≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 それまで2人の遣り取りを黙って聞いていた早乙女恭子が遂に口を開いた。

「橘さん。我が党はあなた方のような考え方はしていません。憲法論を持ち出す話ではそもそもありません。端的に言えば、日本国民が悪いから今の惨状があるなんて、全く、それこそ全く考えていません。
 悪いのは自民党や今の政権与党と、官・財が結び付き、自分たちの利益のみを追求した癒着トライアングル構造です。国民の生活を省みず、一部の人間達の利益のために日本をダメにしたというのが真相です。
 我が党はこのことを白日の下に晒し、国民が立ち上がって糾弾しようと、全国国民総決起集会の開催を訴えています。繰り返しますが、悪いのは国民ではなく、保守系政党と官僚・財界など一部の人間達が日本を2流国に陥れたのです」

「お言葉ですが早乙女さん。私共も国民が悪いなんて言っていません。国民が責任の持ちようのない制度が拙いと言ってるのです。総裁選は過去何回もテレビ放送などで盛り上げますが、それを見ている私達には投票権がないんですよ。一国の首相も国民が直接決められないんでは政治に国民が責任を持てる訳ないじゃないですか」

「見解の相違、それもかなり大きな相違が有りそうです。それに橘さんだから丁寧に聞いておりましたが、9条初め憲法を根っこから変えようと言われる。そんな提案を本気で、平和憲法死守を党是としている我が革新党に持ち込むという、その神経が分かりません。益して、参院選を控えたこの時期にですよ。正直言って橘さんの見識を疑います」

「早乙女さん。私は日本再生をやれるのは革新党しかないと踏んでやって来ました。名前の通り本当に日本を革新する気なら、我が党だとか、党の立場だとかそんなこと言ってる場合じゃない。党がどうのなんて、我々一般人には何の興味もない。早乙女! 君なら出来ると思ったから来たのだ」

「お門違いです。私も我が党は平和憲法は絶対に守りますから。ですから、もうお引取り下さい」

「恭子! お前、本当に日本を救おうという気があるのか!」

「恭子なんて呼び捨てにしないで下さい。選挙民にも党員にも選ばれた公人の立場なんですから。幾ら同級生でも節度が有って然るべきでしょう?」

「分かった。もうお前には何も言うことはない。失礼する」

 

                  *   *   *

 

 橘・安田・箱崎の3人はほぼ無言のまま、代々木の事務所に戻った。事務室に入っても重い空気は変わらない。箱崎綾が気を遣ってお茶を入れたが、誰も手を着けないほどだ。

 橘は、はらわたが煮えくり返るような気分だった。40何年か振りに会ったというのに、端から我々の意見に聞く耳を持たない早乙女恭子。あいつは一体何者なんだ。革新党は一体何10年同じことを言ってるんだ。日本の沈没を目の前にしても、全く緊張感のない政党。自分達こそが日本を救えるという矜持も無いしその気も無い。野党根性が染み付いてしまってる。あいつら、気楽な野党でいたいだけだ。

 そんな所に、我々の血肉たる提言書を持って行った自分は、本当にアホ以外の何者でもない。どういうやり方があるか分からないが。もう既存政党を頼るのは一切願い下げだ。橘の胸の内は、早乙女と日本革新党に対する怒りと、新たな覚悟とで一杯になっていた。

 

 暫くして、本日の首尾を聞こうと他のメンバーも集まって来て、5人が揃った。臨時のPJ5となった。後から駆けつけた兵頭一樹にしろ金子順にしろ、一瞬の内に空気を感じ取り、今日の会談が旨く行かなかったことは理解した。ただ、どんな内容だったのかだけは聞いておきたい。

「お2人には、申し訳なかったが、今日の会談は物別れ、と言うより、喧嘩になってしまって完全に決裂したと考えて下さい。その経緯を私が伝えられるだけのエネルギーが、とても残っていないので、安田さん、代わりに説明してくれませんか?」

「分かった」

と言って、会談の一部始終を語った。それから安田の感想となった。

「橘さんとは高校の同級生ということで早乙女さんは最後まで貫いていたけど、こちらは元恋人同士というのを知っているから、もっとソフト・ランディングを想定していたが、完全な決裂で2度目の折衝はもうあり得ない終わり方だった。
 それにしても、革新党の党是至上主義というか、教条主義という人もいるが、私が30年前革新党に所属していた時と何も変わっていないね。日本の救世主となる場面なのに、その気がない。柔軟思考が出来ない。現実をいろんな角度から見られない。
 日本再生をあの党に掛けると言った私の思惑は完全に外れたことを皆さんに謝りたい」

 橘は、今日はひとまず解散して、3日後ここに集まって今後どうするかを決めたい、と宣言した。

 

                  *   *   *

 

 どちらともなく、その晩、橘譲二と箱崎綾とが、セルリアンホテルの一室を共にしたのは以心伝心というものだろうか。これが2回目の逢瀬となる。

 今日の一切を忘れようとでもいうが如くの激しい行為の後、シャワーを浴びた2人は部屋に運ばせておいたワインを飲みながら、語り合った。

「橘さんの元恋人を間近に見られるというので、今日は朝から何か興奮気味だったのよ」

「そう。それで女として君の感想は?」

「野党の党首になるだけのオーラを感じましたね。それに単なるやり手政治家とか、芯のしっかりした女性というだけではなく、どこか女を感じさせるのね。これは私に先入観があったからかも知れないけど」

「最後は俺も腹が立って言い返したが、彼女、あれ程ぼろくそに言うとは、正直思ってなかった。甘かったな。俺の言うことに早乙女は耳を傾ける筈という自惚れがあった」

「でも、早乙女さん、あれが本心だったのかしらねぇ?」

「なんだよ、それ」

「もしかしたら、本当は橘さんの提案を受け入れて検討してみたいと思ったんじゃないかしら。隣に、理論的支柱の江藤さんがいたのでああ言わざるを得なかったような印象でしたよ。少なくても私にはそう見えました」

「それはないな。ただ、40年振りに会ったんだから、もう少し遠慮があっていいとは思うよ。あの喧嘩腰は理解に苦しむ」

「橘さん、聴いてもいいですか?」

「なんだい?」

「今でも早乙女さんのこと好きですか?」

「よせやい。もう大昔のことさ。その質問、今でも、じゃなく、当時は、というならYESだけどね」

「私も女だから分かるけど、早乙女さんの方は、今でも橘さんのこと忘れられないんじゃないかしら」

「どうして女はそんな風に考えるかねぇ」

「あの方、ずっと独身を貫いてるんですよねぇ。きっと今でも心の何処かに橘さんがいるんですよ」

「何だか、君は提言書の行方の心配よりも、早乙女恭子が気になってしょうがないみたいだな」

「だって・・・。最初、早乙女さんが応接室に入って来られた時、橘さんを見るその目に、愛おしさみたいな感情が宿ってるのが、私にはハッキリと分かりましたから」

 綾は、40年の重みには絶対に敵わないと思った。自分と橘とはまだ1週間でしかないのだから。

「それも政治家の愛想の内だろうよ」

「お2人、会わないままの方が良かったのかなぁ、会った方が良かったのかなぁ」

「まっ、どの道、もう2度と会わないのだから、全て忘れようぜ」

 橘はそう言って、綾のバスローブの紐を解いた。綾も橘のそれを脱がせ、橘の胸に飛び込んで行った。

 

                  *   *   *