JAZZYな生活

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音楽的同士A君逝く

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 突然飛び込んできた悲報。50年も前の大学生のころ、バンドを組んでいたメンバーの一人、サックス担当のA君がなくなったと奥様からメールが入った。

 昭和40年(1965年)大学入学、昭和44年(1969年)卒業、ちょうど「団塊の世代」の1年前に生まれた世代である。東大紛争(1969)、70年安保闘争前夜、学生運動が激化した時代に、ノンポリ、バンド活動に明け暮れた仲間である。そんな意味で、政治的同士ではなく、その当時は熱い思いをもった音楽的同士だったといえる。(参照拙ブログ 「我が青春のジャズ・グラフィティ(3)  ~我が愛しの異邦人~ 」 )

 卒業してからは、私はほとんど音楽活動をしなくなったが、A君は、退職後、時間の余裕が出来たのか、プロの手ほどきを受けて、サックスの腕を磨き、アマでありながら、毎年6年続けてライブを開くまでの腕になっていた。何回かライブへの誘いを受けたが、行けなかったことが残念である。

 その後、肺炎を患い、肺活量が減少、息が続かないからサックスを断念し、ギターに持ち替えてライブを目指したいという知らせを受けたのが、2015年の夏。2016年春にはギターでのライブを開いたが、病状が悪化したのか、音楽活動を断念せざるを得なくなったとはがきをもらったのが、昨年春。淡々とした文面であったが、彼の悔しさは伝わってきた。(参照拙ブログ 『音楽的同志「A」君へ 』 )

 彼いわく、「ポール・デスモンドの音色に似ていると周りから言われている」と。 きっと優しくしなやかな音色なんだ。「ポール・デスモンド/Paul Desmond」のアルバムの中でも私が一番好きなアルバム、学生時代によく通っていた店のマスターから教えてもらたアルバム、「テイク・テン/Take Ten」 (1963年)を聴いて過ごす。50年たっても、未だに愛聴盤のひとつ。あの濃密だった時代の思い出とともに ・・・。

 彼の音楽を愛した情熱に献杯。そして、思い出に感謝。  合掌 ・・・。

 Take Ten

 Paul Desmond / RCA

1. Take Ten/2. El Prince/3. Alone Together/4. Embarcadero /5. Theme From Black Orpheus /6. Nancy /7. Samba De Orfeo /8. The One I Love (Belongs To Somebody Else)
  
「Paul Desmond ー Take Ten (Full Album)」

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 そして、彼のサックスをフューチャーしたレパートリーだった「ピーター・ガンのテーマ/Peter Gunn Theme」。「ブルース・ブラザーズ/The Blues Brothers」(1980)より。

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The Blues Brothers , Soundtrack
ブルース・ブラザーズ
Atlantic / Wea


     
     

「Blues Brothers – Peter Gunn Theme」

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遅ればせながら冥福を祈ろう

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 ここ1年近くになるでしょうか、森林ボランティアの山作業、イベントや、桜や花の追っかけなどで忙しく、新譜やアーティストの動向等のチェックを怠っていた。しばらくぶりにチェックをしてみると、びっくりするような悲しいニュースに出くわした。

 オーストラリアを代表する人気シンガー、「ジャネット・サイデル/Janet Seidel」が、去年、2017年8月7日にシドニーの病院で死去したというのである。いや、全く知らなかった。まだ私よりだいぶ若く、そんな年ではないと思っていたのに ・・・。享年62歳だという。

 その優しい歌声ゆえ、私が「ほっこりおばさん」と呼んでいる「ジャネット・サイデル」。彼女のことは、このブログでも随分と取り上げている。最初の登場は2006年8月29日、「我が心のミューズたち(1)~ジャネット・サイデル~」。以来、最も取り上げた女性シンガーであろう。現役時代、北新地にあった私の隠れ家的ジャズ・バーに訪れていたことを知って、地団駄踏んだのも思い出の一つ。

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 彼女を知るきっかけとなった、「マイアミ・ビーチ・ルンバ/Miami Beach Rhumba」を聴いて、遅ればせながら冥福を祈ろう。

 合掌 ・・・・。

アート・オブ・ラウンジ~マイアミ・ビーチ・ルンバ

ジャネット・サイデルインディペンデントレーベル

「Janet Seidel - Miami Beach Rhumba」

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さらば、青春のシネマ・グラフィティ ~ ジャンヌ・モロー逝く ~

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 『映画「死刑台のエレベーター/Ascenseur pour l’échafaud」(1958)、「恋人たち/Les amants」(1958)、「雨のしのび逢い/Moderato cantabile」(1960)、「突然炎の如く/Jules et Jim」(1962)など数々の作品で知られるフランスの大女優、「ジャンヌ・モロー/Jeanne Moreau」が31日、89歳でパリの自宅で死去した。』とフランスのメディアが報じた。

 1928年パリにて、フランス人の父親とイギリス人の母親の間に生まれる。「フランス国立高等演劇学校 (コンセルヴァトワール)」で演技を学び、1948年にデビュー。その後、1950~60年代に、「ルイ・マル/Louis Malle」、「フランソワ・トリュフォー/François Truffaut」などヌーヴェル・ヴァーグ時代を代表し、映画史に名を刻む名監督たちの数々の傑作に出演した。ヌーヴェル・ヴァーグ時代の映画はほとんど見ているが、とりわけ、「死刑台のエレベーター/Ascenseur pour l’échafaud」は、私の映画歴、ジャズ歴に大きな影響を与えた作品でもある。

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 その後、「リュック・ベッソン/Luc Besson」監督の「ニキータ/Nikita」(1990)などにも出演。その1シーンの舞台となったパリの「リヨン駅」の中にある「ル・トラン・ブリュー/La Train Bleu 」、「ブルー・トレイン」と言う名のレストランで食事をしたこともある。
 
 さらに2013年には、10年ぶりの主演作「クロワッサンで朝食を/Une Estonienne à Paris」が日本公開され、全く老いを感じさせない鋭い眼光と圧倒的な演技力を見せてくれた「ジャンヌ・モロー」。「フランス映画界の至宝」とさえ呼ばれていたという。(参照拙ブログ「青春のシネマ・グラフィティ(5) ~突然炎のごとく/ジャンヌ・モロー~」「ジャンヌ・モロー、その存在感は今も ・・・ ~クロワッサンで朝食を~ 」「第14回 ダ・ヴィンチ コード」 など)

さて、「ジャンヌ・モロー」、歌手でもあった。「突然炎の如く」の中で歌ったシーンをご記憶の方も多いのでは ・・・。あの映画の中で、ジャンヌが歌うシャンソンは、「つむじ風/Le Tourbillon」。トリュフォーがその場で即興で映画に取り入れたものだという。 その「つむじ風」をアルバム・タイトルにして、シャンソン、ボサ・ノバ、ジャズ、ポップスを「ジャンヌ・モロー」が軽やかに歌うアルバム、「つむじ風」がある。

つむじ風

ジャンヌ・モロー / マーキュリー・ミュージックエンタテインメント


「Jeanne Moreau-Le Tourbillon De La Vie (in Jules et Jim) 」
 映画のシーンから。

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さらば、青春のシネマ・グラフィティ、「ジャンヌ・モロー」。

合掌 ・・・・・。

伝説的シンガー・ソングライター、「レナード・コーエン」逝く

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カナダ出身のシンガー・ソングライターで、詩人や小説家としても活躍したレナード・コーエン氏が死去したことが10日、同氏のフェイスブックで発表された。82歳だった。

声明は「深い悲しみとともに、伝説的な詩人、シンガー・ソングライター、アーティストであったレナード・コーエンが死去したことをお知らせする。われわれは、音楽界で最も崇拝され、多くの作品を残した才能豊かなアーティストの一人を失った」としている。

「ハレルヤ」や「さよならマリアンヌ」などの代表曲があり、渋いしゃがれ声で世界中のファンを魅了した。詩人・小説家としても知られる。自己の内面などを歌い上げ、「ノーベル文学賞にふさわしい歌詞を書くミュージシャン」と評価する声もあった。(NETより)

「レナード・コーエン/Leonard Norman Cohen」。1934年カナダ・モントリオール生まれ。20代の頃は詩人、小説家として活躍するが、30代半ばの68年、自らシンガー・ソングライターとしてレコード・デビュー。デカダンな雰囲気で特にヨーロッパで絶大な人気を獲得。日本でも熱心なファンも多い。過去30年間に記した詩集、小説、そして12枚に及ぶアルバムを通じて、人間の奥深くに潜む内面世界の謎を認識し、それに対する自分のメッセージ、ヴィジョンを発し続けてきた。70歳を超えてもアルバムをリリースするなど精力的に活動中。漂白の詩人、異端のシンガーソングライターと呼ばれ、後の世代に多大な影響を与えている。奇しくも今年のノーベル文学賞は、「ボブ・ディラン/Bob Dylan」が受賞した。

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私もこのブログで何回かとりあげたことがあり、ダミ声が大好き人間の私にとって、彼は、「ジョー・コッカー/Joe’ Cocker」、「トム・ウェイツ/Tom Waits」などとならんで、好きなアーティストの一人であった。そして、彼の代表曲の一つ、「Dance Me To The End Of Love(邦題;哀しみのダンス)」は、私の音楽的持病「特定曲症候群」を発症させる曲でもあった。(参照拙ブログ 「60歳過ぎたら聴きたい歌(15) ~ Dance Me To The End Of Love~」

原詞も訳詞も難解で、宗教的な背景があることはわかるが、詩が何を意味するのか、実際のところほとんど何も分からない。そして、陰々滅々たる歌い方は、まるでファドかシャンソンを聴いているよう。意味がわからないまま、コーエンのこの歌唱は、病み付きになるほど心に染み入る名唱であった。

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レナード・コーエン / ソニーレコード



【 Dance Me To The End Of Love/哀しみのダンス 】
 
              Leonard Cohen 作詞作曲 滝上よう子 訳詩(ライナー・ノーツから)

「♪ 情熱のヴァイオリンにあわせ踊らせてください
    どんなに辛くとも神に召されるまで踊りましょう
    どうか私の鳩になって安らぎを与えてください
    愛が果てるまでおどりましょう

    たとえみんな去ってしまっても踊り続けましょう
    バビロンの人達のようにあなたのお姿を感じたいのです
    あなたの愛は永遠だと教えてください
    愛が果てるまでおどりましょう

       ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・    ♪」

「Leonard Cohen’s song “Dance Me To The End of Love」

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そして、今年の「伊勢志摩サミット」の時にも、このブログで取り上げた記事。その中で触れた危機感、「ドナルド・トランプ/Donald Trump」米国大統領、フランス人至上主義を掲げる右翼政党・国民戦線の党首、「マリーヌ・ルペン/Marine Le Pen」フランス大統領、英国のEU離脱のうち2つが、実現してしまった。(参照拙ブログ「明るいミライが思い浮かばない」) いやな、予感があたってしまったのだ。

やりきれないほどの暗い未来を歌っているコーエンの歌がある。「ザ・フューチャー/The Future」。同名のアルバム、「The Future」(1992)にも、「モア・ベスト・オブ・レナード・コーエン」にも収録されている。こんな歌を残して逝ってしまったコーエン。

合掌 ・・・。

【 The Future 】  By Leonard Cohen

「♪ Give me back my broken night    壊れちまった俺の夜を返せ
   My mirrored room, my secret life   俺の鏡張りの部屋も、俺の秘密の生活も
   It’s lonely here                 ここでは俺、たった一人だ
   There’s no one left to torture      拷問する輩もいない
   Give me absolute control         絶対的な支配権を俺に与えろ
   Over every living soul           他のすべての生きた魂や
   And lie beside me, baby          私の周りにある嘘を支配する力を
   That’s an order!                ベイビー、それは、命令だ!

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・             ・・・・・・・・・・・・・

  Give me back the Berlin wall        ベルリンの壁を返せ
  Give me Stalin and St. Paul         スターリンも聖パウロも
  I’ve seen the future, brother:        自分は未来を見てきた
  It is murder                   それは殺人だ
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

Future

Leonard Cohen / Sony

「Leonard Cohen – The Future」

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ジャズ・ハーモニカのレジェンド逝く ~ トゥーツ・シールマンス ~

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ベルギーのジャズ・ハーモニカ奏者、「トゥーツ・シールマンス/ “Toots” Thielemans」氏が、22日、ベルギーの病院で死去、94歳。転倒で入院していたが、死因は老衰とされる。

1922年、ブリュッセル生まれ。3歳でアコーディオンを学んだ後、ハーモニカを始めた。1950年にクラリネット奏者の「ベニー・グッドマン/」の欧州ツアーに参加し、国際的にも知られる存在となった。1952年に渡米。「チャーリー・パーカー/Charles Parker」や「マイルス・デイビス/Miles Davis」、「エラ・フィッツジェラルド/Ella Fitzgerald」、「ビル・エヴァンス/Bill Evans」らジャズ界のスターだけでなく、「ポール・サイモン/Paul Simon」、「ビリー・ジョエル/Billy Joel」 など、POS界のビッグ・ネイムとも共演し、ジャズ界の「伝説的なハーモニカ奏者」として不動の評価を得た。米国の子供向け番組「セサミストリート」のテーマ曲を演奏したことでも知られる。5年ほど前、最後の来日公演も行った。「ビートルズ/The Beatles」の「ジョン・レノン/John Lennon」はトゥーツの演奏を見て影響を受け、そのスタイルに憧れたひとりであるという。

ハーモニカという、地味で異色の楽器による演奏をジャズ界に広めた功績は讃えられる。

合掌 ・・・・。

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さて、今宵は彼を偲んで、もうひとりのヨーロッパJAZZ界、大御所、JAZZヴァイオリンの先駆者として、また「ジャンゴ・ラインハルト/Django Reinhardt」の相方としても知られる「ステファン・グラッペリ/Stéphane Grappelli」とのコラボ・アルバム、「Bringing it together」を引っ張り出してきた。彼もまた、1997年に亡くなるまで、長年にわたって、ジプシー・スウィングとして特徴的な楽器で、ジャズ・ヴァイオリニストの第一人者で有り続けた。

ヴァイオリンとハーモニカ、ともに唯一無二の存在で、ヨーロッパ・ジャズのパイオニアにして大御所であるグラッペリとシールマンスのなんと初共演だというアルバム。1984年5月サンフランシスコ録音で、「ジプシー・スウィング」の薫りを色濃く宿しながら、アメリカン・ジャズとは一味も二味も違う雰囲気で、スタンダード・ナンバーを小粋にスウィングさせる。

Bringing It Together

Stephane Grappelli & Thielema / Lisem Records


   
「Stephane Grappelli & Toots Thielemans – As Time Goes By」

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そしてなんといっても忘れられない演奏が、「高倉健」主演の映画、「夜叉」の全編を流れる哀切極まりない演奏。

夜叉

サントラ / ダブリューイーエー・ジャパン

「Toots Thielemans & Masahiko Sato – YaKsa Soundtrack (1984)」

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音のパイオニア 冨田勲氏逝く

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作曲家・編曲家で、シンセサイザー・アーティストの「冨田勲」さんが、5月5日に慢性心不全で亡くなったと報じられた。84歳でした。

冨田さんは、1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHK大河ドラマの第1作「花の生涯」や手塚治虫アニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽などを手がけ、1970年代からはシンセサイザーをいち早く導入。日本人で初めてアルバム、「月の光」が、米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けていた。

初期のころ、作曲家として活動する一方、従来のオーケストラという演奏形態に飽きたらず、新たに出現してきた電子機器と古典的な楽器を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求していた。その後、1969年にモーグ・シンセサイザーと出会ったことが大きな転機となり、これ以降は古典的名曲をシンセサイザーによって現代的な解釈を加えて発表するという活動が中心となった。当時、楽器として輸入しようとしたところ、日本ではシンセサイザーがほとんど認知されていなかったので、税関から軍事機器(むしろアナログコンピュータそのものであろう)と疑われ、楽器であることの証明に長い時間がかかったという。モーグには説明書が付属していなかったので、使い方が全くわからずに苦戦し、「高いだけの鉄くずを買ってしまった」と後悔したことも。 その後、自宅にマルチトラックレコーダーも備える電子音楽スタジオを設置し、電子音による管弦楽曲の再現を試行錯誤しながら、数々の作品を作曲・編曲した。

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1974年には日本人として初めてグラミー賞にノミネートされた。そのレコード「月の光 – ドビッシーによるメルヘンの世界」が国内に逆輸入され、日本でも火が付いたという。次作の「展覧会の絵」は、ビルボード・キャッシュボックスの全米クラシックチャートの第1位を獲得、さらなる次作の「火の鳥」は、ビルボード全米クラシックチャート第5位を、さらにその次作の「惑星」もビルボード全米クラシック部門で第1位にランキングされた、「イサオ・トミタ」の名は、広く世界に知れ渡るところとなった。(Wikipediaによる)

わたしは当時就職したばかりのころ、アルバム「月の光」が異例のベストセラーになったということ、シンセサイザーという言葉に興味を覚え、どんな音だろうと聴きたくなってLPを買ったことを鮮明に覚えている。

すべてに衝撃的で革新的だった音のパイオニア、「冨田勲」氏。私の青春の音楽史の一ページに登場した音楽家でもあった。

合掌 ・・・ 。

月の光 - シンセサイザーによるメルヘンの世界(期間生産限定盤)

冨田 勲 / SMJ


 

「冨田勲 -月の光」  Isao Tomita / “Clair de Lune”」

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この一曲にて光輝く ~ ベン・E・キング逝く ~

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訃報のニュース。

「スタンド・バイ・ミー/Stand By Me」のヒットで知られる米R&B歌手の「ベン・E・キング/Ben E. King」氏が4月30日、米ニュージャージー州の病院で、老衰(自然死)のため死去した。76歳だった。

「ベン・E・キング/Benjamin Earl King」。米ノースカロライナ州出身。1958年に黒人コーラス・グループ、「ドリフターズ/The Drifters」の一員となり、「ラストダンスは私に/Save the Last Dance for Me」などのヒットを歌った。ソロに転じた後の1961年には、「スタンド・バイ・ミー」を発表し、世界で大ヒット。後に「ジョン・レノン/John Lennon」ら多くのアーティストによってカバーされたほか、1986年には、「スティーブン・キング/Stephen King」の短編小説を原作にした映画「スタンド・バイ・ミー」(「ロブ・ライナー/Rob Reiner」監督)の主題歌としてリバイバル・ヒットした。今年3月には米議会図書館が「20世紀に最も放送された曲の一つ」と評価し、保存対象のリストに加えたという。

Stand By Me

Ben E King / Not Now UK

スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編 (新潮文庫)

スティーヴン・キング / 新潮社

スタンド・バイ・ミー コレクターズ・エディション [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

もちろん映画も観たし、本も読んだし、カラオケでもよく歌った。
この一曲にて永遠に光り輝く。合掌 ・・・。

【 Stand By Me 】    作詞・作曲  B.King/J.Leiber and M.Stoller

「♪ When the night has come           夜が訪れ
   And the land is dark             あたりが闇に包まれて
   And the moon is the only light we’ll see  月明かりしか見えなくたって
   No, I won’t be afraid             恐れることなんてないさ
   Oh, I won’t be afraid             怖がることなんてないさ
   Just as long as you stand,           君がずっとそばにいてくれたら
   stand by me                  ずっとそばに ・・・

   So darling, darling              だから、そばにいてくれないか
  Stand by me, oh stand by me          ずっとずっと
   Oh stand, stand by me             いつまでも
   Stand by me                   そばにいてほしいんだ
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・                ・・・・・・・・・・・・・    ♪」

「Stand By Me by Ben E. King」

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あのしゃがれ声はもう聞けない ~ ジョー・コッカー逝く ~

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イギリス出身のシンガーで、そのソウルフルな歌唱で人気のあった「ジョー・コッカー/Joe Cocker」氏が、22日、肺がんのため、アメリカのコロラド州クロフォードの自宅で死去、70歳。

なんとNHKのニュースで知った。「ジョー・コッカー」のハリのある苦みばしったしゃがれ声が大好きで、このブログでも何度となく取り上げた。(参照拙ブログ「雨の日に胡蝶蘭を植替え」「真夏の夜の呪文」「You Are So Beautiful」「しゃがれ声が好き」 など)

もうあのしゃがれ声は聴けないのだ。ただ冥福を祈るのみ。

合掌 ・・・・。

「Joe Cocker – Unchain My Heart」

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最高のベーシスト逝く

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突然飛び込んできた訃報 ・・・。

『チャーリー・ヘイデン氏(米ジャズ奏者、作曲家)米メディアによると、11日、ロサンゼルスで死去、76歳。闘病生活が続いていた。アイオワ州シェナンドア生まれ。音楽家の家庭に育ち、幼少期から音楽を始めた。97年のアルバム「ミズーリの空高く」などでグラミー賞を3度獲得。リンゴ・スターや富樫雅彦ら多数の音楽家と共演した。13年にはグラミー賞生涯功労賞を授与された。』

7月9日についで、今日の拙ブログ「やがては華麗なメタモルフォーゼへと ・・・」で取り上げたばかりである。

「チャーリー・ヘイデン/Charlie Haden」。その卓越したベースラインの美しさがゆえ、私が現在、最高と思ってきたベーシストである。そして、共演者から思いがけない美しい旋律を引出し、奏でさせるマジックを駆使するようにも思えた「デュオの名匠」でもある。(参照拙ブログ「デュオの名匠  チャーリー・ヘイデンの伝説」「棚田の稲穂」「棚田の赤とんぼ」などなど)

驚きと落胆を抑えきれないが、今はただ冥福を祈りばかり。合掌 ・・・・・。

「チャーリー・ヘイデン/Charlie Haden 」が、ピアニストの「ゴンサロ・ルバルカバ/Gonzalo Rubalcaba」や、パーカッショニストの「イグナシオ・ベロア/Ignacio Berroa 」というキューバ出身のチームとトリオを組み、ボレロの名曲をプレイしているアルバム、「ノクターン/Nocturne」で彼を偲ぼう。


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Charlie Haden / Umvd Labels

このアルバムから何曲か ・・・。

「Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba – Tres Palabras(Three Words)」

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哀切のヴァイオリンの調べ ・・・。「Charlie Haden & Gonzalo Rubalcaba – El Ciego(The Blind)」

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我が青春のジャズ・グラフィティ、「ホレス・シルヴァー」逝く 

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ロイター通信によると、ジャズ・ピアニスト、「ホレス・シルヴァー」氏が18日に死去、85歳だった。

「ホレス・シルヴァー/Horace Silver」。1928年、アメリカ、コネティカット州ノーフォーク生まれ。ファンキー・ジャズの代表的なアーティスト。1950年代から米国の名門レーベル、「ブルーノート/Blue Note」でアルバムを出し続け、ドラム奏者の故「アート・ブレーキー/Art Blakey」氏らとともに、ハード・バップの発展に寄与し、モダン・ジャズの黄金期を支えた。代表曲に「ソング・フォー・マイ・ファーザー/Song For My Father」などがある。

アフリカ系ポルトガル人の血を引くカーボベルデ人の父と、アイルランド人とアフリカの混血の母を持つという出自のため、彼の独特のファンキー・スタイルは、ゴスペル音楽やアフリカ音楽、ラテン音楽等幅広い音楽のスタイルに影響されているという。そのことが、ビ・バップをゴスペル、ブルース、R&Bの要素で和らげ、のちに「ブルーノート・サウンド」と認識されるソウルフルでモダンなジャズを生み出すことになる。

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初期はサックス奏者であったが、「バド・パウエル/Bud Powell 」に強く影響を受け、後にピアノに切り替える。ニューヨークに移り、「アート・ブレイキー」と組み、1954年に1年半後には脱退してしまうが、「ジャズ・メッセンジャーズ/The Jazz Messengers」の創始する。その後は、自分の「ハード・バップ・クインテット」を作り、「ブルー・ノート・レコード」に「Song For My Father」等多くのアルバムを残した。

我々世代が若者だったころの性癖の一つがJAZZ好き、私も同じようにJAZZに憧れ、当然のように「JAZZ喫茶」へ出入りしていた。(参照拙ブログ「我が青春のジャズ・グラフィティ(4) ~ジャズ喫茶の作法~」 など) その頃全盛だった「ホレス・シルヴァー」の代表作といえば、「The Preacher」、「Nica’s Dream」、「Opus de Funk」、「Sister Sadie」、「Blowin’ the Blues Away」、「Quicksilver」など多数あるが、やはりトドメを刺すのは、アルバム・タイトル曲にもなった「Song for My Father」 (1964)であろう。本当に、この曲はよく聴いた。いまでもメロディはもちろん、アドリブのフレーズまでちゃんと覚えているくらいである。


Song for My Father

Horace Silver / Blue Note Records

「アート・ブレイキー」の「モーニン/Moanin’」や、「カーティス・フラー/Curtis Fuller」の「Five Spot After Dark」(1959)などと並んでJAZZ喫茶の人気曲だった「Song for My Father」を。
そして、合掌 ・・・・。

「Horace Silver – Song for My Father」

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