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あの歌が生まれた瞬間(とき)を探して BSプレミアム「旅のチカラ」

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6月26日、NHK-BSプレミアム、「旅のチカラ」は、70歳の節目を迎えるシンガー・ソングライター、「加藤登紀子」の旅。彼女の持ち歌、「今日は帰れない」のルーツを求めて、ポーランドを訪ねる旅であった。

「今日は帰れない/Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę」。「アンナ・マリア・ヨペク/Anna Maria Jopek」のアルバム、「Polanna」に収録されている曲である。この曲が、森でのゲリラ活動に参加するため、もう恋人に会えないと死を覚悟した反ドイツのポーランド・パルチザンの心情を歌った歌であり、第二次世界大戦末期、1944年の「ワルシャワ蜂起」の時、市民の間で歌われたということ。そして、この歌を「加藤登紀子」さんが訳し、ご自身も含め、何人かの日本人歌手(特にシャンソン歌手)が歌っている事は、このブログでも書いたことがある。(参照拙ブログ「Patriotic Song、愛国歌 ・・・ 哀哭歌」

Polanna

Anna Maria Jopek / Universal Poland

しかし、第二次世界大戦下、ナチスに抵抗したパルチザンのこの歌は、ずっと「作者不詳」とされてきた。誰が、いつ、どこで生み出したのか。この歌を30年前から歌い続けている「加藤登紀子」さんが、元パルチザンの兵士や強制収容所などを訪ね、そのルーツを明らかにする旅だというので、大きな興味を持って観た。

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旅は、ナチス・ドイツによって徹底的に破壊されたが、戦後市民たちの努力によって元通りに復興した、美しいワルシャワの街から始まる。街の広場で、「今日は帰れない」を歌うと、殆どの市民は知っているし、歌えるという。ポーランドでは国民的な愛唱歌なのであろう。しかし、作詞者、作曲者については知らないという。調べていくうちに、ポーランドの地方都市「ルブリン」、そこを拠点に活動したパルチザン、「ネルヴァ部隊」の歌らしいということがわかってきた。

そこで当時17歳、最年少で「ネルヴァ部隊」に参加した「ヤン・ブジュウエッツ」さんと会い、ルブリン市内にある「マイダネク絶滅収容所」跡を訪れる。想像を絶する光景、ユダヤ人のみならず、ドイツに抵抗する夥しいポーランド人もガス室へ送り込まれた。「ヤン・ブジュウエッツ」さんの父親もその一人であった。そして、「ブジュウエッツ」さんの話から、「ネルヴァ部隊」の歌として「今日は帰れない」を作詞・作曲したのは、自らもパルチザンの支援者であった「スタニスワフ・マギエルスキ」氏であることが分かった。そして、彼の長男の手によって、当時のピアノや楽譜が残されていたのだ。こうして、この歌が作られたのは、1943年12月ということもはっきりしたのである。

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しかし、戦後、ナチス・ドイツが去った後、彼は親ソ連政権の手によって、パルチザンの支援者であったという理由で投獄されてしまう。政権はパルチザンは自分たちにも歯向かうと考えたからだという。そしてそれと同時に、この歌も作曲者の名前も封印されてしまったのだ。2年後釈放された「マギエルスキ」氏は、その後一切作曲することも、ピアノに触ることすらなかったという。

その後、「プラハの春」に代表される東欧に民主化を求める運動が活発になった1969年、ルブリンの劇場でワルシャワ蜂起を描いた歌劇「今日は帰れない」が上演された。舞台の俳優も観客も一緒に涙を流しながらこの歌を歌ったという。封印が解かれたのだ。しかし、作詞作曲者の名前は明かされることはなかった。

旅の目的を達した今、ルブリン市内の野外劇場で、市民を前にしてこの歌をポーランド語でうたい、これからもこの歌を歌い続けていくと決心した「加藤登紀子」さんの姿があった。

「♪ 今夜は帰れない 森へ行くんだ
    窓辺で僕を 見送らないで
      君の眼差しが 闇を追いかけ
        涙に濡れるのを 見たくないから
          涙に濡れるのを 見たくないから
           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   もしも春まで 帰らなければ
     麦の畑に 種を蒔くとき
       僕の骨だと 思っておくれ
         麦の穂になって 戻った僕を
           胸に抱きしめて 迎えておくれ
             胸に抱きしめて 迎えておくれ  ♪」 (加藤登紀子 訳詩)

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ポーランドの帰り、パリに立ち寄った「加藤登紀子」さんは、そこで一人の女性歌手に会う。30年前、彼女が初めて「今日は帰れない」を聴き、この歌を歌う事を決意した歌手、「アンナ・プルクナル/Anna Prucnal」である。アンナは1940年にポーランドで生まれたが、父親がジプシー系ユダヤ人の外科医で、ナチスによって殺されたため、母親と一緒にパリに亡命し、女優と歌手として成功を収めた女性。アンナの語る言葉が印象に残った。

「 ・・・ 市民が立ち上がる時、美しい歌が生まれる。」

「歌のチカラ」と「歴史の重み」、「抑圧された国民の心をつないだ一つの歌」 ・・・。そんなことが強く心に迫って来る番組であった。

加藤さんが「今日は帰れない」を聴いたプルナクルのアルバムは、「Rêve d’Ouest, rêve d’Est」、加藤さんが「今日は帰れない」を1982年に吹き込んだアルバムは、「愛はすべてを赦す」。プロデュースと伴奏のピアノは「坂本龍一」。

Reve D’Ouest Reve D’Est

Anna Prucnal / Epm Musique

愛はすべてを赦す

加藤登紀子 / ユニバーサルJ


 

「アナ・マリア・ヨペク」の歌う「今日は帰れない」は削除されており、「加藤登紀子」の歌うそれもYOUTUBEに見当たらない。「加藤登紀子」が聴いて衝撃を受けたという「アンナ・プルクナル」の歌唱をあげておきましょう。

「アンナ・プルクナル - 今夜は帰れない(Dzis do ciebie przyjsc nie moge)」

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Patriotic Song、愛国歌 ・・・ 哀哭歌

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左はポーランドの国旗である。赤白の2色、極めてシンプルなデザイン。この国旗を見た時、「日本とポーランドとはどこかでつながっているのではないか?」と、極めて単純にそう思った。「アンナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」について調べているときのことである。しかし、結果的にポーランドの国旗は「赤い夕日を背景に飛ぶ白い鷲」という建国伝説を紋章にしたということで、「日の丸」とは何の関係もなかったのであるが ・・・。

しかし、調べていて分かったのは、「ポーランドという国は、非常に親日国である」ということ。親日国で知られるトルコよりも、親日度は高いともいう。日露戦争にて小国、日本がロシアを打ち負かしたことを、当時ロシアの支配下にあったポーランドは非常に喜び、現在もポーランドの教科書には、日露戦争について日本の教科書よりも詳しく記述されているという。第2次世界大戦では、ポーランドは連合国側に属しながらも枢軸国である日本にドイツやロシアの情報を情報をもたらしてくれたというし、昨今、ポーランドには日本ブームが到来しており、日本語を学ぶ方も多く、テレビで日本文化を紹介する番組が流れることも少なくないという。日本から見たポーランドは極めて遠い国だが、その距離感は逆で、ヨーロッパにおける日本研究のリーダー的役割を担っているのがポーランドらしい。(Wikipediaより)

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そんなことを知ると、「アンナ・マリア・ヨペック」の2011年のアルバム最新3部作が、ポーランド、ポルトガル、日本と、アルバム「HAIKU(俳句)」で日本をテーマにとりあげたのも、無関係ではなさそうである。その最新3部作の一枚が「POLANNA/ポランナ」。テーマは「音楽におけるポーランド魂の追究」とある。ポーランドの音楽をルネッサンスから現代まで俯瞰した試みで、音楽の中でポーランド遺伝子を取り出すことを目指したという。

さすれば、「大国の狭間と抑圧の中で数々の悲劇に彩られた国、その悲劇を悼む曲が含まれているのではないか」とアルバムを聴いていたら、「多分これでは!」と引っかかってきた曲があった。6曲目、「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę/Czerwone Maki Na Monte Cassino」。極めて甘美で哀切の思いに溢れているスラブ風の二つの曲が、ショパンのノクターンでつながっている。

まったくポーランド語は分からないが、後半の曲のタイトル「Monte Cassino/モンテ・カッシーノ」という言葉にかすかに聴き覚えがあった。たしか、第2次世界大戦の末期、イタリアの「モンテ・カッシーノ」で4ケ月に及ぶ大激戦があったところだ。そこを手掛かりに調べてみたら、果たしてこの曲がその地に因んだ曲であった。

前半の曲「Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę(今夜は帰れない)」が、「ワルシャワ蜂起」を、後半の曲「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」が、「モンテ・カッシーノの戦い」を悼む曲であった。前半の曲は国民的愛国歌らしく、YOUTUBEにいくつもアップされている。その動画のバックの映像は、大戦末期、1944年の「ワルシャワ蜂起」に関する映像がほとんどであったことからそれと知れた。森でのゲリラ活動に参加するため、もう恋人に会えないと死を覚悟した反ドイツのポーランド・パルチザンの心情を歌った歌。このワルシャワ蜂起の時、市民の間で歌われたという。驚くことに、この歌を「加藤登紀子」さんが訳し、何人かの日本人歌手が歌っているのです。(参照;「渡辺歌子/今夜は帰れない」「今日は帰れない」など) 本当にびっくりしました。

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「ワルシャワ蜂起」は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで、ロンドンに亡命していたポーランド亡命政権を支持するレジスタンスや市民が、1944年8月にソ連軍の呼びかけにより、ドイツ占領軍に対して起した武装蜂起である。この武装蜂起に結局、ソ連軍が救援せず、約20万人の兵士、市民が死亡して、蜂起は失敗に終わった。そして、その後、反撃に転じたドイツ軍に、ヒットラーはワルシャワの徹底的破壊を命じ、ワルシャワは瓦礫の街と化した。1945年、ナチス・ドイツ敗戦とともに、今度はポーランドはソ連の占領下に置かれたのである。(Wikipedia参照)

「♪ 今夜は帰れない 森へ行くんだ
    窓辺で僕を 見送らないで
      君の眼差しが 闇を追いかけ
        涙に濡れるのを 見たくないから
          涙に濡れるのを 見たくないから
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   もしも春まで 帰らなければ
     麦の畑に 種を蒔くとき
       僕の骨だと 思っておくれ
         麦の穂になって 戻った僕を
           胸に抱きしめて 迎えておくれ
             胸に抱きしめて 迎えておくれ  ♪」 (加藤登紀子 訳詩)

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そして、「Czerwone Maki Na Monte Cassino(モンテ・カッシーノの赤いケシの花)」。6世紀に起源をもち、古代から中世を通じてヨーロッパの学芸の中心という重責を担っていたというキリスト教の修道院があることで知られた「モンテ・カッシーノ」で、1944年1月17日から5月19日に第2次世界大戦の命運を決める最後の決戦が行われた。双方で10万人を優に超える死者を出したが、ここでの連合国側の勝利によりローマ進軍への道が開けたという。そして、「モンテ・カッシーノの赤いケシの花」は、この戦いにより、もっともよく知られるようになったポーランド軍の歌で、1944年5月、「モンテ・カッシーノの戦い」の最中に、「アルフレッド・シュルツ/Alfred Schütz」によって作られたという。この戦いでもっとも勇敢に戦い、勝利への道を開いたのはポーランド軍であった。いまでも、この戦いにおけるポーランド兵の働きは、ポーランド国民の大きな誇りの源となっている。(写真;モンテ・カッシーノのポーランド人戦争墓地) (Wikipedia参照)

ヨペックはハミングで歌っているが、「モンテ·カッシーノの赤いケシの花」にはこんな一節がある。Googleで適当に翻訳してみた。

「♪ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 
   モンテ·カッシーノの赤いケシの花 
      朝露の代わりにポーランド兵士の血を飲んだのだ
        倒れた兵士たちの怒りは 死してもなお永遠に残る
          何年経とうが、このモンテ・カッシーノのケシの花
            年を経てその赤い色は  ますます濃くなる
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    ♪」 
                    (作詞;F.コナルスキ 作曲;アルフレッド·シュッツ)

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振り返って見れば、「ワルシャワ蜂起」は、「アンジェイ・ワイダ」監督の「地下水道」(1956年)で、ドイツ占領下のポーランドの苦しみは、「ギュンター・グラス」原作、「フォルカー・シュレンドルフ」監督の「ブリキの太鼓」(1979年)で、蜂起失敗後のワルシャワの爆撃については、「ロマン・ポランスキー」監督の「戦場のピアニスト」(2002年)で、そしてロシア軍によるポーランド軍将校の虐殺に関しては、「アンジェイ・ワイダ」監督の 「カティンの森」(2007年)で知った。この歌を歌うヨペックの思いに少しでも近づくため、もう一度しっかりと観てみようかと思う。

「愛国歌」は、「哀哭歌」となり、歴史の悲劇は名画や名曲を生む。古くは「原爆許すまじ」、最近では「さとうきび畑」か ・・・。「東北大地震」、「福島原発事故」からは、明日につながるどんな歌が生まれるというのだ。こんな思いを抱いて、ヨペックの「今夜は帰れない~モンテ・カッシーノの赤いケシの花」を聴く。

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Anna Maria Jopek / Universal Poland

この時期、ヨペクのこの歌に強く心を動かされたのも、ロンドン・オリンピック、終戦記念日、竹島や尖閣諸島での領土問題、それにとりわけ私が歳を取ったことと無縁ではなさそうだ。

「Anna Maria Jopek – Dziś Do Ciebie Przyjść Nie Mogę/Czerwone Maki Na Monte Cassino」

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