≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 経済産業省内の隣の課の後輩、松本輝彦が、「日本自動車新報」という自動車産業、並びに整備業・中古車販売業などに向けた業界紙を持って、橘和馬の席にやって来た。

「橘さん、これもしかして、橘さんのお父さんじゃないですか?」

「え! あっ、そうだよ。何なんだこれは」

「日本を救うための7ヵ条提案みたいですねぇ」

「どうして、僕の親父だと分かった?」

「前に、言っていたじゃないですか。親父は損保会社の常務だったが、勝手に辞めてどうも中小企業の再建の仕事をしてるみたいだって。苗字は同じだしプロフィールも聞いていたのと同じだったからですよ」

「ちょっと読ませてくれ」

「どうぞ」

 それは、タブロイド版の新聞の一面を使った意見広告だった。インタビュー形式の記事で最後に7ヵ条の要約が載っている。

 橘和馬は最初から読んで行った。インタビューは、7ヵ条を有志で纏め、こうして発表することにしたいきさつから述べられていた。

 その趣旨は、日本の今の惨憺たる状況を何とか食い止めたいという、実務を通して体感した切迫感だと言う。政治家も、高級官僚も、日本がこういう酷い状況になっても誰もビジョンを示してくれない。誰も真剣に日本を救う方法を指し示してくれない。国民もそれをとうに諦めている。
 この世界に稀なる無責任体制を変えることからやらないと日本は再生出来ないところまで来ている、と述べている。その最大の提案は、国民の直接選挙により一国のリーダーを選ぶ大統領制だと述べている。

 和馬は、そこまで読んで、心臓の高鳴りを覚えた。その理由は2つ。

 1つは、自分が今感じているのが、正に大統領制を敷かなければ、真の改革が進まないということだが、親父も全く同じことを考ええていたことに対する驚きだ。官僚制度を初め、日本の改革を自分がやってやる、という入省当時の青雲の心は、現実の厚い壁と実務の忙しさの前に脆くも崩れ去った。和馬は、本当に改革を成し遂げるには、強いリーダー、即ち、国民から高い支持を得て選ばれた大統領のような存在が必要だとつくづく感じていたのだ。

 そして2つ目は、どこにも触れていないが、親父は次の参院選に立候補するつもりだと感じ取ったからだった。

 あれ程親父と考え方が正反対で、それが親父との確執となってしまったのに、14の歳月を経てみたら完全一致している。別々の道を進んで最後は同じゴールに辿り着いたということか。

 和馬は、残りの記事を全部読み、「7ヵ条」にも目を通した。個別の政策では異なる部分も有るが、総じて賛同出来る内容だった。プロフィールは親父の写真付きで、その上には大きな文字で、「日本再生会議代表 橘譲二」と書かれていた。

「親父! これに残りの人生を賭けようと言うのか? やるじゃないか」

 心の中でそう呟いた。橘が新聞を食い入るように読んでいるので、途中で松本は自席に戻って行ったのだが、和馬はそれにも気付かない程の驚きだった。

 この記事を読んで以降、和馬の心は揺れに揺れた。もう没交渉のままにしておく理由がない。親父が戦いを始めるなら、息子の自分は精神的にも支援しなければいけないのではないか。だが、母親に電話で聞いたところでは、親父は家族を巻き込みたくないと言っているとのことだ。母親に言わせれば、和馬が親父に会うべき機会は母が見計らうから、その時来て欲しいとのことだった。

 数日後、奈良橋次官の息子、幸司から電話を貰った。彼は総合商社に行っているから、様々な業界紙に目を通しているらしい。新聞のタイトルは聞き取れなかったが、どうやら、先日の「日本自動車新報」と全く同じ記事が別の業界紙にも載った模様である。

 

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 党本部の者が、街でこんなビラを貰ったと言って、1枚のチラシが党首の早乙女恭子の手元に届いた。ビラを持ってきてくれたのは、先日、橘達との会談に向けて、何度か電話連絡しあった女性党員だった。

 そこには、橘のインタビュー形式の記事と「我が国と世界を守る日本再生七ヵ条」の要約が載っていた。だが、その内容は橘から直接説明も受けたし、分厚い詳細論文も彼等が置いて行ったので把握している。だから、早乙女恭子はビラに視線を当てながらも、記事の内容を読むでもなく、あの会談を振り返っていたのだった。

 思い切った提言だった。既存政党は票が気になって、あれだけの憲法改正の主張は出来ない。だが、橘が言っていた。日本の転落を止めるにはあの位の思い切った改革をしないともうどうにもならないと。そうだろうとは思う。でも、そんなことを党首たる自分が緊急提案しようものなら、党内は蜂の巣を突っついたようになるのは明らかだ。とても3ヶ月後に迫った次の参院選までに、意見統一するのは無理だ。と言うより、党が分裂の危機を迎える。

 それにしても、私が、あれほど橘に冷たく当たったのは、何故だろう? 会うまではあんなに待ち焦がれていたのに。心とは全く反対の態度をとってしまった。橘は私が本当に厭な女になったと思っただろう。そう思うといたたまれない。

 あの日、勝手に私が彼の前から消えた時、橘は必死に私を探し回ったのは知っている。説明もなく消えた私に怒りを覚えたろう。私はあの時、橘を心の底から愛していた。愛していたから、反米運動に飛び込もうとしていた私は、彼を巻き込んではいけない、彼の人生を狂わせてはならない、そう思って身を引いた。

 本当にそうだろうか? 本当に愛していたなら、私は反米運動より橘を取った筈ではないか? こんな自問自答を私は今まで何回して来たことか。そして今日もまた、その回数が1回増えた。

 私が独身を貫いたのは、何も反米運動や政治と結婚したからではない。その後彼の面影を消してくれる男性に巡り会わなかっただけのことだ。ということは今も尚、私は橘を愛しているということだろうか。きっとそうに違いない。いや、そんな他人事みたいな言い方は正しくない。もし、40年前の自分を橘が許してくれるのなら、私は・・・。

 だからこそ、妻子ある橘とはもう2度と会わないという決意を示すために、そして、完全に橘への思いを断つために、必要以上に厳しく冷たい態度を取ってしまったのだと、自分自身を納得させた。

 

                  *   *   *