JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

ふるさとエレジー(10) ~真冬の散歩道~

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いつものように元日に実家の周辺を歩いてみた。やはりなんといっても北アルプスを望む景色が一番。湿度が低く、空気の透明度が高いから、くっきりと朝日に映える。しかし、ダイヤモンド・ダストが現れるほどにまで空気は冷え切ってはいないようだ。

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小川に沿って、葡萄畑、林檎畑が続く坂をゆっくりと登っていく。近年の冬は大分暖かいようで、小川の流れも凍ることはないようだ。道端に立つすっかり葉が落ちた柿の木、鳥が上手に皮を残して実を食べている。まったく口をつけていない実もあるので、鳥達もどれがおいしい実なのかを、ちゃんと知っているのだろう。

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こちらは、地元名産の葡萄から作る人気のワイナリー。いくつか飲んでみたが、葡萄酒でワインとは似て非なるように感じたが ・・・ 。

 

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葡萄畑の向こう、陽のあたらない谷の北斜面には、まだ溶けていない凍った雪の中に、小規模な集落が肩寄せあうように点在している。多分、高度成長期に故郷を離れた我々世代にとっての原風景。こんな厳しいがやさしい景色を見ると、「住めば都」という我々の親や前の世代からよく聞かされた人生観や生き方が思い浮かび、私の親も含め、「皆んな頑張っているんだなあ」という、なにか、けなげで切ないと思う感情がこみ上げてくる。

 「冬の散歩道/A Hazy Shade of Winter」は、 「サイモン&ガーファンクル/Simon & Garfunkel 」が1966年に発表したシングルで、1968年にアルバム「Bookends」に収録された。原題の意訳は「冬の陽炎」。「Paul Simon」作詞・作曲で、自信を失った男と彼を励ます友人との掛け合いのような構成の歌であるが、次のようなフレーズが繰り返し歌われる印象的な曲であった。

「♪ ・・・ But look around,
       leaves are brown now
       And the sky is a hazy shade of winter ・・・ ♪」



サイモン&ガーファンクルのすべて  サイモン&ガーファンクル / Sony Music Direct

「冬の散歩道/A Hazy Shade of Winter」。

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ふるさとエレジー(8) ~母の歌集~

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老いても一人で自宅で暮らす道を選択した母親のケアために、帰省を繰り返している。もう年のため、今の母の楽しみといえば「デイ・サービス」とテレビのようであるが、かっては、結構多趣味な母親だった。私たち子どもが独立してからは、趣味に没頭し、手芸、日本舞踊、カラオケ、園芸、和紙人形、短歌など、どこにそんな暇があるのかと思うほど多趣味であった。しかし、ここ10年位前までは、和紙人形と短歌に打ち込んでいたようである。関西に住む私の元へ何回か来たこともあるが、短歌のアイデアを得るために、明日香や奈良の古寺、旧蹟を訪れるの楽しみにしていた。そんな趣味も、もう年のため楽しむことはできなくなってしまった。

私の手元に、母が属していた短歌の会の歌集がある。発行の都度、私に送ってきたものである。あまり多く自分の子ども時代を語ることがなかった母であったが、幼くして両親が他界し、年の離れた兄、姉に育てられたため、どちらかといえば内省的な少女で、「与謝野晶子」、「北原白秋」、「中原中也」、「竹久夢二」などに夢中になった、いわゆる「文学少女」であったようだ。そんな少女時代の残り火が、人生の後半になってからの短歌熱を目覚めさせたようである。

私が短歌にいささか興味があるのも、間違いなく母親の影響であろう。私が故郷、松本に住んでいたのは19年間。離れて暮らしていた期間の方が圧倒的に長いのだ。そして、実家に残されている大量の和紙人形と、和歌の習作メモ。もう年老いて、かっての趣味を楽しむことはなくなったしまった母の曲がった背中をみると、どんな私の知らない人生を過ごしてきたのかという感慨をもってしまう。帰省から帰って、母の歌集を開いてみた。家族への遠い思い出を詠んだ歌のいくつかが載っている。母のエレジー ・・・ 。

   遥かなりし祭り屋台の賑わいを思ひ出させて遠花火する

   幼らに赤き塗り下駄買ひやりし正月は遠く寒椿咲く

   離(さが)り住む息子との年月数へみる学生服のボタン出で来て
  
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そんな母にイギリスへの出張の土産にとあげた陶製の人形がある。現在はウェッジウッド(Wedgwood)の傘下に入っている老舗イギリス・コールポート社(Coalport China Ltd)の人形である。たしか、ヒースロー空港で買い求めたもの。「麗人が踊っているように見えるわね」と言って、大変喜んで、大事に飾っていたものである。

しかし、もうそんな人形を私からもらったことさえ母は忘れていた。確か、この人形を歌った短歌があったはずであるが、その歌も歌集には見当たらず、記憶のかなたへ消えてしまったようである。そして、私の手元に引き取ったこの人形が、やがては歌集などとともに母の形見となるのであろう。

「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ/Europian Jazz Trio」が「アバ/ABBA」のヒット曲「ダンシング・クイーン/Dancing Queen」を奏でるのは、アルバム「哀愁のダンシング・クイーン」。「哀愁のリベルタンゴ」と「哀愁のヨーロッパ」に続く「哀愁」シリーズ第3弾は、いつものようなジャズ・スタンダードやクラシック素材を一切使わず、「アバ」や「シンディ・ローパー」らのポップ・ヒッツを見事にJazzアレンジ。「なごみと癒しの風に乗ったEJTの新たな表情」とは、ある雑誌によるこのアルバム評。



哀愁のダンシング・クイーン  ヨーロピアン・ジャズ・トリオ / エム アンド アイ カンパニー

ABBAの大ヒット曲をEJT風のJAZZの味付けで ・・・。 「Dancing Queen」。

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ふるさとエレジー(7) ~蔵の通り~

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「柳宗悦(やなぎ むねよし)」の民芸運動に共鳴し、「無名の職人たちの手仕事で日常品」であるものに美を感じ、個人で蒐集した数々の民芸品を展示した「松本民芸館」を創設したのが「丸山太郎」氏(1909-1985年)である。(参照ふるさとエレジー(4)~民芸館に憩う~) その丸山氏が松本市内の中町で営んでいた工芸品店が、現在も営業しているちきりや工芸店である。この中町は現在は「蔵通り」と呼ばれ、松本観光の人気スポットとなっているが、私の子どもの頃は、古い土蔵が並んだくすんだ感じの街で、近くの近代的な商店街にお客を奪われていたため、今のような賑わいはなかったような気がする。そして、私の叔母の嫁ぎ先がこの街に店を構えていたので、中町にはしょっちゅう遊びに行っては、土蔵の中や、土蔵にはさまれた狭い路地で遊んだものである。

この叔母には大変可愛がってもらったが、こども心にも、松本の繁華街、しかもサラリーマンの我が家とまったく雰囲気の違う商家に遊びに行けるわくわく感で、いつもそのつど胸が膨らんだものである。秋深まる夕暮れの蔵通りを歩きながら、ずっと前になくなったやさしい叔母の顔を思い出していた。

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帰省の時は大体「ちきりや」を訪れているが、この日はいつもと違って、訪れたのは夕暮れ時。薄暗い店内に所狭しとならべられた美しい民芸の道具や器たち。夕暮れですっかり和らいだ外の光は、ウィンドウに並べられた硝子の器を透して室内に差込み、秋のやさしい硝子色に染まっている。やや厚手の白磁に、呉須(ごす)と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴の砥部焼(とべやき)の一対のコーヒー・カップを買い求めた。帰宅してから、美濃和紙のランチョン・マットにおいてみると、よく似合っている。

「二人でお茶を/Tea For Two」は、1925年のミュージカル「No, No, Nanette(ノー・ノー・ナネット)」のために作られた、ブロードウェイのプロデューサー兼作曲家「ビンセント・ユーマン/Vincent Youmans」と劇作家「アーヴィン・シーザー/Irving Caesar」のコンビによる作品。多分洋楽ファンなら誰でも一度は聴いたことがあるくらい有名な曲。1950年に「二人でお茶を」として映画化され、主演の「ドリス・デイ/Doris Day」の歌で一躍有名になった。

【 Tea For Two 】  

「♪ Oh honey                          ねえ
   Picture me upon your knee,           僕の膝に乗った君を想像してみて
   With tea for two and two for tea,       二人でお茶を飲もうよ
   Just me for you and you for me, alone!   僕と君の二人だけでね   
                  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                 ♪」  



ドリス・デイ  ドリス・デイ / Sony Music Direct

なつかしの「Doris Day – Tea for two」を聴きながらお茶でもどうぞ。

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「古い!」と言われる向きには、スウェーデンの妖精「リサ・エクダール/Lisa Ekdahl」のロリータ・ボイスによる「ほっこりエレジー」はどうでしょう。



Back To Earth  Lisa Ekdahl & Peter Nordahl Trio / RCA Victor Europe

なぜ映像が「ダリ」の絵なのか、意図がまったくわからないが ・・・ 。「Lisa Ekdahl and Peter Nordahl Trio – Tea For Two」

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うまい虫を喰う

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(写真;イナゴの佃煮)

「昆虫食ブーム」であるという。そんな記事を読んだときは、「そんなことがブームになるんだ」と思った。どうも「人と違った変わったものを食べてみたい」というグルメ志向の延長らしい。省みれば、私の子どもの頃はずっと「昆虫食」があたりまえだったような気がする。だから人は虫を食うものだと当たり前のように思っていた。長野県の生まれ、山国育ち。今のように交通網が整備され、保冷車、家庭用の冷蔵庫などが普及したのはずっと後のことである。子どもの頃、生の魚、すなわち刺身などは食べた記憶がない。魚といえば、干物、塩漬け、味噌漬け、酢漬け、せいぜい焼き魚が当たり前だった。それも毎日食卓に載るわけではなく、何かの「ハレ」の日にだけ食卓に出された。肉もそうで、牛肉なども食べた記憶がなく、「すき焼き」といえば、馬肉、「トンカツ」が誕生日、クリスマス、こどもの日などの最大のご馳走であった。従って、「昆虫」は、山国の人たちとっては、貴重な毎日の「蛋白源」であったのだ。

そのなかで、一番ポピュラーなのは、「イナゴの佃煮」。刈り入れの終わった田んぼに全校の児童が総出でイナゴを捕まえ、佃煮業者に売り、それでオルガンなどを買ったものである。味はカリカリッとして香ばしく美味しい。いまでも私は帰省の際に、この佃煮を買ってきて食べている。妻は何とかイナゴだけは食べているが、息子達は「きもい」の一言でまったくだめ。

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                        (写真;蜂の子の佃煮)

「蜂の子」。おやつなどなかった時代であった。近所のガキどもと採ってきた蜂の巣から幼虫を取り出し、フライパンで炒って、塩をまぶし、おやつ代わりに食べたものである。「蜂の子」は、アミノ酸やビタミン、ミネラルを多く含んでいるので、信州人にとっての古くからの栄養源で強壮効果もあるという。子どもがそんなものを食ってどうするのだ ・・・ 。

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(写真;ざざむしの佃煮)

「ざざむし」。もっとも有名な信州の「昆虫食」、いや有体に言えば「ゲテモノ食い」であろうか。「虫」のかたちそのまんまという、その見た目のすごさから有名になったに違いないと思う。「ざざ虫」とは、清流に住む「カワゲラ」、「トビケラ」等の水生昆虫の幼虫である。「ザアーザアー」と音を立てて流れる川にすむ「虫」というのがどうも語源らしい。これは主に佃煮や揚げ物などにして食するが、これからの季節、日本酒にすこぶる合う珍味であるのだ。

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                        (写真;蚕のさなぎの佃煮)

そして圧巻は「蚕のさなぎ」であろうか。信州はかって養蚕・製糸産業の盛んだった土地。私の住んでいた近くにも多くの製糸工場があった。そこで蚕の繭から生糸を取り出した後にのこる蛹(さなぎ)を食べるのである。最後に残った「さなぎ」まで食べるのであるから、今様に言えば「エコ」であろう。とはいえ、あの芋虫みたいな蚕の姿を想像しただけで悪寒や虫唾(むしず)が走る向きもあるのではないだろうか。これも、醤油と砂糖で煮付けて佃煮にして食べるのが一般的で、脂がのって香ばしく、「イナゴの佃煮」とならぶ私の好物である。しかし、さすがの妻も、「ざざむし」と「さなぎ」は勘弁してくれという。

「昆虫食」は、「蚕のさなぎ」に見られるように、その地域の特色や歴史に根ざした立派な食文化である。「捕鯨」などが槍玉にあげられたりするが、朝鮮や中国北部では、私も食べたことがあるが、今でも犬の肉を食うのである。これも立派な食文化である。外国がとやかく言う筋合いのことではないのである。

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子どもの頃に、このように「昆虫食」を刷り込まれたためか、外国でそれに接しても、たじろぐことはなかった。台湾では「タガメ」を、さっと油で揚げて食する。見た目、まったくの大き目の「ゴキブリ」のから揚げのごとし、大変グロテスクである。北京一番の繁華街「王府井」では、いまでも路地に入ると、串に刺した「さそり」を焼いたものを露店で売っている。いずれも食してみたが、「タガメ」といい、「サソリ」といい、ぱりっと香ばしく美味なる昆虫であった。

帰省帰りの今日も「イナゴ」を肴に一杯やったが、なにせ今日の写真はいずれも、私にとっては涎ものでも、皆さんには少々グロテスクだったかも知れない。メインのご飯は、これまたふるさと土産、竹風堂の「栗おこわ」。柳行李の弁当箱が美しい。この写真でお口直しを ・・・・ 。

 

「虫」のことは英語で「bug」という。しからば、「jitterbug」の意味をご存知だろうか?辞書で調べてみると、「ジルバ 《スウィングに合わせて踊る奔放なダンス》、ジルバを踊る人,ジャズ狂」などという訳が出てくる。ダンスの「ジルバ」である。「jitter」は「震えている様」、「bug」は「虫」、そんなところから19世紀の初頭にはやったダンス「ジルバ」をこう名づけたらしい。

ピアノ&オルガン奏者で1943年に39歳の若さで他界したJAZZの巨人の一人、「ファッツ・ウォーラー/Thomas “Fats” Waller」の代表曲に「The Jitterbug Waltz」という曲がある。「ビル・エヴァンス/Bill Evans」の有名な「Waltz For Debby」,と並ぶ、JAZZワルツの名曲といわれている。「ミシェル・ルグラン/Michel Legrand」が、マイルス、コルトレーン、エヴァンスらオールスターを起用した11人編成のオーケストラによる制作いう贅沢なアルバム「ルグラン・ジャズ/Legrand JAZZ」に収録された演奏が魅力的。ハープの入った凝ったイントロから、4ビート、マイルスらのソロへと続く。 



ルグラン・ジャズ  ミシェル・ルグラン / ユニバーサル ミュージック クラシック

「Michel Legrand and His Orchestra – The Jitterbug Waltz」 
 

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ソウル・フードの花 ~晩夏の蕎麦畑~

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中央高速長野道。塩尻ICを降りてすぐ、東山山麓線を松本へ向かうと、この時期、あたり一面の蕎麦畑に白い可憐な蕎麦の花がまるでじゅうたんのように咲き乱れている。このあたりから、松本の私の実家までは水田や林檎畑、葡萄畑などに混じって、多くの蕎麦畑が続いているのである。そう、もうしばらくすると、秋の訪れとともに、薫り豊かな新・蕎麦の季節、蕎麦好きが待ちに待った季節がやってくる。逆に言うと、この八月ごろが蕎麦粉が最もやせているので、それをおいしく食べさせるため、蕎麦屋ではいろいろな工夫をしているようだ。もっとも、南半球オーストラリアでは、春が蕎麦の収穫期のため、都会の蕎麦屋では、そこからそば粉を輸入しているところもあると聞く。

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蕎麦は元来、土地の痩せているところ、寒冷地などで米が取れないから栽培された穀物である。火山灰に覆われた、木曽乗鞍、戸隠、寒冷地北海道、山形寒河江など名高い蕎麦どころは皆、そうである。

前にも書いたが、塩尻ICからも近い木曽路の端、洗馬(せば)近くの「山本宿」は、「蕎麦切り」発祥の地であるという。これは、江戸時代の粋人「太田蜀山人」の著書にそう書いてあるらしい。それまでの「蕎麦がき」、いわば「蕎麦団子」みたいな食べ方を、「蕎麦切り」、細く切って、「団子」から「麺」としての食べ方に変えた地であるそうだ。木曽・山本宿は「町おこし」の一環としてこのことをPRし、町民総出で町営の蕎麦処を運営しているほどである。

私は、おいしい蕎麦屋があると聞くと、かっては松本市内はいうに及ばず、松本平、安曇野、木曽あたりまでも駆け巡った蕎麦好きであったが、最近、松本市内を散策していると、そのたびに新しい蕎麦屋がオープンしているのでとても追いつかず、最近は、昔からの馴染んだ味の蕎麦屋に腰が落ち着いてしまっている。

蕎麦屋が少ない関西に住まうようになってからも、その癖は直らず、おいしい蕎麦屋を探してずいぶん彷徨ったものである。関西にも丹波、出石(いずし)地方など結構、いい蕎麦を産する土地も多く、すこしエリアを広げれば、出雲蕎麦は有名だし、徳島は吉野川の流域の池田でもうまい蕎麦を産することにびっくりしたことがある。「出石の皿蕎麦」で有名な出石は、信州・小諸か上田のお殿様が出石へお国替えになったとき、蕎麦職人を連れていったことからはじまったという。このように日本全国、それぞれの土地で様々な特色を持った「蕎麦」があり、それは長い歴史を積重ねた、まさにその土地の「食文化」になっているのは大変うれしい。最近は、休耕田を利用して、わが隣町でも蕎麦の栽培が盛んになり、「道の駅」などでも蕎麦を食べさせている。わが第2のふるさとにも「蕎麦」が根付いて特長のある食文化にまで育ってくれたらいいなあ。

松本市内では10月9日からの「信州・松本そば祭り」の開催を告げるポスターが目に付いた。新・蕎麦の季節が、いよいよ始まるのである。松本地方では、厳冬期に醸造された日本酒を熟成させ、夏を越えて味に丸みが帯びたころに出荷される酒を「ひやおろし」と呼ぶが、この「ひやおろし」を飲んだ後の「蕎麦」が堪えられないそうである。聞くからに旨そうではある。昔、酒好きの叔父や父親が飲んでいた「ひやおろし」の味を私は知らないが、蕎麦屋で飲むことは現役のときも好きであったし、仕上げは蕎麦と決めていた。また、なにか胃がもたれるときでも、蕎麦を食べると調子が戻ったものである。まちがいなく蕎麦は私の「ソウル・フード」である。

来年春からのNHKの朝の連続テレビ小説は、「おひさま」というタイトルだそうだ。蕎麦屋に嫁いだ太陽のように明るい女性が主人公で、戦前から戦後にかけての松本市や安曇野市が舞台であるという。きっと写真のような風景も出てくるのだろうか。今から楽しみである。



蕎麦屋のしきたり (生活人新書)    藤村 和夫 / 日本放送出版協会

「大変かもしれないが、自由に暮したい」といって、ヘルパーやデイ・サービスなどのサポートを受けながら、一人で田舎の自宅で暮らす選択をしている母親。近くに住んでいる妹には負担をかけているが、そんな母親のケアのために、今年は例年より多く帰省している。少子高齢化、核家族化時代の中で流されながら ・・・・ 。

母親の人生、私の人生。人生いろいろ ・・・・。台風一過。「Come Rain Or Come Shine/降っても晴れても」。「♪ 土砂降りでも、かんかん照りでも、きみが許せば、僕は君を愛し続ける ・・・♪」というスタンダード・ソング。この歌も名のあるJAZZアーティストなら殆どの人がカバーしているのではないだろうか。すこし知ったかぶりをして、JAZZ畑以外から選ぶとすれば、まずはブラック・コンテンポラリーの異才、そのとろけるようなファルセット・ヴォイスで、女性に人気がある「アーロン・ネヴィル/Aaron Neville」の「ネイチャー・ボーイ~ザ・スタンダード・アルバム」から。
 

ネイチャー・ボーイ~ザ・スタンダード・アルバム    Aaron Neville / ユニバーサル ミュージック クラシック

そして、ブルース界の大御所「B.B.キング/B.B.King」とロック界のカリスマ「エリック・クラプトン/Eric Clapton」のなんとも豪華なデュエット・アルバム「Riding With the King」から。
 

 
Riding With the King  B.B. King / Reprise / Wea

ダブル・カリスマ、「キング&クラプトン」による「Come Rain Or Come Shine」。 酒場の女性あたりとしかデュエットしたことがない私、心通う男同士のデュエットもちょっと羨ましい。

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ふるさとのかたち ・・・ 

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暑さが収まらない。帰省したふるさとも今年は異常な暑さだという。しかし、すこしレトロで、秋の気配がした信州。母親のケアの合間、実家の周辺で見た「ふるさとのかたち」のいくつか。

 
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空気の透明度が増し、すこし日の影が長くなったせいか、野の仏達の表情も気のせいか優しくなっている。光と影、故郷を離れてから40数年、人の心は移ろうが、仏達は変わらずに微笑を浮かべ、私を迎え入れてくれた。 

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おっと、これは、私が最も好きなJAZZギタリスト、「ジム・ホール/Jim Hall」の「アランフェス協奏曲」のジャケット。

ジム・ホールの「アランフェス協奏曲/CONCIERTO」(1975)。  Jim Hall : Guitar , Roland Hanna : Piano , Ron Carter : Bass , Steve Gadd : Drums , Chet Baker : Trumpet , Paul Desmond : Alto Saxophone

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20分近くの演奏ですので途中で終わっています。続きは「パート2」で ・・・・。 
 
 

ふるさとエレジー(6)  ~ bitter and sweet ~

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「敵に塩を送る」。こんな故事の由来をご存知だろうか? 戦国時代の永禄年間(1558-1570)、武田氏と対峙する駿河の大名、今川氏は戦略として武田氏の領地である信濃・甲斐を兵糧攻めにするため、太平洋側からの「塩の道」を封じて、甲州や信州の人々の生活を困窮させた。この状況を見かねた越後の上杉謙信は「戦うのは武士である」として、信濃、甲斐に塩を送ったのである。この故事から、敵対する相手を助ける意味の「敵に塩を送る」という慣用語が生まれたのである。越後から、日本海の塩を牛に積んで糸魚川より、「塩の道」をまっすぐ松本に届けたのである。1568年(永禄11)1月11日、謙信からの塩を積んだ牛車が松本にたどり着いた。そのときに牛をつないだといわれる石が「牛つなぎ石」として今も残っている。(写真参照) 上杉謙信に感謝した松本の領民は、この日を記念して、1月11日に初市(塩市)を立つようにしたが、明治時代に塩は国の専売になったこともあって、塩市から飴市に変わったのである。

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「塩がます」の袋をかたちどったのが、今でもあめ市で売られる縁起物「福飴」である。私の子供のころ、「飴市」には福飴のほか、いろいろなものを売る露店が軒を連ね、「正月」の後は、「三九郎」(関西で言う「どんと焼き」)、そして「飴市」とつづく楽しい冬の行事のひとつであった。昔風の金太郎飴やさらし飴であるが、懐かしいあの味を今でもまだ舌が覚えている。まるで少年時代に何度も味わったbitter & sweet な夢のように・・・。 「飴市」は、塩の大事さを本当に実感している山国の民の素朴な伝統行事なのである。

 

柳田民俗学とは別の視点を切り拓いた民俗学者「宮本常一」の没後に刊行された名著のひとつ「塩の道」。あくまでも生活者からの視点にこだわった観察眼には今でも驚かせられる。



塩の道 (講談社学術文庫 (677))  宮本 常一 / 講談社

「リズ・ライト/Lizz Wright」に「ソルト/Salt」という曲がある。彼女、「カサンドラ・ウイルソン」の後継者なんてささやきもあるが、あの「眼力(めぢから)」は共通したところ。「ジョー・サンプル」の「ザ・ピーカン・ツリー/The Pecan Tree」(2002)で一躍注目され、彼女自身のアルバムを待っていたファンも多かったという。そのデビュー作が「ソルト」。南部ジュージア州出身で、幼少よりゴスペルに親しんできたため、彼女の音楽の原風景はゴスペルにあるという。ソウル、ジャズ、R&B、ゴスペルといった豊富な素材を、ゴスペルで培った深みと憂いのあるスピリチュアル・ボイスで彼女自身のブルースの世界に仕立て上げている。こんなところもカサンドラと似ているかも ・・・ 。



ソルト  Lizz Wright / ユニバーサル ミュージック クラシック

聴いてみます? 「Lizz Wright – Salt 」。

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「ジョー・サンプル/Joe Sample」とくれば、若くしてこの世を去った「ダニー・ハザウェイ/Danny Hathaway」の愛娘レイラとコラボしたアルバムの中に、「Bitter,Sweet 」という曲がある。このアルバムをリリースした1999年、サンプルはなんと還暦、60歳というから驚き。「When Your Life Was Low」、「When The World Turns Blue」などしっとりくるバラードが中心で、おすすめの一枚は「Lalah Hathaway & Joe Sample /The Song Lives On 」。R&B、ブルースの好きな方、これは「買い」ですよ。

Song Lives on  Lalah Hathaway & Joe Sample/ Pra Records

 

 

 

ふるさとエレジー(5) ~ 家あれども帰り得ず/川島芳子 ~

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「川島芳子(かわしま よしこ)」という名前をご存知だろうか?1907年5月24日北京生まれ、本名は「愛新覺羅 顯シ(あいしんかくら けんし)」、清朝の最後の皇族「粛(しゅく)親王」の第十四王女である。清朝復興を夢見て、日本軍の特務機関員らと、上海事変や満州国建国に関与した日本軍スパイとされ、その数奇な運命から、「男装の麗人」、「東洋のマタハリ」などと呼ばれた。戦後、中国の国民党政府軍に逮捕され、1948年3月25日、北京で銃殺刑が執行された。享年41歳であった。処刑直後からも、替え玉説、生存説が絶えることなく今も存在している。今年、台湾で処刑後の死亡を確認する公文書が見つかったことが発表され、死亡の裏づけがなされたが、戦後65年経た今なお彼女が話題になっていることが興味深い。

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実は「川島芳子」は青春の一時期を松本で過し、教育を受けていたのである。そして中国での銃殺後、その遺骨は松本市街を見下ろす城山の中腹、「正鱗寺(しょうりんじ)」にある義父「川島浪速」の墓に一緒に葬られている。この話は、私たち世代の松本出身者の多くが、多分知っている話であり、私も高校生の頃、この話をよく先輩から聞くとともに、夜、正鱗寺の墓地への「肝試し」をさせられたものである。久し振りの城山へのドライブの途中、寄ってみたその墓は、「国士」と刻まれて、炎天下の木立の中にひっそりと建っていた。

「川島芳子」は、辛亥革命後の5歳の時に、父「粛親王」と交わりがあり、中国語の堪能な満州浪人「川島浪速」の養女となり、芳子という日本名が付けられた。東京の豊島師範付属小学校を卒業後、川島の東京から松本への転居にともない、長野県松本高等女学校(現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校)に転校した。松本高等女学校へは、毎日浅間温泉にあった自宅から馬に乗って通学したという。1922年(大正11)に実父「粛親王」が死去し、葬儀のために長期休学したが、日ごろの奇矯な行動の故か、復学が認められず、松本高女を中退している。そして、17歳で自殺未遂事件を起こし、断髪、男装となる。ただ、自殺や男装の動機については諸説あって真相は分からないらしい。

その後、日本軍と深く関わり、1931年(昭和6)9月18日の満州事変勃発から2ヵ月後に、日本軍は後の満州国皇帝にまつりあげた「宣統帝(せんとうてい)・溥儀(ふぎ)」を天津から旅順に脱出させたが、芳子は関東軍の依頼を受け、残された溥儀の皇后婉容を天津から満州に連れ帰るなどをした。

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1933年(昭和8)、「松村梢風」が芳子をモデルにした小説「男装の麗人」を発表すると、一躍時代の寵児となった。芳子の端正な顔立ちや、清朝皇室出身という血筋といった属性は高い関心を呼び、芳子の真似をして断髪する女性が現れたり、ファンになった女子が押しかけてくるなど、マスコミが産んだ新しいタイプのアイドルとして、ちょっとした社会現象を巻き起こしたという。ある時は背広姿、時には羽織袴、戦時下には特注の軍服を着て、大陸と日本を往復する勇姿が「東洋のジャンヌ・ダルク」ともてはやされ、舞台や映画にもなった。また、芳子が歌う「十五夜の娘」、「蒙古の唄」などのレコードも発売されている。(参照 「十五夜の娘」(1933)/川島芳子が蒙古語と日本語で歌った珍しいレコード

ところが、戦後、日本の軍服を着て司令の肩書きをっもっていた彼女は、一転「漢奸(かんかん=売国奴)」として国民政府に逮捕され、1947年(昭和22)、中国高等法院でスパイ活動をしたとして、戦犯公判がスピード結審、死刑判決を受けた。その後2度の再審請求は却下され、1948年(昭和23)3月25日早朝、監獄の片隅で死刑は執行された。

「 家あれども帰り得ず
  涙あれども語り得ず

  法あれども正しきを得ず
  冤あれども誰にか訴えん」

なんと孤独で哀しい詩だろうか・・・。この句は銃殺執行後の獄衣のポケットに残されていた彼女の辞世の句だという。「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず」という上の二句は、芳子が生前好んで揮毫していた句であり、彼女の数奇な運命に翻弄された孤独な心情を表している。日中双方での根強い人気を反映してか、銃殺刑執行直後から替え玉説が報じられ、現在でも生存説が流布されている。(参照 Wikipediaなど)

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1998年、「川島芳子」の没後50周年に、「川島芳子」の書や遺品などを展示した資料室「川島芳子記念室」が、芳子が少女時代を過ごした松本市の「日本司法博物館」内に開設され、芳子の女学生時代の友人や関係者が芳子のゆかりの品などを寄贈した。その後、資料は松本市が引き継ぎ、「たてもの野外博物館 松本市歴史の里」へとリニューアルされた博物館に収蔵・展示されている。

 

高校時代に聞いた話に触発され、私が読んだ「川島芳子」の伝記は2冊。「上坂冬子」渾身の著作「男装の麗人・川島芳子伝」、最初に芳子を取り上げた「村松梢風」の孫、「村松友視」が奇しくも同名のタイトルで発刊した「男装の麗人」。



男装の麗人・川島芳子伝 (文春文庫)  上坂 冬子 / 文藝春秋

男装の麗人  村松 友視 / 恒文社21

 

あの墓に眠っていることを、彼女は本当は喜んでいるのだろうか? もうすぐお盆が来る。「家あれども帰り得ず ・・・ 」と詠んだ彼女の悲痛なる魂を小舟に乗せて、故郷中国へ送ってあげようではないか。魂の小舟を送るエレジーは、「On A Slow Boat to China/中国へ向かう遅い船の上で」 ・・・ 。

聴いてみますか? 「On A Slow Boat To China」。 有名なスタンダードですが、すこしレトロなアレンジで「真梨邑(まりむら)ケイ」が歌う。
「 ♪  中国へ向かう遅い船の上で/あなたを独り占めしたい/私の腕の中にずっと抱え込んで/あなたの恋人は海の彼方で泣かせておくのさ ・・・・ ♪ 」

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ふるさとエレジー(4) ~ 民芸館に憩う ~

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私の実家のすぐ近くに「松本民芸館」がある。近いので帰省したとき時々寄ることにしているが、今回は、「山里の民芸 ざる・かご展」が展示されていたので、訪れてみた。

この「松本民芸館」は、現在は松本博物館の付属施設となっているが、松本市内の中町で「ちきりや」という工芸品店を営んでいた「丸山太郎」氏が、柳宗悦の民芸運動に共鳴し、「無名の職人たちの手仕事で日常品」であるものに美を感じ蒐集した数々のいわゆる民芸品を展示した、いわば個人の情熱によって建てられた民芸館です。現在は周りに住宅が建て混んできたが、昭和37年(1962年)の創館当初は、回りになにもなく田んぼの中に雑木林に囲まれて、ぽつんと立つ、なまこ壁の美しい蔵作りの建物であった。高校生であったこのころ最初に行ったように記憶している。

 

「美しいものが美しい
 では何が美しいかと申しますと 
 色とか模様とか型とか材料とか色々あります
 その説明があって物を見るより無言で語りかけてくる物の美を
 感じることの方が大切です
 何時何処で何んに使ったかと云うことでなく
 その物の持つ美を直感で見て下さい
 これはほとんど無名の職人達の手仕事で日常品です
 美には国境はありません 」   丸山 太郎

日本各地に残る美しい手仕事を紹介しながら、日本がすばらしい手仕事の国であることへの認識を呼びかけた「柳 宗悦」のユニークな民芸案内書。

 

手仕事の日本 (岩波文庫)  柳 宗悦 / 岩波書店

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「丸山太郎」氏が蒐集した多岐にわたる編組品を展示した企画展。運搬や収納、食器など生活の必需品であるざるやかごなどの製作は、主に農家などの副業として行われることが多かったようである。作り手は、自然からの材料である竹、蔓などを自分で手に入れ、つくり、売って歩いていたものが、専門化し、職人として独立し、特産地も形成されていったようである。ともあれ、その織りなす編み目や造形の素朴な美しさ、実用としての用途の多様さ、力強さにはおどろき、職人の技の見事さにいつも感心してしまう。

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そういえば、子供の頃の川で魚を取る仕掛け(関西でいう「もんどり」)や、つりの「魚籠(びく)」、蕎麦を盛ったり、野菜や果物を冷やしておく「ざる」、物を収納する「行李(こうり)」、「簾(すだれ)」など生活の身近なところに職人の作った「ざる・かご」など、編組品の類が沢山あった。この展示を見ると、日常生活や日用品と自然とのかかわり、もともと「ものづくり」とは何のためだったのかという職業観、やがて消えていってしまうかもしれない職人の技や、手仕事の伝承などについて考えさせられる。

100年以上は経っただろうかと思われる椅子に腰掛けてみる。すとんと腰が落ち着く。蔵造りの民芸館の中を吹き抜ける風に暑さを忘れてしばし憩う。故郷へ帰ると、困ったことに、なぜかJAZZはあまり浮かんでこない。レトロな日本の歌ばかりが浮かんでくるのだ。この日、民芸館の素晴らしい手仕事に囲まれていると、こんな歌が浮かんできた ・・・。

「天然の美」。「田中穂積」作曲、「武島羽衣」作詞の唱歌。1902年(明治35年)、私立佐世保女学校の音楽教師だった田中は、九十九島の美しい風景を教材にしたいと考えていた。そこで、折りよく入手した「武島羽衣」の詩に作曲し、本曲は誕生したという。「美(うるわ)しき天然」とも呼ばれる。その物哀しいメロディが好まれたのか、のちに理由は分からないが、ジンタとして、サーカスやチンドン屋さんの曲になってひろまったという。

この詩で讃えられているのは、その歌詞からキリスト教的な神と想像できるが、何故か民芸館の自由で創造的空間に似合い、ここにも宿っているような気がした。

「天然の美」(美しき天然)  作曲・田中穂積 作詞・武島羽衣

「♪ 空にさえずる 鳥の声 峯(みね)より落つる 滝の音
   大波小波 とうとうと 響き絶やせぬ 海の音
   聞けや人々 面白き この天然の 音楽を
   調べ自在に 弾きたもう 神の御手(おんて)の 尊しや

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   朝(あした)に起こる 雲の殿(との) 夕べにかかる 虹の橋
   晴れたる空を 見渡せば 青天井に 似たるかな
   仰げ人々 珍らしき この天然の 建築を
   かく広大に 建てたもう 神のみ業(わざ)の 尊しや   ♪」

聴いてみます、ジンタ? 「天然の美 (美しき天然)」。

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民芸館をでて、松本市内に向かうと、8月から9月にかけて行われる松本の新しい風物詩、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の開幕を告げるポスターがいたるところに貼られていた。これから松本は、山や避暑の観光客、盆の帰省客、「松本ぼんぼん」の祭り客、そして「サイトウ・キネン・フェスティバル」の観客と、最も忙しい季節を迎える。

そして、このブログを書いている今日は、ヒロシマに原爆が落とされた日。平和を祈念する日 ・・・・ 。

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注) 「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(略称=SKF)」は、「小澤征爾」氏のプロデュースにより、1992年から毎年8月、9月に長野県松本市で行われるオペラ、オーケストラ公演などを中心とした音楽祭。名チェリストで桐朋学園創立者でもあった「斎藤秀雄」氏の没後10年の1984年に小澤征爾氏らの呼びかけで世界各地から弟子が集まりコンサートを行ったのがきっかけで、1992年に第1回のサイトウ・キネン・フェスティバルが開かれた。世界でソリストとして活躍しているような弟子の人々が、このときだけ集まってオーケストラを編成するので、演奏のレベルが非常に高く、「サイトウキネン」は、世界でもトップレベルの音楽祭として注目されている。

 

 

ふるさとエレジー(3) ~苦悩する地方出版社~

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実家でTVを見ていたら、長野県にある地方出版社が経営の危機に喘いでいるというニュースを特集で報じていた。信州を出て、他県に移り住んでみれば分かることなのだが、長野県には、地方出版社、いわゆる郷土の出版社が結構多いように思う。その出版されるカテゴリーも、街角の本屋さんをのぞいてみればすぐ分かるが、観光、山岳、自然、歴史、民俗学、考古学、民話 ・・・・ など多岐にわたっていて、実家にも相当数、我が家にも何冊かそんな郷土の出版社の本がある。「信州人は本好き」とよく言われるが、そんなことも関係しているのかもしれない。そして長野県は「岩波茂雄」(岩波書店創業者)、「古田晁」(筑摩書房創業者)、「大和岩雄」(大和書房・青春出版社創業者)などの有名出版社の創業者を輩出している事でも知られている。

2005年、長野県には、30社ほどの地方出版社があったが、2010年には25社に減ってしまったという。原因は「本離れ」による地方の書店、本屋さんの衰退、廃業が大きいという。確かに中央の出版社のように流通NETを持っていないので、本屋さんの廃業は経営を直撃するのであろう。残った出版社も深刻な経営危機に見舞われているという。しかし、番組ではそんな中で、新しい販路や、インターネットや情報NETによる流通sys、i-Padのような電子書籍を模索する出版社の試みを紹介し、希望をつなげていたのが印象的であった。
 
確かに大手出版社の殆どは東京に存在し、強力な流通NETを持っている。極端に言ってしまえば、すべての情報は東京に集中しているといってもいい。しかし逆に、衣・食・住など人の生活基盤を支えているリアリティは地方、田舎にあるのである。「おいしいリンゴは全国のどこにあるか」という情報は東京にあるが、「おいしいリンゴそのもの」や「そのリンゴはどうおいしいのか」、「どうつくられているのか」という情報は田舎にあるのである。インターネットや情報NETの進展によって、読者の興味、知的好奇心とそれを満たしてくれる地方発の現場やその情報がダイレクトにうまくマッチングすれば、まだまだ地方出版社にも生き残っていく術は十分ありそうにも思われる。

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情報技術の進歩が、ワープロ、編集、印刷など書き手や出版社側のあり様を変えてきたように、今後は情報検索、本の電子配信、NETショップ ・・・ などが、著者、出版社と読者とをダイレクトに結んで、革新的にその関係を変化させてしまうのではなかろうか。これは、NET通販やB to Cと同じように、地方の出版社や無名の著者達にもチャンスであるに違いないと思うのだが。

今年創業70年を迎えるという筑摩書房。その雑誌「展望」の編集長であった「臼井吉見」の著作に「安曇野」全五巻がある。「信州・安曇野に吹き起こる新風-”新しい女”相馬黒光とその夫愛蔵、先駆的思想家木下尚江、クリスチャン井口喜源治、天才彫刻家荻原守衛ら新文化創造の鋭気漲る明治30年代から昭和にいたるまでの人と社会を描く大河小説」。我が母校の先輩たちが実名で登場する大河小説であるが、その膨大な量に圧倒され、読むという気力が湧かなかったが、偉大なる先輩達に敬意を表し、意を決して読もうと思う。



安曇野 全5巻セット限定復刊  臼井 吉見 / 筑摩書房

 ところで、「春は名のみの風の寒さや ・・・ 」という「吉丸一昌」作詞、「中田 章」作曲の「早春賦」という歌をご存知でしょう。この詩は、「安曇野」の早春の風景を詠んだものらしく、春の訪れを待ちわびる安曇野の人達の心が描かれている。長野県南安曇郡穂高町(現在、安曇野市)穂高川の右岸に、歌碑が建立され、毎年4月29日には「早春賦祭」が開催され、この歌が献歌されている。(参照拙ブログ「早春賦」

少し季節外れですが、観てみますか?春の季節の「早春賦」の歌碑を。かすかに聞こえるオルゴールが「早春賦」のメロディを奏でている。この暑さ、一服の涼にでもなれば ・・・ 。

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そして聴いてみますか? 「早春賦」。 もちろんエレジーではないが、多分日本人ならだれでも小学校で歌ったことがあり、誰の心にも感動を呼び起こす日本の故郷の歌、そしてわが故郷の歌。

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