≪高村比呂希 著≫
数日後、数馬は秘書課の課長に呼び出された。
「君等の改革案を読んだよ。だが残念ながら、内容が表面的で良く吟味されているとは言い難い」
「お読み頂いて、ありがとうございます。吟味不足は、例えばどういうところでしょうか?」
「物事には、メリットとデメリットがある。この規制を緩和すること自体は、メリットもあり得るが、規制を緩和したり撤廃した時、業界や消費者にどういう混乱が発生するか、全く言及されていない。そういう混乱も我が省の責任になるのだからね」
「お言葉ですが、今、日本経済が危機に瀕している今、経済産業省の最も大事な役割は、民間がより経済活動をし易くすることですし、新しいビジネスの芽や可能性を少しでも拡げて行くことだと思います。今は、我々があれはダメこれもダメと、日本経済のブレーキ役をやってる場合ではないと思いますが」
「だから、規制緩和で新たな混乱が生じたら、寧ろそれが経済にブレーキを掛けることになると言っている」
「失礼ですが、課長の言われることは、今までの規制社会が最善だから、それを変えると混乱ばかりで良いことはない、緩和による新たな混乱を抱え込むなど論外と言われているように感じます。」
「新しい混乱のコントロールが出来るなら、私だって規制緩和に反対しない」
「課長の思考順序が逆なんですよ。今の日本を救うために、まず、規制を出来るだけ撤廃して新しいビジネスがどんどん誕生するようにするという方向を省として打ち出すのが先です。その後で副作用をどう抑えるかを議論すべきです。少なくても、リスクがあるなら規制緩和しないという言えるほど今の日本経済に余裕はありません」
「君は気楽な立場だから、そんなことを言ってられるんだ。日本中が混乱して叩かれるのは我が省だ、私だ」
「課長! 日本経済が沈没してしまえば、叩かれるのは同じことですよ。いや、混乱と沈没ではまだ混乱の方がいい。瀕死の重傷を負った日本経済に今必要なのは、日本経済が好調だった時の仕組みや規制ではありませんよ。全部見直すべきなんです」
「・・・」
「もう1つ言わせて貰えば、経済活性化のためには、公益法人の事業なども出来るだけ民間に開放すべきです」
「バカな! そんなことをしたら、定年退職前の人達の当て嵌め先がなくなるではないか。バカも休み休み言いたまえ」
「次官が決ったら同期入省の者は必ず現役を引退させるなんて、前近代的なこともこの際止めればいいんです」
「そんな簡単なことじゃない。日本のエリートとしてのキャリア官僚達の生涯賃金を、君はどうやって保証しようと言うんだ?」
「特殊法人を沢山作って、そこに天下りさせ、その法人に国から多額の業務発注をして、その額を税金で払う。そんなイカサマをやるくらいなら、定年退職までの賃金をちゃんと保証する方が正しいでしょう」
「君の言うことは青臭過ぎる。あまつさえ、イカサマとは何だ? 聞き捨てならぬ! 君との話し合いは今回限りとする」
遂に企画課長を怒らせてしまった。
「誤解しないで下さい。私の言っているのは、今のまま我が省が何もしないとすれば、それは日本経済を窒息死させることになるということです」
「もういい」
企画課長は和馬を残して会議室を出て行ってしまった。
* * *
さすがに和馬も考え込んだ。
「経済産業省の最大の使命は、産業の振興なのに、何故、そのことを真ん中に据えた議論が出来ないのか? 何故、そんな簡単なことが理解されないのか? 」
「小泉改革に対しても、我々若手の危機感に対しても、省の上層部は、何故、防御の姿勢になってしまうのか?」
「省内を変えて新時代の省にレベル・アップすることが、何故、ノーとされてしまうのか?
「上層部が変革を好まないのは、過去の実績を完全否定されることと思うからか? 或いは、改革後の己が身分がどうなってしまうのか不安だからか? 」
「日本経済を再び活性化させるためには、出来ることは何でもやろうという経済産業省にするにはどうしたらいいんだ? このままだったら、日本経済再生に向けて何も出来ない。ただ手を拱いているだけか?」
その晩、和馬と思いを一緒にする他の若手メンバー数人と居酒屋に繰り出した。
みんなの気分が晴れないせいか、いつものようには話が盛り上がらない。自分達が改革に向けて何度も議論し、計画まで作った。だが、それは何の力にもならなかった。「内部からの改革」とは言うが、現実はそんな簡単なものではないと思い知らされた・・・、そんな気持ちが彼等を重い空気にしていたのだろう。
誰かが言った。
「やっぱ、上から見ると、僕等は青二才でしかないんですかね?」
誰かが答える。
「その青二才をも納得させられない上層部って、一体なんなんだ?」
「あの課長がダメでも、他に何か脈ありルートはないかなぁ」
和馬は黙ってビールを飲んでいたが、この言葉に触発され閃いた。
「奈良橋さんがいる。もう一度、トライしてみるか?」
「オオ! 是非是非それやりましょうよ!」
以心伝心か、翌朝、和馬は奈良橋に呼び出された。用件は自分達が上げた「省内改革建白書」について聞きたいということのようだった。
そこで彼は、昨日居酒屋で一緒だったメンバーの中から1年後輩の松本輝彦を誘って、製造産業局の局長室に向かった。
「失礼します。建白書を一緒に書いた松本君と一緒に来ました」
「おう、来たか。そこに座ってくれ」
奈良橋は、大きな机の向こうから、入口近くにあるソファーを勧め、自らも席を立ちソファーに座った。







