JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

2005年4月25日の奇跡

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「もう4年経ってしまったのか」というのが素直な感想である。2005年4月25日午前9時18分、死者107人、負傷者562人という未曾有の犠牲者、被害者を出したJR宝塚線(福知山線)の脱線事故は起こった。会社で事故発生の報を知った私は胸騒ぎがして、すぐ家に電話をした。私の三男が通学のため、その線を利用していたからである。電話に出た妻は、息子から電話があり、「事故にあったが殆どかすり傷。念のため救急車で検査のため病院に運ばれている。心配ない。現場はまるで爆撃を受けた戦場のようだった。」という報告があったと告げた。たまたま彼はその日、最後尾の7両目に乗っていたため、膝をすりむく程度の軽傷ですんだのである。帰宅して息子から事故現場の話を聴くにつれ、「偶然」、「運命」、「奇跡」・・・といった言葉が頭の中を駆け巡った。

この沿線には大学が多いため、犠牲者に学生が多くいたのも悲しい特徴であった。我が子を突然事故で奪われた親の哀しみや怒り、体の傷は癒えてもその後のPTSDなどの被害者の苦しみ。私や息子がその情況におかれていたとしても何の不思議もなかったのだ。

国交省の事故調査委員会は3年かけて一応の結論は出したものの、真の原因が特定できたかどうか疑問を抱く遺族や被害者も多いと聴く。これからまだ長い裁判が待っているのだ。
遺族とJR西日本との和解も進展していないようであるが、当時、我が家に訪れたJR西日本本社の部長の横柄ともいえる態度をみると、民営化後、この会社が、何を最も優先させてきたかが透けてみえてくる。

事故後4年経っても現場脇におかれた献花台には、いまも花が絶える事はない。電車が突っ込んだあのマンションは住む人もなく放棄されたまま、まるで墓標のように聳え立っている。事故当時、大学3年生であった息子は、無事卒業し、首都圏の企業へ就職した。

そして、大型連休の始まったちょうど4年後のその日の25日、息子は事故にあったあのJR宝塚線に乗って帰省してきた・・。

黙祷・・・・。

林檎の花

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(写真;実家近くの道祖神と林檎の花)

先週は、母親のケアなどで信州に帰省。例年なれば満開の実家近くの櫻は、今年は例年より早く開花したためか、ヤマザクラを残して殆ど散ってしまっていた。代わりに咲いていたのは「林檎(りんご)の花」。実家の近辺は葡萄と林檎の産地であり、多くののりんご畑がある。そのりんごの木にこの時期いっせいに白い可憐な花が咲く。櫻と違って、あでやかさ、妖しさなどはないが、可憐なその花のピュアな「白」は、鮮烈な印象を与えるのだ。

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りんごの花をみると、我々の世代の多くの高校生が愛唱したに違いない島崎藤村の「初恋」という詩が思い浮かぶ。

 まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/
 前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり
 やさしく白き手をのべて/林檎をわれにあたへしは/
 薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり
    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
                             『若菜集(1897年) 春陽堂』

そして、昭和の名曲の一つにあげられる「リンゴ追分」の一節も ・・・・ 。
 
  「りんごの花びらが/風に散ったよな ・・・・・」 (作詞小沢 不二夫、作曲米山正夫)

リンゴ追分(セリフ入り)/港町十三番地

美空ひばり / コロムビアミュージックエンタテインメント


今年は果実の受粉をしてくれる蜜蜂が全国的に不足していると新聞などで報じられていたが、りんごやぶどうの栽培のことはよく分からないが、実家近辺の農家への影響はないのであろうか。りんごは人手による受粉だったような気がするが・・・。「人こひ初めしはじめなり・・」なんて気楽なことを言っている場合ではないかもしれない。蜜蜂不足の原因としては(1)豪州からの女王バチの輸入停止措置(2)農薬(3)ダニ の三つの影響が指摘されているが、いずれも「原因として断定するまでに至っていない」(農水省生産流通振興課)という。いずれにせよ、地域の生態系で完結していたサークルが破綻してしまったということでなければいいのだが・・・。

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(写真;常念岳に出現した雪形「常念坊」(丸印は筆者) 信濃毎日新聞より)

地元紙を開くと、北アルプス常念岳(2、857メートル)山頂付近の東面に、雪形「常念坊」が姿を現したことを告げる記事が載っていた。雪形は、山肌と残雪が織りなす自然の芸術で、「常念坊」は、黒い袈裟を着た坊さんがとっくりを携えている格好に似ていることからその名が付いたという。その他にも、種を蒔く爺さんが姿を現すことから山の名前の由来となっている「爺ヶ岳」、「代馬(しろうま)」、つまり代掻きをする馬の形に見立てた雪形が出現することから、「代馬(しろうま)」に「白馬」という字があてられた「白馬岳」、明瞭な形が美しく誰にも分かりやすい五龍岳の「武田菱」など北アルプスには、昔からいくつもの雪形が伝わっている。そして、里に春を告げる雪形が出現すると安曇野は本格的な農耕の季節を迎えるのだ。

農事暦としての役割の「雪形」。雪形を見ると、自然の造形の「雪形」を「暦」として、人間の営みも古来から永年にわたって続けられてきたことに感動を覚えてしまう。

47歳の歌姫  ~夢はいつかかなう~

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最近TV番組やメディアなどで話題になっている「47歳の歌姫」の熱唱。今朝の朝日新聞の天声人語でも取り上げられていた。イギリスの人気番組「Britain’s Got Talent」、いわば「素人勝ち抜きオーディション」番組にスコットランドにすむ47歳の「Susan Boyle (スーザン・ボイル)」さんが出場したことから話が始まる。このスーザンさん、無職、独身で過去に恋愛経験もキスすらしたことがないらしく、猫と暮しているという。見た目さえない、野暮ったい田舎のおばさんでステージに出てきたときから、客席や審査員は冷ややかな空気。しかし、歌を歌いだすや、その空気は一変、絶賛の嵐に変わった・・・。と、まあこんな話なんですが、そのビデオが、無料動画サイト「YOU TUBE」に投稿されるや否や、話題を呼び、すでに全世界で5000万回を超えるアクセスがあったという。「人は見かけで判断したらいけない」、「夢はいつかかなう」といった格言を地で行く話しである。久々の「音楽のチカラ」・・。

この番組の、「人は見かけで判断したらいけない」という落差が売りのコンセプトが少々気に障るが、確かにその落差もさることながら、間違いなくスーザンさんの歌は感動ものである。

彼女が歌うミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」の話題の動画は、下記をクリックしてください。

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Susan Boyle (スーザン・ボイル);夢やぶれて

また、2年前には、同じこの番組でプッチーニの歌劇「トウーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌い、同様の反響を呼んだ、当時携帯電話の中年セールスマンであった「ポール・ポッツ」氏は夢をかなえ、見事プロのオペラ歌手になった。同じく彼の動画も見られます。

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Paul Potts(ポール・ポッツ);誰も寝てはならぬ

次元が違いますが、私はカラオケで同じような経験をしたことが何回もあります。歌にはきっと人に自信や希望を植え付ける何かがあるのです・・・。

追記1)ボイルさんは5月24日、Britain’s Got Talentの準決勝でミュージカル「CATS」の「メモリー」を熱唱し、決勝進出枠を勝ち取った。決勝戦は5月30日に行われ、優勝者には10万ポンドとRoyal Variety Showへの出演権が与えられる。

追記2)残念ながらボイルさん決勝では敗れ、惜しくも2位であった。2年前優勝し、オペラ歌手となったポール・ポッツ氏も、そのときの2位であったコニー・タルボット(Connie Talbot)ちゃん(当時6歳、現在8歳)も相次いでCDキャンペーンのため現在来日中である。(6/10)

我が家の櫻

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(写真;杉本好夫作 デジタル版画「大宇陀の櫻」)

ご近所の櫻は殆どが葉櫻となり、満開を誇っているのは「八重桜」です。庭が狭いため、我が家には櫻の木がありません。そんなわけで、ご近所の櫻を毎年楽しんでいるのですが。先日の京都・祇園で開催された杉本さんの個展で購入したデジタル版画「大宇陀の櫻」が家に届きました。早速かけて悦に入っています。鮮やかな空の青と満開の枝垂桜のピンク。細かな桜の花びら一つ一つが丁寧に描かれています。すっかり部屋が明るく華やかになり、「我が家の櫻」となりました。

来年はきっとこの「大宇陀の櫻」に会いに行こう。

ノルウェーはトルド・グスタフセン・トリオ「Beeing There」の「At Home」が泣かせます。『Being There』というアルバム・タイトル、『現在いう時に存在し、その瞬間の全てを感じ、たっぷり焦点を当てた』という意味を込めたとグスタフセンは語る。まさに櫻に捧げるようなコンセプト。微妙なタッチ、音と音の間(ま)、深く心に届いてくるピアノ。緩やかだが力強いベース。指の先だけでなく、編み針やペーパータオルの芯のような特殊な道具も使っているという、かすかなかすれ音がピアノを引き立てるドラムのブラッシ・ワーク。彼らの音楽に切なさ、儚さ、美しさ、孤高、あでやか、妖しさ・・など櫻の持っている色々な面を勝手に感じてしまう秀逸のアルバム。グスタフセンは日本の櫻を見たことがあるのだろうか・・。

Being There
Tord Gustavsen Trio / / ECM
ISBN : B000NVL4EM
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櫻狂い(3) ~かくれ里の櫻・常照皇寺~

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(写真;門前、満開の「紅枝垂れ桜」)

昨日は「花散らし」の無情の雨の一日。多分散ってしまっただろうと覚悟して、今年の櫻狂い、締めの旅は、白州正子の名エッセイ「かくれ里」の中の一節「櫻の寺」に魅かれての旅。我が家からは少し離れているが京北「常照皇寺(じょうしょうこうじ)」までの櫻ドライブである。

少し遠回りをして、京都から旅を始めようと思い、洛西・五条天神川から、双が丘の仁和寺、高雄の神護寺、栂尾の高山寺を経て、見事な北山杉が林立する山並みと清滝川に沿って、周山街道(国道162号)を北上する。途中、川端康成の小説「古都」の碑がある北山杉の資料館で見事な枝垂れ櫻を見ながら休憩し、栗尾峠を越えると景色は一変、のどかな田園風景の周山・京北町となる。どの農家も庭や家屋の手入れが行き届いていて、素晴らしい日本の農村風景が展開する。そして京北町で周山街道から離れ、鞍馬・大原方向へ向かう国道477号を走ると、ほどなくお目当ての「常照皇寺」へ到着する。

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小振りであるが、素晴らしい古刹である。緩やかな坂の途中の総門、苔むす木立を抜け、庫裏をくぐると茅葺屋根の方丈と開山堂、その前のこじんまりとした櫻の庭園が広がる。

「常照皇寺」は京北の桜の名所の一つ。この寺の名物櫻は三つ。国の天然記念物に指定され、元弘3年(1333)光厳(こうごん)天皇がこの山里に入り、手植えしたのが最初と伝えられる「九重桜」。京都御所から株分けされたという「左近の櫻」。そして、一つの枝に八重と一重の桜が混じって咲き、その見事さに訪れた後水尾天皇が思わず車を返したといわれる名木「御車返しの櫻」。この庭園を彩る三本の櫻はいずれも樹齢数百年を数えるという。最も有名なのが「九重桜」であるが、この桜を見るためだけに常照皇寺へ訪れる人も多い。残念なことに「九重桜」は、夜来の雨で、すでに散り、地面には、一面に花びらのじゅうたんが残っていた。来年の楽しみに取っておこう。そして番外は寺の麓の「紅枝垂れ桜」。

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    写真左;庫裏前から庭園を望む     写真右;茅葺の方丈と御車返しの桜

しかし、方丈前の 「御車返しの桜」と開山堂前の「左近の桜」は満開。境内庭園を散策したが、散り桜と石楠花(しゃくなげ)の花、苔の緑とが美しく調和しており、残る二つの櫻が咲き誇る庭園をめでるもよし、また方丈から眺めるもよし、贅沢な時間を過ごすことができた。

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(写真;御所の櫻を移植したと伝えられる左近の桜。幹や根元の容貌に数百年の樹齢を感じる)

また、方丈には大胆な筆致の障壁画、鴨居の上というこれまた大胆な位置に安置された釈迦如来、北側には裏山の崖を取り込んだ、これまた見事な懸崖の庭園を観ることが出来る。禅の修業場ともなっている開山堂には等身大の開祖「光厳(こうごん)法皇像」などが安置され、歴史的な価値を十分に窺わせる古刹である。

常照皇寺は、臨済宗天龍寺派。南北朝時代の北・貞治1年/南・正平17年(1362)に北朝初代、光厳(こうごん)法皇が、南北朝の戦乱、建武の中興、権力争いの中に人生をもてあそばれ、半ば都を追放される形で、この地に草案を結ばれたが、その2年後悲運の内に没した。その後、菩提を弔うために、開山を光厳天皇とし禅刹に改め「常照万寿皇禅寺」とされたのが当寺。上皇の御陵は、寺の後ろに隣接して紅の椿に囲まれてある。戦国期(安土桃山時代)の天正7年(1579)、明智光秀が周山城(現在は石垣が残るのみ)を築くための木材を集めで周辺の社寺を取り壊したことで、当寺は衰退したという。その後も、太閤検地で寺領の没収や戦火で諸堂伽藍を焼失し荒廃。江戸時代に入り、後水尾法皇の尽力、徳川秀忠の外護があり、末寺300寺に回復。だが、昭和の敗戦後に多くの寺田や寺資産を失くしたまま、今日に至っているという。(寺案内による。)

歴史の表舞台には登場しないが、様々な歴史の綾に彩られた「かくれ里」のような寺がまだこの山間にひっそりと残っていた・・。帰りは亀岡~川西へつながる国道477号線を帰路へ。途中に見えるあの黒川・櫻の森のエドヒガンはもうすっかり葉桜になっていた。これから山は新芽の明るい緑と山躑躅の蒼色に染まるのだ。
この春は桜の魅力にとりつかれた「櫻狂い」の四月の二週間。常照皇寺が今年の締めの櫻。

「櫻狂い」の締めにはふさわしい美メロ・ピアニスト「ヤロン・ヘルマン/Yaron Herman」のピアノ・ソロ・アルバム「Variations Piano Solo」をあげよう。「1981年、イスラエル、テル・アビブ生まれ、弱冠28歳。彼のピアノ歴のスタートは極めて遅く、16歳の時。2年後には地元での名声を確実なものとしていた。ボストンの音楽大学に入学するも2ヶ月で中退。母国へ帰る途中に立ち寄り、セッション活動をしていたパリを拠点にすることになる。」という程度の経歴データしかない。 しかし半端でない実力と音楽センスに裏打ちされたこのピアノ・ソロの美しさと透明感には舌を巻く。ガーシュインの「サマータイム」、Stingの「フラジャイル」の新しい驚き。そして、「フラジャイル」は反戦・反暴力の歌。ガザ地区を無差別爆撃する祖国イスラエルのニュースをパリで聴くヘルマンは何を思っているのだろうか・・。
収録時間60分近くの、れっきとした極上ピアノ・ソロ・アルバムながら、なんと1000円というのもうれしい。かくれ里からひょっこり現れた注目のピアニスト・・・。

ヤロン・ヘルマン・デビュー

ヤロン・ヘルマン / ビデオアーツ・ミュージック

櫻狂い(2) ~一目千本・吉野の櫻~

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(写真;吉水神社より見る上千本)

白州正子がその著書「西行」で、足跡を追って旅した吉野の櫻。「これはこれはとばかり花の吉野山」と安原貞室(1610年-1673年)が詠んだ吉野山の櫻。古来から一目千本と讃えられる吉野山の櫻。数々の歴史絵巻に登場する吉野の櫻。

長らく関西に住んでいるのに、なかなか、かなわなかった吉野の櫻詣でに出かけてきました。半ば予想はしていましたが平日にもかかわらず、車は大渋滞、そして下千本から上千本まで人、人、人・・・。特に世界遺産に登録されてからは、一気に観光客が増えたといいます。下千本から金峯山寺蔵王堂、吉水神社を経て中千本、さらに上千本へと急な坂を歩いて、山と櫻を愛でるのが吉野の流儀とされるが、とにかく満車で駐車場を探すのもままならず、下千本から上千本、奥千本と車で周回し、車窓から楽しむという趣きのない櫻詣となってしまった。
この時期、下千本はもう葉桜、中千本が散り始め、上千本は今が満開、奥千本は咲き始め。目の前に広がった櫻絵巻は、「圧巻!」の一語。まさに「一目千本」、谷を、尾根を一面に覆う夥しい数の櫻。車からという風情のなさを忘れさせるほど見事なものであった。古来から大勢の人が吉野を訪れ、櫻に酔いしれるのも納得が出来る見事さ。

吉野山は、尾根から谷を埋め、爛漫と咲き誇るその櫻の見事さで広く知られていますが、吉野山が桜の名所となったのは、今から1300年前、役行者が金峯山寺を開くとき、感得した蔵王権現を桜の木に刻んだことに始まるといわれている。関西の櫻の名所には修験道や役の行者とかかわる話が多いような気がしますね。現在200種約3万本、多くがシロヤマザクラ。 吉野山の地形が、吉野川畔の六田の渡しに始まって、大峰連峰に達するまで一途に上がって行くため、開花の時期に珍しい特徴があります。下千本の桜は4月の声を聞き始めるころ開花し、それから日を追って中千本・上千本・奥千本へと山脈を一ヶ月を掛けて、櫻が山を駆け昇っていく。4月中旬、中千本から上千本・奥千本の最盛期となり、杉木立の中に豪華な櫻絵巻がくりひろげられる。この景観こそが吉野山の花見の本髄で、櫻一本或いは木々をめでるのではなく、櫻絵巻に覆われた山全体を愛でるということが、他の桜の名所では見られない吉野山の特長であるのだ。

  空にいでて何処(いずく)ともなく尋ぬれば 雲とは花のみゆるなりけり (西行)

この吉野の櫻に魅入られた西行は、毎年のように吉野山を訪れ、六十首ほどの歌を残している。そしてそれは晩年まで続いていたようだ。「きさらぎの望月のころに桜の下で死にたい」と願い、数十年にもわたり、死ぬまで吉野山への「櫻詣」、「櫻狂い」に西行を駆り立てたものは一体何だったのであろうか。

  春ごとの花に心をなぐさめて 六十路(むそじ)あまりの年を経にける (西行)

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(写真;上千本から麓を望む)

3万本ともいわれるシロヤマザクラが豪華絢爛に咲きみだれる吉野山。なぜ吉野山にこれほど多くの桜が植えられのか。 日本全国の多くの桜の名所では、近代になってから桜並木を整備したり、古くからある古木を大切に保護したり、いわゆる「花見」のために桜を植栽・管理している。しかし、吉野の桜はそれらのものとはまったく異なり、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた「信仰の桜」として現在まで大切に保護されてきたのだ。
その起源は今から約1300年前にさかのぼる。その当時は、山々には神が宿るとされ、吉野は神仙の住む理想郷として認識されていた。のちに修験道の開祖と呼ばれる「役小角(役行者)」は、山上ヶ岳に深く分け入り、一千日の難行苦行の果てに憤怒の形相もおそろしい蔵王権現を感得し、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされてる。その後、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行するにつれて、本尊を刻んだ「桜」こそ「御神木」としてふさわしいとされ、またそれと同時に蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、御神木である「櫻の献木」という行為によって植え続けられたという。また、吉野にはその桜に惹かれて、多くの文人墨客が訪れている。西行法師が吉野に庵、「西行庵」を結び、多くの歌を残し、その西行法師に憧れ、吉野に2度杖をひいたのが松尾芭蕉。その旅は「野晒紀行」と「笈の小文」にまとめられている。また、国学者本居宣長も。この頃から一般庶民の吉野への旅が盛んになり、春の吉野山は今と変わりない賑わいを呈するようになったという。

また、吉野での花見といえば、太閤秀吉の花見が有名な話。秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れた。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3日間雨が降り続き、苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じた。その甲斐あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったと伝えられている。その他にも、壬申の乱の大海人皇子(後の天武天皇)、南北朝時代の後醍醐天皇、源義経と静御前、幕末の天誅組などが様々な場面で歴史の舞台に登場し、櫻絵巻とともに歴史絵巻としての吉野も見逃せない。 (吉野町HP参照)

大変な人出と車でありながら、吉野の櫻を見た昂揚感の後で、心に感じたある種の静謐と平穏と安堵感、満足感。これも私が日本人であるDNAの証であろうか・・・。

このブログを書きながら聴いているのはノルウェーの新星、「Tord Gustavsen Trio」の「Chaging Places」。全曲オリジナルの繊細で美しいメロディと歌心がたまらない1枚だ。「冬の夜半に一人で聴いたら枕をぬらすかも知れない」とは友人の評。このCDに集約された、はかなさ、ロマンへの傾倒ぶりは、西行の櫻への耽溺ぶりとも共通するものを感じる。或いは、いまだ春来ぬノルウェーの大地の春への希求の呻きにも・・。

チェンジング・プレイセズ

トルド・グスタフセン・トリオ / ユニバーサル ミュージック クラシック

櫻狂い(1) ~西行櫻~

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(写真;勝持寺の西行櫻 西行手植えから3代目の櫻だという)

櫻狂いの4月。「ご近所櫻」だけでは飽き足らず、されば徹底的にと思い立った。まずは、鳥羽上皇に仕えていた北面の武士、佐藤義清(さとう のりきよ)が保延六年(1140年)23歳で出家し、名を「西行」と改めて庵を結び、櫻狂いの道に入ったという、その庵があった京都は西のはずれ、長岡京に程近い西京区の山寺、「勝持寺(しょうじじ)」を訪れました。櫻を愛し、武士を捨てて出家し、如月の花の下で逝った西行法師が、出家後に住んでいた寺である。ふもとの大原野神社から仁王門をくぐって、緩やかな坂道の参道を上がっていくと、土塀越しに満開の桜に埋もれているようなこじんまりとした寺、「勝持寺」が見えてくる。

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小塩山大原院勝持寺。白鳳八年(680年)天武天皇の勅によって、役の行者が創建したという古刹。西行がその一株を自ら植えたといわれる枝垂桜が鐘楼の脇にすっと立っている。「西行櫻」だ。夢枕に櫻の精がたつ、あの世阿弥の能の「西行櫻」だ。南北朝時代、あの婆沙羅大名として有名な佐々木道誉が愛で、闘茶会を催したという「西行櫻」だ。そして境内には、ソメイヨシノやヤマザクラなど約100本が埋め尽くす。「花の寺」とも称される由縁である。

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「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠んで、その詠んだ歌の願い通り、文治6年2月16日(1190年3月23日)に桜の下で死んだ西行。その西行の生き様に加え、散り際が鮮やかで美しいことから、櫻には日本人独特の死生観が纏わりついてくる。そんな想いが湧き上がってきつつ観る西行櫻、そしてこの寺を埋める櫻は一層儚く美しい。

「西行(さいぎょう、1118年(元永元年) -1190年3月23日(文治6年2月16日))」。
生涯に二千首を超える歌を詠んだといわれ、新古今集に九十四首(入撰数第一位)をはじめとして、二十一代集に計265首が入撰し、代表する家集に『山家集』(六家集の一)があり、当代一の歌人とうたわれた院政期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。出家の理由や動機は、友人の急死にあって無常を感じたという説が主流だが、失恋説もありよく分かっていないという。幾多の漂白の後、河内弘川寺(大阪府河南町)に庵居。先の歌の願いどおり、建久元年(1190年)この地で入寂した。後世に与えた影響はきわめて大きく、後鳥羽院をはじめとして、宗祇・芭蕉にいたるまでその流れは尽きない。特に室町時代以降、単に歌人としてのみではなく、旅のなかにある人間として、あるいは歌と仏道という二つの道を歩んだ人間としての西行が尊崇され、幾多の小説、評伝、エッセイに取り上げられている。(Wikipedia参照)
寺の案内に記されていた西行の一首・・・。櫻を見ようと押しかける我々を皮肉っているようにも聞こえる。
  花見んと むれつつひとの くるのみぞ あたらさくらの とがにはありける

私が西行を知ったきっかけは、「辻 邦生」と「白州正子」である。
「辻 邦生/西行花伝」。学生時代「辻 邦生」が好きで、その流れでこの本を読んだが、正直言って、青二才の私には、花鳥風月を愛で、癒される日本人の心など当時は判る術もなかったが、還暦を過ぎ、今そのことが少し分かる歳になったということか。静謐な美しい日本語で語られる美しく生きた男の物語。

西行花伝 (新潮文庫)

辻 邦生 / 新潮社


自ら西行狂いを認めた「白州正子」の「西行」。桜を詠んだ数々の歌と、漂白の足跡を実地にたどりつつ、著者独特の眼力による読み込み、解釈が新鮮。櫻に憑かれ、桜を愛し抜いた「櫻狂い」西行。そしてその西行の生き様に惚れぬいた「白州正子」。櫻ファン、西行ファン、正子ファンにとっては実に魅力的な必読書に違いない。「勝持寺」については「花の寺」の章で触れられている。

西行 (新潮文庫)

白洲 正子 / 新潮社


朝、眼を覚ませば、障子の櫻のすかし模様が淡い影を映していた・・・。

ご近所の櫻 (3) ~万博公園櫻づくし~

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(写真;岡本太郎氏デザインの「太陽の塔」はいまだ健在。訪れる人に大阪万博の頃の日本が持っていた熱気やエネルギー、明日への期待を思い起こさせる)

車の車検のため近くのディーラーへ行った帰り、大阪では桜の名所でもある万博記念公園へ寄ってみた。ここは、1970年(昭和45年)に開かれたあの「大阪万国博覧会」の跡地で、総敷地面積は264ヘクタール、甲子園球場の約65倍の広さに及ぶ広大な公園である。あの万博から来年でもう40年になるんですね。私も歳をとるわけだ・・・。入社したのが1969年、関西の電機メーカを就職先に選んだ理由の一つに、「次の年に万博が開催される」という、いささかいい加減な動機もあったのだが、会社のレクやら個人の遊びも含めて4,5回は行ったでしょうか。私にとっても、多分団塊の世代の皆さんにとっても、「大阪万博」は思い出のビッグ・イベントだったと思います。そして、万博公園の脇を走るモノレールが開通してからは、私の毎日の通勤路でもあった。「太陽の塔」のあの金色に輝く顔、公園の四季の移ろい。毎朝、定年退職してからは、この3月まで顧問づとめの週3日、それを見ながら会社へ通った。万博公園は私のサラリーマンとしての軌跡にも重なる。

その万博公園の自然文化園、日本庭園はいま桜が満開の「櫻祭り」。説明無用の櫻づくし。多くの人がそれぞれの櫻の楽しみ方を満喫。こんなご近所に桜の名所があったと、改めて認識しました。

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そしてAmazonからこんなCDのおすすめのEメールが届いていた。アルバム・タイトルは「sakura flavor」。

『大ヒットを記録した「さくら」、「桜」、「SAKURA」等タイトルに「さくら」を冠するJ-POP曲でカバー・アルバムを制作。誰もが一度は耳にした事のある楽曲ばかりを収録し、・・・家やドライブ、カフェでも聴けるボッサやレゲエまで取り込んだ本物感あふれる強い音楽性を兼ね備えながらも、オシャレで聴きやすいアレンジに仕上げた、この春最重要のカバー・アルバムが誕生!! 』

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Jazzin’park / BMG JAPAN Inc.(BMG)(M)

切り絵展/杉本好夫の世界

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     道頓堀筋のにぎわい              大阪の夜景/生駒山頂より

私より2歳年上、知り合いの杉本好夫(たかを)さんが「個展」を開くという案内を頂き、早速お出かけ。場所はなんと粋な、京都祇園町南花街のギャラリー。祇園花見小路のすぐ近くという昼間に行くのは惜しいほどのロケーションである。彼はもともと大阪でデザイン事務所を開いているグラフィック・デザイナーであるが、趣味の切り絵が嵩じ、個展を開くまでになったという。歌舞伎の京都・南座の一筋東を南に下ったすぐのところのギャラリー「空 鍵屋」。かれの「切り絵」を見るのは、今回はじめてであったが、びっしりと緻密に切り抜かれた鋭い線が織りなす独特の雰囲気、空間。不思議な静けさを感じるとともに、賑わいや華やかさ、灯りの持つ暖かさも同時に伝わってくる。デジタルカメラで撮った写真から切り抜いていくという私から見たら気の遠くなるような作業を、「いや、大したことないですよ」と彼はこともなげに言う。都市風景、夜景、古い町並み、巨木、花、寺、仏など日本の景観や心象風景を文字通り「切り取った」作品が並ぶ。

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(杉本好夫作;デジタル版画/京都北山・鹿苑寺 鏡湖池に映る金閣)

そして、同時に展示していると案内に書いてあったデジタル版画。切り絵はイメージできるのであるが、デジタル版画とは何ぞや?聞いてみると、彼がオリジナルどうかは分からないが、と前置きした上で、カーッターで切り取った線で描画していくという切り絵の工程の作業をパソコンの「お絵かきソフト」で替わりに行って、レイヤーを幾重にも重ねて絵を完成させ、最後はプリンターで印刷するという。そんなことで写真にあるような「金閣寺」の作品が出来るのかとびっくりもした。デジカメ、パソコン・ソフト、プリンターの組み合わせなれば、「私にも出来るのでは?」といったところ、「単なる絵だったらかけるでしょうね」と一刀両断の返事・・。

杉本さんの作品や切り絵の作り方などに興味のある方は、ホームページへアクセスを。「たかをの部屋」はこちらをクリックしてください。

また現在開かれている個展は4/14(火)まで下記で行っています。円山公園の花見がてらにぜひどうぞ!(案内はHPでも見られます)

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ご近所の櫻 (2) ~美しき里山のエドヒガン~

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(写真;黒川の里山、櫻の森に群生するエドヒガン)

私のご近所に「日本の里100選」に選ばれた日本一とも称される川西市黒川地区の里山がある。「里山」とは、かって人々の暮らしを支えてきた炭や薪の生産を目的として定期的に伐採、再生を繰り返してきた人工林をそう呼ぶ。炭や薪を殆ど利用しなくなった現在、本当の意味での里山は全国的に殆どの地域で絶滅したが、この黒川周辺の里山では、室町時代に始まり、千利休や豊臣秀吉などが好んで愛用したと伝えられる池田炭(一庫炭、菊炭とも呼ばれる)をいまなお生産しており、美しい里山景観が維持されている貴重な地域である。

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(写真;切り口が美しい名産の菊炭)

黒川周辺は、昔から炭の原料となる良質なクヌギの産地で、そのクヌギを使った一庫(ひとくら)炭は火付きと火持ちがよく、切り口が菊の花のように美しいことから別名「菊炭」と呼ばれ、茶席などに用いる最高級の切炭として知られている。その黒川の里山に「ご近所櫻」の大本命エドヒガンの「櫻の森」がある。一般的によく知られている「ソメイヨシノ」は江戸時代に人工的に作られた品種だが、その親種は「エドヒガン」と「オオシマザクラ」である。開花時期はソメイヨシノより1週間程度早く、また寿命は100年以上といわれている櫻。

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(写真;櫻の森のランドマークとなるエドヒガン)

この「櫻の森」には、そのエドヒガンが約50本、その倍以上の数のヤマザクラが自生、群生している。ボランティアの桜守の方々の大変な努力によって一般の人が楽しめるように整備がすすんでいる。今が満開。写真は、その中の一本。樹高24m、推定樹齢150年以上の凛として聳え立つ堂々たるエドヒガン。その姿には圧倒され、感動すら覚えるほどだ。ソメイヨシノにくらべ花弁もかなり小振りで、楚々とした風情だが、その控えめな美しさに一層魅かれるのである。ソメイヨシノがあでやかな模様の若い娘の大振袖とすれば、エドヒガンは大人の女の江戸小紋か・・。今日は訪問する人もまばらで、我々夫婦がこの櫻を独占し、その下で持参した昼食を拡げ、いや何とも贅沢な昼食であった。櫻の森散策に汗を流しながら「この地に暮す幸せを実感できた」と言えば、少し大げさかな。

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明治37年(1904年)に建築され1世紀を経たこの地域のかっての小学校が、昭和52年(1977年)にダム建設や過疎化の進行などで廃校され、現在は公民館と資料館になっている。100年以上経た木造校舎、小さな机や椅子、黒板など郷愁を誘う風情が櫻満開の里山にマッチして残されている。薄暗い廊下の曲がり角から「ぬらりひょん」がひょっこりとでてきそうな朽ちかた・・。私はこんな感じは好きだなあ。

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一庫ダムによって作られたダム湖、知明湖のほとりやダム脇に咲く満開の櫻を、もう一押し楽しんで今日の贅沢な櫻づくしのフルコースは終り・・・。心も眼も大満足の一日であった。

「櫻めぐり」のお供は、前回につづいて「ケニーG/ロマンスの足おと」。スマートで華やかであるが、ラテンの哀愁に満ちたロマンスとリズムが聴こえてくるような、ケニーの新しい境地を感じさせるアルバム。ケニーのソプラノ・サックスの甘美な音色とボサノバがこんなに相性がいいとは思わなかった。ラテンのリズムに溶け合って、満開の桜の道を駆け抜けていくわが愛車・・。

ロマンスの足おと

ケニー・G / ユニバーサル ミュージック クラシック


里山の風景の中に生きる人々の営みを描いた日本映画の傑作があります。デビュー作「雨あがる」で世界的にも評価された小泉堯史監督による「阿弥陀堂だより」。
売れない作家・孝夫(寺尾聰)と有能な医者・美智子(樋口可南子)の夫婦は、美智子が心を病み、都会を離れて故郷に帰ってきた。北信濃の美しい里山を持つ村とそこの阿弥陀堂に一人で暮す96歳の老婆おうめ(北林谷栄)など、村の人々との温かい交流の中、夫婦は生きる喜びを取り戻していく…。北信濃の四季が、里山が、ため息が出るくらい美しい。虚栄を捨て、自然と共存することがいかに素晴らしいことであるかを思い出させてくれるこの映画を、日本映画の名作の一つに私はあげる。

阿弥陀堂だより 特別版 [DVD]

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そして、この映画の原作は、南木佳士著「阿弥陀堂だより」。映画は原作に沿ってほぼ忠実に製作されているが、活字で感じる著者の自然観、死生観、世界観は、映画とはまた違った新鮮さを読む人にもたらす。櫻によって人と自然の関わり方を再認識させられるこの時期、映画、本ともにお薦めである。

阿弥陀堂だより (文春文庫)

南木 佳士 / 文藝春秋



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