JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

西国三十三ヶ所・番外「花山院菩提寺」を訪ねて

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(写真; 「古墳のある町並みから」~森本行洋さんのHPより拝借)

急坂の参道を、約900メートル登った標高400mの山上に、花山院菩提寺(かざんいんぼだいじ)はある。眼下には、有馬富士、千丈寺湖。そして、遠く瀬戸内海の小豆島をも望む絶景が広がる。我が家から車で40~50分、梅雨明けが予感される好天気の今日、不意に思い出してふらっと訪れてみた。

「白州正子」が、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の旅を始めたのは、東京でオリンピックが開かれている1964年54歳の時であった。そのことは「白州正子自伝」の最終章に書かれている。その西国三十三ヶ所観音霊場を定めたのは花山法皇であるといわれ、それゆえに花山院は、別格・番外札所と崇められ、西国巡礼をする人は法皇に敬意を表し、巡礼の旅の安全と成就を祈願して、まず花山院にお参りすることが慣わしとなったという。正子がここを訪れたかどうかは自伝に記述がないので分からないが、白洲家の菩提寺は、崋山院と同じ兵庫県・三田(さんだ)市内であることを考えれば、時期は別にして、訪れていたとしても何の不思議もない。

白洲正子自伝 (新潮文庫)

白洲 正子 / 新潮社


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さて、この花山院であるが、寛和元年(985)にわずか19歳で即位し、藤原氏との政争に破れ、たった2年で退位した後、剃髪して法皇となり、仏道の修行なかでこの地で終焉を迎えた「花山天皇」に由来している。法皇は、弘法大師の跡を辿る西国三十三所の巡礼の途中、当地にひかれて、晩年長保5年(1003)に隠棲、寛弘5年(1008)、この寺で41歳の若さで亡くなるまで仏道修行に励んだという。境内には御廟所のほか、木造の法皇像が安置されるため「西国巡礼本堂」とする「花山法皇殿」、本尊の木造薬師如来像が安置された「薬師堂」などが、紅葉の頃訪れたならが、それはそれは美しい光景であろうと思われるが、いまは目にも鮮やかな緑一色の楓(かえで)の樹木につつまれていた。御廟の傍らには、いつの時代か分からない苔むした墓がにひっそりと寄り添うように佇んでいる。
開祖は役行者と並んで知られる修験道の法道仙人による白雉二年(651年)の開基という。

山の麓には、退位し出家した法皇を慕って都から来た11人の女官と女御のものとされる墓や五輪塔、「十二妃(ひ)の墓」がある。女官たちは、女人禁制で寺に入れず、麓に庵を結んで尼になったと伝わる。 地元の「尼寺(にんじ)」の地名はその名残と聞いた。とすれば、この法皇、大変女性にもてたと思われ、それがゆえに悲劇的な生涯を終えたとも思われる法皇なのだ。

花山法皇の御詠歌とされる歌に次の二歌がある。
  「有馬富士 麓の霧は 海に似て 波かと聞けば 小野の松風」
  「山はみな離れ小島となりにけり  しばし海なす朝霧の上に」

今も晩秋から初冬になると、この歌をほうふつとさせる写真のような風景が見られるそうだ。 (花山院HPより)

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和風の美しい名を持ち、数奇な運命にもてあそばれたかのような花山法皇の生涯は、一篇の小説にも仕立てられそうな気もする。「ビル・エヴァンス」を継ぐといわれているイタリアのJAZZピアニスト「エンリコ・ピエラヌンツイ/Enrico Pieranunzi」がベースの「マーク・ジョンソン/Marc Johnson」と奏でるデュオ・アルバム「Transnoche(Beyond The Night)」は、数奇で高貴な美しい短編物語、或いは魂の会話を聴いているかのように思え、この暑さの中で怠惰に流されそうな気持ちを、凛としたものに戻してくれるのだ。

Trasnoche

Enrico Pieranunzi & Marc Johnson / Egea

 

我が青春のシネマ・グラフィティ(10) ~イングリッド・チューリン/野いちご~

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lrg_10327326.jpg(写真;ルンド大学本部)

前にも何回か触れたことがあったが、現役時代スエーデンの南端マルモ(マルメ、Malmo)という街に所管する子会社があり、役員会やら顧客廻りのため年に1~2回スエーデンに出張していた。マルモはスウェーデン南部、スコーネ県(スコーネ)最大の都市であるが、ある冬の休日に、そのマルモの北東に位置する都市「ルンド(Lund)」を訪れたことがある。ルンドの人口は約10万1千人の小都会。990年ごろ、デンマーク王のカヌートにより興された都市で、ルンド大聖堂やルンド大学で知られる美しい街。大学の職員と大学生が人口の4割ほどを占め、大学の都市と呼ばれている。この美しい大学都市を旅しながら、かって観た「イングマル・ベルイマン」監督のスエーデン映画「野いちご」(1957) を思い出していた。そして、その映画に登場した女優、硬質で、はじくとピンと音がなりそうな陶磁器の印象を持つ「イングリッド・チューリン」を・・・。

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「野いちご」はリアルタイムではなく高校の名画鑑賞会で観たのだが、その時代は洋画がハリウッド一辺倒ではなく、欧州、東欧、ロシア、ブラジルなど、もっとグローバルな選択肢に満ちていた時代であった。そして、変な表現ですが、これほど形の美しい頭蓋骨を持つ女優はいないのではないかと思った若き「イングリッド・チューリン」の美しさ。

「イングリッド・チューリン(Ingrid Thulin), 1926年12月7日 – 2004年1月7日」は、スウェーデン北部、ソレフテオー出身の女優。父親は漁師。子供のころからバレエを学び、ストックホルムの王立ドラマ劇場付属俳優学校で学ぶ。イングマール・ベルイマン監督の映画作品で世界的に知られる存在となった。ベルイマン中期の作品群はイングリッド・チューリンの演技に支えられていたと言っても過言ではない。1960年代以降は、アラン・レネやルキノ・ヴィスコンティの監督作品などにも出演。知性とエロティシズムを漂よわせた演技が特徴。1960年代以降ローマに在住していたが、癌のため帰国。ストックホルムの病院で死去、78歳。

イングマール・ベルイマン監督「野いちご;原題Smultronstället」(1957 )。主演はサイレント期の名優ヴィクトル・シェストレム。
79歳の老医学者イサクは50年に及ぶその業績を讃えられ、名誉博士号授与に赴く前夜、自分が死ぬ夢を見る。彼は息子夫婦の運転で式場のある「ルンド」へ向かうが、その途中、青年時代を過ごした旧宅に立ち寄り、そこで野いちごを見つけた彼は、若き日の婚約者との悲恋を回想しながら、 彼は思うままに過ごせなかった自らの青春を悔いる。そして車は式典会場へと向う。式典を終えたイサクは、その夜の夢で青春の頃に戻り、かっての婚約者に再会するが、その夢は幸福そのものだった。ある老人の1日を通して、死の予感や不安、人生のむなしさや喜びなどを、さまざまな夢や幻想を織り交ぜながら、回想という形で静かに美しく描きだした作品。この先、老いてから、若き日の自分やその人生の来し方を、私はどう回想するのだろうか。そのためにも、もっともっとしぶとく生きてみようと思うのだが・・・。高校生で観たときは、その意味するところが、実感として殆ど分からなかったが、今この歳になって、よく分かる「じじい映画」の傑作である。

野いちご
ヴィクトル・シェストレム / / ハピネット・ピクチャーズ
ISBN : B00005LJYA
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そして、やっとリアルタイムで見られると思って期待した、優等生の姉と奔放な妹との間にある人間的な葛藤を描いたイングマール・ベルイマン監督、イングリッド・チューリン主演の「沈黙;Tystnaden (1963年)」が封切られたが、過激な官能シーンが多く、我が国初の成人指定を受けため、ああ、残念ながら断念!!
その後、国際陰謀・サスペンス映画「カサンドラ・クロス/The Cassandra Crossing (1976年)」などで懐かしい顔を拝見しましたが・・・。

「ルンド」を訪ねたそのあとは、狭い海峡越しのすぐ間近にデンマークが見える「ヘルシンボリ」へ車を走らす途中、海辺の村の小さなレストランで北海からあがる魚のブイヤベースを食し、体が暖まった思い出も懐かしい。

マルモ音楽大学出身で海峡を隔てたデンマークのコペンハーゲンとを行き来しながら音楽活動をしているJAZZピアニスト「ヤン・ラングレン」。人気の「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」とは違って、カジュアルなやさしさとぬくもりの奥からほとばしる熱いエモーショナルな部分を感じるのだ。おなじみのスタンダード満載のアルバムは、「シャレード」。ジャケットの見開きには、マルモの街角とおぼしき見慣れた風景が拡がっていた・・・。

シャレード

ヤン・ラングレン・トリオ / エム アンド アイ カンパニー


そしてヨーロッパの各国の印象や想い出をちりばめた最新アルバムもぜひきいてみたい。

ヨーロピアン・スタンダーズ ヤン・ラングレン・トリオ

ヤン・ラングレン・トリオ / ビデオアーツ・ミュージック

60歳過ぎたら聴きたい歌(35) ~ Moondance ~

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今月22日、日本の南端トカラ列島などでは皆既日食が観測できるという。ご存知の通り、太陽と地球の間に月が入り、太陽を遮ることによって起こる自然現象であるが、そんなことを知らない古代の人はさぞびっくりしたに違いないだろう。子供の頃、下敷きや煤をつけたガラスなどで日食を観測した記憶があるが、科学で説明がつくとはいえ、子供心にはやはり不思議な天体ショーであった。そして今日は七夕・・・。

古来、月には魔力があると信じられていた。そして色々な物語りや詩歌で月の持つ魔力や魔法について語られている。JAZZの世界でも、ちょっと思い浮かべれば、「Blue Moon」、「Moon River」、「Fly Me To The Moon」、「Yellow Moon」、「Moon Glow」、「Moon Flower」、「Moonlight Serenade」、「Moon & Sand」、「Moonlight In Vermont」 ・・・ など、月をタイトルにした曲がいくつかたちどころにあがってくる。そんな「月」をタイトルにした「聴きたい歌」は、「Moondance」。ロック界のカリスマ「ヴァン・モリソン」の作詞・作曲である。

ある曲をそれまで何度も聴いていながら、映画のなかで効果的に使われているのを観て再認識し、大好きになった経験が何回かあるが、「Moondance」は、そんな曲の一つである。その映画はカーステン・シェリダン監督「奇跡のシンフォニー/原題;August Rush(2008年日本公開)」。「きっと会える」と信じて両親を探す少年の一途な想いと、その再会の奇跡を呼び起こす「音楽の魔法と感動」のファンタジー。ラスト10分間のドキドキ感とラストの感動に誰もが涙する。日本映画によくある予定調和の感動・お涙映画と違ってストーリーがよく出来ていて、分かっていながらも涙腺がつい緩んでしまった・・・。

ニューヨーク近郊の孤児院で暮らすエヴァンは、両親が必ず迎えに来ると信じているものの、11歳になるいままでその願いがかなう事は無かった。ある日不思議な音に導かれるように彼は孤児院を抜け出してしまう。たどり着いたマンハッタンで様々な出会いを経てエヴァンは、天才とも言える音楽の才能を一気に開花させる。
一方エヴァンは死んだと思っていたチェリストの彼の母ライラ、そしてライラと結ばれること無く一時は悲嘆にくれていたロック・ミュージシャンの父ルイスの二人も音楽に導かれるかのようにマンハッタンへ… 。

主人公の両親が、月が輝く夜に初めて出会い、一夜の恋に落ちる場面で、そのシーンに効果的に使われていた曲が「ムーンダンス」。映画の中では、「ロビン・ウィリアムズ」扮するストリート・ミュージシャンが吹くハモニカにあわせて、準主役の「ジョナサン・リース=マイヤーズ」が歌っているが、かれは「ヴァン・モリソン」と同じアイルランド出身であることに因縁を感じる。この映画、音楽映画としてもかなりのできばえで、クラシックからロックまでの幅広いジャンルの音楽が沢山盛り込まれているとともに、勿論アテレコであろうが、主人公が奏でるギターの音やテクニックにすっかり感心してしまう。

奇跡のシンフォニー [DVD]

ポニーキャニオン


下手な訳や解説などないほうがいいと思えるほどの美しい詩であるが、参考までに拙訳をつけておきましょう。

【 Moondance 】   作詞・作曲;Van Morrison (1970年)

「♪ We’ll,it’s a marvelous night for a Moondance
   With the stars up above in your eyes
   A fantabulous night to make romance
   ’Neath the cover of October skies
   And all the leaves on the trees are falling
   To the sound of the breezes that blow
   And I’m trying to please to the calling
   Of your heart-strings that play soft and low
   And all the night magic seems to whisper and hush
   And all the soft moonlight seems to shine in your blush

   Can I just have one more Moondance with you,my love
   Can I just make some more romance with you,my love
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ♪」

「♪ ムーンダンスにはこれ以上はないほど素晴らしい夜
   君の瞳に映った天空に星は煌く
   恋をするには信じられないほど素晴らしい夜
   10月の空を覆う満天の星の下

   樹々の葉を落としていく風の吹き渡る音
   僕を呼ぶような君の心の琴線が奏でる柔かく低い音色に
   僕は喜んで応えよう

   そうすれば夜は囁きと静けさの魔法につつまれ、  
   柔らかな月の光は君のほほをてらす

   さあ、ムーンダンスをもう一度君と・・・
   さあ、ロマンスをもう少し君と・・・    ♪」

この歌は何人かが歌っているが、「テッサ・ソーター」のアルバム「キー・ラーゴの夜」をあげたい。トリニダード・ドバゴ人の父と英国人の母の間に生まれたというから、歌いぶりにラテンの濃蜜な血を感じる。ミディアム・テンポの静かな歌いだし、そしてあの「And all the night magic ・・・・」のサビの部分のスイング感がぞくぞくするほど心地よい。ヴィーナス・レコードより大型新人女性ボーカル誕生。

キー・ラーゴの夜

テッサ・ソーター / ヴィーナスレコード


ヴァン・モリソン(Van Morrison、1945年8月31日 – )はイギリス(北アイルランド出身)のミュージシャン。1964年にゼムを結成し、デビュー。1966年にゼムを脱退し、ソロに転向。高い音楽性と歌唱力で多くのミュージシャンからの尊敬を集める。2000年にロックの殿堂入り。マスコミ露出が少なく、また飛行機嫌いで外国へ出ることも少ないことからあまりその素顔が知られず、カリスマ性を高めている一因にもなっている。そのような事から日本のロック・ファンの間では彼こそが「来日していない最後の大物」とされ、孤高の「アイリッシュ・ソウル・シンガー」とも称されている。

オリジナルのアルバムは、70年のアルバム『ムーンダンス』。このアルバムでは命の喜びを爽快に表現したという。これを含む一連の初期の作品はソウル/フォーク/ブルース/ジャズ、そして自身のルーツでもあるケルト・ミュージックをミックスしたものである。

ムーンダンス

ヴァン・モリソン / Warner Music Japan =music=


巷では全盲の天才ピアニスト、「辻井伸行」さんが大変話題を呼んでいる。そのサクセス・ストーリーもまた音楽の奇跡といえる・・・。

我が青春のシネマ・グラフィティ(9) ~エリザベス・テイラー/ジャイアント~

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「エリザベス・テイラー/Elizabeth Taylor 」をリアルタイムで観た最初の作品は、「クレオパトラ(1963)」。彼女はまだ31歳であったが、すでにハリウッド女優としての名声も富も名誉も全て手にしてしまっていたためか、高校生であった私の目には、名声だけが先行している熟年の凡庸な女優としてしか映らなかった。しかし、名画鑑賞会で「ジャイアント」をみて驚いた。まるで別人、際立って輝くオーラを放ち、ヴァイオレットの瞳を持つ初々しい「エリザベス・テーラー」がいたのだ。

「ジャイアント/Giant」は、1956年の作品。「シェーン」、「陽のあたる場所」のジョージ・スティーヴンス監督が、 第29回(1956年)アカデミー監督賞に輝いた作品である。書き終えるのに12年間かかったといわれる「エドナ・ファーバー」のベストセラーを映画化した3時間20分の大河ドラマである。 ドラマの中心となるのはテキサスのベネディクト家。牧畜から石油へ、うつりゆくテキサスを悠然たるスケールの演出で描くことによって、ジョージ・スティーヴンス監督は、テキサスの叙事詩、発達史を完成させようとした。女性の自立の問題や人種問題など、21世紀になった現在でも直面している問題に対して、先駆的に問題意識をおりこみ、1956年というこの時代に野心的な超大作であった。ロック・ハドソン(撮影当時28歳)、エリザベス・テイラー(当時23歳)、ジェームズ・ディーン(当時24歳、ジャイアントの公開直前に死亡)の若い主役3名は熱演、力演。若手が台頭し、ハリウッドが輝き始めた時代の作品であった。とりわけ「エリザベス・テイラー」の輝くばかりの美貌と演技は特筆される。

ストーリーは、テキサスに59万エーカーもの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)を妻に迎えるところから始まる。初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑う。夫の姉ラズ(マーセデス・マッケンブリッジ)の冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れるが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていく。このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童のジェット・リンク(ジェームス・ディーン)。彼は事故死したラズが遺してくれた土地に移って石油を掘り続け、ついに油田を掘り当て、石油事業を興して大金持ちになっていく。歳月は流れ、米国でも屈指の大富豪になったジェットと牧畜業がうまくいかなくなったジョーダンは、ホテルの祝賀パーティの席で対決の時を迎える。

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名画鑑賞会でみた、この「ジャイアント」で限定的ではあるが、エリザベス・テーラー・ファンになった私であったが、その後の演技絶頂期の作品は、高校入学が1961年であったため、残念ながらリアルタイムで見ることはなかった。ずっと後になってビデオやTVで観たが、確かに素晴らしい演技であったが、「ジャイアント」におけるオーラの衝撃に勝るものではなかった。人間の愛と欲望・醜さ・心の葛藤を描いた「テネシー・ウィリアムズ」の戯曲を映画化した「熱いトタン屋根の猫/Cat on a Hot Tin Roof(1958)」しかり、アカデミー主演女優賞を受賞した作品」、愛に飢えたコール・ガールを演じた「バターフィールド8/BUtterfield 8(1960)」しかりである。

最初にリアル・タイムで観た「クレオパトラ(1963)」の後は、2年後の同様に「リチャード・バートン」と共演した「いそしぎ(1965)」であるが、スキャンダル先行の中年太りの大味な女優といった印象しかなく、私の中の「エリザベス・テーラー」は、名画鑑賞会の「ジャイアント」ただ1作で永久に止まってしまい、今に至っているのである。しかし映画「いそしぎ」の主題曲「The Shadow Of Your Smile」は映画主題歌史上最高の名曲の一つで、1965年アカデミー主題歌賞、グラミー賞「Song Of The Year」を獲得したスタンダード中のスタンダードであり、多くのアーティストに演奏されている。

あまたのアルバムがあるが、いまやヴィーナスレコードの看板ピアノ・トリオとなった「New York Trio」のアルバムから、「過ぎし夏の想い出/The Things We Did Last Summer」。NYトリオのアルバムを一つだけあげろといわれれば、躊躇わずに、このアルバムをあげるほど私は気に入っている。ゆったりとリラックスしたなかに紡ぎだされるメロディ。「ビル・チャーラップ」は冒頭ソロでいつくしむように「いそしぎ」を演奏している。

過ぎし夏の想い出

ニューヨーク・トリオ ビル・チャーラップ ジェイ・レオンハート ビル・スチュアートヴィーナスレコード


そして歌アルバムから一枚をあげるとすれば、もう何回もこのブログに登場しているが、これも躊躇なくあげるのは「アン・バートン/Ballads & Burton」である。彼女のステージ・ネーム、「バートン」は、彼女が「リチャード・バートン」の大ファンであったがためにつけられたという。淡々とした語り口のなかに深い哀愁を感じさせる「いそしぎ」は秀逸。

バラード&バートン

アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ジョン・エンゲルス ルディ・ブリンクソニーミュージックエンタテインメント

お嫁さんの誕生日に・・・

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今月の「いもたこなんきん」です。昨年暮れに結婚した次男のお嫁さんの誕生日が7月にやってきました。若い女性の誕生日にプレゼントを贈るなど多分初めての経験。何を贈ろうかと、妻はしきりに考えていましたが、狭いながらも新居を構えているので、二人の生活に和らぎを与えてくれる何か「鉢植え」を贈ろうということに・・。そして、二人とも働いているので、花などより手がかからない室内の観葉植物かアイビーあたりにしようと考えたようです。

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早速、プレゼント選びに向かったのは、近くにある「Area +2」というお店。若い女性が、古い民家を改造して、アイビーや観葉植物、彼女の感性で集めたアンティック雑貨を中心においてある、ごく小さなブティックです。趣旨を話して、手ごろな観葉植物をアンティックなアルミの「蒸し器」の鉢カバーにしつらえてもらい、早速お嫁さんに届けました。大変気に入って喜んでもらえたようです。

最近神戸、わが故郷松本といい、今住んでいるわが街といい、若い人たちが自分の感性で開いた小さなお店が増えてきて、そこを訪れることが多くなっています。「Area +2」も私の住んでいる街にあるそういったブティックのひとつ。街に活気や個性、新しいセンスを与えてくれる小さくてもきらりと光るこんなお店が増えればいいなと思う。

最近の妻の「いもたこなんきんCD」は、徳永英明、伊東ゆかり、高橋真梨子と続いて、熟年歌手の日本のPOPSのカバー・アルバムに凝っているようです。「布施明/BalladeII」。

BalladeII

布施明 / ユニバーサル シグマ


そして、ニュージーランドの21歳のクラシック畑の歌姫「ヘイリー」がJ-POPSを英語で歌う「純~21歳の出会い」。

純~21歳の出会い~ヘイリー・ミーツ・ジャパニーズ・ソングス-デラックス・エディション(初回限定盤)

ヘイリー / UNIVERSAL CLASSICS(P)(M)

我が青春のシネマ・グラフィティ(8) ~ティッピー・ヘドレン/鳥~

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グレース・ケリー的正統派美人女優でありながら、たった2作限りで忘れがたい印象を残したまま、映画界から消息不明となった女優がいる。「ティッピー・ヘドレン/Tippi Hedren」。映画は、アルフレッド・ヒッチコック監督の「鳥 (1963)」、「マーニー(1964)」である。

「ティッピー・ヘドレン」は、1930年1月19日、アメリカのミネソタ州で生まれ。大学卒業後NYに出てファッション・モデルの仕事に就く。50年に映画デビューし、52年「ピーター・グリフィス」と結婚。57年に後の女優「メラニー・グリフィス」を出産したが61年離婚。その後、ぱっとせず、CMなどに出演していたところヒッチコックに見出され、63年の「鳥」で本格デビュー。従ってこのとき33歳の遅咲きデビューである。翌年「エクソシスト」のプロデューサー、ノエル・マーシャルと再婚して、「マーニー (1964)」、67年の「伯爵夫人」を最後に女優業を休止。しかし、マーシャルと82年に離婚して以降、TVMを中心に復帰を果たしたという。日本では未公開の映画やTV映画に出演しているため、消息がつたわらなかった。やはり「鳥」、「マーニー」の印象が強く、2作限りといわざるを得ないのだが・・・。

「鳥」。鳥が人間を襲い、食いちぎるという残酷なホラー映画。原作は女流作家「ダフネ・デュ・モーリア」の「鳥」であり、製作・監督は巨匠「アルフレッド・ヒッチコック」。出演者は「ロッド・テイラー」、「「スザンヌ・プレシェット」、「ジェシカ・タンディ」、そして遅咲きの、新人女優「ティッピー・ヘドレン」など。

突然、舞い降りてきた1羽のかもめが、メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン)の額をつつき飛び去った。これが事件の発端だった。不吉な影がボデガ湾沿いの寒村を覆った。若い弁護士ブレナー(ロッド・テイラー)は異様な鳥の大群を見て、ただならぬ予感に襲われた。そして、ほどなくブレナーの予感は現実となった。鳥の大群が人間を襲い始めたのだ。アニー(スザンヌ・プレシェット)の勤める小学校の庭では、無数のかもめが生徒を襲撃した。メラニーが恋人ブレナー家へ夕食によばれた夜、暖炉の煙突から、突然、すずめに似たフィンチが何百羽となく舞い込んできた。が、ブレナーがやっとのことで追い払った。どこからともなく飛来してくる鳥の群れは、ますます増える一方だった。そして、ついに鳥による惨死者が出た。農夫が目玉をくり抜かれて死んでいたのだ。

化け物や怪物、狂人が出てくるわけではない。ただ鳥の大群が人を襲うという意表をついたストーリー、そして恐怖。まさしくストーリーと脚本、演出によって日常生活が一転恐怖に転ずるという先駆者的ホラー映画であったといっていい。ロッド・テイラー、スザンヌ・プレシェット、ティッピー・ヘドレンなど典型的な、古典的といってもいい端正な顔立ちのアメリカの美男美女俳優が恐怖と不安に駆られるから、その日常から恐怖への暗転が一層際立つ。まさに巨匠「アルフレッド・ヒッチコック」の演出が冴える作品であった。そして、「ティッピー・ヘドレン」の新人女優らしからぬ落ち着いた表情と演技が際立っていたが、それもそのはず、このときすでに33歳、遅咲きのデビューであったのだ。

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「ティッピー・ヘドレン」が、その翌年に同じヒッチコック監督で主演したのは「マーニー」。共演は、「ショーン・コネリー」、「ダイアン・ベーカー」であった。幼児期の精神的衝撃から赤い色を恐れ、無意識の内に盗みを重ねる妻マーニーと、彼女を救おうとする夫の心理的な葛藤を描いた心理サスペンス。この作品も端正な美貌を持つ女性の裏に潜む異常心理の落差を描くには、やはり「ティッピー・ヘドレン」の主役はうってつけであったといえる。こうして、ヒッチコック監督によってデビュー連続2作にしてかなりキャラクターを作られてしまった「ティッピー・ヘドレン」はその後の女優としての役作りに苦労したのではないだろうか。それが2作にしてスクリーンから去っていった原因ではないだろうか。そしてこのとき65歳のヒッチコック、この作品以降、彼もまた演出の冴えを失っていった。

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「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」(ALFRED HITCHCOCK’S MYSTERY MAGAZINE 通称:AHMM) は、1956年に創刊。ヒッチコックの死後も雑誌は続いて、現在も刊行されており、「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)に続く、現存する世界で2番目に古いミステリ専門雑誌である。 日本版「ヒッチコックマガジン」も、宝石社から1959年から1963年まで発行されていた。高校、大学時代、外国ミステリーやSFにめざめた私が、日本版EQMMと並んで読み漁った想い出の雑誌でもある。

「鳥」といえば「バード」の愛称で親しまれたビ・バップの創始者でモダン・ジャズの父と呼ばれる「チャーリー・パーカー」。そのすさまじい閃きとドライブ感で繰り出されるアドリブは、いまなお誰も超えることが出来ないといわれている。ビ・バップ黎明期のパーカーの魅力と代表曲が詰まったアルバム。

名盤JAZZ 25選~Historical Albums of The 20th Century チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ~マスター・テイクス

チャーリー・パーカー / コロムビアミュージックエンタテインメント

安曇野遠望 ・・・

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(写真;実家付近より遠く望む北アルプス、手前は青い実をたわわにつけた林檎畑と葡萄畑)

あまり知られていないが、東天井岳(2,814m)に現れる「白い仔犬」の雪形(ゆきがた)や、これは有名な蝶ケ岳の「蝶」の雪形が見ごろになり、北アルプスの雪形シーズンもそろそろ締めくくりを迎えたという記事を地元紙で読んだ。雪形は、山肌の残雪やそこから覗く岩肌などで浮き出してくるポジあるいはネガの形を、人物や動物などの形に例え名前が付けられた、いわば山肌と残雪が織りなす自然の芸術である。常念岳(2、857メートル)山頂付近に姿を現す「常念坊」についてはこのブログでも以前にとりあげた。北アルプスには、昔からいくつもの雪形が伝わっていて、蝶ヶ岳や白馬岳など、雪形の名前が山の名前の由来となったものも少なくない。昔の人々は、この雪形を種まきや田植えなどを行う時期の目安、農事暦として、生活に取り入れていた。山に浮き出た雪形を実際に見ると、その自然の造形の清冽さと、「雪形」を「暦」として古来から永年にわたって続けられて人間の営みや智恵に感動を覚えてしまう。

(雪形を見たい人は安曇野市のHP、雪形マップを参考にしてください。)

北アルプスの麓、安曇野は大町市に居を構え、大型バイクで山野を駆り、安曇野の自然と協調、格闘しながら、文壇とは一線を画した孤高の作家活動をしている小説家がいる。1966年、『夏の流れ』で「文学界」新人賞とともに芥川賞を最年少受賞し、その後安曇野に移り住んだ作家「丸山健二」である。1943(昭和18)年、長野県の北辺、飯山市の生れ。1964年に国立仙台電波高等学校(現在の国立仙台電波工業高等専門学校の前身)を卒業後、東京の商社に勤務。23歳0カ月での芥川賞最年少受賞記録は、2004年に19歳の「綿矢りさ」が受賞するまで破られなかった。

そんな彼が、安曇野に移住してから、自宅の改築を機に、自分の全人格と、半生を賭けた「庭」を造ることを決意し、そのプロセスを記録したエッセイがある。「安曇野の白い庭 (新潮文庫)」である。

邪魔になるシラカバや桐の木を切り倒し、バラ、シャクヤク、ボタンなど白色の花を基調に、内外の珍しい品種も植えて、気品のある庭をめざした数年間の執念の闘いは、ロマンと感動に充ちている。 また、新しい土地に住まい、根ざすということはどういうことか、作者の人生観、生き様も感じ取れて、すがすがしい印象を与える好著である。

安曇野の白い庭 (新潮文庫)

丸山 健二 / 新潮社

丸山は安曇野についていくつかのエッセイを著わしている。「安曇野の強い風」もその一つ。かれの著作はどういうわけか絶版が多くなかなか入手しにくいが・・・・。
吹け! アルプスの白い風、原野をわたる青い風。けわしい北アルプスの山麓・安曇野に住み小説の執筆にいそしむ気鋭の作家が、四季折々につづる山野のスケッチと、生活の考えと楽しみにふれるエッセイ集。(帯コピーより)

安曇野の強い風 (丸山健二 エッセイ・シリーズ)

丸山 健二 / 文藝春秋


松本に帰省する時にきまって訪れる中古のCDショップがある。今回は、孤高、鮮烈という丸山健二と共通するキーワードのジャズ・ピアニストのCDを求めた。「ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani」である。

ミシェル・ペトルチアーニ(Michel Petrucciani, 1962年12月28日 – 1999年1月6日)は、フランス出身のジャズ・ピアニスト。先天性疾患による障害を克服し、かってフランス最高のジャズ・ピアニストと評価されるほどの成功を収めた。その独自性の強いスタイルはビル・エヴァンスらの影響を受けているといわれる。遺伝的原因から、生まれつき骨形成不全症という障害を背負っていたため、彼の身長は成長期になっても1メートルほどにしか伸びず、骨はもろく、演奏席までは他人に運んでもらわねばならないほどであった。またペダルに足が届かないため、ペダル踏み機を使わねばならなかったが、腕は標準的なサイズであったことで、鍵盤を弾くことができたのである。なんと15歳でプロ・デビュー。小さな体から発せられるその音は、ダイナミックで鮮烈で、清清しい印象を聴く人に与える。1999年1月6日、36歳の若さで他界。

求めたアルバムは、アメリカへ渡り、BLUE NOTEと契約した弱冠21歳の時のピアノ・ソロ・アルバム、「100 Hearts」である。1983年6月のNY、RCAスタジオでの録音。縦横無尽に鍵盤上を駆けめぐり、鮮烈なタッチのそのピアノ・ソロは、長く厳しい冬を耐えた後、一気に加速する安曇野の春を感じるような好アルバム。

100 Hearts

Michel Petrucciani / Concord Jazz



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