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Patriotic Song、愛国歌 ・・・ 哀哭歌

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左はポーランドの国旗である。赤白の2色、極めてシンプルなデザイン。この国旗を見た時、「日本とポーランドとはどこかでつながっているのではないか?」と、極めて単純にそう思った。「アンナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」について調べているときのことである。しかし、結果的にポーランドの国旗は「赤い夕日を背景に飛ぶ白い鷲」という建国伝説を紋章にしたということで、「日の丸」とは何の関係もなかったのであるが ・・・。

しかし、調べていて分かったのは、「ポーランドという国は、非常に親日国である」ということ。親日国で知られるトルコよりも、親日度は高いともいう。日露戦争にて小国、日本がロシアを打ち負かしたことを、当時ロシアの支配下にあったポーランドは非常に喜び、現在もポーランドの教科書には、日露戦争について日本の教科書よりも詳しく記述されているという。第2次世界大戦では、ポーランドは連合国側に属しながらも枢軸国である日本にドイツやロシアの情報を情報をもたらしてくれたというし、昨今、ポーランドには日本ブームが到来しており、日本語を学ぶ方も多く、テレビで日本文化を紹介する番組が流れることも少なくないという。日本から見たポーランドは極めて遠い国だが、その距離感は逆で、ヨーロッパにおける日本研究のリーダー的役割を担っているのがポーランドらしい。(Wikipediaより)

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そんなことを知ると、「アンナ・マリア・ヨペック」の2011年のアルバム最新3部作が、ポーランド、ポルトガル、日本と、アルバム「HAIKU(俳句)」で日本をテーマにとりあげたのも、無関係ではなさそうである。その最新3部作の一枚が「POLANNA/ポランナ」。テーマは「音楽におけるポーランド魂の追究」とある。ポーランドの音楽をルネッサンスから現代まで俯瞰した試みで、音楽の中でポーランド遺伝子を取り出すことを目指したという。

さすれば、「大国の狭間と抑圧の中で数々の悲劇に彩られた国、その悲劇を悼む曲が含まれているのではないか」とアルバムを聴いていたら、「多分これでは!」と引っかかってきた曲があった。6曲目、「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę/Czerwone Maki Na Monte Cassino」。極めて甘美で哀切の思いに溢れているスラブ風の二つの曲が、ショパンのノクターンでつながっている。

まったくポーランド語は分からないが、後半の曲のタイトル「Monte Cassino/モンテ・カッシーノ」という言葉にかすかに聴き覚えがあった。たしか、第2次世界大戦の末期、イタリアの「モンテ・カッシーノ」で4ケ月に及ぶ大激戦があったところだ。そこを手掛かりに調べてみたら、果たしてこの曲がその地に因んだ曲であった。

前半の曲「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę(今夜は帰れない)」が、「ワルシャワ蜂起」を、後半の曲「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」が、「モンテ・カッシーノの戦い」を悼む曲であった。前半の曲は国民的愛国歌らしく、YOUTUBEにいくつもアップされている。その動画のバックの映像は、大戦末期、1944年の「ワルシャワ蜂起」に関する映像がほとんどであったことからそれと知れた。森でのゲリラ活動に参加するため、もう恋人に会えないと死を覚悟した反ドイツのポーランド・パルチザンの心情を歌った歌。このワルシャワ蜂起の時、市民の間で歌われたという。驚くことに、この歌を「加藤登紀子」さんが訳し、何人かの日本人歌手が歌っているのです。(参照;「渡辺歌子/今夜は帰れない」「今日は帰れない」など) 本当にびっくりしました。

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「ワルシャワ蜂起」は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで、ロンドンに亡命していたポーランド亡命政権を支持するレジスタンスや市民が、1944年8月にソ連軍の呼びかけにより、ドイツ占領軍に対して起した武装蜂起である。この武装蜂起に結局、ソ連軍が救援せず、約20万人の兵士、市民が死亡して、蜂起は失敗に終わった。そして、その後、反撃に転じたドイツ軍に、ヒットラーはワルシャワの徹底的破壊を命じ、ワルシャワは瓦礫の街と化した。1945年、ナチス・ドイツ敗戦とともに、今度はポーランドはソ連の占領下に置かれたのである。(Wikipedia参照)

「♪ 今夜は帰れない 森へ行くんだ
    窓辺で僕を 見送らないで
      君の眼差しが 闇を追いかけ
        涙に濡れるのを 見たくないから
          涙に濡れるのを 見たくないから
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   もしも春まで 帰らなければ
     麦の畑に 種を蒔くとき
       僕の骨だと 思っておくれ
         麦の穂になって 戻った僕を
           胸に抱きしめて 迎えておくれ
             胸に抱きしめて 迎えておくれ  ♪」 (加藤登紀子 訳詩)

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そして、「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」。6世紀に起源をもち、古代から中世を通じてヨーロッパの学芸の中心という重責を担っていたというキリスト教の修道院があることで知られた「モンテ・カッシーノ」で、1944年1月17日から5月19日に第2次世界大戦の命運を決める最後の決戦が行われた。双方で10万人を優に超える死者を出したが、ここでの連合国側の勝利によりローマ進軍への道が開けたという。そして、「モンテ・カッシーノの赤いケシの花」は、この戦いにより、もっともよく知られるようになったポーランド軍の歌で、1944年5月、「モンテ・カッシーノの戦い」の最中に、「アルフレッド・シュルツ/Alfred Schütz」によって作られたという。この戦いでもっとも勇敢に戦い、勝利への道を開いたのはポーランド軍であった。いまでも、この戦いにおけるポーランド兵の働きは、ポーランド国民の大きな誇りの源となっている。(写真;モンテ・カッシーノのポーランド人戦争墓地) (Wikipedia参照)

ヨペックはハミングで歌っているが、「モンテ·カッシーノの赤いケシの花」にはこんな一節がある。Googleで適当に翻訳してみた。

「♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 
   モンテ·カッシーノの赤いケシの花 
      朝露の代わりにポーランド兵士の血を飲んだのだ
        倒れた兵士たちの怒りは 死してもなお永遠に残る
          何年経とうが、このモンテ・カッシーノのケシの花
            年を経てその赤い色は  ますます濃くなる
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    ♪」 
                    (作詞;F.コナルスキ 作曲;アルフレッド·シュッツ)

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振り返って見れば、「ワルシャワ蜂起」は、「アンジェイ・ワイダ」監督の「地下水道」(1956年)で、ドイツ占領下のポーランドの苦しみは、「ギュンター・グラス」原作、「フォルカー・シュレンドルフ」監督の「ブリキの太鼓」(1979年)で、蜂起失敗後のワルシャワの爆撃については、「ロマン・ポランスキー」監督の「戦場のピアニスト」(2002年)で、そしてロシア軍によるポーランド軍将校の虐殺に関しては、「アンジェイ・ワイダ」監督の 「カティンの森」(2007年)で知った。この歌を歌うヨペックの思いに少しでも近づくため、もう一度しっかりと観てみようかと思う。

「愛国歌」は、「哀哭歌」となり、歴史の悲劇は名画や名曲を生む。古くは「原爆許すまじ」、最近では「さとうきび畑」か ・・・。「東北大地震」、「福島原発事故」からは、明日につながるどんな歌が生まれるというのだ。こんな思いを抱いて、ヨペックの「今夜は帰れない~モンテ・カッシーノの赤いケシの花」を聴く。

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Anna Maria Jopek / Universal Poland

この時期、ヨペクのこの歌に強く心を動かされたのも、ロンドン・オリンピック、終戦記念日、竹島や尖閣諸島での領土問題、それにとりわけ私が歳を取ったことと無縁ではなさそうだ。

「Anna Maria Jopek – Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę/Czerwone Maki Na Monte Cassino」

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俄か愛国主義者の夜は更ける(後半)

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私には、意味も発音も全く分からないポーランド語でしか歌わないジャズ歌手、私が知っている限り、いわゆるジャズ・スタンダードを一曲も歌わないジャズ歌手、「アナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」が、なぜ私の心をこれほどまでにとらえてしまったのだろうか? 世界中のアスリート達によって展開されるオリンピックの戦いを観ながら、ポーランドとヨペックの音楽的背景について少し考えてみたその続きの話です。

歴史的や言語的背景については、前回にすこし触れてみた。宗教についてはどうだろう?ある調査によると、国民の約95%がカトリック教徒であり、そのうち75%が敬虔な信者であるという。従がって、ポーランド人の普遍的な価値観や日常生活の中にカトリックの信仰が深く根付ているのである。ヨペックのアルバムを聴いていると、たしかに「アリア」ともいえるような宗教的雰囲気に彩られた曲がいくつもあることに気が付く。そうそう、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世もポーランド出身でした。

そして、クラシック音楽では、マズルカやポロネーズなどといったポーランドの伝統的なダンス音楽を、外国に広く紹介する役割を果たした功績はなんといっても「フレデリック・ショパン」に与えられるという。「ショパン」の音楽活動によって、ポーランド音楽はヨーロッパで大人気となったという。ポロネーズは、ポーランド音楽を最初に知ったフランス人たちが、フランス語で「ポーランド風(のダンス音楽)」と名づけたものだという。(Wikipedia参照)

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一方、東欧、ポーランドにおけるジャズの先駆者的存在は、ポーランドのジャズ・ピアニスト、「クシシュトフ・コメダ/Krzysztof Komeda(1931年 – 1969年)」であると、「星野秋男」氏は彼の偉業ともいえるその著書「ヨーロッパ・ジャズ黄金時代」で、以下のように紹介している。

「東欧ジャズの革新に最大の貢献をしたイノベーターであり、リーダーであり、斬新なセンスに満ちたピアニスト。 ・・・ モードやフリーの手法をいち早く取り入れ、自己スタイルの革新を図るとともに、新しいジャズ・ムーヴメントを強く先導していった。 ・・・ ヨーロッパ・ジャズ黄金時代を代表する金字塔 ・・・」。

ヨーロッパ・ジャズ黄金時代

星野秋男 / 青土社

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「クシシュトフ・コメダ」。本名は「クシシュトフ・トルチンスキ/Krzysztof Trzcinski」だが、ジャズを嫌う共産党に目を付けられることを恐れ、ステージ・ネームとして「コメダ」の名前を使用したという。ヨペックのアルバム「HAIKU」に収録されている曲、「O Mój Rozmarynie」は、トラディショナルであるが、コメダが音楽担当した映画「ローズマリーの赤ちゃん」の主題曲として用いられた。(後述のアルバムには、同映画で使われたコメダ作曲の「Kołysanka rosemary (Rosemary’s Lullaby?)」という曲が収録されている) そんなことから、ヨペクもコメダをリスペクトしているであろうことは想像に難くない。その他にも、彼は「ロマン・ポランスキー/Roman Polanski」監督の「水の中のナイフ」や「アンジェイ・ワイダ/Andrzej Wajda」監督の「夜の終わりに」などの映画音楽を手掛けている。しかし1969年、不慮の事故によりわずか37歳の若さで死亡した。

「Krzysztof Komeda – Rosemary’s Lullaby」 コメダのピアノ・ソロ、映画では「ミア・ファロー/Mia Farrow」がハミングしていましたね。

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コメダが亡くなった翌年、反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた真っ只中の1970年、「アナ・マリア・ヨペック」は生まれた。

幼少の頃より、ショパン、ラヴェル、バッハ、モーツァルトをこよなく愛した彼女は、伝統ある「ショパン音楽アカデミー」で、クラシック・ピアノを学び、卒業後に渡米、ニューヨークで音楽を学ぶ。そこでジャズに魅せられる。帰国後、1997年、アルバム「Ale jestem(But I am)」でデビュー。このアルバムが瞬く間にゴールド・アルバムに。その後発売された10枚のアルバムは、全てポーランドのプラチナとゴールド・ディスクを獲得。中でも2002年にリリースされた「パット・メセニー」との共演アルバム「Upojenie」は発売後僅か1ヶ月で8万枚を売り上げたという。(公式HPより)

そんな「アナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」のジャズ的出自が知りたくなって、初期のアルバム、彼女の2作目となる「SZEPTEM」 (Mercury/PolyGram 1998) を聴いてみた。公式HPの解説には、「このアルバムは、ポーランドで作曲された代表的な美しいバラードのいくつかをトリビュートし、ヨペックの持つピュアさ、優しさ、クラシックな面を追究するために作られた。そして、Disc-2には、ワルシャワ交響楽団との歴史的な競演のジャズ・ライブが収録されている」とある。

もちろんいつものポーランド語のジャズ・アルバムである。しかし、よく聴いてみると、音楽的フレーズやアドリブの随所に、アメリカ的ジャズの印象が残る。そのなかにも、現在のヨペックを彷彿とさせるような曲もあり、彼女が自己の音楽を確立していこうとチャレンジしていく姿勢が垣間見られる。現在のヨペックの音楽観、音楽への姿勢が確立するまでの過渡的なアルバムと位置づけられるように思う。

Szeptem

Anna Maria Jopek / Universal Poland

フレーズやアドリブにアメリカン・ジャズの影響がみてとれるアルバム・タイトルのバラード、「Szeptem」。

「Anna Maria Jopek - Szeptem」

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絶品の哀愁ボッサを2曲ほど ・・・。まず、Disc1のスタジオ録音盤でも、Disc2のコンサート盤でも歌っている「Czas rozpalić piec」。「意味は?」って、そんなのわかりません。  

「Anna Maria Jopek - Czas rozpalić piec」

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さあ、極め付けのスロー・ボッサは、「ヴィニシウス・デ・モラエス/Vinicius de Moraes」作詞、「バーデン・パウエル/Baden Powell」作曲のあの美しい曲、「アペロ/Apelo」にポーランド語の詩をつけた「Samba Przed Rozstaniem」。これも両Discに収録されている。

「Anna Maria Jopek - Samba Przed Rozstaniem」

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俄か愛国主義者の夜は更ける(前半)

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毎夜連続の「俄(にわ)か愛国主義者」になる日々が続いている。きっと日本中がそうであろうが、オリンピックが、四年に一度、日本人のDNAの深いところを刺激しているのである。そして、当然のように寝不足の毎日が続く。「小原日登美」の金メダル・ストーリー。きっと、メダルの数だけ、いや、メダルをとれなかった選手も含めて、出場しているアスリートの数以上の感動や感激、ストーリーがあるのだ。

出場した日本人選手がインタビューで、ことごとく応援してくれた人や支援してくれた人々への感謝や家族の絆を口にする。最初は少し違和感があったが、レスリング、卓球など色々な種目で世界に通用するための戦略や戦術、練習などの苦労話を聞いてみると、その違和感は吹っ飛んでしまった。確かに家族や多くの人の支え無しに一人ではあそこまでたどり着けなかったのである。

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一方、永田町あたりで党利党略、国民ほったらかしの選挙、政権、保身だけしか頭にない暗闘や駆け引きを繰り広げている政局を見るにつけ、一体、「誰がどんな思いで君たちに日本の政治・社会を変えてほしいと一票に託したのか、そのことが十分分かっているのか!」と問いただしたくなる。「逃げずに立ち向かっていくあのアスリートたちを、目を見開いてしっかり見ろ!」とも言いたくなる。

そしてもう一つの楽しみ。それは、日頃殆ど見ることのできない競技が放映され、その面白さを感じることである。トランポリン、フェンシング、アーチェリー、ピストル、十種競技、トライアスロンなど ・・・ 。新鮮である。私もかって「ヨット競技」という非常にマイナーな競技をやっていたので、選手たちの「注目されて、もっと興味や関心を持ってほしい」という、その気持ちはよくわかる。それにしても改めて感じたことだが、世界は本当に広い。有名選手や日本の選手だけでなく、それ以外のアスリートたちの美しさや強さに目を奪われることもしばしばあった。しかしやはり日本、日の丸である。まだしばらくは「俄か愛国主義者」の日々は続きそうである。

そんな中で、間違いなく「アナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」の影響であるが、ポーランドの選手が出てくると、けっこう目が行ってしまったりもした。私達の世代が知っているポーランドの著名人といえば、「フレデリック・ショパン/Fryderyk Franciszek Chopin」、「ソラリスの陽のもとに」で知られるSF作家「スタニスワフ・レム/Stanisław Lem」、「灰とダイヤモンド」がその代表作である映画監督「アンジェイ・ワイダ/Andrzej Wajda」、そして「ローズマリーの赤ちゃん」の「ロマン・ポランスキー/Roman Polanski」、政治家では、ソビエト連邦の抑圧に抵抗する市民による民主化運動を率いた独立自主管理労働組合「連帯」の議長でのちに大統領になり、ノーベル平和賞も受賞した「レフ・ワレサ/Lech Wałęsa」ぐらいであろうか。

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ポーランド、行ったことはないが、その地政学上の位置から、昔から、大国ドイツとロシアとの狭間で常に翻弄され続け、東西冷戦中はソ連陣営に組み込まれ抑圧を強いられた。「アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺」や「カティンの森の虐殺」の舞台となった国、そんな乏しい知識から、やや暗くて陰惨な印象としかもっていなかった国である。

そんな国の歌姫、「アナ・マリア・ヨペック」に出会った。一部のアルバムは別として、ほとんど意味も発音も分からないポーランド語でしか歌わないジャズ歌手、私が知っている限り、いわゆるスタンダードを一曲も歌わないジャズ歌手が、世界のファンの心をとらえ、私の心をとらえてしまったのである。なぜだろうか?そのひとつにはポーランド語の独特の響きがあげられるだろう。ポーランド語のもつリズミカル響きの美しさ、リリカルに耳に響いてくる。さすが、ポロネーズ、マズルカという伝統音楽を生んだ国。そこにやや東洋的で哀愁を帯びたマイナー(短調)のメロディがかぶさってくる。

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最新、2011年のアルバム3部作の一枚が「POLANNA/ポランナ」。テーマは「音楽におけるポーランド魂の追究」とある。ポーランドの音楽をルネッサンスから現代まで俯瞰した試みで、音、フレーズ、メロディー・ラインの中でポーランド遺伝子を取り出すことを目指したという。しかもその追究に参加したのが、ポーランド民俗音楽の優れた演奏家「マリア・ポミャノフスカ/Maria Pomianowska」、キューバのジャズ・ピアニスト、「ゴンサロ・ルバルカバ/Gonzalo Rubalcaba」、ブラジルのアコーディオン奏者でピアニストでもある「ギル・ゴールドスタイン/Gil Goldstein」などのメンバーである。しかも、ワルシャワで録音され、ニューヨークで仕上げられたという。こんな記述を読むと、この一連の3部作、「POLANNA/ポランナ」、「HAIKU/俳句」、「Sobremesa/ソブレメサ」は、「伝統」、「融合」、「歴史」 ・・・といったキーワードのもとに、「ポーランド」、「日本(和楽)」、「ポルトガル(ファド)」の融合と世界的視野での新しい音楽の創生を目指した試みという彼女の明快な立ち位置が理解できる。そして、その心意気は十分にJAZZYであり、その目指した志は十分伝わってくるのである。

こんなヨペックの言葉。「古典的な伝統と私たちのジャズの経験とざらざらした民俗音楽のきらめきの間にぶら下がったような音楽なのです。」

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Anna Maria Jopek / Universal Poland

ポーランドの国名の「ポルスカ(Polska)」は、野原を意味する「ポーレ (pole)」が語源と言われている。ひび割れ、乾いた大地を一人歩むヨペック。ポーランドの大地に流れた夥しい血、そして鎮魂の祈りが、裸足の足裏から彼女の心に伝わり、その眼差しからは、一人でジャズの新境地を切り開いていく覚悟が見て取れるような気がする。  

「Anna Maria Jopek – Kiedy ranne wstają zorze」

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