利益を拡大しよう思ったら、それまでの営業のやり方を根本から変えなきゃいかんのよ。昔から増収さえしていれば少々のことは目を瞑って来たことも、これからは許されないということだよ。目を瞑ることで生まれた、様々な既得権やコスト要因を徹底的に取り除くということなんだ。そういうことを分かって言ってるの? 中島さん」
「そんなこと、言われなくても分かっていますよ! 私たちが橘さんにお願いしたいのは、増収を確保した上で、今やられている取組みをおやりになって欲しいということなんです」
「そんな旨い話、この不況の中では絶対にあり得ん。増収第一と打ち出せば、それはもう何10年もやって来たことの延長線なんだ。逆に、収益第一を打ち出せば、これは以前のやり方を根底から変え、全く新しい保険会社を作ることになるんだ。両方を狙うなんて、今のギリギリの厳しい状況下ではあり得ない」
「そういう橘さんの考え方が、会社方針と真っ向からぶつかるので、今日こうして調整の場を設けているのです。もし、私共、本社方針に従えないと言うなら、社長に直接仰って下さい!」
中島も気色ばんで来た。金井副社長も、元部下だった末松営推部長も、4年前の再現のような成り行きに、橘と中島の激論には全く口を挟むことなく不安そうな面持ちで見守るだけだった。
「勿論、あなた方の話に納得出来なかったら、社長に直接お聞きしますよ。その前に一つ聞きますが、今年度の関東営業本部の営業利益は全国一になる。けれども、収入保険料は今年も前年を下回る。これは一体どういう評価になるんですかね?」
「ハッキリ言って、減収では評価しようにも出来ませんね。しかし、増収している営業本部は4分の1くらいしかありませんから、関東営業本部の評価はその次と言ったところでしょう」
「中島さん。私もね、ボードに席を置く者として言わせて貰うけど、それは、合併新会社設立の理念に反するんじゃないの?」
「そんなことはないと考えていますが」
「私は、合併新会社になって、評価順位の考え方は、増収増益、減収増益、増収減益、減収減益の順になったと思ってる」
「橘さん、本社の考え方は、2番目と3番目が逆ですよ。言いたくないけど、関東営業本部は合併後3年間、一度も増収していません。これは本部長である橘さん、あなたの責任です」
「あぁ、そういうこと?」







