(雨に煙るヤマボウシ、山遊びのフィールドにて)
「菊水の旗
ひるがへれ
金剛の
嶺わたりゆく
雨ほととぎす」
前 登志夫
いよいよ始まった長雨の季節。「松下幸之助」翁に、たしかこんな言葉があった。「不景気もまたよし」。「自分ではどうすることもできない環境を嘆いても仕方がない。こんなときほど絶好の体質強化のチャンスである。」という趣旨の言葉である。「梅雨もまたよし」、そう思って「晴耕雨読」をきめ込むために何冊か本を仕入れてきた。
バブル以後、失われた20年、混迷と漂流を続けている日本の政治。これを成熟した民主主義国家への脱皮、再びの成長への試練の時期と考えれば、「混迷もまたよし」と考えられなくもない。 プラス思考、「気は持ちよう」である。次の時代の日本を見定める、そんな手掛かりやヒントになりそうな本を3冊。さて、この季節にじっくり読んでみようか ・・・ 。
期待の本3冊の最初は、「ローマ人の物語」で人気の高い「塩野七生」の「日本人へ」シリーズから、「リーダー篇」と「国家と歴史篇」。「なぜリスクをとるリーダーが日本に出ないのか? 今のこの国になにが一番必要なのかを、危機に陥るたびに挽回したローマ帝国に学べ」と語る。「文藝春秋」巻頭随筆の新書化。

日本人へ リーダー篇 (文春新書) 塩野 七生 / 文藝春秋
ローマ人と対話し、歴史と向き合いながら、彼女が考えた「この国のかたち」。とらわれない思考と豊かな歴史観に裏打ちされた日本人へのメッセージ。

日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書 756) 塩野 七生 / 文藝春秋
今、サッカーのワールド・カップ開催に湧く南アフリカ共和国。明治31年(1897年)、その南アフリカへ妻とへ渡り、ケープタウンで輸入雑貨店を大繁盛させた男がいた。「古谷駒平」、店の名前は「ミカド商会」。日本人の乗った船や軍艦がケープタウンを訪れたときには、日の丸を持って必ず迎えに行ったという。また、南アフリカのマダガスカルに住んでいた「赤崎伝三郎」という人は、日露戦争の折に、ロシアのバルチック艦隊がマダガスカルに寄港すると、戦艦の種類や隻数、兵員数などを調べてボンベイにある日本領事館に知らせたという。100年も昔に、島国日本を飛び出し、とてつもなく遠い国や地域へ敢然と足を踏み入れ、力強く生きた市井の人々。皆、日本人であることを誇りに思い、日本という国をとても愛していた人たちがいた。熊田忠雄著「そこに日本人がいた」。

そこに日本人がいた!―海を渡ったご先祖様たち (新潮文庫) 熊田 忠雄 / 新潮社
そして、「晴耕雨聴」をきめ込むためのJAZZボーカルのアルバム・タイトルは?といえば、もうこれでしょう。惜しまれつつこの世を去って20年を経た今も、その魅惑的歌声で多くのJAZZヴォーカル・ファンの心をつかんで離さない「アン・バートン」。そのアルバムから、「雨の日と月曜日は」。エキゾチックなアルバム・ジャケットは、2008年9月、惜しまれつつ亡くなったJAZZ写真家「阿部克自」氏のデザイン。

雨の日と月曜日は アン・バートン / ミューザック
キュートで、コケティッシュな白人美人ヴォーカリスト「スー・レイニー/Sue Raney」のジャズ・ヴォーカル史に残る傑作は、雨をテーマにした詩情溢れる「雨の日のジャズ/Songs For A Raney Day」。「Rainy」と「Raney」とをかけ、雷鳴で始まり雷鳴で終わるこのアルバム、1959年録音ながら古臭さはまったくなく良き時代のJAZZの香り溢れる名盤。

雨の日のジャズ スー・レイニー ビリー・メイ楽団/東芝EMI
そういえば、和製のJAZZYな曲で「日野てる子/ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」なんて曲がありましたね。2008年9月惜しくも亡くなった彼女は、日本のハワイアン女性歌手として、ヒット曲を飛ばし、人気を博した最初の歌手ではなかっただろうか。長いストレートの黒髪に、ハイビスカスの花を一輪飾って歌うその姿は、彼女のトレードマークとなり、いまでも鮮明に覚えている。
聴いてみますか? 「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」。 「夏の日の想い出」と並ぶ1965年のヒット曲。

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