JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

我が青春のジャズ・グラフィティ(3)  ~我が愛しの異邦人~

TAGS: None

P1010653.JPG
(写真は1967年大学3年生の時行ったバンドのリサイタルのパンフレット、表紙の稚拙なイラストは私が描いたもの)

1年の浪人を経験したあと1965年に大学に進学し、仙台で生活することになって、始めて本格的に音楽に目覚めたといえる。当時の学生達が異性と出会う場といえば、各学生クラブが資金稼ぎのためにこぞって主宰する「ダンス・パーティ」であった。略して「ダンパー」での人気学生バンドは、JAZZクインテット「ファイヴ・スポッツ」とハワイヤン・バンド「カウラナ・アイランダース」。「ファイヴ・スポッツ」はニューヨークにある有名なJAZZクラブ「5 Spot」をバンド名とし、そのテーマ曲は「Five Spot After Dark」。ダンパーのオープニングでこの曲を聴くともうそれだけでぞくぞくしたものだ。受験などで封印されていたJAZZや音楽への憧れが一気に解き放たれたのである。そして「カウラナ・アイランダース」の十八番に「熱風」と言う和製ハワイアンではあるが、すごくJAZZYな曲があり、いまでもお気に入りの曲となっている。

「カーティス・フラー」のトロンボーンと、「ベニー・ゴルソン」のサックスの出だしのユニゾンが一世を風靡した「5 Spot After Dark」は、ジャズ喫茶で必ずといっていいほどかかっていた人気盤「ブルースエット」に収録。

ブルースエット
カーティス・フラー / コロムビアミュージックエンタテインメント
ISBN : B000AHQF52
スコア選択:

自分の音楽をハワイアンと定義されるのが嫌いだったらしく、「ハワイアン楽器を使ったポピュラー音楽であり、JAZZをやっているんだ」と自分の音楽を語っていた大橋節夫氏。今聞いても軽快でスウイングするJAZZYな曲「熱風」も忘れられない一曲である。

ハワイアン・ルネッサンス
大橋節夫 ハニーアイランダース / コロムビアミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005EPHW
スコア選択:

やがて軽音楽部に入部し、「The Strangers」という名のエレキバンドを結成するまでにそう時間はかからなかった。その頃、ギター部に所属していた、Si君(リードギター)、このブログメンバーの神童覇道君(ドラムス)と私(ベース)を核に、O君(サイドG)、A君(SAX)が加わり、5人でスタートした。当時エレキといえば「不良」の代名詞。それはともかくとして、大音量のため、とにかく困ったのは練習場所。練習場所は、迷惑にならない場所にあった学生食堂を、何とか拝み倒して、営業時間後の夜と休日に借りて練習したように思う。指にたこができ、指紋が無くなり、声が出なくなるほど、本当によく練習した。そして、バンドがデビューしたのは1966年、大学2年生のときであった。しばらくたって、サイドGのO君がサイドG/キーボードのH君に代わり、マネージャーとしてSa君も参加してくれたので、メンバー編成だけを見ると、「ブルー・コメッツ」と同じ編成であったし、事実、ブルコメが、「ブルーシャトー」でレコード大賞をとった後の仙台コンサートで前座をつとめたなんて想い出もある。Si君、O君は残念なことに鬼籍に入ってしまった。

やがて、ダンス・パーティなどから出演依頼が来て、だんだん人気が出てくるにつれ、ちょっとJAZZYなエレキバンドといったカラーにまとまっていったかな。バンド活動は、就職活動が始まる4年生前半までの約2年間ちょっと。工学部は私一人だったので、その両立も大変であったが、何とか卒業できた。女子学生の後援会なんてものも出来、また生意気なことに、3年の時には、リサイタルなんてものも開かせてもらい、まさに全速力で駆け抜けた青春だった。

「ジミー・スミス;ザ・キャット」。我々がJAZZらしきものにチャレンジした記念すべきナンバー。ルネ・クレマン監督「危険がいっぱい(1964)」という当時人気絶頂の「アラン・ドロン」、「ジェーン・フォンダ」主演のフランス映画の主題曲である。、「TVスパイ大作戦(ミッション・インポッシブル)」「燃えよドラゴン」のテーマでおなじみの「ラロ・シフリン」のアレンジによるゴージャスなオーケストラをバックに、ジミーのオルガンが冴え渡る曲。JAZZバンドならいざ知らず、これをレパートリーとする学生エレキバンドは、ほかには皆無であったろうが、我がバンドに新しいJAZZYなキャラクターを付け加えるレパートリーだった。

The Cat
Jimmy Smith / Verve
ISBN : B0000069NA
スコア選択:

そして、当時のダンスパーティでは「モンキーダンス」、「ゴーゴー」が主流であったか。そんな時代を反映して、そのころ「ラムゼイ・ルイス・トリオ」のソウルフルな演奏の「ジ・イン・クラウド(1965)」が、フュージョン(当時はジャズロックといった)ブームを巻き起こしていた。
そんなフュージョンのさきがけともいえる「ハービー・マン/カミン・ホーム・ベイビー」をレパートリーに入れたのもこのころ。マンの天衣無縫なフルートが自在に舞う、「カミン・ホーム・ベイビー」は、1961年に大ヒットしたジャズで、アルバム「ハービーマン/ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン」に収録。

ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン(完全生産限定盤)

ハービー・マン / ワーナーミュージック・ジャパン


そして、当時、われわれがコピーした「ベンチャーズ」の演奏のほうが、たぶん有名であった「デューク・エリントン/キャラバン」もJAZZからのナンバー。
’60ごろに人気があったアメリカの私立探偵を主人公にしたTVドラマシリーズのテーマで、SAXのソロが売りのヘンリーマンシーニ作曲「ピ-ター・ガン」。ウエストコースト派のクールジャズ、こんなJAZZYな曲をよく取り込んだものだ。A君のSAXの腕は相当なものだった。

我々のバンドのメンバーは誰一人としてプロへ進もうなどとは思わなかったが、当時の仙台で活動していたアマチュア・ミュージシャンには、やがてプロの道へすすんで行った「青葉城恋唄」の「さとう宗幸(1949年生まれ)」、TVドラマ「時間ですよ」のお涼さん役、「篠ひろ子」などがいた。たしか「篠ひろ子(1948年生まれ、旧姓沼澤博子)」は、現役の東北学院大学の女子大生で、東北放送のテレビ番組「ホリデー・イン・仙台」のアシスタントとして出演していた。170cmちかい長身で、際立ってオーラがあったのを覚えている。
そして、当時、工学部建築学科に、のちに「オフコース」を結成する「小田和正(1947年生まれ)」がいたはずであるが、音楽活動をしていたかは不明である。

青春のJAZZグラフィティ/バンド編は、
7)カーティス・フラー・クインテット;5 Spot After Dark (アルバム「Blues ette」)
8)大橋節夫とハニー・アイランダース;熱風
9)ジミー・スミス;ザ・キャット
10)ハービー・マン;カミン・ホーム・ベイビー (アルバム「ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン」)
11)ラムゼイ・ルイス;ジ・イン・クラウド
12)ヘンリー・マンシーニ;ピーター・ガンのテーマ
13)デューク・エリントン;キャラバン

我が青春のジャズ・グラフィティ(2)  ~ 最初は映画から始まった ~

TAGS: None

P1010682.JPG
最初にジャズに触れたのは、ルイ・マル監督「死刑台のエレベータ」。1961年に入学した高校は、かなり自由な気風で、確か映画館へ入るのは自由であったし、高校自身が「名画鑑賞会」なるものをよくやっていたと思う。フランス映画「死刑台のエレベータ(1958年制作)」はそんな鑑賞会で観た映画であった。高校に入学してぱっと開けた映画の世界。当時はハリウッド映画よりフランス、イタリアなどヨーロッパ映画が全盛で、すっかり夢中になってしまった。「死刑台のエレベータ」は、映画自体のストーリーが面白く、JAZZと言う言葉を知らず、不思議な音楽という印象はあったが、JAZZに夢中になるということはなかった。はっきりJAZZを意識して聴いたのは、多分ラジオで知ったのであろう、これまたフランス映画で、ラクロの有名な心理小説をロジェ・ヴァディム監督が映画化(1959年)した「危険な関係」のテーマ曲である。映画は「18歳未満禁止」のストーリーであったので見ることはなかったが(勿論ほどなくして小説で読んだが・・・)、「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」の演奏するそのテーマ曲は16歳の私に強烈な印象を与えたのである。

ちょうどその頃、ラジオ少年でもあった私は普及し始めた「ステレオ」が再生できる手製のアンプとスピーカー・ボックスで、「ナット・キング・コール」、「プラターズ」、「ポール・アンカ」、「パーシー・フェイス、「リカルド・サントス」、「ニニ・ロッソ」などのポピュラー音楽を楽しんでいた時代でもあったのだ。そうそう「ソノシート」なんてものもあったっけ。

危険な関係(サントラ)

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ / マーキュリー・ミュージックエンタテインメント


そして、乏しい小遣いの中から買った45回転のEP盤。A面が「危険な関係のブルース」 B面が「危険な関係のサンバ」が収録されていたが、いきなり強烈なマイナーの旋律がコンボで演奏され、ドラムが繰り拡げる派手なセッションに、わけも分からず「これがJAZZか・・・」とすっかり魅了されてしまった。

映画の音楽担当が、「セロニアス・モンク」であり、テーマ曲「危険な関係のブルース」が「デューク・ジョーダン」の作品であることは、アーティストの名前も含めて、相当後になって知ったことであるが、「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」の名前は、しっかりとその時インプットされた。後に大学時代、実家に帰省したとき「ジャズ・メッセンジャーズ」のコンサートが松本であり、始めて聴く、そのJAZZライブのスイング感、ブレーキーとジョージ川口のドラム合戦の大迫力に圧倒された思い出もある。そして、しばらくたってから買ったJAZZレコード第2弾は「モーニン」のEP盤。いわゆる「ファンキー」とよばれる黒人のJAZZに心を奪われたのである。ちなみに「モーニン/Moanin’(嘆く、呻く)」、朝なのにずいぶん暗い曲だなとずっと勘違いしていたのもこの時期の笑い話である。

普通に貧乏なサラリーマン家庭だったので、レコードを買う小遣いもままならず(当時EP盤が約300円、25~30cmのLP盤が約1500~3000円と高価であった)、ましてJAZZコンサートやJAZZ喫茶などない田舎の小都市。「ワークソング」などラジオから時たま流れるJAZZに耳を澄ます程度で、とてものめりこむというような情況ではなかったが、「聴きたい」というJAZZへの憧れが胸にあった。その一方でやっと買ってもらったガット・ギターに夢中で、クラシックギター教則本を友達と練習する一方で、日本中の若者達を「テケテケテケ・・・」フィーバーに巻き込んだベンチャーズに代表されるエレキギターの音色やビートも確実に私に影響を与えていた。

そんな高校1年生の生活を送っていたが、クラスで文集を出そうと言う話になり、美術クラブに所属していた太田君が、今で言う「アートディレクター」となり「歌う風」なる文集が発行された。
その文集に載っていた太田君の一文にびっくりしたのである。そこには「やっぱり、JAZZはウエストコースト派だね。デイブ・ブルーベックのテイク・ファイヴが一番さ・・・。」 JAZZ好きのお兄さんに影響されたらしく、こんな早熟なジャズ評論らしき一文が載っていたのである。「ウエストコースト派」も「デイブ・ブルーベック」も勿論まったく知らなかった私は「世の中にはすごい高校1年生もいるもんだ」と感心したことを覚えている。

タイム・アウト

デイヴ・ブルーベック / ソニーレコード


この太田君、東京教育大から大手化粧品会社の広告宣伝部門に就職、その後山下洋輔のアルバムのアートディレクターも手がけたり、現在は「居酒屋評論家」として、TV番組『ニッポン居酒屋紀行』出演やいくつかの著作も出版されている「太田和彦」氏である。「居酒屋で聴くジャズ」などのJAZZアルバムの監修も手がけ、いまだに高校時代と変わらず面目躍如と言うところである。

我が青春JAZZグラフィティは、
1)アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ ;危険な関係のブルース
2)アート・ブレイキー&アフロ・キューバン・ボーイズ ;危険な関係のサンバ
3)アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ ;モーニン/Moanin’
4)デイブ・ブルーベック・カルテット;テイク ファイヴ/Take Five (アルバム「タイム・アウト」)
5)ナット・アダレイ;ワーク・ソング/Work Song
6)マイルス・デイビス;死刑台のエレベーター

我が青春のジャズ・グラフィティ(1)  ~一冊のスコアブック~

TAGS: None

P1010651.JPG
年末に部屋を整理していたら、古いスコアブックが出てきました。40年ぐらい前のものでしょうか。たしか就職して、職場のバンドに加わってギターを弾いていた頃に買い求めたものです。プロのミュージシャン向けだと思いますが、出版社や著者などの記載が一切無く、殆どが手書きのスコアを印刷した手作り出版みたいなもので、500曲くらいのJAZZのスタンダード曲がぎっしりつまった、それはバイブルみたいなスコアブックです。当時JAZZのスコアブックなど殆ど出版されていなくて、初任給3万円の頃、確か千円ぐらいしたのではなかったのでしょうか。スコアを眺めているうちに、青春時代に聴いたいくつかのJAZZとそれをめぐるシーンや思い出が脳裏に甦ってきました。

このブログで「JAZZの巨匠」、「JAZZ史に残る名盤・名演」などといわれるミュージシャンやアルバムをあまり紹介してこなかったことに読者でお気づきの方もいるかもしれません。それには理由がいくつかあります。

その一つ目は、コンテンポラリーな、いま息づいている「旬」のミュージシャンの演奏を聴いていたいと思っている事。
二つ目は、ある時期から、襟を正して聴くジャズが苦手で、特に「○○の巨匠」、「孤高の・・・」などという冠がつくとそれだけで聴く気が萎えてしまうのです。その点で、私は「リアル・ジャズ・ファン」ではないといっていい。若い時代にジャズ喫茶、この「ジャズ喫茶」なるものは、日本独特のもので外国でその類を見たことがないのだが、そこでの体験の影響が大きいかもしれない。 

三つ目は、自分の稼ぎでアルバムやオーディオ装置を買えるようになってからは、「ジャズ喫茶」のような「聴く作法」を要求される非日常的JAZZ空間がちょっと窮屈になって、日常生活のシーンの中で普通に、カジュアルに聴くジャズ、JAZZYな音楽に徹してきたといえる。最近はそれが「ピアノトリオ」と「女性ボーカル」に収斂されてきています。自分でいうのも変ですが私は、「JAZZは人生のBGM」と公言してはばからない「軟弱ジャズ・ファン」といっていいでしょう。

しかし、同じ年齢のハードボイルド作家である「原尞(はら りょう)」氏の自伝的エッセイ「ミステリオーソ」 「(読むJAZZ(6) ~ジャズ・ピアニストのハードボイルド~)参照」 をよんで、ジャズ喫茶のあの時代があるから今の自分がある、いちど記憶をたどって整理してみようと思い始めた。
題して「我が青春のジャズ・グラフィティ」。

たぶんシニアの読者の皆さんは、若かりしころ、一度くらいJAZZを耳にしたり、JAZZ喫茶などに足を踏み入れたことがあるでしょう。もう一度JAZZを聴いてみようかなと思っている、そんな方々には、最近各レーベルからJAZZ入門編やベスト盤、なつかしのJAZZエイジ編としていくつかのアルバムが出ているのでそんなアルバムを聴いてみるのをJAZZをもう一度聴くきっかけにしてもいいかもしれない。

ところでNHKで放映している「美の壺」という番組があるのをご存知でしょうか?『美の壷』は、有数のJAZZトロンボーン奏者でもある「谷啓」がナビゲーターを務める美術番組で、テーマは「くらしの中の美」。古伊万里や盆栽、アールヌーボーの器など、人の暮らしを彩ってきた美のアイテムを取り上げ、選び方・鑑賞法を、いくつかの「ツボ」に絞ってわかりやすく解説している番組です。目指すは実際に使える「美術の鑑賞マニュアル」。早朝か深夜の放送(たとえば、1月8日木曜日 翌日午前0:45~翌日午前1:10 教育/デジタル教育1 「美の壺「絵馬」」、1月10日土曜日 午前5:15~午前5:40 総合/デジタル総合 「美の壺「絵馬」」)ですのリアルタイムで見るのは少ししんどいのですが、日本の伝統美を鑑賞するツボを身に着ける絶好の番組だと思います。もちろん焼き物ばかりでなく最近は、「文房具」、「蔵」、「かるた」、「錦鯉」、「釣り鐘」、「江戸の古地図」などにジャンルが拡がっています。この番組のオープニング、BGMによく流れている曲がJAZZなのです。日本の伝統美、古典とJAZZの相性がこんなにいいものかとびっくりします。

第1弾『NHK「美の壺」ブルーノート・コレクション』は、オープニング・ナンバー「モーニン」をはじめ、番組で使用された名曲を名門レーベル「ブルーノート」のオリジナル音源で厳選収録し、ロングセラー中で6千枚超のヒットだそうだ。

NHK「美の壺」ブルーノート・コレクション

オムニバス / EMIミュージック・ジャパン


第2弾は、「ブルーノート・バラードコレクション」。番組のオープニング・ナンバー「モーニン」と、番組で使用されたブルーノート・レーベルから、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、セロニアス・モンク・・・・番組の雰囲気を決める、美しく印象的なジャズバラードの名曲を選曲。

NHK「美の壺」withブルーノート~バラード・コレクション~

オムニバス / EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)


リスナーのレビューを読むと、この番組がきっかけとなってJAZZを聴いてみようと思った人も多いようです。



© 2009 JAZZYな生活. All Rights Reserved.

This blog is powered by the Wordpress platform and to just Go Beach Rental.