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おやじのハコものがたり(2) ~橋の思い出~

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250px-LGBWilliamsburgBridge.jpg(写真;ウィリアムズバーグ橋、NY)
いくつもの国で、いくつもの橋を渡ってきた。歴史のランドマークともなっているテームズ川の「ロンドン・ブリッジ」、装飾とライトアップが華麗なセーヌ川の「アレクサンドル三世橋」、14世紀に建てられ、フィレンツエはアルノ川に架かる回廊を持つ橋「ヴェッキオ橋」、世界で初めて建造されたというエジンバラ近郊の鉄製橋梁、マンハッタンの夜景に息を呑んだ「ブルックリン橋」、イースト・リバーに架かる美しい吊橋「ウィリアムズバーグ橋」。フロリダ半島のマイアミの先、キーウェストまでの400km、小島や砂州を結びながら、一直線に延々と続く橋の数々・・・。

amarube.jpg(写真;冬の餘部鉄橋)
水都・大阪、八百八橋の名残を代表する淀屋橋、心斎橋、渡辺綱の鬼伝説があり、洛中・洛外を分けたという京都・堀川一条通に架けられている橋「一条戻り橋」、時代劇には欠かせない京都八幡市木津川は木造りの「木津の流れ橋」。明治45年に開通し100年間利用されたが、コンクリート橋への架け替えが進んでいるため、もう見ることが出来ない兵庫・香美町、山陰線にかかる「餘部(あまるべ)鉄橋」・・・。

古来より、町は水利、水運を利用するため、川のほとりに造られ発展してきた。やがて都市への発展とともに両岸を結ぶ橋が架かる。やがて鉄道、モータリゼーションの発達。そうして、橋は国を繋ぐ、地域を繋ぐ、人を繋ぐ、そして心を繋ぐ。その一方で、諍いや争いも招いてきた。だから、「橋」は美しいが、悲しいし、幾多のドラマを生んだ。第二次世界大戦末期、ライン川に架かるこの橋をめぐる連合軍とドイツ軍との攻防を描いた「レマゲン鉄橋」、タイ・ビルマ国境をながれるクワイ川に日本軍が架けた泰緬鉄道の鉄橋をめぐる戦いの「戦場にかける橋」、変わらぬ愛を誓った「君の名は」の数寄屋橋、イタリアからやってきた戦争花嫁とカメラマンの孤独な魂のふれあいを描いた「マディソン郡の橋」 ・・・など、ちょっと思い起こしてみても、橋をテーマにした映画も多い。

「コンクリートから人へ」の新政権の掛け声の中、無駄な公共事業、ハコもの行政批判を超えてわが国にも、「美しい橋」は多く存在する。そんないくつかの「美しい橋」の中で、私は吊り橋が好きである。「人や車を渡す」という単純な目的を達するために建造されるのが橋であるが、そのシンプルな機能美のなかで、吊り橋はとりわけ美しい。先日、淡路島・徳島へ出かけたときに、本州四国連絡橋である「明石海峡大橋」と「大鳴門橋」を渡ったが、この二つの吊り橋も美しかった。

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(写真;左 舞子側から見た明石海峡大橋 右 四国側鳴門山からみた大鳴門橋)

明石海峡大橋は、明石海峡を横断して架けられた全長3,911mの世界最長の吊り橋である。大震災にも耐え、1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。吊橋の規模を示す中央支間長(塔と塔の距離)は、世界一の1,991m、さらに主塔の高さは海面上約300m、東京タワー(333m)とほぼ同じ高さ。一方、大鳴門橋は、四国と淡路島の間にある「鳴門の渦潮」で知られる鳴門海峡に架けられた吊り橋。橋長は1,629m、中央支間長は876m、主塔の高さは144.3mで1985年6月8日に開通した。
かって、淡路島にすんでいた少年は、対岸に夢のようにきらめく神戸の灯りを見ながらいつも、「いつか向こうへ渡るんだ」と誓っていたという。その少年が、俳優・渡哲也氏である。明石海峡大橋ができてから、対岸へ渡る夢は、いとも簡単にかなえられるようになったが、かっての国道筋の旅館や店は閉店がかなり目立つように思える。そういえば、明石海峡大橋のライトアップは、照明デザイナーの石井幹子氏がデザインし、景観照明システムは、私が事業責任者だった時に納入し、2000年元旦のカウントダウンを迎えたことも懐かしく思い出される。

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わが家のご近所の吊り橋もあげておこう。阪神高速池田線の猪名川に架かる一本主塔の吊り橋である。その美しい斜張のワイヤが巨大な竪琴に似ているため、「ビッグハープ」と名づけられている吊り橋。大阪への車でのアクセスに、下を流れる猪名川河畔のウォーキングにと、日々の生活の傍らにある「ご近所吊り橋」である。

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そして、思い出の橋の一つは「エーレスンド橋」。デンマークの首都コペンハーゲンとスエーデン第三の都市マルメとの間のエーレスンド海峡に架かる橋で、中央部が吊り橋構造となっている。2000年に正式開通したが、それまでのマルモ出張は、コペンハーゲン空港から、ヘリコプターか、高速フェリーで渡っていた。橋の完成後は、コペンハーゲン国際空港へ列車で40分程でアクセスでき、非常に便利になった。スエーデンでの事業を担当していた後半の出張は、この橋を何回もマルメへと渡った想い出の橋である。デンマーク側には3,510mのトンネルがあり、複線の鉄道は、4車線の道路の下を通っている。斜張橋部分はスパンが490mあり、世界でも最長クラス、主塔の高さは204m、全長は7,845m。日本のハコもの行政に金がかかり過ぎるという例として、この橋の総工費と東京湾アクアラインの比較が報道などで、よくでてきたことがある。ちなみに、橋全体の建設費は当時、301億DKK(約6,000億円)で、2035年までには建設費を償還できる見込みであるという。かたや東京湾アクアラインの総事業費は約1兆4,409億円であったという。

テナーの巨人「ソニー・ロリンズ」の名演・名盤に「橋」というアルバムがある。1959年の夏、人気の絶頂にあった「ソニー・ロリンズ」は自分の演奏を見つめ直すため、突如引退する。彼が活動停止中、橋で練習を続けていたところを雑誌にスクープされたが、その橋が、「ウィリアムズバーグ橋」であった。1961年11月には活動を再開し、1962年初頭には「ジム・ホール」などを従えて、久し振りの新作をリリース。そのアルバムのタイトルは、あの練習場所にちなんで「橋」となったのだ。JAZZ史における有名な「橋伝説」である。3年間の沈黙を経ての復帰第1作。自信に満ちた堂々としたプレイとピアノレスならではの「ジム・ホール」との掛け合いが聴きどころの名盤である。

ソニー・ロリンズ / BMG JAPAN


「ポール・フライシャー」の「ザット・ブリッジ/That Bridge」。1944年生まれ、「Manhattan School Of Music」で音楽を学び、N.Y.を中心に演奏活動をしていたらしい。その後アメリカでの音楽活動があまり上手くいかず、1995年、日本人の夫人と共に大阪へ移った。しばらく音楽から離れていたが、「君はまだミュージシャンだよ」と旧友に励まされ、大阪のライブハウスを拠点に活動を再開した。そのうち、「日本にすごいアメリカ人テナーがいる」と評判になり、今回、古巣のN.Y.での録音となったという。ちょっといい話・・・。「ケニー・バロン」らを従えての、ワンホーン編成、豪快でよく歌うテナー。故郷N.Y.での復活を象徴した、このCDジャケットの橋は多分「ブルックリン橋」。

ザット・ブリッジ

ポール・フライシャー / スリーディーシステム


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マンハッタンからジョン・F・ケネディ空港へ行くには、いつも「クイーンズボロ橋」を渡る。100年前の1909年完成の美しい橋。ルーズベルト島をまたいで、マンハッタンとクイーンズを結ぶ。幾多の映画にも出てくるし、NYCマラソンでは、ランナー達はこの橋を駆け抜ける。そして、「サイモン&ガーファンクル」の名曲「五九番街橋の歌」は、この橋を歌った歌。私がいつもニューヨークに想いを残し、後ろ髪をひかれる思いで、日本に帰るためJFK空港へと急いだ橋、「クイーンズボロ橋」・・・。
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おやじのハコものがたり(1) 幻の東京オリンピック

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2016年のオリンピック開催地は、南米ブラジル、リオ・デ・ジャネイロに決定した。メディアが報じるとうり、東京・シカゴの敗因は、「南米初の」というキャッチ・フレーズの新鮮さと「開催を望む国民の熱意」の温度差であったのだろう。国或いは都市の成熟度の高い順に敗れていったことがそれを窺わせる。わが関西に関して言えば、殆ど関心がなかったといえよう。2008年の開催地決定で、大阪が北京に破れたときの招致運動に際して見せた、国、中央政府、東京の冷淡とさえ思えるような不熱心さの裏返しである。また巨費をつぎ込んでインフラを開発・整備をすすめ、またしても東京一極集中、一都市繁栄をさらに加速するだけとしか思えないような気もした。それと、「グリーン・オリンピック?」とかいうコンセプトは、何度聞いても、いまだに何故それが開催の大きな理由や売りになるのかがよく分からない。「オリンピック東京開催」でなくても、世界に日本の環境技術の優位性や環境への取り組みを訴えるのにふさわしいイベントや手段はいくらでもあるであろうに。広島・長崎開催で世界平和、核廃絶を訴えるスポーツ祭典といったコンセプトなら、よっぽど分かりやすいと思うのだが・・・・。

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そうはいっても、東京オリンピックが開催されたのは1964年。大学浪人中のときであった。受験勉強そっちのけでTVにかじりつき、興奮もし、熱狂もした。丹下健三氏設計の代々木体育館、亀倉雄策氏のポスター、市川昆監督の映画「東京オリンピック」、東洋の魔女達の活躍、裸足の英雄アベベの孤高、円谷幸吉の苦悩、へーシンクによる日本柔道の屈辱 ・・・・。そのとき起こったドラマをみんな覚えている。もちろん記念切手や記念硬貨なんかも持っている。そういえば、ピースだったと思うが、記念たばこも発売され、それが喫煙初体験であった。大学のときには、代々木体育館など五輪施設も眼にし、初めて新幹線も乗ったし、名神高速道路も走って感激もした。東京オリンピックは、以後の日本が熱気うずまく高度成長時代へ突入していくスタートラインだった。

さて、リオ・デ・ジャネイロ。ボサノバ、フォルクローレ、ラテン音楽ファンの私としては、南米・ブラジルはぜひとも行ってみたい国である。リオに駐在していた知人に聴いたところによると、ブラジルは、発展途上国に共通する問題、大変な貧富の格差、治安の悪さ、行政・政治の非効率さ、腐敗の横行などをやはり抱えているそうだ。しかし、それらを跳ね返して余りある陽気さ、明るさ、バイタリティにも溢れているという。それは、リオのカーニバルをみたら理解できる気がするが、反面、あの万事アバウトで刹那的なラテン気質は、今後ブラジル政府に様々な難題をもって立ちふさがるに違いないので、本当に開催は大丈夫だろうかという危惧も感じる。そんな本音を抱いているかもしれないブラジル政府に、「リオ・デ・ジャネイロ・ブルー(リオ・デ・ジャネイロの憂鬱)」という曲を、少し皮肉っぽいが、お祝いとして贈ろうか。
一方、東京では、今回の招致活動に途方もない巨費がかかっており、また、一向に進まないお台場開発や外環状道路建設の「てこ」として、五輪招致を利用したとの報道もされている。こちらの戦後処理は、当局にとっては頭の痛い「東京ブルー」、「石原ブルー」になりそうな気もするのだが・・・。

「♪ もう二度とあなたに会うことはない そんな気がする リオ・デ・ジャネイロの憂鬱 ・・ ♪」と歌う恋の歌「リオ・デ・ジャネイロ・ブルー/Rio De Janeiro Blue」は、「ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード」という最高のコンビによる極上のジャズ・アルバム「フィーリング・グッド」からがおすすめ。リズミカルで、メロディアスな名唱である。

フィーリング・グッド

ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード / ビデオアーツ・ミュージック


そして、ブラジルといえばボサノバ。それも、アメリカ西海岸風のソフィスティケイテッドされたボサノバでなく、ブラジルの空気や街のにおいが熱気とともに伝わってくるボサノバらしいボサノバを最近聴いた。「オスカー・カストロ・ネヴィス/Oscar Castro-Neves」の「Live At Blue Note Tokyo」である。しばらく前にブラジルにおけるボサノバ衰退の危機について書いたが、「オスカー・カストロ・ネヴィス」は、ジョビン亡き後のボサノバ界のトップに立ち、ボサノバをここまで広めてきた巨匠中の巨匠である。「ウェザー・リポート」や「リターン・トゥ・フォーエヴァー」に在籍していた「アイアート・モレイラ」、「エリス・レジーナの再来」と呼ばれるほどの表現力を持つ「レイラ・ピニェイロ」などの実力派ミュージシャンが「東京ブルーノート」に集結、熱いライブを展開した。このライブ前の記者会見で、「ボサノバは過去の音楽では?」という質問に、オスカーは「いや、進化し続けている」と答えたという。

ボサノヴァ・セレブレーション・オールスターズ ライブ at ブルーノート東京!

オスカー・カストロ・ネヴィス / スリーディーシステム

東京オリンピックと大阪万国博覧会を機にスタートを切った、右肩上がりの経済成長の中で、すさまじいコンクリート列島化、ハコもの列島化をこの国は続けてきた。そして時代は変わっても、その延長線上に胡坐をかいて、世の中の流れを見誤った自民党は惨敗を喫し、政権交代が起こった。民主党政権は「コンクリートから人へ」と税の使い道を抜本的に変えようとしている。
あの高度成長時代を通じて次々と建った鉄やコンクリートの「ハコもの」は、われわれ団塊世代みんなの人生の身近に寄り添うような形で多分存在したに違いない。「コンクリートから人へ」に逆行するようであるが、私が日々の生活の中で出会った「懐かしのハコもの」について綴る紀行を記してみたい・・・・。 



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