JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

ふるさとエレジー(15) ~ Old School の櫻 ~

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前日の雨も上がり、少し時間ができたので、松本市街をぶらつくことにした。まず昼食をと「中町・蔵通り」へ向かう。松本は蔵造りの家が多く残っている街であるが、とくにこの界隈には美しい蔵造りの家が軒を連ねていて、「蔵の街」が売りの町興しで観光客も多く訪れるところである。私の亡くなった叔母の家もこの一角にある。

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栗菓子・栗おこわの老舗「竹風堂」で「山家(やまが)定食」をいただく。「栗おこわ」に「虹鱒の甘露煮」、「むかご和え」、「山菜煮物」などが付き、野趣あふれるメニュー。思い出してみれば、子供の頃は、家庭には冷蔵庫などなく、魚といえば、味噌漬けか酢漬け、塩漬け、甘露煮であった。刺身など食べられるようになったのは、就職して関西に来てからである。目玉だけを残して、虹鱒をまるごと余さず頂く。かすかな苦みが子供時代の食事や生活を思い出させる。むかご、蕗、山ウド、イタドリ、ゼンマイ、蕨 ・・・、こんな山菜も山で採ってきては食卓にのったものである。そして、この店には、「山の版画家」として知られる「畦地(あぜち)梅太郎」の版画が多く飾られている。この絵を見るのが好きで、帰省するときは必ず寄るほどのご贔屓の店となっている。

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さて、食後のコーヒーは、やはり蔵通りのすぐ近くの民芸茶房「まるも」で。この店は私が高校生の時にはもう存在していて、わが母校の先生や先輩のたまり場、サロンともなっていたようである。私の人生で最初に入ったこの喫茶店は、やはり蔵造りの宿屋、「まるも旅館」の一部になっている。旅館は慶応4年(1868年)創業、現在の建物は明治21年(1887年)再建、喫茶店は、昭和31年(1956年)開業という。「永六輔」氏、「池波正太郎」氏など知名人の定宿でも知られ、家具、調度品は「池田三四郎」氏の「松本民芸家具」で統一されている。このテーブルや椅子が醸し出す落ち着いた空間は、高校時代の時の印象と全く変わっていない安らぎを与えてくれるから驚きである。「まるも」のように高校時代に通った店が、この街にはまだいくつか残っている。

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食事と食後のコーヒーは済んだ。足は「縄手(なわて)通り」へ。女鳥羽川(めとばがわ)沿い、「四柱(しはしら)神社」の門前にある商店街である。かっての松本城の南惣堀が埋め立てられ、四柱神社の参道として整備された明治時代にその礎が築かれたという。私の子供の頃は、いわゆる常設の露店が連なっており、祭りや松本の伝統行事があると家族で街へ繰り出し、縄手で何か買ってもらったものである。今はすっかりきれいな店になっていて、ここも観光名所の一つとなっている。映画好きな私を形作った洋画の専門映画館、「中劇」もこの通りにあり、高校時代の小遣いのほとんどを使うほどよく通ったが、大分前に廃館し、マンションに変わってしまった。多くのものが消え、変わってしまった。故郷を離れてしまった私は、ただ懐かしむのみ。妻の趣味のための和風の素材、材料や妻の友人、孫への土産を買い求める。

そして名残りの故郷の櫻は、実家近くの明治建築の旧「山辺学校」の櫻。現在は歴史民俗資料館となっているが、和洋両洋の建築様式を取り入れ、重要文化財に指定されている有名な「開智学校」の10年後、同じ宮大工の棟梁によって、明治18年(1885年)建築された。印象的な八角形の楼閣に櫻がよく映える。
 
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「高橋大輔」のフリーの演技をみたのをきっかけに、すっかりはまってしまった「エディ・ルイス/Eddy Louiss」。どちらかといえば無名で寡作。アルバムも手に入らないが、YOUTUBEで見つけたブルースは「Old School」。

Louissiana

Eddy Louiss / Universal France

「Eddy Louiss – Old School」

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櫻の古墳

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やっと春になったので母親に会いに故郷・松本へ帰省。冬は寒さと雪で来ることができなかったので、4か月ぶりである。松本は今、櫻が満開の季節。ちらっと近くを通った松本城は観光客でごった返していた。もちろん実家のご近所の櫻も満開。聖徳太子開祖といわれる「兎川寺(とせんじ)」の枝垂桜、山すそ、村はずれの小さなお堂を覆わんばかりの櫻、今は資料館となっているが、明治時代に建築された山辺小学校の櫻、薄川の堤両側数キロにわたる櫻並木など、ウォーキングが楽しくなる知られざる櫻の名所がいくつもある。

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今回のイチオシ櫻は弘法山古墳の櫻。遠くから見ると丘全体が櫻に包まれているように見える。これは弘法山中腹にある古墳を覆っている櫻である。この松本平を見渡せる尾根上に、長さ66mという3世紀末に築かれたらしい大きな前方後円墳がある。半三角縁四獣紋鏡などが石室から出土しているというから、その時代この辺りを支配していた王の墓であろう。この古墳、2,30年前はむき出しのただの古墳であったが、地元の人が古墳を櫻で飾ろうと苗木を植えるなどの努力をした結果、今のような見事な景色ができたという。ふもとから登ってみました。近くに寄ると、どれだけの本数なのか見当もつかないほどの色々な種類の櫻がびっしりと斜面を覆っている。この一面の櫻のトンネルを抜けると、古墳の頂上、松本市街地と北アルプスの絶景が目の前にいきなり広がる。前日は雨だったから、この素晴らしい眺望を満喫できるのは、櫻の満開の時期の、さらに晴れの日だけという一年の中でもわずかなチャンスだけなのである。この櫻を見ることができたというだけで帰省した甲斐があるというもの。この山の反対側は、親父の眠っている霊園。そこも見事な満開の櫻であった。

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そして、別の道をふもとまで下ってくるとこんな像が建っていた。「松谷みよ子」作の児童文学「龍の子太郎(たつのこたろう)」の元となった松本に伝わる民話「泉小太郎」の像である。「泉小太郎」は、父を白龍王(大日如来の化身)とし、この近所の中山・和泉で生まれた。大昔、松本平、安曇野は湖であったが、水がなくなればこの地は肥沃で豊饒な地になると思った小太郎は「犀龍(さいりゅう)」という龍にまたがり、谷を塞いでいた巨岩を取り除き、水を長野から越後へと流し、湖は豊かな盆地に生まれ変わったという。この川が信濃川の上流、「犀川」である。そんな子供のころに聞いた民話や人形劇を懐かしく思い出していた。

実家でなにげなく見ていたTVは、フィギャー・スケート国別対抗戦。「高橋大輔」のフリーの演技のテーマ曲、「エディ・ルイス/Eddy Louis」の「ブルース・フォー・クルック/Blues for Klook」に耳が強烈に反応した。「エディ・ルイス」、かの「スタン・ゲッツ/Stan Getz(ts)」にして天才的オルガン・プレイヤーと言わしめたフランスのジャズ・オルガニストでピアニストである。今は亡き「ミシェル・ペトルチアーニ/Michel Petrucciani (p)」と並び、自由自在にハモンド・オルガンを操るフランスのジャズ界における英雄的存在であるアーティストとして名前だけは知っていた。しかし、この曲も、アルバムも全く知りませんでした。聴いてみると、ちょっとアメリカのブルースと肌合いが違うが、こんなブルージーでJAZZYな曲を選ぶとは恐るべし「高橋大輔」。アルバムは、「Sang Melé」 (1987)。

Sang Mele

Eddy Louiss / Dreyfus

Eddy Louiss (keyboards)、Dominique Pifarely (violin)、Michel Alibo (b)、Paco Sery (ds)というクレジットからすると、イントロはベース、メインを取るのはギターのように聴こえるが、やはりオルガンでしょうか、いやいやヴァイオリンかも ・・・。う~~ん??。

「EDDY LOUISS – Blues for klook」

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忘れかけている味

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母親と実家のケアのため、名神から中央高速を北に向かって車を走らせる。多分、今年最後の帰省となるだろう。私が住んでいるあたりでは、ここ数日の間に、紅葉が急速に進んだが、中央高速では、多治見を過ぎたあたりから、ちょうど見ごろ、色とりどりの紅葉のパッチワークが目に入ってきて、それは美しい。恵那山トンネルを抜けると、冠雪した中央アルプス、南アルプスの山稜の白がそれに加わり、紅葉と清冽な山肌のコントラストが何とも見事である。

故郷・松本は、今年は紅葉も冬の到来も少し遅かったようで、いつもであれば11月初旬までには終わっているこの地方の晩秋の風物詩「お菜(野沢菜)漬け」がまだ行われているようである。というのも、いつもこの時期、林檎の発送を頼むお店には、野沢菜が山盛りになっていたからである。子供のころ、自転車にリアカーを付け、その年自宅で漬けるリアカー山盛りのお菜と大根を農家から運ばされたものである。当時はまだ上水道が普及していなかったので、日曜日に近くの河原で、近所の奥さん連が総出で、お菜や大根を洗ったものである。「お菜洗い」といって子供にしてみたら、にぎやかな祭りみたいな行事であった。一軒の家で、野沢菜だけでも三樽ほどは付けたであろうか、塩加減などは家長の仕事であり、朝からの家族総出の一日仕事であった。そして、「お菜洗い」が終わると、アルプスから木枯らしが吹いて、故郷は本格的な冬の支度を始めるのであった。

両親が年老い、実家でお菜を漬けなくなってから、もう相当な年月が経つ。最初は関西へも送ってもらってもいたが、松本との環境・気候の違いのためか、実家で口にしていた、あのシャキッとしたみずみずしさと歯ごたえや、適度のしょっぱさはすっかり失われてしまうため、帰省のとき以外は口にしなくなっていた。その実家のお菜漬けの味も忘れかけているのだ。そんなことを思い出しながら、中町・蔵通りあたりの喫茶店で、とてもこの季節とは思えないほどの暖かい日差しの朝日を浴び、モーニング・コーヒーで体を目覚めさせてから、母親に会いに行った。

冬の時期の故郷とイメージがダブる曲は、ピアノとベースのデュオ・アルバムの傑作、「ミルチョ・レヴィエフ & デイヴ・ホランド/Milcho Leviev & Dave Holland」の「Up and Down」に収録されている「カヴァティーナ/Cavatina」。「マイケル・チミノ/Michael Cimino」監督、1979年公開の映画「ディア・ハンター/The Deer Hunter」の中で使われたあの美しくも鮮烈な曲である。「ミルチョ・レヴィエフ」は、旧共産圏ブルガリア出身で、クラシックにベースを持つJAZZピアニスト。東西冷戦のまっただ中、彼はJAZZのため、家族も祖国も捨てて、1971年単身アメリカに渡った。雪の中を丘に向かって続く一本の道。ジャケットの絵もレヴィエフの心根を表しているようで私の好きな一枚である。音質も秀逸で、1987年9月、東京サントリー・ホールでのライブ。

Up and Down

Milcho LevievM.a. Recordings

「Milcho Leviev & Dave Holland – Cavatina」

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ふるさとエレジー(14) ~ Dear Old My Hometown ~

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松本市街にでてみた。例年この時期に行われる「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」のポスターに混じって、松本を舞台にしたNHKの朝ドラ「おひさま」と近く封切られる映画「神様のカルテ」のポスターがあちらこちらに貼られている。相当、街興しに一役買っているのであろう。うれしいことである。しかしテレビのローカル・ニュースの話題は、急性心筋梗塞で4日に34歳で急死したJFLサッカーチーム「松本山雅」所属の元日本代表「松田直樹」選手のニュース一色であった。

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いつものように中町・蔵通り界隈を散策してみる。我が家でも孫の成長を願って飾っているが、七夕の節句の松本独特の古くからの風習「七夕人形」があちらこちらの店先に飾られている。この通りにある古くからの民芸品の老舗「ちきりや」に寄って、コーヒー茶碗やら湯飲みを買い求めた。ちょっと冷っとして暗い店内。私は、この店の窓辺に飾られている色とりどりのグラスを透かして、通りを眺めるのが大変好きである。故郷でありながら、なにか異国に来たような気がするのだ。

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そして栗菓子・栗おこわの老舗「竹風堂」で、「山の版画家」として知られる「畦地(あぜち)梅太郎」の版画に囲まれながらお茶。多分「山男」シリーズであろう数点が飾られている。デフォルメされたその人物像や情景は、一度どこかで会ったり見たことがあるような、どこか懐かしい民話的雰囲気に満ち、優しく私たちを包んでくれる。この店で初めて知ったが、「畦地梅太郎」は私の好きな画家の一人となった。

店をでる頃は、街はもう暮れなじみ始め、遠くから夏祭り「松本ぼんぼん」のお囃子が聞こえてきた。

 
 
さあ、懐かしい古き街の歌は、「Dear Old Stockholm」。この曲を最初に知ったのは、「マイルス・ディビス/Miles Davis」のアルバム「’Round About Midnight」であった。その後、マイルスもいろいろ聞いたが、一番最初に聞いたこのアルバムが今でも一番好きである。ミュートのトランペットが何とも物悲しい。

‘Round About Midnight

Miles Davis / Sony Jazz

 

「Miles Davis – Dear Old Stockholm」

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さて、もう一曲「Dear Old Stockholm」を。「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ/Europian Jazz Trio」の初代ピアニストとしても知られる「カレル・ボエリー/Karel Boehlee」の、自身のトリオによる同名のタイトルのアルバムから。繊細なタッチで美しいメロディ、北欧の哀愁が伝わってくる。仕事の関係で何回か訪れた美しい街、「ストックホルム」。冬の厳しさ、夏の華やかさ、乾いた空気、白夜の静かなたたずまい、フィヨルド、狭い石畳の路地、教会の尖塔 ・・・。今でも忘れがたい街の一つである。

ディア・オールド・ストックホルム

カレル・ボエリー・トリオ / エムアンドアイカンパニー

 

「Dear Old Stockholm – Karel Boehlee Trio」

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故郷の味

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八月のこの時期に帰省すると、波田村下原(現在は松本市波田下原)産の西瓜(スイカ)を買うことを常としている。いままで数多くのスイカを食ったが、この故郷松本の下原のスイカを超えるスイカにであったことがない。それほど美味いのである。松本平、安曇野の西南、有名な上高地へののぼり口にあるこの地域は、昼夜の温度差が大きく、日本でも有数の日照時間が長い地域のため、甘く美味しいスイカが育つようである。そして、八月、盆を過ぎるころになると実家の近くの葡萄園の葡萄や梨が食べごろとなり、秋風が吹く十月の林檎の季節へと向かっていく。

実家と母親のケアに今年も帰省したが、母親の入居している部屋の窓のすぐ前は葡萄園。「毎朝、葡萄畑を観て、葡萄の実がつき、大きくなるのを見るのがが楽しみ」と母は話していた。そんな心のゆとりが出てきたことに少し安心もした。葡萄の時期にはまだ少し早いので、濃厚な葡萄ジュースをスイカと一緒に買い求めた。

「ハービー・ハンコック/Herbie Hancock 」の「Watermelon Man(スイカ売りの男)」。「ハービー・ハンコック」のブルーノート時代の録音からピックアップしたベスト盤、「Cantaloupe Island」からである。ハービーが22歳の時に録音した初リーダー作「Takin’ Off (1962) – Blue Note」からのピック・アップ。彼はこの曲を「Head Hunters(1973)」にも収録しているが、ファンキーでストレート・アヘッドなこのバージョンが好きである。「ハービー・ハンコック」は、1960年代以降から現在において、ジャズ・シーンをリードするジャズの第一人者であり、ストレート・アヘッド・ジャズ、フュージョン、ジャズ・ファンクなど多彩なジャズを、多彩なキーボード楽器を駆使して演奏する。

Cantaloupe Island

Herbie Hancock / Blue Note Records

テイキン・オフ

ハービー・ハンコック / EMIミュージックジャパン

「Watermelon Man – Herbie Hancock / ハービー・ハンコック」

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ふるさとエレジー(13) ~青き林檎~

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4月中旬、前回の桜の咲き始めの季節から2ヶ月ほど間を置いた帰省である。

実家の窓や戸を全て開け放ち、風を入れる。家がほっと生き返ったようになるのが、はっきりと感じられる。家と人の営みというのはこういうことなのだ。雑草を抜いたり、芝生を刈ったり、人の気配がないとちゃんと分かってしている猫の糞の始末をしたり、少し荒れかかった庭の手入れに時間を費やす。水なんか遣らなくとも雑草も庭木も競って育つのである。私が都会に出てから建てたため、私自身が暮らすということはなかったが、父母が精魂込めて建てた生涯ただ一度の家であり、丹精込めて育てた庭である。そう簡単に朽ちはさせないと思うのである。

朝のウォーキングの途中、近くの果樹園や家の庭では、林檎、葡萄、柿、桃、梅、杏などが青い小さな実をいっぱいにつけている。昨年は全国的に蜜蜂がいないというニュースが話題になっていたが、今年もこの地方では受粉はちゃんとできたようで、この分ならば十分な夏の日照があって、台風の襲来がなければ、きっと豊作にちがいない。

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麦が大きな穂をつけ、同じ畑で蕎麦の白い花が咲いている。実家のある美ヶ原のふもと、東山から豊富に湧き出た雪解け水を一杯に湛えた水田には、田植えが終わり、青々とした苗が風にそよいでいる。こんな実家の周りを散策していると大地との距離が近くなったような気がし、その恵みを本当に肌で実感できる。新しい家が建ったり、道路や用水路が改修された以外は、一見昔と何も変わっていないように見える。しかし、かっては、近所の田んぼや小川にあれほどいたホタルや沢蟹は、まったく見かけなくなってしまったのだ。

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この地に人が入って住み着いたのは、この国の創世記のころの昔だという。北九州や朝鮮半島を拠点とする海人の「安曇族(阿曇族)」が、この地方に移住していきたという説。そのころから、この地では人の営みがずっとくりかえされ、途絶えることなく続いてきたのである。たしかに、「日本後紀」には、延暦18年(799年)12月甲戌条に、高句麗から渡来した信濃国人「卦婁真老(外従六位下)」は「須々岐」の姓を与えられたという記述があるそうだ。このとき与えられた姓(かばね)が現在、「須々岐水(すすき)神社」の名で残っていて、この地域の鎮守様、由緒ある社となっている。そして今年の5月、いつも諏訪大社より1年遅れで、7年ごとに行われる「御柱(おんばしら)祭」が行われ、新しい「御柱」が建てられた。きっとかっては村人達の「心の柱」でもあったのだろう。(参照拙ブログ「祭りのかたち~海の記憶、山への畏敬~」)

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そんな古えの村人たちが、村々の結界と思われる道の交差点などに建て、祈りや願い、感謝を捧げてきた道祖神や馬頭観音、地蔵たち。迎えてくれる路傍の石仏のあいかわらずの微笑みがなつかしい。こんな美しい穏やかなふるさとが、ある日突然無くなってしまうなんてことは想像できるだろうか? しかし、そんな悲しい出来事が現実に起こってしまったのである。
  
離れてしまったとはいえ、19歳まで暮らした故郷・松本。もう46年近く経ってしまった。忘れかけているのは、sweetでもあり、bitterでもある思い出の数々。あの「青き林檎」を噛めば、思い出は甦るのだろうか?

女性ジャズ歌手が好んでカバーする「松田聖子」の歌がある。「スイート・メモリーズ/Sweet Memories」。日本の若手イチオシの女性JAZZシンガーの一人で、ラテンを得意とする「MAYA」の歌う「Sweet Memories」なんぞいかがでしょうか 。インディー・レーベル時代から注目していたが、コロンビアを経て、「寺島レコード」に移籍してからの活躍も人気も著しい。そんな彼女のインディ時代のベスト曲を集めたのがアルバム「ベスト・オブ・アーリー・イヤーズ」。ジャズの名曲だけにこだわらず、ラテン、ボサノバ、サザン、松田聖子とジャンルを超えて歌う。現在もその魅力は衰えていないが、コケティッシュさと初々しさを併せ持つ彼女の魅力が、いっそう際立って感じられるアルバムである。

 

ベスト・オブ・アーリー・イヤーズ  Maya 荻原亮 嶌田憲二 松尾明 TAKE TEN 藤井寛 二村希一 小林裕コロムビアミュージックエンタテインメント

「MAYA」がうたう「Sweet Memories 」、「赤坂Bフラット」でのライブから。残念なことに音質が ・・・。

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そして、サザンの名曲「私はピアノ」もまた私の好きな歌唱。うん、この歌にもちょっぴりbitterな思い出があったなあ ・・・。

「MAYA – 私はピアノ」。アルバム「Best Of Early Years」より。
 
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櫻ハイウェイを故郷へと向かう

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満開の櫻ハイウェイを走って帰省をした。いつものように中国道・豊中インターから高速に乗る。中国道では豪華絢爛に咲き誇る万博公園、名神に入ってからは、点在するヤマザクラが美しいパッチワーク模様を描く京都東山あたり、古戦場の関が原IC付近の風に舞う桜吹雪、小牧ジャンクションから中央道に入るとすぐにハイウェイの両側に見事な櫻並木が続く。運転する目も休まる櫻ハイウェイであるが、恵那山トンネルを越えるとまだ気温が低いためか、うってかわって、まだ蕾が多く開花はちらほらである。やがて松本の実家へ着くとTVのニュースでは、松本城ちかくのソメイヨシノの開花宣言が報じられていた。

翌朝のウォーキングの途中、聖徳太子創建と伝えられるご近所の古刹、兎川寺の枝垂れ櫻はもう満開、見事な花ぶり、枝ぶりであった。そして、遠くに望むまだ雪の残る北アルプスの山稜は、相変わらず清冽な表情で私を迎えてくれた。しかし、満開の桜の華やかさとは裏腹に厳しい決断をせまられたすこしつらい帰省でもあった。

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そんな、帰省途中の車中で何回となく聴いたノルウェイの女性ボーカル、「インガー・マリエ・グンデルセン/Inger Marie Gundersen」の「Song For You Far Away」が心に残った。「インガー・マリエ(・グンデルセン)」。2004年ノルウェイのインディー・レーベルからデビューしたが、「ソーニャ・キッチェル/Sonya Kitchell」、「サラ・ガザレク/Sara Gazarek」、「エミリー・クレア・バーロウ/Emilie-claire Barlow」、「ソフィー・ミルマン/Sophie Milman」、「キアラ・シェヴァロ/Chiara Civello」、「マデリン・ペルー/Madeleine Peyroux」、「マレン・モーテンセン/Malene Mortensen」、「シモーネ/Simone」など、このころの音楽シーンに綺羅星のごとく登場したオーガニック系の美形女性シンガーが多い中で、アンニュイでダーク、彼女達とは一線を画して、一際光っていた。そんな「インガー・マリエ」のデビュー・アルバム「Make This Moment」に収録されている「Song For You Far Away」。

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  Make This Moment

 Inger Marie Gundersen / Stunt

 

 

英語の歌詞はこちら

「♪ ・・・・・・・・・・・・・・
  this is a song for you far away so far away 
  this is a song for you far away from me
   ・・・・・・・・・・・・・    ♪」 

リフレインが、やさしく切なく胸に響く、この歌のオリジナルはご存知、「ジェームズ・テイラー/James Taylor」である。「周囲がどんなに変わろうと、変わらないぼくはここにいる」と歌いかけ、彼が自分の存在理由、歌う意思を強くこめた1985年制作のアルバム「That’s Why I’m Here」に収録されている。最近盟友「キャロル・キング/Carole King」と復活ツアーを組んだが、私にとっては、わが「永遠のシンガー・ソングライター」である。



That’s Why I’m Here  James Taylor / Sbme Special Mkts.

 James Taylor – Song For You Far Away
 

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御柱、心柱

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連休にガソリンと雪を気にしながら、母親のケアのために帰省した。名神、中央高速では、消防車、自衛隊車両、自治体からの派遣車両など災害地へ向かう数多くの車を見た。日本中が応援しているという実感。給油制限はあったものの何とか帰省はできた。

自宅近辺の地域に入るところで、交通規制に出くわした。「すわ、何事か?」と思って聞くと、地域の氏神様、「須々岐水(すすきがわ)神社」の「一の御柱」の「中出し」の最中だという。「そうだ!今年は御柱の年だ」と改めて気がついたのだ。去年は総大社・諏訪大社の御柱祭が行われた。松本平、安曇野のいくつかの社(末社?)では、諏訪大社の次の年に同じように、7年ごと(正確には満6年間隔)に御柱祭が行われる。「里曳き」と柱の建立が行われる5月5日の本番に先立って、この時期に御柱を山から切り出す「山出し」、山から神社の近くまで曳行する「中出し」が行われる。諏訪大社の御柱の起源は、平安時代以前とされるから、この神社の御柱の歴史も相当なものであろう。

諏訪大社は4宮に4本づつ計16本の御柱が建つが、わが須々岐水神社の御柱は2本である。2月27日、28日には「ニの御柱」の「山出し」と「中出し」が、3月19日には「一の御柱」として樹齢100年以上、根回り1.8m、長さは15mほどある杉の大木を古式に則った神事の後切り倒し、20日には多くの氏子により、木遣り歌にあわせ曳行された。私はちょうどその場に出くわしたのである。先を急いでいたため、曳行行事そのものは見なかったが、あとで立ち寄ってみると、写真のような立派な「御柱」が置かれていた。大震災のため今年は例年より時間を短縮して行ったという。

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東北地方には、郷土色豊かな数々の祭や伝統行事がある。そんな地域の皆さんの生活や心のよりどころとなる伝統行事が一日も早く復活してほしい。神社や寺なども崩壊したり喪失しているであろうが、そんな伝統行事が復活したときこそが、歴史の継続を再び始めたという意味で、地域の真の復活かもしれない。
被災者の方々の心の中に「心柱」を建てて、いち早く復興に向かってほしいことも願って、5月5日には勇壮に御柱が建てられるのである。

かって親父が丹精を込めていたが、もうほとんど手入れもしてない実家の庭。小雨の中、「サンシュユ」の花が静かに咲いていた。

YOUTUBEで見つけたオランダのJAZZボーカルの名花「リタ・ライス/Rita Reys」の「You Must Believe In Spring」。キーボードは夫の「ピム・ヤコブス/Pim Jacobs」。

「♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   木々は、その葉が落ちても、再び芽吹いてくることをわかっています
   すっかり葉が落ちてしまった時期も、一年の季節に過ぎないと知っているのです

   氷に閉ざされた山は、やがて来る4月の雪融けの流れを夢見ています
   今はかたい水晶のように見えても、やがて融けることを知っているのです
   やがては春がくることを信じましょうよ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ♪」

「You Must Believe In Spring – Rita Reys」
 
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ふるさとエレジー(12) ~ ときめきのワルツ ~

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 (母校の校舎と「とんぼ」の校章)

 

高校時代のふるい友だちから「メール」があった。故郷、松本を舞台にした小説が映画化され、8月には公開されるという。その小説は、第10回小学館文庫小説賞の受賞作で、「心の温かくなる小説」として、話題になっている、「夏川草介」著「神様のカルテ」である。早速読んでみた。故郷への懐かしさもあるが、一人の医師が患者によって成長していく過程を描いた心温まる話でもあった。

「栗原一止(いちと)」は信州松本にある「本庄病院」で働く内科医である。彼が勤務している病院は、地域医療の一端を担う、そこそこ規模の大きい病院だが、24時間365日などという看板を出しているせいで、常に医師が不足している。専門ではない分野の診療をするのも普通なら、睡眠を三日取れないことも日常茶飯事だ。そんな栗原に、母校の大学病院の医局から誘いの声がかかる。自分も先端医療に興味がないわけではない。医局に行くか行かないかで一止の心は大きく揺れる。悩む一止の決断を決めたのは、高齢の末期癌患者・安曇さんからの最期の手紙だった。 



神様のカルテ  夏川 草介 / 小学館

この「本庄病院」のモデルは、松本に実在する「相澤病院」である。作者の「夏川草介」氏は「相澤病院」の医師らしく、松本の情景描写が頻繁に出てくる。そして、この「相澤病院」は2004年脳梗塞で倒れた父親の最後を看取った病院でもあり、骨折した母親が入院した病院でもある。創業1908年、100周年を超える歴史のある病院でありながら、先進的な医療に積極的に取り組み、24時間365日を掲げている。「相澤でダメなら諦めがつく」とまで言われるように、地域の救急医療で中核的な役割を果たしている地元で評判の高い病院である。父親のときも、そのしっかりした「インフォームド・コンセンサス」に感心したことがある。

この小説「神様のカルテ」、「深川栄洋(よしひろ)」監督、「桜井翔」、「宮崎あおい」主演で、オール松本ロケで映画化がすすんでいるとのこと。松本もそうであるが、地域振興策とも連動して、映画ロケを誘致するというフィルム・コミッションの活動が各地で盛んになっているようである。

小説「阪急電車」もそうであったが、自分と所縁があるところが、小説化されたり、映画化されたりすると、ミーハー的ではあるが、なんとなくうれしいもので、読んだり観たりしたくなるものである。NHKの朝ドラ「てっぱん」の後は、安曇野、松本地方を舞台にした、そば屋に嫁ぎ、戦前、戦中、戦後を生きた女性の一代記「おひさま」だそうで、今から楽しみである。

そして、わが高校時代の実話が本になり、映画化までされたことがある。映画「さよなら、クロ」の原作、「藤岡改造」著「職員会議に出た犬・クロ」は、まさに私の高校時代のリアルタイムでの話であった。藤岡氏は当時、母校の現代文の先生であり、「筑邨(ちくそん)」という俳号を持つ俳人で、かつ映画評論家でもあった。私の映画好きは間違いなく藤岡先生の影響を受けているのである。その犬「クロ」は、たしか我々が高校1年生のときに学校に迷い込んできたのであるが、その年の文化祭の仮装行列に、西郷隆盛の愛犬として立派にその役目を果たしたのである。ロケも校内を使って行われ、同窓会としても映画化にバックアップしたのであった。

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職員会議に出た犬・クロ  藤岡 改造 / 郷土出版社

 

 



さよなら、クロ ~世界一幸せな犬の物語~ スペシャル・エディション  妻夫木聡 / ハピネット・ピクチャーズ

母校の文化祭は校章の蜻蛉(とんぼ)に由来して、「とんぼ祭」と呼ばれていた。ファイアー・ストーム、黄昏時の野外レコード・コンサート、そして1年生の私にとっての最大のカルチャー・ショックであったフォークダンス。女子生徒の手を握って踊るのである。思春期を迎えてから初めてのそんな経験に、私の胸はどきどきと張り裂けそうになり、妙な期待に胸が膨らむやらなにやら ・・・・ 。いやあ、純情だったんですね。そんな甘酸っぱい経験は、ほろ苦い思い出とともに記憶の底に沈んでいったのですが ・・・ 。

そんななつかしくもほろ苦い思い出を掘りおこすのは、最も人気のあった曲「テネシー・ワルツ」。その甘美なメロディが流れてくると、フォークダンスを超えて大人のダンスを踊っているような、何か切ない青春特有の思いがこみ上げてきたものである。「テネシー・ワルツ/Tennessee」。1948年に作られたアメリカンポップスである。1946年、「ピー・ウィー・キング/Pee Wee King」が作曲した曲に、「レッド・スチュワート/Redd Stewart」が詞をつけ、1948年にはじめてレコーディングされた。1950年に「パティ・ペイジ/Patti Page」がカバーしたものが世界的なミリオンセラーとなった。

「The Tennessee Waltz – singer Patti Page 1950」

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「ふる~~~っ」といわれる方には、「ノラ・ジョーンズ/Norah Jones」の「Tennessee Waltz」なんてどうでしょうか。

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ふるさとエレジー(11) ~霜華~

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氷華

 

(写真;ブログうきぐも/窓の氷華より無断拝借)

関西地方でもこの冬一番の寒さが続いている。TVの報道番組で、故郷松本、美ヶ原高原の山頂にある「王ヶ頭ホテル」の窓に咲く「霜華(しもばな)」のニュースを観て、懐かしさを覚えた。温暖化した今と違って、子どもの頃の松本地方は平地でも、氷点下10度~15度にまで冷えることは当たり前で、この美しい「霜華」が毎朝のように家の窓ガラスにできていた。

「霜華」(氷華ともいう)は、ガラスの表面が氷点下に冷えた時、室内の水蒸気が窓ガラスの表面に疑結してできる氷結晶の事で、花のように見えることから、この名が付いている。気温やガラスの状態、湿度などの条件によってできる「霜華」の形はいろいろであり、花状、羊歯状、小枝状のものなど千変万化である。しかし近年は、昔に比べ暖冬のせいか、冬に帰省しても、この「霜華」をみることはなかったのである。

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松本地方では、1月下旬から2月初旬にかけての寒さが、一番厳しいため、正月の冬休みを少し短くし、それを厳寒の季節にたしか1週間ほどの「寒中休み」として充てていた。何か得したように子どものころは思ったものである。そして、寒さなどはなんのその、校庭に積もった雪の上に前の晩に水を撒いてつくった速成のスケートリンクで毎日毎日飽きずにスケートをしていたものだ。スケート靴? そんなしゃれたものはありません。「下駄スケート」という下駄にスケート刃をつけたものを、真田紐で足に固定して滑ったものである。足が冷たくて、痛かったことをいまだに覚えている。関西に来てから屋内スケート場に初めて行き、また靴スケートというものを初めて履いた。フィギャー・タイプの刃であったため、まったくうまく滑ることができず、ホッケー・タイプの刃に変えたことを覚えている。

スキーは?って。スキーを覚えたのはずっと後の高校時代。当時は、スキー場もあまりなく、松本といえど、日帰りで簡単に行けるスキー場はなかったのだ。また、道具やウェアも高価で、スキーは東京のお金持ちの遊びだと思っていた。一般の人にもスキーが普及するようになったのは、「黒い稲妻」と呼ばれた「トニー・ザイラー/Anton(”Toni”) Sailer」の存在が大きかったのではないだろうか。1956年の「コルティナダンペッツォ冬季オリンピック」にて三冠を達成(このとき「猪谷千春」が日本人初の銀メダル)。その爽やかなイケメンぶりを買われて映画に出演し、アイドル並みの大人気を獲得。しかし、そのことでアマチュア資格を問われ、1960年の「スコーバレーオリンピック」には出られないこととなり、22歳の若さで引退を表明、本格的に俳優に転向し、歌手活動も行った。彼の主演映画「白銀は招くよ!」(1959年)の主題歌で大ヒットした同名の曲を覚えている方も多いのでは ・・・。 日本の映画「銀嶺の王者」(1960)やCMにも出演したことがあり、また彼がスキーコース設計に携わった日本のスキー場も多いという。



白銀は招くよ! [DVD]     アイ・ヴィ・シー

そして、1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画で、「クロード・ルルーシュ/Claude Lelouch」監督の映画「白い恋人たち/13 Jours en France」と、「フランシス・レイ/Francis Lai」が作曲した同名のメインテーマ曲の大ヒットが続き、1972年の札幌オリンピックと、スキー熱は加速して行ったのである。バブル後、企業のスポーツ支援からの後退もあって、1998年の長野オリンピックを頂点にスケート、スキーともに、日本ではかっての活気は失ったようである。



白い恋人たち      ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

話は「霜華」から大分それてしまったが、今宵のふるさとエレジーは「雪の華/中島美嘉」。ジャンルは違うが、独特の声、歌唱法が醸し出す彼女の世界、雰囲気に注目しているひとり。きっとJAZZも似合うと思うのだがどうだろうか。爺さんにはちょっと照れ臭い歌詞ながら、この歌は、日本の愛の名曲に違いない。



雪の華      中島美嘉 / ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ

 「雪の華/中島美嘉」。

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