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≪高村比呂希 著≫ 

 

   (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部) 
 
 

 親父と喧嘩して、橘和馬が家を飛び出したのは大学3年の3月だった。以来親父とは14年間、没交渉だ。和馬が就職した時、母親を介して親父が「就職祝いをやるから家に顔を出せ」と言って来た時も何かを口実に断わってしまった。親父の生き方を批判して家を飛び出した以上、自分のやり方で結果を出すまでは、意地でも帰らぬつもりだったからだ。

 ただ、母親とは電話連絡していたから、親父が会社を辞め、中小零細企業の再生事業を始めたのも知っている。親父を励ましたい気持ちが無いではないが、ここまで長いこと、没交渉を貫いてしまうと、親父に会うには相当のキッカケが無いと非常に難しいと思うのだ。

 それは、自分の結婚の時だろうということは、よく分かっている。付き合っている女性がいない訳でもないのだが、何故か結婚するという現実感がない。相手も結婚という自分を縛るような形は望んでいないようなのだ。母親には申し訳ないが、必然的に、親父と相まみえるのはもっと先にしようとなる。

 

 橘和馬は、その頃、経済産業省入省13年目を迎えていた。20代の頃の「官の中からの改革」に燃えた青雲の心は、いつしか小さくしぼみ、目の前の仕事に忙殺されるようになって行った。

 何かの法案を作るとなれば、それこそ、毎日深夜となる。帰宅しまた出勤する時間すらもったいなくなり、遂には省内のソファーに仮眠して朝を迎えることも少なくない。

 省内の仕事のメインは、日本の産業をどのように発展させて行くか、そのための政策立案、法案作成、予算取り、上記の関連部門並びに大臣や政治家への調整根回しなどであり、それらをこなそうとすれば、それこそ体が幾つ有っても足りないくらいなのだ。

 若い頃、若手で議論すれば、日本の将来のために、役所はもっと大胆に発想し、もっと大胆に変わらないといけないと、改革の必要性と意気込みで一致出来たものが、30歳を過ぎる辺りから、夫々のセクションで、ホープと目される人間が多くなり、そんなことより実務でより多くの期待が掛かり責任も重くなる。

 入省間もない頃、今の自分達のような多くの先輩がいて、彼等は何故役所の改革のために立ち上がらないのか、ある種怒りの目で彼等を見ていたのを思い出す。

 和馬はその年齢に差し掛かって初めて分かった。一番自由時間の取れぬ世代が30代であることを。それを抜け40代・50代となれば次官という最高位を目指したレースが待っており、敗れた者達は天下り先にしか興味がなくなるというシステムが大昔から出来上がっているのだ。

 日本の政・官・財が揃って無策を貫き発生させた1980年代後半のバブル、その崩壊から始まった「失われた10年」の無為無策。そのツケが和馬達団塊ジュニア世代に降りかかっていることに、大きな怒りを感じていた和馬。

 そのことが、和馬から見れば親の世代、即ち団塊世代への強い批判と反発になっていたのだった。和馬の大学の友人達の共通の考え方は「団塊の世代は自分達だけの幸せしか考えなかった世代。次の世代のためにとは誰も考えなかった身勝手な世代」と言うものであった。

 確かに団塊世代の20代、30代は日本の高度成長期であり、毎年確実に給料手取りが増えて行った。20%・30%賃上げなど当たり前の時代だった。10代の頃までの貧困の日本が、急速に豊かさを享受出来る社会に変貌し、みんなが自信に満ちた不安感のない時代を過ごした団塊の世代には、現代の若者達の閉塞感や諦観が真に理解出来ない。

 和馬が父親と口論になり、喧嘩別れになったのも、正にこの点だったし、和馬が役人の道を選んだのも、「大人達は全く当てにならない。ならば自分達の力で日本を変えなければならない。その一番の近道が官だ」と考えた結果だった。

 しかし、現実はそんなに甘くないということを、35歳になった和馬は嫌というほど感じていた。和馬はあることに気付き始めた。それは、親父達の世代がみんな無責任に過ごしたのではなく、何とかしようとしても、個人の努力ではどうにもならない日本の仕組みの悪さに阻まれたのかも知れない、という点だ。自分が官の中で改革しようにも、実務に追われて、とても個人的にその時間もパワーも生み出せないのと同じように。

 この点では忸怩たるものを感じる和馬ではあったが、実務面では、ストレートな物言い、エネルギッシュな活動、時間を厭わない折衝力・交渉力とその粘り強さから、「省内に橘和馬あり」と目されるまでになっていた。丁度その頃、奈良橋幸太郎が経済産業省の次官に就任したから、益々その関係を知る人間達からは和馬の一層の活躍が予測出来たらしい。

 奈良橋幸太郎は、和馬が学生の時家庭教師をやっていた中学生の父親だった。因みに子供の名前は奈良橋幸司。彼はその後、東大経済学部に進み卒業後は、父親や和馬の選んだ官僚の道ではなく総合商社に就職していた。

 

 和馬は最近良く考え込む。日本の成長は戦後の焼け野原から、朝鮮戦争特需をキッカケに以降経済成長を続け、1964年の東京オリンピックに照準を合わせた急成長シナリオが成功し、日本は先進国の仲間入りを果たした。

 その後も高度成長を続け、30%賃上げの時代を経て国民1人当たりの所得で遂に米国に並び世界2位の経済大国となった。その後2度に亘るオイル・ショックなどを克服して、1980年代後半のバブル景気を絶頂期として、後は衰退の一途を辿っている。

 何故だ、何故なのだ、と和馬は思う。政治主導か、官僚主導か、はたまた財界主導かは問わない。彼等は、1950年代から35~40年間は、間違いなく日本を豊かな国に導いた。なのに何故、バブル以降は混迷するばかりで、誰も、日本の向かうべき未来像やビジョンを指し示さない。何故なのか? 

 いや、最近、1人だけいた。小泉純一郎という人物だ。彼だけは、「改革なくして成長なし」を旗印に、強引とも言える手法でブルドーザーの如く様々な改革を推し進めた。だがそれは、たまたま小泉の変人といわれるキャラクターの成せる技、例外的な出来事だったと思わざるを得ない。何故なら、小泉の行なった改革は4合目くらいまでで残りはまだ沢山改革テーマが残っていたのに、その後の安倍も福田も麻生も小泉のようには何も推進出来なかったのだから。

 だが待てよ。小泉が幾ら個人の資質で行ったにしても、小泉1人で政・官・財の強く大きい反対勢力をねじ伏せることは出来ない。やはり国民の大多数が小泉を支持したから、反対勢力も已む無く引き下がる図だったのだろう。

 敗戦で全てを失った後の成長戦略実行には、それを反対する者などいない。だから、みんなが豊かさを求めて一致して必死に働いて世界2位の経済大国を築いたのだ。

 だが、これからの日本の繁栄を考える時、豊かになった日本社会には、方々に、利権を持った集団、商権を持った企業、権利を主張して譲らない団体、などがいて簡単でない。

 新しい成長戦略を描くには、その足かせとなるものは1度壊さないと始まらない。これが改革なのだが、壊される側は、そのことが自分に不利になると分かった途端、徹底抗戦するから、結局、この20年間は、日本はもがきながら落ちて行く過程を辿ったのだ。

「利権と権利に覆われ、決定打の筈の政策も妥協の末中途半端なものとなり、結局、日本の衰退を止められなかったこの20年。この歴史に終止符を打ち、今の日本を再び蘇えらせるには、国民から高い支持を受けた強力なリーダーを誕生させるしかない。それを実現するには、これまでの議院内閣制をやめ、米国型の大統領直接選挙制に移行しなければならない」

 これが和馬の結論だった。

 だが、言うは易し、行うは難しだ。和馬にはこれを進める具体的な方策は何も思い付かない。このジレンマがまた和馬の心を暗くしていた。

 

                  *   *   *

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 その時演奏されていた曲はバーバラ・ストライサンドのヒット曲、「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」だった。橘は曲名は知らないものの好きな曲だった。箱崎綾の方は、苦い思い出と一緒に蘇える、あの勝負の日を前にして、ニューヨークのマンションで聴いた曲だった。大好きだった曲が、今は、自分の過去の追悼曲に聴こえた。だから、綾は何も言わなかった。

「綾、本当にありがとう。みんなが、こんな一文にもならないことを、全力でやり切ってくれた。それが嬉しくてね。凄い仲間に囲まれている俺は本当に幸せ者だよ。綾が付き合ってくれなくても、きっと俺はここでこうして1人でも飲んでいたよ」

「橘さん、感謝するのは私の方ですわ。今、私がテレビや雑誌で何とか仕事させて貰っているのは、全部橘さんのお蔭ですから」

「いや、それは違うよ。確かに口を利いたのは俺だけど、テレビ局や雑誌社が君を採用したのは、君の持っている才能が決め手なんだから」

「橘さんにそう言って頂くと、凄く、自信になります」

「そういう忙しい綾が、PJ5に優先して時間を充ててくれているのを知ってるから、申し訳ないやら、嬉しいやら。そしてね、今日、俺、みんなから叱られたよねぇ。彼等がいなかったら簡単に心が折れてたな。そういう意味でも得難い人達だ」

「PJ5があるから、自分の仕事も頑張れる。みんなもそうなんだと思いますよ。少なくても私はそうです」

 綾がそう言うと、橘は照れくさそうに、

「ありがとう」

と言うと、近くにあったナプキンの紙を1枚取り出して、自分の万年筆で何かを書いた。それをバーテンダーに渡して何か言っている。バーテンダーはその紙をピアニストに渡しに行った。曲の合間に女性ピアニストがマイク越しに語る。

「お客様からリクエストを頂戴しました。ありがとうございます。曲はサイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』。お聴き下さい」

 懐かしい曲が始まった。40年も前に夏の海で早乙女恭子と一緒に聴いた曲だ。橘がわざわざピアニストに曲をリクエストするなんて、通常はあり得ないことだ。昼間、PJ5の総意で、革新党々首の早乙女恭子と会うことになったことが、橘にこういう行動を取らせたのだろう。

「この曲、橘さんがリクエストした曲ですか?」

 箱崎綾が聞いた。

「40年以上も前の思い出の曲なんだ」

「それは早乙女恭子さんとの思い出の曲なんでしょう?」

「うん、まあね」

「うわ、ご馳走様。ここにもレディーが1人いるのにな。でも、何だか早乙女さんが羨ましい。四十年もの時空を超えて、昔の彼氏に、2人の思い出曲をホテルのラウンジでリクエストされるというのがね」

 1時間だけといいながら、2人は結局2時間以上そこにいたことになる。12時を少し超えていたのだ。橘は1階のタクシー乗り場まで見送ると言って席を立ったのだが、エレベーターに乗り込んだ時、綾が、

「橘さんのお部屋は何階ですか?」

と聞くので、

「部屋は30階だけど、1階まで送って行くよ」

と答えたのだが、綾は30階のボタンだけを押したのだった。

 

               *   *   *

 

 2人はホテルの1室に入った。仕事一筋だった2人は、ともにお酒に強い訳でなく、魅かれる要素は、双方、男として、女としての暗黙の理解であったとしか言えない。いや、理性とか、感情とかでは誰にも理解出来ない「超常現象」と言った方が適切かも知れない。

 酔いに任せた自然の成り行きだったとは言え、2人は激しく燃えた。そして、どちらも一糸まとわず、自然体でベッドに横たわっていた。もう2人に会話は要らない。若い女の肉体に触れて、橘は、この数日の忙しさからくる肉体的な疲労から解放され、自然空間の中での虚無感さえ覚えていた。

 橘の心は複雑だった。この10年、全く意識の中に異性に対する感情というものが無かったことに改めて気付いた。部下や仲間として、男女の「心模様」は意識していたが、まさかこの年齢で、女に対してこれほど純粋に燃え上がれる自分がいるとは、想像だにしなかった。橘は自分自身に驚いたのだ。

 しかし一方では、自分には35年連れ添った妻がいる。その上、息子と同じような年頃の女性と許されない交わりを持ってしまったという罪悪感。そして、綾は間違いなく守ってやりたい対象ではあるが、愛しているのかどうかまでは、自分にも分からない。

 だが、橘は、綾とこうなったことも、驚きも罪悪感も、全て逃げずに受け止めようと思った。

 

 一方綾は、初対面の時から、今は亡き父親のイメージを橘に重ねていたが、PJ5の活動を通して、橘に対する尊敬の念が固まって行ったのだった。

 今夜、何故か分からぬが、熱い思いを秘めた大きな優しさに包まれたいと思ったのだ。そして、思いは直ぐに現実になった。男女の行為の時に、あり得ない図が綾の瞼には映っていた。それは遠い日に父に抱きかかえられた自分の姿だった。不思議な感覚だった。

 今、綾は橘の左腕を枕に、仰向けに寝そべっている。自分は父親の自殺にショックを受け、そのトラウマが自分の中にファザー・コンプレックスを作り上げてしまったのかと思わざるを得なかった。橘は父の代わりなのか? 自問自答した。自信はないがそれを強く否定することにした。そして、

「私は橘さんの中に、他の人とは違う、感情豊かな強い男性を感じている」

と確認するのだった。更に、今日、家に帰らずこの部屋に来てしまった本当の理由が分かった。私は、40年も前の橘の恋人、早乙女恭子に嫉妬を感じたのだ。いや、もっと正確に言えば、40年もの間、橘が大切にして来た早乙女との思い出の曲に嫉妬したのだと。

 嫉妬を感じるということは、綾が橘を好きなことは自分でも分かる。彼と交わって悦びを感じたことも事実だ。だがそれが、一個の男と女が本当に愛し合っているということなのかどうかは彼女には分からなかった。

 彼には家庭がある。彼にはPJ5がある。そして、いよいよ彼は、人生最大で最後の大勝負に打って出ようとしている。ハッキリしていることは、橘を自分が独り占めしてはいけないということだった。

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 暫くの沈黙の後、橘が口を開いた。

「つまらないことを言ってしまった。どうか許して欲しい。
 私が頭に浮かべるべきは、一緒に苦労し中小企業を立て直した社長一家が夜逃げしなければならなかったこと、そして一家心中に至った悲惨な現実だった。
 そういう状況に追い込んだ経済恐慌、それを放置した日本政府の無為無策・無責任。そういう日本をどう変えるか、皆さんに本業返上で助けて貰ってここまで辿り着いたと言うのに。この成果を政治に活かすために、出来ることは何でもやるべきだと改めて気付かせて貰った。この通りだ」

 橘は深々と頭を下げた。そして続けた。

「もう、迷わない。少なくても、日本の政治を変えるキッカケだけは作りたい。そうしないと死んで行った人達や、身を滅ぼして行った人達に申し訳が立たない」

 率直な橘の言葉は、全員の胸を打った。

 最後に、橘が安田に革新党へのアポイントメントを依頼した。

「安田さん、早速党首に会えるよう段取りをお願いします。その時、こちらの責任者は橘譲二だと言うことも是非お伝え下さい。会見の時に、驚かれて話が進まないのも困るので」

「分かりました」

「それでは、今晩これから、皆さんの慰労を兼ねてちょっと豪華な食事会を予約しておきましたので、都合の悪くない方はご一緒にどうぞ」

 安田だけが次の予定が入っていて辞退したが、他の3人はOKということで、4人は橘の事務所(共感ネット保険会社の会長室)のある代々木から、橘の運転するレクサスで、予約しておいたセルリアンホテル最上階のレストランに向かった。

 

                  *   *   *

 

「皆さん、本当に良く頑張って提言を纏めてくれました。心から感謝します。今日は私からの感謝の気持ちですから、遠慮なく注文して貰って、これからの勝負のために英気を養いましょう。それでは乾杯と行きましょう。乾杯!」

 1つの到達点に達したので、その達成感か安堵感かが全員を雄弁にした。雑談に花を咲かせる3人を見て、橘は、安田を含めて彼等4人が自分と何の利害関係もなく、ボランティアで「日本再生、提言7ヵ条」を纏めてくれたことを奇跡だと思った。そして、60歳を過ぎた今、こういう人達と仲間になれたことが心底嬉しかった。

 時計は9時半を回っていた。今日のところはお開きとなったが、橘はレストランの反対側にある夜景が前面に広がるバーで飲みたい気分だった。だが、兵頭は「家が遠いので」と断わりながら帰って行った。金子も申し訳無さそうに、「明日出張のために朝早い」といいながら去って行った。

 

 エレベーター前に橘譲二と箱崎綾が残された。

「箱崎さん、今日は本当に嬉しかったので、バーで少し余韻に浸りたい。ということは車で君を送っていけないから、無理には引止めないよ」

「渋谷からならタクシーでも帰れる距離ですから少しだけご一緒させて下さい。先程のレストラン、覚えていらっしゃいますか? 私の友人と一緒に橘さんに初めてお目に掛かった場所です」

「ああ、良~く覚えているよ」

「日本で私の居場所がやっと見付かったと思えた最初の運命の出会いでした。私にとっては大切なホテルだから、もう少しいたいのです」

「それじゃ、1時間ほど付き合って貰おうかな。申し訳ないが、バーに先に行って夜景の綺麗なカウンター席を2つ確保しておいてくれないか? 俺は今日ここに泊まることにしたるのでチャックインして来る」

「分かりました」

 箱崎綾はエレベーター・ホールを挟んでレストランの反対側のバーに向かった。橘は一旦エレベーターでロビーに降り、手続きを済ませて、再び最上階に上りバーに入って行った。 
 
 
                  *   *   * 
 
 
 バーの中は少し暗くしてあるので、下界に光の海が輝いて見える。思ったより広いスペースで、中央にはグランド・ピアノが置いてあって、女性ピアニストがムーディーな曲を演奏している。ソファー席やボックス席はほぼ満席に近いが、大きな全面ガラスの前に10人程度が座れるカウンター・バーが設えてある。そこはまだ数人座っているだけだった。その一番奥に箱崎綾が座って、こちらに手を振っていた。橘は彼女の隣に座った。

「どう、ここからの眺めは? ニューヨークの摩天楼のバーでも思い出してたんじゃないか?」

「そうじゃないんですが、さっきバーテンダーの方に聞いたらあの辺りは横浜なんですって。渋谷から横浜が見えるなんて想像もしてなかったから、ビックリしちゃって」

「ここからの眺めは絶景だな」

「本当に夜景が綺麗! 普通今の時期は空気が澄んでいないから、こんなに綺麗に見えるのは珍しいんですって」

「函館は100万ドルの夜景とか言うらしいが、ここのは105万ドルの夜景なんだ」

「何ですか、その端数の5万ドルは?」

「消費税」

「嫌だ、橘さんってば。ハハハ」

 

「何に致しますか?」

とバーテンダーが聞く。橘は綾が飲んでいるカクテルを見て、

「それは何かな?」

「ドライ・マティーニでございます」

とバーテンダーが答える。

「箱崎さん」

「今はPJ5じゃないので綾と呼んでください」

「じゃぁ、綾、なかなかしゃれたものを飲んでるなぁ。でもそれ、男の飲み物じゃないのか?」

 ジェームス・ボンドの嗜好品だから、そんなことを言って橘は綾をからかったのだ。

「あら、橘さん、ニューヨークでは女性が普通に飲んでいますよ」

「そうか。これは失礼した。私にも同じものを」

と橘はバーテンダーに伝えた。

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 2010年2月から3月末まで、2ヵ月間弱、PJ5の喧々諤々の議論がなされ、漸く成案に至った。PJ5の運営は、食事や酒代は橘持ちではあったが、全員無報酬の私的集まりであったが、週1回の定例会だったものが、成案に漕ぎ着けるために、最後は連日の追い込みで、遂に完成させたのである。

 その最終日、橘はみんなに2つのことを尋ねた。1つ目の質問。

「この7ヵ条は、詰まるところ、日本をどう変えようとするものなのか? 誰か一言で言ってみてくれないか?」

 兵頭がすかさず答えた。

「戦後体制からの脱却、乃至、米国依存から真の自立国家へ」

「なるほど。けれども、我々の提言は、日米安保条約の破棄までは踏み込んでいないから、それは言い過ぎではないか?」

「確かにPJ5では、日米安保条約について、継続と破棄とでの国益のプラス・マイナスが読めず、初期の段階で議論のテーマから落としました。そういう意味では、我々の提言も、安保条約は当面継続となってしまいますね」

「そうなんだ。これほど日本の経済や国力が地に落ちている時に、米国との特別な関係を清算することが、どう日本にとってプラスに働くのか全く見えない。我々に自信が持てない提言はすべきでないと考えたからね」

 例によって金子が発言した。

「中央集権国家から、真の国民主権国家へ。もって日本と世界を守る提言7ヵ条。どうですかねぇ?」

「悪くないね。ちょっと長いけど」

 最後に安田が纏めた。

「我が国と世界を救う日本再生提言7ヵ条、で良いのでは?」

「いいねぇ。どうですか皆さん?」

 全員異議なし。橘は2つ目の質問に入った。

「それでは、7ヵ条のタイトルが決ったところで、今後、この提言を政治に活かすにはどうしたら良いのか、皆さんの意見を聞きたい」

 安田克彦が口火を切った。

「どこの政党も、多分、ここまで思い切った提言を受け入れるだけの許容量がないと思う。そこで、本を出版するとか新聞に意見広告を出すとか、そういう方法で少しずつ啓蒙して行くのがいいのではないかなぁ」

「それじゃあ、いつ実現するのか、気が遠くなる話だよ」

と、金子順が応じた。兵頭一樹が言う。

「勿論、安田さんが言われたことに加えて、インターネットを駆使して、我々の提言を知らしめて行くことはやるんだけど、テレビで橘さんがこの提言7ヵ条をしゃべる機会があったら、一発で話題沸騰なんだけどねぇ。箱崎さん、何とかならない?」

「テレビでそういうのを取上げるのは難しいと思います。報道の中立性というのがありますから。

 それから、安田さんのお言葉ですが、既存政党でも政権党だった自民党や、現政権の民主党は難しいと思いますが、革新党はどうなんでしょうか。唯一憲法9条死守という革新党の主張と相容れませんが、その他は充分に受け入れ余地があると思いますが」

「箱崎さんね。20年前、私も日本革新党員として、県議会議員をやってたので、よく分かるが、革新党としては、憲法9条を守るために、他の条文改定も含めて憲法改正には一切反対の立場なんだよ」

 安田は革新党は我々の提言に聞く耳を持たないと言い切る。兵頭が続ける。

「憲法9条だけでなく、大統領制も地方分権も、場合によっては平和貢献も憲法改正が必要になるから、革新党は難しいかな」

 箱崎綾と金子順は安田の見解に不満そう。金子が言った。

「安田さん。幾ら野党だと言っても、国民から選ばれた政党なんでしょう? 日本が沈没して行くという時に、相変わらず原則論だけ唱えて、この国を本気で救おうともしない政党なんて、害毒以外の何者でもありませんよ」

「私も、金子さんと同意見です。革新党こそ日本を救う政党であることを、今、示すべきです。でなければ、改憲阻止というイデオロギーでがんじがらめになって、日本沈没をただ眺めていただけの政党として、後世に恥を晒します」

 箱崎の言葉を受けて兵頭が安田に聞いた。

「安田さん。どうですかねぇ、彼等の言うのも間違いじゃないと思うし、一度当たってみる訳には行きませんか?」

「分かりました。皆さんの総意として、革新党にこの提言を持ち込むべきだと言うのであれば、早速当たってみましょう。但し、折衝結果が悪ければ、革新党は諦める、ということで宜しいですね?」

 黙って聞いていた橘が、苦しい顔を浮かべて言い難そうに話し始めた。

「私個人としては、革新党にこれを持って行くのは、正直、避けたい。何故と問われると大変辛いことなのだが、党首の早乙女恭子は、高校の頃の友達だからだ」

 これにはみんな驚きながらも、だったら、寧ろ話が早いではないか、と無言で詰め寄った。

「理解出来ないだろうね。正直に言おう。高校から大学2年の夏まで僕達は恋人同士だった。どういう関係だったかは想像にお任せする。だから、今更彼女の前に現れたくないし、彼女にしてもいい迷惑だろう。だから、革新党にこれを持って行くのは勘弁して貰いたいのだ」

 これに対して珍しく兵頭が強い調子で橘をなじった。

「橘さん。私等は今のままの無策な日本にしておいたら、本当に衰退あるのみだと思うからこそ橘さんに着いて来た。こう言っちゃぁなんだが、昔の恋人だったとかなかったとか、そんなことはどうでも良いことで、個人的感情の前に大事が翳むような橘さんだとは思わなかった。正直がっかりだ」

 革新党に持って行くことに慎重だった安田までが言った。

「他の政党、例えば長いこと政権政党だった自民党に持って行って、受け入れられたとしても、今の苦境に追い込んだ自民党が今更何を言っても誰も聞かない。現在の政権与党に持って行っても、混乱を恐れて、精々、社会保障と環境立国くらいしか取り込まないだろう。

 私も実は、既存政党に持ち込むとすれば、革新党だと思っている。革新党が本気で日本を救う気になれば、彼等自身の大きなチャンスになると思う。あの党に、ここまで纏め上げたPJ5の情熱をぶつけてみる価値は充分あると思う。橘さん、私ごとはこの際忘れましょう」

 金子は何も言わないが、兵頭と安田が言ったことで全て代弁してくれたと思っている。

 ただ箱崎綾だけは、他と違い、橘とあの早乙女恭子が昔恋人同士だったと知って、何故か心がざわつくのだった。

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 ⑥社会保障では、どういうポイントに重点を置くか、財源はどうするか、保険制度で行くのか税金で行くのか、などが論議された。

 議論は、現行税制の中で何がどこまで出来るか。あるべき社会保障の姿にするには、どの位の税収が必要か。兵頭はこっそり箱崎綾にも試算等を手伝って貰って何とか纏め上げた。現行税制の中では、税収がただでも落ち込んでいるので、様々な政策を中止や先送りしても、また、民主党が言っていたように官公庁及び特殊法人などの見直しで無駄遣いを掻き集めてみても、焼け石に水の状況なのだ。兵頭は思い切って、あるべき社会福祉の姿とそれに必要になる消費税のアップ率を提案することにした。

 社会保障のあり方は、米国に長かった箱崎綾がカナダと米国の制度に詳しかったので大いに参考になった。

 よく知られているように、米国には健保がない。オバマ大統領の公約に初めて健康保険の創設が盛り込まれたくらいだ。米国の基本的考え方は自助努力。社会的弱者には、アメリカンドリームを叶えた人達からの寄付を原資に支援がされるというもの。

 逆にカナダは、消費税20%以上で、福祉重視の国。北欧風の考え方と言えるかも知れない。60歳過ぎた人には手厚い年金、無料の医療、観劇・乗り物・入場料全てただという具合に、老後の不安を完全に払拭した国。

 学校では、高校卒業まで授業料無料、大学は多くの学生が奨学金で行けるようになっているそうだ。また、医療については、出産に係わる費用が一切無料と言う。但し、若者の税負担が重く、真面目に働く者もそうでない者も、手取り額がそれ程変わらないので、やる気をなくしたり、海外に流出したりという問題を抱えていると言う。

 

 日本の現状は、その中間のような制度だが、年金・健保を初め全ての社会保障制度が限界を呈してる。今後の日本はどういう選択をすべきか。

 兵頭は、健保・年金等は現在のレベルをこれ以上落とさず今の水準維持を前提にし、且つ、先進国中最下位に落ちた出生率を高めることと、始まってそれ程経っていないのに、大幅なサービス切り下げに直面する介護保険の2つに限って、抜本的に制度を作り直すことにした。

 

 それまで、政府は子育て支援と称して子供手当てなどを制度化して来たが、最も大事なことは、共働き夫婦が安心して子供を育てながら働けること。母親達の切なる願いは、空き待ちがないような充分な公立保育所を設置すること、並びに、一定規模以上の企業への企業内保育所設置義務付け、育児しながらの勤務者に対して、もっと多様な働き方を可能にする等、それらの基準を満たした企業に対する税額控除の等優遇策を提言する。

 介護保険はサービス利用者が急増し、保険料収支を圧迫することから、基準改定が行われ、入院介護から在宅介護に移されるケースが頻発している。在宅介護にしても、訪問介護料が有料のためなるべくそれを使わないように努力するケースが増えている。これでは何のための保険かと言われても仕方ない現状だ。老々介護や、親1人子1人で、介護出来るのは1人だけというケースは特に悲惨だ。介護する側がいつ追い詰められても不思議でない。

 日本はどの国よりも年寄りが多いし更に多くなっていく。少子化の大きな理由の1つに、若い年代の人達には老後に大きな不安がある。老後に安心感が持てないような国は未来がない国と同義だ。テレビ特集の中で、未来のない国で未来のない子供を生みたいとは思わないと訴える若い主婦の言葉が兵頭の耳からはなれない。

 兵頭は箱崎綾の力を借りて、介護入院は当初の基準に戻した場合の費用試算のほか、少子化対策、他の社会保障の水準維持に掛かる費用等を計算して貰い、消費税10%アップを提言に盛り込むことにした。但し、国民の日常生活には極力影響がないよう、消費税アップは、生活必需品を除くことにした(実質6%アップ)。

 尚、これまでの政権が、公団や特殊法人の解体・改革、官の改革など掲げては成果が伴わないという結果を繰り返した。特殊法人に掛かる費用だけでも年間12兆円と言われ、そこに切り込めば大きな無駄遣いをセーブ出来るというのだが、敵もさるもの、そう簡単でない。

 しかし、地方分権を具体化する中で、中央の役割をグッと圧縮するので今の省庁の国家公務員数は10分の1になる(10分の9は地方に移る)。当然、特殊法人が中央官庁から発注を受けていた業務の殆どが地方の役割に移されるから、特殊法人の解体に繋がる。大きな無駄はそこで炙り出される。消費税5%相当は浮く。それを社会保障費に回すことを想定して、実質消費税10~11%の税収アップを狙うシナリオだ。

 

 ⑦平和貢献。高度成長期以降、日本は金を出すことで長い間世界に貢献して来たと思っている。長年国連への拠出金が第1位であったこと然り、ODAによる発展途上国支援然り。これが世界から感謝されることはなかった。誰にも見えない支援だから。特にODA支援など、支援を受けた国の国民からは殆ど知られていない。これは中国国内の若者が書いたブログにも出ている。

「中国青年報に『日本は中国にとって最大の援助国であり。中国が外国から受けた援助の67%、金額にして2千億元余りが日本からのものだ。これらは中国の鉄道・道路・港湾・空港などのインフラ整備、および農村開拓・環境保護・医療・教育などに幅広く用いられている』と明記してあったのを見付け、しばし呆然とした。文化的優位性から、或いは、中国への侵略戦争を日本が行ったことなどから、中国人の日本人に抱く感情は決して良いものではない。日本人の中国に対するそれも良くないと聞く。なのに、その日本が中国を30年もの間、多額の援助をしてくれたから、今の中国の繁栄があると知ってショックだった」

 第1次湾岸戦争では10兆円を超える支援を行ったのにも拘わらず、米国民からは「中東の石油に依存する日本は、何故、多国籍軍に加わらないのだ」と非難が噴出した。要は、何でも金で解決しようとする日本、一緒に汗水血を流さない日本、危険なことは他人にやらせ自分だけは安全地帯で昼寝をしている日本、というイメージが出来上がってしまったのだ。

 世界からの評価は金では買えないということ。日本の評価が地に落ちることはいろいろな意味で国益を害することなのだ。以降、平和維持軍として自衛隊を海外派遣するようになったのは、全てこの湾岸戦争での日本非難がキッカケだった。しかしながら、海外派兵に類することが簡単に是とされる過程は、正に平和憲法など無きが如くの対応だった。しかし日本が本当にすべきことは、イラクにもクエートにも良好な関係を保っていた日本が、ギリギリまで戦争回避の働き掛けを行えた筈なのに、その必死の日本の働きは世界に見えなかった。見えない筈だ、それを放棄したのだから。

 実は、自衛隊派遣でアリバイ作りするよりも、こういう活動を精一杯すべきなのだ。戦争になってしまってから、自衛隊を送り込むよりも、戦争にならないように日本が最大限の努力をすることの方が何10倍も重要だ。

 その意味で日本は、世界唯一の被爆国という立場を今後最大限アピールして、世界平和のために人・物・金を使って危機回避に全力で当たる日本を目指す。

 但し米国では、「唯一の被爆国」のアピールは反米だと反発を招く。「ならば真珠湾奇襲攻撃はどうなんだ」というように。この点が、日本の平和貢献の行動に米国の支持が得られず、大きなブレーキとなっている。

 米国では、日本への原爆投下は、「戦争早期終結のためであったし、より多くの犠牲者を出さないためだった」という正当化や理由付けが国の隅々、世代を超えて行き渡っている。従って、日本のアピールは「米国非難ではなくて、戦争非難である。憎むべきは、戦争の狂気である」という明確なメッセージを発する必要がある。

 以上を趣旨として兵頭は提言を纏めた。

≪高村比呂希 著≫  
 
 
 
 
 テーマは、下記の通り7つ(提言7か条)に絞った。

① 大統領制
② 憲法九条
③ 地方分権
④ 環境立国
⑤ 農業再生
⑥ 社会保障
⑦ 平和貢献

 橘の担当は、①大統領制と③地方分権。安田の担当は④環境立国と⑤農業再生。残りの②憲法九条⑥社会保障⑦平和貢献が兵頭一樹の担当となった。①②③の実現にはいずれも現行憲法の改正が必須となる。当初憲法改正に慎重だった橘も安田も、日本を救うためには避けられないとして、憲法改正を決断した。このような経緯を辿って、原案執筆に移行した。

 週一回のPJ5会合を定例化しておき、①~⑦について、第一原案が出来次第、直近の会合に掛けられた。

 ①大統領制ついては、既に橘の主張がほぼ全員の賛同を得ていることから、原案を巡る議論は、提言の表現の仕方と、官僚をどう大統領府の意向に沿わせるかという点とに集中した。

 表現については、日本が最悪期にあることを背景に、「強力な指導力と強靭な精神を持ち、国民に対して責任を果たすことの出来る日本のリーダーを作るために、直接選挙制による大統領制に移行すべきである」とした。各党の予備選挙を含めて選挙戦の期間は米国に倣って1年間とし、思想的に偏った人物や、能力的に劣る人物などが淘汰される充分な時間を当てるものとした。

 各省庁の官僚を如何に制御するかについては大統領府に全ての人事権を集中することを骨子とした。各省庁の大臣は省庁のトップである前に、大統領府の重要なメンバーであり、彼等のボスが大統領であることが謳われ、大統領府の中に執務室を持つ。つまり、大臣は省庁のトップと言うより、大統領政策チームのメンバーという役割が第一義のポストなのだ。各省庁には副大臣が詰める。官僚の人事権は一手に大臣(大統領府)が握る。

 ②憲法九条では、PJ5内も意見が割れており、必ずしも一つに纏まっていた訳ではないが、兵頭は、PJ5の中に軍国主義の復活を企図する人間はいないのだから、そういう趣旨ではない9条改正は可能だとして、提言を纏めた。

 その趣旨は、「他国に進軍し侵略することは永久にこれを禁ずる。領海内・領空内・領土内に敵国が侵入した時のみ、専守防衛のための武力行使としてこれを認める」というもの。これにより晴れて自衛隊は認知され、個別自衛権も担保される。

 また、これにより、友好国や同盟国の敵国軍または敵国の兵器が、日本の支配地域を通過する時、領域外への退去を勧告しても従わない時、敵国の侵入と見做して攻撃出来るので、結果的に、自国領域内に限定された集団的自衛権の行使が認められる。

 この兵頭原案に対しては、安田と橘が意義を申し立て、かなりの時間を使って議論となった。しかし、金子にしろ箱崎にしろ、若手から見れば、憲法に違反する現実を放っておく大人達の無責任の方こそ強く感じてしまう。また、平和憲法に固執して、現実を見ないようにしている、或いは、現実が見えない世代の不思議さを感じてしまう。果てしなく続くかと思われた憲法9条改正論議だったが、他国への侵略戦争を永久に放棄することが担保される点を是として、橘が譲歩した。安田もあの戦争の反省が活かされるということで渋々ながら兵頭原案は採用された。

 ③の地方分権に関しては、文字通り明治以来の中央集権国家体制を大転換する。住民の暮らしに直結する政策は地方自治に任せ、国として対応しなければいけないことだけを国の仕事に分担し直す。

 その真の趣旨は、中央の巨大な官僚機構を解体し、人物金を地方に移すことである。それにより、地方の活性化・産業振興を思い切ってやれるようにする。

 但し、既存政党が言うような、今の県より大きい地方の単位で括る「道州制」には拘らない。地方分権の単位を大きくすることと、小さくすることでは、必ずしも前者が良いとは言えないからである。PJ5は、先ずは今の都道府県単位で地方分権制をスタートすることを提言することにした。

 ④環境立国というテーマは、過去の技術立国日本の21世紀バージョンである。戦後の日本の国際競争力は、繊維に始まり、造船・家電・自動車・ITと時代と共に対象が変わっても、一貫して技術力でGDP世界2位の国にまで這い上がった。

 今後の国際競争力の技術方向性は間違いなく環境技術である。太陽エネルギーを初めとするクリーン・エネルギー開発を始め、公害対策・土壌水質汚染対策・淡水化技術・脱ガソリン車等々、各企業が保有する技術は今でも世界的に水準が高い。これを国策により、より高め普及促進することで新しい産業を隆起させ、日本経済の新たなる発展と世界への貢献に繋げる。以上が環境立国というテーマの論旨である。

 ⑤農業再生。生協の創業期からタッチしてきた安田にとって、この問題は云わば専門分野と言って良い。彼の問題意識は、短期間に需給率40%というところまで落ちてしまったことと、牛肉問題や餃子問題など、食の安全が脅かされている現状という2つである。

 「有機野菜を守る会」や生協関係者が等しく言う「地産地消」。この意味するところは、地域で生産し同じ地域で消費するということである。昔はそれが当たり前だった。それが農業人口の激減と高齢化により、地域内の消費量を地域で賄えなくなって行った。遠くから運ぶようになる。更に関税引き下げの外圧と、生産量の不足も重なり、遠く外国から値段の安い食料を大量に船で輸入するようになる。

 今、輸送コストを掛け、エコを犠牲にし(石化燃料)、安全を犠牲にして60%を輸入に頼る現状を、再び、「地産地消」に変え自給率80%を実現することを趣旨とする内容だ。遊休地を再び生産農地に変え、農業の企業化を進め、失業者達の有力な就労先に出来れば一石二鳥だ。安田の精力的な執筆活動により、7テーマの中で最も早くPJ5の審議に掛けられたのはこのテーマであった。

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
   (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部) 
 
 
 
 その年の衆院総選挙で初めて民主党が第一党となり、それまでの自民党とは違う政治への期待も大きく、様々なジャンルで国民の期待に応える政策が語られ、実行に移されるかに見えた。最初の2ヶ月あまりこそ、外国資本を含めて各方面からの期待もあり、日本経済も回復の兆しを示していたが、年末に向かって再び景気は下降線を描いて行った。

 翌2010年は年明けから、株価が大きく下げ、主要企業の決算期の3月は日経平均七千円を割込み、遂に、バブル崩壊後最低の株価となった。更に2ヵ月ほど経つと、2009年の統計が発表され、GDPのマイナス2.5%を初め、失業率も過去最悪、物価上昇率もマイナス幅が大きく、再び酷いデフレ経済に突入したことを示した。

 更に、2010年度第1四半期(4~6月期)のそれは、目を覆うばかりとなって行った。例えば失業率10%超えなど、日本は過去に1度も経験していない。四半期の倒産件数も、前年同期比で何と3倍である。株価に至っては5千円台に突入。投資家は底が見えない状況にパニックを起こしている。金が動かないからメガバンクや損保も再び深刻な逆ザヤと不良債権額が急増している。第1四半期の傾向が一年続くとしたらGDPマイナス5%台となるとの新聞報道もされている。世界的に見ても日本経済の数値は、先進国中最悪なのだ。世界は未だに「金融恐慌」の言葉が使われているが、日本だけは「恐慌」の言葉が一般化している。

 2010年の春以降、一時少なくなった青テントやダンボール暮らしのホームレスは、東京都内のいたる所で見られるようになり、公園という公園は、今や子供の遊び場ではなくてホームレスの生活空間と化した。

 失業者が急増し、倒産企業が相次ぎ、大会社も軒並み赤字、個人消費は勿論冷え込み、企業間取引も最小不可欠なものだけに絞られるから消費税の落ち込みが特に顕著だ。こうなっては税収は想像も付かない減少スピードで進むので政府も見通しが立てられない。国債など売れる訳もなく、政府は、予算の使用を全面的に抑えざるを得なくなり、政策の実施が中止されたり延期されるものが相次いだのだ。

 本当は、こういう状況こそ、政府の出番なのだ。政府が陣頭指揮して景気を回復させなければいけない時なのに、現実は税収不足で思い切った緊急景気対策も打てない。民主党政権に変わっても、やはり日本を救うことは出来ないのだろうか?

 そんな中、2010年の夏には参議院選挙が予定されている。昨年の夏、あれ程期待が高まり、政権交代を果たした民主党も、日本経済の悪化圧力を食い止めることは出来ず、民主党政権になってから、寧ろ、全ての経済指数は史上最悪に向かっていた。人々の失望感は大きな広がり、日本革新党や日本共産党支持が広がり始めていた。

 

                  *   *   *

 

 橘は、何としても今度の選挙の中で、自分達の提案を取上げて貰い、討論して貰うことをターゲットとして、取り纏めを急ごうと思っている。

  PJ5は、昨年秋以来、議論を重ね、年が明けて2月頃、漸く、纏めの段階を迎えている。彼等にとって、今の日本の戦後最悪の経済状況は、彼等の提言の説得力が増す点で、大いなるフォローの風という、何とも皮肉な状況である。だからこそ、このチャンスを逃してはならない。拙速は避けるべきだが、日本が奈落に転げ落ちる前に、自分達の提言を政治に活かして貰うよう、急ぎ纏めなければならない。

 幸いにも、「共感ネット少額短期保険株式会社」がピンチの連続だった最初の10ヶ月を越えてから、大不況の中でも何とか成長軌道に乗り、あと1年足らずで、目標の保険契約高50億円を達成出来る見通しが立った。その暁には「共感ネット」は、日本初の生損保兼営の正規の保険会社へ速やかに移行することが橘の夢だった。

 そのことが現実的に見通せるようになったのを潮に、橘譲二は社長を3歳年下の大泉将和に譲った。それは、1つには、夢を共有する年下の大泉に、大泉自身の夢として掴み取らせたかったことがあったであろうが、橘の本心は、この「共感ネット少短」事業を人生のラストランと思い定め突っ走って来たが、この大不況が奇しくも、もっと大事なラストランがあることを教えてくれた、ということではなかったか。

 「共感ネット少短」は大泉に任せ、本人は会長として、活動の中心をPJ5に置くことにしたのだった。

 5人の中では、金子順がシステム・サービス会社の現役社長だし、箱崎綾は経済ジャーナリストとして今の日本の経済恐慌の分析や今後の脱出策などをデータに基いて、テレビ番組や経済紙誌で述べ始めていて、かなり忙しい。それでも彼等はPJ5の会合を、自身の活動の柱の1つと捉えてくれているようだ。

 また、兵頭一樹は、昨年末、長年務めた彼の会社の社長を降り、今は顧問として気楽な立場となったので、PJ5が彼の活動の中心となっている。また、安田克彦は、元々市民運動をサポートする活動がメインだから、スケジュールは自分で決められるし、彼にはPJ5の可能性がよく見えているのか、期待が大きいのか、兎に角PJ5を欠席したことがない。

  そんな各人の置かれた状況を勘案して、橘は、これまでの議論や、仮の到達点、施策具体化の時の費用試算・時間試算・手続きなどをテーマ毎に橘・安田・兵頭の3人で分担して案を書き、PJ5でレビューしながら固めて行くやり方を採った。勿論レビューでは金子も箱崎も遠慮なく意見を言う決まりだ。

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 橘は、自分の考えを語り始めた。

「何故日本の政権はこれほど無責任なのか。私の考えを聞いて貰いたい」

「私は、日本の最高責任者は一体誰なのか、判然とさせて来なかったちょっと珍しい国ではないかと思っているんです。今でも、それは首相なのか、与党のボスたちなのか。政策を決めているのは、内閣なのか、与党なのか、官僚なのか。一体誰が責任者なのか訳分からない」

「これは、明治以来の日本独特のやり方なんだと思いますが、一国の強力なリーダーの登場は殆ど無かった。明治以降の天皇ですら、国政に直接タッチ出来なかった」

「歴史を遡れば、もしかしたら織田信長以降、名実共に日本の最高責任者、乃至、最高指導者と言える人は存在しなかったのかも知れない」

「権威や武力を利用して、大衆の中に上意下達の精神構造を作り上げることが大事で、それさえ作ってしまえば、1人の傑出したリーダーは必要としない政治体制だったと言えるかも知れません。指導層は、いわゆる集団主義とか、コンセンサス主義と言われる日本的指導体制が主流を成したし、バブル以前までは確実に、一般国民に「お上意識」のDNAが色濃く刷り込まれていました。これは一般大衆が『お上』を畏れ、『お上』に過ちは無い(無謬性)と思い込まされていたことでもあります」

「従って指導層は、何かで間違って責任を取るということはあり得ないことになり、いつしか国に対して責任を取る、責任を持つという意識が無くなって行ったのではないかと思います」

「それが証拠に、あのバブルを招きバブルが崩壊して日本経済が致命的打撃を受けたことに対して、政府の誰が、官僚の誰が、日銀の誰が責任を取ったでしょう?」

「プラザ合意で日本の大蔵大臣と日銀総裁が米国の要求通り、ドル安円高誘導容認・内需拡大のための超低金利政策実施を日本だけが飲まされて、急激なバブル経済に突入して行ったのに、です。責任を取らされたのはあくどい商売をした不動産屋か大穴を開けた銀行員だけです」

「もう1つ例を挙げれば、70年前、あの太平洋戦争を始め、日本国民や近隣諸国の膨大な数の人の命を犠牲にし、日本を敗戦に導き、国民を塗炭の苦しみに直面させた最高責任者は一体誰だったのでしょうか」

「ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニのような、明確なリーダーの顔が見えない日本の体制。結果が悪かった時、責任を免れるには大変便利な体制です。東条英機だという人もいるかも知れませんが、戦争中の一時期首相だったということで、日本を戦争に突入させた最高責任者と言うのは当たらないと思います。戦争に突入した時の首相だった広田弘毅かというと、軍部に抗し切れなかったという責任はあるにせよ、広田が自分の描いたシナリオで戦争の道を突き進んだのでもない。天皇でも首相でもない誰かの意向で戦争に入って行った、なんてとんでもないことです。民主主義云々の前に、この国の意思決定のシステムは一体どうなっていたのか。『無責任体制』と言うしかないでしょう?」

「もっと、ブレークダウンして言えば、旗色が悪くなって来た時、『神風特攻隊』とか『人間魚雷』による人間爆弾攻撃を決めたのは、一体誰だったのでしょうか? 」

「敵ではなく味方を殺すという狂気の作戦を実行に移した、その責任者は一体誰だったのでしょうか? 」

「その責任者を特定することも困難な決め方だったと聞いたら、死んで行った特攻隊員も浮かばれませんよ」

「今言えることは、今日のような経済恐慌と、社会不安とが渦巻くこの日本を救うには、これまでのような『政権の無責任体制』では、絶対にダメだと思います」

 

 全員が橘の話に聞き入って、次の言葉を待った。

「さっき、兵頭さんが言われたように、私も、アメリカ大統領戦の最も良いところは、選挙人投票という形は取っていますが、国民の直接選挙だという点だと思います」

「議院内閣制と違って、一国のリーダーを国民が選ぶのだから、選ばれた側は、当然選んだ国民に対して約束を守る責任意識が高まるし、選ぶ側の国民も、無関心ではいられなくなる。選ぶ側の責任も同時に問う点で優れていると思います」

「日本の総理大臣は、国民に対してよりも、自分を総理に選んでくれた党に対しての責任意識の方が優先するのと好対照でしょう」

「ですが、直接選挙の持つ危険性もあります。あのヒットラーがドイツの最高指揮官に選ばれたのは直接選挙によるものでした。国民が直接選んで、とんでもない人物に大きな権力を与えてしまった典型例だと思います。直接選挙制には常にこういうリスクがあります。

 それに対して米国は、予備選挙を含めて1年間、1年間もですよ、マスコミ・テレビ・大衆の前で自分のポリシーや考え方、政策などを述べたり、他の候補と何度となくディベートを行うのですから、そういう中で危険人物や見掛け倒しの人間は自然と淘汰されて行く仕組みも持っている。これだけの仕組みがあって、初めて、リーダーシップを発揮し易い権限・権力が大統領に与えられるのだから、資質や人格に於いて優れた者が選ばれる可能性も高いし、政治の無責任が入り込む余地は極めて少ないと思います」

 橘は机に置かれたコーヒーの残りを一気に飲み干すと、結論に入った。

「私は、皆さんと一緒に、日本再生シナリオを作り上げたい。そして、それを前向きに受け止めてくれる政党に渡したい」

「私は、中小零細企業の再生事業こそ、35年の会社生活で得た知識・ノウハウ・人脈等を活かし駆使すれば、日本経済の底辺の活性化に貢献出来る仕事だと考えて、頑張ったつもりだった。その事業にこそ、多くのリタイア組み団塊世代の活躍の場を作れると考えた」

「しかし、経済環境が急激に悪化したら、中小企業はひとたまりも無いことを嫌というほど体験してしまった」

「世界経済や日本経済が悪化すれば、それは真っ先に中小企業零細企業を弾き飛ばしてしまうということだった。そういう酷い状況が倍の期間になると、倒産件数は4倍になるというのが私の発見した法則です」

「政府は、迅速に思い切った手を打ち続けないと状況は更に悪化する。このことはバブル崩壊後の『失われた10年』が雄弁に物語っています」

「しかるに、今回の世界恐慌でも、政治の動きは極めて鈍い。鈍過ぎる。危機感が足りない。国民を守っていない。私の法則では、不況期間を半分に出来れば、倒産件数は4分の1で済むのです。それだけ自殺者や失踪者を生まないで済むのです」

「是非、皆さんの協力を得て、提言を纏め、世に問うてみたい。どうか皆さん、宜しくお願い致します」

 橘がみんなに深々と頭を下げた。金子順が即座に応じた。

「橘さん、待ってました、ですよ。『日本再生無くして企業再生なし』、気に入りました。やりましょうよ、ねえ、皆さん!」

 全員が決意を新たに賛同したのだった。

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 最後に、橘はこのPJJ「プロジェクトJ」を改名して「プロジェクト・ファイブ」(通称PJ5)にしたいと提案して、承認された。以前から橘は自分のニックネーム「JT」の入ったプロジェクト名が気に入らなかったから、これでスッキリしたのだった。

 

 早速その日からPJ5は「日本再生」に向けた議論に入った。

「世界的に見ても3年で4人も5人も首相が変わるなんてあり得ない」

「そうだよね。そんなコロコロ変わる当番制みたいな首相では、外国の代表も誰と話せば良いのか分からないよね。日本の信用に係わる」

「これまでに何回も自民党総裁選をテレビで見せられたけど、それがどんなに盛り上がっても、見てる側には全く関係ないんだよね、その選挙は」

「国民が投票出来る訳じゃないのに、候補者も何であれ程テレビで視聴者に訴えようとするかねぇ?」

「自民党は長い間、話し合いで総裁を選ぶというやり方をして来て、それを密室で決めたとか批判されたから選挙で決めるという風に変えたんだけど、テレビで候補者が幾ら、自分が総理大臣になったら、とか政見を披露されても、こっちに投票権がないんだから意味ないよね」

「ここ何代か、行き詰ると政権を投げ出す総理大臣が続いたけど、そんな無責任がまかり通るのは、本人の資質もさることながら、何か政治の仕組みが悪いんかな?」

「確かにね。そういう無責任な人が選ばれてしまうのは制度に問題があるかもね」

 良い悪いは別として、何年か前の小泉首相は強烈なリーダーシップを発揮して、いろんなことを変えて行ったことは、全員が認めるところだ。

 世の中が安定している時は、首相のリーダーシップなんてさほど必要がないが、時代の変革期や激動期、大不況期には強いリーダーが求められる。ここ何代かの首相交代の間は正にそういう時代だった。

 にも拘らず、何もしない政府、何もリードしない首相だったことが日本の不幸だった。

 橘が涙する事態は、一国のリーダーがもっと大胆に、もっと迅速に政策を打ってくれたら避けることの出来た悲劇だ。

 そういう意味でも、彼等歴代の首相達は、一家心中したり失踪したりした人達に対して、一遍の責任を感じているのだろうか? 感じてなどいまい。

 橘譲二は言った。

「この無責任政治を終わらせるには、アメリカのように、一国の大統領を国民が直接選べるようにしないといけないのではないか?

 国民から選ばれた大統領だから、他の政治家や官僚よりも大きな権力を与えられ、国の舵取りをすることが出来る。

「国民から直接選ばれた大統領だから、彼のロイヤリティーは、党ではなく、国民に対してのものになる。国民に対して大きな責任意識を持つ。

 「そして何より、1年間という長丁場の選挙戦を勝ち抜いた者しか大統領になれない仕組みは、間違ってもいい加減な人間が選ばれることはないのではないか?」

 箱崎綾がアメリカの政治体制・政治事情を話し、こう付け加えた。

「橘さんの仰ることは90%当たっていると思いますが、問題点もあります。例えば、現職の大統領に万一のことが起きたら副大統領が大統領に就きます。その人もダメな時は下院議長というように非常事体制が決っています。ケネディー大統領が暗殺された時、ジョンソン副大統領が急遽大統領になりましたね。ニクソン大統領辞任のときはフォード副大統領が大統領に就任しました

 この場合、その大統領は国民から選ばれた訳ではないので、国民との約束は何もしていません。約束を果たすという責任がないと言えるので、その点では問題かなと。特に、大統領が就任直後に執務不能に陥ったりしたら、4年近くも、国民に選ばれない人が大統領を続けることになってしまいます」

 金子順が発言した。

「そういう点はあるにせよ、逆に言えば、死亡するとか執務不能にならない限り4年間は大統領を代えない、仮に代わっても前任者の任期一杯は大統領として遣って貰うというシステムですよね。日本のように嫌になったら投げ出すなんてこと、そもそも許されない仕組みというのが良い」

 兵頭一樹が、民度が高ければ、選ばれる政治家も厳選されて行くという持論を述べる。

「やはり、アメリカ大統領戦の最も良いところは、国民の直接選挙だという点だと思うね。これはね、橘さんが言うように、選ばれた側の国民に対する責任感や資質・能力が高いということに加えて、選ぶ方の責任もまた大きい

 だから、一般国民の政治に対する関心も高くなるし、国民一人ひとりが良く考えるようになることも見逃せない点だと思うよ。民度が上がれば、選ばれる人間もそれに相応しい人になると思う」

 安田克彦が問題提起をした。

「そもそも、日本の首相選びはどうして間接選挙になったのか知っていますか?」

「明治維新後、先進諸外国に学んで議院内閣制になったんでしょう?」

 誰かが答えた。

「確かにそうだが、基本的にイギリスやドイツは今も第一党の党首が首相を務めています。日本も同じですよね。でも、かの国では、毎年首相が交代するような事態になっていません。何故でしょう?」

 箱崎綾が答える。

「ドイツの場合は簡単に議会を解散出来ないような仕組みになっているからじゃないですか? 連邦議会で、内閣不信任案を採択する時は、同時に新首相の選出をするという『建設的不信任制度』を採用しているので、議会で内閣不信任を受けてしまうと、同時に解散権も失ってしまう」

「逆に、首相の信任決議が否決された場合のみ、連邦議会を解散出来るという制度なんですね。このため、内閣が議会を解散して総選挙に持ち込むには、与党議員にわざと内閣信任決議案を否決させるという奇妙な手を使うしかないんですね」

「箱崎さん、良くご存知ですね。昔、ドイツはやたらと内閣不信任案が通って倒閣運動に晒され、安定政権が出来ないことがあって、その反省から、内閣不信任案がそう簡単に議会を通らないようになったんですね」

「でも、そういう歴史的経緯もありますが、本当は、党首となる人の能力や資質がずば抜けているからではないですかねぇ。イギリスを例に取れば、日本と違って、『地盤、看板、カバン』はなくても、誰でも立候補出来る仕組みになっています」

「それに、選挙に立候補するために仕事を辞める必要はないし、落選してもその日から同じ仕事に復帰出来る。選挙資金も寄付(税額控除)が認められており、立候補するための壁が日本に比べて遥かに低いので、幅広く優秀な人材が政治家を目指すようです」

「党首になるというのは、そういう優秀な党員の中を勝ち上がってナンバーワンの座に着き、第一党の党首が首班指名を受けるのだから、凄い人間です。簡単に政権を放り投げるようなメンタリティーではない筈ですよ」

≪高村比呂希 著≫ 
 
 
 
 
 他のケースも似たり寄ったり。ある朝突然経営者が行方不明になったところもある。従業員達は何も知らずに出社すると、社長も専務もいない。昼になっても現れないので、自宅に電話してみる。が、誰も出ない。夜、社長宅に行ってみても真っ暗。従業員達は、明日の朝、社長と専務が出社しなかったら警察に失踪届けを出そうと話し合って帰宅。翌朝、会社には社長も専務も現れず、代わりに債権者やそれと一目で分かる人相の悪い男達が押し掛けた。金庫を開けさせられたが、中には何も入っていなかった。

 最悪の事態も起きた。夜逃げではなく、一家心中が見付かったケースだ。社長はちゃんと従業員や取引先に遺書を残してから、親子3人で消息を絶ち、1週間後、栃木県の観光地の駐車場で窓を全部ガムテープで目張りして、排ガスを車内に引き込んだ車の中で3人とも死体で見付かった。

 3年前、ある木材工場が危機に陥っているのを再生した時、社長一族を追い出して、番頭役だった人と一緒に思い切ったリストラと業務の絞込み、販路開拓などで何とか危機を脱した。橘は、彼にその後の社長を託して引き上げた案件であった。木材工場が見事立ち直り、希望に目を輝かしていたあの人が、一家心中とは! 橘は言葉を失った。流れ出す涙を止めようもなかった。

 7件もの悲惨な事案を目の当たりにして、橘は、自分がいっぱしの企業再生家にでもなったような顔をしていたことを心から恥じた。自分の行なったことの結果は、当時の深刻を希望に変えたつもりで、その実、今のもっと酷い悲惨に向けて、時間を引き伸ばしただけではないかと己をなじった。

 

 短期的な企業再生の代償は余りにも大きい。橘は7社への個人出資は続けていたため、それが全て消失するという決して小さくない痛手を被った。彼は保険会社を辞めた時に手にした退職金の過半を失ったのだが、それは、7社の社長一家のように家庭や命までも失ったことに比べれば、余りに小さい。更に、金子順の経営する「日本SIS」が順調に行っており、日本経済の落ち込みを反映して、二部上場時の株価を半分以下にまで下げてはいたが、橘の出資金は4倍にはなっていたので、橘が失った何千万かの金は、それで充分カバーされていた。そのことも橘をして、散って行った人々への謝罪の気持ちを益々大きくしていた。

 

 同時に、これだけの、戦後最高の倒産件数を記録しているのに、何もしない、何も救えない政・官・財を憎んだ。この経済危機に直面しても人ごとの政治、右往左往するだけの政治、国民を守れない政治。橘の怒りは今の日本の「無責任政治」に向かった。

 

                  *   *   *

 

 直後に橘はPJJを招集した。

 最近PJJは「共感ネット少額短期株式会社」の社長室で議論した後、近くの居酒屋に場所を移し更に続けるというパターンになっている。

 橘はメンバーに言った。

「私は大きな間違いをしていた。瀕死の中小零細企業を再生して、人々の生活や生き甲斐や活気を取り戻す仕事は、自分に与えられた天職のように思っていた。だが、それはホンの小さな部分のホンの一瞬の再生成功を喜んでいただけだった。

 中小零細企業が真に生き残るためには、日本の政治がしっかりすることが第一条件だということが分かった。今の政治体制ではダメだと思う。小泉さんの言葉を借りれば、日本の再生なくして企業の再生なしだ。今日から私のテーマは『企業再生から日本再生へ』に移行したいと思う。皆さんにも是非一緒に考えて貰いたい」

 メンバー達も橘の深い悲しみと強い怒りは十二分に理解していた。それでも、いきなり「日本再生」とは! メンバーには少なからず戸惑いがある。

 

 それを充分に予測していたように橘が続ける。

「ということで、日本の今後を考えるには、アメリカの今を知ることも欠かせないと思うので、皆さんの了解を得て、1名、有力メンバーを加えたい。先ずは紹介しましょう。箱崎さん!」

 社長室に箱崎綾が入った。

「箱崎綾と申します。宜しくお願い致します」

 他のメンバーは初めて彼女を見る。一番若い金子順が直ぐに気が付いた。

「あれ! 12チャンネルの経済番組でコメンテーターをやっていますよねぇ?」

「はい。もう直ぐ1年になりますが」

「凄いな。テレビの売れっ子コメンテーターが、僕等の会に入るなんて」

「売れっ子だなんて、とんでもありません。いつもドギマギやっていますわ」

 橘が彼女の略歴を紹介した。続いて四人の略歴も橘が紹介。

「という訳で、彼女は米国経済の裏表まで良~く知っています。また、良い悪いは別にして、経済と政治は不可分だから、米国の政治の仕組みにも精通している筈です。今日から我々のメンバーに加わって貰いたいと思いますが、皆さん如何ですか?」

 直ぐに質問が飛んだ。

「いいも何も、大歓迎ですが、橘さんと箱崎さんはどういうお知り合いなのですか? それが気になっちゃって」

「ハハハ・・・。愛人関係です。って言いたいところですが、何の関係もありません。ある知人に彼女を紹介されただけですからご心配無用です」

 箱崎綾が慌てて発言。

「私が米国から帰って来て、何もすることがなかった時に、橘さんが方々に当たって下さって、就職先を探して下さいました。それがテレビ東京の番組だったということです。更に今は、ある経済誌の連載を書いていますが、これも橘さんのお蔭なんです」

「まあ、この娘(こ)、おっと失礼。この人、娘(こ)と呼ばれるのが大嫌いでね、箱崎さんみたいな才能を遊ばせておくのは日本の損失と思ってね」と橘。

 兵頭一樹が綾に言った。

「いやー、こちらこそ宜しく。貴女に入って頂くなら、サボらないで毎回出席しますよ。PJJも面白いことになって来た」

 仕事上も橘と接点が一番多い安田克彦も箱崎綾のことは全く知らない模様。

「橘さんが大変苦労して成し遂げた企業再生にも拘らず、この経済恐慌で軒並み倒産となってしまって、どう橘さんを励まそうかとみんな悩んでいたんだが、箱崎さんが加わってくれて、いい議論が出来て行けば、きっと橘さんも元気取り戻しますね」

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