JAZZYな生活

プレミアムエイジ ジョインブログ

続・Soul Food を食べる

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実を言えば、私は食い物に多少好き嫌いがある方である。しかし、元来、好奇心の方が強いため、本当はソウル・フードかどうかは分からないが、海外出張の折には、そのように思える実にいろいろなものを喰った。まずアメリカ。正直言って美味いものはほとんどなく、有名なステーキやクラブ、ロブスターの店も訪れたことがあったが、日本のそれらの旨さとは比べ物にならない味であったことを正直に言わねばなるまい。「美味い」と記憶に残っているのは、ニューオリンズのオイスターとガンボ、テキサスのバッファロー・ウィングくらい、これは多分「ソウル・フード」でしょう。そうそう、世界中どこへ行ってもチェーン店があって、食べることができるハンバーガー、これも米国人にとってのソウル・フードといっていいでしょう。
 
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取澄ましたフランス料理などは、ソウル・フードには値しないかもしれないが、フランスにももちろん家庭料理は沢山あるはずである。そして、ドイツならば、ソーセージ、ザウワー(酢漬け)、レバー・ペーストなどは間違いなくその範疇に入るでしょうし、。スエーデンでは、北海から揚がる魚介類をふんだんに使った、体が芯から温まる熱々の海鮮ブイヤベースなどはまさにソウル・フードといっていいでしょう。

美味い物がないといわれるイギリスでさえ、仔牛のステーキやスペア・リブは絶品で、あの狂牛病騒ぎの最中でも、お構いなしに食っていましたね。そして、タラやカレイ、オヒョウなどの白身魚の切り身に衣をつけて油で揚げたものに、ジャガイモを細い棒状に切って揚げたチップスを添えた「フィッシュ・アンド・チップス」。これはもうソウル・フードの資格十分でしょう。イタリアのパスタ、スペインのパエリアなどは言うに及ばずです。

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そして中国。上海、北京、広東、四川 ・・・、いろいろな料理がある広大な国、そのどれもがソウルフードでしょう。地方の出身者、例えば四川の出身者はあの黄色の辛いスープや「麻婆豆腐」が一番だという。しかし、上海蟹・北京ダックなどは高級料理すぎて、ソウル・フードではないようでな気がする。南の方はよくわからないが、一般に中国人のソウル・フードといえば、餃子ではないだろうか。水餃子であるが、中国では、慶事の時には餃子を食べる習慣があり、今でも旧正月・春節の前の日は、家族総出で餃子を作るという。私が北京に行った時には、必ずと言っていいほど訪れるのが「天津百餃園」。200種類以上の餃子が食べられることで有名な餃子の専門のレストラン。筍やレンコン、しいたけ、豚肉、海老などどれも美味いが、なかでも一番のおおすすめが蟹味噌の餃子。あの口の中に拡がる濃厚な味。一度食べたら病み付きとなり、北京に行けば必ず訪れるようになってしまった。たらふく食って飲んでも、100元くらいで収まるという安さ。

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私には、自分のソウル・フードである故郷の名産「イナゴの佃煮」を上司に土産に持って行って、大変嫌な顔をされたという失敗談がある。本人にとってはソウル・フードでも、一つ間違うと他人には「ゲテモノ」となってしまうのである。ソウル・フードかどうかはわからないが、日本では間違いなく「ゲテモノ」の範疇に入る食材や料理が多くあるのは中国であろう。北京一番の繁華街「王府井(わんふうちん)」の路地でも、串に刺したサソリの黒焼きやヒトデの唐揚げを普通に売っていましたし、大連では大きな赤ナマコを茹でたものを食した経験があります。

「四足ならば机以外、飛んでいるものは飛行機以外何でも食べる」と言われているのが広州である。「食は広州に在り」といわれる由縁である。そこの野生動物市場としてよく知られる「白雲市場」を訪れたことがある。だだっぴろい市場に、ネズミ、ネコ、犬、センザンコウ、ハト、ハクビシンなどの肉がずらっと吊るされているのを観た時は気持ち悪いのを通り越して、一種壮観というか、中国人の「食」に対する執念を感じましたね。私は経験がありませんが、熊の手、猿の脳味噌をすすめられた知人もいました。こうなると「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」の世界。私はせいぜい蛇、タガメの唐揚げ、スッポンぐらいでしたか ・・・。それにしても、チャイナドレスのびっくりするような美女が、店員が持ってきた籠の中に蠢いている大きな蛇を指して「おいしそう、これにするわ」などとのたまわっている様を観たときには本当にのけぞりました。北の方でも瀋陽から大連へ向かう列車、彼らが中身を教えずに持たせてくれたのは「犬肉弁当」でありました。どうも犬を食することはそう珍しいことではないらしく、結構いける味でした。

まっ、食欲の秋にふさわしい話題になりましたかどうか ・・・。

ずばり「Soul Food Cafe」という曲があります。フュージョン・ギタリスト「D・T・ウォーカー/David T.Walker」の曲。彼が「ジョー・サンプル/Joe Sample」と組んで出したアルバムのタイトルが「Soul Food Cafe」。曲もウォーカーの自作曲のほか、「The Preacher」、「男が女を愛する時」、「Got My Mojo Workin’」などファンキー色ムンムンの演奏で、「ソウル・フード」を腹一杯喰った気分。 

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SOUL FOOD CAFE

ジョー・サンプル デイビッド・T・ウォーカー / ビクターエンタテインメント


 

残念ながら、この演奏がYOUTUBEには見当たらないので、ウォーカーが2007年、来日の際のライブ盤からお聴きください。DVDが出ているようです。

「David T. Walker – Soul Food Cafe (Live)」。DVD “Live in Tokyo At Cotton Club”(2007)。
David T. Walker (Guitar)、Byron Miller (Bass)、Clarence McDonald (Piano/Keyboards)、Ndugu Chancler (Drums)。

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My Last Song

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NHK-BSプレミアム「旅のチカラ」。タイトルは、「My Last Song を探して」。4回の癌との闘いを乗り越え、いま71歳になったキャスター「鳥越俊太郎」氏の旅であった。彼は学生時代に「オスカー・ピーターソン/Oscar Peterson」に魅せられて以来のJAZZファンだという。「自分が死ぬときに流れていて欲しい音楽」、すなわち、彼にとっての「My Last Song」を探したいという思いが強くなった彼は、JAZZの聖地、「ニューオリンズ」と「ニューヨーク」への旅を始める。そのドキュメンタリーであった。「My Last Song」を見つけたいというその思いは、私にも強くあるので大変興味深く観た。

ニューオリンズで鳥越氏は、映画などでよく見かける葬列と一緒に行進するデキシーランド・マーチ・バンドを聴いたり、フランス風の建物が建並ぶ繁華街、「フレンチ・クオーター」のメイン・ストリートである「バーボン・ストリート」に、何十軒と軒を連ねるJAZZのライブ・ハウスも訪ねてみる。さらに、2005年、ニューオリンズを襲ったハリケーン「カトリーナ」が、壊滅的な被害をもたらした黒人居住区の教会も訪ねてみるが、これぞという決定的な曲は、やはり見つからない。しかし、その教会の牧師が言ったこんな言葉が彼の胸に残る。「もっとも大事なことは、人生最後のラスト1マイルをどう生きるかだ」。結局、感じた曲はあったが、決定的な運命の曲といえるものは見つからず、ニューヨークへと旅立つことになる。結果的には、NYでも見つからず、鳥越氏の探す旅は終わらなかった。

私のラスト・ソングは?って。 有力な候補はいくつかあるが、いまだ決定はしておらず、鳥越氏と同じように、探し求めつづけている途中である。多分結局のところ見つからず、人生の本当の最後の瞬間に、今までに聴いた膨大な曲の中から一曲が、脳裏に思い浮かぶのかもしれない。JAZZではなく、童謡や歌謡曲だったりすることも十分にありうる。きっと、「探し求めつづける」、そのことに大きな意義があるのかもしれないとも思う。そして、私は最後の1マイルをどう生きているのであろうか?これには答えを出さなくてはいけないのだが ・・・。

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私がニューオリンズを訪れたのは、2003年9月。そのときも大型のハリケーンが接近し、予定を早めて、ニューヨークへ移動したことがあったので、鳥越氏と重なったような、私のニュー・オリンズへの旅を思い出した。その時訪れたいくつかの場所もTV画面に登場し、懐かしかった。例えば、プリザベーション・ホール。フレンチクォーターの一角にある、ニューオリンズ最古の建物のひとつで、伝統的なディキシーランド・スタイルのジャズを演奏するライブ・ハウス。確か入場料$10であったが、小屋が小さく、入場するのに列を作って並ばねばならなかったことを覚えている。

もうひとつの名物は、「オイスター」と、中にエビ、貝、チキン、ソーセージなどと米が入ったブイヤベースの一種で「ケイジャン料理」である「ガンボ/Gumbo」。有名な専門レストラン「Acme Oyster House」も開店前に行列に並ばねばならなかったが、その味は抜群に美味かった。

ニューオリンズにまつわる曲といえば、やはり「バーボン・ストリートの月/Moon Over Bourbon Street」であろうか。「スティング/Sting」のヒット曲である。この歌を聴くと、南部特有のまとわりつくようなヒートウェイヴ(熱波)のなか、バーボン・ストリートのライブハウスの片隅で、JAZZと酔っ払いの喧騒に身を委ね、バーボンを飲んでいた自分が目に浮かぶ。ちょっぴりメランコリーで悲しい歌。

オリジナルは、「スティング」がJAZZ的アプローチを試みたアルバム「ブルー・タートルの夢」に収録されているが、2001年9月11日、NY同時多発テロの当日イタリアのトスカーナ地方の自宅でのライブの収録盤「・・・オール・ディス・タイム」の方が、JAZZフレーバーの強いアレンジなので、私はこのバージョンの方が好きである。「スティング」のボーカルと絡むように歌うトランペットは「クリス・ボッティ/Chris Botti」。

ブルー・タートルの夢

スティング / ユニバーサル インターナショナル


 

・・・オール・ディス・タイム

スティング / ユニバーサル インターナショナル

「Sting – Moon Over Bourbon Street (Live in Toscana – 2001)」

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憂鬱なビール

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いよいよ10月になりましたね。10月と聞いて思い出すのは、「オクトーバーフェスト/Oktoberfest(10月の収穫祭)」。以前勤めていた会社のヨーロッパの拠点がミュンヘン近郊にあったので、欧州にあった子会社への出張などの際、報告にたびたび訪れた街である。いわゆるバイエルン地方の中心地で、テクノロジーの分野では多分世界最大規模のドイツ博物館、ドイツ最大の仕掛け時計がある1909年完成の市庁舎、またBMWの本社もあり、ナチス党の発祥の地、初期の拠点でもあったという歴史も持つ。

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毎年9月半ばから10月上旬にかけて、ミュンヘン郊外の、東京ドーム9個分の広さがあるという広大な緑地「テレージエンヴィーゼ/Theresienwiese(テレーゼの緑地)」で「オクトーバーフェスト」が開催される。祭りのメインはなんと言ってもビールで、新しいビールの醸造シーズンを祝って、なんと1810年以来、200年も続いて開催されているという。世界各国から毎年600万人以上の人が会場を訪れるというから、世界最大級のお祭りといっていい。もちろん、当然のようにわたしも連れていかれましたね。

冒頭の写真は会場に仮設されたビール・テント(Festhalle/フェストハレ)の中である。ちょっとしたアリーナほどはあろうテントの中は、向こうは見えないほどの巨大さで、こんなのがいくつも建っていて、まさに日本でいえば、巨大ビアガーデン。それこそ中では、見知らぬもの同志でも、すぐに打ち解けて、どんちゃん騒ぎ・大宴会状態である。

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わたしも元来ビールもいける口。ミュンヘン名物ホワイト・ソーセージやザウワー(酢漬け)、ポテトなどをほう張りながら、2リットルジョッキーを飲み干すのである。中国の白酒(パイチュウ)もきつかったが、ここはその量が半端でない。そのきつさにさすがの私も参ってしまったことを覚えている。

そして、ドイツの女性は力持ち。ジョッキーの7,8個ぐらいはいとも簡単に持ち運ぶ。一般的には、自動開閉でない列車のドアやホテルやレストランなどの大きくて重いドアを、おばさんや若い女性にあけてもらって、ちょっと恥ずかしい思いをしたことが何度もある。今宵の食卓、ミュンヘンでのあの10月の日の思い出が、ビールとともによみがえる。(写真はいずれもWikipediaより) 

財政破綻をしたギリシャの救済、そしてユーロ、EUの安定を図るため、必死になってギリシャを救おうとしているドイツ政府。しかし、国民の間でも反対論が相当あるという。今年のオクトーバーフェストで飲むビール、いつもの年よりは苦く、憂鬱なビールになるかもしれない。そして日本、夏の祭りもそうだったが、これから迎える「秋祭り」もきっとどこか手放しでは楽しめないだろう。しかし、例年どおり、「丹波篠山味祭り」へ出かけ、今年も心待ちにしている親せき友人へ、最高のビールの友、「黒豆の枝豆」を発送する日が近づいてきた。

10月に縁のある歌、「When October Goes」。アルバム、「2:00AM PARADISE CAFE」に収録された「バリー・マニロウ/Barry Manilow」のヒット曲である。バニロウの歌唱は以前の記事で紹介したので、ここでは「ナンシー・ウィルソン/Nancy Wilson」の歌唱を紹介しておこう。「ナンシー・ウィルソン」、1937年生まれ、74歳。70枚以上のアルバムをリリースし、3度のグラミー賞を受賞した大ベテラン、ジャズボーカルの大御所である。下記の動画は、2010年9月30日にシアトルのジャズクラブ「Jazz Alley」のライブである。74歳とは思えない堂々たる歌いっぷりもさることながら、多分夜も更けた小さなジャズクラブでの観客との軽妙なやり取り、そんなジャズクラブの楽しさ、雰囲気がよく出ている。

「Nancy Wilson ‐When October Goes」。

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欧州JAZZY紀行(14) ~ネアンデルタール渓谷で~

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(写真;ラミダス猿人「アルディ」の骨格化石と復元像)

「発見!ラミダス猿人 ~440万年前の人類~」。先日、NHK-Bsハイビジョンでこんな番組を放映していた。実は高校時代、考古学をちょっとかじった私としてはこんな番組にも関心があるのだ。アメリカの科学雑誌「サイエンス」が発表した2009年最大のニュースは、エチオピアで化石で発見され、復元された440万年前の猿人、「アルディピテクス・ラミダス/Ardipithecus ramidus/ラミダス猿人」のニュースであった。「ラミダス猿人」は、1992年12月にエチオピアのアファール低地で、東京大学の「諏訪元」教授らを中心とする国際調査チームによって発見され、チームによる大規模調査で百数十点の骨の化石がさらに発見され、その後15年という時間をかけて慎重に解析・復元が行われた。番組はその解析・復元のプロセスに密着取材したドキュメンタリー番組である。この猿人は発見された地層の分析から、約440万年前に生きていたことが判明、性別は女性と推定、愛称を「アルディ」と名づけられた。身長120センチで体重50キロ、脳の大きさは、チンパンジーよりやや小さめの300~350ccくらい。これは「ルーシー」の愛称で有名な「アウストラロピテクス/Australopithecus」から、人類の進化の系統樹をさらに100万年以上さかのぼることができるとされる。

復元された「アルディ」は、「ルーシー」より大きく、チンパンジーに近いが、チンパンジーとは大きく違う特徴を持っていた。それは、人類を他の動物と区別する、ある決定的な特徴、すなわち「直立二足歩行」ができることだった。しかも、その足はチンパンジーのように、枝を握ることができる形になっていた。すなわち樹上生活と直立二足歩行の両方ができたらしいのだ。現時点で人類最古の祖と考えられる「ラミダス猿人」はチンパンジーでもないヒトでもない新しい「種」だったのだ。彼らは森で暮らし、木登りをする一方で、二足歩行も可能だった。かくして、人類や他の類人猿はチンパンジーから進化したという定説は、「アルディ」の発見で、否定されることになった。いやあ、大いに知的好奇心を刺激される番組であった。(Wikipedia参照)

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この番組を見ながら、かってデュッセルドルフの東約15kmにある「ネアンデルタール博物館」を訪れたことを思い出した。エッセンで開催された展示会の帰り道、アウトバーン脇の「Neanderthal Museum」の標識に気がつき、もしやと思って降りてみたら、案の定「ネアンデルタール人」が発掘された谷に建てられた博物館であった。ネアンデルタール人の化石が見つかったのは1856年、ダーウィンの進化論、「種の起源」が発表される3年前のことである。場所はネアンデル谷にあった「フェルトホッファー洞窟」。実際にネアンデルタール人が発見された洞窟は、落盤か何かで完全に破壊されてしまったとのことで、ここの場所で発見されたわけではないようだ。

「ネアンデルタール人/ホモ・ネアンデルターレンシス/Homo neanderthalensis」は、約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種であり、我々現生人類である「ホモ・サピエンス/Homo sapiens」の最も近い近縁種とされている。かつて、ネアンデルタール人は、我々ホモ・サピエンスの祖先とする説があった。しかしながら、化石から得られたDNAの解析結果から、ネアンデルタール人は我々の直接の祖先ではなく別系統の人類であることがほぼ明らかになった。

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ドイツをはじめ北ヨーロッパには古い地層が残っているところが多く、ライン河やネッカ河などの何万年もの侵食によって、そこだけは深い谷や急峻な崖になっているところがある。ネアンデルタール渓谷もそんな一つのようだ。そして、そのような所から映画「ジュラシックパーク」の話の発端となった古代の蚊などが封入された琥珀やアンモナイトの化石などが多く採集されるという。写真は30年ほど前、ドイツ出張時、その幾何学模様の美しさに惹かれ、妻のために買い求めたアンモナイト?の化石を加工したイアリング。

そして映画は「マイケル・クライトン」の原作で、抜群のエンターテイメント性で大ヒットした「スティーヴン・スピルバーグ」監督「ジュラシック・パーク」(1993年)。

ジュラシック・パーク コレクターズ・エディション [DVD]  ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
  

ところで、話は飛ぶが、科学や技術の進歩・進化に比べ、この国の政治の進歩・進化は一体どうなってしまったのだろうか。「塩野七生」氏に、「国のあり方、政治のあり方、質の向上を古代ローマ帝国に学べ!」と諭されるようでは本当に情けないのだが ・・・・ 。

「北京原人」や「ネアンデルタール人」などはロマンを掻き立てるためかミステリーや冒険小説になりやすいようだ。「ネアンデルタール人」を題材にした冒険小説に、タイトルもズバリ「ネアンデルタール」がある。

古人類学者のマットとスーザンは、恩師がタジキスタンでの発掘中に行方不明となったとの連絡を受け、米国メリーランド州にある先史調査研究所に向かった。ふたりはそこで、25年前のネアンデルタール人の頭蓋骨を見せられ、恩師が今なお生息するというネアンデルタール人を追って行方不明になったことを知る。捜索に協力するふたりに、人類の起源をめぐる冒険がはじまる。

ネアンデルタール (ソニー・マガジンズ文庫)  ジョン ダーントン / ソニーマガジンズ

われわれの生活に欠かすことのできない音楽。この音楽は、いつごろ、どのようにして人類の歴史に誕生したのだろう。こんな疑問から出発した一冊のユニークな本がある。認知考古学の第一人者で、ヒトの心の進化を追究しつづける「スティーヴン・ミズン/Steven Mithen」著「歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化」である。

音楽は進化の過程でことばの副産物として誕生したというのが、これまでの定説であった。しかし、ミズンは、初期の人類はむしろ歌いながら会話をしていたはずだとし、彼らの音楽様のコミュニケーションを「Hmmmmm」と名づけ、絶滅した人類「ネアンデルタール」はじゅうぶんに発達した咽頭と大きな脳容量をもっているので、この「Hmmmmm」を使うのにふさわしい進化を遂げていたという。そして20万年前の地球に満ちていた彼らの歌声を再現する。狩りをし、異性を口説き、子どもをあやす時にも音楽様の会話をし、「太古の地球は音楽に満ちていた」という光景は、なかなか夢があって楽しそうではないか。

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化  スティーヴン ミズン / 早川書房


「猿人」をタイトルに持つJAZZといえば、もうこれしかない。「チャールス・ミンガス/直立猿人」。人間の進化をテーマにした4章からなるJAZZ叙事詩。

直立猿人  チャールス・ミンガス / Warner Music Japan =music=

デキシーランド~スイング~ビ・バップ~ハード・バップ~モード~フリー ・・・ と流れるJAZZの進化のなかでエポックメイキングなアルバムといえば、「マイルス・デイビス/Miles Davis」の「カインド・オブ・ブルー/Kind Of Blue」(1959年録音)があげられよう。マイルスはこのアルバムで、今日もJAZZの主流となっている演奏スタイルの「モード」という奏法を確立した。このアルバムには、その後も「モード」を追求し続けた「ビル・エヴァンス/Bill Evans」と「ジョン・コルトレーン/John Coltrane」というJAZZの二人の巨人も参加している。

カインド・オブ・ブルー+1  マイルス・デイビス / ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル 

 

 

 

欧州JAZZY紀行(13) ~ 狂気の跡 ~

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最近観た映画(DVD)に、「縞模様のパジャマの少年/The Boy In The Striped Pyjamas」という作品がある。「マーク・ハーマン」監督が、非道な戦争下における幼い少年の友情を描いたドラマ。第二次世界大戦下のドイツで、収容所長であるナチス将校の父の転勤により、田舎に引っ越した8歳のブルーノ。家の裏庭から奥の森へと探検に出たブルーノは、フェンスを発見し、その向こう側に住む同い年の少年シュムールと出会う。派手な戦闘シーンは出てこないが、戦争の悲惨さ、非道さがちゃんと伝わってくる佳作である。


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第2次世界大戦のユダヤ人のホロコーストの悲劇を描いた作品はいくつもあるが、最近では「戦場のピアニスト」、「シンドラーのリスト」などが記憶に残っている。

 

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こんなことを書きながら、ミュンヘンの近郊にある中世都市のダッハウ近くにある「ダッハウ強制収容所(Dachau)」跡を訪れたことを思い出した。ホロコーストの「強制収容所」といえば、ポーランドにある「アウシュヴィッツ収容所」が有名であるが、ダッハウ強制収容所は、ナチス党率いるドイツ最初の強制収容所であり、後に多く建てられた強制収容所のモデルとなったという。写真のように、鉄条網と監視塔でかこまれた広大な敷地には当時の建物が再現され、「管理部」とされていた横長い建物が現在は博物館となっている。入場料は無料であり、簡単な日本語の案内パンフも用意されていた。

ダッハウ強制収容所は、1933年3月にミュンヘン警察長官「ハインリヒ・ヒムラー」の命によって設置された。最初はユダヤ人のためというより、反ナチ派のための収容所であった。ナチス党結成の地のミュンヘン、バイエルン州でも大勢の反ナチ派が拘束されてダッハウ強制収容所へ送られていった。ドイツ国内にガス室を有する「絶滅収容所」の有無については論議となったが、ここでは、人体実験が行われていて、絶望、苦しみ、恐怖、反人権、狂気、目を背けたくなるような写真が多数展示されていた。収容所の記録資料によれば、1933年から1945年の間に20万6000人以上の被収容者数が記録されているという。

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館内にあるパネルを観ていると、ドイツ人が自ら行ったことを逃げずに直視し、真摯に反省、自戒しているのが伝わってくる。訪問する人たちも外国人よりもドイツ人の方が圧倒的に多いのも印象的であった。「和をもって貴し」とする日本、傷を抉り出して直視することを好まぬ国民性が、なにか危機に落ちいったときに、総括や反省をせずに玉虫色の解決で済ませてしまう。そんなことで世界の中でサバイバルしていけるのか、訪問した当時も、つくづく思ったものである。鉄柵に掲げられた「働けば自由になれる」という、囚人たちに期待をもたせるかのような、残酷なスローガンがくっきりと今も目に焼きついる。

余談であるが、「大変ご迷惑とご心配をおかけしたことを心からお詫び申し上げます。」 相撲協会がまた言っている。お詫びするのは、迷惑と心配をかけたことですか? 強い違和感がある。日本語を間違っているのだ。何か不祥事があるたびに、TVでこの文言を紋切り型のごとく繰り返し述べる責任者たち。きちんとケジメがつけられない日本社会、こんなところにも病巣が見て取れる。

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さて、「ドイツはヨーロッパにおけるJAZZアーティスト不毛地帯」と、かってこのブログに書いたこともあるほど、ドイツ出身アーティストの名を聞かない。そう思っているのは、私だけかもしれないが・・・。しかし、ドイツはJAZZに大きな貢献をしているのである。かの「ブルーノート・レコード(Blue Note Records)」の創始者「アルフレッド・ライオン/Alfred Lion」は、ベルリン生まれ、ドイツ人なのである。JAZZに少しでも興味のある人なら知らない人はないくらい有名なレーベル「ブルーノート」は、ダッハウ強制収容所がもっとも稼動していた時期、1939年ニューヨークで創設されたジャズのレコード・レーベルである。1950年代中期からは、レコーディング・エンジニアの「ルディ・ヴァン・ゲルダー(Rudy Van Gelder)」の手を介した録音、カメラマンの「フランシス・ウルフ(Francis Wolff)」、新進デザイナーの「リード・マイルス(Reid Miles)」が手がけた斬新なレコード・ジャケットを得て、1960年代中期までの最盛期に後世に残る傑作アルバムを数多く送り出した。なかでも2つのシリーズは特に有名で、生産されたレコードの番号から1500番台および4000番台と言われている。

「ブルーノート・レコード」のライオン氏はドイツ、そして、ブラック・ミュージック、R&Bの名門レーベル「チェス・レコード」の創始者「レナード・チェス」氏はポーランド移民と、新興国アメリカに根ざした新しい音楽、JAZZ、R&Bの普及の立役者がいずれもナチスが支配していたヨーロッパからの移民(多分ユダヤ系か?)であったことは、非常に興味深いことである。音楽をビジネスにするには、音楽に対する熱い情熱のほかに、有能なミュージシャンの発掘など彼らヨーロッパ人に一日の長があったということか ・・・。究極の人種差別政策を推し進めたナチス・ドイツ、それが結果的に黒人音楽であるJAZZ、R&Bをこれほどまでに世界に広めたとは皮肉な話である。

「危険な関係のブルース」で初めてJAZZに魅せられたのち、ブルーノート・レコードで最初に聴いたLPアルバムは、多分、人気の4000番台、「モーニン/Moanin’ 」、「ブルース・マーチ/Blues March」が収録されている「BLP 4003 Art Blakey And The Jazz Messengers – Moanin’」と、「クレオパトラの夢/Cleopatra’s Dream」の哀愁のピアノ・タッチに魅せられた「BLP 4009 The Amazing Bud Powell, Vol. 5 – The Scene Changes」であったと思う。いずれも学生時代、乏しい生活費を工面して通ったJAZZ喫茶での話である。

「BLP 4003 Art Blakey And The Jazz Messengers – Moanin’ 」
Lee Morgan (tp) Benny Golson (ts) Bobby Timmons (p) Jymie Merritt (b) Art Blakey (d)
Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, October 30, 1958
Are You Real? / Moanin’ /The Drum Thunder Suite/Along Came Betty/Blues March/Come Rain Or Come Shine


Moanin     Art Blakey / Blue Note Records

「BLP 4009 The Amazing Bud Powell, Vol. 5 – The Scene Changes」
Bud Powell (p) Paul Chambers (b) Art Taylor (d)
Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, December 29, 1958
The Scene Changes/Down With It/Comin’ Up/Duid Deed/Cleopatra’s Dream/Gettin’ There/Crossin’ The Channel/Danceland/Borderick


ザ・シーン・チェンジズ   バド・パウエル / EMIミュージックジャパン

聴いてみますか? 青春の夢のなごり、Blue Note BLP 4009、クレオパトラの夢 ・・・ 。

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USA・JAZZY紀行 (10) ~アメリカの中のヨーロッパ~

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訪れたことがある人ならお気づきでしょうが、アメリカで、ふっとヨーロッパを感じさせる風景や雰囲気に出会うことがよくあります。もちろん、ラスベガスやユニバーサル・スタジオ、ディズニー・ワールドではありません。例えば東部の建国にまつわる都市、フィラデルフィア、ピッツバーグ、ボストンなどの街では英国的雰囲気を強く感じ、ニューヨークのイタリア・レストラン、アイリッシュバー、リトル・イタリアなどではそれぞれの祖国の文化や流儀を強く感じるのです。そうそう、アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスから寄贈された「自由の女神」にも・・・。

また、2005年超大型ハリケーン「カトリーナ」で壊滅的な被害を受けた、JAZZの聖地「ニューオリンズ」は、もともとフランス植民地だったところ。観光JAZZクラブが軒を連ねる有名なフレンチ・クォーターや上流階級の白人富裕層のみが住む高級住宅街の建築様式はまさにフレンチ様式なのだ。(「USA・JAZZY紀行(6) ~聖地ニューオリンズ~」参照)

そして首都ワシントンの景観について言えば「奇妙な街」という印象が強い。ポトマック河、放射状に拡がる道路、オベリスクそっくりのワシントン記念塔。国会議事堂と記念塔を軸心とする街。パリのまねをしたとしか思えない都市づくり。ヨーロッパのいろいろな時代、国を凝縮したような建物群。そんな感想を漠然と持っていたが、すこしWikipeiaで調べてみてびっくりした。

ワシントンD.C.は、かって駐仏大使であり、ワシントンD.C.で就任演説をおこなった最初の大統領である第3代アメリカ合衆国大統領、「トーマス・ジェファーソン」の、「低層で便利な」建物と「明るく風通しのよい」街路を備えた「アメリカのパリ」にしたいという願いに忠実に沿って設計された計画都市であるという。そして、その設計を中心になって担当したのは、フランス生まれの建築家・技師・都市設計家であり、軍人の「ピエール・シャルル・ランファン」である。1791年、ランファンはバロック様式をもとに基本計画を作成した。これは、環状交差路から放射状に広い街路が伸びているものであり、開かれた空間と景観作りを最大限に重視したまさにパリの都市空間に倣ったものであった。

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そして、主要な建物群、ホワイトハウス、ワシントン大聖堂、トマス・ジェファーソン記念館、連邦議会議事堂、リンカーン記念館、ベトナム戦争戦没者慰霊碑、これら六つの建物のすべてや他の著名な大建造物には、新古典主義、ジョージ王朝様式、ゴシック様式や現代の建築様式が反映されているという。さらに、ワシントンD.C.の中心市街を離れると、建築様式はさらに多様化し、「オールド・シティー」(ランファンによって設計された地域)では、歴史的建造物は主にアン女王様式、シャトー様式、リチャードソン・ロマネスク様式、新ジョージア王朝様式、古典的装飾様式、また様々なビクトリア朝様式で設計されているのだ。

まさしく、アメリカ建国の理念を象徴する首都ワシントンの建築物は「ヨーロッパの模倣」によって成り立っているといっても過言ではない。こんなところにアメリカ人のヨーロッパに対する亜流、或いは羨望という鬱屈した感情や意識の原点が透けて見えなくも無い。かっての移民と奴隷からなる国アメリカ。建国後200年以上を過ぎて、初めて黒人次期大統領を選出した国アメリカ。オバマを選んだことで、このヨーロッパへの鬱屈した感情は大きく変わるような気がする。

超自然的な建国神話をもたず、わずか200年の歴史しか持たないアメリカ合衆国のヨーロッパに対する精神的負い目、劣等意識とその裏返しの自由主義、強い国力、大量消費という豊かさ、アメリカンドリーム、傲慢さなどが、建国や歴代大統領に関わる「フリーメイソン」伝説やドル紙幣の暗示的な記号やシンボルを建国神話として神秘性や正統性を与えるために人為的に生み出したのではなかろうか。

そしてそれを神話化する動きの一つが、ディズニー製作の「ナショナル・トレジャー」なる映画であったような気がする。とはいえ、この映画、「インディ・ジョーンズ」や「ダ・ビンチ・コード」などの要素をうまく取り込んでおり、エンターテイメントとしては一級の面白い映画に仕立てあがっていると思う。

先祖代々ゲイツ一族に伝わってきた、秘密結社フリーメイソンにより守られた秘宝。その秘宝の謎を解く鍵をついに一族の末裔ベンが発見。だがその鍵はアメリカの独立宣言書の裏に書かれているという。歴史的な出来事や、100ドル札にヒントが隠されているといった実際のモノを使った謎解きなどが展開される。ニコラス・ケイジ、ジョン・ボイド出演、ジョン・タートルトーブ監督作品。

ナショナル・トレジャー 特別版
/ ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
ISBN : B000FIKF6Q
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そして、ヨーロッパに魅せられたジャズ・アーティストといえば、「バド・パウエル」、「ケニー・ドリュー」、「モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)」などであろうか。とくにMJQは「ジャンゴ・ラインハルト」から影響を大きく受けたというが、またヨーロッパのジャズメンたちもまたMJQから大きく影響を受けたという。
そのMJQの最高傑作といわれる、パリはコンコルド広場をテーマにした「Concorde」。1955年の録音というから、第二次世界大戦後10年ほどのこと。こんな頃に、MJQはクラシックとJAZZの融合のハシリともいえる、このアルバムをリリースしていたんですね。なつかしいヨーロッパの香りがします。

Concorde
The Modern Jazz Quartet / Prestige/OJC
ISBN : B000000XZU
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そして「MJQ」がヨーロッパで触発され、ジャンゴへのトリビュートとして作った「Django」という名曲。同名の超有名アルバム「Django」。この時代にヨーロッパ古典音楽に傾倒したジャズを演奏していた黒人JAZZバンド、MJQ。日本での人気は分かる気がするが、アメリカでの評価は実際のところ、どうだったのであろうか?

Django
The Modern Jazz Quartet / Prestige/OJC
ISBN : B000EMGIJ6
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