
(写真は西宮市消防局HPより)
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生したM7.3の阪神淡路大地震は、淡路島や阪神間、あるいは、東播磨地方などの兵庫県を中心に6000名を超える死者、30万人を越える避難者、全半壊家屋の合計約25万棟(約46万世帯)という大きな被害をもたらした。特に、神戸市市街地は壊滅状態に陥り、未曾有の悲劇、混乱が発生。そして、その後の復興には長い時間を要した。
いま西宮から神戸あたりを訪ねると表面上は復興したように見える。しかしそのま新しい建物、新しいきれいな道路、区画整理された空間・避難緑地が、あの時そこが全壊した場所であったということを物語っている。さらに多くの人の心に与えた悲しみ、絶望、孤独などの傷みはいまなお癒えないという。そんな大震災の直後、被災者を励ますために訪れたミュージシャンが何人もいたが、その中に家族をつれて被災地で歌をうたっていた歌手がいた。「河島 英五」。その後も毎年神戸でチャリティ・コンサート「復興の詩」を開いていた。
河島 英五(かわしま えいご、1952年4月23日 – 2001年4月16日)は日本のシンガー・ソング・ライター、俳優。代表曲は「酒と泪と男と女」、「野風増」、「時代おくれ」など。「時代おくれ」は、現在も多くのおやじ世代にカラオケで歌われている。2001年4月16日肝臓疾患のため、死去した。48歳だった。自身のヒット曲「野風増」の歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたいという内容があったが、皮肉にも河島本人は息子と杯を交わすことは叶わなかった。
幸いにも、我が家には大きな被害こそ無かったが、あの地震の揺れ、地鳴り、恐怖はいまなお体に染み付いている。そして、1月17日、14回目のその日をがやってくる。
1月9日、NHK-BS2で「沢田研二」が6時間、80曲を歌いきったコンサート「人間60年 ジュリー祭り」の熱唱ぶりを1時間半のダイジェスト版で放映していた。その熱唱のなかで印象に残った曲が「いくつかの場面」。私は、この歌が河島の作詞作曲とはしらなかった。
沢田研二が熱唱した『いくつかの場面』は、アルバムのタイトルにもなって、1975年12月にポリドール (現ユニバーサルミュージック)からLP盤でリリースされた。その後CD化されたが、これも名曲「時の過ぎゆくままに」を冒頭に据え、話題になったアルバムである。後に河島本人もこの歌を自身のアルバムに収録している。
「いくつかの場面」 作詞作曲;河島英五

震災から14年、被災者たちの身にそれぞれ訪れた「いくつかの場面」はどんなものであったのだろうか? 記憶の風化も伝えられるが、あの震災を忘れることは決して無いだろうし、まして癒えることも無いのかもしれない。
震災の被災者らが暮す兵庫県内の災害復興住宅は、現在もなお292箇所あるが、入居者の高齢化が進む中で、ここで誰にも看取られずに亡くなった一人暮らしの独居死者が、2008年は前年より14人少ない46人であったと新聞は伝える。
いくつかの場面
沢田研二 / ユニバーサルミュージック
自選集
河島英五 / ソニーレコード
