
久しぶりに見ごたえのあるドラマ&ドキュメンタリーを観た。「NHKスペシャル・未解決事件」である。シリーズ第一弾として取り上げたのは、「グリコ・森永事件」。「グリコ・森永事件」は、1984年(昭和59年)3月の「江崎グリコ」社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、1985年にかけて、京阪神を舞台として、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。犯人が「かい人21面相」と名乗り、警察やマスコミを挑発し、初の広域性の劇場型犯罪として日本中を話題の渦に巻き込んだ事件でもある。いわゆる「キツネ目の男」のように、犯人と思しき人物が何度か目撃されたが、逃げられてしまったため、結局犯人は捕まらず未解決に終わった。「3億円事件」と同じように事件の真相に関する諸説が今でも世間をにぎわす事件でもあった。
番組は、当時の大阪府警担当の事件記者の目を通して、この事件がいかにして未解決事件になっていったかを描いている。3部仕立て2日にわたる放送であったが、当時の私ともいささか接点があったため、大変興味深く、また感慨深く観た。300人を超える関係者の取材を通じ、今まで知らなかった捜査状況や事実が描かれるとともに、新しい科学技術により明らかになった当時の警察の見立てを覆す新事実などが明らかにされる。しかし結局のところ、放送では犯人に肉迫するものではなかった。これがNHKの放送の限界といってしまえばそれまでだが、犯人像をもう少し具体的にしぼれたのではないだろうか。
この事件といささか接点があるといったが、私がこの事件のローラー捜査の対象に巻き込まれたと思われる節があるのである。当時、住んでいたマンションの目と鼻の先に、森永への脅迫状があった現場、「国道一号線、京阪本通り、守口市民会館前の歩道橋」があった。そんなことが話題になっている最中に、警察から何度か接触があったのだ。最初は、買い替えのために1年ほど前、廃車にした車についての電話での質問であった。2回目は車を買い替えの確認のためと称して、私の出勤中に刑事が二人訪れて、家族状況などを調べていった。もっとも怪訝だったのは、深夜に近いころ、突然、電話がかかってきたことだ。卒業以来まったくと言っていいほど音信のなかった中学の同級生からだった。聞けば長野県警に勤務しているが、宿直中に私のことを急に思い出し声が聞きたくなったという。「アホな!」と思ったが、特に用事があるわけでもなく、単なる世間話をして電話を切ったのだが、ここまで度重なるといくらなんでも気が付く。理由は今でも分からないが、多分この事件の捜査対象になったのではないかと。妻からは「キツネ目の男に似ているわよ」なんてからかわれたが、この電話を最後に、警察からの接触はまったくなくなったが、今もってあれはなんだったのだろうと不思議でならない。
そして、今一つの接点はそれから約15年後に訪れた。番組にも実名で出てくるが、事件当時、大阪府警察本部刑事部長だったS氏が、私が勤務していた会社の関係で副会長をしていたある業界団体に、専務理事として就任してきたのである。彼の経歴はもちろん知っていたし、大変親しくお付き合いもさせていただいたが、彼の口からこの事件について、一言も語られることはなかった。
1994年に、「江崎グリコ社長誘拐事件」が時効になり、さらに2000年2月13日0時に28件すべての一連の事件に時効が成立した。事件の捜査に関わった捜査員の延べ人数は130万1千人、捜査対象は12万5千人と言われる。この内の一人が私だったかもしれない ・・・ 。
暑さとモヤモヤを吹き飛ばす9人編成のブラス・ロック・バンド、「チェイス/Chase」を聴いてみましょうか。「B.S.& T./Blood, Sweat & Tears」、「シカゴ/Chicago」に遅れること3年余りのデビュー。その4本のトランペットが生み出すサウンドは実にシャープでスリリング、最もJAZZ色が強いとも評価される。そして、一旦解散するも、リーダーの「ビル・チェイス」は、1974年に再度グループを結成したが、直後メンバーのほとんど全員を失うという悲劇の飛行機事故。こうしてアメリカだけでなく日本のブラスロックにも大きな影響を与えた「チェイス」は伝説のバンドとなった。
代表曲は何と言っても「GET IT ON/黒い炎」でしょう。

シンドバッド
on 8 月 3rd, 2011
@ 10:46 AM:
捜査対象12万5千人の一人だったんですか。皆さんキツネ目だったんいですかねぇ。
いずれにせよ貴重な体験でしたね。自分宛に刑事が訪ねてくること自体、稀有な経験ですから、ドラマを見ていても臨場感が違うでしょうね。
リッケン
on 8 月 3rd, 2011
@ 11:10 AM:
お疲れ様です。
自分が小学6年生の時ちょうどこの事件でにぎわっておりました。
近くの店ではグリコの商品が売れて無くなるという変な現象も覚えています。
ミーハーは気持ちと『鹿児島の片田舎で事件が起きるはず無いぜ』と
田舎の子ども達は肌で感じていたのでしょう。
それにしても捜査対象となっていたと言うのは少し気味の悪い話ですね。
身の覚えの無い事に対して疑われるって正直嫌ですもんね(-.-)
大屋地 爵士
on 8 月 3rd, 2011
@ 2:10 PM:
リッケンさん、シンドバッドさん もう27年も前の話ですが、本当に捜査対象になっていたかはわかりません。しかし当時警察に対して感じた不気味さはいまでも覚えています。
Teruo
on 8 月 4th, 2011
@ 10:41 AM:
私は海外出張の際に宿泊したロンドンのマリオットホテルの隣室で殺人事件があったようで帰国後会社へスコットランドヤードから問い合わせの国際電話がありました。もちろん被疑者としてはではなく何か物音を聞かなかったかという程度のことでしたが。コナン・ドイルの推理小説でしかなじみのなかったスコットランドヤードからの電話で少しびっくりわくわくしてしまいました。
大屋地 爵士
on 8 月 4th, 2011
@ 2:57 PM:
Teruo さん それはまた稀有な体験でしたね。私は海外で犯罪に巻き込まれたのはバルセロナとパリで掏摸にあったぐらいです。やられたことがまったくわかないほどの芸術的?な手口でした。
それはそうと、イングランドなのになぜ「イングランドヤード」と言わず「スコットランドヤード」というでしょうかね?
Teruo
on 8 月 4th, 2011
@ 10:45 PM:
海外では犯罪に巻き込まれたことはないのですが、御堂筋線でカバンをカミソリのような鋭利なものでスパッと切られ見事にスリに合っていたことはあります。スコットランドヤードの名称の由来については私も不思議におもっていたのですが、ウイキペディアに有力な2説が紹介されています。
ご興味がありましたら詳細についてはウイキをご参照ください。
大屋地 爵士
on 8 月 4th, 2011
@ 11:44 PM:
Teruo さん さっそくwiki見てみました。了解です。そういえば、日本やヨーロッパで赤軍派によるテロが盛んだった1978年(成田開港の年)、出張でしたが、ドイツから車でフランスに入るとき、私が日本赤軍のリストに乗っていないかどうか、パリの本庁に確かめるため、たしか1時間近くフランス警察に足止めを食らったなんてことを思い出しました。また、ロンドンでは滞在していたホテルのすぐ近くで爆弾騒ぎがあり、これまた足止めを食らったこともあります。
Teruo
on 8 月 5th, 2011
@ 11:21 AM:
ロンドンのtube(地下鉄)構内では爆発物によるテロ防止のためゴミ箱が一切設置されていませんね。
少し本来のテーマから離れますが、私の大学時代は過激な学生運動はほぼ末期でしたが、当時大学構内に
私服の公安警察が諜報活動を行っていたようでそれが過激派の学生に見つかり構内で数十人の学生に吊るし上げにあってその警察官はショックのせいかふらふらになっており大学構内が騒然となったことがありました。やがて7~8台のパトカーと装甲車が大学正門前にやってきて学生側と対峙する格好になりました。
大学自治の関係で警察も構内には踏み込めず長い間マイクでの応酬が続きましたが、警告の後警察が
突入してきて拉致された警察官を救出したことがありました。当時テレビのニュース映像でも報道されました。
私は政治学科に席はおいていたもののノンポリでしたが、その眼前の恐怖感で圧倒されてしまいました。
しかし、振り返ってみると当時の日本は熱く何かみんなが必死で生きているというそんなある意味躍動感の感じられる世相でしたね。最近の政治の体たらくを見ていると懐古趣味ではありませんが、情けなくなります。
長文失礼しました。ふと当時のことが思い浮かんで来ました。
大屋地 爵士
on 8 月 7th, 2011
@ 10:20 PM:
Teruo さん 私も典型的なノンポリ学生。1969年工学部卒業ですが、早くに就職も決まり、70年安保前夜の学生運動を横目で見ながら、卒業研究、卒論、卒業設計などと徹夜に明け暮れていた毎日でした。その後、テルアビブ空港、よど号、浅間山荘などあれほど日本赤軍が世界中で話題になったこともよく覚えています。そんな影響がフランス/ドイツ国境での足止め事件でした。
エイジ
on 8 月 8th, 2011
@ 12:27 AM:
右往左往しながら、ノンポリ左派で1970年!就職しましたが、一度目は「一年持たず」失敗しました。再就職は28才、即企業戦士!
関西弁の「狐めの男」を密かに応援していた自分が「なぜか」そこにいました>