≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 その頃、橘譲二はある男から、人生相談のメールを受け取っていた。橘の兄の長男、甥の純太郎からである。彼は、慶応大学経済学部卒で40歳、信用格付けトリプルAの大手銀行に就職し、関東周辺2ヶ所の支店の出納係を経験後、虎の門支店の法人向けリスク・マネージャーの課長として安穏と暮らす平均的サラリーマンだ。学生結婚後、2人の息子にも恵まれ、成城にマンションを購入、いまや順風満帆で何ら人生の不満や不安はない筈と、橘も兄も見ていた。

 そんな彼からの緊急の面会依頼だ。折り入って相談があるという。

 2年前の正月以来、久し振りなので、赤坂の上海飯店で豪華中華料理をご馳走することになった。お互いの家族の他愛のない近況報告が一段落した後、純太郎がさっそく本題に入った。相当深刻そうな顔付きで言う。

「叔父さん、実は僕、人生最大の悩みを抱えているんです」

「ほう。純ちゃんなんか、我々から見ればエリート中のエリート。悩みなんかとは無縁に見えるがね。同じ金融機関と言っても、保険屋から見れば、都銀の銀行マンなんて、雲の上の存在よ」

「嫌味を言わないで下さいよ。このまま、銀行に定年まで勤めていて良いものかどうか、迷ってるんですよ。終身雇用なんてなくなるでしょうし、日々激しく変化する国際的な金融業界の中で、日本の銀行の行く末は一体どうなるんですかねぇ?」

「・・・」

「失われた10年とか15年は日本だけの不況だったけど、今後世界的な不況がやって来たら、銀行はどうなっちゃうんですかね? 銀行だけじゃなくて日本はもう1度耐えること出来ますか?」

「いきなり難しい話になってしまったけど、純太郎に何か転職の具体的アプローチでもあったの?」

「実は、そうなんです」

 話はこうである。

 純太郎の学生時代の友達がKDDを脱サラして、新しくベンチャー企業を立ち上げたのは以前聞いていたが、その会社がこの2年で急成長し、いまや社員百人を抱え、売上げ30億円を超えるIT企業にのし上がった。会社は六本木ヒルズの33階。その友人から将来を分かち合える専務取締役として純太郎を迎えたいので、この際、是非決断してくれと頼まれているのだという。今勤める銀行もバブル崩壊後の苦しい時代を合併で乗り越え、不良資産も減り順調に盛り返し、上司にも恵まれ、自身の将来展望も見えた矢先に決断を迫られていると言うのである。

 純太郎とその友人は、学生時代のアメリカン・フットボール・クラブの仲間で、もちろんお互いの長所、欠点も理解している仲だ。常日頃は月に1~2度は逢って酒を酌み交わしながら政治や社会情勢、スポーツ談義など他愛ない話をする間柄だったが、純太郎にとってその日の友人は、いつになく真剣で熱のこもった口調で純太郎を誘ったという。

 

 橘はどうアドバイスすべきか迷った。学生達の人気就職先は、嘗ての興銀・長銀・都銀大手・NTTなどから、外資系や金融・ITベンチャー企業に移って来ている。これは、バブル崩壊前には憧れの企業だったものが、バブル崩壊と共に壊れ、逆に、ヒルズ族なる言葉に象徴されるような、新興のベンチャー企業成功者が取って代わった時代の現れだ。格好良くて金持ち、今をときめく若き経営者達をマスコミが必要以上に持ち上げていることもあって、若者達が彼等に憧れ、就職希望先に挙げるのだろう。

 さもなくば、倒産することのない大会社か公務員を選ぶ、もう一方の多数派が存在するのだ。

 これらのことだけで簡単には語れないだろうが、橘にはどうも、拝金主義か、寄らば大樹の陰か、若者達は2つのつまらぬ価値観に支配されているような気がして、肌寒い思いをすることがある。

 急成長した会社はその分リスク管理を省略してきたケースが多いので、経営リスクや倒産リスクが高いのも事実であるし、超優良企業や公務員であっても、今後は、過去の延長線で行ける保証はどこにもない。

 橘は、息子の年齢と近い若者の勉強会で話す機会があり、拝金主義の若者には、「マネーゲームが人生の目的か」を問い、安定志向の若者には、「自身に、社会や会社にぶら下がる側か、社会や会社を支える側かを問え」と投げ掛けたこともあった。橘の基本的な危惧は、団塊Jrといわれる世代が、橘達の若かった頃のようには、社会問題や政治情勢に関心を持ってくれないことだった。ヒョッとしたら自分達で国や社会を変えられるかもしれない、と思う人の数が極めて少なくなっているのではないかということであった。

 同じ勉強会で橘は、

「新しいことへもっともっと挑戦せよ。それが国造りでも街作りでも会社作りでも何でもいい。自分の守備範囲を自分で決めるな。小さく決めるな。挑戦とはリスクを承知で突き進むこと。挑戦とは自分自身を高めること、広げること。挑戦は若者の権利であり義務である」

と檄を飛ばしたことを思い出しながらも、この時ばかりは、純太郎の相談に対しては言うことが違った。純太郎にまだ独立の気概が見えなかったからだ。

「今の銀行を辞めるべきではない。伝統ある社会的企業は、少々の嵐が吹いてもビクともしないし、今後も揺るぎない。今の銀行で頑張って会社のトップを目指せ」

と、橘は説いたのである。更に、

「いつか君自身がベンチャー企業を起こす時は応援するよ」

と付け加えるのを忘れなかった。

「確かに叔父の言う通り、ベンチャー企業の方がリスクが高いし、僕自身でベンチャー・ビジネスを始めるのでなければ、今の銀行に留まれと言うのも納得だな」

と、橘純太郎は、誘いを断る決意を胸に帰って行った。

 橘譲二の方も甥と話しながら、この時遂に、自らの進退を決める覚悟をしたのである。

 

 ここ1ヶ月の悶々とした日々が嘘のように、橘の心はすっきりと吹っ切れた。帰り道、橘は四谷の「Bフラット」に寄り、久し振りに「サウンド・オブ・サイレンス」を歌った。店中の客が喝采してくれた。

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