≪高村比呂希 著≫
 
 
 
   (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部)
 
 
 
 最初、それは、橘と親しい人間が集まり、中小零細企業の再生事業をスタートさせた橘を精神的に応援するような会だった。いわゆる「橘を励ます会」というようなものだった。橘が、損保会社を辞めて1年以上が過ぎた頃、自然発生的に始まったものだ。当初は、橘の現役時代の損保会社の仲間や部下達、退職後知り合った人達などが入り乱れていた。あの金子順も当初からメンバーだった。

 その後、橘の関心が団塊世代の役割や活かし方という、ある種の日本の問題に移って行くと、「NPO地域主義ネットワーク」から安田克彦が参加したいと言い出した。橘はこれまでの会を整理・再スタートさせる必要を感じるようになった。

 橘の結論は、元の出身会社の仲間や同僚・部下達で、純粋に橘を慕ったり応援したりしてくれる人達からなる会として、現役の彼等の息抜きと親睦を兼ねた、ゴルフ会や研修会、飲み会を定例開催することと、今後の日本の問題を話しながらNPOの活動に繋げるブレーン・ストーミングを趣旨とする会に分けた。前者を「賢衆会」、後者を「プロジェクトJ」(通称PJJ)と名付けた。「賢衆会」の方は遊びが趣旨であるから、メンバーは50人を超える。但し、その後の人事異動などで地方に転勤した者なども増え、常時その半数くらいの出席になる。

 

 PJJという会の方は、全くの少数精鋭。先々どういう会になるか誰にも分からないことから、当時NHKでヒットしていた「プロジェクトX」と橘のニックネーム「JT」にあやかって、「プロジェクトJ」と名付けられた。メンバーは次の四人でスタートした。

 

①    橘譲二(会の発足時58歳)
                       大手損保会社の常務取締役を投げ打って退職。独立して事業を起こし、2年目。

②    金子順(同38歳)
                       橘に育てられた元保険代理店。現在はセキュリティー・システム会社の若き
                       社長である。

③    安田克彦(同66歳)
                       某生協創始者で元革新党県議。現在は社会活動家。

④  兵頭一樹(同57歳)
                       元損保会社役員で現在はシステム会社社長。システム統合では橘の下で
                       二人三脚で戦うも大苦戦した経験を共有する。

 

 最初のうちは、団塊の世代がリタイアを迎えると、この日本の社会はどうなるかといったことをテーマに、アルコールを潤滑油にして大いに議論したものだ。

 何せ団塊世代は必ず節目節目で、それまでの社会制度や校舎などの器を全て変えてしまったし、彼等の生存競争の激しさは他の世代の比ではなかった。それだけに、この大きな塊が退職を迎えると(60歳に到達すると)、何がどう変わるか、議論としては尽きることがなかった。

 年金など社会制度は、それまでの方式で持つ訳ないから、必ず給付額は減額、給付開始時期は先延ばしにしないといけないだろう、とか、そんな大きな集団が社会の扶養家族になったら、若者達の負担は今までの何倍にもなり、やる気を失うのではないか、そうなると、日本経済は構造的に活力を失い、本当に衰退して行くのではないか。とやや深刻な議論が多かった。

 PJJがこんな議論をしていると、マスメディアも漸く「2007年問題」を取上げるようになった。だがその論調は企業側から見た論調が殆どだった。即ち、団塊世代が一斉退職すると、彼等のノウハウが会社から一気に消失するので会社運営に大きな支障を来たすといったものだったり、金を持った「毎日が日曜日」人口の爆発により新たなビジネス・チャンスが到来する、というトーンだった。

 PJJは、それらは「07年問題」のほんの一端を論じているだけだと、断じた。最大の問題は、あと5年、10年は働ける元気な60歳には、社会の扶養家族に成り下がって貰うのではなく、会社生活40年で身に付けた貴重なノウハウをどのように社会や地域に還元して貰うかであると考えていた。換言すれば、団塊世代の働き場所の創出と社会貢献の場作りが「07年問題」の本質的課題である筈だという点で一致していた。

 このような議論の中から誕生した、PJJの最初の成果としては「プレミアムエイジ」というPJJメンバーによるブログを開始し、世に問うことだった。「プレミアムエイジ」は橘による命名だ。その意味するところは、現役時代に培った貴重な知識・技術・ノウハウをもって社会貢献する、価値ある団塊の世代のことなのである。メンバー達が「プレミアムエイジ」というウェブ・サイト上に、夫々のタイトルを持って、自由にブログを書き続け、もう何年も続いているサイトなのだ。

 

 次に、PJJの発足の当時、小泉改革の「本丸」と言われた郵政民営化が騒がしい時期でもあったから、PJJでは小泉改革についての是非論が戦わされた。それこそ賛否両論の激しい議論になった。

 賛成派は、小泉は全ての特権的制度を建設的破壊しようとしている、小泉の実行力は過去のどの首相をも凌ぐ、彼は失われた10年を本気で終わらせようとしているといったトーン。

 反対派は、小泉・竹中の目指すところは、全て米国基準の市場主義社会、あのマネー・ゲームの米国を模倣しようとしている、日本の良き風土や人の心を荒廃させる、米国の矛盾を日本に持ち込む愚を冒そうとしている等など。

 ただし、4人が皆、徹頭徹尾賛成派・反対派という風に固まっているのではなく、小泉の政策毎に賛成か反対かを決めて議論するのだ。

 

 最も、激しくぶつかり合ったのが、憲法改正問題だ。2006年9月に、日本の首相が小泉から安倍に変わって、安倍が集団的自衛権が認めれるように、憲法改正を進めようとしていることが伝わった時だった。

 PJJの4人の意見は真っ二つに割れたのだ。憲法9条を巡って、改正反対は、橘譲二と安田克彦。改正して自衛隊の存在など、矛盾と曖昧さを払拭すべきだと言うのは、金子順と兵頭一樹。