≪ご挨拶≫
皆様、新年明けましておめでとうございます。 皆様にとりまして、実り多い年となりますようお祈り申し上げます。
さて、皆様のお目を煩わせております拙文 「ラストラン」 も、今日より第三部、最終章に突入致します。どうか今暫く、ご辛抱を戴き、最後までお付き合い戴ければ、これに勝る喜びはございません。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 まずは、新年のご挨拶まで。
高村比呂希
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(この小説に登場する人物・組織は全て架空であり、実在する人物・組織とは一切関係ありません。 編集部)
橘譲二は、2004年9月末に、34年半勤めた損保会社を辞めた。それも、新社長の盟友であり、一部上場企業の常務取締役という、誰もが羨む社会的地位を投げ捨てて。
8月末に漸く橘の退社が公表されてから、社内の先輩・同僚・同期の友人・各地に散っている部下達が 口々に辞めないでくれと大合唱を始めたのだ。
「敵前逃亡だ」と本気で怒る者。
「橘さんにはお世話になりながら何も返せていないから、もう少し留まってくれ」と懇願する者。
「スパッとやめてしまう橘は一人格好良過ぎる」となじる者。
「新社長とは親友の筈。何故支えてやらないんだ」と迫る者。
最後の仕事となった関東営業本部で、一緒に改革に汗した部下達が口々に言う。
「これで当社の改革は完全に止まる」
「ここで橘さんが辞めてしまったら、それこそこの3年間の努力が何にもならなくなります。改革の成果を次に活かすのは橘さんあってのこと」
「もう橘さんを頼れなくなるって、とても辛いです」
橘は正直嬉しく思ったのだが、一方で、自分が退社することを知った人々の、橘譲二という人間を誇大に虚像化した言葉だとも理解していた。
最早、それらの期待に答えられるだけの余力も能力も残っていないことが、紛れもない事実であり、それが橘譲二の実像だった。それは、橘には充分過ぎるほど分かっていた。
彼は本当に親しい者に、この時の心境を吐露している。
「今辞めないと、社長の親友というだけでポストにしがみ付き、老害をさらす存在になって行くと思う。それは自分が最も忌み嫌っていることだ」
しかし、彼は会社を辞めた後、何をするかは何も決めていなかった。唯一決めていたのは、1ヶ月間のリハビリ海外旅行だけだったと言う。
退職金を元手に何か仕事を始めるだろうとは漠然と考えていたが、退職金の額さえ調べていない、無計画中途退職もいいところだ。
退職が正式に認められて、あと残すところ20日余りとなった頃、ある話が橘の下に舞い込んで来た。
60年以上の歴史を持つ中小企業が、「多少の資金と良い経営者がいれば会社を譲りたい」との話だった。
その会社は、学校の食堂や社員食堂を委嘱されて運営し、自らも横浜でレストランを経営する飲食業である。
橘の経歴、即ち、損保の営業と経営とは何の繋がりもない業種だったので、その道で経験の長い甥っ子(橘の兄の次男)橘洋二郎に検討を委ねておいたら、たった1日で返事が返って来た。
財務諸表をチェックしてみたが、とても手が着けられる内容ではないから辞退した方が良いとのことである。さもありなん。そんなにタイミング良く退職後のおあつらえ向きの仕事が転がり込んで来る訳もない。
ただ、これまでの「現場主義」の癖で、
「現場調査はしたのか?」
と確認したところ、
「この財務内容では、現場を見るに値しないと考えて調査していない」
との答え。
「無駄かも知れないけど、一度お前の目で直接見て来てくれないか」
橘は洋二郎に頼んだ。それから数日後の退職当日(9月30日)、彼から会社に電話が掛かって来た。
「叔父さん。俺が是非ともやってみたい会社だった」
あれ程否定的だった洋二郎が真逆の反応に変わっていた。
「但しね、こっちが引き受けるには、明日(10月1日)中に5百万円の現金が必要なんだよ」
甥っ子の洋二郎はそう言って橘に工面を頼んで来た。
みっともないとは思ったが、人事部に電話して、退職金の振込み日を確認した。
「本日をもって退職しますが、退職金の振込みはいつになりますか?」
「間違いなく10月1日です。着金時間は午前中」と教えて貰う始末。
そして何とか手形決済手続きを済ませてぎりぎりセーフ。
橘は晴れて海外へ卒業旅行に出掛けた。但し、夢の1ヶ月間リハビリ旅行は、期間も距離も短縮され、5日間の「割安グアム」旅行に格下げとなってしまった。
それでもゴルフ三昧の中で、今後の事業プランを練ることは出来た。
格好良く、「中小零細企業専門の企業再生ビジネス」をメイン業務とすることを決めた。
その最初の試金石が、図らずも資金投入してしまったこの社員食堂受託企業の再生という訳だ。
* * *
再生支援決定1週間後には本社移転を行い、甥っ子を専務として、全権限を集中移管して貰った。但し、1年間はそれまでの会長・社長の無償残留をお願いした。
橘の見るところ、この会社売上が極端に落ちて来た訳ではない。
ここ何年か対前年マイナスの売り上げが続いてはいるが、なだらかなマイナス曲線を描いているだけなのだ。では経営悪化の原因は仕入れか? これもノーである。世の中デフレ経済だったのだから、仕入れ価格が高騰して利益を圧迫したのではないのは明らかだった。
後は、人件費と役員報酬、それに管理費等という経費が、売上のマイナスに比例して減っていないのだ。
そういう意味では、規模縮小のデフレ経済の時代に、支出側が何も対応出来ていなかったということだと橘は結論付けた。
甥っ子と2人で短期再生プランを作り上げた。
その概要は、従業員の人件費半減、経費半減、役員報酬の全面カットだ。役員とは言っても会長(父親)・社長(長男)・専務(長男の嫁)の3人だけだった。
専務にはお引取り願って、代わりに甥っ子が就任している。その意味では役員全員、再生の目途が付くまでボランティアで働くことにした。
また、経営者が好きに使えた経費は完全にその利用を禁じた。
実はこの経営者に掛かる役員報酬や各種費用を限りなくゼロにするだけで、収支は水面下ではあってもかなりの改善になった。それほど経営者のコスト比率が大きかったのだ。
さて、問題は従業員だ。彼等は仮にリストラされてしまうと、もうどこにも行く場所が無い。
大企業では役員も社員もその殆どに再就職の道が開けているが、中小零細の悲惨さは世間にはまだまだ認識されていない。
後に、派遣切りに遭った契約社員ですら、テレビや・新聞で特集され、社会問題として取り上げられて、派遣村など仮設住宅に期限限定ではあるが住むことも出来るように対策がなされた。
これに対して中小・零細企業の従業員はリストラされたら、即、青テント暮らしか、生活保護世帯となってしまう。これが日本の実情なのだ。
だから零細企業の経営者は苦しくても何とか彼等の賃金を減らさないで雇い続けようとする。それが結果的に、もうどうにもならぬ事態にまで行ってしまうのだ。
経営者は、身動き出来ないほどの借金を作り、涙ながらに従業員を解雇した後、夜逃げか自殺かという究極の選択をすることになる。
だが、この社員食堂受託会社は、取引先の学校や会社の食堂の数が減っている訳ではなく、値下げ要請受け入れが経営を圧迫しているだけのようだ。
橘は従業員を集めて、経営者の報酬ゼロ決定を伝えた上で、
「この会社を倒産から守るためには、皆さんの賃金を当面の間、半額にしないと立ち直れません。このことを是非理解し了解して貰いたい」
と訴えた。それまで何も聞かされていなかった従業員は寝耳に水、怒り出すのも無理はない。
「社長達が会社を左前にしたのに、何故俺達にツケを回すんだよ」
「経営者がこの会社を左前にしたんじゃありません。売上高が毎年マイナスになって来たのは、今の日本の大不況のせいです。食堂メニューの単価値下げ圧力の強さは、寧ろ皆さんの方が現場で感じてるんじゃないですか?」
「もう何年も賃上げなんてないんだから、俺達だって生活が苦しいんだよ。それを半分にするなんてとんでもない話だ」
「それは非常に良く分かります。ですが、この会社が潰れてしまえば、それすら貰えなくなってしまいますよ」
「それは、脅しかよ。そっちがそう言うんなら、こっちにも覚悟がある」
「お辞めになるということですか?」
「そんなことを今言う必要はない。こっちにも覚悟があるということよ」
激しい遣り取りがあった後、橘は事態を見守ることにした。数日して、五月雨式に、従業員が個別に橘の前に現れ、「給料半分でもいいからこのまま働かせてくれ」と言って来た。橘に突っかかった従業員もまた同様だった。
辞めると言って来たのは、腕のいいコックと評判の男1人だけだった。他の者は、
職安(ハローワーク)を訪れても彼等を採用してくれる所がないことを確認したのだろう。或いは、友人の伝で何とかなると思っていたのが、現実はそう甘くない、大変厳しい状況だったということかも知れない。
兎も角もこんな経緯で、社員食堂運営企業の再生に乗り出した橘は、次の決算ではV字回復をやってのけた。
それから2年後、従業員の給与は減額前の8割程度に回復した。
この成功体験を基に、橘は本格的に中小零細企業の再生ビジネスに乗り出して行った。
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