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おやじのハコものがたり(4) ~橋の歌~

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「♪ 私はいくつもの橋を渡ってきた 真実を求めて くもの巣のような鋼の吊り橋 小さな丸太橋 石造りの橋 旅する私はいつも異邦人で、いつも孤独だった 明日に繋がる橋がある 過去から繋がっている橋がある 消えることのない悲しみでできた橋も ・・・ 私は想う、きっと愛で繋がれた橋もどこかにあるはず ・・・ ♪」と歌うのはブラジルを代表するシンガー・ソングライター「ミルトン・ナシメント/Milton Nascimento」の「橋/Bridges」。「60歳過ぎたら聴きたい歌」でとりあげてもいいほど好きな歌の一つである。

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妻と一緒にヨーロッパで渡った最初の橋は、ドイツ・ハイデルベルグの「アルテ・ブリュッケ(古い橋)」。1788年「カール・テオドール選帝侯」によって架けられた石造りの橋である。私が初めて海外出張が、この街にある会社からの技術導入であったため、ほぼ1ヶ月の滞在の折、休日はもちろん平日にも何回かこの美しい橋を渡ったことがある。そんな訳で、妻との最初のヨーロッパ旅行の折には、おとぎ話に出てくるようなこの街に妻を連れてきたいと思っていたからである。正式名は、「カール・テオドール橋」というが、通常「アルテ・ブリュッケ(古い橋)」といわれている。 実際、町でも最も古い橋で、長さ約220mある。 橋にある門はは、もともと中世のころ町の城壁の一部だったという。この橋は、洪水など自然の猛威にはよく耐えたが、1945年第二次世界大戦の最終日に爆破されたが、戦後直ちに修復され、200年前と同じような美しい姿を取り戻した。3月の終わりのころ、ハイデルベルグはまだ冬の気配。近づいてくる春の兆しか、ネッカ河の川面に一面の霧が立ち込める朝、「アルテ・ブリュッケ」を渡り、ゆっくりと「哲学の道」へと向かった・・。

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フィレンツエ、アルノ河に架かる「ヴェッキオ橋」も思い出の橋。この橋のたもとにあるホテルに宿泊したので、毎朝、最上階にある食堂やテラスからは、朝日にきらめくアルノ河、黄金色に染まるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)、ドーモなどを見ながら朝食をとるという、まるで映画「眺めのいい部屋」のような至福の朝を迎えた経験がある。イタリア語で「古い橋」の名が示すとおり、フィレンツェ最古の橋。河川の氾濫などで何度か建て直されており、現在の橋は1345年に再建されたもの。橋の上にはヴェッキオ宮殿に繋がる「ヴァザーリの回廊」と呼ばれる回廊を持ち、両側には宝飾店が建ち並んでいるので、川が見える真ん中あたりまで来ないと、ここが橋であるとは分からない。朝は閑散としていた橋の上も、観光客が出てくる10時頃からは、身動きができないほど人で一杯となり、橋が落ちないかと心配するほどであった。

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1900年のパリ万博の時、セーヌ川をまたいでアンヴァリッド広場とグラン・パレ、プティ・パレの間を結ぶように建設された「アレクサンドル三世橋」も忘れがたい橋である。幅40m、長さ107mで美しい鋼鉄製の単一アーチ橋である。アレクサンドル3世橋はアールヌーヴォーの街灯、天使やニンフの像、ペーガソスといった華麗な装飾で有名である。 4隅の17mの高さの柱の上にはそれぞれ芸術、農業、闘争、戦争を意味する女神像が立っている。セーヌ川を走る観光船からこの美しい橋を見、エッフェル塔を観たあと、セーヌ川畔を歩き、足が棒のようになって、この橋のたもとで休憩をとったことも懐かしい思い出。
何回か妻と一緒に行ったヨーロッパ旅行、そのいくつかの思い出の中で「橋」は大きな位置を占めている。

さて、冒頭にあげた「橋」の歌であるが、オリジナルは「ブラジルの声」の異名をもつシンガー・ソングライター、「ミルトン・ナシメント」の名を世に知らしめた「トラヴェシア」。1967年、「タンバ・トリオ」と共にレコーディングされたデビュー作「トラヴェシア/Travessia」に収められている。インディ・レーベル発で、長らく幻のアルバムだったが、2003年に復刻された。「僕より遥かに偉大なミュージシャンだ」と解説で書いているのは、「カエターノ・ヴェローゾ」。

トラヴェシア

ミルトン・ナシメント / オーマガトキ


クリード・テイラーのプロデュース、エウミール・デオダード編曲による69年の「ミルトン・ナシメント」米国デビュー盤は、別の曲をアルバム・タイトルにした「コーリッジ/Courage」。アルバム「トラヴェシア」とほぼ同じ曲編成であるが、このとき英語詩によって「Bridges」が歌われた。去っていった恋人を想う原曲の歌詞とは大きく違うが、この英語詩「Bridges」の方が、私は好きである。

コーリッジ

ミルトン・ナシメント / ユニバーサル ミュージック クラシック


カサンドラ・ウィルソンと人気を二分する「ダイアン・リーブス/Dianne Reeves」のカバー。ずばり、この歌をアルバム・タイトルとした「Bridges」というアルバムもあるが、ここではライブ盤でギターの「Romero Lubambo」とデュオで歌う「Bridges(橋」)が秀逸な「イン・ザ・モーメント~ライヴ・イン・コンサート」をあげておきたい。

イン・ザ・モーメント~ライヴ・イン・コンサート

ダイアン・リーヴス / EMIミュージック・ジャパン


そして「伊藤君子」。先日のコンサートでも、彼女の大好きな歌の一つと語り、この「Bridges」を観客と一緒にハミングをしたばかり。アルバム「Once You’ve been in Love/一度恋をしたら」は、小曽根真プロデュースにより、ビッグバンドをバックに歌う、スイングジャーナル誌ゴールドディスクに輝く傑作である。なお、伊藤君子としては初の日本語による吹込みとなった武満徹作曲(谷川俊太郎作詞)の「MI・YO・TA」を小曽根真のピアノとのデュオで披露している。この曲もいい。

Once You’ve been in Love

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック


そのほか、私の知る限りでは、「村上ゆき/While My Piano Gently Weeps」、「鈴木重子/Silent Stories」、「英珠/Songs」で「Bridges」のカバーを聴くことが出来る。いづれも秀逸なアルバムであることを付け加えておこう。 

さて、「サイモン&ガーファンクル」に有名な橋の歌がある。その一つがご存知「59番街橋の歌/The 59th Street Bridge Song」。アルバムは「スカボロー・フェア」で始まる「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム/Parsley, Sage, Rosemary and Thyme (1966年)」。多分、団塊世代の皆さんにとって、これは思い出のアルバムのはず・・・。「もっとゆっくり歩こうよ きみは早く歩きすぎるよ ・・・」と歌いだされる名曲。「59番街の橋」とは、ニューヨーク、イースト・リバーに架かる「クイーンズボロ橋」のこと。

パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム

サイモン&ガーファンクル / SMJ


もう一つの歌は、我々世代であれば、多分知らない人がいないであろうと思えるくらい大ヒットした、永遠の名曲ともいえる「明日にかける橋」(1970年)。ここでは、オリジナル「サイモン&ガーファンクル」ではなく、「エヴァ・キャシディ/Eva Cassidy」のライブ盤を上げておこう。「病みつきになった」という言葉でしか表現できないアーティスト、「Eva Cassidy/エヴァ・キャシディ」。彼女の生涯最高のライブ盤「Live At Blues Alley」からの「明日に架ける橋/Bridge Over Troubled Water」は、魂のこもる鳥肌ものの熱唱である。

Live at Blues Alley

Eva CassidyEva Music

10月はJAZZの国・・・ (続き)

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さて、二日目は「わがJAZZミューズ」五人の中で、暫定ではあるが、ただ一人の日本人枠を埋めている「伊藤君子」のコンサートである。私は、彼女こそ日本の現役女性JAZZボーカルの最高峰であると思っている。コンサートは我が地元の商工会が主催して、もう今年で22回目を迎える「West River Jazz Concert」。その今回のゲストが彼女。

1946年生まれというから私と同じ年。香川県小豆島の生まれで、4歳のときラジオから流れる美空ひばりの歌声に魅せられて歌手を目指すようになったという。1989年日米同時発売されたアルバム「フォロー・ミー/Follow Me」は米音楽誌のジャズ部門で16位にチャート・インされるという日本人ボーカリストとして初の快挙を成し遂げた。また、このアルバムのタイトルにもなっている曲「Follow Me(恋のアランフェス)」は、ロドリーゴのアランフェス協奏曲の主題に詩をつけたもので、後の2004年、押井守監督のアニメ映画「イノセンス」のテーマ曲として、彼女が歌う「イノセンス・バージョン」が、大ヒットした。また、スイングジャーナル誌の人気投票では、1988年~1996年の女性ヴォーカリスト部門第一位を獲得、日本のトップJAZZボーカリストの地位を不動にしている。

さてその彼女が今回、ピアノ・トリオを引き連れてのコンサート。しかしこのトリオの顔合わせも、彼女との演奏もこの日が初だという。まずは、ピアノトリオの「枯葉」につづき登場、「イパネマの娘」、「ニューヨークの秋」でコンサートの幕が開いた。やはり、JAZZはライブである。コンサートホールでなく椅子席200ほどをしつらえた多目的ホールであったが、声の張りといい、艶といい、ノリノリ全速全開のスキャットといい、最初からJAZZボーカルの楽しさがびんびんと伝わってくる。「Summer Time」、「Fly Me To The Moon」ほか津軽弁で歌うスタンダードの頃になると、比較的おとなしかった客席もかなり乗ってきた。そして、名曲「Song For You」、「On A Clear Day You Can See Forever」、「You’ve Got A Friend」のドラマティックな熱唱で最高潮。そしてラストは「スイングしなけりゃ意味がない」、アンコールは「Follow Me」と締めくくった。

彼女をサポートした初顔合わせとはとても思えない抜群のトリオは、いずれも関西出身のてだれジャズマンたちで、よく歌うピアノは石井彰、ベースは西川サトシ、そしてドラムス、竹田龍彦であった。そして、この日を持って「暫定」ではなく、「伊藤君子」は「わがJAZZミューズ」のひとりとなったのだ。

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彼女のディスコグラフィからお薦めをいくつかあげておこう。まず、はじめて「伊藤君子」を聴いて見ようかという人には、ベスト盤がおすすめ。「Best of Best~Selected by 伊藤潔」。これまで伊藤君子のほぼ全作品を制作してきたプロデューサー伊藤潔氏が、1989-2004年のアルバムから、セレクトしたベスト・アルバム。「LOVE」、「イエスタデイ」、「明日に架ける橋」、「Close To You」など、ビートの効いたスタンダードから熱いソウル、甘いバラード、小粋なPOPSまで、これぞ女性ボーカルという美しい艶のある声で聞かせてくれる。

Best of Best~Selected by 伊藤潔

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック


神戸出身のピアニスト、「小曽根真」がプロデュースし、2000年にリリースされたNYでのスタジオ録音アルバム「KIMIKO」。このアルバムは、彼女の魅力を存分に引き出す事に成功し、自身3度目となるジャズディスク大賞日本ボーカル賞を受賞した彼女の代表的アルバムである。

KIMIKO

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック


香川県小豆島出身ながら、「伊奈かっぺい」氏との対談の中から生まれたという津軽弁によるJAZZといった新しい企画のアルバム。このなかから3曲がコンサートでも歌われた。津軽弁の響きがこれほど美しく、ジャズにマッチすることを認識させられる野心的な試みのアルバム。津軽弁での訳詩は、1曲デュエットもしている「伊奈かっぺい」氏ほか。「連でけって お月様さど 星コの中さ ・・・・(Fly Me To The Moon)」。これだからJAZZは楽しい。 

ジャズだが?ジャズだじゃ!~津軽弁ジャズ~

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック

10月はJAZZの国・・・

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10月になると、関西のあちこちでもJAZZフェスやコンサートが開催される。私の住むあたりでも、JAZZコンサートがいくつか開催され、この週末は、二日続けてその「はしご」となった。「秋吉敏子ピアノ・ソロ・コンサート」、「伊藤君子コンサート」のふたつである。これらのコンサートは、地域の商工会や自治体が主催するためか、民間主催のコンサートに比べ、極めて安価な入場料なので、我々シニアにとっては本当にうれしい企画である。「秋吉敏子」はシニア割引で3,000円、「伊藤君子」は、なんとペアで3,000円、しかも二人とも世界的に活躍する超一流JAZZアーティストであるのだからなんとも嬉しい。

最初のコンサートは、日本のJAZZアーティストの中で、忘れてはならない先駆者「秋吉(穐吉)敏子」のピアノ・ソロ・コンサート。1929年生まれ、御年79歳。戦後まもなく渡米し、先駆者として大変な苦労も重ねた彼女の50年に渡る米国でのJAZZ音楽活動が認められ、日本人としてはじめてアメリカン・ジャズ・マスター賞を受賞し、「ジャズの殿堂」入りをした。
コンサート会場は隣町、大阪府豊能町ユーベル・ホール。このホール、400席ほどの小振りの小屋ではあるが、音響もよく、JAZZからオペラ、POPS、落語までいつもユニークな企画を提供してくれる私が好きなホールの一つである。天井、壁、床とも白木のシンプルなステージに「スタインウェイ」がただ一台、彼女のアメリカでの歩みがこめられた「Long Yellow Road」でそっけなくコンサートは始まった。今年は「Duke Ellington」生誕110周年ということで、「墨絵」など自らの曲にエリントンの曲を交え、自らのJAZZ活動の歩み、想いを淡々と語りながらステージは進行していく。ルー・タバキンとの出会い、ビッグ・バンド結成、2003年に30年間も続け、数々の名演奏を残した「秋吉敏子ジャズ・オーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキン」を解散して、ソロやトリオに戻った理由を、「JAZZピアニストとしての原点に戻って、もう一度ソロでピアノを弾きたくなったから・・・」と語っていたのが印象的であった。

この12月で80歳を迎える彼女。実は今回が彼女のピアノを聴くラストチャンスかも知れないと密かに私は思っていたのだが、その考えは見事に裏切られた。その音楽性、スピード、タッチ、音の切れ、勢い、どれをとっても80歳を迎えようとする女性のそれではない。「枯れた」とか「円熟」とは程遠く、いまだ挑戦し、求め続けるJAZZアーティストの姿がそのステージにはあった。ビッグバンド解散後の彼女の精進や活躍がただ事ではないことを見事に証明している。ただ、敬服するばかり・・・。

その「秋吉敏子」に、このブログで一度触れたことがある。(ブログ HOPE「希望」~秋吉敏子のメッセージ~ 参照) そこに私は、「彼女が、原爆の地、ヒロシマの一枚の写真に写った女性にインスパイヤーされて、JAZZ組曲「ヒロシマ ~そして終焉から」を作曲し、広島でコンサートを行ったのが、2001年8月6日。そして、その直後に「9.11」が起こった。彼女は、それ以後のコンサートから、最後の曲に、この「ヒロシマ ~そして終焉から」の第3楽章「HOPE」を必ず演奏するようになったという」と書いた。
そして、今日のこのコンサートのラストも、オバマ大統領のプラハでの演説、アフガニスタンへの想い、国連での核廃絶宣言の採択に彼女は触れながら、やはり「HOPE」を演奏したのだ。想いがこもった優しい、強い音色であった・・・。

ヒロシマ そして終焉から
秋吉敏子ジャズ・オーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキン / / ビデオアーツ・ミュージック
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渡米50周年記念、秋吉の代表作を収録したライブ・アルバム。ベースに「ジョージ・ムラツ」、ドラムスに「ルイス・ナッシュ」のベテランを配したピアノトリオに加え、実生活のパートナーでもあるサックスの「ルー・タバキン」を迎えたカルテット編成の歴史的な一枚。スイング・ジャーナル主催 第40回(2006年度)ジャズ・ディスク大賞「日本ジャズ賞 特別賞」受賞の一枚。

渡米50周年記念日本公演

秋吉敏子 / ティートックレコーズ

 

(つづく)
 

猪名川に沿って (続き)

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さて、帰りは猪名川左岸を並行して走っている国道173号線を歩くことに。この国道は、大阪から能勢を経て丹波篠山へ抜ける国道であるが、古くは「能勢街道」とよばれた、妙見山の無漏山真如寺(能勢妙見宮)に至る旧街道と重なっている。池田や能勢で産する酒や衣類、木材がこの街道によって大坂へ運ばれ、更には能勢から奥に続く丹波国の米、栗、炭、銀、銅などの搬出路でもあった。現在は、車の通行量も非常に多く、車優先のための拡張工事やなにやらですっかりかわってしまったが、まだそこかしこに昔の街道の面影が残っているので、そんな町並みを楽しみながら、戻ることにした。

呉服(くれは)橋を池田市側に渡りスタート。この池田市は、上方落語の名作「池田の猪買い」の舞台でもあり、呉服橋の近くには町おこしの「落語ミュージアム」も建てられている。またこの付近には、呉服神社、絹延橋(きぬのべばし)などの地名も残り、その昔、養蚕技術や機織技術をもった朝鮮半島からの渡来人たちが住み着いていたことを推測させる。173号線、能勢街道を北へと向かうのであるが、右手、東側は、すぐに斜面が立ち上がっている五月山である。五月山公園は大阪有数の櫻の名所でもあり、また付近には、室町時代から戦国時代にかけ、この近辺を支配していた豪族・摂津池田氏により、築城された池田城跡や阪急グループ、宝塚歌劇の創始者「小林一三」翁が蒐集した5000点に及ぶ美術品や茶道具の個人コレクションを収めた逸翁美術館がある。

この街道筋で出会ったレトロな建物やお店をギャラリー風に・・・・。こんな建物やお店がまだ現役で街の中に息づいているのを見ると、本当にうれしくなってしまうのだ。

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創業元治元年(1864年)のうどん屋さん「吾妻(あづま)」。ここの名物あんかけの「ささめうどん」がめっぽう美味いのだ。冬の寒い日に体を温めるには最高。多分その昔も街道を行き来する旅人たちの疲れや飢えを癒したのであろう。旧池田実業銀行本店。1925年(大正14年)に建てられたもので、重厚さを残しつつ、派手さを抑えた大正時代末期の銀行の面影を残している。当時の池田市の繁栄振りが偲ばれる建物。大正12年(1923年)創業の食堂。その構えをみただけで、美味そうなカツ丼を食わせてくれそう。

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こちらは「創業百余年」の看板が揚がっている豆腐屋さん。手作りの豆腐なので、近辺の限られた食料品店でしか手に入らないが、ここの豆腐も実に美味い。そして、創業320年を誇る提灯屋さん。320年続いている提灯屋さんも凄いが、いまだに手作りの提灯を使っているお客さんがいるということも凄いと思うのだ。能勢、丹波は「農」と「林」の国。いまだに美しい里山が保たれている。そんな農作業や林業に必要な数々の道具を売っている店が何軒かあるのだ。店先にずらりと並べられた鋤、鍬、鎌、鉈などその道具の形も美しいし、「とぎ」と書かれた看板もおもしろい。

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この街道筋を中心とした商いで財を成した人のお屋敷だろうか、レンガ造りの洋館と黒塀、数寄屋造りの純和風の建物をくっつけた和洋折衷のお屋敷が建っている。裏へ廻ってみると、まるで明治か大正時代へタイムスリップしたような光景が目の前に現れた。

変化に富んだ水辺と歴史の残照が残る町並みを楽しんだこの日の猪名川ウォーキングは約2時間の行程であった。ゆっくりと眠れそうな心地よい疲れが後に残る、こんなウォーキングが私は大好きである・・・。

かってシカゴからLAへアメリカを横断していた国道は「ルート66」。今はハイウェイに取って代わられ、もはや地図の上からはなくなってしまい、いまは、ヒストリカル・ロードとして観光名所になっている。車やバイクで、かっての「R66」を走るシニア世代の日本人が最近絶えないという。そう、この「R66」には、あのTV映画に映し出された、まぶしいくらいに輝いて見えたアメリカへの憧れがこめられ、我々世代は、それを郷愁として、いまだにひきずっているのである。でっかいオープンカーのアメ車でR66を飛ばしてみたいという思い、よくわかるなあ・・。主題歌「ルート66」は、元々は「ナット・キング・コール」が歌い、日本でも大ヒットした歌。自らのギターとボーカルで、コールと同じピアノ、ベースを加えた編成のドラムレス・トリオを率いる「ジョン・ピザレリ」が、コールに捧げたアルバム「ディア・ミスター・コール」から。スイング感溢れる楽しさいっぱいの快演が見事。

ディア・ミスター・コール

ジョン・ピザレリ / BMGビクター


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そういえば、能勢街道にあった輸入雑貨の店先に、GMの破綻によってそのブランドの行方が注目されている、もっともアメ車らしい車ともいえる「ハマー」が880万円の値をつけて飾られていた。

猪名川に沿って

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絶好のウォーキング日和。久し振りに兵庫県と大阪府の境を流れる猪名川の河川敷に沿って歩いてみた。猪名川は、丹波高地の大野山(兵庫県川辺郡猪名川町)に源を発し、大阪国際(伊丹)空港の西側をかすめて神崎川と合流、大阪湾に流れ込む全長43.2 kmの川である。かっては、夏は遊泳や冬の凍った川でスケートなどが楽しめ、また河原で友禅を洗う風景も見られたというが、やがて特に下流域での水質汚濁が激しくなり、そんな姿も見られなくなっていった。たしか全国でもワーストのランクに入っていたのではないだろうか。しかし、行政や関係者の努力でかなり改善されてきたと聞く。最近では、河川敷も整備がされていて、水辺りまで市民に開放されている。

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飛び石状に作られた堰を渡って、対岸へ渡り、ウォーキングを開始。何箇所か設けられているこのタイプの堰は、水を完全に堰き止めるのではなく、飛び石の間に川は流れているので、専門的なことはよく分からないが、魚類の生息にもいいような気はする。この飛び石づたいに川を渡る、これが以外なことに自由な開放感があって大変爽快である。「水に近づく」ということは危険である反面、人間の根源的なところに快感や刺激を与える何かがあるのかもしれない。

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「ビッグハープ」と名づけられた高速道路の美しい吊り橋の下では、釣り糸をたれて鯉を釣るおじさんの姿。聞けば90cmクラスの大物が釣れるという。毎日のようにここで鯉を釣ることを楽しみにしているそうで、何回か大物も釣ったことがあるが、いずれも放流したという。また、週末土曜日とあって、河原にはBBQ(バーベキュー)を楽しもうという若者や家族連れが多く見られた。「BBQ禁止」の看板がなかったところを見ると、利用する市民の側もちゃんとルールやマナーを守っているのであろう。市民の自覚や協力なくして、水辺のいい環境も、憩う自由も得ることはできないのである。

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そして水質の浄化が進んできた証拠なのか、多くの水鳥たちが餌を探したり、泳いでいる。そのなかでも、ただ一羽、超然と佇んで、川面を見つめる鷺(さぎ)の姿が大変印象的であった。
猪名川を渡る阪急電車の鉄橋付近まで歩いてくると、そこの河原にはコスモスがいっぱい咲き乱れている。もうすこし秋が深まれば、水辺りであそぶ子供達の姿もめっきり減ってしまうのであろうが、今は暖かな日差しの中で、堤防に腰をおろし、水面にきらめく太陽の陽の光に眼を細め、子供達の歓声を聞きながら、しばしの休息をとった。

マリー・ラフォレのステージの音楽監督や数々の映画音楽を手がけ、それなりの地位を築いたのに、一転アマゾンのジャングルで原住民と暮らし、音楽的啓示を受けたアーティストがいる。ブラジル出身のギタリストでピアニストの「エグベルト・ジスモンチ/Egberto Gismonti」。猪名川のきらめく水面を見ながらふと思い出した。盲目の信仰、鋭いナイフ、孤独の舞い・・といった曲のタイトルからも感じられるように、アコースティックなサウンドがアマゾンの密林に根ざした原住民の原始の宗教、祈り、あるいは讃歌といったものを感じさせる。

輝く水

エグベルト・ジスモンチ / ユニバーサル ミュージック クラシック


   (つづく)

パイオニア・加藤和彦死す・・・

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加藤和彦氏が軽井沢のホテルで自殺したと報じている。1947年生まれ、62歳、まさに団塊の世代。京都出身、1965年龍谷大学中に北山修氏、橋田宣彦氏らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」結成、その後のフォークソング・ブーム、アマチュア・バンドのプロデビューの先駆けとなった。早回しなんて誰も思いつかなかった手法で録音された、奇妙でコミカルな「帰って来たヨッパライ」は280万枚を超える大ヒット。「イムジン河」は政治的思惑で発売中止、かわりに発表された「悲しくてやりきれない」が大ヒット。「サディスティック・ミカ・バンド」による日本バンドの本格的海外コンサート・ツアーで高い評価。作詞家「安井かずみ」さんと結婚、その夫婦の新しいライフ・スタイルは世代を超えて共感を呼んだ。映画音楽、スーパー歌舞伎への新たな取り組み。再結成した「サディスティック・ミカ・バンド」で「木村カエラ」をブレイクさせた。・・・・・・・
彼の軌跡は、まさしく「先駆者、パイオニア」と呼ぶにふさわしい。

加藤氏が北山氏にいった言葉。「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」。

音楽やレコードというものは音楽会社・レコード会社がプロデュースするもの、作詞・作曲はえらい先生が作ったものをありがたく頂くもの、歌手になるためには、有名歌手や作曲家に弟子入りし、下積みから出発するもの、素人(アマチュア)のバンドの自作自演なんてヒットするはずがない ・・・・。そんな既成概念やルールや業界常識をすべて破ってくれたのが「加藤和彦」である。62歳での死はいかにも惜しい。まだまだブレイクすべき活躍の場はあったはず。一体何が彼をそうさせたのだろうか・・・。

「団塊の世代は、後輩世代に何にも残してくれなかった」なんて、「甘ったれ」をいう人がいるが、旧世代支配をなかなか乗越えられない政治や企業の世界ならいざ知らず、音楽の世界では加藤が残してきた軌跡をみれば、一目瞭然である。

合掌 ・・・・・。

澤田研二、谷村新司、小田和正、矢沢永吉、井上陽水、吉田拓郎、北野武、松田優作、つかこうへい、ヒロ・ヤマガタ、村上春樹、そして鳩山由紀夫もみんな彼と同じ「団塊の世代」。

今宵もオリオン座付近に大流星群がみられるという・・・。

おやじのハコものがたり(3) ~生き続けるモニュメント~

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「モニュメント」といえば、私の頭に最初に浮かぶのは、「太陽の塔」である。私が入社した翌年の1970年に開催された「大阪万国博覧会」のシンボルである。制作は「岡本太郎」氏。休日や会社の終業後に何回となく万博へは遊びに行った。あの万博から来年でもう40年になるんですね。多くの近未来もどきのパビリオンが所狭しと建っていた万博の跡地は、今は整備されて、「万博記念公園」という広大な公園になって、四季折々、市民の憩いの場所や櫻の名所となっている。同じような万博の遺産「EXPOタワー」は老朽化で最近取り壊され、当時を偲べる「ハコもの」で残っているものはこれくらいである。デザインが発表された当時は、「鶏のとさか」とか「意味不明」とか揶揄もされたが、スエーデンの友人は「素晴らしいデザイン」と絶賛していたのを思い出す。そして、万博公園の脇を走るモノレールが、会社近くまで延伸されてからは、定年まで毎日あの金色に輝く顔をもつ塔をみて通勤した。「太陽の塔」は、私のサラリーマンとしてのモニュメントでもある。

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兵庫県淡路島の北東部、淡路市東浦町に高さ100m(台座20mを含む)に及ぶ観音像が建っているのをご存知だろうか。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにある両手を広げたキリスト像の高さは約30m、有名なニューヨークの自由の女神像は、高さが48mというから、100mというのは、ずば抜けた高さである。対岸の大阪・岸和田、関西空港あたりからもよく見え、大阪湾を横断するヨット・クルージングの際は絶好の目印でもあった。

この像は、「世界平和大観音像」。今から27年前の1982年(昭和57年)、まさにバブル真っ只中に、地元淡路島出身の実業家が、不動産で巨万の富を得、故郷に錦を飾る意味で建立したという。しかし、観音像とはいうものの、およそ宗教とは無関係で、館内はその人が蒐集した絵画、甲冑、クラシックカーなどが展示されているという。最初の頃こそ入場者があったものの次第に減り、ついには赤字のため、2006年(平成18年)に閉鎖されてしまった。まさに、「バブルの遺産」を象徴するようなモニュメントである。まっ、バブルでなくともおなじ結果になったであろうが・・・。 

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世界平和大観音は現在、沿道から外観だけを見ることは可能であるが、アップで観ると分かるように、造形がかなり稚拙なのは否めないし、観音様のありがたさも感じない。そして首のところにある展望台は、下から見上げるとちょうどギブスのようにも見え、誰が名づけたか、人呼んで「ムチウチ観音」という言葉がぴったりする。建てた実業家も今は亡くなり、所有権も転々とし、神戸地裁から競売の手続きが取られているという。見向きもされず、朽ち果てる一方で危険な状態となり、取り壊すのにも数億円掛かるらしく、市では対策に頭を痛めているらしい。まさに、無用の長物、巨大ゴミと化した「ハコもの」が、如何に無残であり、迷惑であるかを象徴しているが、その結末はどうなるんでしょうか・・・。

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神戸市長田区の若松公園で9月29日、「鉄人28号」の原寸大モニュメントを覆っていた幕が取り外され、高さなんと18メートルの青い巨体が姿を現した。早速行ってみた。でかい!鉄人28号があのポーズを取っている。ここ長田地区は、あの阪神淡路大震災で最もおおきな被害があった地区。「鉄人28号」は同市出身の漫画家、故「横山光輝」さんの代表作で、地元の商店主らでつくるNPO法人「KOBE鉄人PROJECT」が阪神大震災復興のシンボルとして数年がかりで制作した。「鉄人28号」は、「鉄腕アトム」と並んで、私の子供時代大人気になったロボット。アトムとは違って、自分の意思は持たず、正太郎のもつリモコンによって操縦される操縦型ロボットの元祖であった。その「操縦型」という点で、技術屋志向の私はアトムより好きであったのだ。この時代のロボットは、いまからすると、リアリティに欠ける反面、のどかというか、どこか緩いキャラであるのが特長ともいえる。この鉄人、現在は足元の整地工事の為、再び工事用フェンスで囲まれているが、11月末の工事完了後は足元をくぐれるようになるという。大震災復興のシンボルとして、いつまでも愛され、この地に根付くことをのぞむばかりである。東京・お台場にも巨大なガンダムが建てられたというニュースも・・・。

わが40年のJAZZ歴におけるモニュメント的アーティストは誰であろうか?一人は間違いなく「アートブレーキーとジャズ・メッセンジャーズ/危険な関係のブルース」である。私をJAZZの世界に誘った記念碑的作品に他ならない。その後の「我がJAZZY音楽遍歴」は「我が青春のジャズ・グラフィティ」などで書いたとおりである。そして、もう一人は、女性JAZZボーカルの魅力に最初に開眼した「阿川泰子」であろうか。’80年発表のアルバム「JOURNEY」は、その美形ぶりをもって、一気にホワイトカラー族をJAZZファンに引き込み、当時30万枚の大ヒットを記録したというからすごい。彼女のブレイク前、1970年代後半ではなかろうか、当時大阪・中之島にあった「プレイボーイ・クラブ」で歌う彼女を初めて見て魅了され、その時の彼女の写真を、今だ密かに持っているのです。そして忘れてはならないのが、「アン・バートン」。何回もこのブログに登場してくるように、女性JAZZボーカルの魅力にのめりこんでいったモニュメント的歌手の一人である。

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JOURNEY
阿川泰子 / ビクターエンタテインメント
ISBN : B0000561AS

ブルー・バートン
アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ピエ・ノールディク ジョン・エンゲルス / ソニーミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005G4A3

おやじのハコものがたり(2) ~橋の思い出~

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250px-LGBWilliamsburgBridge.jpg(写真;ウィリアムズバーグ橋、NY)
いくつもの国で、いくつもの橋を渡ってきた。歴史のランドマークともなっているテームズ川の「ロンドン・ブリッジ」、装飾とライトアップが華麗なセーヌ川の「アレクサンドル三世橋」、14世紀に建てられ、フィレンツエはアルノ川に架かる回廊を持つ橋「ヴェッキオ橋」、世界で初めて建造されたというエジンバラ近郊の鉄製橋梁、マンハッタンの夜景に息を呑んだ「ブルックリン橋」、イースト・リバーに架かる美しい吊橋「ウィリアムズバーグ橋」。フロリダ半島のマイアミの先、キーウェストまでの400km、小島や砂州を結びながら、一直線に延々と続く橋の数々・・・。

amarube.jpg(写真;冬の餘部鉄橋)
水都・大阪、八百八橋の名残を代表する淀屋橋、心斎橋、渡辺綱の鬼伝説があり、洛中・洛外を分けたという京都・堀川一条通に架けられている橋「一条戻り橋」、時代劇には欠かせない京都八幡市木津川は木造りの「木津の流れ橋」。明治45年に開通し100年間利用されたが、コンクリート橋への架け替えが進んでいるため、もう見ることが出来ない兵庫・香美町、山陰線にかかる「餘部(あまるべ)鉄橋」・・・。

古来より、町は水利、水運を利用するため、川のほとりに造られ発展してきた。やがて都市への発展とともに両岸を結ぶ橋が架かる。やがて鉄道、モータリゼーションの発達。そうして、橋は国を繋ぐ、地域を繋ぐ、人を繋ぐ、そして心を繋ぐ。その一方で、諍いや争いも招いてきた。だから、「橋」は美しいが、悲しいし、幾多のドラマを生んだ。第二次世界大戦末期、ライン川に架かるこの橋をめぐる連合軍とドイツ軍との攻防を描いた「レマゲン鉄橋」、タイ・ビルマ国境をながれるクワイ川に日本軍が架けた泰緬鉄道の鉄橋をめぐる戦いの「戦場にかける橋」、変わらぬ愛を誓った「君の名は」の数寄屋橋、イタリアからやってきた戦争花嫁とカメラマンの孤独な魂のふれあいを描いた「マディソン郡の橋」 ・・・など、ちょっと思い起こしてみても、橋をテーマにした映画も多い。

「コンクリートから人へ」の新政権の掛け声の中、無駄な公共事業、ハコもの行政批判を超えてわが国にも、「美しい橋」は多く存在する。そんないくつかの「美しい橋」の中で、私は吊り橋が好きである。「人や車を渡す」という単純な目的を達するために建造されるのが橋であるが、そのシンプルな機能美のなかで、吊り橋はとりわけ美しい。先日、淡路島・徳島へ出かけたときに、本州四国連絡橋である「明石海峡大橋」と「大鳴門橋」を渡ったが、この二つの吊り橋も美しかった。

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(写真;左 舞子側から見た明石海峡大橋 右 四国側鳴門山からみた大鳴門橋)

明石海峡大橋は、明石海峡を横断して架けられた全長3,911mの世界最長の吊り橋である。大震災にも耐え、1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。吊橋の規模を示す中央支間長(塔と塔の距離)は、世界一の1,991m、さらに主塔の高さは海面上約300m、東京タワー(333m)とほぼ同じ高さ。一方、大鳴門橋は、四国と淡路島の間にある「鳴門の渦潮」で知られる鳴門海峡に架けられた吊り橋。橋長は1,629m、中央支間長は876m、主塔の高さは144.3mで1985年6月8日に開通した。
かって、淡路島にすんでいた少年は、対岸に夢のようにきらめく神戸の灯りを見ながらいつも、「いつか向こうへ渡るんだ」と誓っていたという。その少年が、俳優・渡哲也氏である。明石海峡大橋ができてから、対岸へ渡る夢は、いとも簡単にかなえられるようになったが、かっての国道筋の旅館や店は閉店がかなり目立つように思える。そういえば、明石海峡大橋のライトアップは、照明デザイナーの石井幹子氏がデザインし、景観照明システムは、私が事業責任者だった時に納入し、2000年元旦のカウントダウンを迎えたことも懐かしく思い出される。

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わが家のご近所の吊り橋もあげておこう。阪神高速池田線の猪名川に架かる一本主塔の吊り橋である。その美しい斜張のワイヤが巨大な竪琴に似ているため、「ビッグハープ」と名づけられている吊り橋。大阪への車でのアクセスに、下を流れる猪名川河畔のウォーキングにと、日々の生活の傍らにある「ご近所吊り橋」である。

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そして、思い出の橋の一つは「エーレスンド橋」。デンマークの首都コペンハーゲンとスエーデン第三の都市マルメとの間のエーレスンド海峡に架かる橋で、中央部が吊り橋構造となっている。2000年に正式開通したが、それまでのマルモ出張は、コペンハーゲン空港から、ヘリコプターか、高速フェリーで渡っていた。橋の完成後は、コペンハーゲン国際空港へ列車で40分程でアクセスでき、非常に便利になった。スエーデンでの事業を担当していた後半の出張は、この橋を何回もマルメへと渡った想い出の橋である。デンマーク側には3,510mのトンネルがあり、複線の鉄道は、4車線の道路の下を通っている。斜張橋部分はスパンが490mあり、世界でも最長クラス、主塔の高さは204m、全長は7,845m。日本のハコもの行政に金がかかり過ぎるという例として、この橋の総工費と東京湾アクアラインの比較が報道などで、よくでてきたことがある。ちなみに、橋全体の建設費は当時、301億DKK(約6,000億円)で、2035年までには建設費を償還できる見込みであるという。かたや東京湾アクアラインの総事業費は約1兆4,409億円であったという。

テナーの巨人「ソニー・ロリンズ」の名演・名盤に「橋」というアルバムがある。1959年の夏、人気の絶頂にあった「ソニー・ロリンズ」は自分の演奏を見つめ直すため、突如引退する。彼が活動停止中、橋で練習を続けていたところを雑誌にスクープされたが、その橋が、「ウィリアムズバーグ橋」であった。1961年11月には活動を再開し、1962年初頭には「ジム・ホール」などを従えて、久し振りの新作をリリース。そのアルバムのタイトルは、あの練習場所にちなんで「橋」となったのだ。JAZZ史における有名な「橋伝説」である。3年間の沈黙を経ての復帰第1作。自信に満ちた堂々としたプレイとピアノレスならではの「ジム・ホール」との掛け合いが聴きどころの名盤である。

ソニー・ロリンズ / BMG JAPAN


「ポール・フライシャー」の「ザット・ブリッジ/That Bridge」。1944年生まれ、「Manhattan School Of Music」で音楽を学び、N.Y.を中心に演奏活動をしていたらしい。その後アメリカでの音楽活動があまり上手くいかず、1995年、日本人の夫人と共に大阪へ移った。しばらく音楽から離れていたが、「君はまだミュージシャンだよ」と旧友に励まされ、大阪のライブハウスを拠点に活動を再開した。そのうち、「日本にすごいアメリカ人テナーがいる」と評判になり、今回、古巣のN.Y.での録音となったという。ちょっといい話・・・。「ケニー・バロン」らを従えての、ワンホーン編成、豪快でよく歌うテナー。故郷N.Y.での復活を象徴した、このCDジャケットの橋は多分「ブルックリン橋」。

ザット・ブリッジ

ポール・フライシャー / スリーディーシステム


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マンハッタンからジョン・F・ケネディ空港へ行くには、いつも「クイーンズボロ橋」を渡る。100年前の1909年完成の美しい橋。ルーズベルト島をまたいで、マンハッタンとクイーンズを結ぶ。幾多の映画にも出てくるし、NYCマラソンでは、ランナー達はこの橋を駆け抜ける。そして、「サイモン&ガーファンクル」の名曲「五九番街橋の歌」は、この橋を歌った歌。私がいつもニューヨークに想いを残し、後ろ髪をひかれる思いで、日本に帰るためJFK空港へと急いだ橋、「クイーンズボロ橋」・・・。
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おやじのモノ語り(9) ~ヒーローなキャラたちー~

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アメリカへ出張して困ったのことの一つは家への土産である。はっきりいってろくな物がないのだ。だいたいどこへ行っても、メジャー・リーグ、NBL、NFLのキャップかTシャツ、後はナイキぐらいである。特に子供へとなると殆ど土産として選ぶものがないのである。ゲームや新作映画のビデオテープも考えたが、アメリカ以外の国でのプロテクトが施してあったり、再生方式が違うやらであきらめた。ナイキの靴を買ってきたこともあったが、1足なら何とかなるが3足となるとスーツケース一つではもう不可能。仕方がなく、ある時から、映画やアニメのキャラクターを土産に選ぶようになった。最も多かったのは、「スター・ウォーズ」のキャラクターである。当時(今でも?)、アメリカ本土でこのような精巧、精密で、安価な量産模型品を作れるわけがなく、殆どが日本製であった。それでも、私は無類の映画好きで、「スター・ウォーズ」大好き人間であったから、さあ大変、出張する度にキャラクターが増えていった。Xウィング、ライトセーバー、C-3PO、R2-D2、スター・デストロイヤー、ミレニアム・ファルコン号、タイ・ファイター、AT-AT などなど・・・・。結局のところ、自分がはまってしまったのである。映画はもちろんの事、アート展なども子供と見に行ったことも懐かしい。

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私にとって、スペースオペラ(宇宙大活劇)映画は「スター・ウォーズ」の前に「スター・ウォーズ」なし、「スター・ウォーズ」の後に「スター・ウォーズ」なし、といまだに思うくらいの大ファンである。とくに1977年から1983年にかけて公開された「スター・ウォーズ」の「旧3部作」は、SF映画の歴史を変えたパイオニアにして、いまだにその発想、ストーリー、画面のスピード、迫力には感嘆する。第一作「スター・ウォーズ」(エピソード4)*(1978年日本公開)の後、1980年「スター・ウォーズ/ 帝国の逆襲」(エピソード5)、1983年「スター・ウォーズ/ ジェダイの復讐」(エピソード6)**と続く旧3部作は次作の公開が本当に待ち遠しかった。「遠い昔、遥か彼方の銀河で・・・・」。あのオープニング・シーンが始まるともうゾクゾク、ワクワクしたものである。映画の原点、エンターテイメントそのものであった。
注)*;後に「新たなる希望」の副題がつけられた  **;後に「ジェダイの帰還」に変更された
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子供達もみんな巣立ってしまった今、かって土産として買っきたキャラクター達はの殆どは、壊れたり捨てられてしまって残っていないが、わずかに手元に残っているいくつかのキャラクターやパンフレット、DVDなどを引っ張り出したりしては、やはり「スター・ウォーズ」が好きだった子供達と、狭いマンションでみんなでビデオを観ていた頃の事を、妻と懐かしんでいる。
そして、先日、神戸元町・南京街の雑貨店頭で見かけた「ブルース・リー」の等身像。こんなキッチュなキャラに、思わず見とれ、嬉しくなっては写真を撮ってしまう昔と変わらぬ自分がいた。
P1020828.JPG 「アチョー~~!」という、あの甲高い雄たけびが世界中を熱狂させた、「ブルース・リー」のハリウッド初主演映画「燃えよドラゴン」。鬼才「ラロ・シフリン」のテーマ曲もずいぶんと有名になり、多くのJAZZバンドがカバーをしている。「東京スカパラダイスオーケストラ」のパワフルで、スピード感と緊張感に満ちたサウンドの「燃えよドラゴン」はアルバム「FULL-TENSION BEATERS」から。

スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

FULL-TENSION BEATERS

東京スカパラダイスオーケストラ / エイベックス・トラックス

ゴジラを観た夜

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私の記憶では、亡き父親に連れられて、初めて映画館で観た映画は、「ゴジラ」であった。昭和29年(1954年)、私が8歳の時である。東宝特撮映画の記念すべき第一作であり、着ぐるみ、ミニチュア模型などの独自のアイデアが日本映画の空想科学映画というジャンルに革命をもたらしたと言える。監督は本多猪四郎、特撮は円谷英二など4人が担当した。ストーリーは、水爆実験の影響で日本近海で眠っていた怪獣「ゴジラ」が目覚め、東京を攻撃する。口から恐るべき放射能を吐き、すべてのものを焼き尽くしていく。ゴジラに対抗しうる唯一の兵器、「オキシジェン・デストロイヤー」を完成させた若き科学者芹澤は、それを「ゴジラ」に使用するも、その兵器が以後核兵器のように悪用されることを恐れ、自ら「ゴジラ」の絶命を見届けながら、運命をともにしていく・・・。

デアゴスティーニ社から東宝特撮映画DVDコレクションで「ゴジラ」が発売になったので、早速買って観た。私に残っている映画の記憶は、ゴジラが海から出てくる場面、銀座を破壊する場面、ラストの科学者が海に潜水していくシーン、それとあの独特のゴジラのテーマ音楽ぐらいであったが、50数年後、改めて観て、そのストーリーの面白さ、丁寧な映画のつくり、破壊シーンの迫力、核反対の寓意、メッセージ性など、やはり名作にふさわしい映画であることを再認識した。ゴジラ本体はなかなか画面に出てこず、咆哮、足音、音楽などが緊張感と恐怖感を盛り上げていく手法は、スピルバーグの「ジョーズ」に影響を与えたということも十分納得できる。

注)写真は東宝リリースのDVD

ゴジラ [DVD]

東宝

 

「ゴジラ」を観て、幻想と叙情の詩人「レイ・ブラッドベリ」の短編「霧笛」を思い出した。たった一人だけ取り残された太古の恐竜が灯台の霧笛を仲間の呼び声と思い、海の底からあがってくるが、仲間ではなく、やはりたった一人だったことに気がつき、傷ついて、再び深い海の底へ去っていくという不思議な静けさと悲しい詩情に満ちた作品である。その恐竜は、「ゴジラ」と同じように、怖いけれど、不思議に澄んだ悲しい眼を、きっと持っているに違いない。「霧笛」は、太古の昔、遠い未来の果て、この世にあらぬものを詩情溢れる筆致で描く、ブラッドベリ自身が16編を自選した珠玉の短編集「ウは宇宙船のウ」に収められている。


ゴジラを観た夜、TVはオバマ大統領に今年のノーベル平和賞が授与されるというニュースを告げていた。期待、エール、それともプレッシャー ・・・・。

ウは宇宙船のウ【新版】 (創元SF文庫)

レイ・ブラッドベリ / 東京創元社



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