≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 箱崎綾はテレビ東京の局内の出演者控え室でテレビを見ていた。綾がここにいるのは、今回の選挙結果を受けて、日本経済が今後どう変わるかと言った場面でコメントするためだ。8時以降、既に2回、短い時間の出演をこなしている。

 箱崎綾の目に、クローズアップされた橘の顔が飛び込んで来た。現場の女性アナが、「たった今、東京選挙区で当選を決めました、橘譲二選挙事務所前です。深夜にも拘らず、当選に沸く事務所にて、橘譲二氏のインタビューを試みたいと思います」と言って、インタビューが始まったのだった。

「橘さん、やったね。テレビに映る橘さん、とってもいい表情よ」

 箱崎綾は1人、部屋でガッツポーズをした。

 

                  *   *   *

 

「橘さんは、大統領直接選挙制を提唱されていますが、いまの、議員内閣制ではどうしてダメなんでしょうか?」

「一国のリーダーを決めるのに、議員だけで決めて、国民に投票権がないことの弊害が日本には顕著に出てしまっていると思います。平時はそれでも構わないんですが、今のような崩壊に向かうような局面では、国民の支持を得た責任感の強いリーダーが必要です。

 この5年間に5人の人が首相を代わる代わる勤めている。逆に言えば、まるで当番のように1年しか務めない首相に、この国を救うだけのパワーがあるのかということです。これはもう、この国の舵取りが首相なのか、与党の親分衆なのか、はたまた官僚なのか分明でない無責任体制そのものです。

 日本も米国型の大統領制を導入して、大統領を直接選ぶ国民も、また選ばれた大統領も大きな責任を持って政治を進める形にしないといけません。そして、国民の支持をバックにした大統領は力を与えられますから、強いリーダーシップを発揮出来ます。そうやって、断固たる措置を講じ、政策を強力に推し進め易い仕組みや仕掛けが、今こそ必要だと思います」

「最後に、橘さんを選んだ選挙民に向かって、何か一言メッセージをお願いします」

 それまで、インタビュアーの方に向いて答えていた橘は、ここでカメラの方に向かって話し出した。

「国民の皆さんが、直接、国の最高責任者を選べないこの国の指導者と本当に心中出来ますか? 私は必ず大統領直接選挙制を実現します。そして、最初の大統領に私がなります」と高々と宣言した。

 テレビは橘の顔を大写しにして全国に実況中継している。

 

 と、その時、橘の顔が突然苦しげに歪んだ。次の瞬間テレビの画面には、床に倒れている彼の姿が映った。橘の妻雅子と息子の和馬が駆け寄る。「あなた!」「父さん!」。橘が何か言おうとしているがとてもテレビ音声では聞こえない。「救急車! 救急車!」。

 

 テレビはそこで現場の画像からスタジオに切り替わった。キャスターが「どうも橘選挙事務所では緊急事態が発生した模様です。また、詳しいことが分かり次第お伝えしたいと思います」と断わって、再び次の当選者の事務所の画像に変わった。

 箱崎綾は居ても立ってもいられず、番組のスタッフに「急用が出来た」旨を伝え、タクシーで橘選挙事務所に急行した。事務所に到着した時、兵頭が残っていて、橘は既に慶応大付属病院に搬送されたと伝えられた。他のメンバーや家族も一緒だと言う。箱崎綾は兵頭と一緒に病院に向かおうと思ったが、兵頭はマスコミ対応やら、じゃんじゃん掛かってくる電話応対など、まだ暫く掛かると言うので、箱崎綾は再び、タクシーで慶応病院に向かった。

「橘さん、死なないで! 貴方のビジョンが国会で審議されるのは、これからよ!」

 綾は必死に祈った。

 

                  *   *   *

 

 早乙女恭子は、当日は革新党本部に詰めていて自陣営の候補者の当落を見守っていたから、橘の当選は知っていたものの、橘が倒れたことは知らず、翌日の新聞記事で知った。革新党の当選者が大幅増となる事前予想に反し微増に止まり、翌日は、橘が病に倒れ病院への搬送されたことを知るに及んで、早乙女恭子は自分の不明を心で詫びた。

「日本崩落の真っ只中にあって、それを救えるのは、早乙女、お前とお前の党じゃないのか。革新党は、今こそ日本を救うためにあらゆる算段を考える義務がある。国民のお前達に対する期待が何故分からない!」

 橘の声が聞こえたような気がした。橘が自分をそう諌めているような気がした。経済がこれほど酷い状況なのに、伝統的野党の我が党に支持が集まらなかったのは、「我が党は救世主たりえず」という国民の声なのかも知れない。

「橘さん、死なないで! そして、橘さん、どうか私を許して!」

 

                  *   *   *

 

 10日後、橘譲二死去の報が新聞に載った。死因はくも膜下出血だった。享年62歳。63歳の誕生日前日の死去だった。大胆な政策による日本再構築を提唱して大きな反響を呼び、先の参院選に初当選したが直後に倒れ、昨夜、入院先の病院で家族と「日本再生会議」のメンバー達に看取られて静かに息を引き取ったと伝えている。記事の最後に息子和馬の談話が載っている。

 

「大勢の皆様からの支持により父は参院選に当選させて頂き、日本を救うため自分のビジョン実現に向けて、さぁ、これから突っ走るぞという、正にその時に倒れてしまって、さぞや無念だったろうと思います。

 父は、遂に1度も意識が戻りませんでした。ですから、本人に届いたかどうか分かりませんが、病床の父に、『父さんの描いた日本再生ビジョンは、僕が必ず引き継ぎます。大統領制は必ず実現します』と伝えました・・・。皆様には本当にお世話になりました」