JAZZYな生活

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丘の上の輝く街  ~米国大統領選~

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「CHANGE!」をスローガンに、「建国者たちが「丘の上の輝く街」と表現した米国の理想を、世界にもう一度示そう」と訴えたオバマ候補が大統領選に勝利した。冷戦終結以降、戦争も、富も、自由も、民主主義も世界のすべての大義と正義はアメリカにあるというアメリカ一極主義。そのおごりがもたらした1兆ドルを超える戦費と四千数百人の若者の戦死者、戦費と同じ額のサブプライムへの公的資金投入。ブッシュ政治が終焉を迎えた日でもあった。

オバマになったからといって、直面する戦争、経済危機がすぐに好転するわけではない。むしろこれからの悪化にどれだけ歯止めがかかるかといった程度であろう。世界はアメリカの掲げた傲慢とも思える価値観に無批判に従うことの愚かさと危険さを悟ったここ一年でもあった。これから欧州、アジア、ロシアを含めた多極化へ向かうのか、スーパーパワーを失って無極化へ向かうのか、不透明で不安定な時代が始まった。世代や人種間の溝を乗り越えて、米国の希望と理想を取り戻せるのか?そして次には、日本人の選択が試される番だ。

それにしても、オバマの演説の巧みさ、内容・格調の高さ、言葉の分かりやすさと強さ。日本の政治家と比べると雲泥の差・・・・・。

オバマのニュースを見ながら20数年ほど前に見た、ある一本の映画を思い出した。「史上最強のボクサー/ジャック・ジョンソン」。黒人初の世界ヘビー級チャンピオンとなった、ジャック・ジョンソンの語った言葉で、その数奇な生涯を描いたドキュメンタリー映画であった。1908年にトミー・バーンズからヘビー級王座を奪い、1915年にジェス・ウィラードに敗れるまで「史上最強のボクサー」として君臨した「ジャック・ジョンソン」。

黒人差別がひどかった時代に、その圧倒的な強さや、白人の美女と結婚、そのど派手な生活のため、彼に対する白人の憎悪は想像を絶するものであった。白人で彼にかなう選手はおらず、やっとのことで「白人の希望」として担ぎ出されたジェームズ・ジェフリーも簡単にKOされる始末。かくしてジャック・ジョンソンは白人にとって不倶戴天の敵となったのだ。あまりの強さに、黒人と白人の試合を禁止する州が増えたという。そして、黒人差別を正当化する法律まででき、それによって有罪となったため、ジョンソンはヨーロッパに逃亡せざるを得なくなった。そこで彼は、第一次世界大戦、ロシア革命などに遭遇し、20世紀初頭の歴史の目撃者になるのだが・・・・。
米国への帰国を条件に、1915年炎天下のキューバのハバナで白人ジェス・ウィラードの挑戦をうける。45ラウンド戦の26ラウンド目にKO負けすると白人達は狂喜乱舞した。後年この試合は八百長だったと語ったが真偽は定かではない。その後、コメディアンや映画出演などもしたが、1946年スポーツカーで大木にぶつかって死亡。68歳であった。

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JACK JOHNSON
製作年度: 1971年
別題: 史上最強のボクサー/ジャック・ジョンソン
製作国・地域: アメリカ 上映時間: 88分
監督:ウィリアム・ケートン
主な出演者:ジャック・ジョンソン/トミー・バーンズ/ジャック・デンプシー

残念ながら現在ビデオは絶版になっている。

白人美女をはべらせながら、最高級の葉巻とシャンパンを口にし、7フィートもある自慢のダブルベースでJAZZを爪弾いたともいわれるジャック・ジョンソン。

映画の音楽では、あの「マイルス・デイヴィス」の演奏が使われた。
アルバム「ビッチェズ・ブリュー」で70年代ジャズの方向に大きな衝撃をあたえたマイルスのその延長にあるまさにロック音楽そのもの。「お望みなら、世界最高のロック・バンドを組んでみせるぜ」と豪語し、有言実行した問題作。特にロックギタリスト、ジョン・マクラフリンの参加は、話題を呼び、マイルスをして、「ギターとベースを聴いてくれ」と言わしめたほどの完成度が高いアルバムになっている。映画のサウンドトラックといっても、映画用にレコーディングしたものではなく、すでにレコーディングされていたセッションの音源を「テオ・マセロ」が映画用に編集したものである。

ジャック・ジョンソン
マイルス・デイヴィス / / ソニーレコード
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マーチン・ルーサー・キング牧師が20万人の大群衆を前に「私には夢がある」と演説してから45年がたった。そしてその夢は、かなった・・・。

【追記】
・その他のJ.ジョンソンの映画には、彼の半生をモデルにして、ブロードウェイで大ヒットを記録し、数々の賞に輝いた傑作舞台劇「偉大なる白人の希望(The Great White Hope) 」を映画化した「ボクサー (1970年製作)」がある。主演: ジェームズ・アール・ジョーンズ、 監督: マーチン・リット。これも面白かったですね。
・さらに、2005年には映画作家のケン・バーンズが2部からなるドキュメンタリー「Unforgivable Blackness:The Rise and Fall of Jack Johnson」を製作した。残念ながら、これは観ていません。

続・マネーな人々  ~マーケッターとしてのシニア考(13)~

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小室哲哉が5億円の詐欺容疑で逮捕された。夕刊、TVニュースともトップで扱っている。「記録的なミリオンセラーを放った時代の寵児転落」と・・・・。

1996年「オリコン」シングルチャートで安室奈美恵などへの自作曲が1~5位を占めたこともある。またこの年、globeのアルバムが当時最高記録の455万枚を記録。彼が手がけたCDの売り上げ総数は1億7千枚を超えたとか。

結局、「記録」には残ったが、かれの音楽は、これからも人の「記憶」や「心」に残っていくかどうか・・・・・。
音楽の好みが違うといってしまえばそれまでだが、私にはあのコンピュータで作曲したといわれるどれも同じような感じのする曲を聴きたいという気持ちは一度として起きなかった。やはり、大量生産、音楽使い捨て時代の「ハシリ」だったような気がするのだ。

ファーストクラスやスイートルームの貸切。ハリウッドの豪邸、何台もの高級外車・・・・。
結局のところ、音楽をする彼の目的は一体何だったんだろうか? きっと、最初の志は「音楽がしたい」という素直な動機だったろうに。名声も金も結果としてついてくるもの。どこかでそれを追いかける側になってしまったでしょう。きっと、肝心なところをまちがえたんだなあ。

節税対策のために米国に居住を移し、中国へも事業を拡大し、得意満面な当時の小室の映像を見ていると、ホリエモンや村上世彰被告らとダブってきて、「音楽で儲けて何が悪いんですか?」という傲慢な嘯きが聞こえるような気がする。「女房のKEIKOには何十万もする高級ワインを平気で飲ませるのに、社員の給料を払っていない」とか。こんな男がビジネスマンといえるだろうか?ビジネス以前の問題で経営者、ビジネスマンとしても失格といわざるを得ない。

音楽を我が手でねじ伏せ、絶頂を極めたが、結局才能を使い果たしたのか、最近はヒット曲もなく、音楽の神も音楽のチカラも最後には彼を見捨てた。

頂が高いほど奈落も深いという。
今、彼の耳にはどんな音楽が響いているのであろうか・・・・・。

いとしのエリー ~再会の金子晴美~

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かなり前のブログにこんなことを書いた。
20年ほど前、大ファンであった「金子晴美」。最近は名前もアルバムも見ないがどうしたんだろう?それまでの日本のJazzシンガーといえば、巻き舌風で、わざとらしいしゃがれ声でうたうお姉さんたちが多かったが、きちっとボイストレーニングと英語の発音訓練をうけている彼女のデビューには当時ビックリもした。・・・・・・・・  まだまだアルバムがあるのに、タイトルも変わって、2枚しか再発売されていないし、amazonにデーターもない。まだ十分活躍できるし、熟年になってからの成長も見てみたかった。ほんとうに彼女どうしたんだろう?誰か知りませんか?

ところがですよ、私の町で開かれるコンサート「West River Jazz Concert Vol.21」に金子晴美が出演するという。いやびっくりしたのなんのって。いままでの日本人女性ボーカルにはない魅力をもったシンガーとして、その昔ずっとファンであった。 その後、消息を聞かなくなったしまったので前述のようなブログを書いてしまったのだが・・・・・。少し調べてみたら、公式のWEBサイトあるし、ブログもあり、そしてアルバムも発売されていた。

行ってきましたよ、小躍りして。再会の彼女は、20数年前と同じ暖かいクリアな声で、ステージにいた。そして、「いとしのエリー」を歌ってくれた。多分、サザンの曲の優れてJAZZ的な要素を見つけて、JAZZアルバムにした一番最初の歌手だと思う。もちろん、「いとしのエリー」をJAZZアレンジしたことについても・・・。

「金子晴美」。東京都出身。独協大学ドイツ語科在学中に、ジャズ・ヴォーカルを始める。豊かな英語力と歌唱の美しさをかわれ、1980年4月、ボブ・ドローのプロデュースにより、ファースト・アルバム『アイ・ラヴ・ニューヨーク』を発表、一躍注目を集める。ロン・カーターをはじめニューヨークの一流ジャズメンをバックに抜群のスィングを聴かせ、センセイショナルな成功を納めた・・・・、とプロフィルにはある。

私のおすすめアルバムの1枚目は、当時は「スペシャル・メニュー」のタイトルでリリースされた、全編「サザン・オールスターズ」のJazzカバーアルバム。これほど桑田の曲がJazzにアレンジするとすばらしいとはと驚いた。あの「いとしのエリー」がJazzアレンジでカバーされた、おそらく最初のアルバム。「レイ・チャールス」がとりあげ、ヒットするのはずっと後のことである。
「ミュージックマン(我らパープー仲間)」、「メモリーズ・オブ・ラブ(YaYaあの時代を忘れない) 」、「ストーリーズ・エンド(別れ話は最後に)」、「ホエン・ユーア・オーヴァー32(恋する女のストーリー)」、「Just A Little Bit」など今聞いてもそのJazzyなセンスと新鮮さには感激する。ジャンルを越えて楽しめる一枚。編曲は日本を代表する故・八木正生。。「いとしのエリー」を含む4曲の英語詩は、無類のJAZZファンでイラストレータの和田誠。「SPECIAL MENU~いとしのエリー」は、1983年のリリース。

いとしのエリー
金子晴美 / ユニバーサルクラシック
ISBN : B00005FEJT
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ボサ・ノヴァ、サンバの名曲を集めたCDで、ギター&共同プロデュースにブラジルの名プロデューサーでACジョビンらとともに、ボサノバの創始者でもあるロベルト・メネスカルが参加しているので話題になったアルバムは「TRISTEZA」。
このなかにも、桑田の名曲で、「中村雅俊」が歌い、映画「蒲田行進曲」で、松坂慶子が一人身重な体で雪降るなかを産院に向かう印象的なシーンに流れていた、「恋人も濡れる街角」のボサノバ・バージョンが聴ける。

金子晴美/TRISTEZA
金子晴美 / ユニバーサルミュージック
ISBN : B00005MWBD
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上記以外の、彼女の初期のCDは殆どが残念なことに廃盤になっている(勿論私は持っていますが)。それはさておき、再会の「金子晴美」は、明るく、にこやかで、暖かく、そして素敵であった・・・。

コンサートは2部仕立てで、彼女は第2部に登場。メンバーと彼女が歌った演目をあげておきます。

11月3日 アステ川西 アステホール 15時開演
金子晴美;ボーカル、稲垣次郎(特別ゲスト);SAX、fl、竹下清志;ピアノ、時安吉宏;ベース、佐藤英宣;ドラム、ふさはらただひろ;トランペット

マック・ザ・ナイフ/ベイズン・ストリート・ブルース/この素晴らしき世界/いとしのエリー/月光価千金/ハウ・ハイ・ザ・ムーン/モーニン(アンコール)

もう戻らない低音の魅力   ~フランク永井さん逝く~

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歌手「フランク永井」氏が逝った。1932年3月18日生まれ、2008年10月27日没、享年76歳。JAZZの薫りがする日本のムード歌謡のNo1歌手であった。独特の低音は、多くの人を魅了し、歌謡界に多くの軌跡を残した。彼を形容する「低音の魅力」という言葉は、もう日本語として定着した慣用句でさえあった。

「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」などの数多くのヒット曲で知られるているが、永井さんは米軍キャンプのクラブ歌手を経て54年に日本ビクターと契約。55年「恋人よわれに帰れ(Lover Come Back To Me)」でデビューした。デビュー当時はジャズだったが、歌手の故ディック・ミネさんや作曲家の故吉田正さんと出会いムード歌謡に転身した。57年、有楽町そごう(当時)のキャンペーンソングとなった「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。低音ブームを巻き起こし、トップ歌手へと飛躍した。59年には故・松尾和子さんとデュエットした「東京ナイト・クラブ」が大ヒットし、カラオケ・デュエット曲の定番として現在も歌い継がれている。いずれも都会的な感覚とJAZZ的なムードが横溢する二人のこの歌が、吉田正氏のメロディとともに、戦後の日本人の歌の好みやセンスに大きく影響を与えたのでは間違いないだろう。
松尾和子さんも出発点はJAZZ歌手であった。これで、JAZZを出発点とし、日本の歌謡界に「ムード歌謡」というカテゴリーを築いた二大歌手がいずれもなくなってしまった。また一つ昭和の歌謡が忘れられていく・・・。

合掌・・・・・・・・・。

彼のJAZZ的素養は、JAZZスタンダードやPOPSでちりばめられた「RE-MASTER VOICE フランク永井II」 、「RE-MASTER VOICE フランク永井」のアルバムで偲ぶことが出来よう。

RE-MASTER VOICE フランク永井II
フランク永井 / / ビクターエンタテインメント
ISBN : B00006HBNQ
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RE-MASTER VOICE フランク永井
フランク永井 / / ビクターエンタテインメント
ISBN : B000060NM4
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青空のもとで・・・・

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わが街の文化祭、「グリーンフェスタ」が開催された。わが町は、大阪の北西部に位置する典型的な大都市の郊外ベッドタウン。世帯数約5000の戸建住宅を中心とした大団地である。昭和40年代に開発が始まった団地のため、たしか高齢化率が30%を超えたいたと思う。しかし、地域活動が大変盛んである。自治会はもとより、いくつの数の団体が活動しているが、活動の主体は勿論、高齢者・シニアの皆さんたちである。

私は、妻がボランティアでお手伝いをしていた関係で、定年後から通称「ぴいぷる」という地域の「コミュニティ推進協議会」に属している団体でボランティア活動をしている。
この団体の活動は、学校で教えない遊びや体験を、3世代交流の場で教えていこうということを目的としていて、例えば、川遊びを通じて、環境を守ることの大切さを教えたり、いろいろな工作によって自分で作った遊び道具で遊ぶ楽しさを覚えたり、「芋ほり」をして、野菜作りや収穫の喜びの一端を体験してもらっている。

そんな活動をしている「ぴいぷる」が、例年のように、グリーンフェスタに参加しました。三ヶ所の自治会館のほか公民館、小学校を使って行われる一大イベント。展示、発表にシニアパワーが爆発といっていいほど盛り上がります。我々のイベントは、いつもやっている活動をいわば集大成したようなもので、木の実・木工工作、毛糸指編み、折り紙細工、牛乳パック工作、輪投げ、ゴム鉄砲、独楽回しなどを地域の子供達に楽しんでもらうという企画。主役は子供達ですが、結構事前の準備が大変で、木の実・木工工作には大量のいろいろな大きさのドングリ、松ぼっくり、夜叉ぶし、小枝などの材料が必要なため、我々スタッフが数年がかりでその材料を集めます。従って、散歩や山歩き、帰省の折にいつも袋を持ってウロウロするという怪しげな行動もしなければなりません。

もう一つの我々の仕事は、当日の工作の手伝いで、いまの学校では、小刀、錐、のこぎりなどの使い方を教えないらしく、これらの道具を使って工作できる子供が殆どいません。ここを切って欲しい、穴を開けてほしい、釘で固定して欲しい・・・・様々な要求に応えなければなりません。サンプルは並べてあるのですが、「これを作りなさい」ということは一切なく、子供達の自由な発想に委ねています。TVづけ、ゲームづけになっていると思いきや、結構子ども達の発想力には驚かされることもあります。
また、きちっと「ありがとう」をいえる子、いえない子。手伝ってもらっても当たり前のような顔をしている子、後ろの親達が透けて見えることもしばしばです。それにしても、2日間で、延べ250人、いや300人は超えたかもしれない子供達の笑顔・・・。

全国学力テストの順位の公開や、その順位アップも重要かも知れないが、今の社会で最も危惧されている、「バランスの取れた人間性」を子供達が身に着けていくためには、物事の良し悪し、危険への感受性、自然に対する畏敬、他人への感謝、などをこのような遊びを通じて、自然に身につけていくことも一方で忘れてはならない重要なことと思うのだが。そして、借金ではなく、子供達に我々世代が残せるものは・・・・・。

さて、ボランティアといえば、私が時々重宝している「青空文庫」があります。この文庫は、著作権が切れた文学作品などをボランティアの皆さんの努力によって電子書籍化し、インターネット上で無料で読めるようにした、インターネット電子図書館です。

今年千年紀を迎えた与謝野晶子の「源氏物語」五十六帖、海野十三、岡本綺堂、小栗虫太郎など、わくわくするような8,000点を超える文庫が収蔵されています。「ボランティア」と「インターネット」が融合すればこんな素晴らしいことができるという見本です。何かのヒントになるかもしれませんね。本好きの皆さん!一度アクセスすることをおすすめします。(上の青空文庫の箇所をクリック)

「ジェームズ・テイラー」と結婚、離婚してから約25年。彼との間の二人の子供も成長し、自立しているという。そんな母「カーリー・サイモン」の最新アルバムは、子供に聞かすような歌、童謡、子守唄などを主体としたアコースティックで、心和む、優しいアルバム、「Into White」。「オー! スザンナ」、「ブラックバード」、「さらばジャマイカ」、「You Are My Sunshine」、「虹のかなたに」などが収録されている。
「Something songs for the young & young at heart (若者たちと気持ちが若い人たちのための心和らげる歌の数々)」と自作を語る彼女。50歳後半になり、年輪を重ねた、今の彼女だから歌える、『母の歌い給いし歌』なのかもしれない。

Into White
カーリー・サイモン / / ソニーミュージックエンタテインメント
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