JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

祭りのかたち ~ 海の記憶、山への畏敬 ~

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6年に一度行われる諏訪大社の「御柱祭り」がTVで大変話題になっている。勇壮な「木落し」の様、立ち上げのときの残念な死亡事故などがNEWSで報じられていた。この祭りは、中世以前から脈々と行われている神事であり、大阪・岸和田の「だんじり祭り」もそうであるが、男気を競うこの種の伝統行事に起こった事故の責任を、刑事事件として取り扱うには馴染まないのではないかと思う。もちろん事故がないことが一番であるが ・・・。この諏訪大社の「御柱祭り」が一番有名であるが、実は御柱祭りは信州・中南信地区の他の神社でもひろくおこなわれている神事なのである。

私の実家のある地区の氏神、須々岐水(すすきがわ)神社(別名;薄宮)や、その周辺の神社でも御柱祭りが諏訪大社と同じ形態で行われている。諏訪大社と同じ年に行われる神社もあるようだが、実家の氏神では、諏訪から1年遅れの卯年、酉年の年に行われるのが習わしである。今回も境内を訪れてみたが、5年前に建てられた御柱は、来年の建替えの神事を待って、今はひっそりと聳えていた。古来から日本人は、古い樹、大きな樹を「神の依り代(憑り依、よりしろ)」として崇めてきた。そして、特に大きな樹木を神聖視して、これを祀り、崇めることを「巨木信仰」というが、山の恵みへの感謝、クヌギのように木の持っている再生力、永遠ともいえる巨木の生命力にあやかりたいと思った山の民の素朴な信仰に根ざしたものであろう。そして、トーテムポール、ヨセミテ国立公園の巨木、クリスマス・ツリーなどの例に見られるように、木に対する信仰は世界共通なのではないかと思う。

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そして、この須々岐水(すすきがわ)神社は、毎年5月5日(御柱祭の年には4日)に行われる「お船祭り(おふねまつり)」の祭事でも知られている神社である。須々岐水神社のほか安曇野市の穂高神社などでも行われているが、船をかたどった山車(だし)を引き回す祭りである。海のない信州にもかかわらず、神社で「お船祭り」が開かれたり、御神体が木舟であることが多いのは、その昔、北九州や朝鮮半島を拠点とする海人の「安曇族(阿曇族)」が信州安曇野地方に移住したことを物語り、その祖先の遠い記憶に由来しているのであろうか。たしかに、「日本後紀」には、延暦18年12月甲戌条に、高句麗から渡来した信濃国人「卦婁真老(外従六位下)」は「須々岐」の姓を与えられたという記述があるそうだ。このとき与えられた姓(かばね)が現在、「須々岐水神社」の名で残っているのである。 (写真;田植えの準備の始まった水田の道を氏子達によって曳かれ神社へ向かうお船。 「松本市公式観光情報ポータルサイト」より)

 

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この「お船」、それ以前はどうなっていたのかは分からないが、江戸時代の享保年間より逐次作られ、天保年間には現在の9町会の「お船」すべてが出揃ったという。各町会の氏子衆たちが五穀豊穣・子孫繁栄等それぞれの願いをこめて年に一回、それぞれ自慢の絢爛豪華な9艘の「お船」を、須々岐水神社に向かい勇壮に曳き回すのである。立川流の作者の銘が刻まれた山車もあり、その技巧を凝らした意匠の見事さは長野県の県宝に指定されている。我が家がこの地に引っ越したのは、私が学生の時であったため、山車を曳くことはついぞなかったのは、今から考えても 残念でならない。そして、多くの「お船」が作られてから100年以上たっているため、彫刻がひび割れたり折れたりしているほか、車輪が傾くなどお船の損傷が全体的に激しくなっているという。しかし、修理には多額の費用がかかり、各々の町会でその費用を工面することが出来ないため修理を行えない状況にあるが、ある町会は修理に踏み切る と地元ローカル紙の「市民タイムス」が報じていた。この「地域の宝」をずっと守っていって欲しいと願わざるを得ない。そしてこの須々岐水神社のように、一つの神社で「山の民」と「海の民」両方の系譜に連なる祭りを行っている神社は珍しいのではないかと思っている。

1996年12月、33歳という若さで、癌によって急死してしまった「エヴァ・キャシディ/Eva Cassidy」。(参照「夭折のミューズたち~盂蘭盆に偲ぶ~」 ) 生前たった4枚しかアルバムを残さなかった彼女がそのワシントンDCのJAZZクラブ「Blues Alley」でのライブの中で「子供の頃よく両親が聴かせてくれた歌」と紹介して歌、「Tall Trees in Georgia」が、私の耳に残っている「木」の歌。

 



Live at Blues Alley  Eva Cassidy Eva Music

季節外れですが、聴いてみますか? 「Blues Alley」でエヴァが歌う鳥肌ものの「Autumn Leaves」を。

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16年前、初夏の衝撃 ・・・

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GWの混雑、渋滞を避けて、連休明けの週末に母親のケアに信州・松本へ帰省してきました。初日は終日雨。所用で出かけたついでに、松本城の北側、北深志とよばれる閑静な住宅街にある「松風庵」で一休み。ここは老舗の和菓子屋K堂が喫茶店もかねていて、庭を眺めながら憩える落ち着いた場所で帰省の折、たまに訪れるお気に入りの喫茶のひとつである。

この日は雨に濡れた庭を眺め、抹茶を一服しながら、「あれから16年経ったのか」とそのニュースの衝撃を思い出していた。そのニュースとは、「松本サリン事件」である。1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、松本市北深志の住宅街に、化学兵器として使用される神経ガスのサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した事件である。戦争状態にない国で、一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であった。このニュースをTVで観た私は仰天した。本当に仰天した。よく知った場所でもあり、高校時代の友達の家もその付近にあったからである。実家へ即座に電話したことを覚えている。そんなことを思い出したのも、この喫茶のすぐ近くが、この事件の現場であったからである。

そして、事件発生直後は使用された物質が判明せず、6月28日、警察は第一通報者であった河野義行氏宅の家宅捜索を行ない、薬品類などを押収し、重要参考人としてその後連日にわたる取り調べが行われた。また、マスコミによる報道が過熱の一途を辿り、無実の人間が犯人扱いをされた冤罪・報道被害事件へと発展していった事件でもあった。

翌、1995年3月に「地下鉄サリン事件」が発生し、オウム真理教に対する強制捜査が実施され、その過程でオウム真理教幹部は、「松本サリン事件」がオウム真理教の犯行であることを自供し、真犯人が分かるのであるが、この間半年以上もマスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、警察発表を無批判に垂れ流し、あたかも河野氏が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた事件として今でも強く印象に残っている。

この「松本サリン事件」に驚愕し、その後の警察、マスコミあげての冤罪事件に強く憤りを抱いた我が母校の先輩がいた。映画監督「熊井啓」(1930年6月1日 – 2007年5月23日)である。「帝銀事件死刑囚」、「黒部の太陽」、「地の群れ」、「忍ぶ川」、「サンダカン八番娼館」、「天平の甍」、「海と毒薬」、「千利休 本覚坊遺文」など常に骨太の社会性のある映画を撮ってきた監督である。豊科町(現・安曇野市)の出身である彼は、昭和11年(1936年)から17年間松本市に住んでいた。しかも河野家の200mほど西にであり、河野家とも縁があったのである。そんな背景がこの松本サリン事件の映画化を決意させたのだ。そんな松本での6歳から旧制松本高校までの青春時代を回顧した自伝が「私の信州物語」である。この本の最後の章「松本サリン事件と私」で、事件を知った時の衝撃と映画化へのいきさつについて語っている。この本で彼は、青春時代を過ごした松本への想いを淡々と語っているが、その想いは、自然と私の想いとダブってきてしまうのである。このような先輩がいたことを誇りに思う・・・。



私の信州物語 (岩波現代文庫)  熊井 啓 / 岩波書店

そして「松本サリン事件」を題材にした社会派ドラマ「日本の黒い夏 [冤enzai罪]」(2001年)。第1通報者が殺人容疑で家宅捜索されたことで、まるで犯人のように報道され、冤罪を着せられてしまったことの全貌を、マスコミや警察捜査の在り方を鋭く問いながら描き出している。この映画は、ベルリン映画祭特別功労賞を受賞し、翌2002年の「海は見ていた」が彼の遺作となってしまった。
 


日本の黒い夏 [冤enzai罪] [DVD]   日活

「村上春樹」が追う、迫真のノンフィクション。1995年1月の阪神淡路大震災につづいて日本中を震撼させたオウム真理教団による「地下鉄サリン事件」。3月20日の朝、東京の地下でほんとうに何が起こったのか。
 

アンダ-グラウンド (講談社文庫)  村上 春樹 / 講談社

そして、オーム真理教に着想を得たのではないかと思われるのは、園子温監督「愛のむきだし」。4時間に及ぶ長時間作品ながら、その疾走感で一気に見せる才能はただ者ではない。キリスト教、罪作り、盗撮、アクション、カルト教団、女装 ・・・ てんこ盛りの中に展開される壮絶な純愛物語。
 


愛のむきだし [DVD]    アミューズソフトエンタテインメント

15年経った今になっても、「あの事件は結局何だったのか」という決着も総括もできていない。あの時、日本人の伝統的、普遍的な情感やDNAを真っ向から否定されたような喩えようもない違和感を覚え、このような高学歴若者群を生み出してしまった日本に愕然とした。そして、もはや羅針盤を失ってしまった日本をはっきりと自覚した。その後も、羅針盤を取り戻せず、さらなる漂流をこの国はずっと続けているような気がする。
 
今年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件から15年目、JR西日本福知山線脱線事故から5年目。私の身近で起こった大事件のメモリアルな年である。   

帰宅したら、もうすっかり雨はやんでいて、北アルプスの鋭いスカイラインが迫る夕暮れの逆光の中に浮かび上がっていた。 

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路傍の花、樹々の鳥 (3) ~秘密の花~

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先日の山遊びの際、山道の傍らに咲いていた可憐な花、その花の名前を教えてもらった。「キンラン」というそうだ。くぬぎ林の木漏れ日に照らされて、輝きながら風に揺れる様は「金蘭」の名に相応しい。

キンラン(金蘭、Cephalanthera falcata)は、ラン科キンラン属の多年草で、地生ランの一種。和名は「黄色の花」からつけられた。中国、朝鮮半島、北海道を除く日本各地に幅広く分布する。山や丘陵の林の中に生える地上性のランで、高さ30-70cmの茎の先端に4月から6月にかけて直径1cm程度の明るく鮮やかな黄色の花をつける。花は全開せず、半開き状態のままである。花弁は5枚で3裂する唇弁には赤褐色の隆起がある。元々、日本ではありふれた和ランの一種であったが、1990年代ころから急激に数を減らし、1997年に絶滅危惧II類(VU)(環境省レッドリスト)として掲載された。そんな貴重な花が、わが山遊びのフィールドにあったのだ。そして、右の写真は、キンランの近くで白い蕾をつけていた同属の「ギンラン(銀蘭、学名:Cephalanthera erecta)」である。

金蘭・銀蘭どちらも同じような場所で、この時期に開花するが、近年は雑木林の放置や宅地開発、それに野生ランブームによる乱獲などによって、どちらも急激に減少しているので、並んで咲いているのを見る機会も減りつつあるという。

山遊びで見つけた私の小さな秘密の花「きんらん・ぎんらん」。なにか双子のご長寿婆さんかパンダの兄弟みたいですね ・・・。

聴いてみますか? 「きんらん」にふさわしい曲を。 これは懐かしい「ピーナッツ・ハッコー/Peanuts Hucko」の哀愁のクラリネット?「小さな(可愛い)花/Petite Fleur」。奇しくも同じ名を持つ双子のデュオ「ザ・ピーナッツ」がカバーしてヒットしましたね。下のYOUTUBEでも聴くことが出来ます。

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「ピーナッツ・ハッコー」(1918年4月7日 – 2003年6月19日)はアメリカのジャズ・ミュージシャン。クラリネット奏者、アルト・サックス奏者、テナー・サックス奏者で、日本の「ベニー・グッドマン」といわれたスウィング・クラリネットの名手、鈴木章治(95年他界)と彼の最大のヒット曲にして和製JAZZの名曲「鈴懸の径」を何回か共演したことでもよくしられている。この曲は彼のアルバムにも収録されています。 二人の共演の「鈴懸の径」はYOUTUBEでも聴くことが出来ますよ。
 
 

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ピーナッツ・ハッコー・ウィズ・ヘレン・ウォード / BMG JAPAN

おやじのモノ語り(12) ~ 遊び着、仕事着 ~

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男性向け週刊誌「平凡パンチ」が創刊されたのは、46年も前の話、1964年4月28日(昭和39年)発売、「5月11日創刊号」であった。私が大学浪人生活を始めたのと同じ時期である。「平凡パンチ」は若い男性向けのファッション・情報・風俗・グラビアなどを取り扱う週刊誌だったが、団塊世代とそれ以後の世代に大きな影響を与えたといわれる。とりわけ「大橋歩」氏の描く表紙絵の若者、スポーツカーなどが人気を呼んだ。このような表紙絵や挿絵を「イラストレーション」、書き手を「イラストレイター」とよぶのが定着したのもここからだったような気がする。みゆき族、アイビー・ルック、ブルージーンズ、VAN、JUNなどというファッションや風俗が話題になったのもこの頃と前後した時期であったとおもう。   

しかし、当時私は田舎の大学浪人、このような雑誌が創刊されたことは知っていたが、興味もなく、まして定価50円というのも、とても気軽に買える額ではなかったように思う。大学生になって窮屈な詰襟の学生服から解放され、ファッションへの興味も少しは出てきたが、IVYルックとかは貧乏学生にとっては、ただあこがれるだけ。もちろん太目の私に合うサイズなどあろうはずもなかったが ・・・・。やがて、学生バンドを結成したが、当時人気のGSはミリタリールック全盛、我がバンドのユニフォームといえば、さえないベストであった。
 

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そして就職。メーカ-の研究所へ勤務する私にとっては、作業着が、企画職に転ずるまでその後のながい間の仕事着、ユニフォームとなったのである。会社のヨット部に入って、練習に明け暮れる週末は、Tシャツと短パン。マリン・ルックのファッションなどはなんにも考える必要はなかった。それでも、Tシャツ、セイル・バッグ、デッキ・シューズ、マリンブーツなどに個性を意識することも覚え、なかでも「HH」などは憧れのブランドであった。キングセイル製のセイルバッグは30年以上経った今でもアウト・ドアの使用に耐えている。そして定年後の今、山遊びには、ヘルメット、長靴、長袖のシャツ、ベスト、軍手、タオルというのが定番の山の遊び着。それにナップ・ザック、剪定はさみ、枝きり用の折りたたみのこぎり、鉈(なた)などの装備や道具をもって、いそいそと出かけるのである。

ファッションというような大げさなものではなく、自分が何を着てきたかを語ることが、そのまま自分史を語ることでもある。

IVYルック、ボタン・ダウンのチェックかストライプのシャツ、コットン・パンツ、スリッポンのローファー ・・・・。そんな憧れのIVYルックに身をつつんだバンドがカレッジ・フォークのブームに乗ってアメリカからやってきた。「ザ・ブラザーズ・フォー/The Brothers Four」。カレッジ・フォークの代表的バンド。ベトナム戦争の不条理や残酷さ、悲惨に反発を感ずる一方で、ブラフォーの音楽性、IVYルックの爽やかさ、そしてJAZZ、車、映画、TV、アメリカの豊かさに憧れる矛盾した自分がいた。



ブラザーズ・フォア ベスト・オブ・ベスト

ブラザーズ・フォア / プルーク

聴いてみますか? あの懐かしい「Green Slieves」。  ブラフォーも外見はすっかり我々と同世代になってしまったが、あの美しいハーモニーは変わらない。
 

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路傍の花、樹々の鳥 (2)

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日々の散歩道やウォーキングの途中で見かけた花で、名前の分からないものが多くあります。人家の花壇でなく、山沿いの小道や土手、斜面など見かけるが、その名前が分からない。もちろん外来種が野生化しているものもあるかも知れません。読者から教えていただけるかもしれないという期待もこめて、時々とりあげてみることに ・・・ 。写真の花は、毎日の犬の散歩道のグランドの脇に2日ほど前から一斉に咲きだしたもの。この場所でしか見かけないし、見た感じは外来種ではないかと思っています。サボテンみたいな芯の周りを小さなブルーの花が取り巻き、アンバランスではあるが、花弁はなかなか可憐でリリカル。(追記;読者からコメントで花の名は「シラー」と判明)

「小曽根真」。1961年神戸市生まれのJAZZピアニスト。父、小曽根実の影響でジャズに興味を持ち、独学で音楽を始める。12歳の時にオスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始める。1983年バークリー音楽大学のジャズ作・編曲科を首席で卒業後、同年6月にニューヨークのカーネギー・ホールにてソロ・ピアノ・リサイタルを開く。このとき、ちょうど見物にきていた「クインシー・ジョーンズ」に見出されて米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム「OZONE」で全世界デビュー。

「小曽根真」の今までの作品から、美メロでリリカルなバラード・ナンバーばかりを集めたベスト・アルバム「バラード」。「大西順子」といい「上原ひろみ」といい、若い日本のJAZZの才能が世界へ羽ばたいていくのはうれしい限り。
 
 

バラード

小曽根真 / ユニバーサル ミュージック クラシック

 

 

聴いてみますか? 小曽根のリリカルな演奏を。「Nature Boy」。 (アルバム「バラード/Ballads」より)

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もしもピアノが弾けたなら(22) ~ ショパンのミステリー ~

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88Keys スタインウェイピアノができるまで/ マイルズ チェイピン / (株)小峰書店 

 

 

世界最高水準のピアノ、スタインウェイ。そのピアノが、どのようにして作られていくのか、素材である木の選択、熟成から、完成した楽器のボイシング(整音)まで、ニューヨークの工場での工程を追いながら、美しいイラストで詳細に綴った絵本。ピアノづくりの歴史をいきいきと語るなかで、著者はグランドピアノがなぜこのような形につくられるようになったのか、いかにピアノを偉大な芸術作品にまで高めたかを解き明かしていく。 最近読んだ楽しくて美しい絵本。

少し前、NHKハイビジョンで「仲道郁代 ショパンのミステリー 特別編」という番組を観た。日本を代表する女流ピアニスト、「仲道郁代」さんが今年生誕200年を迎える作曲家ショパンの創作の秘密に迫るという番組。何がミステリーかというと、かねがね仲道さんは、ショパンの時代のオリジナルの楽譜の指示記号に疑問をもっていて、その疑問を解く鍵を求めてポーランドやウイーンを旅する番組であった。

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番組の中で、彼女はショパンが愛用していたというピアノ、「プレイエル(PLEYEL)社製のピアノ」に出会い、実際に「プレイエル」を弾いて、今のピアノとの音色の違い、タッチの違いを実感し、ショパンのペダルを離す記号の位置が異様に早いことや、不思議な運指の指示の謎を解くのである。そして、1839年に製造された「プレイエル社製ピアノ」を日本で探し出し、そのピアノによるショパン・コンサートを実現させ、「練習曲10-3 ホ長調 別れの曲」の演奏でコンサートが終わるという印象深い番組であった。

伝統の職人技によって「ピアノ」というそれ自体が芸術品に近い楽器が作り出され、作曲家がそのピアノによって作り出される音世界を音符という記号によってイマジネーションし、ピアニストが全身全霊を込めてそれを奏でる。人と道具のコラボによって作り出される音楽美の極致がピアノ曲である。

今年、生誕200年になる「ショパン」を記念してクラシック以外の分野、JAZZのアーティストからも様々なアルバムがリリースされている。その中で、日本を代表するJAZZピアニスト「小曽根真」の最新アルバムは「ロード・トゥ・ショパン」。このアルバムは2009年11月にワルシャワで、YAMAHAのピアノを使用して録音された。冒頭と最後にポーランドに敬意を込めてポーランドの女性シンガーとともにポーランド民謡が演奏されているが、深い哀愁を感じさせる佳作。

「 ・・・・ 果てしなく大きな愛をショパンの書いた音符たちは教えてくれる。僕はまだその美しい場所からほど遠いだろう。このショパンへの道を歩きながら、このアルバムの中で僕は彼と一緒に素晴らしい旅をした。 ・・・  小曽根真」

はたしてこのアルバムはクラシックなのか?JAZZなのか?そんな疑問などどうでもよくなるかもしれない。
 

ロード・トゥ・ショパン

小曽根真 / ユニバーサル ミュージック クラシック

 

 

観てみますか? プロモーション・ビデオ「小曽根真 -Road to Chopin- 今、ショパンを語る」。 
 

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60歳過ぎたら聴きたい歌(60) ~ いとしのマックス ~

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懐かしい名前を聞いた。「荒木一郎」が最後になるかもしれないコンサートを開くという。1944年生まれ、今年66歳。1963年、NHKの連ドラ「バス通り裏」で知られるようになった、俳優、歌手、音楽プロデューサー。フォークやGS系でなく、むしろ「加山雄三」に近いPOPS系のシンガー・ソングライターの先駆者である。代表的なヒット曲に、「空に星があるように」(1966年)、「今夜は踊ろう」(1966年)などがあるが、私にとっては、昭和42年(1967)リリースされた「いとしのマックス」が一番思い出の多い聴きたい曲である。昭和42年といえば、大学で学生バンドを組んでいた時期。ダンス・パーティでは「ゴー・ゴー」が人気のダンス。私の青春にもお決まりの物語があった。我々のバンドのレパートリーではなかったが、その哀愁のロック・ビートには甘酸っぱくて懐かしい想い出やほろ苦い後悔が詰まっている。
 

エッセンシャル・ベスト   荒木一郎 / ビクターエンタテインメント

 

【 いとしのマックス <マックス・ア・ゴーゴー> 】   荒木一郎 作詞/作曲

「♪ 真赤なドレスを君に     作ってあげたい君に
   愛しているんだよ      素敵な君だけを
   Hey Hey Macks     Won’t you be my love
   そして君と踊ろう

   真赤なドレスを君に     着せてあげたい君に
   それが夢なのさ        素敵な君のため
    Hey Hey Macks     Won’t you be my love
   そして君と歩こう

   Macks 淋しいんだよ    Macks 抱いてほしいのさ
   Do Do Do Do ・・・・     ゴー

   真赤なハートを君に     捧げているんだ君に
   わかってほしいのさ      素敵な君にだけ
   Hey Hey Macks      Won’t you be my love
   こよい君と踊ろう                           ♪」

 

聴いてみますか?「いとしのマックス」。
 
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路傍の花、樹々の鳥

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いつもの山沿いの散歩道。昨日はまったく眼にもとまらなかった花が咲いている。何の花だろうか?悔しいことに名前が分からない。樹々に鳥が囀っている。鳴き声、姿と名前が一致しないのだ。木といい、鳥といい、そして花の名前もすっかり忘れてしまっている。せめて自分の生活圏で出会う木々や草花、野鳥の名前ぐらい知っておきたいものだと思う。そんなことは現役時代には考えもしなかった。だが、これからも地域の自然とともに生きていくのだから ・・・ 。 (追記;花の名は「シャガ」と判明)

こんな本を買い求めました。

身近な樹木ウォッチング―まず基本170種を覚えよう

淡交社

 

庭で楽しむ野鳥の本―原寸大

大橋 弘一 / 山と溪谷社

モダン・ジャズの原点ともいうべき「ビ・バップ」の創始者、歌うように自由自在にSAXを操り、ジャズを語る上で欠くことの出来ない天才「チャーリー・パーカー」。彼の曲には、「Bird Gets the Worm」、「Bluebird」、「Chasin’ the Bird」、「Bird’s Nest」など愛称「バード」にちなんだ曲も多い。極めつけは「オーニソロジー/Ornithology(鳥類学)」と言う曲でしょうか。
 

ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

チャーリー・パーカー / EMIミュージック・ジャパン

 
これは楽しい洒落っ気いっぱいの鳥のジャケット。

Charlie Parker with Strings: The Master Takes

Charlie Parker with Strings / Polygram

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が青春のシネマ・グラフィティ(20) ~ 憧れた肉体派女優たち(2) ~

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(続き)

そして、憧れた女優は「アニタ・エクバーグ/Anita Ekberg」。いわずと知れた「フェデリコ・フェリーニ/Federico Fellini」監督のイタリア映画「甘い生活/La Dolce vita 」(1959年)の主演女優である。写真の黒いドレスでトレビの泉の噴水に戯れるシーンはあまりにも有名。これもたしか高校の名画鑑賞会で観たと思うのだが、たちまちその豊かな肉体にも眼を奪われてしまったのである。それにもまして、あのアニタは本当に美しかった。こんな映画を名画として高校生に見せる高校って、今考えるとすこし変わっているのかも知れませんね ・・・。

さて、「アニタ・エクバーグ/Anita Ekberg」(1931年9月29日 - )はスウェーデン、マルメ出身の女優である。このマルメは関連会社があったため、仕事で何回となく行った街であり、「マルメ出身の女優」ということで、ビジネス後の酒席で話が盛り上がったこともある。ミス・ユニバースのスウェーデン代表になったことがきっかけでアメリカに渡り、女優となった。最初はその妖艶な美貌と豊かな肉体で、お色気女優としてB級映画やコメディに出演していたが、「フェデリコ・フェリーニ」に気に入られてイタリアに渡り、「甘い生活」に出演し、グラマー女優として一躍スターになった。その後フェリーニの作品に何本か出演しているが、あまりぱっとせず、1970年以降はほとんど引退した状態であるという。私も、「甘い生活」、「ボッカチオ’70/ Boccaccio ‘70」 (1962年) くらいしか記憶にありませんが、「甘い生活」一本でもう十分でしょう。

甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]

アイ・ヴィ・シー

 

観てみますか?あのシーン。
 

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フィレンツエを旅したときに、ガイドブックで「La Dolce Vita」という名のJAZZクラブが眼にとまり、行ってみたが、ヤンキーなイタリアの若者達がたむろするロック?クラブで早々に退散してきた想い出がある。こちらは、本物「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」のベスト盤「ドルチェ・ヴィータ(甘やかな時間)」。

ドルチェ・ヴィータ(甘やかな時間)~ザ・ベスト・オブ・EJT~
ヨーロピアン・ジャズ・トリオ / / エムアンドアイカンパニー

 
 

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「ロッサナ・ポデスタ/Rossana Podesta」もその妖艶さに魅了された忘れがたい女優のひとり。無類の面白さのイタリアB級アクション犯罪映画「黄金の7人」シリーズでファンとなったが、彼女はそれ以前に、「狂った本能」(1958年)、「熱情のしぶき」(1953年)、 「濡れた本能」(1964年)などという極めて分かりやすいタイトルのB級お色気映画に出演して、その妖艶さに磨きをかけていたようである。

「黄金の7人」。スイスはジュネーブにあるスイス銀行の最新式の大金庫。扉は電子装置で開閉、地下には坑道をめぐらし電子写真装置、侵水装置などその防御設備には近代科学の粋がもりこまれている。そして中に眠っているのは時価数百億円の金の延べ棒。それを狙うは、リーダーの「教授」とよばれる男アルべール(フィリップ・ルロワ)、情婦のジョルジア(ロッサナ・ポデスタ)など7人のプロフェッショナル。金の延べ棒を強奪するプロの男達の手口の鮮やかさ。そして編み目のボディ・ストッキングだけを身に纏ったコスプレ「ロッサナ・ポデスタ」のボディラインにノックアウト。 「黄金の七人」シリーズは、続編として「続・黄金の七人 レインボー作戦」(1966年)、「新・黄金の七人 7×7」(1968年)、「黄金の七人1+6 エロチカ大作戦」(1971年)が作られたが当時としては画期的面白さの作品。

黄金の七人 HDニューマスター版 [DVD]

エスピーオー

  

そのテーマ音楽もスキャットを使い、斬新でJAZZYで滅法かっこよかった。「黄金の7人」のタイトルバックを観てみますか?
 

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青春時代は無類の映画好きだったが、やがて私は、家庭を持ち、仕事も忙しくなり、映画館からはだんだん遠ざかっていった。再び映画の世界に戻るのには、レンタル・ビデオの登場を待たなくてはならなかった。さらにDVDへの進化や定年後の映画館通い、再びスクリーンには多くの女優が登場したが、高校生の頃に感じたあの甘酸っぱいような疼きを感じることはもう二度となかった。

さらば、我が愛しの肉体派女優達よ ・・・・。

 

忘れていた武者人形

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思い立って、納戸から武者人形を引っ張り出し、床の間に飾ってみた。長男が生まれた30数年前に、初孫の成長を願って妻の実家から贈ってきたものである。子供が小さい頃は、毎年のように飾っていたが、子供達が長ずるに連れ、部屋も狭いこともあり、また面倒くさいこともあって、すっかり飾らなくなってしまった。10数年ぶりだろうか、飾ってみると、二人だけの我が家に、いっぱいの季節感が一気に溢れてきた。さあ、一献かたむけようか ・・・・。

酒の肴に聴く曲は、スタンダードから「God Bless The Child」。シンガポールを拠点に活動するアジアの癒し姫「ジャシンサ/Jacintha」のアルバム「Jacintha Is Her Name」から。春の静かな宵に、彼女の歌うスタンダードに酔ってみるのもまた一興でしょうか。
 


Jacintha Is Her Name

Jacintha / Groove Note



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