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≪ご挨拶≫
 
   皆様、新年明けましておめでとうございます。 皆様にとりまして、実り多い年となりますようお祈り申し上げます。
 
   さて、皆様のお目を煩わせております拙文 「ラストラン」 も、今日より第三部、最終章に突入致します。どうか今暫く、ご辛抱を戴き、最後までお付き合い戴ければ、これに勝る喜びはございません。
 
   本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 まずは、新年のご挨拶まで。
                                                    高村比呂希
 
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   (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部)

 

 橘譲二は、2004年9月末に、34年半勤めた損保会社を辞めた。それも、新社長の盟友であり、一部上場企業の常務取締役という、誰もが羨む社会的地位を投げ捨てて。

 8月末に漸く橘の退社が公表されてから、社内の先輩・同僚・同期の友人・各地に散っている部下達が 口々に辞めないでくれと大合唱を始めたのだ。

「敵前逃亡だ」と本気で怒る者。

「橘さんにはお世話になりながら何も返せていないから、もう少し留まってくれ」と懇願する者。

「スパッとやめてしまう橘は一人格好良過ぎる」となじる者。

「新社長とは親友の筈。何故支えてやらないんだ」と迫る者。

 最後の仕事となった関東営業本部で、一緒に改革に汗した部下達が口々に言う。

「これで当社の改革は完全に止まる」

「ここで橘さんが辞めてしまったら、それこそこの3年間の努力が何にもならなくなります。改革の成果を次に活かすのは橘さんあってのこと」

「もう橘さんを頼れなくなるって、とても辛いです」

 

 橘は正直嬉しく思ったのだが、一方で、自分が退社することを知った人々の、橘譲二という人間を誇大に虚像化した言葉だとも理解していた。

 最早、それらの期待に答えられるだけの余力も能力も残っていないことが、紛れもない事実であり、それが橘譲二の実像だった。それは、橘には充分過ぎるほど分かっていた。

 彼は本当に親しい者に、この時の心境を吐露している。

「今辞めないと、社長の親友というだけでポストにしがみ付き、老害をさらす存在になって行くと思う。それは自分が最も忌み嫌っていることだ」

 

 しかし、彼は会社を辞めた後、何をするかは何も決めていなかった。唯一決めていたのは、1ヶ月間のリハビリ海外旅行だけだったと言う。

 退職金を元手に何か仕事を始めるだろうとは漠然と考えていたが、退職金の額さえ調べていない、無計画中途退職もいいところだ。

 退職が正式に認められて、あと残すところ20日余りとなった頃、ある話が橘の下に舞い込んで来た。

 

 60年以上の歴史を持つ中小企業が、「多少の資金と良い経営者がいれば会社を譲りたい」との話だった。

 その会社は、学校の食堂や社員食堂を委嘱されて運営し、自らも横浜でレストランを経営する飲食業である。

 橘の経歴、即ち、損保の営業と経営とは何の繋がりもない業種だったので、その道で経験の長い甥っ子(橘の兄の次男)橘洋二郎に検討を委ねておいたら、たった1日で返事が返って来た。

 財務諸表をチェックしてみたが、とても手が着けられる内容ではないから辞退した方が良いとのことである。さもありなん。そんなにタイミング良く退職後のおあつらえ向きの仕事が転がり込んで来る訳もない。

 ただ、これまでの「現場主義」の癖で、

「現場調査はしたのか?」

と確認したところ、

「この財務内容では、現場を見るに値しないと考えて調査していない」

との答え。

「無駄かも知れないけど、一度お前の目で直接見て来てくれないか」

 橘は洋二郎に頼んだ。それから数日後の退職当日(9月30日)、彼から会社に電話が掛かって来た。

「叔父さん。俺が是非ともやってみたい会社だった」

 あれ程否定的だった洋二郎が真逆の反応に変わっていた。

「但しね、こっちが引き受けるには、明日(10月1日)中に5百万円の現金が必要なんだよ」

 甥っ子の洋二郎はそう言って橘に工面を頼んで来た。

 みっともないとは思ったが、人事部に電話して、退職金の振込み日を確認した。

「本日をもって退職しますが、退職金の振込みはいつになりますか?」

「間違いなく10月1日です。着金時間は午前中」と教えて貰う始末。

 そして何とか手形決済手続きを済ませてぎりぎりセーフ。

 橘は晴れて海外へ卒業旅行に出掛けた。但し、夢の1ヶ月間リハビリ旅行は、期間も距離も短縮され、5日間の「割安グアム」旅行に格下げとなってしまった。

 それでもゴルフ三昧の中で、今後の事業プランを練ることは出来た。

 格好良く、「中小零細企業専門の企業再生ビジネス」をメイン業務とすることを決めた。

 その最初の試金石が、図らずも資金投入してしまったこの社員食堂受託企業の再生という訳だ。

 

                  *   *   *

 

 再生支援決定1週間後には本社移転を行い、甥っ子を専務として、全権限を集中移管して貰った。但し、1年間はそれまでの会長・社長の無償残留をお願いした。

 橘の見るところ、この会社売上が極端に落ちて来た訳ではない。

 ここ何年か対前年マイナスの売り上げが続いてはいるが、なだらかなマイナス曲線を描いているだけなのだ。では経営悪化の原因は仕入れか? これもノーである。世の中デフレ経済だったのだから、仕入れ価格が高騰して利益を圧迫したのではないのは明らかだった。

 後は、人件費と役員報酬、それに管理費等という経費が、売上のマイナスに比例して減っていないのだ。

 そういう意味では、規模縮小のデフレ経済の時代に、支出側が何も対応出来ていなかったということだと橘は結論付けた。

 甥っ子と2人で短期再生プランを作り上げた。

 その概要は、従業員の人件費半減、経費半減、役員報酬の全面カットだ。役員とは言っても会長(父親)・社長(長男)・専務(長男の嫁)の3人だけだった。

 専務にはお引取り願って、代わりに甥っ子が就任している。その意味では役員全員、再生の目途が付くまでボランティアで働くことにした。

 また、経営者が好きに使えた経費は完全にその利用を禁じた。

 実はこの経営者に掛かる役員報酬や各種費用を限りなくゼロにするだけで、収支は水面下ではあってもかなりの改善になった。それほど経営者のコスト比率が大きかったのだ。

 さて、問題は従業員だ。彼等は仮にリストラされてしまうと、もうどこにも行く場所が無い。

 大企業では役員も社員もその殆どに再就職の道が開けているが、中小零細の悲惨さは世間にはまだまだ認識されていない。

 後に、派遣切りに遭った契約社員ですら、テレビや・新聞で特集され、社会問題として取り上げられて、派遣村など仮設住宅に期限限定ではあるが住むことも出来るように対策がなされた。

 これに対して中小・零細企業の従業員はリストラされたら、即、青テント暮らしか、生活保護世帯となってしまう。これが日本の実情なのだ。

 だから零細企業の経営者は苦しくても何とか彼等の賃金を減らさないで雇い続けようとする。それが結果的に、もうどうにもならぬ事態にまで行ってしまうのだ。

 経営者は、身動き出来ないほどの借金を作り、涙ながらに従業員を解雇した後、夜逃げか自殺かという究極の選択をすることになる。

 だが、この社員食堂受託会社は、取引先の学校や会社の食堂の数が減っている訳ではなく、値下げ要請受け入れが経営を圧迫しているだけのようだ。

 橘は従業員を集めて、経営者の報酬ゼロ決定を伝えた上で、

「この会社を倒産から守るためには、皆さんの賃金を当面の間、半額にしないと立ち直れません。このことを是非理解し了解して貰いたい」

と訴えた。それまで何も聞かされていなかった従業員は寝耳に水、怒り出すのも無理はない。

「社長達が会社を左前にしたのに、何故俺達にツケを回すんだよ」

「経営者がこの会社を左前にしたんじゃありません。売上高が毎年マイナスになって来たのは、今の日本の大不況のせいです。食堂メニューの単価値下げ圧力の強さは、寧ろ皆さんの方が現場で感じてるんじゃないですか?」

「もう何年も賃上げなんてないんだから、俺達だって生活が苦しいんだよ。それを半分にするなんてとんでもない話だ」

「それは非常に良く分かります。ですが、この会社が潰れてしまえば、それすら貰えなくなってしまいますよ」

「それは、脅しかよ。そっちがそう言うんなら、こっちにも覚悟がある」

「お辞めになるということですか?」

「そんなことを今言う必要はない。こっちにも覚悟があるということよ」

 激しい遣り取りがあった後、橘は事態を見守ることにした。数日して、五月雨式に、従業員が個別に橘の前に現れ、「給料半分でもいいからこのまま働かせてくれ」と言って来た。橘に突っかかった従業員もまた同様だった。

 辞めると言って来たのは、腕のいいコックと評判の男1人だけだった。他の者は、

 職安(ハローワーク)を訪れても彼等を採用してくれる所がないことを確認したのだろう。或いは、友人の伝で何とかなると思っていたのが、現実はそう甘くない、大変厳しい状況だったということかも知れない。

 兎も角もこんな経緯で、社員食堂運営企業の再生に乗り出した橘は、次の決算ではV字回復をやってのけた。

 それから2年後、従業員の給与は減額前の8割程度に回復した。

 この成功体験を基に、橘は本格的に中小零細企業の再生ビジネスに乗り出して行った。

 

                  *   *   *

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
「橘君、暫く会わなかったが、元気でやってるか? 京都議定書の批准では良くやってくれたな。遅まきながら礼を言うよ」

「とんでもありません。産業界の重鎮を怒らせてしまったり、寧ろ、自分が足を引っ張ったんじゃないかと反省しています」

「そんなことはないよ。君は大いに頑張って、貢献してくれた」

「恐れ入ります」

「ところで、幸司も大学3年生になったんだが、あいつはどうも官僚にはなりたくないらしい。商社か金融機関に行きたいようなことを言ってたな」

「それはそれでいいんじゃないですか? 私の従兄弟にも都銀に行っているのがいますが、銀行改革に頑張っているようです」

「そうか。一度その従兄弟の方に幸司と会って貰えると有難い。あっ、松本君ね、申し訳ない。うちの息子が中学3年生の時、東大生の橘君に家庭教師をやって貰ったことがあってね、内輪の話になってしまった」

「はい、その話は橘さんから聞いています」

 

 雑談が終わり、いよいよ本論。

「さて、今日、君達を呼んだのは他でもない、今後の改革について君達の書いたこの意見書が良く出来ていると思ったものでね。直に聞いてみたいと思ったのだ」

 奈良橋局長は和馬達の書いた建白書のコピーをテーブルに置いてそう言った。

「ありがとうございます。ですが、先日、企画課長には内容が浅薄で話にならないと言われてしまいましたのに、局長は、本当に良く出来ていると・・・?」

と、橘は探りを入れた。

「あれほど、産業界に対する我が省の権限を縮小しようという提案は、嘗てなかったと思う。僕もね、日本経済がこれほど元気ない時には、思い切ったことをしないといけないと思っていてねぇ。参考になる」

「ありがとうございます。僕等の希望は、あの提案書に沿った検討プロジェクトの発足なのですが」

「まぁ、そう先を急ぎなさんなって。特殊法人の業務を極力民間に開放するというのも、その通りだと思う。新しいビジネスが誕生することになるからね」

 和馬と松本は、一体奈良橋は何を言いたいのかなと分からなくなった。

 奈良橋が続ける。

「ただね、僕が君達にアドバイスをするとすればだ、規制をなくして民間の自由度を高め、特殊法人とか公益法人とかでやってきた仕事を民間に開放するだけでは、日本経済の建て直しは出来ないのではないかという点なんだ」

 言い方は違っても、結局、企画課長と同じで、我々の言うことは否定されていると和馬は思った。

「局長、私達は、まず出来ることを直ぐやる、それが今求められていると思うのですが。規制緩和と特殊法人見直しの二つは今日からでも出来ます・・・」

「そういうことで、経済立て直しのために経済産業省は鋭意努力しています、というパフォーマンスにはなるだろうが、我が省の使命は、文字通り日本経済を立て直すことなのだよ。そのための戦略が君達から上がってくることを期待しているのだ」

「その提案書は、奈良橋局長の期待に応えられていないとおっしゃるのですね? 戦略とは例えばどういうようなことを指すのでしょうか? ヒントでも頂ければ有難いのですが」

「実は、そこが一番難しくて、自分自身一番頭を悩ましているところなのだよ。旧通産省の時代には、産業発展のために産業界に対して具体的な旗振り役もやって来た」

「1例を挙げれば、IBMなど外国のコンピューターに席巻されそうな状況下でも、何とか国産コンピューターが生き残り、出来ればIBMと対等に対峙出来る国産コンピューター企業を誕生させようと、通産省が国内コンピューター企業同士の提携の音頭を取ったこともあった」

 そこで奈良橋はテーブル上のガラス・ケースからタバコを1本取り出して火を着けた。一服後、更に話を続けた。

「その結果、昭和52~53年頃、遂に富士通がIBMを抜いたんだ。或いは、もっと昔、国産乗用車を実現させ、いずれは日本の基幹産業に育てようと通産省が先頭に立って進めたこともあった。それが功を奏して今では、アメリカのビッグスリーを脅かすまでになった。

 この種の話は過去に沢山あるので君達も当然知っているね?」

「はい」

「そこでだ。今必要な戦略は、省内の改革ではなくて、産業を再び強くする手立てだ。今後の基幹産業は何で、それをどう育てるかだと思うのだ。君達の論文に足りないのはそこだよ」

 和馬は、話が核心に入ったことを感じながら答える

「う~ん、確かにそうですね。それがあれば希望が見えますね。ですが、戦後成功したそうしたモデルでは、もうこれからは立ち行かないのではないかと思います」

 松本が和馬の補足をする。

「通産省が推進エンジンとなって産業発展を成し遂げた、日本株式会社方式は、時代の役割を終えたと思います」

「何故だね?」

 こんどは和馬。

「以前は、『産業の発展=国民の豊かさ』だったと思います。だからそのために税金を使って各種の国策を実施しても国民は許してくれました。でも、既に時代は変わりました。国が民間企業を引っ張っていくこと自体が、宜しくないことと見られています。そのために税金が使われるとしたらそれこそ轟々たる非難に晒されますよ。国家事業じゃないのですから」

「そんなこと言っている場合じゃないだろう、今の日本は。競争力を取り戻させるためには、我々の介入だって必要な時は必要なんだ」

「お言葉ですが、日本株式会社・護送船団という言葉はいまや忌み言葉です。国が出来ることは、各産業を縛っていた規制を取り外して自由度を上げることと、国が保有している仕事やノウハウ・基礎技術や基礎研究成果の民間への公開です。民間企業や産業界への国の介入じゃないと思います」

「・・・」

 和馬はしゃべっていて、徐々に険悪な空気に包まれて行くのを感じたので、決定的な決裂状態になる前に切り上げようと思った。

「でも、局長の折角のアドバイスですので、もう一度みんなと良く考えてみたいと思います。ありがとうございました」

「この日本のピンチをどうやって切り抜けるか。僕は君達若い人に期待しているよ」

「失礼します」

 

 和馬は会談後松本と食堂で話した。松本が言う。

「結局、企画課長も奈良橋局長も、省内の改革には後ろ向きだということが良く分かりました」

「そうだね。少なくとも、改革と日本経済再生とは無関係と捉えてるみたいだね」

「企画課長には保身や既得権益を失いたくないという姿勢が見られたようですが、奈良橋さんは通産省時代の栄光再びみたいな、へんな拘りを感じます」

「俺はね、だからその奈良橋さんに本当の難しさを感じたんだよ」

「え? どういうことですか?」

「保身や既得権益死守も改革側には厄介な存在だけど、まだ何とかなる。しかし、経済産業省のトップの人達には、必ず昔の栄光があるんだよ。その栄光が改革の大きな壁になるかも知れないと思ったんだ」

「それは、古い頭が時代に会わないということですか?」

「そう。自動車産業をここまでにしたのは俺の先見性だ、とか、外国の製品から守り育て凌駕して行ったのは、俺の業界指導の賜物だとかね」

「そうかも知れませんね。そういう実績を残した人達が、今、トップを張ってるんですからねぇ」

「多分、彼等は日本株式会社方式が一番旨く行くと信じてると思うから、日本再生には、各省の大改革が必要不可欠だと言うことが理解出来ないんだと思う」

「もしそうなら、内部からの改革なんて、みんなトップ層からストップを掛けられて、とても進みませんよ」

「そこなんだよ。俺は奈良橋さんを昔から良く知っているから、若者に期待する、という言葉に決して嘘はないと思うんだけど、あの人にして、改革に向けた我々の熱い思いは理解出来ない。他の人は推して知るべしだな。見通しはかなり暗い」

「淋しいことですけど、後は、小泉改革に期待するしかないんですかね」

 そう言ったきり、2人は黙り込んだのだった。

≪高村比呂希 著≫
 
 
 

 数日後、数馬は秘書課の課長に呼び出された。

「君等の改革案を読んだよ。だが残念ながら、内容が表面的で良く吟味されているとは言い難い」

「お読み頂いて、ありがとうございます。吟味不足は、例えばどういうところでしょうか?」

「物事には、メリットとデメリットがある。この規制を緩和すること自体は、メリットもあり得るが、規制を緩和したり撤廃した時、業界や消費者にどういう混乱が発生するか、全く言及されていない。そういう混乱も我が省の責任になるのだからね」

「お言葉ですが、今、日本経済が危機に瀕している今、経済産業省の最も大事な役割は、民間がより経済活動をし易くすることですし、新しいビジネスの芽や可能性を少しでも拡げて行くことだと思います。今は、我々があれはダメこれもダメと、日本経済のブレーキ役をやってる場合ではないと思いますが」

「だから、規制緩和で新たな混乱が生じたら、寧ろそれが経済にブレーキを掛けることになると言っている」

「失礼ですが、課長の言われることは、今までの規制社会が最善だから、それを変えると混乱ばかりで良いことはない、緩和による新たな混乱を抱え込むなど論外と言われているように感じます。」

「新しい混乱のコントロールが出来るなら、私だって規制緩和に反対しない」

「課長の思考順序が逆なんですよ。今の日本を救うために、まず、規制を出来るだけ撤廃して新しいビジネスがどんどん誕生するようにするという方向を省として打ち出すのが先です。その後で副作用をどう抑えるかを議論すべきです。少なくても、リスクがあるなら規制緩和しないという言えるほど今の日本経済に余裕はありません」

「君は気楽な立場だから、そんなことを言ってられるんだ。日本中が混乱して叩かれるのは我が省だ、私だ」

「課長! 日本経済が沈没してしまえば、叩かれるのは同じことですよ。いや、混乱と沈没ではまだ混乱の方がいい。瀕死の重傷を負った日本経済に今必要なのは、日本経済が好調だった時の仕組みや規制ではありませんよ。全部見直すべきなんです」

「・・・」

「もう1つ言わせて貰えば、経済活性化のためには、公益法人の事業なども出来るだけ民間に開放すべきです」

「バカな! そんなことをしたら、定年退職前の人達の当て嵌め先がなくなるではないか。バカも休み休み言いたまえ」

「次官が決ったら同期入省の者は必ず現役を引退させるなんて、前近代的なこともこの際止めればいいんです」

「そんな簡単なことじゃない。日本のエリートとしてのキャリア官僚達の生涯賃金を、君はどうやって保証しようと言うんだ?」

「特殊法人を沢山作って、そこに天下りさせ、その法人に国から多額の業務発注をして、その額を税金で払う。そんなイカサマをやるくらいなら、定年退職までの賃金をちゃんと保証する方が正しいでしょう」

「君の言うことは青臭過ぎる。あまつさえ、イカサマとは何だ? 聞き捨てならぬ! 君との話し合いは今回限りとする」

 遂に企画課長を怒らせてしまった。

「誤解しないで下さい。私の言っているのは、今のまま我が省が何もしないとすれば、それは日本経済を窒息死させることになるということです」

「もういい」

 企画課長は和馬を残して会議室を出て行ってしまった。

 

                     *   *   *

 

 さすがに和馬も考え込んだ。

「経済産業省の最大の使命は、産業の振興なのに、何故、そのことを真ん中に据えた議論が出来ないのか? 何故、そんな簡単なことが理解されないのか? 」

「小泉改革に対しても、我々若手の危機感に対しても、省の上層部は、何故、防御の姿勢になってしまうのか?」

「省内を変えて新時代の省にレベル・アップすることが、何故、ノーとされてしまうのか?

「上層部が変革を好まないのは、過去の実績を完全否定されることと思うからか? 或いは、改革後の己が身分がどうなってしまうのか不安だからか? 」

「日本経済を再び活性化させるためには、出来ることは何でもやろうという経済産業省にするにはどうしたらいいんだ? このままだったら、日本経済再生に向けて何も出来ない。ただ手を拱いているだけか?」

 その晩、和馬と思いを一緒にする他の若手メンバー数人と居酒屋に繰り出した。

 みんなの気分が晴れないせいか、いつものようには話が盛り上がらない。自分達が改革に向けて何度も議論し、計画まで作った。だが、それは何の力にもならなかった。「内部からの改革」とは言うが、現実はそんな簡単なものではないと思い知らされた・・・、そんな気持ちが彼等を重い空気にしていたのだろう。

 誰かが言った。

「やっぱ、上から見ると、僕等は青二才でしかないんですかね?」

 誰かが答える。

「その青二才をも納得させられない上層部って、一体なんなんだ?」

「あの課長がダメでも、他に何か脈ありルートはないかなぁ」

 和馬は黙ってビールを飲んでいたが、この言葉に触発され閃いた。

「奈良橋さんがいる。もう一度、トライしてみるか?」

「オオ! 是非是非それやりましょうよ!」

 

 以心伝心か、翌朝、和馬は奈良橋に呼び出された。用件は自分達が上げた「省内改革建白書」について聞きたいということのようだった。

 そこで彼は、昨日居酒屋で一緒だったメンバーの中から1年後輩の松本輝彦を誘って、製造産業局の局長室に向かった。

「失礼します。建白書を一緒に書いた松本君と一緒に来ました」

「おう、来たか。そこに座ってくれ」

 奈良橋は、大きな机の向こうから、入口近くにあるソファーを勧め、自らも席を立ちソファーに座った。

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 さて、和馬は産業界の各協会や各企業との会談に参加して、企業のトップが議定書内容の理不尽さを一方的に主張し頑として譲らない姿を目の当たりにすることになる。

 人格者として尊敬を集める有名実業家にして、国際的視野を持たず、自社の不利益になることに対しては徹底抗戦を辞さずの態度を見て、和馬は切れた。

「あなた方の主張は、日本企業が温暖化ガスの削減を求められる謂れはないと主張しているように聞えますが、各国に比べて、人口1人当たりの化石燃料温室効果ガスの排出量はこんなに高いんですよ。もっともっと企業努力が必要です!」

と、資料を基に指摘した。

「失敬なことを言うな。日本の企業はこれまでも血の滲むような努力を重ねて来たんだ。君はもっと勉強する必要がある」

 件の経営者が言い放った。和馬も負けてはいない。

「どこからどう見ても、現状の数値が、日本は温暖化ガスの削減努力は行き着くところまで行なったということを指しているなら、そう言われるのも分かりますが、現実はそうじゃない。それでも、EU8%、米国7%、日本6%と、我が国が1番低い数値目標になっているのは、過去の日本の努力を認めているからです」

「本当に日本の努力を認めるならそんな数字にならない筈だ。米国・EUの半分、3~4%が妥当なところだ」

「難しいのは分かりますが、地球環境のために皆さんに更に頑張って貰うしかないのですよ」

「そのために日本の産業が競争力を失うことになったら、君や経済産業省が助けてくれるのかねぇ?」

 再三、橘が「君」呼ばわりされるのが気に入らなかった。

「皆さんは日本を代表する企業のトップの方達だ。私のような若輩者が言いたくないですけど、小さ過ぎますよ。自社の利か不利かだけで判断しないで、少しは世界の中の日本という観点で考えてくれませんかねぇ」

 

 当然、折衝は決裂した。和馬が財界の重鎮を怒らせてしまったのだから、決裂は必至だった。

 会議の後、和馬が責任者の課長からこっぴどく怒られたのも当然だった。

 しかし和馬は和馬で、「すいません」とは言うものの、昔、経済一流と持て囃された日本企業のトップの見識の低さにショックを隠しきれないのだった。

 和馬は、その後も頻繁に、いろいろな上司・同僚とチームを組んで各業界団体や大手企業と交渉に臨んだ。同じような受け答えなので、さすがに和馬も激することは少なくなったが、逆に、役所と管轄業界との馴れ合い体質みたいなものが気になり出した。

 こちら側の責任者は課長級だが、それより最低でも10歳以上は上と思われる企業側の経営者が、やけに卑屈だったり、敬語まで使う気の遣いようだったり。

 既知の仲なのか、提案を呑んだ場合の見返りを単刀直入に聞いて来たりする輩が結構多いことに気付いた。

 こんなことが度重なると、世情言うところの、官民の凭れ合い、官民癒着、護送船団、天下り、贈収賄等不祥事件といった言葉が頭に浮かび、官の側にもそれを助長する体質が大いに存在し得ることを和馬は思わないではいられなかった。

 

 元々和馬は、青雲の心をもって通産省に入った。彼は、失われた10年を取戻し、再び元気な日本にするのは、三流の政治・三流の経済ではないと思っていた 日本再生はしっかりした官僚達が、心身投げ打ってこそ実現出来ることだと思っていた。

 だから彼は、官僚になったのである。だが入省後の四年間は実務に精通するための日々だったように感じるが、5年目の今、和馬は「京都議定書」の批准に向けて様々な根回しや準備に走り回ることで、自分の守備範囲がいきなり大きくなったことを感じた。

 今回のプロジェクトは、再び和馬に青雲の心を蘇えらせ、日本再生に邁進しようと決意を新たにさせた。

 

 和馬達の働きもあって、「京都議定書」は、何とか産業界の消極的賛同を取り付けて、2002年5月、国会承認を得ることが出来たのだった。

 

                  *   *   *

 

 その後、和馬は省内の若手グループを結成して、経済産業省内の改革を叫ぶようになる。経済産業省管轄の特殊法人・公益法人の見直し(改廃・官から民へ)、各種規制緩和・規制撤廃、省内慣行の改廃、人事制度の見直しなど様々な提案を企画課に上げるようになって行った。

 和馬達も、無勝手流に省内反体制運動を起こしている訳ではない。小泉改革の進展に合わせ、上からと下からの同時改革を進めようと画したのだった。

 だが、その声は全くと言って良いほど取上げられない。

 当初、半年以上無視され続けた。

 担当課に何度申し入れても、担当者からは、

「そう簡単に行く問題ではない。時間を掛けてゆっくりやらないと必ず挫折する」

と先輩面した忠告が返って来る。

「自分達の建議書は課長に届いているのですか?」

と質問しても、

「政府から降りてくる改革テーマへの対応に追われ目一杯で、とてもそれどころじゃない状況なのは君達も分かってるだろう?」

と言われてしまう。

 勿論、分かっている。と言うより、自分達は、政府から経済産業省に指示されている改革テーマに対する実現可能な答えを用意したつもりなのだ。

「課長に、是非、政府への回答案だと言って読んで貰って下さい。我々から直接課長に渡せと言うなら、それでもいいですけど」

と、担当者への脅しと取られかねない言い方で強く要望した。

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 国家公務員試験Ⅰ種に合格した和馬は1年後の1997年4月、晴れて通産省に入省した。和馬が官僚を志したのには幾つか動機があった。

 その1つは、バブル崩壊後、日本経済は悪化の一途を辿っており、このままでは本当に日本が沈没してしまうのではないかと危機感を募らせ、ならば真に日本立て直しに携われる職業をと考え官僚になった。

 2つ目には、官僚バッシングの一般的風潮への反発が挙げられる。即ち、日本の政治は、政治家主導ではなく、官僚主導の政治になっている。官僚頼みの政治家もだらしないが、これは明らかに官僚の権限逸脱行為だ。

 官僚は国益でなく省益の方を大事にするから国民のためにならない。官製談合・裏金作り等中央官庁の不祥事件が後を絶たず、バブル崩壊で官僚の無謬性神話は地に墜ちた、等々、止まるところを知らない官僚叩きに和馬は強い反発を感じていた。

 和馬の見るところ、実務を通じて政策を打ち出せるのは優秀な官僚であり、それが出来る政治家は極少数かゼロかだ。

 現在のデフレ経済から脱出させ、新しい国家像を作り前進させられるのも、やはり実質的には優秀な官僚だけだと言わざるを得ない。官僚の唯一の問題点は、省益と保身を優先する小物官僚が存在することだけだと思っている。

 和馬は自分が官僚になったら、省益志向だけは真っ先に退治するの意気込みであった。

 3つ目、和馬の学部の顔見知りの先輩達が数多く官僚になっていて、彼等が自分の仕事や国の将来像などを語る目の輝きに、使命感の強さを感じ取り、自分もそういう仕事をしたいと思ったことも重要な動機だった。

 更に言えば、和馬自身が気が付いていない、天邪鬼な性格、或いは、判官贔屓の性格も作用していたのではないか。つまり、マスコミが、挙って官僚批判をすればするほど、官僚に味方したい気持ちが強くなるのだ。

 それは多分、「批判するだけで、自分達では何もしないし、出来ないマスコミ」に対しする憤りとアンチ・テーゼの感情だったろう。

 何故マスコミは、日本のために大仕事をする官僚達をけなすばかりなのか? 

 何故マスコミは彼等を応援し、もっとやる気を出させ頑張らせないのか? もっと気持ち良く仕事をさせてやらないのか? と。

 

 和馬の配属先は、通産省資源管理局燃料資源課。

 大変硬い名前の部署だが、いわゆる石油・石炭・天然ガスなどの確保・備蓄・流通・開発全般を管理統括する部門である。

 第4次中東戦争勃発を契機とする1973年の第1次石油ショックと、イラン革命が招いた1979年の第2次石油ショックを経て、「日本経済の生命線=石油」の認識は国民の中に定着した。

 石油の安定確保と備蓄は国家プロジェクトで進める最重要テーマとなった。その推進部署が、和馬の配属された部署である。

 和馬が入省した年の12月、京都で開催された第3回気候変動枠組条約締約国会議(COP3)に於いて、ある議定書が議決された。いわゆる「京都議定書」である。

 初めて二酸化炭素を初めとする温暖化ガスの具体削減目標値が決められた画期的な議定書である。

 この国際会議では、日本政府を代表して環境庁が所管省庁として活躍した。環境庁長官が議長を務めた。

 ただし、この「京都議定書」が発効するためには、参加各国が国内の議会で批准する必要がある。  議定書では55ヶ国以上の批准締結が条件とされている。議長国の日本としては、何としても、国内の反対論を抑えて国会承認に持ち込まなければならない。

 経団連を初め、財界から聞えて来る反対論は、

「産業界を中心に世界有数の環境対策を施して来た日本が6%もの高水準の削減を求められるのは公平でない」

 或いは、

「欧州やロシア、米国は、夫々のエネルギー事情や環境対策のレベルから、数値目標が達成可能かどうかや、経済に与える影響を予めシミュレーションしていたのに、日本は合意を優先するあまり、裏付けがないまま6%を飲んだ」

というものだった。

 京都議定書が議決された時、通産省内でも、日本の産業界にとって重過ぎる日本の数値目標への不満が渦巻いた。通産省は戦後の産業振興を指導して来たという自負がある。

 そんな努力も知らずに勝手に決めた環境庁への反発がある。

 また、世界的にも日本の製品や技術が高く評価され、世界2位の経済大国になった戦後の道のりも、今回の厳しい数値により日本の産業の競争力が削がれ、一気に崩壊しかねないとの危機感がある。

 このような政府内部の対立もあり、また、産業界の根強い反対のため、なかなか国会承認を取り付けられる状況にはならなかった。

 この空気を一気に変えたのが、2001年4月の小泉政権誕生である。

 「京都議定書」という日本の歴史的都市の名を冠する国際的議定書を、日本こそいち早く国会承認すべきであるのに、なかなか批准出来ない状況は世界に恥を晒すだけであるとして、小泉政権の強力なリードで、初めて、批准への動きを加速させたのであった。

 経済産業省(旧通産省)と環境省(旧環境庁)との調整、経済産業省と官房長官、環境省と官房長官との調整などを経て、政府は一致して産業界を説き伏せ、「京都議定書」の国会承認を急ぐことになった。

 経済産業省は当初の反対論を引っ込め、産業界の説得役を任されることになった。局長級・課長級の動員は勿論のこと、若手官僚もこの説得活動に何人か動員された。

 その中に橘和馬もいた。彼は燃料資源課から企業との折衝の実務者として指名されたのだった。

 経済産業省からのこれらの人選には、本件の責任者であった製造産業局の局長だった奈良橋幸太郎の意思が強く働いていたと言われる。

 

                  *   *   *

 

 奈良橋は、以前、和馬が家庭教師を務めた子供の父親である。

 中学3年生になる直前の子息の高校受験のコーチを頼まれ、翌年の入試の日まで約1年間家庭教師をしたのだが、その間、何度か父親の幸太郎が話し掛けてくれたことがあった。自分に絶大なる信頼を置いてくれているらしかった。息子幸司が目出度く合格した直後の4月、和馬は通産省に入省したのだ。
 
 だから何かと奈良橋は和馬に声を掛け、目に掛けてくれるのだが、和馬は、他の人々の手前もあり、局長という偉い人から平職員が、いろいろな場所で度々親しげに話し掛けられるというのは、和馬にとっては、正直言ってあまり嬉しいことではなく、何とも落ち着かないのだった。

 「京都議定書」を巡る産業界との調整役に選ばれる2年ほど前、和馬は奈良橋に自宅に招かれたことがある。それは、息子の幸司が東大の経済に合格したお祝いの会だった。

 和馬としては、無碍に断わるのも憚れるし、何より、3年振りに幸司に会いたかったので、招待を受けることにして、3年前と同じお宅を訪ねた。

 奥様の盛り沢山の手料理や、高級ワインなどで歓待された。その時も、奈良橋はいつも以上に上機嫌で、

「幸司がこうして東大生になれたのも橘君、君のお蔭だ」

と、頭を深々と下げるのだった。省内ではいずれ事務次官候補と噂されている人だ。

 和馬は、この人ほど「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行く人はいないのではないかと思った。だが同時に、漠然たる危惧も感じたのだった。

 それは、自分は体制に従順に従う性格(たち)ではないということから、いつかこの奈良橋氏と対立する日が来るのではないかという心配だった。

 和馬は自分の性格を嫌というくらい知っている。自分の考えは、どんな摩擦があろうとも貫こうとするし、誰かの手下に納まるタイプでもない。

 だから、もし、奈良橋氏が将来次官になった時、信頼する手下として自分に期待しているとすれば、それは大いなる見込み違いだ。だが、この時点ではまだ、荒唐無稽な心配と言えただろう。

 

                  *   *   *

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
   (この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部)
 
 
 
 橘和馬が家を飛び出したのは大学3年が終わった春休みの最中だった。当初は友達の下宿に転がり込んでいたが、狭い部屋にそうそう長居も出来ず、何人かに頼んで1週間づつ世話になることにした。だが、いきなり家を飛び出して来たから、食事・洗濯をどうするか、着る物をどうするか、何より金をどうするか、何一つ当てがない。

 泊めてくれた友人達の何人かは既に就職活動を始めていた。彼等は、就職活動どころか、生活もままならない和馬を心配してくれたが、和馬自身は「民間会社に就職するつもりは全くないんだ」と答えていた。

 彼は中央官庁の役人になるつもりだった。5月の国家公務員試験を受けようと思っている。それは就職冬の時代だからではなく、国を再生する仕事がしたいという思いからだ。

 だが、和馬の衣食住が整わず、とても公務員試験の準備に集中出来る状況ではない。和馬の当面の課題は、何とか継続的なアルバイトの口を見付けて、アパートにでも入って普通の生活を始められるようになることだった。幸い彼は3年生までに卒業に必要な単位はあらかた取り終わっていて、週1回のゼミに参加すれば良いだけだったので、時間的にはアルバイトするのに何の障害もない。

 春休み中に幾つかのアルバイトを始めた。1つはコンビニ店員、もう1つは書店の店員のアルバイトだ。どちらも本郷の友人のアパートから近い場所だった。それとは別に転がり込んだ先の友人がやっていた週2日の家庭教師の口。友人は就職活動とサークル活動が忙しくなったので、橘に家庭教師のバイトを譲ってくれたものだった。

 橘は、父親とは喧嘩別れになったままだが、母親に心配させてはいけないと思い、住みかが変わる都度、電話で知らせておいた。

 ある日、現金書留が和馬の下に届いた。中には簡単な手紙と共に、現金20万円が入っていた。手紙には、

「元気でやっていますか? 当面の生活費を送ります。お友達に迷惑を掛けるのも良くないことですから、これで安全なアパートにでも移って勉学に励んで下さい。家のことは心配無用です」

とあった。自分が飛び出して来てしまって、一番淋しく思っているのは母親の筈なのに、家のことは心配するなとある。

 気丈な母親の心遣いに思わず和馬は胸が詰まった。そして、現金を送って貰って正直こんなに嬉しかったことは嘗てない程だ。有難かった。アルバイト代が手に出来るのはまだまだ先だったので、それまでは友人に世話になる以外なかったからだ。

 早速アパートを探した。

 丁度3月下旬は会社の人事異動や学生の卒業・就職で空きが沢山出来る時期だったから、それ程苦労せずに同じ本郷に気に入った所が見つかった。敷金礼金などを払い、最低の生活必需品を買い込んで、和馬はいよいよ1人暮らしを始めたのだった。

 平日はコンビニ、土日は書店で働き、月曜木曜の夜は、千駄木まで家庭教師に通う。週1・2回仕事の都合を付けて大学に通い、空いている日の夜は公務員試験の準備に当てる。そんな毎日だった。

 正月前から国家公務員上級職(Ⅰ種)試験の準備は行なって来たつもりだが、3月の春休みと4月が、最後の追い込みの時期だったのに、今回の家庭のゴタゴタで半月強の停滞を強いられたので、和馬は寝る時間も惜しんで必死に遅れを取り戻そうとした。

 ところで、友人から引き継いだ家庭教師先は、中央官庁の官僚の子息だと友人から聞いていた。

 父親の名前は奈良橋幸太郎。その子息幸司、今度中学3年生になる。男3人兄弟の次男坊である。御三家といわれる有名私立高校を目指しているとのこと。それらの高校は毎年東大合格者数が飛び抜けて多い名門だ。

 和馬自身もそういう学校から東大に進んだ身だから、何となく親近感がある一方、責任の重さを感じるところでもあった。そして、子息の父親は、ずっと後に経済産業省の次官に上り詰める人物であったが、この時はまだ通産省の課長だった。

 後のことになるが、和馬が上級職(国Ⅰ種)試験に受かって入省した先が通産省だったから、省内で奈良橋課長から、親しく声を掛けて貰えること度々であった。

 

 さて、和馬に一定の生活ペースが確立され、贅沢さえしなければ、アルバイト収入だけで何とかやっていけると自信を深めたところに、母が訪ねて来て、今度は30万円置いていくと言う。和馬は、

「自分も社会に出る前の1年間、どこまで1人でやれるか試しているので、気持ちは嬉しいが受け取れない」

と言って返そうとした。だが母は頑として受け取らなかった。

「余れば貯金しておけば良いだけの話。お前がそこまで言うなら、これを最後にするから受け取っておきなさい。」

と言って、暫く間をおいて、しみじみとした口調で続けた。

「それにね、今回はお父さんが、様子を見に行って来いと言い出したことなの。お金にも困っている筈だから持って行ってやれって」

「え! 親父が?」

「そうよ。お父さんも大学の時、神戸の自宅から通学出来るのに、独立したくて西宮のアパートに住んだんだそうよ。それが今の自分を作ったと。和馬にはそういう機会を与えてやることを完全に忘れていた。申し訳ないって」

「ふうん。親父も優しいとこあるんだ」

「それはそうよ、実の親子なんだから。それに子供はお前しかいなんだし。お前はどうしてお父さんをそんなに悪く言うの?」

「別に親父だけを悪く言ってるつもりはないよ。信じられないようなバブルを惹き起こしておいて、それがはじけてとんでもない不況を招いたのに、親父達の世代は責任を感じてないんだ。誰かが悪くて自分は関係ないって顔してるのが堪んないんだ。ただそれだけ」

「今直ぐとは言わないけど、いずれは休戦してね。お父さんに言われて、和馬が最後の1年間だけでも自活するのは悪いことではないんだと思うようにはなったけど」

「とても理解のある両親で助かりま~す。じゃぁ、これは、自活補助金として受け取らせて頂きます。但し、これを最後にしてよね」

 正直言えば、和馬は、洗濯や掃除や炊事はこれまで全部やって貰ってたのに、今は自分でやらざるを得ないことが大きな負担だった。でも、家を飛び出した意地もあり頑張ってはいるが、親に優しくされると、思わず家に戻りたくなる。

 だが、父親の「出て行け!」が取り消された訳でもない。和馬は、その誘惑を吹っ切るように、巣立った子供の覚悟を示そうと、

「基本的にはもう家に戻らないで何とか自立して頑張るつもりだから、心配しないで。何かあったら直ぐ電話するから」

と母親に宣言するのだった。

                     *   *   *

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
「やはり、この会社のことは全てお前に任せるのがいいと思う。お前が遠慮なく指揮を揮える体制に変えることが何よりも大事だと思う。自分で言うのも何だが、俺がいたんでは必ずお前の邪魔になって行く筈だ。俺は何かを腹に溜めておけない性質(たち)なのはよ~く知ってるよな。俺の方がお前に遠慮なく物を言ってしまうと思うからね。そういう訳で、今日は何としても辞表を受け取って貰うつもりでやって来たのだ」

「本当にあんたには手子摺るよ。俺は橘をずっと盟友だと思って来たし、今もそう思ってる。だが、お前はそうは思っていなかった・・・?」

「いや、それは違う。俺にとってもお前は今でも盟友中の盟友だよ」

「だったらなんで、俺がこれほど頼んでるのに断わるんだ? お前が社長じゃなく、俺が社長になったからか? 喩えお前の方が社長になったとしても、俺は喜んで協力しこそすれ会社を辞めるなんてあり得ない」

「そういうことじゃないんだ。河瀬さんの社長退任と共に、俺の役割は完全に終わったと悟ったのよ」

「分からん。河瀬さんだって、後は3Jに託したと思ってる筈だって。俺には敵前逃亡としか思えない」

「分からんでもいい。盟友と思ってくれてるなら、俺の最初で最後の我が儘を聞いてくれ」

「・・・」

「・・・」

 2人の会話が途切れ、長い沈黙が続いた。途中秘書がお茶を入れ替えに来ても黙ったままだった。そして遂に口を開いたのは前島仁の方だった。

「今日、お前が考えを撤回するつもりは無さそうだし、お前の退社を認めるつもりもない。よって、この辞表は預かりっぱなしにするだけで受理はしないからそのつもりでいてくれ」

 橘は今度は辞表を突き返されなかっただけでも大きな前進と思うことにした。

 

 決算取締役会では株主総会に掛けるべき新役員体制が正式に決まり、橘は引き続き常務取締役関東営業本部長を続ける議案になっていた。そして6月末の株主総会でも異議無く取締役の改選も承認されたのだった。橘は、辞めて行く人間が、組織の中枢に組み込まれたまま、新体制がスタートしてしまったことに喩えようもない違和感を感じながら日常業務をこなしていた。

 この辺りから前島の巻き返しが始まった。橘引止め作戦だ。橘説得役として、河瀬会長を初め、嘗て橘の上司だったOBや橘を慕う部下達だ。果ては、若かりし頃から家族ぐるみの付き合いがあった、前島社長夫人までが登場して橘の説得に当った。河瀬会長と前島夫人には、奇しくも同じ事を言われた。

「男のロマンでは飯は食えないよ」

「男のロマンと理解するしかないみたいね」

 橘本人は、ロマンなどという格好良いものでは全然ない、食うために何かはやるだろう、といった程度の認識だったが、こう言われて逆に、人生最後の夢を掲げて突き進んでみるのも面白いかなと、何らかのヒントを貰ったような思いだった。

 人事担当役員からは、このまま役員に留まって、専務・副社長に上って行き、役員定年まで勤め上げたとした時の年俸や退職金・役員年金の総額などを示され、どちらが得か損か考えよと示唆されもした。正直グラッと来るような驚きの数字ではあったが、金で信念を曲げることだけは止めようと決意を新たにしたのだった。

 更に「3J」の1人、須賀次郎は、損保の大激戦区の東京営業本部を持ち、常務取締役本部長として辣腕を振るっていた。彼は彼流の言い方で橘の辞職を思い止まらせようとした。

「橘さんよ。俺の唯一のライバルがいなくなっちゃうと困るんだよな。俺の独壇場になっちゃうからさぁ。だから辞めるの、やめなよ」

 これに対して橘はこう切り替えしている。

「須賀のやり方にいちゃもん付けられるのは俺だけだったものなぁ。それが出来なくなるのは淋しいけれど、もう飽きた。今後は自分で自分にいちゃもん付ければいいんだよ」

 

 これだけの対策にも拘わらず、心を動かさない橘を見て、橘説得はもう不可能と判断せざるを得ず、前島は8月下旬に橘を呼び出した。

「橘。降参だよ。誠に残念だがあんたの退社を認めることにする」

「前島には大変迷惑を掛けてしまって、本当にすまないと思ってる。辞表を受理してくれてありがとう」

「橘が辞めると言い出した当初は、これほど苦戦するとは、正直思わなかったよ。ホントに頑固なんだな」

「申し訳ない。自由な立場になって、外からあんたを支えるつもりだよ。後は宜しく頼む」

「退職日のことだけど9月末日ということでいいか?」

「結構。大変お世話になりました」

 社内の友人知人の誰一人、橘の真の退職理由を理解する者はいないと言って良かった。我が儘退社と理解する以外、理解のしようがなかっただろう。

 ≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 さて、問題は辞任のタイミングである。今は2月。4月新年度から前島新社長体制で新年度のスタートを切るが、幾ら何でも後1ヶ月強しかない今の時期に辞表を提出するのは無理がある。盟友前島の門出にケチを付ける格好になってしまう。下世話な話、新旧どちらの社長に提出すべきかでも悩む。結局橘は、6月末の次の株主総会で役員退任・退社を認めて貰うことにした。

 4月に入って、年度初めの様々な行事が続き、多忙な日々が一段落した後、橘は神妙に辞表を認めた。その夜、橘は妻の雅子に決意を語った。

「会社、辞めようと思ってるんだが・・・」

「うん、何となくそんな気がしてた。ここのところのあなたの顔付き見ててね」

「そんな酷い顔してたのか?」

「家にいても、何だかずっと張り詰めているみたいで、話し掛けづらいし、そっとしとくしかなかったし」

「そうだったのか。そりゃ悪かったな。それでどうなんだ? 辞めてもいいのか?」

「あなたが、また、優しい顔に戻ってくれるならね」

「理由、聞かないのか?」

「河瀬さんが社長じゃなくなっちゃったからでしょう?」

「うん、それが一番大きいかな」

「あなたの自由にしていいわ。今後のことは何とかするから」

 橘はつくづく女は偉いものだと思った。うろたえないし、前から察していたし、当てもないのに何とかすると言う。いざとなればパートでも何でもやって食べて行けるようにすると言う意味だろう。

 実は、辞任するに当って、最大の問題は妻の説得だと思っていた。それが思いの外、アッサリしたものだったことに、橘は妻に感謝した。

                  *   *   *

 深夜、テレビのニュースは、野党革新党の党首交代を報じていた。画面には、前の党首と新党首の握手の場面を何度も何度も映し出していた。橘は「おおっ!」と感嘆の声を発したのだった。

 大写しになった新党首は紛れもなく早乙女恭子あの人だった。字幕には「大阪大学法学部卒、弁護士、57歳、独身」と出ていた。

 40年前の恋人が、野党の党首になったのだから驚かない方がおかしい。

 10年ほど前に衆院議員になったことは新聞などで知っていたし、たまに、テレビ討論会などにも日本革新党を代表して出席し発言している姿も見ている。また、彼女が次期党首候補の1人として名前が挙がっていることも新聞で読んではいたが、まさか早乙女恭子が、本当に野党の政治家として最高位を極めようとは思ってもいなかった。益して革新党では初めての女性党首なのだから驚く。

「そうか。恭子、やったな、おめでとう!」

 橘は心の中でそうエールを送った。そして、自分自身を叱咤激励するように呟いた。

「恭子は独身を貫いたんだ。自分の信念のために。俺も、恵まれた今の会社を辞めて、厳しいけど新しい人生にチャレンジしてみるよ」

 久し振りに橘はギターを取り出し、居間で、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の弾き語りをしてみた。深夜でもあるので、ボリュームは絞りに絞って。それでも充分だった。遠い日の真夏の海、手を繋ぎ波間で揺れる2人の姿が鮮明に蘇えった。

                   *   *   *

 4月下旬、橘は辞表を持って、前島新社長の部屋を訪れた。

「今度の株主総会をもって退任したいんだけど?」

「どうしてよ? 新米社長が何とか走り始めたとこなのに。それこそ橘にはこれからもっともっと助けて貰わないといけないと思ってるんだけど」

「仲間の中から社長が誕生して、今はホッとしてる。理想的なバトン・タッチが出来たと思うからな。だから俺の役割は終わったんだ」

「これからは俺を助けてくれって言ってる」

「その気持ちは本当にありがたい。だが、正直言って、俺は河瀬さんに命を預けた人間だ。正に河瀬さんあっての俺だった。その点ではお前も同じだろうけど、今度は前島社長あっての誰かが必要だ。それは俺じゃない。もっと若い次の世代の人間だよ」

「俺は支店長時代からお前を仲間だし盟友だと思って来た。やっと俺達の時代が来た時に、去りたいというお前の気持ちが分からん」

「許してくれ。正直言ってこのままこの会社に残ったら、抜け殻のようになってしまうし、結局お前に迷惑が掛かる」

「仮に、辞めるとしたら、一体全体、これから何をやろうと言うの?」

「まだ、何も決めてない。でも、これまでの経験を活かして何か始めるとは思うけどな」

「そんないい加減なことなら、今まで通り頑張って欲しいよ。まっ、いいや。一応辞表は返しておくから、もう一度考え直してくれないか?」

「実はもう2ヶ月も考えて来たことだから、変わらんよ」

「まっ、今日のところは絶対に辞表は受け付けないから」

 5月20日には決算取締役会があり、そこで6月末の株主総会に掛ける新しい役員体制を決めなければならない。橘はその前に何としても前島に退任を認めさせねばならないと思っている。新しい体制表から自分の名前は外して貰わなければならないからだ。橘は5月中旬に再び社長室を訪れた。

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 その頃、橘譲二はある男から、人生相談のメールを受け取っていた。橘の兄の長男、甥の純太郎からである。彼は、慶応大学経済学部卒で40歳、信用格付けトリプルAの大手銀行に就職し、関東周辺2ヶ所の支店の出納係を経験後、虎の門支店の法人向けリスク・マネージャーの課長として安穏と暮らす平均的サラリーマンだ。学生結婚後、2人の息子にも恵まれ、成城にマンションを購入、いまや順風満帆で何ら人生の不満や不安はない筈と、橘も兄も見ていた。

 そんな彼からの緊急の面会依頼だ。折り入って相談があるという。

 2年前の正月以来、久し振りなので、赤坂の上海飯店で豪華中華料理をご馳走することになった。お互いの家族の他愛のない近況報告が一段落した後、純太郎がさっそく本題に入った。相当深刻そうな顔付きで言う。

「叔父さん、実は僕、人生最大の悩みを抱えているんです」

「ほう。純ちゃんなんか、我々から見ればエリート中のエリート。悩みなんかとは無縁に見えるがね。同じ金融機関と言っても、保険屋から見れば、都銀の銀行マンなんて、雲の上の存在よ」

「嫌味を言わないで下さいよ。このまま、銀行に定年まで勤めていて良いものかどうか、迷ってるんですよ。終身雇用なんてなくなるでしょうし、日々激しく変化する国際的な金融業界の中で、日本の銀行の行く末は一体どうなるんですかねぇ?」

「・・・」

「失われた10年とか15年は日本だけの不況だったけど、今後世界的な不況がやって来たら、銀行はどうなっちゃうんですかね? 銀行だけじゃなくて日本はもう1度耐えること出来ますか?」

「いきなり難しい話になってしまったけど、純太郎に何か転職の具体的アプローチでもあったの?」

「実は、そうなんです」

 話はこうである。

 純太郎の学生時代の友達がKDDを脱サラして、新しくベンチャー企業を立ち上げたのは以前聞いていたが、その会社がこの2年で急成長し、いまや社員百人を抱え、売上げ30億円を超えるIT企業にのし上がった。会社は六本木ヒルズの33階。その友人から将来を分かち合える専務取締役として純太郎を迎えたいので、この際、是非決断してくれと頼まれているのだという。今勤める銀行もバブル崩壊後の苦しい時代を合併で乗り越え、不良資産も減り順調に盛り返し、上司にも恵まれ、自身の将来展望も見えた矢先に決断を迫られていると言うのである。

 純太郎とその友人は、学生時代のアメリカン・フットボール・クラブの仲間で、もちろんお互いの長所、欠点も理解している仲だ。常日頃は月に1~2度は逢って酒を酌み交わしながら政治や社会情勢、スポーツ談義など他愛ない話をする間柄だったが、純太郎にとってその日の友人は、いつになく真剣で熱のこもった口調で純太郎を誘ったという。

 

 橘はどうアドバイスすべきか迷った。学生達の人気就職先は、嘗ての興銀・長銀・都銀大手・NTTなどから、外資系や金融・ITベンチャー企業に移って来ている。これは、バブル崩壊前には憧れの企業だったものが、バブル崩壊と共に壊れ、逆に、ヒルズ族なる言葉に象徴されるような、新興のベンチャー企業成功者が取って代わった時代の現れだ。格好良くて金持ち、今をときめく若き経営者達をマスコミが必要以上に持ち上げていることもあって、若者達が彼等に憧れ、就職希望先に挙げるのだろう。

 さもなくば、倒産することのない大会社か公務員を選ぶ、もう一方の多数派が存在するのだ。

 これらのことだけで簡単には語れないだろうが、橘にはどうも、拝金主義か、寄らば大樹の陰か、若者達は2つのつまらぬ価値観に支配されているような気がして、肌寒い思いをすることがある。

 急成長した会社はその分リスク管理を省略してきたケースが多いので、経営リスクや倒産リスクが高いのも事実であるし、超優良企業や公務員であっても、今後は、過去の延長線で行ける保証はどこにもない。

 橘は、息子の年齢と近い若者の勉強会で話す機会があり、拝金主義の若者には、「マネーゲームが人生の目的か」を問い、安定志向の若者には、「自身に、社会や会社にぶら下がる側か、社会や会社を支える側かを問え」と投げ掛けたこともあった。橘の基本的な危惧は、団塊Jrといわれる世代が、橘達の若かった頃のようには、社会問題や政治情勢に関心を持ってくれないことだった。ヒョッとしたら自分達で国や社会を変えられるかもしれない、と思う人の数が極めて少なくなっているのではないかということであった。

 同じ勉強会で橘は、

「新しいことへもっともっと挑戦せよ。それが国造りでも街作りでも会社作りでも何でもいい。自分の守備範囲を自分で決めるな。小さく決めるな。挑戦とはリスクを承知で突き進むこと。挑戦とは自分自身を高めること、広げること。挑戦は若者の権利であり義務である」

と檄を飛ばしたことを思い出しながらも、この時ばかりは、純太郎の相談に対しては言うことが違った。純太郎にまだ独立の気概が見えなかったからだ。

「今の銀行を辞めるべきではない。伝統ある社会的企業は、少々の嵐が吹いてもビクともしないし、今後も揺るぎない。今の銀行で頑張って会社のトップを目指せ」

と、橘は説いたのである。更に、

「いつか君自身がベンチャー企業を起こす時は応援するよ」

と付け加えるのを忘れなかった。

「確かに叔父の言う通り、ベンチャー企業の方がリスクが高いし、僕自身でベンチャー・ビジネスを始めるのでなければ、今の銀行に留まれと言うのも納得だな」

と、橘純太郎は、誘いを断る決意を胸に帰って行った。

 橘譲二の方も甥と話しながら、この時遂に、自らの進退を決める覚悟をしたのである。

 

 ここ1ヶ月の悶々とした日々が嘘のように、橘の心はすっきりと吹っ切れた。帰り道、橘は四谷の「Bフラット」に寄り、久し振りに「サウンド・オブ・サイレンス」を歌った。店中の客が喝采してくれた。

                  *   *   *

≪高村比呂希 著≫
 
 
 
 
 橘は悶々とした日々を送っていた。そんな時、社長の河瀬から電話が掛かって来た。

「河瀬だが、近いところで本社に顔を出す日はないか?」

「はい。今週金曜日は全国営業本部長会議が本社であります」

「それは午後一番からだったなぁ?」

「はい、そうです」

「じゃぁ、11時半頃、社長室に来てくれないか?」

「それは結構ですが、どういうお話でしょうか?」

 橘が中島に言い張った懲戒処分の件かなと頭を掠めたので河瀬社長に聞いてみたのだ。

「久し振りに昼飯でもどうかと思って。ついでに、是非とも、君の意見を聞いておきたいこともあってな」

「分りました。金曜11時半に伺います」

 秘書の女性に案内されて、広い社長室に入った。いつも扉は開け放たれているという。ここは本社ビル最上階だからとても見晴らしが良い。広い社長室は、入口近くに応接セット、その奥には10名程度は座って会議が出来そうな大きな楕円テーブル、その奥に社長の執務机が置かれていて、そこでパソコンの画面をチェックする河瀬社長が座っていた。

「失礼します。橘常務がお出でになりました」

と伝える秘書に続いて、橘が進み出た。

「失礼します」

「おう、来たか」

「どうだ? 現場の方は? 難しい時代になって現場は相当大変みたいだなぁ?」

「ご承知の通り、損保全体に対して相当な解約圧力が掛かっていまして、なかなか数字が挙がりません。申し訳なく思っています」

「そういう中でも、関東は激戦区だから余計に大変だと聞いているよ。それにしても、君の所は過去からのしがらみをバッサバッサやって総掛かりで大掃除をやってくれたんだってねぇ。金井君がそう言ってたよ」

「恐れ入ります。でもその金井さんや中島君に、関東は3年連続マイナスだったと、こっぴどくやられていますよ」

「まっ、そんなことで、君はビクともしないだろうから心配してないが、3年連続マイナスとは君らしくないな」

「はい」

 そう答えながら、社長には自分の書いた始末書の一件は、届いているんだろうか、いないんだろうか、と判断に迷った。それを知るために橘は水を向けてみた。

「収入保険料は3年連続前年割れでしたが、逆に収益の方は今年、全国1位になります。若い店長達は、会社にこのことを是非認めて貰いたいと言って来ていましてね」

「フム。相当頑張って構造改革をやったからだろうな。何事に付け全国1位は立派だと思うよ。ただね、営業の本分は数字を稼ぐこと。売上を落としてたんじゃ話しにならんな。会社も減収続きでいろいろと外野が煩いんだ」

「はい」

 始末書の件は社長に届いているのかいないのか、結局、分からなかったが、中島常務が言った「社長が一番減収にお悩みです」は事実だった。社長も減収続きで苦しい立場なのだ。

 社長室に入るまで、橘は当社の営業方針を売上至上主義から利益率第一主義への転換すべきことを河瀬社長に直訴すべきかどうか迷っていたが、河瀬社長の言葉を聞いて止めることにした。

 河瀬は心なし姿勢を正して言った。

「ところで、俺も今度の4月が来れば、東都損保時代から数えて通算6年社長をやったことになる。社長交代の時期を迎えたと思っているのだ。ただな、人によっては合併前のことは関係ないから、まだ4年しか経っていないから後2年続けるべきだと言うんだね。橘はどう思う?」

 河瀬から呼び出された目的が、社長進退について意見を求められることだったとは思いも寄らなかった。

「社長は、合併という、歴代の社長の中では最も大変な仕事をやり遂げました。そして、合併から3年間の、云わば新会社の揺籃期を陣頭指揮され、今後の発展の基礎を築かれました。これは普通の6年間とは比較にならない大変大きな功績を残されたものと考えます。ですから、私としては、この辺りで次にバトン・タッチしてもバチは当らないと思いますが」

「お前にそう言われると、少しは肩の荷が下りる気がするよ」

「それに、社長のお身体のことも心配です。社長がお元気なうちに次のバリバリの人間に渡して頂くのがこれからの人達のためかと・・・」

 河瀬は社長就任前から糖尿病を患っており、河瀬に近い者達の共通する心配事であったのだ。会社合併などなくても、みんな6年間は無理だろうと思っていた位なのだ。

「そこで聞くが、お前個人の意見として、次は誰が相応しいと思うか?」

 橘は、河瀬がこんな秘中の秘を自分に相談してくれることに感動を覚えるほど嬉しかった。だが、自分に相談するということは、自分はその候補者に入っていないということだと、冷静に判断するのであった。

「世情、星野副社長が取りざたされていますが、全国の社員から人望が厚いのは前島専務の方でしょう。更に言えば、この合併会社で一番大事なのは、相手社出身者から見て、誰だったら抵抗なく頑張れるかということだと思います。その点では、星野副社長はアクが強い分警戒心を持たれていると思いますから、合併作業の中で相手社からも当社内からも厚く支持された前島仁が良いと思いますよ」

「そうか。参考意見として聞いておく。じゃぁ、飯にしよう」

そう言って、河瀬は秘書を呼び、地下駐車場に運転手を待機させ、橘を伴って社長室を出た。2人は車で10分の場所にある中華レストランに向かった。

 

 それから1ヶ月ほど経った頃、前島新社長・河瀬新会長人事が内外に発表された。その新聞記事を読みながら橘は、河瀬の腹心として、河瀬を支え、河瀬の目指す会社作りの尖兵として邁進するという自分の役割も同時に終ったと思った。

 しかしながら、この3年間は河瀬の思いを斟酌もせず、それとは違う方向に突っ走ってしまったのだから、河瀬の腹心としての働きは3年前から出来ていなかったのだと思い直した。更に言えば、その前の事務・システム統合の失敗も含めて、自分は、河瀬の腹心を自任しながら、少しも河瀬の意を体した働きが出来ていなかったし、寧ろ、河瀬を窮地に陥らせた張本人だったと悟らずにはいられなかった。
 
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