≪高村比呂希 著≫
橘が次に手掛けたのは、あるITベンチャー企業の再生である。
そのベンチャー企業、名を「日本セキュア・インテリジェンス・サポート」(通称SIS)と言う。
10年ほど前、ITベンチャー・ブームに乗って、アメリカ国籍の日本人天才起業家、黒川憲章が日本に逆上陸し、立ち上げた会社だ。アメリカで彼は、「インターネット・セキュリティー・ソフトウェア」を発明・開発して大成功を収め、日本でもそのソフトを企業に売り込むために、日本進出を企んだのだ。
黒川は、慶応大学を主席で卒業し、某企業を経てMITのMBAをこれもトップの成績で取得、起業した伝説の人物である。
彼の作ったソフトは、IT技術史上、「マイクロソフト」や「インテル」に匹敵し、黒川氏はビル・ゲイツや孫正義を越えるかも知れないと業界筋では囁かれていた。
それが証拠に、証券系・生保系・損保系など、日本の一流ベンチャー・キャピタルが挙って投資しているのだ。黒川は来日後、ずっと帝国ホテルのVIPルームを根城として会社を興し、既に、スタッフも東大組やMIT組を10数名揃えた精鋭部隊になっている。
この会社に、ストック・オプション付きの厚遇で経営陣の一角に迎えられたのが、昔、橘が代理店研修生として採用し、その後保険代理店として大成功していた金子順である。
本書冒頭、六本木の割烹料理屋「ひさご」で金融庁キャリア官僚と橘の会談をセットしてくれた、あの金子である。「ひさご」での話は、金子が黒川に迎えられて3年ほど経った頃だった。
さて、金子は「日本SIS」の役員就任後、銀行を中心に黒川の作ったセキュリティー・ソフトを売り込んで行った。
さすがに信用第一の銀行である。金子のプレゼンが正鵠を射えていたこともあり、インターネット上での際立った安全性保障のレベルを正しく理解し、まず地銀が銀行間通信でこのソフトを使うことが決った。
更に、日本のあるコンピューター・メーカーが推奨ソフトにすることを約束、このセキュリティー・ソフトの実力は日本でも評価されるようになって行った。
だが、一方で、黒川の尋常でない荒い金遣いが目立ち、徐々に金子の気持ちを重くして行く。
日本で集めた資金の一部を「米国SIS」に逆送金していた事実もあるらしい。
黒川に、会社の金と自分の金との区別が付いているのか疑わしいほど荒っぽい、黒川のそんな経営の仕方に嫌気が差し、辞めて行く優秀なスタッフも後を絶たなかった。
当然、金子もそんな黒川に見切りを付けて、保険代理店専業に戻るかどうか迷った。
橘に相談したら、丁度、橘が退職を決意していた時期で、「日本SIS」は諦めて、自分が立ち上げる事業のパートナーになってくれないかと要請されたのだった。
金子にしても、もう一度橘と組んで仕事が出来るのは嬉しい限りだ。金子は即座に、今の会社を辞め、橘と一緒にやりたいと答えた。
しかし、そこに予期せぬドラマが待っていた。
金子がメイン投資家の野上証券ベンチャー・キャピタル社(野上証券VC)から「日本SIS」の社長就任を要請されたのだ。
野上証券VCは、現社長の黒川を場合によっては背任で訴追することも辞さずというから、相当な決意で、金子体制を作り上げたいらしい。
野上証券VCの直近の市場調査に於いても、また、この会社に投資してくれている他のVCの調査でも、このセキュリティー・ソフトは依然最強であり、その技術力は本物という結果が出ている。
要は黒川憲章が天才技術者ではあっても、経営者失格なのだ。おそらく彼の浪費体質さえ無くなれば、「日本SIS」は充分立ち行く筈だ。
橘は金子に、野上証券からの要請は絶対に受けるべきだと伝えた。
しかし、その後、金子が経営状況を精査すればするほど、問題の深刻さが明らかになった。即ち、10数億円にも及ぶ膨大な資本金(10社以上のベンチャー・キャピタルからの投資資金))が底をついていたのだ。
優秀な人間を集めたツケは膨大な人件費となったのと、黒川前社長の放漫経営の結果である。顧客からの安定した売上げは確保していたものの、明らかな資金不足であった。
橘は既に会社を辞め、自由な立場になっていたから、金子と共に野上証券VCを訪れることにした。筆頭株主に「2つの了解」を貰うのが目的だ。
1つは90%減資プランの了解を貰うこと。
もう1つは、その後の増資によって、金子サイドが支配株主になることの了解である。これ以外には整理・清算の道しかないのだ。
このことを中心に再建策を野上証券に説明した。
特に90%減資に対しては、担当者が良い顔をする筈もない。だが、彼等が保有する株式は企業が生きてこそ意味があるが、今はただの紙屑でしかない。
何よりも彼等大金融資本から見れば、放置しておいて減損処理さえすれば消してしまうことが出来る資産ではないか。
そう開き直り、粘り強く交渉した結果、野上証券VCは、金子を社長に担ぎ出した当事者だったこともあり、橘達の提案を飲んだ。
後は、それ以外のベンチャー・キャピタル十数社の説得工作だ。筆頭株主の野上証券が了解したことが功を奏し、他社も渋々ながら応じた。
その間、高々2ヵ月余りの集中折衝で全投資会社の了解を取り付けることが出来たのだった。
だが、一方では、支配株主になるためには、金子・橘連合軍の資金集めが急を要する課題である。
金子も橘も夫々1千万円を超える個人出資は勿論するが、広く出資者を集めないと必要額に達しない。
そこで、橘は自分の独立を応援してくれる人達に小口出資をお願いし、出資組合を作ってこの問題をクリアして行った。
さて、もう1つ、どうしても了解を取っておくべき人物がいた。
既に帰国して米国で同業を再スタートさせている前オーナー黒川憲章の同意を取っておかなければならない点であった。それは次の3点である。
第一点、黒川憲章の「日本SIS」への出資金の現在価値はその10分の1であること
第二点、日本に於ける彼のセキュリティー・ソフトウェアの著作権と販売マージンは認められること
第三点、但し、日本上陸後の彼の放漫経営により消えて行った資金分、膨大な費用の黒田憲章個人の費消分、
及び米国送金分との相殺で、第一点・第二点に相当する金額は黒川氏へ支払済みと見做すこと
橘と金子は、野上証券のリーガル・アポイントを引っ提げて、ニューヨーク経由ボストンまで黒川に会いに向かった。
ボストンのホテルで3時間の交渉の末、黒川は素直にこの条件を飲んだのだった。黒川憲章に嘗ての天才企業家の面影は既に無かった。
最後は精彩のない1人の初老の男が、静かに確認書にサインしただけだった。
一泊三日の強行軍ではあったが、これで全て解決することが出来た。
全ての環境が整い、様々な法的手続きに則って、無事金子は「日本SIS」の社長となった。金子のたっての願いで、橘は形ばかりの会長(代表権なしの非常勤取締役会長)を引き受けた。
皮肉にも、橘カンパニーの実力専務予定者を失うことにはなったが、金子の会社はその後も紆余曲折はあったものの順調に業績を伸ばし、優良企業として専門誌などにも注目されるようになって行った。
そして、「日本SIS」のセキュリティー・ソフトが各方面から認知されるに及び、銀行・証券・商社・自動車産業など大手企業が次々に採用を決めた。コンピュータ・メーカー各社も、メーカー推奨ソフトにこれを加えて行った。天才肌の黒川憲章が開発したセキュリティー・ソフトは、黒川の手を離れてから花開いたのである。
専門紙誌には、橘会長や金子社長のインタビュー記事なども掲載されるようになって行き、ソフト業界ではメジャーになりつつあった。
そんなある日、「日本SIS」の取締役会に於いて、金子社長が、東証二部への上場に向けて具体手続きに入ることを提案し、全員の賛同を得て正式決定した。
橘はその場面に居合わせた幸運を感じていた。何より、保険代理店研修生から、二部とは言え上場企業の社長に上り詰めようとする金子の成功を感激の面持ちで眺めていた。
損保会社を辞めてから、一度も顔を出さなかった四谷の「Bフラット」に、橘の姿があった。
「随分前に、唐沢さんが見えて、橘さんが会社辞めたようだと仰ってたし、それ以来全然お姿見せてくれないし、随分心配してたんですよ」
とママが言う。
「今、零細企業の経営建て直しなんぞを必死でやってるから、貧乏暇なしでねぇ。とても、こんな高級クラブには来れませんよ」
と橘。
「高級クラブなんてとんでもありません。零細バーもいいところですよ。橘さん、ここも建て直しして頂けません?」
「ああ、いいですよ。手始めに1曲歌で応援しますよ」
「どうぞ、どうぞ。久し振りに橘さんのサウンド・オブ・サイレンス聞きたいな」
「ママ、他の曲も大分出来るようになったんだけど」
「そうなんだ。じゃぁ、それは後でということにして、まずはいつもの曲をお願いします。じゃなきゃ橘さんが戻って来てくれたように思えませんもの」
「良かった。ホントはね、他の曲出来るっての嘘だったの。へへへ、じゃぁ、やるね」
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