JAZZYな生活

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もしもピアノが弾けたなら(17) ~偉大なるアナログ楽器、ピアノ~

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私のヨーロッパJAZZへの傾倒のきっかけは、「ジャックルーシェを除くとそれはヨーロピアン・ジャズ・トリオであった」とこのブログでも何回か書いたと思う。ルーシェは「バロック・ジャズ」という極めて狭いカテゴリーということで除外していたのだが、よく考えてみるとこれはおかしな話で、ヨーロッパジャズのカテゴリーを支えている大きな要因がクラシック音楽の影響であることを考えるとやはり「ジャック・ルーシェ」はヨーロッパ・ジャズの偉大な先達の一人で、私をヨーロッパ・JAZZ・ピアノへ誘ったきっかけのひとりとして、ぜひ挙げておかなければならないだろう。

「ジャック・ルーシェ」。1934年生まれ。パリ国立音楽院をトップの成績で卒業後、50年代の終わりに「Play Bach Trio」を結成したが、その後、この「Play Bach」シリーズで15年間で600万枚を超えるレコードを売り上げるほどの大成功を収めた。「Play Bach」をはじめて聴いたときの鮮烈な印象は今でも忘れない。バロック音楽とJAZZの相性のよさ、ヨーロッパのJAZZを初めて知った。しかし、どういうわけか74年以降バッハを断ち、70年代の終わりには、一度演奏活動から引退し、プロヴァンスに引きこもり、作曲活動やレコーディング活動をしていた。その後、1985年のバッハ生誕300年を期に、再び脚光を浴び、音楽活動を再開することとなった。以後バッハだけでなく、「ヘンデル」、「モーツアルト」、「ラベル」、「サティ」、「ショパン」、「ベートーベン」、「ドビッシー」、「ビバルディ」など精力的にアルバムを送り出している。以後、彼の後に続いて、クラシックを取り上げるJAZZアーティストは今でも多い。

何を差し置いても、「Play Bach」であるが、当時、たしか第1集から6集まで出されたが、初期作品よりオススメは、なんと言っても録音のいいデジタル録音版の「デジタル・プレイ・バッハ」。’84年12月に録音したこの作品で、見事にジャズのバッハ弾きのトップ・アーティストとしてカムバックした。初期の「Play Bach」に比べ、より端麗で、JAZZYに洗練されたアルバムになっている。50歳を迎えてリリースしたこのアルバム、まさに「バッハ弾き」の真骨頂が味わえる。鮮烈の「Play Bach 1」と聴き比べてみるのもいいだろう。

デジタル・プレイ・バッハ
ジャック・ルーシェ / / キングレコード
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プレイ・バッハ(1)
ジャック・ルーシェ / ユニバーサル ミュージック クラシック

「ドビッシー/月の光」、ソロでショパンのノクターン全曲21番に挑戦した「インプレッションズ・オン・ショパンズ・ノクターンズ 」。甘く華麗だがJAZZの基本を損ねることはないこれらのアルバムもオススメ。

月の光
ジャック・ルーシェ / / ユニバーサルクラシック
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インプレッションズ・オン・ショパンズ・ノクターンズ
ジャック・ルーシェ / / ユニバーサルクラシック
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そして現代のパリの雰囲気や香りをピアノにのせて届けてくれるピアノ・トリオは「セルジュ・デラート・トリオ」。カフェの片隅で聴きながら、会話を楽しんでいるパリの恋人達が眼に浮かぶよう。
小粋で楽しいパリのJAZZ的エスプリを感じさせる快作。
このトリオは近日、来日が予定されており、12月19日に西宮の兵庫県芸術文化センターで行われるコンサートが大変楽しみである。

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セルジュ・デラート/French Cookin’

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セルジュ・デラート/Swingin’Three

【閑話休題】  

「ピアノ」はなぜ「ピアノ」と呼ばれるのか?私のブログ記事(「もしもピアノが弾けたなら(1)   ~ピアノ、この小宇宙~」参照)を補足し、「デジタル・プレイ・バッハ」というアルバム・タイトルに隠された暗喩を想起させるような、面白い視点のブログ記事を見つけたので長いが、以下引用してみる。(コメント先が分からなかったので勝手に引用しました。お許しを・・・)

バロック(仏英: baroque)という語はポルトガル語 barocco (いびつな真珠)が由来であるとされ、音楽史でバロック時代と言っているのは、1600年の劇音楽の誕生から、バッハの没年である1750年までの150年ほどの期間である。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年 – 1750年)は、西洋音楽史上、バロック音楽を集大成した最も重要なバロック音楽の作曲家と考えられる。

そもそもバロック音楽の特徴とは何か。
①通奏低音音楽である。
②オーケストレーションが古典派と異なる。
③現在でいう古楽器を用いる。
④ソナタ形式がまだない(バロック期の音楽でいう「ソナタ」は古典派のそれとは全く異なる)
⑤即興演奏的要素が強い

しかし何といってもバロック音楽とは何かと言われればそれはデジタルである、というのが一番簡潔明瞭な言い方であると思う。
不連続性、断続性がデジタルの特徴であるが、バロック音楽もまたこうした特性をもつ。すなわち音の大きさが「フォルテ」か「ピアノ」かで、その間がない。これにはバロック時代に主流であったチェンバロやオルガンの存在が絡んでいる。すなわち当時のチェンバロやオルガンは鍵盤を押すと音がでるが、鍵盤を強く押しても弱く押しても音の大きさは一緒である。音の大きさを打鍵の強さで変えることができなかった。
しかしこれではつまらない。何とか音量を変えたい。そのために楽器の構造を工夫した。チェンバロならたとえば鍵盤を2つ以上にする。それぞれ構造を変えて音が大きい鍵盤と小さい鍵盤を作っておく。フォルテの指示の部分は前者で、ピアノの指示の部分は後者で弾く。オルガンならばストップを変える。ストップの入れ替えにより、音の大きさを任意に変えることが可能である。

さて18世紀になって鍵盤楽器に革命が起こった。ピアノの登場である。この楽器は発明当初はチェンバロと外見はそっくりであったが、その音を作り出す構造がまったく異なっていた。チェンバロが弦を引っ掻くようにして音を作っていたのに対し、ピアノは弦をハンマーで叩くのである。前者の場合は打鍵の力の強弱で音の強弱を作り出すことができなかったが、後者ではそれができるようになった。「ピアノ」の当初の命名であった、「ピアノフォルテ」という名の由来は打鍵の強弱により音をピアノにもフォルテにもできる、ということであったのである。
 
このピアノの登場により、作曲法そのものが劇的に変化した。すなわちクレッシェンド、デクレッシェンドという概念の登場である。ピアノから徐徐に音量を増大させフォルテにいたる、という芸当ができるようになったのだ。こうしてアナログ音楽が誕生したわけであり、イコール古典派音楽の誕生となった。西洋音楽の1750年前後はまさにこうした音楽の革命期であった。アナログ音楽の登場とともにオーケストレーションも劇的に変化し、カンナビヒ、シュターミッツなどのマンハイム楽派などがまったく新しい形式の音楽を作曲するようになり、のちにそれがハイドン、モーツァルト、ベートーベンにより完成された。
(以上ブログ記事「バロック音楽はデジタルである」からの引用)

ピアノが発明されたのが、今から丁度300年前。引用したブログ記事を参考にして屁理屈をこねると、「音楽史的にはデジタル時代であるバロック音楽を、「ピアノ」と名づけられた偉大なる発明によるアナログ楽器により、現代のピアニストがJAZZとして演奏し、デジタル録音された音源を、CDというデジタル・メディアに収録されたアルバムが、『ジャック・ルーシェ/デジタル・プレイ・バッハ』である。」

ああ、ややこしい・・・・。

しかし、ヨーロッパ・ピアノ・ジャズは、音楽史的に言えば、ピアノが発明されたヨーロッパでこそ、アメリカに対抗して、アイデンティティや正統性を主張できるJAZZのカテゴリーであるとも言えるのだ。その意味で、「ジャック・ルーシェ」が「バロック・ジャズ」を創始したことは、必然の結果であったといえる。

60歳過ぎたら聴きたい歌(24)  ~今あなたにうたいたい~

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(写真はハーレムにあるアポロ・シアター 同HPより)

先日、NHK-BS2で「和田アキ子」のアポロ劇場での40周年リサイタルの模様を放映していた。アポロおよび、そこで和田アキ子がリサイタルをすることについては、以前のブログで書いたことがある。(「もしもピアノが弾けたなら(7) ~マンハッタンの哀愁(2)~」参照)

ソウル・ミュージックの総本山、R&Bの殿堂、BB・キング、レイ・チャールス、スティービー・ワンダー、オーティス・レディングなどあまたのソウル・ミュージックのスター達を輩出し、またリサイタルを行った伝説のシアター。

2008年9月29日、ニューヨーク、ハーレム、アポロ・シアター。いくつかのヒット曲のメドレーで幕が上がったアポロ・シアター・リサイタル。「サム&デイヴ」の「サム・ムーア」や、かって麻薬中毒者であったが、歌のチカラによってすくわれたロジャー牧師が率いる、ゴスペル聖歌隊「ブロンクス・マス・クワイヤー」をゲストに迎え、かなりソウルフルなアレンジを加えた自らのヒット曲を、これまた、これなら本場でも十分通用すると思われるソウルフルな演奏をバックに歌いまくる。

そして、彼女の歌手人生の中で、影響を受けたちょっといい話のエピソードを歌で綴る。「愛の讃歌」の「越路吹雪」からは歌に対する姿勢や心構えについて影響をうけ、「阿久悠」からは「あの鐘を鳴らすのはあなた」の「あなた」の意味について教えられた。そして30周年リサイタルの時の彼女が最も敬愛するゲスト、「レイ・チャールス」と40周年も一緒に歌うと約束したが、その約束を果たせなかった今、アポロのステージで「ジョージア・オン・マイ・マインド」を歌う。バックのスクリーンには30周年のとき、この歌を一緒に歌ったレイと和田の映像が映し出される。

歌手にとっての「幸せ」とは、「賞をもらうことでもなく、ランキングに入ることでもなく、スターと呼ばれることでもない。お客さんが歌を聴きに来てくれる、そのことだ。」と語りかけ、そして、最後の曲は「今あなたにうたいたい」。歌い終わったあと舞台の袖で泣き崩れる和田。そこにはTVでみるイメージとはまったく違う「歌手・和田アキ子」がいた。

1950年生まれの58歳。我々と同世代といっていい彼女。JAZZというカテゴリーとは違うので、私とは接点があまり無かったが、年輪を重ねた本物の歌手がうたうこの歌は心を揺さぶる。
和田とほぼ同時期の歌手デビューであり、おなじく歌手生活40年を重ねる人生の先達、加藤登紀子の作詞・作曲で1988年の作品。「和田アキ子に捧げる歌」の副題がついているのも、何かいわれがありそうで興味を引く。

もう若くも美しくもない場末の酒場歌手。この手で掴みたかったステージの栄光は、もうかなわぬ過去の夢。でも、歌を捨てることはできない。歌うことをやめることはできない。歌うことは生きていることの証だから・・・・・。

「今あなたにうたいたい ~和田アキ子に捧げる歌~」  作詞作曲;加藤登紀子

歌詞はこちら。

この歌は、彼女のいくつかのベスト盤に収録されています。そして、たしか2、3年まえの「NHK紅白歌合戦」のトリでこの歌を感動的に歌った記憶があります。 

 

THE BALLADS バラード全曲集
和田アキ子 / ダブリューイーエー・ジャパン

私的番外編・もしもピアノが聴けたなら

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私事で恐縮ですが、次男が結婚しました。親としては一つ肩の荷が下りたと同時に、社会へお返ししたのだから、色々の面で社会的責任を果たし、人間的にも成長していって欲しいと、月並みな普通の親としての感慨を持ちました。

ところで、新婦は幼少の時からピアノを習い、今は職場のJAZZバンドでピアノを弾いているとの事。「もしもピアノが弾けたなら」シリーズを連載している私としては、これは見逃せません。「ぜひ、いちど聞かせて欲しい」と頼んでおきましたが・・・・・。いや、贅沢な夢が実現しそうかな。

結婚披露宴で、そのバンドのメンバー二人が、演奏してくれた曲が、優しく美しく心に響く演奏でした。その曲は、ギターとバイオリンのデュオで、情熱大陸のテーマ曲「葉加瀬太郎/エトピリカ」。

アルバムは、ヴァイオリンとピアノのデュエットで、代表曲15曲を再録音した葉加瀬太郎アコースティック・ベスト盤。

Sweet Melodies~TARO plays HAKASE

葉加瀬太郎 / ハッツ・アンリミテッド

失われたメッセージ ・・・・

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「商品はメーカーからのメッセージ、ヒット商品は消費者からのメッセージ」である。
今年もまたSMBCコンサルティングから「2008年のヒット商品番付」が発表された。景気減速や原油高などの不安に加え、食の安全の脅威が襲った2008年は、消費者に生活防衛意識が芽生えたことから、「家チカ(家の近く)」や「家ナカ(家の中)」を中心にヒット商品が生まれたという。
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(見えにくいので番付「2008年のヒット商品番付」にリンクしておきます)

横綱不在という結果ではあったが、SMBCコンサルティングでは2008年の傾向によると「価格」「安全」「健康」「交流(つながり)」が消費者の基準となっているという。それにしても、この番付には「団塊世代」を特定した商品はまったく無い。「2007年問題」といって、消費の中心世代、企画のターゲット世代といって、団塊世代をもてはやしたり、大騒ぎした事はいったいどこへ消えてしまったんでしょうね。
広告は商品を利便性を知らしめるための「消費者へのメッセージ」と言ったのは確か「松下幸之助」翁であったか。

「音楽はメッセージ」である。
音楽の発生が、古来の祭祀、儀式などであるという事からして、音楽が神からのあるいは神へのメッセージから発展したであろう事は容易に想像できる。とくに歌詩をともなうものは聖歌、お経、ご詠歌などに見られるように極めてメッセージ性の高いものである。現代の音楽においてもJAZZ、ロック、ラップ、オペラ、フォーク、シャンソン、交響曲・・・・・・・、歌謡曲、いずれの音楽でもいいが、人の記憶に残る、歌い継がれるヒット曲は人の心をうつメッセージ性を持っている。勿論、絵画、彫刻、映画、芝居、舞踏、あらゆる芸術においても同様である。今の時代に、スタンダード、クラシック、古典として定着しているものも、かっては極めてエッジなアヴァンギャルド(前衛)から出発していることはご承知の通り。
「西洋人にとって音楽とは、情緒でなくメッセージ(思想)である。彼らにとって、あくまでも音楽はメッセージであり、気持ちよくさせるような音楽は堕落である。」と作曲家・三枝成彰氏から聞いたと田原総一郎氏は書いている。

通信技術の進歩がもたらした音楽大量消費時代にあっても、人の心に訴えかけるメッセージを内包した歌はきっと人の心と記憶に残っていくにちがいない。もうすぐ今年のヒット曲ランキングやレコード大賞が発表される。

「政治家の言葉はメッセージ」である。
どうにも締まらない。先日国会で行われた党首討論のことである。政治家から発せられる「言葉」は「メッセージ」そのものであるということは国民誰しもわかっている。その「メッセージ」の基となる理念、理想やそれを具体化するための戦略や政策についてディベート(討論)するのが党首討論と思っていた。結果は皆さんが見たとおり、メディアが報じる通りであった。
口下手だからといって長いこと党首討論に応じなかった小沢代表。ここへ来て、失言や言質をとられたくないから確たるメッセージを発しない麻生首相。二人を見ていると「腹芸」「かけひき」「古色蒼然」という言葉が自然と浮かんでくる。この人たちが日本国のトップですか・・・・。
「政局でなく政策」と言ったその政策が、ポピュリズムかそうでないか、政治家であるか政治屋であるかを国民は見抜く目を持っていることを忘れてはならない。

一方、内容や事の賛否は別として、田母神氏は、少なくとも自分の職や人生を賭して、「メッセージ」を確信的に発信したことは間違いない。だから激震が走っているのだ。シビリアン・コントロールと言いながら、彼に言葉で位負け、迫力負けしてはいないだろうか。たぶんテロ、殺人、戦争などが一番過激なメッセージであろう。だから言葉による強いメッセージと討論が大切なのだ。

日本発の「金融危機」ではないし、世界の国のなかでも日本の傷は浅いといわれるのに、経済評論家、財界、メディアをふくめて悲観的なメッセージしか出てこないのも情けない。

注目したのは、「ヒラリー・クリントン」が、国務長官受諾にあたってのスピーチ。故ケネディ大統領の言葉を踏まえながら、「次期政権で国際情勢の脅威に取り組むという『困難ながらわくわくする冒険』に取り組むことを誇りに思う」と語った。淡々とした口調のなかに窺える、アメリカの危機に際して 、政敵の内閣の国務長官に就任するという、その気概と覚悟。そして日本のかなりの人が知っているのではないか思う、オバマ氏の選挙中のキャッチフレーズ、「Change!」「Yes,We can!」。うらやむわけでは無いが、この彼我の違いは何なのだと思わずにはいられない。

「板垣死すとも自由は死なず」などの名言はあるが、歴代首相の名演説など教科書などでみた記憶がない。最近の記憶にあるのは、「私はあなたとは違うんです」、「踏襲(ふしゅう)」。美しくかつ力強い日本語で語られたこの国の将来への思いやビジョン・政策。それを語るリーダーや政治家を我々はもてないのだろうか。

そして今年の流行語大賞は、「アラフォー」と、「グ~!」の二つ。

「言霊(ことだま)」という言葉がある。言霊は、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のことで、「言魂」とも書く。声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。・・・・・・・・・・
また、自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。(この項wikipediaによる)

「言霊」という言葉は、この国ではもう死語になってしまったのか・・・・・・。

オバマ次期大統領はじめ米国の歴代大統領の演説を収録したCDあるいはテキストが発刊されている。英語の教材といってしまえばそれまでだが、日本の政治家、歴代首相のその種のレベルの演説は果たしてあるのであろうか?
かって、ジョン・F・ケネディ大統領の就任演説にメロディとコーラスをつけて、レコード化したものが大ヒットした事があったと記憶している。暗殺後であったと思うが、たしか「Together」?というようなタイトルであったと思う。

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生声CD付き [対訳] オバマ演説集
CNN English Express編 / 朝日出版社

もしもピアノが弾けたなら(16) ~ヨーロッパ・ジャズ・ピアノ・トリオ番外編(2)~

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ヨーロッパJAZZピアノ・アーティストの補足の番外編を続けましょう。

いままで書いてきたように、ヨーロッパのジャズ・ピアニストたちを並べてみると、北欧を中心とする北ヨーロッパとイタリアに出身を持つピアニストが多いことに気がつきます。なにか理由があるのでしょうが、残念ながら私には思い浮かびません。どなたかお考えをお持ちじゃありませんか?
それと、いずれのアーティストの殆どが、ビル・エヴァンスによって確立された、三者対等のインタープレイ(=アドリブ)を前面に打ち出した「ピアノ・トリオ」のスタイルと、メロディやハーモニーを基調とする「音楽世界観」を踏襲する、いわゆる「エヴァンス派」であるということです。

かってよく聴いていたが、その舌を噛みそうな名前が覚えられなくて、長らく忘れていた次に挙げるピアニスト、「エンリコ・ピラヌンツイ・トリオ」もまたイタリア出身の「エヴァンス派」です。ヨーロッパJAZZがこんなにもブームになる前、EJTが結成された1984年にはすでにレコードデビューを果たし、いちはやく、エヴァンス派の筆頭格として注目を集めたイタリアのベテラン、名手である。いまはなきレーベル、アルファ・ジャズが手がけた作品のひとつである「ナイト・ゴーン・バイ」は、1996年リリースの名盤とよばれるアルバムであるが、その希少性により中古市場においてプレミア価格で取り引きされる人気盤となっていたが、待望の復刻再発売が実現したアルバム。エンリコ・ピエラヌンツィ(p)、マーク・ジョンソン(b)、そしてビル・エヴァンス・トリオのドラマー、ポール・モチアンを迎えたトリオによる、「Yesterdays」で幕が開く、美しくもドラマティックな世界。

ナイト・ゴーン・バイ
エンリコ・ピエラヌンツィ・トリオ / / ビデオアーツミュージック
ISBN : B00009AUZJ
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彼のアルバムはいままでに約20作ほどリリースされているが、デビュー当時と同メンバー(ドラムスがジョーイ・バロン)で、デビューの11年後の1997年にNY録音のアルバムが「チャント・オブ・タイム」。ビル・エヴァンスの流れを汲んだ耽美派とも呼ばれる彼の演奏は、流麗、華麗なタッチでメロディを奔放に奏でるが、その曲の持つ本質的な美しさを決して損なうことはない。「Fool On The Hill」、「You Don’t Know What Love Is」にそのことが見て取れる。そしてオリジナルの「Un’alba Dipinta Sui Muri/壁に描かれた夜明け」は、切ないほど美しい。

チャント・オブ・タイム
エンリコ・ピエラヌンツィ・トリオ / / ビデオアーツミュージック
ISBN : B0000C9VP9
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もしもピアノが弾けたなら(15) ~ヨーロッパ・ジャズ・ピアノ・トリオ番外編(1)~

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イタリアでピアノが発明されて、今年で丁度300周年。それにちなんで、イタリアから出発してヨーロッパのJAZZピアニストを中心にこのシリーズを書いてきたが、後数回でそろそろ大詰め。今回は、番外編としていままで漏れていたアーティストを補足してみたい。

まずは前回の「北欧への憧れ編」で漏れたノルウェイのアーティストから「トルド・グスタフセン/Tord Gustavsen」。このトリオによる3作目、2007年にリリースされた『Being There』が素晴らしい。最初の収録曲「At Home」は、私のようなウェットな日本人にはピッタリのはまり曲で、出だしのフレーズを聞いただけで、涙腺が緩みそうな感じである。『このトリオは明確な方向性とサウンドを持っているが、まだまだたくさん探求すべき部分もあるのだ』とグスタフセンは語る。いろいろな可能性を追求している最中という意味で、このアルバム・タイトルを、『Being There』、『現在いう時に存在し、その瞬間の全てを感じ、たっぷり焦点を当てた』という意味を込めたという。はっきりとしたメロディー描写が特長のヨーロッパJAZZのカテゴリーにあてはまり、今後の可能性を期待させる北欧JAZZピアニスト。微妙なタッチ、音と音の間(ま)、深く心に届いてくるピアノ。緩やかだが力強いベース。指の先だけでなく、編み針やペーパータオルの芯のような特殊な道具も使っているという、かすかなかすれ音がピアノを引き立てるドラムのブラッシ・ワーク。そして、北欧の冷たく透き通った空気を感じさせるECMの録音(オスロのRainbow Studio)もすばらしい。

Being There
Tord Gustavsen Trio / / ECM
ISBN : B000NVL4EM
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そして、かの人気の評論家「寺嶋靖国」氏が、年に1枚のペースで、知られざる名演奏を発掘し、紹介していた「Jazz Bar」シリーズの2007年度版で教えてもらったが、「Michel Bisceglia(ミシェル・ビセリア)/Paisellu Miu」。「Jazz Bar 2007」の4曲目に収録されているが、その切なさはもう落涙もので、寺嶋氏も絶賛。欧州系JAZZピアノファンは必聴すべし。

イタリア系ベルギー人ピアニストで、出所のオリジナル・アルバムは「Inner You」である。即、Amazonで発注したが、このアルバムは売り切れのため、「i-Tune Shop」で有料ダウンロードした経験がある。日本に殆どなじみがないアーティストであるが、透徹とした独自のピアノ世界を展開している。「Paisellu Miu(Rocco Granata/Michel Bisceglia)」 の切なさだけを味わいたいなら「Jazz Bar 2007」をおすすめ。

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「Michel Bisceglia(ミシェル・ビセリア)/「Inner You」」

寺島靖国プレゼンツ JAZZ BAR 2007
オムニバス / / インディーズ・メーカー
ISBN : B000WZO446
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「ティティアン・ヨースト/Tizian Jost」。1985年ミュンヘン生まれ。ベテランのドイツ人ドラマー「クラウス・ヴァイス」が推す若手ピアニスト。ベースのThomas Stabenow とともにサポートしているのが同じレーベル澤野工房の「ロバート・ラカトシュ」。まったくおなじ構成なので、そのことがやや気になるが、このベテランが有能な若手JAZZピアニストを育て、売り出そうとしていると素直に解釈したい。

ヨーストもヨーロッパJAZZピアノのカテゴリーにぴったりはまり、そのシンプルさと柔らかな心地よさは決してピアノ・ファンを裏切らないはず。蒼い瞳のジャケットが極めて印象的な最新アルバム「Night Has A Thousand Eyes」。軽やかリズム、洗練されたスウィング。選ばれたスタンダード中心の選曲の多くもどこかで聴いたことがある。

日常生活の中で、忙しさや喧騒やストレスなどで暮れのこの季節、見失ないがちになっている自分を少し取り戻す・・・・。シンプルで柔らかな語り口のこのアルバムは、そんな助けに少しはなってくれそうです。

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Tizian Jost/Night Has A Thousand Eyes



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