≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 橘はその前の年に、成り行き上、「退職者福祉団体」という組織の幹事を引き受けることになった。

 それは、自らが団塊世代の第1期生であることから、団塊世代の退職後(60歳到達後)の世界を大いに心配していたからでもある。大集団がリタイアすることの社会的・地域的・思想的準備がまるで出来ていないと思ったからだった。

 当時、「07年問題」としてマスコミなどに取上げられた主たるトーンは、「一斉退職で彼等のノウハウが会社から消失してしまうといった会社側の危機意識」か、「セカンド・ライフ人口の爆発による新たなビジネス・チャンスの到来」といった新マーケットの隆起期待のどちらかだった。

 橘は、そうではなく、今後リタイアしていく人々の巨大な塊が、社会の扶養家族になってしまったら、この国は果たして持つのか? という危機感だ。

 自らを振り返っても、体力的にもまだまだ5年・10年は働けるし、何と言っても会社生活40年で身に付けたノウハウは、社会や地域にとって大変貴重なものである。従って、世代のテーマは、団塊世代の働き場所の創出と社会貢献の場作りとなる。

 橘が「退職者福祉団体」の幹事を引き受けて1年ほど経った頃、人伝てに、団塊世代の活躍の場を作るための新しい「NPO法人・地域主義ネットワーク」の設立に当たり、その支援の要請を受けたのだ。

 橘は志を同じくするこのNPOの立ち上げに積極的に協力しようと、理事長に就任予定の安田克彦という人物と面会した。会って直ぐに彼のひととなりにいたく感激してしまうのである。

 60代後半ながら、その精力的活動と、中でも、ある「生協」を立ち上げ、急成長を遂げたのに、52歳の若さで早々に退任し、その後、1期だけだったが、神奈川県の革新党県議を務め、以降社会活動家として忙しく走り回っている安田の生き方に触れ、そこに己の人生の手本を見た思いがしたのだった。今後、橘の事業の方向性や考え方に対して、様々な影響を与える人物となる。

 

 安田克彦は、橘が協力を表明してくれたことにいたく喜び、大歓迎してくれた。両NPOに共通するのは、退職後の団塊世代の生き方や、そのパワーの再結集の意義などだから、当然、2人の話は大いに盛り上がった。

 橘は全面協力を約束し、その機関誌の発行を事業再生で繋がりのある印刷会社で格安で引き受けることなどがその時決ったのだった。

 「地域主義ネットワーク」には、全国の様々な地域NPOが参加表明をしているし、「連合」という大きな労働者団体も参画を決めている。

 また、安田克彦の創設した生協陣営からも幾つかの生協が参画を決めている。スポンサー企業も何社かある。正に全国をネットワークする壮大なNPOが発足しようとしているらしいことが理解出来た。

 しかし、引き受けた印刷業務は、結局のところ、予定部数の5分の1にも届かず、赤字に終わった。名目上の会員数ではなく、実質の人数は名目会員数の10分の1程度と分かり、これ以上の印刷継続は事業として成り立たないと判断して、このNPO法人からの撤退を余儀なくされた。これも失敗例のひとつになった。

 だが、橘はこの赤字分を先行投資と考えることにした。安田克彦と知り合いになれたことは絶対に今後に生きる、そう橘は確信したからだ。

 橘はその後、名を成した人物にも会い、何人かとは会食をするようになるが、その殆どは安田のお膳立てで実現して行く。その中には、次のような人物がいる。

 安田が理事長を務める「NPO法人・地域主義ネットワーク」の代表者で、無党派から出馬して当選した元県知事。ある大都市の革新派市長。元政府諮問会議委員で評論家で一時期、時の人としてマスコミに脚光を浴びた人物。昔一世を風靡したミュージシャンなどである。

 有名人と知り合いになることにそれ程の意味はないが、結果的に彼等に繋がる人達と知り合えることで、橘の活動の幅が広がったり、ビジネスに結び付いたりした。

 橘自身、前の会社にいた時とは比べ物にならないくらい、速いスピードで世界が広がって行くのを感じた。橘譲治は、自分を買ってくれている安田克彦に心から感謝した。

 

                  *   *   *

 

 同じ頃、日本の首相が小泉純一郎から安倍に変わった。小泉は支持率が高いまま任期を全うしたが、その後格差の拡大が明確になり、その原因を小泉改革にあるとする論調が目立って来て、今では小泉改革を批判する専門家が圧倒的に多いようだ。

 だが、会社経営という立場から橘が小泉を見る時、反対を押し切って次々と改革を成し遂げる突破力と、問題を真正面から受け止め堂々と解決していく小泉の姿こそ経営者が見習うべきものと映る。

 道路四公団や特殊法人の民営化を初め、郵政民営化など(官から民へ)大改革を果断に実施し、三位一体改革(中央から地方へ)を進め、銀行への大胆な公的資金導入により150兆円にも及ぶと言われた不良債権を迅速に処理、首相自ら北朝鮮に渡り、不十分とは言え初めての人質解放に繋げるなど、そのリーダーシップは、歴代首相の中でも1、2に傑出していると橘は思う。

 昨今、小泉改革の功罪がマスコミ上誠にかまびすしいのだが、それだけ小泉は仕事をしたという証拠である。何も成さなければ、結果に対する賞賛も批判も、しようがないのだから。

 「しかしながら」、と橘は思うのである。

 小泉のケースは個人の資質に負うところ大であり、歴史的にはそういう首相は例外であると。首相に祭り上げられているだけで、何もしない首相の方が圧倒的多数という日本の不幸の歴史を終わらせる手立てはないものか、そんなことを漠然と考える橘がいた。