JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

五月・花・公園・森林浴・・・

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すこし遅くなってしまったが、連休の間を縫っての「おやじの遠足」レポート三題。

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まずはETC高速1000円メリットを活かして訪れたのは、山陰随一といわれる兵庫県・朝来市(あさごし)和田山近くの「大町藤公園」。丹波、播磨地方には、丹波・古刹、白毫寺の九尺藤などいくつかの藤の名所があるがここの見ものは藤棚の回廊の長さ。優に500mは超えるという。アースフィル式のダムの堰堤の麓が公園になっていて、10年ほど前に町おこしの一環として開園したという。500mの藤回廊はやはり見もの。堰堤のうえでは、端午の節句をまえに、50匹ほどのこいのぼりが、勢い良く一面の芝櫻の上を泳いでいた・・。初夏を思わせるような爽やかな風を感じ、日本の美しい田園の中をゆっくりドライブして帰路に。

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写真左;整備されている散策路を歩く     写真右;標高350mの展望台からの眺め

隣町宝塚市に、里山まるまる一つを自然公園にしたところがある。新緑真っ盛りの今、ウォーキングを兼ね、森林浴を楽しもうと訪れてみた。「宝塚西谷の森公園」。東の谷、西の谷という二つの大きな谷には、農地や湿地、ため池などがあり、里山の暮らしや生き物が学べるようになっている。二つの谷を結ぶ約8kmの散策道も整備されていて、その散策道の途中には少しスリルのある馬の背と呼ばれる尾根や岩場などもあり楽しめる。訪れた日は、殆ど人が居らず、聴こえるのは風の音と鳥の鳴き声だけ。展望台からの360度の緑だけの眺望には眼を見張る。見渡す限りの緑、全身に樹の薫りを浴び、散策しながらも、心身がリフレッシュしていくのが感じられる。この公園、四季を通じて楽しめる最高の我が家の散策路になりそうである。夏が、秋が、冬が楽しみ・・・。

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「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」。古来、美人を喩える華麗な花、牡丹。訪れたのは西の谷公園近くの「長谷(ながたに)牡丹園」。約5,000平米の敷地に約100種1,400株の牡丹が植えられている。宝塚は花卉(かき)植木産業で有名なところで約1000年の歴史があるという。そして宝塚と牡丹の歴史は古く、明和3年(1766年)に福島県の須賀川に牡丹の苗が送られたという記録が残っているそうだ。また明治33年(1900年)にフランスのパリで開催された万国博覧会にも宝塚市より牡丹50種250株が出展されたそうである。さて、牡丹といえば、関西では奈良の長谷寺(はせでら)の牡丹がつとに有名であるが、ここ長谷(ながたに)の地名は、神亀年間に長谷寺よりやってきた法道上人が、この地に普光寺を開いたところに由来しているという。その縁で、かって宝塚より送られて、その地で有名になった牡丹を全国13地域から里帰りさせ、長谷の地に牡丹園を開園したそうである。咲き誇る色とりどりの大輪の牡丹、いや見事!の一言に尽きる。一服のお点前を馳走になりながらしばし時を忘れる・・・。

華麗な花めぐりの旅にお供させるなら、レイ・ケネディ・トリオの「モーツァルト・イン・ジャズ」あたりがお似合いか。トルコ行進曲、アイネ・クライネ・ナハトムジークといったモーツァルトのおなじみの曲が 見事にスイングしています。スイング・ジャーナル誌の「ゴールドディスク」に選定された、ジャズファンにもクラシック愛好ファンにもお薦めの1枚。

モーツァルト・イン・ジャズ

レイ・ケネディ・トリオ / カメラータ東京

青春のシネマ・グラフィティ(3) ~シベールの日曜日/パトリシア・ゴッジ~

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すごい名作だというわけではないのに、多感な青春時代に観たためか、心の片隅にずっと残っているというか、引っ掛かっている映画がいくつかある。「金色の眼の女」もそうであったが、その映画が、ビデオも廃番、DVD化もされていないとなると、「もう一度観てみたい」という想いが一層つのってくる。そんな映画の一つが「シベールの日曜日」。公開は1962年のフランス映画。

フランスの作家ベルナール・エシャスリオーの小説「ビル・ダブレの日曜日」をセルジュ・ブールギニョン(Serge Bourguignon)が監督した記憶喪失症の青年と少女との純愛ドラマ。撮影は「生きる歓び」のアンリ・ドカエ、音楽は「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャール(Maurice Jarre)。出演者は「ハタリ!」のハーディ・クリューガー(Hardy Kruger)、新人子役パトリシア・ゴッジ(Patricia Gozzi)、「ラインの仮橋」のニコール・クールセル、ダニエル・イヴェルネルなど。この映画はアカデミー外国映画最優秀作品賞、ベニス映画祭特別賞などを受賞した。

インドシナで戦争中パイロットだったピエール(ハーディ・クリューガー)は戦線で少女を射殺したと思いこみ、それ以来、進んで激しい戦に身をおき、墜落のショックで彼は記憶喪失性となった。恋人マドレーヌの愛情もピエールの孤独な心を救えなかった。彼はあてもなく町をさまよい、ある黄昏時、町で一人の少女(パトリシア・ゴッジ)に会った。少女の名は「フランソワズ」で、父親から見捨てられ寄宿学校に入れられていた。。二人は日曜日ごとに会い、互に孤独な二人の間には汚れのない愛情が生れていった。ピエールと少女は父と娘として装ってきたが、そんな嘘はいつまでもつづくはずがなかった。クリスマスがやってきた。彼女は、はじめて本当の名前は「シベール」だと告げるのだった。一方、マドレーヌはピエールの不在に気づき相談相手の医師に助けを求めた。ピエールを頭から変質者扱いにしている医師も警察も、父親でもない男が少女と恋人同士のようにしているのに少女の危険を感じた。二人のクリスマスの現場に踏み込んできた警官達はピエールにピストルを向けた。ピエールは死んだ。シベールは池の畔でいつまでも泣き続けた。シベールはまた一人ぼっちになってしまったのだ・・・。

文で書くとベタな「お涙もの」の話に思えるが、モノトーンの詩情溢れる画面と17歳の多感な心が、このおとぎ話のような純愛映画を40年以上経っても忘れられない映画として心に刻み付けた。今再びこの映画を観たら、青春の残滓のように残っている、あのときの胸が締め付けられるような切なさは甦るのだろうか?

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1950年生まれというから、コッジがこの映画に出演したのは11歳のとき。このような子役に私が魅了されたのは、後にも先にも彼女だけである。なんとも愛くるしい笑顔で観客を魅了した「パトリシア・ゴッジ」は、この映画と「かもめの城」とたった二作に出演したのみでスクリーンから姿を消してしまった。パトリシアが20歳で女優を辞めてしまったのはいくつかの理由があるらしいが、最大の理由は結婚であったという。消息によると、その後イギリスの企業のマネジャーを勤め、現在はパリにすんでいるという。

そして、監督のセルジュ・ブールギニョンのその後の消息は不明・・・。

音楽監督は、「アラビアのロレンス」(1962年アカデミー作曲賞受賞)、「ドクトル・ジバゴ」(1965年アカデミー作曲賞受賞)など数多くの映画音楽を担当し、当時最も脂ののっていた「モーリス・ジャール」であるが、アルビーノの「アダージョ」、バッハの「J.S.バッハカンタータ第147番第10曲コラール(「主よ、人の望みの喜びよ」)」など、沢山のクラシック音楽が使われていて、白黒画面の醸し出す詩情を盛り上げた。ちなみに、この作品で1963年アカデミー編曲賞ノミネートされている。

ヨーロピアン・ジャズ・トリオ(EJT)のクラシック集の中から、映画でも使われたアルビーノのアダージョなども収録されている「幻想のアダージョ」、クラシックを素材にしたジャズのベスト盤「ベスト・オブ・クラシックスII」をお薦めしておこうか。

幻想のアダージョ

ヨーロピアン・ジャズ・トリオ マーク・バン・ローン フランス・ホーバン ロイ・ダッカスエムアンドアイカンパニー

ベスト・オブ・クラシックスII

ヨーロピアン・ジャズ・トリオ / エム アンド アイ カンパニー

注)このブログを書くにあたりブログ「映画の棚」を参考にさせていただきました。

青春のシネマ・グラフィティ(2) ~金色の眼の女/マリー・ラフォレ~

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高校へ入学してから確か女子高の名画鑑賞会で見たのが、ルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」(1960年公開)であった。サスペンス一杯のストーリーといい、ニーノ・ロータの哀切極まりない音楽といい、アラン・ドロンの際立った二枚目ぶりといい、高校生がたちまち映画のとりこになってしまうには絶好の映画であった。
しかし、私はその映画のヒロイン、吸い込まれるような眼をもち、実在感が希薄な夢路が描く絵のような女性の「マリー・ラフォレ」に釘付けになってしまった。富豪の息子のプレイボーイ(モーリス・ロネ)と貧乏な野心家の青年(アラン・ドロン)の間で揺れるひとり立ちが出来ない、いつも誰かの庇護を求めているような女を演じていたのだ。この『太陽がいっぱい』が彼女のデビュー作であり、一躍フランスのアイドルとなった。
1960年にヌーヴェル・ヴァーグの映画監督ジャン=ガブリエル・アルビコッコと結婚、彼の監督作『金色の眼の女』(1961年公開)などに出演。1児をもうけるが1971年離婚。同年アラン・カーン=スクリーベルと再婚、3人の子供をもうけたそうである。

そして「金色の眼の女」を見たのは高校1年、多分「太陽がいっぱい」を見て、ノックアウトされた直後の頃であったろう。ただ、彼女見たさに映画館に行ったので、ストーリーなどはよく覚えていない。ドン・ファンの写真家の男が偶然会って魅かれた不思議な魅力を持つ娘を追いかけるが、彼の恋人とその女とが恋愛関係にあり、悲劇的な結末を迎える。そんなストーリーだったと記憶している。監督も彼女のあの「眼」に魅かれ(実際に結婚までしているのだが・・)、そんな彼女の魅力を映像にしたかったんだと納得するくらいのインパクトを当時の私に与えた。この映画はDVD化もビデオ化もされていないらしいので、私の中ではずっと「幻の映画」となっている。
そして、この「金色の眼の女」以後、マリー・ラフォレは、いくつかの映画に出演しているが、女優としての話題もあまり聞かないし、映画も見たことがない。私にとっては、「幻の女優」となってしまったのだ。

ある日、たまたま行った「TSUTAYA」で、シャンソン歌手として活躍し、何枚かアルバムを出していること知って、早速聴いてみると、あの実在感が希薄な、かぼそい囁くような歌声は健在であった。

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Marie Laforet / Universal


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映画「金色の眼の女(原題;LA FILLE AUX YEUX D’OR)」のテーマ曲は、「ナルシソ・イエペス」作曲で彼自身が演奏していたと記憶しているが、どんな曲だったのかまったく覚えていない。そしてCDを探してみたが見つからず、ネット・オークションにEP盤が出品されていたのを見つけたが、すでにオークションは終了していた。したがって、レコード・ジャケットを写真で見て想像するのみと思っていたが、テーマ曲「LA FILLE AUX YEUX D’OR」の楽譜がネットで見つかったのだ。

ギターで爪弾いてみると、哀調を帯びたメロディにのって、あのマリー・ラフォレの「眼」に魅かれた頃の甘酸っぱい想いが甦ってきた・・・。

おやじのモノ語り(2) ~ 白木の家具に憧れたあの頃 ~

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長い間使っている家具がいくつかある。結婚以来だから、もう30数年になる。その中に、新婚当時、白木の家具に憧れて買った「IKEA」のステレオ・ベンチとチェストがあった。今となっては購入の動機は思い出せないが、漠然とした北欧への憧れか、白木の家具のもつすがすがしさが幸せの象徴に思えたか、いずれにせよ二人の生活のスタートにふさわしいと思ったからであろう。早速このベンチの上にステレオ・セットを置き、棚にはJAZZのLPレコードを詰め込んだ。やがて長男が生まれ、毎年5月には、義父から贈られた鎧兜の五月人形を、この上に飾るのが恒例であった。その長男が、レコード・プレイヤーのピックアップ・アームを折ってしまい、そこで私の「33回転の青春」が終わってしまったことは、以前ブログに書いたとおりである。その後も、このステレオベンチは、家族の成長や我が家の生活、住まいの変化に合わせ、目的を変えて色々に使ってきた。色褪せて、もう白木の面影もないベンチを見ると、我が家の来し方を感じる。購入後30数年経て、夫婦二人だけの生活となった今、LPからCDに代わったものの、再びステレオ・ベンチとして使い、ベンチは正当なる役割を取り戻したのだ。そして、チェストも大事に使っていたが、破損したため残念ながら近年廃棄せざるを得なかった。

10数年前、初めてスエーデンへ出張したとき、偶然車窓から「IKEA」の工場か直営店を見かけて、感慨がひとしお湧き上がってきたことが思い出される。

もう一つは、照明スタンドである。やや青みがかった白い台座が確か美濃焼、シェードは和紙であった。マンションを購入したときに、お祝いに頂いたものである。そのどっしりして、安定した台座が気に入って30年もの長い間、これを使っている。その間に和紙のシェードは破損したので取替え、ランプ・ソケットも同様に修理して使い続けてきた。電球色のつくる影が程よく暗く、深夜に聴くJAZZの雰囲気を盛り上げてくれたものである。
蛍光灯やLEDに比べ、省エネ性能が悪くても、新しいモノを作るのに使われた、トータルのエネルギー或いはCO2を考えると、むしろ捨てずに使い続けるのが最もエコであると思う。景気浮揚策としてのエコポイントは分かるのだが、買い替えによってトータルでのCO2削減がすすむとは限らないのだが・・・。

このブログを書きながら浮かんだ曲は、「Time After Time」、「何度も何度も」という意味。かってシナトラが歌った同名異曲のスタンダードではなく、POPS畑の「シンディ・ローパー」が歌い、「マイルス・デイビス」がカバーしたことで一躍有名になった曲である。1985年に発表した「You’re Under Arrest」に収録されている。長い音楽生活の最後にマイルスがたどり着いたのが、本作に聴かれるポップな世界だったという。当時のマイルスは「マイケル・ジャクソン」と「プリンス」に関心を寄せていたそうで、本作でもマイケルの「ヒューマン・ネイチャー」とシンディの「Time ・・・」をカヴァーしている。本アルバムにおけるポップ・サウンドは、マイルスの一つの到達点といってもいい。

ユア・アンダー・アレスト

マイルス・デイヴィス / ソニー・ミュージックレコーズ


マイルスをリスペクトしている「カサンドラ・ウィルソン」も、マイルスへのオマージュ・アルバム「トラヴェリング・マイルス」で、「Time After Time」を歌っている。今日は「トラヴェリング・・・」ではなく、今まで色々なアルバムで、彼女が歌ってきたPOPSを集めたベストポップス・コンピ版「クローサー・トゥ・ユー~ザ・ベスト・ポップ・ヒッツ・コレクション」をあげたい。シンディー・ローパーをはじめU2、スティング、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ボブ・ディラン、ジミー・ウェブなどの曲を歌っているが、全体を通して聴いてもコンセプトや曲調に違和感などまったくなく、とても寄せ集めのアルバムとは思えないほどのできばえである。

クローサー・トゥ・ユー~ザ・ベスト・ポップ・ヒッツ・コレクション

カサンドラ・ウィルソン / ユーメックス

ロボット製作記(1)  ~D社のマーケティング~

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(写真はほぼ上半身が完成したロボット)

覚悟を決めて(おおげさな!)、延び延びになっていた二足歩行ロボット「ROBOZAK」の製作を始めた。最近流行のDeAGOSTINI社の「週刊パーツ付きマガジン」である。ご存知だとは思いますが、これは雑誌についてくるロボット製作のためのパーツが、この雑誌の価値そのものであり、その意味ではそれまでの日本にはまったくなかったタイプの雑誌ではないだろうか。車、オートバイ、蒸気機関車、城など色々なシリーズが発売されているが、ROBOZAKは2007年1月から発売され、最初は毎週、途中からは隔週発刊となり、2008年9月の第85号まで続いてた。このD社の「パーツ付きマガジン」、「コレクション・マガジン」がヒットしたため、厳密な意味で出版といえるかどうかは分からないが、苦境に喘いでいた出版会社は、こぞってこの新分野に乗り出し、書店へ行ってみればお分かりのように、実に沢山の種類のこの種のマガジンが並んでいる。

このように、D社のマーケティングが大成功を収めたわけであるが、その秘訣を考えてみるに、「自分で何かを作ることが大好き」という、かってラジオ少年であった大人たちの心をうまくつかんだということに尽きるといえる。そして更に付け加えれば、作るモデルはかなり本格的なこだわりモデルであること。(勿論トータルするとその分お金もかかるのであるが・・) 完成までに結構な時間がかかるため、達成感が得られれること。ロボットに関して言えば、歩行の仕組み、パソコン・シミュレータによる制御など、作っていく途中でロボットの勉強していくため、知的好奇心を満足させることが出来ること・・などであろうか。

実際つくりだして思ったのだが、マニュアルが実によく出来ている。一工程ごとに写真つきで、表現も平易でわかりやすく書かれており、これなれば技術系の素養がない人でも、間違いなくゴールにたどり着けよう。そして、ロボット製作に関して言えば、特殊な工具や専門的知識を必要とせず、♯1ヘッドの+ドライバーがあれば組み立てていくことが出来るのだ。丸一日かかって約1/3工程まで進んだところで、トラブルが発生した。同梱されているはずの部品が一つ不足しているのだ。何せ手元に届いたのが約2年前、それから放ってあったのだ。恐る恐る「読者サービスセンター」へ電話してみると、即対応して部品を送ってくれるとのことで、その対応振りに好感が持てた。かくして、一時中断したが、部品が届き次第再開出来ることとなった。

考えてみれば、読者に最後まで作り上げてもらうことがこの種の雑誌の本質であり、価値である。それが読者の利益にも、出版社の利益にもかなうことなのだ。そのために、コールセンターをおいて最大のサポートをしていると思われる。これならば、これからもトラブルが発生しても多分安心であろう。D社がヒットしている原因も納得できた。

それにしても久し振りに丸一日ドライバーを握っていたため、「まめ」やら「タコ」が・・・。

こちらのカテゴリーでも「My Favorite Things」をとりあげておこう。「平賀マリカ/Faith」。私が安富祖貴子、MAYA、グレース・マーヤなどと並んで推す若手シンガーだ。このアルバムではワルツではなく、アップテンポの8ビートで軽快に歌われている。バックもテナーが「エリック・アレクサンダー」、ピアノが「ハロルド・メイバーン」と申し分ない。

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平賀マリカピーエスシー

おやじのモノ語り(1) ~メタボを超えて・・・ ~

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団塊の世代の特長の一つに、「モノを所有することから離れられない」ということがあげられるそうだ。振り返ってみれば、この世代は「モノのない時代」から「モノがある時代」への転換期を経験してきたのだ。「モノ」によって個性を出す、自己主張する、青春期にそんなことを初めて体験した世代といえる。ファッションしかり、音楽しかり、車しかり、ブランド時代の幕開けであったともいえる。当時若者に支持された「平凡パンチ」などという雑誌や「VAN」、「JUN」などというブランドを思い浮かべれば納得が出来よう。そして、現在でも雑誌などの「こだわりもの」の特集はシニアや団塊世代がターゲットであるという。

かくいう私もそんな「モノ」離れの出来ない「おやじ」の一人である。周りを見回してみれば、あるはあるは、モノの山。そんな中から、今まで使い込んできたもの、体になじんできたものをオヤジの愛用品として、爵士流のこだわり定規を当てて、自分史シリーズ「爵士定規なモノ語り」を少し綴ってみようと思う。「モノ」離れがいまだ出来ない団塊オヤジの悲しい「モノ語り」と読んでいただければ結構です。

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長いサラリーマン生活であったが、スーツにこだわりを持ったことはなかった。前半は研究所勤めで作業着であったし、また後半はスーツはサラリーマンの作業着と割り切っていたからだ。こだわりを持っていたのはブレザーである。体にフィットして軽快であること、ノーネクタイやチノパンでもあわせられる事などから重用し、特に独身時代から「大丸ブレザークラブ」というフラノ地の百貨店ブランドのブレザージャケットを愛用していた。なぜか着ると開放感溢れるブレザー、それも肌さわりの良いフラノ地に憧れていたのである。写真はこのブランドのブレザーは3着あったが、2着はメタボのかなたに消え、もう1着しか残っていない黒のダブル釦のブレザーである。襟のデザインなどが古いが、多分35年ぐらい前に求めたものである。一時期メタボ体型のため着ることが出来なかったが、ダイエットの甲斐あってか近年着ることが出来るようになった。ヨット部OB会で還暦記念に頂いた赤いマフラーなんぞをまいて颯爽と?街に出かけていますよ・・・。 
靴は学生時代から愛用している「リーガル」のウイングチップ。頑丈で、足にフィットし長時間履いていても疲れないこと、ビジネスだけではなく、カジュアルな場所でも履けることなどが愛用している理由である。はじめて買ったのは入社を控えた大学4年生のときであった。40年前の当時で2000円だったと思う。この靴を履くといっぱしの大人になったような気分がしたことを憶えている。以来、買い換えるまで、出来るだけ修理を重ねながら、飽きの来ない変わらぬデザインのこの靴を履き続けている。底も革底から軽いスニーカータイプのゴム底となり、軽快なフットワークを得て、日本中、世界中をビジネスで歩き回った。

「LEON」などという雑誌のように、ああまであざとく女性にモテるためにファッションやブランドにこだわったり、お金をかける必要などまったくないが、定年を迎えてからは、自由な格好をしたい、心を開放して着たいものを着たい、心地よいものを身にまといたいなどと思うようになった。素直に着ることを楽しみたい・・。無論、高価なブランド品など、まったく必要ないのである。

このように着るものや、持ち物に多少のこだわりをもつ様になった原因は、多分、故・伊丹十三(出版された当時は伊丹一三)著「ヨーロッパ退屈日記」を愛読していたからである。大学に入学した年、1965年に出版されたこの本は、それまでは田舎の高校生であった私にとって衝撃的ともいえる本であった。車、服装、料理、音楽、語学、酒・・など、いままで触れたことすらなかった、あらゆる題材がヨーロッパでの見聞を基に、彼独自のこだわりの視点で語られている。今読み返しても大変キザである。しかしいやみはまったくなく、その視点やライフスタイルに憧れた。

伊丹十三(1933-1997)。彼は、現在では映画監督として知られているが、もともとは俳優である。大映に入社したが、二年足らずで退社、渡欧してカメラテストを受けた。そして1963年には「北京の五十五日」でチャールトン・ヘストン、1965年には「ロード・ジム」でピーター・オトウールと共演している。さらにデザイナー、エッセイストとしても一流であった。この本を刊行したとき満31歳であった。

ヨーロッパ退屈日記

伊丹 十三 / 新潮社


「My Favorite Things」。この曲を挙げなくてはなるまい。作詞オスカー・ハマースタイン二世、作曲リチャード・ロジャースになるこの曲は、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌である。「バラの花びらの上の雨のしずく、キッチンの銅のやかんのウイッスルの音・・・」。舞台となったオーストリアでの家庭生活における様々な「私の好きなもの」が歌われており、テンポもワルツで軽快そして美しい。JAZZにおける「My Favorite Things」といえば、コルトレーンが最も有名であるが、「デイブ・ブルーベック ・カルテット」のリチャード・ロジャース特集アルバムが素直で明るくて私は好きである。「テイク・ファイブ」とならんで私をJAZZの世界に誘ったアルバムでもある。

マイ・フェイヴァリット・シングス

デイブ・ブルーベック / ソニー・ミュージックレコーズ

ロック魂は消えず・・・ 「忌野清志郎」逝く

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20090503-00000001-jijp-soci-view-000.jpg(写真;時事通信より)

忌野清志郎(いまわの・きよしろう)氏が逝った。享年58歳。東京生まれ。68年に中学校の同級生らと結成したRCサクセションの中心メンバーとして活躍した。70年にデビュー、82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。
06年7月に喉頭がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。歌手であり続けるために、喉頭がんの摘出を拒否したことが早逝につながったのかも知れない。「本名・栗原清志」。芸名からしてロッカー魂に満ちていた・・・。

音楽評論家、田家秀樹さんは、「日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。」と語る。(参照Yahoo! News)

私は、その生き様には共感していたが、彼の音楽にあまり惹かれることはなかった。しかし1枚だけCDを持っている。「明日なき世界」、「風に吹かれて」 、「ラヴ・ミー・テンダー」 、「黒くぬれ!」 「サン・トワ・マ・ミー」 、「イマジン」・・・など、往年の名曲に、忌野が全編あらたな日本語の意訳詩をつけ、反戦・反核のメッセージ・ソングとしたカバーアルバム「COVERS」である。当時「RCサクセッション」が所属していた「東芝EMIレコード」は、原子力発電システムを事業にしている親会社に気兼ねをして、このアルバムを発売停止にしたため、別のレーベルから発売になったという当時話題になったアルバムでもある。オリジナルの発売は1988年8月15日、約20年を経て、デジタル・リマスターとして再発売されたが、「黒くぬれ!」、「マネー」など、今聴いても強い、まったく色褪せないメッセージ力を持つ意訳詩である。最後の「イマジン」は、この歌の本質をついた忌野の訳詩で最高の盛り上がりをみせる。高校の同級生の三浦友和や、ちわきまゆみ、坂本冬美などがバックコーラスとして参加しているのも見逃せない。

これぞロックの本質。世界中で、日本で閉塞感とイライラが増幅しつつある今の時代にこそ聴いてみたくなる1枚。最近、こんな強烈なスパイスと体臭をもつアルバムがなくなった。もっと世に出てきてもいいと思うが・・。このところ「癒しのJAZZ」に偏りがちな私にも「喝!」をいれる必要があるかもしれないなあ~。

カバーズ
RCサクセション / / ユニバーサルJ
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自分の道を貫いた「忌野清志郎」は逝った。数少ない真の日本のロッカーであった。
合掌・・・・。

買ったまま、本棚に積んである本を連休に読んでみようと思う。中山康樹著「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」(幻冬舎新書)。かっての全盛期を決して超えることは出来ないが、それでもなお、現役として新しい曲を書き、前進を続ける、ミック・ジャガー、エリック・バートン、ポール・マッカートニーなど14人の「年老いたロッカー」の生き様は、未来へのある指針を示しているという。

ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか (幻冬舎新書)

中山 康樹 / 幻冬舎



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