平成7年(1995年)1月17日火曜日、午前5時46分52秒
マグネチュード7.3、最大震度7
死者6434人、全壊家屋104,906棟、全焼建物7,036棟、電話不通30万回線、停電260万戸
ガス停止86万戸、断水130万個、罹災世帯9,017世帯、避難人数30万名以上 ・・・・
あの揺れの恐怖は15年経ったいまだに体が覚えている
幸いにもわが家は大きな被害もなく、家族も無事であった
そして揺れの次に来た恐怖、ライフラインが止まった
電気、ガス、電話がとまり、暖をとる術や調理の手段がなくなった
そして情報もとだえた
家族を守りきろうと考えた
旧式の石油ストーブや食料を買いに奔った
午後になって我々の地域は、送電が再開された
TVに映し出された神戸の惨状は眼を覆うばかりであった
ただただ 鎮魂 黙祷 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
近くの市民グラウンドに仮設住宅が建ち、いつのまにか撤去された
震災後、他地域から神戸に移ってきた人26%、震災後に生まれた人10%
震災を体験してない人が神戸市民の1/3を超えたという
いまだに覚えているCM映像がある
「水自由に使ってください」
公共広告機構のCMだった
きっと一生忘れてはいけないCM
人の善意が信じられる映像として、いつまでも心に残った

