前回に続きノルウェーのジャズ・ピアニスト、「トルド・グスタフセン/Tord Gustavsen」と女性ボーカルのコラボをもうひとつ聴きたくなった。もともと、「トルド・グスタフセン」は、1999年にノルウェーの歌手の「シリ・グジャレ/Siri Gjære」とのアルバムでデビュー。2000年には「パット・メセニー/Pat Metheny」がプロデュースした、「やさしい風につつまれて/Tell me where you’re going」のヒット曲で知られる「セリア(セリア・ネルゴール/Silje Nergaard)のバック・ミュージシャンをしていたというから、女性ボーカルとのコラボは定評のあるところ。
聴きたいと思ったのは、ポーランドの歌姫「アンナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」とのコラボ。「トルド・グスタフセン」はもちろん、この「アンナ・マリア・ヨペック」も私の大のお気に入りで、一時は集中的に取り上げたこともあった。コラボのアルバムは「ID」。「トルド・グスタフセン」を始め、2013年に亡くなってしまったが、ブラジルのギタリスト、「オスカー・カストロ・ネヴィス/Oscar Castro-Neves 」、チュニジア出身のシンガー兼ウード奏者、「ダフェール・ユーセフ/Dhafer Youssef」、もうひとりの私のお気にりのポーランドのピアニスト、「レシェック・モジジェル/Leszek Mozdzer」、アメリカジャズ界のブランド・ネーム、「ブランフォード・マルサリス/Branford Marsalis」、「リチャード・ボナ/Richard Bona」、「クリスチャン・マクブライド/Christian Mc Bride」など、ジャズ、ボッサ、ワールド・ミュージックのトップ・ミージシャンが名を連ねている。アルバム、「ID」は、2007年にリリースされたが、2008年にインターナショナル版がリリースされ、彼女の名を国際的に一気に高めたという。
さて、「アンナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」。ポーランドを愛し、ポーランドの魂を歌う歌手。この本を読みながら、私が勝手に想像しているヨペック像を思い浮かべ、「うんうん」とうなずく箇所が何度かあった。私が把握している限りでは、ゲスト・ボーカルやコンピを除くと、CD・DVDリリースは全23作。再発、組版、バージョン違い、DVDなどを除くと実質、17枚くらいであろうか。その大方を聴いてみたのだが、「ポーランド語で歌う」、「いわゆるスタンダードは歌わない」ということもあるが、彼女を単なる「JAZZ歌手」というようにカテゴライズできない。やはり「ヨペック・ワールド」としか、カテゴライズできないことを改めて認識したのである。
「♪ Słyszę, że jesteś tu. 私はあなたがここにいると聞きました
Czuję Cię blisko. あなたが近くにいるのを感じています
Czy pozwolisz mi zobaczyć Twoją czułą twarz? 私の愛に満ちた顔が見えますか?
Brak mi spojrzenia Twych oczu. 私にはあなたの眼が見えません
Tęsknię za barwą, melodią Twoich słów.
あなたの目の色も声のトーンすらも忘れてしまいました
Czekam z nadzieją na noc, na sen, 今夜こそあなたに逢えると楽しみにしていたのに
By w nim móc przytulić Cię znów. 逢ってあなたを抱きしめることができると
A Ty - でも、あなた ・・・
Od lat nie przychodzisz. あなたは今日もまたこなかった
Czy nie chcesz, bym pytała Cię, きっと、あなたは聞きたくないのね
Jak tam jest? なぜなの?と私が尋ねるから ♪」
(自動翻訳機によるいい加減な拙訳)
左はポーランドの国旗である。赤白の2色、極めてシンプルなデザイン。この国旗を見た時、「日本とポーランドとはどこかでつながっているのではないか?」と、極めて単純にそう思った。「アンナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」について調べているときのことである。しかし、結果的にポーランドの国旗は「赤い夕日を背景に飛ぶ白い鷲」という建国伝説を紋章にしたということで、「日の丸」とは何の関係もなかったのであるが ・・・。
さすれば、「大国の狭間と抑圧の中で数々の悲劇に彩られた国、その悲劇を悼む曲が含まれているのではないか」とアルバムを聴いていたら、「多分これでは!」と引っかかってきた曲があった。6曲目、「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę/Czerwone Maki Na Monte Cassino」。極めて甘美で哀切の思いに溢れているスラブ風の二つの曲が、ショパンのノクターンでつながっている。
前半の曲「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę(今夜は帰れない)」が、「ワルシャワ蜂起」を、後半の曲「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」が、「モンテ・カッシーノの戦い」を悼む曲であった。前半の曲は国民的愛国歌らしく、YOUTUBEにいくつもアップされている。その動画のバックの映像は、大戦末期、1944年の「ワルシャワ蜂起」に関する映像がほとんどであったことからそれと知れた。森でのゲリラ活動に参加するため、もう恋人に会えないと死を覚悟した反ドイツのポーランド・パルチザンの心情を歌った歌。このワルシャワ蜂起の時、市民の間で歌われたという。驚くことに、この歌を「加藤登紀子」さんが訳し、何人かの日本人歌手が歌っているのです。(参照;「渡辺歌子/今夜は帰れない」 、「今日は帰れない」など) 本当にびっくりしました。
そして、「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」。6世紀に起源をもち、古代から中世を通じてヨーロッパの学芸の中心という重責を担っていたというキリスト教の修道院があることで知られた「モンテ・カッシーノ」で、1944年1月17日から5月19日に第2次世界大戦の命運を決める最後の決戦が行われた。双方で10万人を優に超える死者を出したが、ここでの連合国側の勝利によりローマ進軍への道が開けたという。そして、「モンテ・カッシーノの赤いケシの花」は、この戦いにより、もっともよく知られるようになったポーランド軍の歌で、1944年5月、「モンテ・カッシーノの戦い」の最中に、「アルフレッド・シュルツ/Alfred Schütz」によって作られたという。この戦いでもっとも勇敢に戦い、勝利への道を開いたのはポーランド軍であった。いまでも、この戦いにおけるポーランド兵の働きは、ポーランド国民の大きな誇りの源となっている。(写真;モンテ・カッシーノのポーランド人戦争墓地) (Wikipedia参照)
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