JAZZYな生活

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今年のばば映画は元気印から ~マンマ・ミーア!~

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「メリル・ストリープ」主演、「フィリダ・ロイド」監督の映画「マンマ・ミーア!」を観てきました。
空前の大ヒットを記録した同名ミュージカルを映画化したもの。ギリシャの小島を舞台に、20歳の花嫁ソフィの結婚式前日から当日までの物語が、伝説のポップグループ、ABBAの大ヒットナンバーに乗せてつづられる。舞台版の演出を手掛けたフィリダ・ロイドが監督を、主人公ソフィを「アマンダ・セイフライド」、その母を、これまで通算15回アカデミー賞にノミネートされた経験を持つ名女優「メリル・ストリープ」が演じる。
ABBA(アバ)は、1970年代半ばから80年代初頭にかけて活躍した世界的なヒット曲で知られる、皆さんよくご存知のスウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。ABBAのファンだった世代といえば、いまではもう50~60代だろうか。

エーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、シングルマザーの母ドナ(メリル・ストリープ)に育てられたソフィ(アマンダ・セイフライド)。彼女のひそかな願いは、まだ見ぬ父親とバージンロードを歩くこと。結婚式を控え、父親探しをすることに決めたソフィは、ドナの日記を盗み読みし、父親の可能性のある昔の恋人3人にドナには内緒で招待状を出す。その3人が島に集まってしまったから、さあ大変・・・。

新星、「アマンダ・セイフライド」は歌がうまくてかわいい。それにも増してすごいのが「メリル・ストリープ」。体型は少し太めになったが、とても60歳近いとは思えない「メリル・ストリープ」が歌い踊り、跳んだりはねたり、ものすごいハシャギぶりをみせてくれる。脇を固めるのが2人のばあさん、かってドナと一緒にボーカルのユニットを組んでいた独身主義者で料理評論家のロージー(ジュリー・ウォルターズ)と結婚願望のつよいターニャ(クリスティーン・バランスキー)のみごとな歌と踊り。それと私の予想をまったく覆すエンディング。そのエンディングを見た瞬間、「この映画は、ばば映画だ!」と感じた。会場はほとんどが妙齢の女性客だったのもむべなるかな・・・。

それに比べ、招待されたじいさん3人組の冴えないこと。踊りも印象に残らないし、3人の中では「ピアース・ブロスナン」だけが、ソロで歌うのであるが、はっきりいって愛嬌はあるが、下手。キャラの立ちかたも、おばさん3人の前でかすんで見える。パワフルで欲望に忠実な「元気印・ばば3人組」が、ノリノリの痛快無比のミュージカル映画。
「ああ、面白かった!」。

「メリル・ストリープ」は、インタビューのなかで「40本を超える過去の出演作品の中で、最も楽しかった作品。あまりにも楽し過ぎて、共演者たちと、「出演料をもらうのが申し訳ないわね」なんて言っていたくらいよ。・・・あえて元気の秘訣を言うとすれば、何に対しても興味や関心を持ち続けることかしら。こうあるべきとか決めつけないことね。年を取れば取るほど、必要のないことを取り除いていくことができるものなのよ。」と語っている。59歳になっても、若い女優に負けることなく、パワフルに歌って踊る彼女を観れば、どんなに疲れている日も、落ち込んだ日も、そのポジティブなエネルギーで、きっと元気になれるはず。妻も「たくさん元気をもらったわ」と言って喜んでいた。

今年も、「ばば映画」恐るべし!!

「メリル・ストリープ」;1949年6月22日生まれ、アメリカ/ニュージャージー州出身。
映画デビューは、77年の「ジュリア」。翌年の「ディア・ハンター」でニューヨーク評論家協会助演女優賞を受賞。79年、「クレイマー、クレイマー」でアカデミー助演女優賞を受賞。以降、82年、「ソフィーの選択」で主演女優賞を獲得。現在までノミネートされること15回、のち助演賞1回、主演賞1回を受賞。正にアメリカを代表する大女優である。「マディソン郡の橋」、「プラダを着た悪魔」、最新作「ダウト」など出演作品は枚挙にいとまがない。

この映画を彩る「ダンシング・クイーン」をはじめ、数々のABBAの名曲・・・。
クライマックスで「メリル・ストリープ」が歌う「ザ・ウィナー」が胸を打ち、エンディング・ロールに流れる「アマンダ・セイフライド」の「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック 」に映画の余韻を噛みしめる・・・。

アバ・ゴールド

アバ / UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)


マンマ・ミーア!-ザ・ムーヴィー・サウンドトラック

サントラ / ユニバーサル インターナショナル

青春のシネマ・グラフィティ(1) ~シェルブールの雨傘/カトリーヌ・ドヌーヴ~

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なつかしい映画を劇場で観ました。1964年のフランス映画、ジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』(Les Parapluies de Cherbourg)。見終わって、45年前と同じ胸キュンの感動に胸が熱くなっていました。そこで、「我が青春のシネマ・グラフィティ」のいまだ夢覚めぬ兄弟編として、「シネマな生活」のカテゴリーにときどきあの頃、スクリーンの女優に胸とときめかせた「青春のシネマ・グラフィティ」を織り込んでいきたいと思っています。実のところは、独立したカテゴリーとするだけの鑑賞力も記憶力がともなわないのが本音なんですが・・・。

さて、「シェルブールの雨傘」は、カンヌ国際映画祭で「パルム・ドール」を受賞したミュージカル映画。そして、この映画の公開45周年を記念し、日本で世界初の「デジタル・リマスター版」が特別上映されたのだ。色彩も音楽もかなり良質なものにリマスター(修復)されている。映画冒頭の色とりどりのパラソルが開く、あの有名な俯瞰シーンの鮮やかなショットの驚きも、45年前映画館で見た記憶と同時に甦ってきました。平日とあって、お客さんは同世代のシニアが殆ど。多分私と同じ想いが溢れたのでしょうか目頭を押さえていた姿が目につきました。

「シェルブールの雨傘(1964年)」は、他のミュージカル映画と違って、すべての台詞にメロディがつけられ、「語り」が一切無い完全なミュージカルである。最初に見たミュージカル映画は「ウエストサイド物語(1961年)」。歌でせりふを言うことに違和感、抵抗感は、この「ウエストサイド物語」により、まったく払拭されてしまった。そして、1965年には「サウンド・オブ・ミュージック」、「メリー・ポピンズ」、「マイ・フェア・レディ」とハリウッドのミュージカル大作映画が続々と公開され、ミュージカル映画が最大の黄金期を迎えた時期でもあった。

イギリス海峡に面したフランス北西部の港町シェルブールで互いに愛し合っていた傘屋の娘ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)と自動車修理工のギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)のもとに、ギイへの徴集礼状が届く。出兵前夜に結ばれ、ギイとの愛の結晶も宿したジュヌヴィエーヴだが、ギイの不在は彼女にとって堪え難いものだった戦争に引き裂かれた男女を描く悲恋物語。
雪のクリスマス・イブ。ジュヌヴィエーヴがギイにラストシーンで問いかける「泣かせのキメぜりふ」は、「あなた幸せ?」。エンディングのその瞬間、涙が溢れてきた。

「シェルブールの雨傘(1964年)」。なんと言っても「カトリーヌ・ドヌーヴ」でしょう。スクリーン上の女優たちに恋愛にも似た感情で幾度となく憧れた、彼女はまさしくそんな女優達の一人であった。形の良い上向きの鼻で、ちょっとつんとした美貌、華奢で楚々とした可憐なスタイル。肉食系の強くてきつい白人女性を感じさせない点が男性にアピールしたのであろう、『シェルブールの雨傘』のヒットで一躍スターの座をつかんだ。

以後、数々の名作映画に出演し、「演技派」そして「フランス映画界の女王」としての揺るぎない地位を築いた。1943年生まれ。プライベートではイギリスの写真家デビッド・ベイリーと1965年に結婚後、1972年に離婚。映画監督の「ロジェ・ヴァディム」との間に息子クリスチャン・ヴァディムが、俳優の「マルチェロ・マストロヤンニ」との間に娘キアラ・マストロヤンニの二人の子がいるが、ヴァディム、マストロヤンニと正式な婚姻関係になることは、いずれもかなわなかった。しかし、マストロヤンニとは晩年まで交流があり、1996年のマストロヤンニの臨終の時にもキアラと共に立会ったという。

マゾヒスティックな妄想に取り付かれた、上流婦人の表裏二面的生活を描いた「昼顔 Belle de jour (1967)」での危ないまでの美しさ。自我に目覚め、若い画家と恋に落ち、パトロンから自立していく若い女性をりりしく描いた「哀しみのトリスターナ Tristana(1970年)」。独立運動の拡大しつつあった旧フランス領インドシナで、ゴム園を経営するフランス人女性を描き、アカデミー外国映画賞を受賞した「インドシナ Indochine(1992年)」。
ドヌーヴは脇で重要な役を存在感ある演技で示した「ラース・フォン・トリアー」監督、「ビョーク」主演で話題となった、ミュージカル仕立てのデンマーク映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer In The Dark (2000年)」 。運命の糸に操られ殺人の罪で絞首台へと追いやられていく女性を描いたこの作品は、この年のカンヌ国際映画祭では最高賞であるパルム・ドールを受賞し、音楽も担当し たビョークは映画初出演にして主演女優賞を獲得した。。
そしてつい最近は、「輝ける女たちLe héros de la famille (2006)」。大切な人の死によってそれまで疎遠だった“ファミリー”が南仏のキャバレーに再び集い、新しいスタートを切る人間讃歌。「カトリーヌ・ドヌーヴ」の重厚かつ華やかな演技は、「さすが本物の大女優!」という貫禄で、劇中では見事な歌まで披露する。

わが永遠の憧れ、「カトリーヌ・ドヌーヴ」・・・。

そして音楽はといえば、「ミシェル・ルグラン」。主題歌はご存知の「I Will Wait For You」。スティーブ・マックイーン、フェイ・ダナウェイ主演の「華麗なる賭け(The Thomas Crown Affair)1968年」で、アカデミー主題歌賞を受賞した「風のささやき」、1969年の映画「The Happy Ending」に使われた「What are you doing the rest of your life」などが有名であるが、これらの歌は、ミシェル・ルグラン作曲、アランとマリリン・バーグ夫妻作詞のコンビによる曲である。
ミシェル・ルグランの名曲、それこそ何人ものアーティストにカバーされているが、まずは、リリースするアルバムが、いつも一幕の芝居のような感じを抱かせる「ホリー・コール」のアルバムから選んでみよう。

シャレード

ホリー・コール / 東芝EMI


オランダが生んだジプシー・ジャズ・ギターの実力者でジ、「ジャンゴ・ラインハルト」を継ぐと称されている「ローゼンバーグ・トリオ」のリーダー、「ストーシェロ(ストーケロ)・ローゼンバーグ」のソロアルバムから。何しろギター・テクが抜群に凄く、テンポの早いジャズ・ナンバーも鮮やかに、軽々と弾きこなす。「I Will Wait For You/シェルブールの雨傘」も、パッショネートにロマンチックに演奏される。

Ready’n Able
Stochelo Rosenberg / Iris Music
スコア選択:

同時にカトリーヌ・ドヌーヴ主演「ロシュフォールの恋人たち」(デジタル・リマスター版)も公開されている。

今年のじじい映画は「エレジー」が売りだ ・・・

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去年、最近のじじい映画はつまらないと書いたが、今年は年始めから当たり年。共通するキーワードは、ずばり「男はエレジー(哀歌)」。

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まず、「ベンジャミン・バトン~数奇な人生~」(原題: THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON)。
F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説を「セブン」の「デヴィッド・フィンチャー」監督が映画化した感動巨編。今年のアカデミー賞で最も話題となった作品。主演はご存知ブラッド・ピット。共演は「バベル」でもブラッドと夫婦役をした「ケイト・ブランシェット」。第一次世界大戦時から21世紀に至るまでのニューオリンズを舞台に、80代で生まれ、徐々に若返っていく男の数奇な運命が描かれる167分の長編大河ドラマ。

2005年8月末、あのハリケーン「カトリーナ」がすぐそこに迫り来るニューオリンズのとある病院。そこに入院している老婦人が娘に向かって、かって愛した男の回想を始めるところからこの映画は始まる。
愛した男の名は「ベンジャミン・バトン」。裕福な白人家庭の第一子として期待を一身に担って生まれたが、あろうことか、80歳の顔と体を持って生まれてしまった。その醜怪さのあまり、父親は老人施設の前に生まれたての子供を捨ててしまう。その施設の黒人の介護師の女性に拾われ、我が子として育てられる。
幼児の心と肉体を持つ老人。彼は周りの老人たちから、生きるつらさや楽しさ、死などを学び、やがて18歳のころ自立すべく放浪の旅に出る。やがて故郷に帰った彼は、美しい女性に成長した初恋の幼馴染デイジーと再会。若返ったベンジャミン。一瞬の時の交差が二人を恋に陥らせた。

観る前は荒唐無稽なシチュエーションと思ったが、映画が始まると違和感無くストーリーが展開していく。3時間近い長編であるが、飽きなかった。80代の男性として誕生し、そこから徐々に若返っていく運命のもとに生まれた男、ベンジャミン・バトンを演ずる「ビット」。運命の人に巡り会ったが、自分だけが老いてゆく不安にさいなまれるデイジーを演ずる「ケイトショー」。時間の流れを止められず、誰とも違う数奇な人生を歩まなくてはならない男と彼を愛してしまった女の悲しみが伝わってくる抑制された演技であった。不自然さを逆手に取ったストーリーではあるが、その不自然さから生ずる様々な波乱万丈に心からドキドキしてしまう。

切ないのは、逆回りする時計を作ってしまったという子供の戦死を嘆き悲しむ時計職人。いくら時計が逆回転したところで、その職人は息子を取り戻すことができるわけではないし、誰も過去をやり直せない。映画の冒頭に収められたこのエピソードが、この映画のテーマを暗喩するかのようだ。誰もが後戻りできない現実を生きている普通の人生の哀しみ。その哀しみと後戻りしながら生きざるを得ない男の哀しみの対比。しかし、結局のところ、お互いにその現実を受け入れて前向きに進むしかないのだ。

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2作目は、ノルウェイ映画、ベント・ハーメル監督「ホルテンさんのはじめての冒険」(原題: O’ HORTEN)。
ノルウェーの首都オスロと第2の都市ベルゲンを結ぶ鉄道「ベルゲン急行」の運転士オッド・ホルテンさん。勤続40年のまじめな運転士ホルテンさんが、定年退職日に人生初の遅刻をしたことから巻き起こる騒動を描くハートウォーミング・ストーリーである。このホルテンさん、謹厳実直を絵に描いたような男。独身で未婚。趣味といえば、パイプ・タバコに夕食に飲む一杯のビール、小鳥の世話ぐらい。同僚たちの祝いの席に招かれた彼は、人生最後の運転をするはずだった翌朝、運転士人生で初の遅刻をしてしまったため、判で押したような毎日の生活パターンに狂いが生じ、風変わりな人々や予測不可能な出来事に遭遇する。
久しぶりに、老人施設に入っている母親を見舞い、母親が女性スキー・ジャンパーの草分けで、女性であるがゆえに数々の制約があったため、彼女が果たせなかった夢や憧れに気がつく。そんないろいろの人や騒動に出会いながら、大げさではないが、あたらしい体験や決断を日常の中で積み重ねていく・・・。

ホルテン役の俳優「ボード・オーヴェ」が実にいい。エレジーを感じるのだ。そして、彼の周りに登場してくる外交官を自称する男、大事な役どころで、この男の真実は終盤で明らかになるのだが、この男にもなんともいえない「エレジー」を感じてしまう。
そして、勇気と自信と希望を胸に、あたらしい人生の第一歩を踏み出そうと、ホルテンさんはベルゲンの駅に降り立った。さりげないエンディング。あたらしい人生に一歩踏み出していく勇気を与えてくれる佳作のじじい映画。

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3作目はタイトルもずばり、「エレジー」(原題: ELEGY)。私が大のファンでもあるイチオシの女優「ペネロペ・クルス」が出演しているというので見た作品。
「現代アメリカ文学の巨匠、フィリップ・ロスの短編小説「ダイング・アニマル」を映画化した大人の愛の物語。セックスから関係をスタートさせた男女が、真の愛に目覚めるまでをしっとりと描く」というキャッチであるが、教え子である「ペネロペ・クルス」が、30歳も歳の離れている、雑誌「LEON」から抜け出してきたような大学教授の「ちょいワルじじい」に惚れてしまうが、女が真剣になるにつれ、男が引いてしまうというよくある不倫劇がテーマ。やがて女性に起こる重大事・・・。ダメ男のエゴや言い訳はいつも悲しいエレジー、そんな映画でした。この若い女性の観客が多いと聞くが、一度主人公への彼女たち評価を聞いてみたいものです。我が奥さんの評価は聞かずもがな・・・。

身勝手な初老の大学教授役には「ベン・キングズレー」。美ぼうのヒロインを体当たりで演じているのは、今年のアカデミー賞にもノミネートされたスペインを代表する若手女優、「ペネロペ・クルス」。ペネロペの美貌、ヌードで見せる熟れた肉体、気品と匂い立つ艶やかさ、その存在感。どれをとっても抜群に良かったなあ。1,000円(夫婦50割引)払うだけの価値は十分ありますね。
えっ!本題の「男のエレジー」はどこへいったって?「ペネロペ・クルス」の肉体がすばらしいので、他は全て忘れました。私はといえば、少し横目で奥さんの反応を見ながらの映画鑑賞。これは「エレジー」というより、もはや・・・・。じじい一人で観るべき映画。

エレジー(哀歌)をテーマにしたソロ・ピアノ集。「Brad Mehldau/ブラッド・メルドー;Elegiac Cycle/エレゲイア・サイクル」。「エレジー(哀歌)を繰り返しながらつながっていく音楽の周期」とでもいう意味であろうか。1999年2月1・2日ロス・マッドハンター・スタジオでスタンウェイを使っての録音。ブラッド・メルドー初のソロ・ピアノ・アルバム。全ての曲をメルドー自身が作曲し、プロデューサーもメルドー自身。名前は聴いていたが、演奏を聴くのははじめて。もともと、エヴァンス派らしく、翳のある美しさ、叙情性には定評のあるピアニストらしい。まさしくエレジーにぴったりのアルバム。平穏の中に見え隠れする狂おしさ、高ぶる情感のと静謐さのバランス。少し危ない蠱惑(こわく)的魅力に満ちたピアノ・ソロ・アルバムである。
「ビル・エヴァンス」の輪につながる若きピアニストの発見・・・。  

エレゲイア・サイクル

ブラッド・メルドー / ダブリューイーエー・ジャパン

注1)elegy [名](複 -gies)
    哀歌, 悲歌, 挽歌(ばんか);エレジー;挽歌[哀歌]調の詩
注2)elegiac [形]
    1 《古典韻》挽歌(ばんか)形式の, 哀歌体の.
    2 哀調的
    発音記号は[エレジャイアック]となっている

60歳過ぎたら聴きたい歌(31) ~永遠の嘘をついてくれ~

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特にその歌手が好きだと言うわけでもないのに、突然、その歌手のある歌に釘付けになってしまうことがある。その歌手とは「吉田拓郎」、ある歌とは「永遠の嘘をついてくれ」。

2006年9月23日。かれは、31年ぶりに「つま恋」でかぐや姫とのコンサート「つま恋2006」を開催し、団塊の世代を中心に3万5千人の観客を集めたと話題になった。そのコンサートの模様をNHK-BS2が総集編として放送し、団塊の世代の行動に関心のあった私は、たまたまその放送を見ていたのだ。もちろん、彼のヒット曲「結婚しようよ」、「旅の宿」、「襟裳岬」などは知っていたが、実のところ、吉田拓郎を聴いてみようと思うことは過去に一度もなかった。しかし、TVの中のこの歌にだけは釘付けになってしまったのだ。「中島みゆき」の作詞・作曲により、拓郎に提供された曲だと知った。そして、歌の途中から突然「中島みゆき」が登場し、歌いだすにいたって、この歌が出来た背景、いきさつに強く興味を持ってしまった。

その後NETで調べてみると、真偽のほどは定かでないが、色々なことが分かってきた。かって吉田拓郎と高校時代から拓郎の「追っかけ」をしていた中島みゆきは恋人関係であったらしい。誇り高き吉田拓郎が、あのような歌は自分には作れないと、唯一認めたのが、歌手「中島みゆき」であり、あの歌「ファイト」だったという。その後、自身のソング・ライティングが不調に陥った1995年、自分の遺書になるような曲をつくって欲しいという拓郎の直接の頼みに応じて、みゆきは作曲を約束したと言う。レコーディングのため、バハマに発つ前日に、やっとデモ・テープが拓郎に届けられた。このテープの到着が遅れたために、拓郎は出発前に一睡もできなかったという。そのデモ・テープに入っていた歌は、拓郎とのかっての別れに際しての、みゆきの泣き叫ばんばかりの思いを込めた曲「永遠の嘘をついてくれ」だった・・・。

こんな、この歌が出来たいきさつをあるブログで読んだ。

こうして出来た拓郎のアルバムは、「Long time no see(1995年)」。拓郎が詞・曲の両方とも他人に依頼したのは、後にも先にもこの曲のみである。1年後にみゆきもこの歌をセルフ・カバーをしてアルバム「パラダイス・カフェ(1996年)」に収録している。しかし、それぞれの歌をCDで聴いてみても、あのステージで一瞬垣間見えた二人のストーリーは見えない。

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観客総立ちの中、この曲だけをデュエットでうたって、にこやかにつま恋のステージから去っていった「中島みゆき」。この歌にまつわるエピソードを知ってからは、何故あのステージにあがったのだろうか? あの笑顔にはどんな情念が隠されていたんだろうかと思い、CDからでは聴くことができない濃密な情感をあのステージに感じてしまうのは穿ちすぎであろうか。
この「吉田拓郎&中島みゆき:永遠の嘘をついてくれ (つま恋2006)」はYOU TUBE で見ることが出来る。(クリックしてください)

「永遠の嘘をついてくれ」 中島みゆき 作詩・作曲

歌詞はこちら

吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 – )。日本のシンガー・ソングライターの草分け的存在である。マイナーな存在だったフォークを一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など、さまざまな新しい道を開拓したパイオニアとして日本ポピュラー・ミュージック史における最重要人物の一人であるという。

私の音楽史のページに入ってくることは無かったが、「時代の寵児」というのは、彼のことを言うのだろう。私と同じ年生まれで同じ時代を駆けてきた世代であることは間違いない。日本が勢いを持っていた70年代にはビッグな人間や大組織にタテ突き、“ケンカ野郎”というあだ名とともに当時の若者を熱狂させた。そしてバブルとその後の泥沼も経験し、フォークもすっかり過去の「なつかしの音楽」になり、03年には肺腫瘍の摘出手術をうけ、07年のツアーも途中で倒れ、その後の公演を延期した。60歳を越えた今は「悟り」にも似た境地に達しているのだろうか、彼は今年を最後に「全国ツアー」から撤退することを発表して、最後のツアーに旅立つと新聞は告げている。

病んで老いてゆく男と、いまだ荒ぶる魂を持つ女。それぞれの旅のこれからは・・・。

「永遠の嘘をついてくれ」。この歌ただ一曲だけが、私のページに刻まれた。

神戸栄町通り界隈をあるく   ~多彩な個性が集うレトロな街~

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(写真;神戸市営地下鉄海岸線のみなと元町駅。明治41年(1908年)竣工の旧第一銀行神戸支店(辰野金吾設計)の外壁を利用。Wikipedia より。)

日増しに暖かくなるにつれ、コートを脱ぎ、スニーカーでの街歩きが楽しくなる季節になりました。今回の「おやじの遠足・街歩き」は、最近ちょっと気になっていた街、個性的なオーナーショップが多く集まっていることで評判の神戸・栄町通り界隈の散策。少し小雨模様でしたが、しっかり楽しんできました。

栄町通は元町の南側、旧居留地の西側に隣接するエリアで、元町商店街に平行する形で位置しています。明治時代、神戸港ともほど近いため、このエリアは、銀行や証券会社などが立ち並ぶなどして、神戸随一の金融街として、とても栄えていたそうです。「東洋のウォール街」とまで呼ばれていたとか。戦後、三宮に中心が移ってしまったが、近年まで銀行や保険会社等の重厚な近代建築が並んでいたという。しかし、1995年の阪神淡路大震災の発生でその大半が被災し、解体されてしまった。跡地は、マンションやパーキングとなって沿道の風景が一変して現在に至っているが、古い建物の一部は残され、写真のように当時の名残を伝えています。

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栄町通りの一筋南の「乙仲(おつなか)通」。ここには、神戸港がにぎわっていた時代に海運業者などが入居していた重厚でレトロなビルがまだ多く点在しています。また再開発の波が及ばなかったので、路地裏なども当時のままです。そしてここ数年、そのレトロなビルを再利用した個性的なショップやカフェが続々と登場し、新たな文化発信エリアとして、注目されている地域。レトロでまったりした街全体の雰囲気をうまく利用した、雑貨店、ブティック、など個性的なオーナーショップが集まっています。一歩ビルへ入ると、一階は輸入雑貨店、2階はカフェ・ダイニング、チェコの絵本屋、隣りは古道具屋など、「次は何のお店かな?」と探訪したくなるような、「びっくり箱」、「おもちゃ箱」みたいな楽しさ一杯の個性溢れる街だった。ウィーク・デイながら結構若いカップルや女性客が多く、トアロードの西側エリアと並んで、新しい賑わいを創りだしているように感じた。とはいえ、我々シニアでも決して場違いな街ではありませんよ、念のため。そして、オーナーは、多分若い人たち。その元気や感性、個性、起業精神にすっかり共感、うれしくなってしまった。

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そんなとあるビルの地階で見つけたオシャレな音楽セレクト・ショップ「disques dessinee(ディスク・デシネ)」。普通のレコード・ショップとは違って、アナログ・レコードやCDを白木の棚にならべギャラリーのようなお店。JAZZやロックなどジャンルを問わず、メロディ重視の視点から、スタッフがセレクトしたアルバムが並ぶ。そういえば、アナログレコード全盛の時代はジャケットを飾ることも楽しみの一つだったっけ。お客さんと対話し、お客さんの好みを聞いてお薦めしてくれるというお店の対応も感じがよかった。ヨーロッパ・ピアノ・ジャズに入れ込んでいる私へのお店の女性のおすすめで買ったアルバムは、以前『ティレグィナン』を、このブログでも紹介したスエーデンの女流ピアニスト、「モニカ・ドミニク」の極上のワンホーン・カルテット・アルバム「Bird Woman」。自由に空を飛ぶ鳥のようにゆったりと緩やかに、時には伸びやかにスインギーに演奏する「モニカおばさん」。何と言っても興味深いのは、前述のトリオ作品「Tillagnan(ティレグイナン)」の冒頭でも演奏している「Dedication (Tillagnan)」が、このアルバムでは、ソプラノ・サックスを加えてより切なく淡く優しく奏でられる。

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Monica Dominique Quintet – Bird woman

モニカ・ドミニクのアルバム「ティレグィナン」が、このお店からリリースされていることを、帰宅してジャケットをみて初めて知ったのだが、この「ディスク・デシネ」といい、「澤野工房」といい、良質の音楽を提供しようと関西から、頑張って発信していることに心からエールを送りたい。

寺嶋靖国著「JAZZピアノ・トリオ名盤500」(だいわ文庫)、と「播磨屋本店」のせんべい「はりま焼き」を耳だけでなく、眼と口へのお土産に買い、帰宅。時折小雨まじりの日であったが、大満足の「おやじの街歩き」であった。

快人二面相  ~You Only Live Twice~

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オヤジの心をくすぐる本格女性JAZZボーカル「テッサ・ソーター」の歌う「You Only Live Twice」を聴いて、その美貌と情感のこもった歌唱力で歌われるこの歌がすっかり好きになってしまった。ご存知、1967年公開のジェームズ・ボンド・シリーズ「007は二度死ぬ」の主題歌である。日本各地で撮影され、ボンド・カーとしてトヨタ2000GTや、若林映子、丹波哲郎、浜美枝などが出演した作品。

「♪  You only live twice or so it seems,
      One life for yourself and one for your dreams.
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        Make one dream come true, you only live twice. ♪」 
                          (作詞;Leslie Bricusse 作曲;John Barry)

今までJAZZとして聴いたことは無かったが、出だしの2行の歌詞に「あっ、いいなあ」と思ってしまった。成熟した女をうかがわせる美貌、彼女が歌うスタンダード、そしてポップの名曲。若さを生かしながら、華やかに歌うヴィーナスレコードのデビュー・アルバム「キー・ラーゴの夜」。ベイルート、NY、モスクワ、ロンドンなど世界各地のJAZZクラブで活動をする中で、フラメンコや中近東音楽がもつ情熱やソウルに影響を受け、バラードを最も得意とするようであるが、自然体で優しく素直でありながら、濃蜜な情感のこもった歌唱が、粋で心地よい。たぶん、今後大きく成長し、ヴィーナスの女性ボーカルの看板になるかもしれませんね。ちなみに、この歌は映画では「ナンシー・シナトラ」が歌っていましたね

キー・ラーゴの夜

テッサ・ソーター / ヴィーナスレコード


(この曲を歌っていたのは「テッサ・ソーター」。「ニコレッタ・セーケ」と勘違いしていました。ここに訂正いたします。)

この歌から発想した、爵士的解釈による「Live Twice」のトリビア的訳語集・・・・。

【変身!!】
古くは、バットマン、スパイダーマン、狼男、ウルトラマン、仮面ライダーなどへの「超人変身」願望。最近では、復活した必殺仕事人シリーズ、「藤田まこと」扮する「中村主水」 。はたまた、「特命係長・只野仁」あたりが、サラリーマンの変身願望か。さあ諸君!この世で果たせぬ恨みをどう晴らしましょうか ・・・。やはり選挙ですかね。

【二足のわらじ】
かっては、サラリーマンの「タブー、禁忌」のひとつであったが、今のご時勢、不景気、ワーキングシェアとやらで会社が兼業やアルバイト奨励をしている。そういえば、あまたのクリエーター、たとえば、小椋 佳、俵万智、楡周平 などはサラリーマンの傍ら感性を研ぎ、創作活動をしてたんですね。    
私の周りにも、ごく普通のサラリーマンですが、プライベートの別の世界では、知る人ぞ知る趣味人、玄人はだしの名人、達人たちが、何人もいました。家具作り、リモコン・ヨットの世界選手権出場、連珠の世界チャンピオン、絵、陶芸、写真の達人、ゴルフのシングルプレイヤー。イタリアまで歌いに行った声楽ファン。変わったところでは竹とんぼづくり、フライ作りの名人。彼らは「定年退職、待ってました」とばかり、ニコニコして再スタートをさっと切っていきましたね。定年後の人生を有意義に生きてゆく秘訣やヒントを教えられているような気がしますね。彼らを「面相」と名づけてもいいかもしれませんね。神童さんもその一人でしょう。

【ONとOFF】
前項とも関連しますが、サラリーマンは現役の時代に、「ONとOFF」をどう使い分けるか? これがあとあとのためにも結構大事なようです。ソニーの元会長「出井 伸之」氏のエッセイ「ONとOFF」を読むと、氏はその使い分けの達人であったことがよくわかります。「ONとOFF」の意味については、「あとがきにかえて」で出井氏自身がこう語っている。
「『裏番組』や趣味を持つ人は、ビジネス以外の話も面白く、幅広い視点をもっていますから、会社でも人が寄ってきますし発想力も豊かです。『OFF』での蓄積が、いつの間にか会社の仕事(『ON』の世界)にも環流して、『よい循環』が生み出されてゆく。」 と。
「ONとOFF」をスマートに使いこなし、颯爽とグローバル・ビジネスを推進していった当時の著者の姿は、ビジネスマンとして一種の憧れでもあった。

ONとOFF (新潮文庫)

出井 伸之 / 新潮社


【二重人格】
政治家、役者、タレントなど芸能人など厳しい競争社会のなかで、のし上がっていくためには、この種の人格を身に着けなくては決して一流にはなれないという。勿論「素(す)」と「役」を見事に使い分けるためにも。

【化けの皮がはがれる】
今まで上手に使い分けしてきた二つ以上の人格で、世間体の良いほうの一つが破綻すること。普通の人は皮2枚が精一杯であるが、何枚もの皮を被ることができる「魑魅魍魎」、「てだれ」の類が永田町、霞ヶ関界隈には住まうという。

【正体をなくす】
「正体を現す」と同義語である。外国人に、この日本語の意味を教える場合、もっともわかり易いテキストは、某・前財務金融相の記者会見VTRを見せることであろう。現役時代、あまた酒は飲んできたが、このような醜態だけはごめん蒙りたいものだった。ボンジョーレの国イタリアにとどまらず、欧州の昼食には酒がつきもの。とはいえ、昼食に酒をのんでも、午後は、きちっと仕事をこなすのがヨーロッパ・ビジネス社会では当たり前の流儀。多くの取り巻きをつれてチャーター機で出張し、五つ星ホテルのスイート・ルームに泊まっているんでしょう。単身、社益を背負って出張し、欧米流のタフネゴと渉りあうビジネスマンの気概を、少しは見習ったらどうですかねえ。

さて、こんな面白い映画がありましたね。「ニコラス・ケイジ」、「ジョン・トラボルタ」主演、「レッド・クリフ」の「ジョン・ウー」監督による「フェイス/オフ 」。
FBI捜査官のショーン・アーチャーは、逮捕した凶悪テロリスト、キャスター・トロイの顔を移植。組織壊滅をねらって、おとり捜査にのりだすが、今度はトロイが彼の顔を移植して逃走。お互いの顔を入れ替えた2人は、再び対決する。 さあ、どうなる・・・。やや荒唐無稽であるが、ジョン・ウー映画おなじみの白いハトが舞い、ダンスのような華麗な二丁拳銃の銃撃戦、ド派手なアクションの連続の本当に面白い第一級のエンターテイメント。

フェイス/オフ [DVD]


 

60歳過ぎたら聴きたい歌(30) ~Blame It On My Youth~

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今回の「60歳過ぎたら聴きたい歌」は、連載してきた「わが青春のジャズ・グラフィティ」の番外編として。

ぼけかかった記憶を頼りに、40年近く昔のことをあれこれ思い出しながら、「わが青春のジャズ・グラフィティ」を書いていますが、人を傷つけたり、人に傷つけられたり、そんな苦い思い出もいくつかよみがえってきました。今になって顧みれば、まだ青いガキで、思慮の浅かった青春、ただ前だけを向いて、立ち止まって回りを見渡す余裕も無かった青春、自分の感情や想いだけを先にたてて行動していた青春、傷つけたことがわかっているのに素直に謝ることができなかった青春、傷つけられて負け犬のように悄然とうなだれるだけだった青春・・・・・。

そしていまから悔やんでも仕方が無いことですが、すべては「Blame It On My Youth」、「若さゆえ」、或いは「若気の至り」とでも訳しましょうか。この歌が、わが青春の「言い訳」あるいは「懺悔」として、聴きたい歌でもある。
えっ、懺悔の値打ちも無いって、それは困ったな、どうしましょうか・・・。

「Blame It On My Youth (若さゆえ)」 作曲;O.Levant  作詞;E.Heyman

「♪ If I expected love when first we kissed,
   Blame it on my youth.
   If only just for you I did exist,
   Blame it on my youth.
   I believed in everything,
   Like a child of three.
   You meant more than anything,
   All the world to me.

   はじめてのキスで恋を期待したとしても
     それはまだ恋に慣れていなかった僕の若さのせい
   君のためだけに僕が存在しているなんてうぬぼれたとしも、
     未熟だった僕の若さのせい
   まるで三歳のこどものように、なんでもすぐに信じてしまったあのころ
   でも僕にとって、君は何よりも意味がある大事なひと、
     僕にとって世界のすべてだった

   If you were on my mind both night and day,
   Blame it on my youth.
   If I forgot to eat and sleep and pray,
   Blame it on my youth.
   And if I cried a little bit when first I learned the truth,
   Don’t blame it on my heart,
   Blame it on my youth.

   夜も昼も君のことが頭から離れなかったとしても
    恋に不慣れだった僕の若さのせい
   食事や寝ること、祈ることさえ忘れるほど、恋に溺れてしまったとしても
    僕の若さのせい
   はじめて本当のことを知って、ちょっぴり涙したとしても
    それは僕の心のせいではないんだ 僕がまだ未熟だからと思ってほしい ♪」

あのロリータ・ヴォイスで、「あのころは若かったの。 ごめんなさいね。」などと囁かれれば、きっと「いいよ、いいよ」と、一も二もなく許してしまうに違いない。スウェーデンの妖精「リサ・エクダール/Lisa Ekdahl」が歌う「Blame it on my youth」は、アルバム「When Did You Leave Heaven」。

When Did You Leave Heaven
Lisa Ekdahl / RCA
ISBN : B000003ETV
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もう少し「酸いも甘い」もかみ分けられる熟女が歌う「Blame It On My Youth」を選ぶとすれば、エレガントでクールな熟女「ホリー・コール」と妖艶熟女「イーデン・アトウッド」あたりか。「若かったのね。あのころはあなたのよさがわからなくて。」 こんなこと言われたら、あっという間に、焼けぼっくいに火が点きそう・・・。

「ホリー・コール/Holly Cole」。彼女のアルバムを聴くといつも、あたかも、彼女が女優として演ずる一幕のステージのように感じてしまう。おしゃれでクールですこしアンニュイで・・・。

ドント・スモーク・イン・ベッド

ホリー・コール / EMIミュージック・ジャパン


「イーデン・アトウッド/Eden Atwood」。小またの切れ上がったいい女、とでも表現したらいいのかな。モデルの仕事もしてたことがあるいうから、かなりの美貌の持ち主。低音部は、少しかすれ声だが高音部は実に伸びやかにスイングする声の持ち主。「This Is Always: Ballad Session」は、スタンダード集。彼女の歌う「Blame It On My Youth」は、ハスキーで、肩の力が抜けた、熟女を感じさせる歌い方。

This Is Always: Ballad Session
Eden Atwood / Groove Note
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囁きボイスではあるが、「LISA」とはあまりにも対照的である晩年の「チェット・ベイカー」の「Blame ・・・」も捨てがたい味。 生涯ドラッグと酒から抜け出すことができなかった筋金入りの「無頼派JAZZメン」。このアルバムを最後にアムステルダムのホテルから謎の転落死を遂げた。 その彼が歌う、「Blame It On My Youth」は、あまりにもはまり役といえばはまり役。しかし、そういわれても、「それはToo Lateでしょう」と返すしかないのだが・・・・。

Chet Baker Sings and Plays from the Film

Chet Baker / Novus

時を超えて  ~アルフォンス・ミュシャに憧れて~

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(写真;《ポスター:サラ・ベルナール》1896年 カラーリトグラフ 堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館HPより)

「おやじの遠足」。今日は車で40分ほど堺まで足を伸ばしました。お目当ては、堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館での企画展示、「ミュシャと世紀末芸術」。「アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)」は、19世紀末から20世紀初頭にかけて花開いたアール・ヌーヴォーの代表的画家。学生時代、ミュシャは、彼とほぼ同年代で、画家、詩人、小説家でイギリス・ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表する「オーブリー・ビアズリー」と並んで、ずいぶんと憧れていた画家の一人でした。最近、ミュシャの美術館がここ堺にあると知ってびっくりし、ぜひ観たいと思っていた美術館です。ここに集められているミュシャの作品は、関西ではよく知られている「カメラのドイ」の創業者である土居君雄氏が、ミュシャの知名度がさほど無かった頃から個人的に気に入り、渡欧する度に買い集めた「ドイ・コレクション」がベースだそうだ。土居氏の他界後、遺族は、コレクションが散逸してしまうのを憂慮して、堺市に寄贈されたようである。その後、ミュシャの活躍した時代から100年後、この美術館が 開館した。

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(写真;《『ジスモンダ』のポスター》1895年 カラーリトグラフ アルフォンス・ミュシャ館HPより)

「アルフォンス・ミュシャ」。ミュシャは、チェコで生まれ、25歳のときミュンヘン美術アカデミー入学、卒業し、28歳のときには、パリにてアカデミー・ジュリアンで美術を学んだ。彼の出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した、ポスター史に残る名作「ジスモンダ」のポスターである。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとした。この成功の後も、ミュシャは生涯を通してたくさんの女性たちを描いた。その表現からは、女性への賛美や思慕、時には畏怖さえも読み取ることができる。彼にとって女性は、人間の内面を見つめるための重要なテーマの一つになっていったという。

やがて、故国であるチェコに帰国して活動を続けたが、1939年3月、ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体され、プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕された。「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。ナチスはミュシャを厳しく尋問し、またそれは79歳の老体には耐えられないものであった。その後ミュシャは釈放されたが、4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。

この美術館には、ポスターや装飾パネルの代表作など約100点の作品が所蔵されており、ミュシャ・コレクションの美術館としても、世界的に有名だそうだ。

館内に入るなり、すっかり魅了されてしまった。しなやかな曲線と美しい色彩、装飾性の高い緻密なモチーフ、瑞々しい女性の肌の光沢、豊かな表情、ジャポニズムの影響を受けたとも言われる大胆な構図。花や宝石などをテーマにした美しい連作・・・。二人で言葉もなく見入ることしばし。妻もすっかりお気に入りの「いもたこなんきん」美術館になってしまったことは間違いなし。心に余韻を残しつつ、再来館を約束してアルフォンス・ミュシャ館をあとにした。

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(写真;与謝野晶子文芸館HPより)

そして、同じ建物の1階下では、与謝野晶子文芸館が常設展「与謝野晶子 生涯と作品」(第3期)を開催中。
「与謝野晶子(1878-1942)」。彼女は、ここ堺出身で、近代文学史を代表する歌人として有名。『みだれ髪』をはじめ生前には23歌集を出版している。また、歌だけでなく「君死にたまふこと勿れ」などの詩や『源氏物語』の現代語訳を手掛け、女性の権利に焦点をあてた評論や文化学院の創設に関わるといった教育活動にも力を注いでいました。また同時に、与謝野鉄幹(寛)の妻であり、11人の子どもを生み育てた母でもあり、たくましい日本の母といった側面もあった。そんな彼女の生涯を自筆の歌幅、色紙、また愛用の品々などとも一緒に展示している。

明治33年(1900年)に行なわれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と親しくなり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。翌年家を出て東京に移り、処女歌集『みだれ髪』を刊行し浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、伝統的歌壇から反発を受けたが、世間の耳目を集めて熱狂的支持を受け、歌壇に多大な影響を及ぼすこととなった。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」というあの有名な歌にちなみ、「やは肌の晶子」と呼ばれた。

館内では晶子を「愛の歌人」と位置づけ、ちょうどバレンタイン・デイにちなんだ色々な企画を行っていたのが新鮮。私は、愛の歌ではなく、まだ冬が立ち去らない、ちょうど今日のような早春の日を詠った歌に魅かれた。

 ゆるやかに 淡雪の矢を放ちくる 春の御空と 思ひけるかな  (晶子 立春)

1900年ごろ、いわゆる「世紀末の時代」とは何だったんだろうとあらためて思う。ヨーロッパでは、産業革命や科学技術の目覚しい進歩の成果としての「パリ万博」が開催された年。そんな急激な社会の変化に対する不安や疑問も内包していた爛熟した社会情勢を反映したかのように、パリ派、印象派、アール・ヌーヴォーなどが一斉に花開いた時代。またジャポニズムなど異文化への関心も高まった時代。日本では雑誌「明星」などが発刊され、晶子が『みだれ髪』を刊行し、女性が主張を始めた時代。前回の「富岡鉄斎(1837-1924)」もこの時代の人でしたね。明治になって欧米の文化が流れこみ、その自由闊達の精神が、一定の醸成の期間をおいて日本の文化の中に湧き出してきて、それがやがて「大正デモクラシー」、「大正ロマン」へとつながっていった時代と見ることもできよう。

そんないくつかの思いを抱きながら、帰りにはすぐ近くの「仁徳天皇陵」をみて家路に。今日の「おやじの遠足」は、ミュシャに憧れた学生時代、或いは世紀末パリへのタイム・トラベルでもあった。 

世紀末から40年ほど経ったパリに彗星のごとく現れた一人のミュージシャンがパリを魅了した。「ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt 1910年~1953年ジプシーの伝統音楽とスウィングジャズを融合させた「ジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)」の創始者。ジプシーとして、幼少の頃からヨーロッパ各地を漂流して過ごし、そこでギターやヴァイオリンの演奏を身につけて育った。18歳のときにキャラバンの火事を消そうとして、左指2本の動きを失う大火傷を負ったが、そのハンディを奇跡的に乗り越え、独自の奏法を確立。後世のミュージシャンに多大な影響を与える多くの傑作を、その短い生涯(享年43歳)の中で幾つも発表した。
この簡単な来歴をみただけでも、彼の数奇な人生と短い生涯に凝縮された音楽性が想像できる。1949年という第二次大戦後さほど日が経っていないローマでの録音、ジャンゴが亡くなる4年前のステファン・グラッペリのヴァイオリンとの貴重なセッション。

ジャンゴロジー~スペシャル・エディション
ジャンゴ・ラインハルト / BMG JAPAN
ISBN : B00008CH8W
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