朝日新聞に、日本を代表するノンフィクション作家「柳田邦男」氏に聞くインタビュー・コラムが連載されている。最近、氏は著書「壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別 (新潮文庫)」などでも、心の問題についても視野を拡げ、この国の現状について、警鐘を鳴らしている。
柳田氏はそのコラムで「2.5人称の視点を持とう」と提起している。年金問題に対する社保庁の対応などに代表される、いまの日本に噴出してきたいろいろな問題点の根底には、「効率・成績優先主義の弊害」があると指摘している。
年金徴収率を役所間で互いに争った結果、詐欺としか言いようの無いような「消された年金」を作り出す役所、グローバルな競争力強化のため、自在にレイオフが可能な派遣制度を作っておき、結果、生み出された格差社会には「自己責任」のひとことの経済界・労働界。加害者の権利にばかり目を向け、被害者への視点が欠ける法曹界。汚染米を早く処理することばかりを優先し、国民の口に入っていたらという視点も発想すらもてない農水省・・・・。
柳田氏のいう「3人称」とは、「私」であり、「あなた」である1人称、2人称は「国民」で、その国民が普通に暮らしていくことを支える制度づくりや行政、経済などに関わっていく専門家、役人、企業人などを指しています。この「3人称からの視点」が、客観的であり、合理的で冷静な視点である必要は、勿論あるのですが、それが、相手により沿う気持ちの無い、ぬくもりの無い、目先の物事を処理することが優先される「効率・成績優先主義」に基づく「冷たい視点」になりがちなことを指摘しているのです。薬害訴訟などの厚生省の対応を思い浮かべれば直ぐに分かることですが・・。もうすこし「1人称、2人称」よりの視点、それが「2.5人称の視点」と柳田氏は定義しています。
様々な分野の専門家、企業人が冷静で客観性と合理性、そこに経済性を加えてもいいかもしれないが、それを保とうする事が優先するがあまり、冷たい「3人称の視点」で、この国全体が動かされているのではないかという柳田氏の指摘には説得力があり、賛同できる。
行き過ぎた効率・成績優先主義と評価主義、それに連動した富の配分や報酬、その行き着いた先が、アメリカの投機資本主義とその破綻であったことは、もうはっきりしたのだから、「1人称、2人称」の国民、納税者、消費者、労働者に寄り添う心遣い、それが「2.5人称の視点」であり、その視点を持ったプロがこの国を永続的に支えていくという考えに、官僚、企業人を問わず、まず意識を変えて行くべきではないかと思う。
そして今回の「聴きたい歌」。まだ見ぬ恋人に憧れる女の子の心を歌った歌であるが、人生の年輪を重ねた本物の歌手が歌うと、ともに歩む優しい視点をもった人生のパートナーを焦がれる歌、あるいは長く連れ添ってきたパートナーに、こうあって欲しいと思う願いのように聴こえる。私が、ご贔屓の「アン・バートン」が歌う「Someone To Watch Over Me/私を見守ってくれる誰か」。
作詞「アイラ・ガーシュウイン」、作曲「ジョージ・ガーシュイン」の兄弟による1926年のミュージカル「オー、ケイ!」のスタンダード、傑作バラードである。
「Someone To Watch Over Me/私を見守ってくれる誰か」
「♪ 私が会いたいと焦がれているこの世の誰か・・
彼が私を見守ってくれるその人であって欲しいと願っているわ
私はこの世の迷える小さな子羊
私を見守ってくれるその人を見つけるためなら
私はいつでもいい子になれると思うわ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうか彼に伝えてください、すぐにでも私の後を付いてきてと
そして、どれほど私を見守ってくれる人を必要としているかを・・・ ♪」
「私」=国民、「彼」=官僚、企業人と読み変えてみたら、いかがでしょうか。彼らへのメッセージ、ラブコールになりませんか?
この歌は、このブログお馴染みのアルバム「バラード&バートン」に収録されている。
バラード&バートン
アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ジョン・エンゲルス ルディ・ブリンク / ソニーミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005G4A4
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