JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

あの日、あの時 ・・・

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AS20180519002285_comm                    (写真 上は開港時、下は現在 NETより無断拝借)

 40年前のある日、私はドイツの古都、ハイデルベルグで、NATO軍に駐留するアメリカ軍のラジオ放送、「AFN(American Forces Network、米軍放送網;世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局で、日本でのサービスは、「FEN(Far East Network、極東放送網)と呼ばれていた」に聞き漏らすまいとかじりついていた。

 ある日とは、1978年(昭和53年)5月20日、「新東京国際空港(成田空港)」が40年前に開港した日である。その年の3月には、管制塔の機器等が破壊されるという「成田空港管制塔占拠事件」が起こり、約2か月遅れての開港であった。

 勤務していた会社が、当時の西ドイツから技術導入を図ったが、技術ノウハウの移転が暗礁に乗り上げており、「解決するまで帰ってくるな」と言われての約1ヶ月ほどの出張であった。もちろん初めての海外出張であり、5月連休のあと、羽田を立ち、開港するはずの成田へ帰ってくるというスケジュールであった。成田反対闘争はますます激化しており、再度のテロや占拠も懸念され、「万が一、開港されない場合は、エジプト~インド~香港経由の南回りで帰ってこい」と指示を受けていたのである。

 当時はまだ「ベルリンの壁」が存在する冷戦時代、日本赤軍なども世界各地でテロを起こすなど、騒然としていた時代で、アンカレッジ経由でヨーロッパへ飛んだ。パソコンやインターネット。CADはもちろん、ゼロックスすらなく資料コピーはすべて青焼きという時代。通信手段は、交換台を通じた国際電話、カタカナ、英数字だけのテレックスという時代であった。今振り返ってみても、あんな貧弱なコミニュケーション・ツールでよく仕事ができていたものだ。

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 なんとか一番機が成田を飛び立ったというニュースを聞き、ほっとした事をおぼえている。しかし、開港直後の成田へ帰ってきたはいいが、そこから大阪まで帰るのがまた一苦労。当時は、伊丹~成田の直通国内便も、「成田エクスプレス」などの交通アクセスがなく、東京に行くのには、バスで成田へ行き、鉄道で東京へ向かうしかなく、数時間は優にかかるという話なので、ホノルルから成田経由で伊丹に向かう国際便にトランジットすることになっていた。たしか朝10時ころ、成田に着いたのだが、ホノルルからの便は午後4時発。一旦、日本に入国してしまうと、再出国しなければならないので、ロビーを出るに出られず、コーヒー・ショップしかない待合ロビーで、6時間を過ごし、やっと伊丹空港で帰国を果たした。

 初の海外出張。それが初の飛行機体験。ハンブルグ空港に向けて機が降下を始め、それまで厚い雲に覆われ、全く見えなかった地上が見えた時の感激はいまでも忘れられず、はっきりと覚えている。思えばあの時から、「飛行機大好き、フライト大好き人間」となったのだ。ニュースを見ながら、読みながら、熱く仕事に取り組んでいたあの日のことを懐かしく思い出した。

 さて、今宵の曲、昔を振り返ってみます。「Once upon a Time」。旧共産圏ブルガリア生まれ、「ブルガリア国立音楽院」卒業という、クラシックにベースを持つJAZZピアニストでありながら、東西冷戦のまっただ中、JAZZのため、音楽のため、家族も祖国も捨てて、アメリカに渡った「ミルチョ・レヴィエフ/Milcho Leviev」と、英国出身のジャズ・ベーシスト、「デイヴ・ホランド/Dave Holland 」というヨーロッパとクラシックに出自を持つふたりのデュオで、アルバム「Up and Down」(1993)に収録されている「Once upon a Time」。私のお気に入りでもあるこのアルバム、録音は1987年9月、東京サントリー・ホールでのライブ。

Up and Down

Milcho LevievM.a. Recordings

「Milcho Leviev & Dave Holland – Once upon a Time」

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 こんな歌もありました。「Once Upon A Summertime」。 原曲は1954年のシャンソン「リラの花/La Valse des Lilas」で、仏歌詞 は「エディ・マーネイ/Eddy Marnay」、作曲は「ミシェル・ルグラン/Michel Legrand」と「エディ・バークレイ/Eddie Barclay」。その曲に、「ジョニー・マーサー/Johnny Mercer」が、友人の「ブロッサム・ディアリー/Blossom Dearie」のために英歌詞を書き、この曲が一躍有名になったという。

【 Once Upon A Summertime 】 by Eddy Marnay / J. Mercer / Michel Legrand

「♪ Once upon a summertime, if you recall  あなた思い出せるかしら、昔々の夏の日に
  We stopped beside a little flower stall  私たちは小さな花屋の前で立ち止まったことを
  A bunch of bright forget-me-nots  その時忘れな草の花束を買ってとお願いしたことも
  Was all I’d ever let you buy me    それがたった一度だけの私のお願いだったわ

  Once upon a summertime just like today  今日のような昔の夏の日に
  We laughed the happy afternoon away    午後を楽しく笑って過ごし
  And stole a kiss at every street cafe     通りのカフェでキスをしたわね

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・    ・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」
     

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 さて、最初の歌姫は、「カトリーヌ・レガー/Cathrine Legardh」。デンマークの女性歌手である。とりたたてて美人というわけではないし、特筆するような歌唱テクニックがあるわけではないが、安定感のある実力派。聴いていると、自然に心が和んでくるジャズ向きの渋めの落ち着いた声。時折、アコーディオンも混じり、穏やかで、レトロで、スローで、ロマンチックな古き良き時代を感じさせるアルバム、「Gorgeous Creature」(2008)から。

Gorgeous Creature

Cathrine Legardh / Storyville

「Cathrine Legardh – Once upon a summertime」

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 二人目の歌姫は、「イーデン・アトウッド/Eden Atwood」。歌手にとっては致命的ともいえる声帯の手術をし、再生復活した女性ボーカルで、ご贔屓のひとり。幼少の頃からクラシック・ピアノ、高校時代にはクラシック、ジャズ両分野のヴォーカル・トレーニングを積み、アメリカ音楽院在学中からシカゴでジャズを歌っていたが、卒業後は女優、モデルとして全米、ヨーロッパで活躍。自主制作したアルバムが認められプロ歌手デビューしたという。「Waves: Bossa Nova Session」(2002)から。

Waves: Bossa Nova Session

Eden Atwood Groove Note Records

「Eden Atwood ー Once Upon A Summertime」

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古い革ジャンパーを着て

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 寒波襲来。冬物を出していたら、40年ほど前の出張時、NYで買った仔牛の革ジャンパーに目がいった。あまり着る機会がなかったが、気に入っていたので、ずっと捨てきれないでいたものである。革ジャンパー。今は、フリースやダウンにとって替わられ、あまり、いやほとんど見かけなくなった。革ジャンが定番ファッションといえば、「藤岡弘、」くらいであろうか。しかし、私たちシニア男性にとっては、アウトローの象徴のような憧れのファッションで、日活、東映などのアウトロー・ヒーローたちは、皆革ジャンだった印象がある。

 しかし、革ジャン&ブルージーンが、ファッションとして一世を風靡したルーツは、「ジェームズ・ディーン/James Dean」ではないだろうか。和製「ジェームズ・ディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎」もそのファッションをことさらに踏襲していた印象がある。それと、大ヒットした「アダモ(サルヴァトール・アダモ)/Salvatore Adamo」のシャンソン、「ブルージーンと革ジャンパー/En Blue-Jeans Et Blouson DCuir」(1963)の影響も大きかったように思える。

 とにかくダウンに比べ、重いし、伸縮性も悪く、防寒効果もイマイチ。妻はいい歳をしてというが、着ずに置いとくのももったいない。すこしブカブカになってしまい、「Old Fashion」と言われるかもしれないが、とにかく着て、外に出てみよう。でも、ジーンズは流行りの「あったかジーンズ」で ・・・。

 「ちょいワルオヤジ」風??? この言葉ももう死語でしょうね。

 懐かしの「アダモ」の歌、「ブルージーンと革ジャンパー」を。

「アダモ ー ブルージーンと革ジャンパー / En Blue-Jeans Et Blouson DCuir」

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 「ジェームズ・ディーン/James Dean」似で売り出したジャズメンは、「チェット・ベイカー/Chet Baker」。人気絶頂だった1955年に24歳という若さで不慮の死を遂げた永遠のスター、「ジェームス・ディーン」の伝記映画、「ジェームス・ディーン物語/The James Dean Story」(1957)のサウンド・トラックを、ジャズ界の「ジェームス・ディーン」と呼ばれたチェットがジャズにアレンジしたアルバムがある。「バド・シャンク/Bud Shank」、「ジョニー・マンデル楽団/Johnny Mandel Orchestra」とコラボした「The James Dean Story」(1958)。ディーン、1931年生まれ、そしてチェットは、1929年生まれ。ほとんど観ましたかねえ、「ジェームズ・ディーン」の映画は ・・・。

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ジェームス・ディーン・ストーリー
チェット・ベイカー、バド・シャンク
ユニバーサル ミュージック


  
   

「Chet Baker & Bud Shank with Johnny Mandel Orchestra – Jimmy’s Theme」

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「Chet Baker & Bud Shank ー Lost Love」

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我が青春のフュージョン

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 一週間ぶりの山仕事。この一週間はずっと雨模様。そのせいでしょう、山のあちこちに「キノコ(茸)」が顔を出している。先達が声をあげたのが、このキノコ、「アカヤマドリタケ」。直径30cm程もある大型のキノコ。食用キノコで、味と香りが良く、ヨーロッパ料理でよく使われるという。しかし、キノコはド素人。触らぬ神になんとやら。そのままにして通り過ぎる。

 さて、「今田勝」やら「松岡直也」を持ち出してくると、懐かしくなってくるのが、我が青春のフュージョン(fusion)。このフュージョン、我々の時代は、「ジャズ・ロック(Jazz Rock)」とか「ラテン・ジャズ(Latin Jazz)」なんて呼ばれ方をされていたように思うのだが、やがて「クロスオーバー(Crossover)」、そして「フュージョン(fusion)」というカテゴリーに定着していき、1970年から1980年代後半にかけて、日本ではフュージョン・ブームが全盛期を迎えた。

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 私が最初にフュージョン触れたのは 「デオダート/Eumir Deodato」の「ツァラトゥストラはかく語りき(原題;Prelude」(1973) あたりだったでしょうか。その後、日本でも、「カシオペア /Casiopea)」が、1977年に結成、1979年にデビュー。「T-SQUARE」が、1976年に結成され、1978年にデビューなど現在も活動しているフュージョン・バンドが続々現れた。そんな中で、心を揺すぶったのが、キーボード奏者、「本田竹広」と, サックス奏者、「峰厚介」を中心に、1978年結成された、「ネイティブ・サン/Native Son」。当時、日本を代表するフュージョン・バンドであった。1STアルバム、「ネイティブ・サン」(1979)は、30万枚を越えるヒットとなったという。もちろん、なけなしの小遣いでLPを買いましたとも。

 メンバーは、「本田竹曠(Keyboards)」、「峰厚介 (Tenor & Soprano Saxophone)」、「大出元信 (Guitar)」、「村上寛 (Drums)」、「 川端民生 (Bass)」。結成当時5人のメンバー中、本田、大出、川端の3人が鬼籍に入り、バンドそのものも永遠に幕を閉じてしまった。我々世代にとっては、まさに「青春のフュージョン」といっていいが、若い世代にとっては、「バブル時代のフュージョン」かも知れない。「ご陽気」、「ノリ」、「ダンサブル」、「ファッショナブル」「車」、「西海岸」といったキーワードが似合う曲が多かったから。

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ネイティブ・サン / ビクターエンタテインメント

「SUPER SAFARI – NATIVE SON」

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 ほぼ同じ時代に結成されたが、今も衰えずに大活躍しているご贔屓のフュージョン・バンド(?)が、1985年に結成された「東京スカパラダイスオーケストラ/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」。「スカ (Ska) 」とは、50年代中頃にアメリカのR&Bやジャズの影響を受けて成立したジャマイカの音楽ということらしいから、「ラテン・ジャズ」、「フュージョン」といってもいいでしょう。「スカパラ」のその迫力、ノリは今でも色褪せることなく健在。
 

Gunslingers~LIVE BEST~

東京スカパラダイスオーケストラエイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ

「東京スカパラダイスオーケストラ – STROKE OF FATE」

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「東京スカパラ - ルパン三世」

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 結成後、30年以上も第一線で活躍し続けてきたのは、フュージョン・バンドだけに、自分たちのスタイルやカラーを守りつつも、「さかなクン」、「高橋一生」、「志村けん」、「タモリ」、「横山健」、「上原ひろみ」などといったあたらしい才能や異分野のタレントたちとのコラボを繰り返してきたことも、その要因だと私は見てますが ・・・。「上原ひろみ」とのコラボを、アルバム「Goldfingers」(2010)から。

Goldfingers

東京スカパラダイスオーケストラ / カッティング・エッジ

「水琴窟 -SUIKINKUTSU- feat.上原ひろみ/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」

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潮風に身を任せたあの夏

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『「海の日」に思い出すのは ・・・』を書きながら、写真を見ていたら、何かあの頃が急に懐かしくなって ・・・。そんな爺さんのセンチな思い出話の続き。

厳しい練習の合間、連休や夏期休暇の楽しみはなんといってもクルージング。救助艇を兼ねて会社に買ってもらった24フィートの木造クルーザーを駆って、淡路島、沼島、友ヶ島、小豆島、徳島 ・・・など夏休み、冬の連休の大抵は瀬戸内海のクルージングに明け暮れた。いや、みんな若かった。

瀬戸内に沈む夕陽、一面の夜光虫にきらめく海面、獅子座の流星群、台風が近づく中の帰帆、ガス欠による漂流 ・・・。思い出しても美しいだけでなく、スリリングな体験も懐かしい。

嵐の中を帰帆し、灯台をかわし、港にたどり着いた時のあの安堵感。飲んだ一杯のコーヒーの美味しさ。そんなことを思い出しながら、今宵の曲は、「ハーバーライト/Harbor Lights(港の灯り)」。この曲を聴いたのは洋楽に目覚めた中学生の頃、「プラターズ/The Platters」の歌唱であった。元々はどうもポーランド語の歌だったらしく、それを英語に翻訳して、1950年に発表されたらしい。この曲を聴くとヨットに明け暮れた日々を思い出す。我が青春のポップス・グラフィティの一曲。

【 Harbor Lights 】  English lyrics by Jimmy Kennedy

「♪ I saw the harbor lights       港の灯りをみていると
  They only told me we were parting 君は遠くにいってしまったんだと感じる
  The same old harbor lights      かっては君を僕のもとへと運んできた
     that once broughts you to me  同じ港の灯りなのに  

   I watch’d the harbor lights     港の灯りをみつめていた
  How could I help if tears were starting? 涙が流れ出しても止められない
  Goodbye to tender nights      優しかった夜よさようなら
      beside the silvery sea     銀色に輝く海に寄り添う夜よ

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・      ・・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

「プラターズ」のほか、「エルヴィス・プレスリー/Elvis Presley」まで、山とカバーがあります。今宵は、「ウィリー・ネルソン/Willie Nelson」で ・・・。

Without a Song

Willie Nelson / Sony Mod – Afw Line


  
「HARBOR LIGHTS – WILLIE NELSON」

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「海の日」に思い出すのはあの頃

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7月18日は「海の日」。そんなことに気がついて、ヨットに明け暮れていた社会人なりたての頃、1970年代を思い出していた。ヨットを始めたのは会社に入ってから、最初の職場、研究所の同僚に誘われたからである。当時の会社は、時代に先駆けて週休2日制。関西は全く初めての地で、知り合いもなく、特にすることもなかったから、なんとなくはまっていった。当時、会社のヨット部は、全国大会にも何回も出場を果たした実業団の中では強豪チームであった。ちなみに艇庫に隣接する西宮ヨットハーバーは、「太平洋ひとりぼっち」の「堀江謙一」さんがアメリカ・サンフランシスコに向けて、「マーメイド号」で密かに出航したハーバーでもあった。

5月から10月は、仕事を終えた金曜日の夜に、西宮の浜の艇庫に集合。土、日と朝から練習をくり返した日々であった。朝から海に出ては練習、昼まで帰ってこない。その当時は、熱中症なんてこれっぽっちも考えたことがなかった。無謀といえば無謀な毎日ではあった。夜になると、練習で火照った体に、いわゆる浜風が心地よく、その感覚を今でも覚えている。もう、船に乗らなくなってから40年くらいか ・・・。ときどき、波しぶきをスプレーのようにたて、波に乗って滑るように走る爽快感を再び味わってみたいと思う事がある。

ヨットは、風を味方につけてのスポーツ競技である。今宵は「ジョージ・ベンソン/George Benson」によって、一世を風靡したフュージョンの名曲、「ブリージン/Breezin’ 」(1976)を 。

ブリージン

ジョージ・ベンソン / Warner Music Japan =music=

「George Benson – Breezin’」

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夏ジャケ・ギャラリー  ~ 懐かしきCTI3000シリーズから ~

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かって、CDではなくLPレコードと呼ばれた頃、ジャケットに一際アート性を持ち込んで、一世を風靡したレコードのレーベルがあった。プロデューサーの「クリード・テイラー/Creed Taylor」によって創設され、そのジャケットの画期的とも言える斬新さと音楽性の多様さ、時代感覚で、1970年代に起こったジャズの新潮流〈クロスオーヴァー/フュージョン〉を牽引したアメリカのジャズ・レーベル「CTI」シリーズ(Creed Taylor IncorporatedまたはCreed Taylor International)である。テイラーのジャズの大衆化を図るというこの狙いは見事にあたり、イージー・リスニング・ジャズ、あるいはクロス・オーバー、フュージョンのブームを作ったのである。私もそんなCTIシリーズに魅せられたひとりでもあり、CTIのいくつかは「我が青春のジャズ・グラフィティ」となっている。(参照拙ブログ「我が青春のジャズ・グラフィティ(6)~ 続・大人の眼差し ~」「我が青春のジャズ・グラフィティ(7)~ 青春の光と影 ~」など)

特に「3000番シリーズ」なかから、夏向きジャケット、トップ5をギャラリー・アップしてみました。残念なことに、これらを含めたLPは、ほとんど散逸してしまっている。もちろんCDでもジャケットは楽しめるし、ジャケ買いなどいまでも私もしているが、LPレコードに比べると、そのアート性、楽しさにおいては太刀打ちできない。

まるで「コルコヴァードの丘 /Corcovado」の丘に聳え立つキリスト像のように、波飛沫にの中に浮かび上がるシルエットは、「Tide」。

「Antonio Carlos Jobim – Tide (1970) – Full album」

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サバンナを駆ける一頭のキリン。「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobim」の「WAVE」のジャケット。

「Antonio Carlos Jobim – Wave (1967) Full Album」

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Comin’ Home Baby

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玄関先のプランターに水を撒いていて気がついた。脱皮したばかりの「カマドコウロギ(竈蟋蟀)」?(難しい字ですね・・)、あるいは「カマドウマ(竈馬)」でしょうか、じっと葉に掴まっている。健気 ・・・。この時期、次から次へと、我が家を訪れるいろいろな虫が繰り広げる自然の営み。いや、見ていて飽きないもんですね。
 
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ふいに浮かんできた曲は、「カミン・ホーム・ベイビー/Com’in Home Baby」。60年代、ボサノバの流行とともに、大ヒットしたジャズ・フルート奏者、「ハービー・マン/Herbie Mann (1930 – 2003)」の出世曲。まあ、当時のJAZZ喫茶では、しょっちゅう流れていたように記憶しています。アルバムは、「ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン/Herbie Mann At The Village Gate」。祭囃子を思わすような、ベースの長いイントロに続いて、グルーヴ感いっぱいのフルートが印象的な曲。そのベースを弾いていた「ベン・タッカー/Ben Tucker」の作曲。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1曲。1961年11月17日ニューヨーク、「ヴィレッジ・ゲイト」でのライヴ。

ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン

ハービー・マン(fl) / ワーナーミュージック・ジャパン

「Comin’ Home Baby - Herbie Mann」
 
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「ハービー・マン」は、1930年、ニューヨーク・ブルックリンでルーマニアとロシアの家系をもつユダヤ人の両親の間に生まれた。プロとして初めて舞台に立ったのは15歳のときであるという。最初は、バス・クラリネット、テナー・サックスおよびソロ・フルートを担当したが、20歳を過ぎる頃からはバップ・フルートの第一人者たるべく、フルート一本に絞ったという。

多くの人が、彼を評価する所以は、彼はフュージョンあるいはワールドミュージックの開拓者であったことであろうか。1959年には政府支援のアフリカ旅行に同行してアフロ・キューバン・ジャズのアルバム、「フルーティスタ/Flutista」を録音、1961年には、ブラジルに旅し、「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antônio Carlos Jobim」や、「バーデン・パウエル/Baden Powell」ら現地ミュージシャンを引き連れてレコーディングをするため帰国し、その後米国において「Comin’ Home Baby」の大ヒットを皮切りに、「ボサ・ノヴァ」の一大ブームを起こしたことは有名な話である。

また、1960年代半ばには、まだ無名の「チック・コリア/Chick Corea」をバンドに加え、売り出したり、1969年のヒット・アルバム、「メンフィス・アンダーグラウンド/Memphis Underground」では、当時「フュージョン」という言葉すらなかった時代に、ロックあるいはソウル・ミュージックとジャズとをクロス・オーバーするという手腕を発揮してみせた。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1枚。

メンフィス・アンダーグラウンド

ハービー・マン(fl、arr) / ワーナーミュージック・ジャパン

「HERBIE MANN - Memphis Underground (Full Album)」
 
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小雨のヨットハーバーで盛り上がる

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朝からどんよりと暗い空、そして小雨が振り出したが、いそいそと出かける。前の会社では、と言っても相当昔、若いころの話であるが、ヨット部に所属し、毎年初夏から秋にかけては、休みはいつもヨットの練習に明け暮れていた。そんなことを、何回かこのブログでも書いたことがある。(参照拙ブログ「仲間、再会、別れ ・・・」「風良し、波良し、天気良し」「夏の気配  ~潮風の記憶~」など) そんなヨット部が今年で創部50周年を迎え、それを記念して現役ヨットマン、OBヨットマン/現役社員、OBヨットマン/OB社員で交流会をしようということで、現在の艇庫がある「新西宮ヨットハーバー」に集合した。創部は昭和38年(1963年)、何人かのヨット経験者によって創部された。もちろんその先輩たちはまだお元気である。私が当時の同僚に誘われて入部したのが、1970年か71年であったと思う。ほかに楽しみもなく、近くではあるが、今とは違った場所にあった西宮浜に毎週通ったものである。その時の仲間たちとの交流が今でも続いているのである。
 
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天気が良ければ、クルーザーで海に出るはずであったが、あいにくの雨に加えて、寒冷前線の通過に伴う相当の風。陸に上がってもうすっかり足元もおぼつかなくなっている爺さん達を乗せては危険という当然の判断で、停泊中の見学と記念写真のみとなり、早々のBBQパーティとなった。時間を忘れるほどの大盛り上がり、初めて会った後輩もヨット仲間なら百年の知己のように話も弾む。そして聞けば、やはりこのご時世、ご多分に漏れず、クルーザーの繋留料、艇庫の賃料など経費の負担が企業内スポーツの継続には重くのしかかってきているが、どうにか会社の理解もあって、かろうじて継続できているという。ここまで50年続けてきたのだ。何とか継続をとエールを送りつつ、夕暮れ近づくハーバーを後にした。
 
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さあ、古き良き仲間たちに会えたので、今宵はあの若かりし頃を思い出しながら、ブルーノートの復刻盤から聴いてみましょうか。「グラント・グリーン/Grant Green」。1960年代を代表するギタリストといえば、一人は言わずと知れた「ウェス・モンゴメリー/Wes Montgomery」、そしてもう一歩の旗頭が、「グラント・グリーン」であった。当時のジャズ喫茶でも、ウェス派とグラント派がはっきり分かれ人気を二分していたように思う。奏法でも「ウェス・モンゴメリー」が、コード・ソロ、オクターヴ奏法を多用したのと対照的に、シングル・ノート(単音)のメロディを主体にプレイした。

「グラント・グリーン」。1935年、ミズーリ州セントルイス生まれ。デビューのきっかけは、「ジミー・スミス/Jimmy Smith」とのセッションだったという。オーソドックスなビ・バップから、モード・ジャズ、そしてジャズ・ファンクに至るまで、さまざまなジャンルで活躍したため、グリーンはモダン・ジャズ・ファンだけにとどまらず幅広い支持を獲得した。しかし、残念ながら1979年に47才という若さで亡くなっている。
 
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私が学生時代はモダン・ジャズの全盛期、よくジャズ喫茶に通っていた。そこでよく流れていたグリーンのアルバムが、「アイドル・モーメンツ/Idle Moments」(Blue Note, 1963)。なんといっても、このタイトル曲に、皆痺れていたものである。「デューク・ピアソン/Duke Pearson」のピアノに始まり、「グラント・グリーン」のギターと「Bobby Hutcherson/ボビー・ハッチャーソン」のヴィブラフォンがテーマを奏でる。このメロディラインが実にうっとりするほど魅惑的なのだ。そしてアドリブが、ギター、ピアノに続いて、柔らかく優しい「ジョー・ヘンダーソン/Joe Henderson」のテナー。さらにクールで緊張感を高める「ボビー・ハッチャーソン」のヴァイヴへと続く。この1曲だけで十分堪能といえるアルバムである。

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Grant Green / Blue Note Records

パーソネルは、「グラント・グリーン/Grant Green (g)」、「ジョー・ヘンダーソン/Joe Henderson (ts)」、「ボビー・ハッチャーソン/Bobby Hutcherson (vib)」、「デューク・ピアソン/Duke Pearson (p)」、「ボブ・クランショウ/Bob Cranshaw (b)」、「アル・ヘアウッド/Al Harewood (ds)」。

フル・アルバムがYOUTUBEにアップされているが、「Idle Moments」1曲で十分堪能 ・・・。

「Idle Moments – Grant Green」
 
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「1969」

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このブログでも取り上げたが、「由紀さおり」の「1969」というアルバムが話題になっている。(参照「快挙には違いない」
 
1969年は、私が大学を卒業して就職した年。アポロ11号の月面着陸、全共闘の東大安田講堂事件などがあり、翌年が大阪万博開催、’70年日米安保改定の年、日本は高度成長期の真っただ中であった。

さて、今日(1月30日)の朝日新聞・ローカル面にこんな記事が載っていた。

『かって神戸・元町に有名なライブ喫茶「ロスト・シティー」があった。1960年代半ば、ブルーグラスに傾倒した学生たちが、大学ごとなどにバンドを組んで盛んに活動した。ロスト・シティーはそんな彼らの聖地 ・・・・・。そこで定期的に演奏していたのが「ブルーグラス45」。渡辺敏雄さん(65)ら大学生と高校生ばかり6人で1967年に結成したバンド。 ・・・ 』(朝日新聞)

この渡辺氏、ブルーグラス一筋で、昨年のグラミー賞にノミネートされた快挙のことも、このブログで取り上げたが、(参照「グラミー賞にノミネートされた日本人」) 今度は、2月下旬にシアトル近郊で開かれるフェスティバル「ウインターグラス」に招かれたという。これまた「由紀さおり」に勝るとも劣らない快挙である。還暦を迎えたメンバーの円熟のブルーグラスが本場アメリカ人にどう響くか。
 
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(写真右;「TUT Excaliburs」より無断拝借)

そして「ロスト・シティー」。1969年に入社して1年間ほどは大阪の寮に住んでいたが、遊びに行くのは大阪ではなく、大抵は神戸か京都であった。ジャズ好きの私と、C&W好きの友達とよく行った神戸の店の一つが、当時、神戸大丸の近くにあった、今はなき「ロスト・シティ」であった。店の佇まいなど、もうまったく覚えていないが、C&W好きの若者の熱気でむんむんしていたことと、その音楽性の高さに感心したことは、記憶に残っている。   

「1969」。あのころの音楽界は豊かであったように思う。フォーク、POPS、歌謡曲、ボサノバ、映画音楽・・、由紀のアルバム「1969」に収録されている曲目をみてもそのことは分かる。日本の高度成長に拍車がかかり、あらゆるジャンルの音楽が一斉に花開き、私もそんな一人であったのだが、フォークやエレキの影響で誰もがギターを手にした時期であり、レコードが飛ぶように売れた時代であった。当時の「平凡パンチ」などに付録としてついてきた歌の歌詞やギターコードなどの楽譜が、いまでも手元に残っている。そして、どこの大学にもハワイアン、ジャズと並んでC&Wバンドがあった。

私は、いまでもカントリー&ウェスタン(C&W)とブルーグラスの区別もよくつかないが、それでも「ハンク・ウィリアムス/Hank Williams」、「ビル・モンロー/Bill Monroe」、「ジョニー・キャッシュ/Johnny Cash」、「グレン・キャンベル/Glen Campbell」、「ジョン・デンバ―/John Denver」、いまだに現役で活躍している大御所「ウィリー・ネルソン/Willie Nelson」らの名くらい知っているし、「北風/North Wind」、「ジャンバラヤ/Jambalaya」、「コーライジャ/Kawliga」、「コールド・コールド・ハート/ Cold, Cold Heart」、「ユア・チーティン・ハート/Your Cheatin Heart」、「思い出のグリーングラス/The Green Green Grass of Home」、「ウイチタ・ラインマン/Wichita Lineman」などの曲は今でもよく覚えている。そしてこのころヒットしていた曲で、好きだった曲は、「グレン・キャンベル」の「恋はフェニックス/By The Time I Get To Phoenix」であった。

「僕がフェニックスに着くころ、彼女は目を覚まし、僕が出て行ったことに気がつくだろう ・・・」。ちょっぴり苦い別れの歌。後年、仕事でアリゾナ州の州都、フェニックスに降り立ったとき、空港のロビーからこの曲が流れていたのにちょっぴり感動。

By the Time I Get to Phoenix

Glen Campbell / EMI Special Products


 
「Glen Campbell – By The Time I Get To Phoenix」 
 
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ベンチャーズから始まった

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NHK・BSプレミアムの「Show Time」。「谷村新司」がMCのこの日は、「ベンチャーズ/The Ventures」であった。1959年、「ドン・ウィルソン/Don Wilson」(1933年生まれ)と「ボブ・ボーグル/Bob Bogle」によって結成された。初来日は1962年のことで、日本側が用意したギャラが二人分しか用意できなかったため、ドンとボブの2人だけの来日となったという。大ブレークのきっかけとなった2度目の来日は1965年。ドン、ボブに加え、「ノーキー・エドワーズ/Nokie Edwards」、「メル・テイラー/Mel Taylor」の4人で、メンバーや人数の変遷はあるものの、この4人がオリジナル・メンバーと認識している。番組では、結成当時のエピソード、バンド名の由来や初来日のいきさつなどがドンの口から語られて非常に興味深かった。そして私の音楽の旅も遡ってみれば、「ベンチャーズ」から始まったのである。

50年も同じサウンドを維持し、毎年のように来日し日本各地でコンサートをひらく。「××ベンチャーズ」と名乗る「ご当地ベンチャーズ」や親父バンドは数知れず。かっての会社の仲間も、おじさんバンドでベンチャーズをやっているという賀状が届く。この一向に人気が衰える気配のない「ベンチャーズ」の魅力とは一体なんだろう? 谷村は「歌ではなく、インスツルメンタルで、しかも日本人の琴線に触れるそのメロディだ」と評していた。 
「ベンチャーズ」は、日本の若者に最も大きな影響を与えたバンドと言って過言ではない。あのころの若者の誰もがあの「テケテケ」サウンドに魅了されエレキ・ギターが飛ぶように売れたという。かくいう私も大きな影響を受けたその一人である。

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1961年(昭和36年)、高校に入学してから「禁じられた遊び」が弾きたくて、クラシック・ギターを買ってもらい、最初はカルカッシ・ギター教則本などで、クラシック・ギターを真面目に練習していた。大学入学は1965年(昭和40年)、まさにベンチャーズ2度目の来日の時である。クラシック・ギター部に入部したが、ベンチャーズの影響を受けるまでにそう時間はかからなかった。そしてギター部のメンバー3人を核に2人を加えて学生バンドを結成することになる。それからはバンド一直線の2年間。リサイタルを開き、バンドを後輩に譲るまで疾風怒濤の2年間、そのリサイタルは、1967年10月28日のことであった。

そのリサイタルで演奏した曲に「キャラバン/Caravan」がある。「デューク・エリントン/”Duke” Ellington」の手になる有名なスタンダードであるが、多分多くの日本人は、「デューク・エリントン」でよりも、「ベンチャーズ」の演奏でこの曲を知ったのではないだろうか。

「キャラバン Caravan’84 - The Ventures」 メルの十八番、スティック・オン・ベースも懐かしい。

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