JAZZYな生活

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エディ・ヒギンズ氏逝く・・・

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今日CDショップへよったら、こんな訃報が貼ってあった。思わず絶句・・・。

『ヴィーナス・レコードへの数多くの吹き込みで幅広い音楽愛好家に人気のジャズ・ピアニスト「エディ・ヒギンズ」氏 (1932~ ) が2009年8月31日にフロリダ州フォート・ローダーデールにあるホリー・クロス病院で癌により死去されました。享年77歳でした。』

エディ・ヒギンズ。彼のピアノからJAZZの世界、ピアノトリオに導かれた人は多いと思うし、私もコンボ一辺倒から、JAZZピアノの世界に誘われた一人である。甘すぎるという批判もあるが、彼は、年をとって渋みも加わり、その甘さ加減が私にとってはたまらないものになってきた。ヒギンズ節に安心して身を任せられる。だからずいぶんと聴いたし、相当数の彼のアルバムも持っている。
「ビル・エバンス」などとは違って、JAZZ界に偉大な足跡を残したピアニストというわけではないが、「ヒギンズ節」とよばれる肩の凝らないロマンティシズム、リリシズムに彩られた優しい音色、聴くとなぜかほっとして、嬉しくなるピアノであったと思う。わたしは大好きであった・・・・。

私が最後に聴いたアルバムは、これが遺作になったかもしれない、ヒギンズにしては珍しい最新のオリジナル曲集「ポートレイト・オブ・ラブ」。

ポートレイト・オブ・ラブ

エディ・ヒギンズ・トリオ / ヴィーナスレコード


そして私をジャズ・ピアノの世界へ誘ってくれた最初に聴いたアルバムは、タイトルもその名の通り、スタンダード集「Bewitched/魅惑のとりこ」。

魅惑のとりこ
エディ・ヒギンズ・トリオ / / ヴィーナス・レコード
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ありがとう、エディ・ヒギンズ。  合掌・・・・・。

クリス・コナーさん逝く ・・・

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8月29日、癌のため米国ニュージャージー州で、女性Jazz歌手「クリス・コナー」さんが、81歳で亡くなったと新聞が報じている。スタン・ケントン楽団出身で、同じ楽団出身の「ジューン・クリスティ」、「アニタ・オデイ」とならんで、50~60年代にかけて活躍した。恋に焦がれるおんな心をハスキー・ヴォイスで切々と歌って人気を博した。

なんといっても、一世を風靡した代表作は、「バードランドの子守唄」。それと、JAZZスタンダードの歴史を俯瞰することのできるガーシュインの名曲に迫った大作アルバム「ガーシュイン・ソングブック」の2作をもって、御霊に献じることにしよう。

「バードランドの子守唄」は、白人女性JAZZヴォーカルの歴史的名盤といわれている。タイトル曲は「ジョージ・シアリング」が、「チャーリー・パーカー」の愛称「バード」に由来する、ジャズ・クラブ「バードランド」をテーマに作曲したナンバーだが、リリース当時のクリスは20代半ばで、その歌声は楚々としていて初々しく、小粋なスイング感に溢れていたが、そのイメージとは違って、アルバム・ジャケットのみっともないほどの大口写真にびっくりしたこともなつかしい。

合掌 ・・・・。

バードランドの子守唄

クリス・コナー / EMIミュージック・ジャパン

ガーシュイン・ソングブック(+4)(紙ジャケット仕様)

クリス・コナー / ワーナーミュージック・ジャパン

エレキ・ギターの父 レス・ポール逝く・・

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フェンダー社の「ストラトキャスター」と並び世界中のプロやアマチュアのギタリストが愛用しているギブソン社のエレキ・ギター「レスポール・モデル」の米国人開発者、「レス・ポール/Les Paul 」氏が13日、ニューヨーク州の病院で肺炎のため死去した。

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「レス・ポール」氏は13歳で演奏を始め、ギタリストとして活躍する一方、1930年代後半から独自のギター作りに取り組んだ。従来のアーコースティック・タイプの木製ボディーを通した音の響きに納得せず、弦の振動がそのまま増幅される構造にこだわって新しいソリッドタイプのエレキギターを開発した。ギブソン社が1952年から販売している「レスポール・モデル」は、世界中の有名ギタリストに多数愛用され、世界の音楽界に大きな影響を与えた。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ氏は「彼の仕事と才能には、想像できないほどの恩恵を受けている」との哀悼の言葉を寄せたという。

一方ギタリスト、歌手としても有名で、録音技術がまだ進歩していなかった1948年、世界初のオーバーダビング・レコーディング技術で作られた「Lover/Brazil」をリリースして、あっといわせた。1949年、メリー・フォードと3度目の結婚をし、「Les Paul & Mary Ford At Home」というTVショーは7年も続くほど好評を得、彼女とのデュオ「How High the Moon」、「ヴァイヤ・コン・ディオス/Vaya Con Dios」は世界的にヒットした。しかし50年代半ばからロックン・ロールが爆発的に普及し、彼は徐々に人気を失っていった。しかし世界のロック・ギタリストは彼のことを忘れてはいなかった。2005年、6月9日に90歳を迎えたレスを祝し、オムニバス・アルバム「レスポール・アンド・フレンズ/AMERICA MADE WORLD PLAYED」が作られた。参加メンバーは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、キース・リチャーズ、スティング、等々のビッグネームである。
そんな再評価のなか、2007年、レスポールの経歴を描くドキュメンタリー映画「レス・ポールの伝説」も公開され、話題をよんだが、惜しくも2009年8月13日、肺炎によりニューヨークの病院にて94歳で死去。

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「Les Paul & Mary Ford Show」でメリー・フォードとデュエットで歌う「World Is Waiting For The Sunrise /世界は日の出を待っている」のYOUTUBEはここ
そのギターテクニックの見事さ、あの弾ける音の懐かしさが甦る。

「ベンチャーズ」も「ビートルズ」も「ローリング・ストーンズ」も「クラプトン」も、「ウェス・モンゴメリー」も「パット・メセニー」も、「レス・ポール」が、もしもソリッドタイプのエレキギターを開発していなければ、存在していなかったかもしれない。そして私も学生バンドを組んだりしなかったかもしれない。間接的に私の人生に大きな影響を与えた人物が逝った。

合掌・・・・・・。

ベスト・オブ・レス・ポール&メリー・フォード 90歳バースディ 記念エディション

レス・ポール&メリー・フォード / EMIミュージック・ジャパン


AMERICA MADE WORLD PLAYED(CCCD)

レス・ポール&フレンズ / EMIミュージック・ジャパン


レス・ポールの伝説 コレクターズ・エディション [DVD]

ポニーキャニオン

ロック魂は消えず・・・ 「忌野清志郎」逝く

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20090503-00000001-jijp-soci-view-000.jpg(写真;時事通信より)

忌野清志郎(いまわの・きよしろう)氏が逝った。享年58歳。東京生まれ。68年に中学校の同級生らと結成したRCサクセションの中心メンバーとして活躍した。70年にデビュー、82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。
06年7月に喉頭がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。歌手であり続けるために、喉頭がんの摘出を拒否したことが早逝につながったのかも知れない。「本名・栗原清志」。芸名からしてロッカー魂に満ちていた・・・。

音楽評論家、田家秀樹さんは、「日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。」と語る。(参照Yahoo! News)

私は、その生き様には共感していたが、彼の音楽にあまり惹かれることはなかった。しかし1枚だけCDを持っている。「明日なき世界」、「風に吹かれて」 、「ラヴ・ミー・テンダー」 、「黒くぬれ!」 「サン・トワ・マ・ミー」 、「イマジン」・・・など、往年の名曲に、忌野が全編あらたな日本語の意訳詩をつけ、反戦・反核のメッセージ・ソングとしたカバーアルバム「COVERS」である。当時「RCサクセッション」が所属していた「東芝EMIレコード」は、原子力発電システムを事業にしている親会社に気兼ねをして、このアルバムを発売停止にしたため、別のレーベルから発売になったという当時話題になったアルバムでもある。オリジナルの発売は1988年8月15日、約20年を経て、デジタル・リマスターとして再発売されたが、「黒くぬれ!」、「マネー」など、今聴いても強い、まったく色褪せないメッセージ力を持つ意訳詩である。最後の「イマジン」は、この歌の本質をついた忌野の訳詩で最高の盛り上がりをみせる。高校の同級生の三浦友和や、ちわきまゆみ、坂本冬美などがバックコーラスとして参加しているのも見逃せない。

これぞロックの本質。世界中で、日本で閉塞感とイライラが増幅しつつある今の時代にこそ聴いてみたくなる1枚。最近、こんな強烈なスパイスと体臭をもつアルバムがなくなった。もっと世に出てきてもいいと思うが・・。このところ「癒しのJAZZ」に偏りがちな私にも「喝!」をいれる必要があるかもしれないなあ~。

カバーズ
RCサクセション / / ユニバーサルJ
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自分の道を貫いた「忌野清志郎」は逝った。数少ない真の日本のロッカーであった。
合掌・・・・。

買ったまま、本棚に積んである本を連休に読んでみようと思う。中山康樹著「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」(幻冬舎新書)。かっての全盛期を決して超えることは出来ないが、それでもなお、現役として新しい曲を書き、前進を続ける、ミック・ジャガー、エリック・バートン、ポール・マッカートニーなど14人の「年老いたロッカー」の生き様は、未来へのある指針を示しているという。

ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか (幻冬舎新書)

中山 康樹 / 幻冬舎

わが愛しのロリータ・ボイス ~さようなら、ブロッサム・ディアリー~

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キュートなウィスパリング・ヴォイスで人気のシンガー、ピアニスト、「ブロッサム・ディアリー」が2月7日にマンハッタンの自宅にて亡くなりました。享年82歳。

かって我が愛しのミューズの一人だった「ブロッサム・ディアリー」。「ジャネット・サイデル」、「ステイシー・ケント」、「ダイアナ・クラール」に続いてのミューズでした。ちなみに5人目は日本人枠と言うことで、暫定的に「伊藤君子」がなっています。しかし、ブロッサムは、お年のためコンテンポラリーな歌手活動をしていないこともあって、「カサンドラ・ウィルソン」に代わってもらった経緯があります。

1926年4月28日ニューヨーク州イースト・ダーハム生まれ。一時フランスに渡り活動、その後の活動は、米国とヨーロッパで行なっており、N.Y.で自らダフォディル・レーベルを設立するなどの意欲的な活動をした。

ピアノ弾き語りの女性ボーカルというスタイルの先駆者。そして「風邪をひいたような声」と称された、いまではウィスパリング・ボイス、或いはロリータ・ボイスとよばれる「鼻にかかったような甘い声」の歌唱スタイルの先駆者でもある。こんな声で歌う女の子が近くにいれば、私はたちまち胸キュンになってしまっただろう。ちなみに、「ブロッサム」と言う名前、本名で彼女が生まれたとき、お兄さんが父親のもとへ満開の桃の花を持ってきたことにちなんでなづけられたとか。ちょっといいエピソードですね。

頬杖をつく愛らしい姿が似合う彼女らしいジャケットも小粋な、1958年録音のアルバム。彼女のささやくような胸キュンボイスでうたう歌が粋なジャズを作り上げる。

ワンス・アポン・ア・サマータイム

ブロッサム・ディアリー / ユニバーサル ミュージック クラシック


メガネを掛けたディアリーは小学校の先生のようだが、声は、一聴してすぐ彼女と分かるロリータ・ボイス。ジャズの名門レーベル・ヴァーヴに残した名盤である。

ブロッサム・ディアリー+3

ブロッサム・ディアリー / ユニバーサル ミュージック クラシック


これから、「ブロッサム」を聞いてみようという方には、29曲収録された次のベスト盤がおすすめ。スタンダードのほか、ボサノバなども収録されています。「Yesterday When I Was Young」、「Tea For Two」など胸キュン・ボイスの本領発揮のアルバム。

ブロッサム・ディアリー・フォー・カフェ・アプレミディ

ブロッサム・ディアリー / ユニバーサル ミュージック クラシック


そしてブロッサム同様、ピアノを弾き語り歌う、我がミューズ「ジャネット・サイデル」がブロッサムに捧げたアルバムを献じ、わが永遠の名誉ミューズとしようではないか。
さようなら、ブロッサム・ディアリー・・・・。

ディア・ブロッサム

ジャネット・サイデル / インディペンデントレーベル

「クラウス・ヴァイス」急逝の報に接して・・・

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澤野工房のHPを観ていたら、信じられないニュースが眼に入った。ドイツを代表するJAZZドラマーであり、澤野レーベルの重鎮アーティストでもある「クラウス・ヴァイス」が急逝したという。

「ロバート・ラカトシュ」や「ティティアン・ヨースト」を世に送り出し、自身も最新アルバムを出したばかりである。なんという・・・。
7月のロバート・ラカトシュのコンサートでは、サインをもらい、握手をしてもらったばかりなのに・・・。決して派手ではないが、その職人的なドラミングや英語の出来ないラカトシュの代わりにMCを務めたその人柄が眼に浮かぶ。

澤野からの逝去の報を告げるHPはこちらをクリックしてください。

そして、かれのリーダー・アルバム「GREENSLEEVES」をもって哀悼の意を表しよう。

004_s.jpg
AS004
GREENSLEEVES
クラウス・ヴァイス・トリオ

合掌・・・・・・。

フレディ・ハバードを悼む・・・

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年明け最初に飛び込んできた訃報・・・。

ジャズ・トランペット奏者のフレディ・ハバード氏が29日、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外の病院で亡くなった。70歳。約1カ月前に心臓発作を起こして入院中だった。

インディアナ州インディアナポリス生まれ。1950年代後半にニューヨークに移り、60年代半ばまでにアート・ブレイキーやオリバー・ネルソン、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターらと共演。1972年にグラミー賞を受賞した。

作品としては、サイドメンとして参加した、ハービー・ハンコックの「処女航海」(1965)が最も有名であろうが、リーダー作としては、1970年ころが最も脂ののった時期、その飛ぶ鳥を落とす勢いの「フレディ・ハバード」がCTIに残したのが「レッド・クレイ」が代表作。ジョー・ヘンダーソン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、レニー・ホワ イトと、まさに文字通りのオールスターキャストでの1970年の録音の火の玉ソロのかっこよさ。

レッド・クレイ

フレディ・ハバード / キングレコード

そして、私が最初に聴いたビル・エバンスの「インタープレイ」で始めてF.ハバードの名を知ったが、そのときは、エバンスよりハバードのトランペットのかっこよさの印象の方が強かったことを覚えている。

インタープレイ+1

ビル・エヴァンス / ユニバーサル ミュージック クラシック

合掌・・・・・・・。

追悼 阿部克自さん

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新聞の追悼欄で阿部克自さんが9月17日になくなっていたことを知った。1930年東京生まれ。ジャズを深く愛した写真家。彼の作品に深く触れることは無かったが、JAZZメンの一瞬を刻みとる有名な写真家であるということは知っていた。もともと早稲田大学時代からJAZZギタリストとして活躍したが、その後ジャズ写真家に転向し、自ら撮影したジャズ・ミュージシャンのアルバム・デザインもこなした。イラストも得意でデザインを手がけたレコードは7000を超すという。

ジャズメンの息づかいが伝わってくる「ジャズ・クローム」と呼ばれる独自の焼付け処理によるその写真は、日本よりも海外のアーティスト達に有名で「K.ABE」の名前は広く知られ、エリントン、ゲッツ、ロリンズらJAZZの巨匠達とも親交をむすんだという。一瞬の静止画にどう音楽を語らせるのか?技法だけでなく、私生活にわたるミュージシャンとの心の交流が、彼の撮った静止画に音を奏でさせているのだろう。

2005年には、日本人で始めてミルト・ヒントン賞を受賞した。

私の持っているアルバムの中にも彼の作品があるであろうが、残念ながら把握できていない。唯一、静かに語りかけるようなバラード・スタイルで日本でもいまだ人気が高い、いまは亡きアン・バートンが1977年に3度目の来日を果たした際、日本人JAZZメンらと録音したアルバム「雨の日と月曜日は」のジャケットは彼の作品。その写真、デザインによって偲ぶのみである。

雨の日と月曜日
アン・バートン / / キングレコード
ISBN : B00000JAWL
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享年 78歳。
合掌・・・・・・・・。

彼の作品の一部はWEBサイト「http://abesun.com/」で見ることが出来る。また、ゆかりの人たちによる追悼記事「追悼 阿部克自 K.Abe」もサイトで見ることが出来る。

ミルト・ヒントン賞;ジャズ写真の功績を称えるアワードとして、1993年創設。阿部氏が受賞した第6回ついてはWEBサイト参照。

もう戻らない低音の魅力   ~フランク永井さん逝く~

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歌手「フランク永井」氏が逝った。1932年3月18日生まれ、2008年10月27日没、享年76歳。JAZZの薫りがする日本のムード歌謡のNo1歌手であった。独特の低音は、多くの人を魅了し、歌謡界に多くの軌跡を残した。彼を形容する「低音の魅力」という言葉は、もう日本語として定着した慣用句でさえあった。

「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」などの数多くのヒット曲で知られるているが、永井さんは米軍キャンプのクラブ歌手を経て54年に日本ビクターと契約。55年「恋人よわれに帰れ(Lover Come Back To Me)」でデビューした。デビュー当時はジャズだったが、歌手の故ディック・ミネさんや作曲家の故吉田正さんと出会いムード歌謡に転身した。57年、有楽町そごう(当時)のキャンペーンソングとなった「有楽町で逢いましょう」が大ヒット。低音ブームを巻き起こし、トップ歌手へと飛躍した。59年には故・松尾和子さんとデュエットした「東京ナイト・クラブ」が大ヒットし、カラオケ・デュエット曲の定番として現在も歌い継がれている。いずれも都会的な感覚とJAZZ的なムードが横溢する二人のこの歌が、吉田正氏のメロディとともに、戦後の日本人の歌の好みやセンスに大きく影響を与えたのでは間違いないだろう。
松尾和子さんも出発点はJAZZ歌手であった。これで、JAZZを出発点とし、日本の歌謡界に「ムード歌謡」というカテゴリーを築いた二大歌手がいずれもなくなってしまった。また一つ昭和の歌謡が忘れられていく・・・。

合掌・・・・・・・・・。

彼のJAZZ的素養は、JAZZスタンダードやPOPSでちりばめられた「RE-MASTER VOICE フランク永井II」 、「RE-MASTER VOICE フランク永井」のアルバムで偲ぶことが出来よう。

RE-MASTER VOICE フランク永井II
フランク永井 / / ビクターエンタテインメント
ISBN : B00006HBNQ
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RE-MASTER VOICE フランク永井
フランク永井 / / ビクターエンタテインメント
ISBN : B000060NM4
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もう聴くことができない・・・

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「越智順子」。7月27日死去。43歳。

まだ2001年(平成13年)に36歳でメジャー・デビューしたばかり。日本のゴスペル・ジャズ・シンガーで、7年間の短い活動であったが、関西を中心にしたジャズ・シーンでは有名な存在であった。同じ関西出身の遅咲きのおばはんJAZZシンガー「綾戸智恵」の陰に隠れている感じは否めないが、綾戸とはまったく歌い方で、目指す方向もまったく違うJAZZシンガー。ただし「関西おばはん歌手」という綾戸同様の気さくな雰囲気は、ジャケットの写真から窺える。これからというときに惜しいミュージシャンをなくした。活動の証として4枚のCDを出しているが、私の持っているのはメジャー・デビュー・アルバム「JESSE」。スタンダードの「バイ・バイ・ブラックバード」、スティングの「シェイプ・オブ・マイ・ハート」、キャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」など、ジャズ、ポピュラーを織りまぜて、日本人離れした歌唱力で聴かせてくれる。「Everything Must Change」、ジャニス・イアンの「JESSE」は心に刻まれる名唱。ボーダーレスの大型実力派シンガーの誕生と期待していただけに残念。

JESSE
越智順子 / / ヴィレッジ・レコード
ISBN : B00005Q8DG
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「ジョー・スタッフォード」。1920年生まれ。7月16日、L.A.の自宅にて死去。90歳。
ポピュラー音楽出身の彼女の名を一躍不動のものにした最高傑作、幻の名盤といわれていたが、1986年に復刻された、このアルバム「ジョー・プラス・ジャズ」。スイングジャーナル選定のゴールドディスクにも選ばれている一枚。気品と透明感のある声で、白人女性ジャズシンガーの描く一つの世界である。

ジョー・プラス・ジャズ
ジョー・スタッフォード / / ソニーレコード
ISBN : B00005GB6M
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合掌・・・・・・・。



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