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Comin’ Home Baby

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玄関先のプランターに水を撒いていて気がついた。脱皮したばかりの「カマドコウロギ(竈蟋蟀)」?(難しい字ですね・・)、あるいは「カマドウマ(竈馬)」でしょうか、じっと葉に掴まっている。健気 ・・・。この時期、次から次へと、我が家を訪れるいろいろな虫が繰り広げる自然の営み。いや、見ていて飽きないもんですね。
 
Herbie_Mann
 
ふいに浮かんできた曲は、「カミン・ホーム・ベイビー/Com’in Home Baby」。60年代、ボサノバの流行とともに、大ヒットしたジャズ・フルート奏者、「ハービー・マン/Herbie Mann (1930 – 2003)」の出世曲。まあ、当時のJAZZ喫茶では、しょっちゅう流れていたように記憶しています。アルバムは、「ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン/Herbie Mann At The Village Gate」。祭囃子を思わすような、ベースの長いイントロに続いて、グルーヴ感いっぱいのフルートが印象的な曲。そのベースを弾いていた「ベン・タッカー/Ben Tucker」の作曲。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1曲。1961年11月17日ニューヨーク、「ヴィレッジ・ゲイト」でのライヴ。

ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン

ハービー・マン(fl) / ワーナーミュージック・ジャパン

「Comin’ Home Baby - Herbie Mann」
 
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「ハービー・マン」は、1930年、ニューヨーク・ブルックリンでルーマニアとロシアの家系をもつユダヤ人の両親の間に生まれた。プロとして初めて舞台に立ったのは15歳のときであるという。最初は、バス・クラリネット、テナー・サックスおよびソロ・フルートを担当したが、20歳を過ぎる頃からはバップ・フルートの第一人者たるべく、フルート一本に絞ったという。

多くの人が、彼を評価する所以は、彼はフュージョンあるいはワールドミュージックの開拓者であったことであろうか。1959年には政府支援のアフリカ旅行に同行してアフロ・キューバン・ジャズのアルバム、「フルーティスタ/Flutista」を録音、1961年には、ブラジルに旅し、「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antônio Carlos Jobim」や、「バーデン・パウエル/Baden Powell」ら現地ミュージシャンを引き連れてレコーディングをするため帰国し、その後米国において「Comin’ Home Baby」の大ヒットを皮切りに、「ボサ・ノヴァ」の一大ブームを起こしたことは有名な話である。

また、1960年代半ばには、まだ無名の「チック・コリア/Chick Corea」をバンドに加え、売り出したり、1969年のヒット・アルバム、「メンフィス・アンダーグラウンド/Memphis Underground」では、当時「フュージョン」という言葉すらなかった時代に、ロックあるいはソウル・ミュージックとジャズとをクロス・オーバーするという手腕を発揮してみせた。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1枚。

メンフィス・アンダーグラウンド

ハービー・マン(fl、arr) / ワーナーミュージック・ジャパン

「HERBIE MANN - Memphis Underground (Full Album)」
 
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