JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

初の女性R&B歌手「エタ・ジェームス」さん逝く

Tags:

RTR201201210019
 
「エタ・ジェームス」さん(米R&B歌手)。ロイター通信などによると、20日、米カリフォルニア州の病院で白血病の合併症で死去、73歳。

ロサンゼルス生まれ。幼少の頃から教会でゴスペルを歌った。1960年代のバラード曲「アット・ラスト」などがヒット。アルバムとパフォーマンスの部門では、グラミー賞に3度輝いた。「ジャニス・ジョプリン」や「ティナ・ターナー」らとともに影響力のある歌手と称された。84年のロサンゼルス五輪で米国歌を歌った。 (朝日新聞1月21日夕刊)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このブログでも取り上げたことがある、初のR&B女性アーティスト、「エタ・ジェームス/Etta James」が、遂に逝ってしまった。(「愛しのロック小僧たちへ ~僕らのWonderful Days~」、「ひどい天気だ」) 

シカゴ出身のオバマ大統領の就任式の夜、大統領夫妻が初めてダンスを披露する、恒例「ファースト・ダンス」で、「ビヨンセ(ビヨンセ・ノウルズ)/Beyoncé Knowles」が歌った歌が、シカゴにあったR&Bレーベル「チェス・レコード/Chess Records」に在籍していた「エタ・ジェームス/Etta James」のヒット曲「アット・ラスト/At Last」(1960)であった。そして「ビヨンセ」はその「チェス・レコード」をテーマにした映画「キャデラック・レコード/Cadillac Records」で、「エタ・ジェームス」役を演じ、圧倒的な歌唱を披露したのである。

キャデラック・レコード コレクターズ・エディション [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

At Last!

Etta James / Mca

R&B界にパイオニアとして大きな足跡を残した「エタ・ジェームス」を偲んで「At Last」を ・・・・。  合掌。

「♪ At last my love has come along
   My lonely days are over
   And life is like a song

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   You smiled, and then the spell was cast
   And here we are in heaven
   For you are mine at last      ♪」

「Etta James – At Last」
 
      You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video
 
 
 
 
 

我が愛しのApple ~スティーブ・ジョブズ氏を悼む~

Tags:

jobs

米電子機器大手アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が死去した。56歳。ジョブズ氏は体調不良を原因に8月に米アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

ジョブズ氏は1976年にアップルを共同創業し、パーソナルコンピュータ「Apple」や「マッキントッシュ」などを発表、同社を世界的な企業に押し上げたが、社内的な対立で85年に退社。86年に設立したピクサー・アニメーション・スタジオは、多くのヒット作を出して、世界屈指の映像制作会社となった。

97年、経営悪化で苦しむアップルの経営トップに復帰し、2000年には最高経営責任者(CEO)に就任した。復帰後は斬新なデザインのパソコン「iMac」を大ヒットさせ、携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」で音楽事業をパソコンと並ぶ事業の柱に育てるなど、業績を急回復させた。

その後も、07年に発売したスマートフォン(多機能携帯)「iPhone」、10年のタブレット型情報端末「iPad」と、革新的な製品を次々と世界に送り出し、同社をパソコン大手から、デジタル家電やメディア配信事業を含むIT企業の雄へと変貌させた。11年4~6月期決算では売上高と最終利益で過去最高を更新、アップルは株式時価総額で世界最大のIT企業となった。

一方で、04年に膵臓がんが発覚。半年程度の療養後、仕事に復帰したものの、11年1月から再び病気療養で休職し、8月にはCEOを辞していた。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   産経新聞 10月6日(木) 配信記事より

DSCN2431

「Macintosh SE30」を初めて見たときのあの衝撃はいまでも忘れられない。1990年ころだったか、デモ画面の中で、Dr.なんとかというCGの人間がしゃべっていた。マウスによるその使い勝手の良さに痺れた。すっかり虜になってしまい、その後「Power Mac」と業務でもずっと使い続けていた。やがて、「Mac/Windows」併存の時代から、全社ネットワークの互換性の大義のために「Windows-PC」に統一されるまで、ずっと抵抗して使い続けたのである。

「i-Pod」。これもまた衝撃的だった。そのコンパクトさ、操作性、音質。何にもまして大量の音楽をどこにでも持っていくことができるというそのコンセプト。BOSEのノイズ・キャンセリング・へッドホンと組み合わせて、世界中を持ち歩いた。右の写真は、持ち歩く機会はめっきり減ったが、もう3台目になる80GBの「i-Podクラシック」である。収められている曲数、約13,000曲。多分CDの枚数にして800枚は超えているであろう。全部通して聴いたら108日かかるという。それだけ詰め込んでも、まだ15GBの空き容量があるというから驚かされる。最近は車のステレオのAUX端子につなぎ、ドライブの友として楽しんでいる。ちなみに、この「i-Pod」で最も回数を多く聴いた曲は、意外なことに、「マデリン・ペルー/Madeleine Peyroux」のアルバム「Careless Love」の中の一曲、「Dance Me To The End Of Love」であった。

Careless Love

Madeleine Peyroux / Rounder / Umgd

「Madeleine Peyroux – Dance Me To The End Of Love」。 Montreal Jazz Festival June 2008 におけるライブ。

     You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video
 

「アップル=ジョブス」のすごさは、革新的な技術や素材を使わずに徹底的に消費者のニーズにこだわり、世の中を変えるようなヒット商品を世に送り続けたこと。日本の技術者たちの歯ぎしりが聞こえるようであった。現在のPCを買い替える時も、本音を言えば、「i-Mac」にしようかと迷ったが、結局前機種との互換性を優先して「Windows7」となってしまった。「i-Phone」、「i-Pad」にはついていってないが、多分現役であれば間違いなく手に入れていたであろう。

わたしのライフスタイルに間違いなく影響を与えた「アップル」。ありがとう、スティーブ。

合掌 ・・・・。
 

 
 

原田芳雄氏逝く

Tags:

010

 

(ATG制作「竜馬暗殺」(1974年)より)

個性的でアナーキーな俳優、「原田芳雄」氏が19日亡くなった。71歳だった。つい先日、病をおして自ら企画し、遺作となってしまった映画「大鹿村騒動記」の舞台挨拶に出ている姿をTVで見たばかりであった。私は、ずいぶん彼の出演する映画を観ている。初期のころのあのギラギラした存在感は、私にとって、彼の肉体と同じように眩しいくらい強烈であった。ほんとうにかっこよかった。ちょっと思い出しただけでも、「八月の濡れた砂」、「竜馬暗殺」、「祭りの準備」、「はなれ瞽女おりん」、「ツィゴイネルワイゼン」 ・・・「父と暮せば」、「オリヲン座からの招待状」。最近の作品でも「歩いても歩いても」、「たみおのしあわせ」、「ロストクライム – 閃光」 ・・・。多分本数からすれば観ているのは、彼の出演作品が一番多いかもしれない。それだけ日本映画に欠かせない存在だったということだろう。彼が出ているというだけで作品の一定のレベルが保証されているような役者であった。そういえば、原田芳雄主演 黒木和雄監督、田原総一郎原作で「福島原発」にアポなしロケを行った「原子力戦争」(1978年)なんて映画もあったっけ。

そして、彼のもう一面は、最高のブルース歌手であったこと。あれだけのブルースを歌える歌手は日本にはそういない。まったくもってアナーキーでアウトローな個性であった。一度ライブ・ステージを見たかったと今でも思う。いくつもの動画がYOUTUBEにアップされているが、お気に入りを一つ。

「原田芳雄 - only my song」

          You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

合掌 ・・・・ 。 

 

 

「刑事コロンボ」死す

Tags:

ent11062507480003-p3

 

人気テレビシリーズ「刑事コロンボ」の主役として知られる米国の俳優「ピーター・フォーク/Peter Michael Falk」氏が23日、ビバリー・ヒルズの自宅で死去した。83歳。詳しい死因は伝えられていないが、アルツハイマー病で闘病していた。1927年、ニューヨーク生まれ。50年代にブロードウェーの舞台で注目され、58年に映画デビュー。60年代以降は、シリーズ化されたドラマ「刑事コロンボ」で、とぼけた表情の裏で鋭い推理を発揮する主役を好演。生涯の当たり役となり、シリーズは日本でも人気を集めた。(MSN産経ニュースより)

「刑事コロンボ/原題:Columbo」は、アメリカで制作・放映された、ロサンゼルス市警察殺人課の刑事(のちに警部)コロンボを主人公としたミステリー・テレビ映画である。1968年から1978年まで45本がNBC放送で、その後1989年から2003年までの24本がABC放送で、あわせて全69話が放映された。特にNHKで放映されたNBCのシリーズは、つい最近のBSハイビジョン、BS2での再放送も含め本当によく見た。私は放映当時から、「コロンボ大ファン」であったのである。

ミステリー小説では「倒叙物」と呼ばれる形式をTVドラマに採用し、最初に完全犯罪を企む犯人の周到な犯行を視聴者に見せた後、コロンボが犯人の見落とした僅かな手がかりを元に、犯行を突き止める構成となっている。したがって、視聴者の興味は、「犯人は誰か?」よりも「犯人はどんなミスを犯したのか?」や「どうやって犯人を追い詰めていくのか?」、また犯人との心理ゲームや駆け引きに向けられる。その意味では、知的サスペンス・ドラマの先駆け的作品といっていい。犯人をハリウッド・スター、政財界などの有名人、特権階級に設定したところも、視聴者側に溜飲を下げさせる要素となっている。「三谷幸喜」が脚本を担当した日本のTVドラマ「古畑任三郎」もこのコロンボ・シリーズをベースにしたのである。

そして、私は知らなかったが、日本で一般に「刑事コロンボのテーマ」として知られている「ヘンリー・マンシーニ/Henry Mancini」のテーマ曲「Mystery Movie Theme」は、「コロンボ・シリーズ」のテーマ曲ではなく、「NBCミステリー・ムービー」のテーマ曲であったという。「NBCミステリー・ムービー」は、最初「コロンボ」を含めた4作のTVシリーズを4週間おきに放映した番組で、のちにNHKでの放送時にこの曲がオープニングとエンディングで流され、結果的に「刑事コロンボのテーマ」として定着したというのが真実であるという。そういえば、エンディングのクレジットに、音楽担当として今はJAZZ界の大御所「ラロ・シフリン/Lalo Schifrin」の名前が出ているのに、「音楽;ヘンリーマンシーニ」と日本語のクレジットが出て不思議に思ったことが何回もあったが、そういうことだったのか ・・・。

おんぼろグルマ、よれよれコート、まぬけ犬、あたりかまわず撒き散らす安葉巻の灰、不躾、無遠慮 ・・・。これほどカッコよさとは無縁のキャラクター。しかし実にカッコよかったから、一世を風靡したのである。

さらばコロンボ。「刑事コロンボのテーマ曲」

          You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video
 

合掌 ・・・・・・。

 
 
 

「ジョージ・シアリング」逝く

Tags:

GeorgeForJazzSite

 

ジョージ・シアリングさん(ジャズピアニスト)が14日、うっ血性心不全のため、ニューヨーク市内で死去した。91歳。米ニューヨーク・タイムズ紙などが伝えた。
 ジャズ界の巨匠で、「バードランドの子守唄」(1952年)などで知られる盲目のピアニスト。ロンドンで生まれ、16歳からプロ活動を始め、27歳で拠点を米国に移す。「九月の雨」(1949年)が世界でヒットして注目を集め、約300曲を作曲した。ニューヨークのジャズクラブにちなんだ代表作「子守唄」は、サラ・ボーンらが歌った。82年と83年に、メル・トーメとともにグラミー賞を受賞した。 (9/15朝日新聞夕刊より)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

「ジョージ・シアリング/George Shearing」氏が逝った。享年91歳。ジャズの歴史を刻んできたご長寿ピアニストをまた一人失った。世の習いとはいえ、悲しいことである。ロンドンの労働者家庭出身で、生まれつき目が見えなかった。大きなハンディ・キャップを背負っていたにもかかわらず、英国で人気ピアニストとなった後の1947年に米国に移住。49年に発表した「9月の雨」が大ヒットした。80歳を超えてもCDを出すなど意欲的な活動を続けたが2004年に自宅で倒れ、その後活動を控えていた。

ビ・バップやファンキーなどに代表される黒人ジャズとはちがって、小粋でしゃれた響きが新鮮なJAZZであった。特に代表曲「バードランドの子守歌」、「九月の雨」にはそのことを強く感じたものだ。「カル・ジェイダー/Cal Tjader」のヴィブラフォンがやさしく響く「バードランドの子守歌」を久しぶりに聴いてみようか ・・・ 。

合掌 ・・・・ 。

バードランドの子守唄  ジョージ・シアリング / ユニバーサル ミュージック クラシック

George Shearing Quintet play “Lullaby of Birdland”
 

          You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video 

ガチョ~~~~ン!

Tags:

進駐軍 JAZZ シャボン玉ホリディ トロンボーン クレイジー・キャッツ コメディアン ダニー・ケイ スイング・ジャーナル 屋根の上のバイオリン弾き ザ・スーパーマーケット 釣りバカ日誌 死に花 スウィングガールズ ・・・・

NHK-TV 「美の壺」。横丁のご隠居として、日本の美をガイドしてくれた姿が眼に残る。

そしてなんといっても、いつまでも耳に残るのは、「ガチョ~~~~ン!」。  

合掌 ・・・・ 。
 

谷啓氏がスイング・ジャーナル誌の人気投票で、トロンボーン部門のいつも上位にランキングされていたことは意外と知られていない。では賑々しく「バーボンストリート・パレード」で送り出しましょうか ・・・ 。

          You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

 

 

優しき巨人、「J.P.ホーガン」氏逝く

Tags:

200px-James_P__Hogan_2005

 

「星を継ぐもの」などハードSFの巨匠として、日本では3度にわたって星雲賞を受賞したほどの人気SF作家、「ジェイムズ・P・ホーガン」氏が、7月12日にアイルランドの自宅で死去したことが報じられた。享年69歳。

「ジェイムズ・パトリック・ホーガン/James Patrick Hogan (1941年6月27日 – 2010年7月12日)は、イギリス、ロンドン生まれのSF作家。16歳で学校を卒業して職を転々としていたが、奨学金を得て工業専門学校で5年間、電気工学、電子工学、機械工学を学んだ。その後、いくつかの企業で設計技術者として働き、1960年代にはハネウェル社のセールス・エンジニアとしてヨーロッパ中を渡り歩いた。1970年代にはDEC社に転職して マサチューセッツ州ボストンに移住し、DECの仕事の傍ら書き上げたハードSF「星を継ぐもの/Inherit the Stars」で1977年、デビュー。その後専業作家となり、晩年はアイルランドで暮らした。(Wikipedia参照)

「ガニメアン」シリーズ3部作、私は夢中になって読みましたね。いまでも時々読み返すことがあるくらいです。「現実を説明するための理論は、実証に基づいてのみ構築されるべきであり、現実を説明できないなら、その理論は捨てられるべきである」というホーガンの科学史観にもとづいて展開されるSFミステリーといってもいいこのシリーズに心が躍ったものである。自らも技術者であるホーガンのこの科学史観は、科学者や工学者のファンにも違和感なく受け入れられ、大きな支持を受けたのではないだろうか。

月面調査員が真紅の宇宙服をまとった人間の遺体を発見した。この出だしからもうワクワクもの。綿密な調査の結果、この死体は何と死後五万年を経過していることがわかった。5万年前の宇宙飛行士の遺体がなぜ月面にあったのか、現人類とのつながりはいかなるものなのか。その後も新たな事実が次々と発見され、理論や仮説が次々と構築されていく。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見された……。1981年第12回星雲賞海外長編賞受賞のシリーズ第一作、「星を継ぐもの/Inherit the Stars」(1978年)



星を継ぐもの (創元SF文庫)  ジェイムズ・P・ホーガン / 東京創元社

木星の衛星ガニメデで発見された異星の宇宙船は2500万年前のものと推定された。調査隊の科学者たちは、初めて見る異星人の進歩した技術の所産に驚きを禁じ得ない。そのとき、宇宙からガニメデ目指して接近する物体があった。遥か昔に飛びたったガニメアンの宇宙船が故郷に戻って来たのだ。シリーズ第二作「ガニメデの優しい巨人/The Gentle Giants of Ganymede」(1978年)



ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)  ジェイムズ・P・ホーガン / 東京創元社

そして完結偏。地球人そして太陽系の起源に迫る「巨人たちの星/Giants’ Star」(1981年)。



巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))  ジェイムズ・P・ホーガン / 東京創元社

本シリーズや、光瀬龍「百億の昼と千億の夜」、小松左京「果しなき流れの果てに」など、壮大な宇宙の空間と時間の流れをテーマに持つSF作品に夢中になった時代が私にもあったのです。

最後に、「星」に関わるスタンダード曲をもって霊前に献じ、冥福を祈ろう。  合掌 ・・・・ 。

「Stairway To The Stars/星への階(きざはし)」。


 

星へのきざはし  ニューヨーク・トリオ / ヴィーナス・レコード

   

ムーンビームス  ビル・エヴァンス / ユニバーサルミュージック

そしてもう一曲は、「Stella by Starlight(星影のステラ) – Bill Evans Trio」。  Piano : Bill Evans/Double Bass : Eddie Gomez/Drums : Alex Riel/Oslo on October 28, 1966.

          You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video 

 

レジェンド・オブ・ジャズ、「ハンク・ジョーンズ」逝く

Tags:

PN2010051801000217_-_-_CI0002

 

【ニューヨーク共同】米紙NYタイムズ(電子版)によると、1930年代から活躍を続けた伝説的なジャズピアニスト、ハンク・ジョーンズ氏が16日、ニューヨークのホスピスで死去した。91歳。死因は明らかにされていない。ミシシッピ州出身。音楽一家に生まれ、10代からピアノを演奏、40~50年には人気ピアニストとしてエラ・フィッツジェラルド、チャーリー・パーカーらと共演した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご長寿ピアニストの真っ先にとりあげたピアニストである。(参照もしもピアノが弾けたなら(2)~ご長寿ピアニスト(1)~
1918年7月ミシシッピ州の生まれで、40年代から「エラ・フィッツジェラルド」や「チャーリー・パーカー」、「マイルス・デイビス」らと共演したジャズの歴史の生き証人みたいなミュージシャンである。「ミスター・スタンダード」呼ばれ親しまれた。91歳になる今年の2月にも東京、下関、新潟で演奏ツアーを行ったというから驚きであるが、それが最後のライブになってしまった。「やるもんだ」という、あのCMのせりふをそっくり彼に献じたい。

「ハンク・ジョーンズ/Hank Jones」には忘れられない想い出がある。初めてニューヨークを訪れたとき、今はもうないJAZZクラブ「Fat Tuesday」で観た彼の演奏と、客席にいたJAZZを志す学生に、「ステージへあがっておいで。さあ、一緒にやろう。」と声をかけ、セッションを始めたエピソードが思い出される。(参照「ハンク・ジョーンズの思い出~初めてのニューヨーク~」 )

「ハンク・ジョーンズ」のアルバムから何を献じようか?まずは約30年ぶりとなるソロ・アルバム「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。90歳になってもこの色気、歌心はどうだ!

マイ・ファニー・ヴァレンタイン (紙ジャケット仕様)

ハンク・ジョーンズ / ヴィレッジ・レコード

そして真髄「ザ・グレート・ジャズ・トリオ」。まさに「レジェンド・オブ・ジャズ」、まさに「ミスター・スタンダード」。
 

ザ・レジェンド・オブ・ジャズ

ザ・グレイト・ジャズ・トリオ / ヴィレッジ・レコード

「ケイコ・リー」、「安則真実」、「ガンバリーニ」、「ティファニー」など孫のような新人女性シンガーとの共演が多いのも、その暖かい気さくな人柄のゆえんであろう。それまで私はあまり評価していなかった「ケイコ・リー」の評価を一変させたアルバムは「ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ~」。若手女性シンガーからその良さを引き出すサムシングを持った人であったようだ。

ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ~

ケイコ・リー ハンク・ジョーンズ ソニーミュージックエンタテインメント

実弟であるが、いずれも長兄より早く他界してしまった、ドラムの「エルヴィン・ジョーンズ」、トランペットの「サド・ジョーンズ」。そして今ハンクも・・・。

さようなら、「ミスター・スタンダード」。
合掌 ・・・・・ 。

「My One And ONly Love…….」
 

You need to a flashplayer enabled browser to view this YouTube video

浅川マキ逝く ・・・・

Tags:

浅川マキが逝った。公演のため滞在していた名古屋のホテルでの急死。67歳。絶句。
大阪万博の年、70年安保の年、1970年(昭和45年)寺山修司のプロデュースでデビューした。独特の音楽スタイル、歌にこめられた情念が発する呪力は、揺れる社会情勢や、大きく変化する価値観の中で、若者の心を捉えた。学生運動の闘士なら「夜が明けたら」、ノンポリなら「ふしあわせという名の猫」、「かもめ」。JAZZファンなら「セント・ジェームズ病院」か。(参照60歳過ぎたら聴きたい歌(37)~ふしあわせという名の猫~」

情念の闇を歌う、日本のブルースを唄う、浅川マキ・ワールド、「DARKNESS I」。
 

DARKNESS I

浅川マキ / EMIミュージック・ジャパン

 

ロックもJAZZも、エロもグロもアングラも全部表舞台に出てくるようになった。彼女以外は。

昭和が、戦後が、また一つ消えていった。そして私の青春のかけらも・・・。

まだ彼女の歌を必要とする時代なのに・・・。

合掌 ・・・・。

絶唱YOUTUBEは、朝日のあたる家、そして夜が明けたら、  かもめ」 
 

b0102572_22473875

 

 

 

パイオニア・加藤和彦死す・・・

TAGS: None

加藤和彦氏が軽井沢のホテルで自殺したと報じている。1947年生まれ、62歳、まさに団塊の世代。京都出身、1965年龍谷大学中に北山修氏、橋田宣彦氏らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」結成、その後のフォークソング・ブーム、アマチュア・バンドのプロデビューの先駆けとなった。早回しなんて誰も思いつかなかった手法で録音された、奇妙でコミカルな「帰って来たヨッパライ」は280万枚を超える大ヒット。「イムジン河」は政治的思惑で発売中止、かわりに発表された「悲しくてやりきれない」が大ヒット。「サディスティック・ミカ・バンド」による日本バンドの本格的海外コンサート・ツアーで高い評価。作詞家「安井かずみ」さんと結婚、その夫婦の新しいライフ・スタイルは世代を超えて共感を呼んだ。映画音楽、スーパー歌舞伎への新たな取り組み。再結成した「サディスティック・ミカ・バンド」で「木村カエラ」をブレイクさせた。・・・・・・・
彼の軌跡は、まさしく「先駆者、パイオニア」と呼ぶにふさわしい。

加藤氏が北山氏にいった言葉。「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」。

音楽やレコードというものは音楽会社・レコード会社がプロデュースするもの、作詞・作曲はえらい先生が作ったものをありがたく頂くもの、歌手になるためには、有名歌手や作曲家に弟子入りし、下積みから出発するもの、素人(アマチュア)のバンドの自作自演なんてヒットするはずがない ・・・・。そんな既成概念やルールや業界常識をすべて破ってくれたのが「加藤和彦」である。62歳での死はいかにも惜しい。まだまだブレイクすべき活躍の場はあったはず。一体何が彼をそうさせたのだろうか・・・。

「団塊の世代は、後輩世代に何にも残してくれなかった」なんて、「甘ったれ」をいう人がいるが、旧世代支配をなかなか乗越えられない政治や企業の世界ならいざ知らず、音楽の世界では加藤が残してきた軌跡をみれば、一目瞭然である。

合掌 ・・・・・。

澤田研二、谷村新司、小田和正、矢沢永吉、井上陽水、吉田拓郎、北野武、松田優作、つかこうへい、ヒロ・ヤマガタ、村上春樹、そして鳩山由紀夫もみんな彼と同じ「団塊の世代」。

今宵もオリオン座付近に大流星群がみられるという・・・。



© 2009 JAZZYな生活. All Rights Reserved.

This blog is powered by the Wordpress platform and to just Go Beach Rental.