
(写真; 「古墳のある町並みから」~森本行洋さんのHPより拝借)
急坂の参道を、約900メートル登った標高400mの山上に、花山院菩提寺(かざんいんぼだいじ)はある。眼下には、有馬富士、千丈寺湖。そして、遠く瀬戸内海の小豆島をも望む絶景が広がる。我が家から車で40~50分、梅雨明けが予感される好天気の今日、不意に思い出してふらっと訪れてみた。
「白州正子」が、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の旅を始めたのは、東京でオリンピックが開かれている1964年54歳の時であった。そのことは「白州正子自伝」の最終章に書かれている。その西国三十三ヶ所観音霊場を定めたのは花山法皇であるといわれ、それゆえに花山院は、別格・番外札所と崇められ、西国巡礼をする人は法皇に敬意を表し、巡礼の旅の安全と成就を祈願して、まず花山院にお参りすることが慣わしとなったという。正子がここを訪れたかどうかは自伝に記述がないので分からないが、白洲家の菩提寺は、崋山院と同じ兵庫県・三田(さんだ)市内であることを考えれば、時期は別にして、訪れていたとしても何の不思議もない。
さて、この花山院であるが、寛和元年(985)にわずか19歳で即位し、藤原氏との政争に破れ、たった2年で退位した後、剃髪して法皇となり、仏道の修行なかでこの地で終焉を迎えた「花山天皇」に由来している。法皇は、弘法大師の跡を辿る西国三十三所の巡礼の途中、当地にひかれて、晩年長保5年(1003)に隠棲、寛弘5年(1008)、この寺で41歳の若さで亡くなるまで仏道修行に励んだという。境内には御廟所のほか、木造の法皇像が安置されるため「西国巡礼本堂」とする「花山法皇殿」、本尊の木造薬師如来像が安置された「薬師堂」などが、紅葉の頃訪れたならが、それはそれは美しい光景であろうと思われるが、いまは目にも鮮やかな緑一色の楓(かえで)の樹木につつまれていた。御廟の傍らには、いつの時代か分からない苔むした墓がにひっそりと寄り添うように佇んでいる。
開祖は役行者と並んで知られる修験道の法道仙人による白雉二年(651年)の開基という。
山の麓には、退位し出家した法皇を慕って都から来た11人の女官と女御のものとされる墓や五輪塔、「十二妃(ひ)の墓」がある。女官たちは、女人禁制で寺に入れず、麓に庵を結んで尼になったと伝わる。 地元の「尼寺(にんじ)」の地名はその名残と聞いた。とすれば、この法皇、大変女性にもてたと思われ、それがゆえに悲劇的な生涯を終えたとも思われる法皇なのだ。
花山法皇の御詠歌とされる歌に次の二歌がある。
「有馬富士 麓の霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風」
「山はみな離れ小島となりにけり しばし海なす朝霧の上に」
今も晩秋から初冬になると、この歌をほうふつとさせる写真のような風景が見られるそうだ。 (花山院HPより)

和風の美しい名を持ち、数奇な運命にもてあそばれたかのような花山法皇の生涯は、一篇の小説にも仕立てられそうな気もする。「ビル・エヴァンス」を継ぐといわれているイタリアのJAZZピアニスト「エンリコ・ピエラヌンツイ/Enrico Pieranunzi」がベースの「マーク・ジョンソン/Marc Johnson」と奏でるデュオ・アルバム「Transnoche(Beyond The Night)」は、数奇で高貴な美しい短編物語、或いは魂の会話を聴いているかのように思え、この暑さの中で怠惰に流されそうな気持ちを、凛としたものに戻してくれるのだ。
Trasnoche Enrico Pieranunzi & Marc Johnson / Egea

(写真;ルンド大学本部)




最近のコメント