プレミアムエイジ ジョインブログ

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あいつが辞める

  
  私が社長をしていた前の会社にWという社員がいた。ある保険会社のシステム関連会社のプロパー社員だ。年齢は僕の丁度10歳下。入社以来ずっと保険システムに従事して来た点では、僕と同じだ。

  10年前、私が属する保険会社が別の保険会社と合併することになり、システム統合を行なった。その時、自動車賠償責任保険(自賠責)のシステムは相手社のシステムに寄せて一本化することになった。

  システム統合の一方の責任者であった僕は、相手社の自賠責システムを知る必要があり、相手社システム部門のメンバーに、様々突っ込んだ質問をしたが、なかなか明解に答えてくれる人がおらず、誰かそのシステムに詳しい人を連れて来て欲しいと要求した。

  だが、現れたのはシステム部門の人間ではなく、商品開発部門の自賠責担当者だった。彼は、システムや事務処理を含めて自賠責全体のオーソリティーだと言う。自賠責だけは現金取り扱いが基本なので、金銭授受を含めて様々なリスクがある。それらをどうチェックし防御しているのかが、僕の最大の関心事だ。

  それに答えてくれる人物がやっと現れたと思った。しかし、自賠責の保険内容や事務フローなどについては答えられても、肝心のシステム内容を把握している訳でもない。僕は段々イラついて行った。「なんでシステム部門のメンバーが、自賠責システムの中身を知らないんだ?」と声を荒らげてしまった。

  その時、相手社システム部門の次長さんが、「子会社の社員でも宜しければ、自賠責システムの担当者を連れて来ますが」と言う。「えっ! 何だ、ちゃんといるんじゃない。早く言ってよ」「子会社の人間じゃ失礼かと・・・」「親会社だの子会社だの、一切関係ないよ。実務に強い人間だよ、必要なのは」。そこに現れたのがWだった。

  Wは僕の期待に違わず、自賠責システムの全貌を説明してくれた上で、僕の繰り出す沢山の質問に丁寧に答えてくれたので、やっと僕の疑問は解消された。その上で、「今のシステム機能でほぼ大丈夫だと分かったが、ここだけは機能改善して貰いたいが、可能か?」と質問すると、「勿論、可能ですし、直ぐにやれと言われれば、今週中に仕上げます」。

   こいつは使える。機能改善は彼が言う通りその週の内に完了したのだった。このことを通して僕は2つのことを感じ取った。1つは、相手社システム部門(親会社)より、子会社のSE達に好印象を持ったこと。2つ目は、システム開発やシステム改変の実務は、システム部門(親会社)のSEではなく、子会社のSE達の仕事となっていること。僕が必要としているのは、勿論、実務に強いSEの方だ・・・。

  その象徴だったWが、明日、会社を辞める。実はそのことで、1ヶ月前、2人で飲み明かした。理由を聞いて僕は、彼が辞めるのやめさせよう、とは思わなかった。
   

2010 年 3 月 9 日   1 Comment

沖縄(9)  - 完 -

  
  その晩は、直ぐ近くでマスターのお母様が経営する民宿があり、そこに泊めて貰ったのだが、翌朝、宿泊代を払おうとしても、そのお母さん、「昨晩は大変協力して頂いたようなので結構です」と受け取りを拒否されてしまった。マスターには大きな借りが出来た。

  翌日は、大森教授と2人午後の飛行機までの時間、2箇所に絞って観光した。1つが読谷村の残波岬近くの「むら咲きむら」。広い場所に琉球時代の住居・街並みを再現した観光スポットで、中では100種類に及ぶ様々な体験をすることが出来る。

  入場料500円也を払って中に入ったが、日曜日にも拘わらず、入場者の姿は僕等以外見当たらない。まだ早い時間だからだろうか。それでも朝10時は過ぎているのだが。ここは一般の観光コースには入っていないそうだが、新婚さんには人気スポットだとか。

  確かに、古き琉球を思わせる家並みと石造りの塀、ガジュマルの鬱蒼とした木々。近くには東シナ海が広がる印象深い場所。夫々の建物の中に入ると、シーサーの色付けや装飾品作りなどを実体験出来る教室が沢山用意されている。新婚旅行の思い出としてそれらに挑戦するカップルも多かろう。

  そんな場所なのに、大森教授と僕の他は誰もいない。彼もきっと同じことを思ったに違いない。「贅沢は言わないが、せめて相手が女性だったらなぁ」と。(それが贅沢?)

  「むら咲きむら」を後にして、車で一路那覇へ。途中、普天間、嘉手納などの標識が現れる。5月に結論を出すというが、鳩山さん一体どうするんだろう? 58号線を南に向かう車のカーナビには、道路の左側に何も書かれていない敷地がずっと続いている。嘉手納基地だ。沖縄の占領状態は今も続いている。

  2つ目の観光スポット、那覇国際通り近くの「牧志公設市場」。「むら咲きむら」もこの「市場」も大森教授は大変詳しく、僕のガイドを務めてくれたようなもの。市場1階は通常の売り場、観光客でごった返していた。2階は大食堂だった。何件もの食堂が連なって相当大きな収容能力がありそうだが、やはり、大勢の観光客に占拠されている。

  ここだけを見る限り、日本一活況を呈する場所のように見える。丁度昼食どきということもあって、最初の一周で僕等2人が座れるテーブルが見付からず、2周目に入って丁度立ち上がった客の後に滑り込めた。チャンプル料理とトーフヨーをつまみにビールを頼み、沖縄最後の乾杯。昨晩の豚シャブの美味しさを忘れられず、アグー料理の定食で腹を満たした。

  いやー、今回の沖縄ツアーも大森教授と一緒だったので、良く飲んだ。良く食べた。前回(2008年12月)も彼と行動を共にしたから、最初サッパリ分からなかった那覇市内の位置関係もかなり詳しくなった。

  大森教授は午後3時の飛行機ということで、一足先に空港に向かった。僕は、国際通りを散歩して、路上で繰り広げられる大道芸のパフォーマンスに見入ったり、みやげ物などを買って時間を潰し、5時過ぎの飛行機で羽田に向かった。

                           沖縄  ― 完 ―
  

2010 年 3 月 8 日   No Comments

続 愛しのコーラス隊

  
  昨年12月に、クリスマス・コンサートを行ったコーラス隊、「TUBASA」について書いた。1年と少し前まで、コンサートではいつも「クーペ&Shifo」のバックコーラスを務めていたコーラス隊だ。必然的に僕等おじさんバンドとも親しかった。

  今は彼女達(男性も数人いるが)独自の活動を行なっているのだが、また一緒にやる機会が出来ないかなぁ、僕はずっとそんなことを思っていた。何かその「糸口」でも掴めたらと、コーラス隊のクリスマス・コンサートに出掛けたのだった。

  だが、期待とは裏腹に、いろいろあって一旦解消した関係は、時間が解決するのを待つしか方法がないという印象だった。覆水盆に帰らずとまでは言えないが、時期尚早の感否めず、その時期を気長に待つことにしたのだった。

  ところが一昨日、定例の「スタンドバイ・ミー」金曜日おじさんバンドの練習日、別れ際に、おじさんバンドでボーカルとギターを担当し、また、「TUBASA」でバンマスを務める斉藤さんが、「3月13日夕方、駅前でコーラス隊が屋外コンサートをやることになりましたので、皆さん是非来て下さい」と言う。

  斉藤さんの尽力で、「TUBASA」の活動の場がどんどん広がって行っているようだ。よっ、コーラス隊。頑張れ。僕は家から近いから是非応援に行こう。斉藤さんが更に続けた。

  「もう一つありまして。実は、今年の12月24日に同じ駅前の公共のホールでクリスマス・コンサートをやらせて貰うことになりました。ついては、相談なんですが、是非おじさんバンドの皆さんにも一緒に出て欲しいんです。先週、メンバーで話し合った時、そういう意見が多く持ちあがりまして」

  僕は驚いた。もう一度コーラス隊と一緒に、という「糸口」がこんなに早く(と言っても年末だが)訪れるということに。それも、コーラス隊のメンバー達の声がもたらしてくれたというから、胸に何とも言いようのない嬉しさが込み上げた。独りよがりながら、僕の思いがコーラス隊に届いたと感じたのだ。

  斉藤さんの提案を一緒に聞いていたクーペが、「それ、なかなか面白いと思うよ」と答えた。

  おじさんバンドに異論があろう筈はないから、このクーペの一言で「糸口」は確実に実現する。斉藤さんも、コーラス隊とおじさんバンドだけでこっそり話を進めるのを良しとせず、「クーペ&Shifo」がいる席で提案したのは流石だ。

  コーラス隊が去って、「クーペ&Shifo」の輪が小さくなってしまった寂しさは、おじさんバンド全員が感じていること。もし可能なら、「年取った白雪姫と7人のジジイ達」で出られると最高なのだが。ともあれ、コーラス隊とジョイント出来るとしたら、こんな嬉しいことはない。
 

2010 年 3 月 7 日   No Comments

沖縄(8)

 
  「しんちゃん」は、ある劇団の座長さんというが、漫談をさせたら、その面白さはおそらく日本の3指に入るだろう。クーペがマイクで「しんちゃんが駆け付けてくれました」と言ったら、会場は「ホントに?」と驚きと興奮のるつぼ。全員が後ろ(入口)に一斉に振り向く。観客にとって「しんちゃん」の登場は、僕等の想像以上のサプライズのようだ。

  実は「しんちゃん」、「この後仕事があるので、クーペさんに挨拶だけして帰ります」と言いながら入口から入って来たのに、このまま帰れなくなりステージへ。短時間の漫談。

  「青年失業家のしんちゃんで~す。毎日失業安定所に通っていま~す」、場内大爆笑。観客との当意即妙の掛け合い。頭の回転の速さを感じるがイヤミがない。寧ろ、次はどう言うのかと、こちらをのめり込ませる。頭の中に沢山の引き出しがある。

  客に尋ねてる。「クーペ&Shifoに、高岡建治さんと岡崎友紀さん、おじさんバンドのおまけが付いて入場料幾らですか?」「2千円」「えっ! 2千円!? やすー。クーペ&Shifoの帰りの飛行機代が少し足りないようです。どうか皆さん、あちらに置いてあるCDを全部買って帰って下さいよ」

  「しんちゃん」が引き上げて行った。効果抜群。CD購入希望者が受付に殺到した。それを捌くShifoがてんわやんわ。嬉しい悲鳴。

  そして、ライブの最後は出演者全員で「なだそうそう」を演奏して終了した。ライブ開始が午後7時ごろ。終ったのは10時になっていた。だが、僕等にとって、あっという間だったから、多分、お客さん達にも3時間とは感じなかったのではないだろうか。

  沖縄は、気候も暖かいけど、人々の心がもっと温かい。こんなライブに参加させて貰ってる幸せを感じない訳には行かない。演奏旅行が若い時からの夢だった。「クーペ&Shifo」と一緒におじさんバンドを続けて来て良かったと、僕の本音がそう言っている。「クーペ&Shifo」に感謝。

  お客さんがみんな帰った後、「おきなわ道楽」のマスターが出演者(クーペ・Shifo・高岡建治・岡崎友紀・おじさんバンド2人)に、豚シャブを振舞ってくれた。こちらの豚は「アグー」と言って、柔らかくてとても美味しい。

  クーペの店では、スタッフ達全員で3月末をゴールとする「ダイエット・ダービー」を実施中で、クーペもShifoも出場馬なのに、「アグー」のあまりの旨さに、ダイエットを完全に忘れて食べていた。
 

2010 年 3 月 6 日   No Comments

僕でも怒るよ

  
  昨日の馬渕国交副大臣の記者会見を見た。アホかと思った。当プレミアムエイジにも載る猪瀬直樹がブログで怒るのも分かる。猪瀬が友人だから分かると言うのではない。政権交代で僕も大いに期待した民主党の考えが、サッパリ分からなくなったのだ。

  道路公団による放漫経営、政治家と地方の利権と結び付いた採算度外視の道路建設、その結果、道路負債40兆円の無責任国家像が露呈した。これをどうやって解決するか。

  猪瀬は、当時道路公団民営化委員会で、高速道路の新規建設に民間事業では当り前の「費用対効果」基準を導入し、且つ、民営化会社の体力の範囲内道路建設を行なう枠組を構築して、利権や政治介入を排除した抑制的な道路建設、民営化会社が40兆円の負債返済が可能となる新しいスキーム作りに奔走し作り上げた。だから、それを再び元に戻すような民主党のやり方に猪瀬が怒るのはよく分かる。

  麻生首相の時に、人気回復か、地方経済梃入れか、はたまた民主党の高速道路無料化マニフェストへの対抗か、良くは分からないが、土日1,000円を実施した。しかし、そうすると民営化された高速道路会社が採算割れになるので、それを補填するため、年間2,500億円の税金10年分2.5兆円を投入した。民間企業への税金投入となるから、その用途も厳密に法律で定めた。

  が、昨日の話は、土日1,000円はやめて、その財源で高速道路を作ろうということになったと言うのだ。またぞろ道路建設が政治家の手に戻る。「費用対効果」基準は都合の良い数字にでっち上げ、地方票のためなら絶対に道路を作る。気が付けば負債は80兆円に・・・・・、なんてね、歴史は繰り返すから。

  これじゃ、一昔前の自民党と同じじゃん。それを主導してるのが小沢幹事長だもの。あの土建屋国家を作った田中角栄の秘蔵子だもの。すったもんだの末に道路公団が民営化され、自民党の領袖や道路族達は、新しいスキームで已む無しと諦めたのに、どっこい、古い自民党が民主党の中に生きていた。

  前原さん、馬淵さん。堂々と闘ってよ、小沢さんと。「本当は反対だけど小沢がそういうなら仕方ない」って国民には見えちゃってるよ。民主党が掲げたスローガン「コンクリートから人へ」は何処へ行った?

  2.5兆円を無駄な道路建設に使うくらいなら、日本の産業の「競争力」強化に使ってよ。エコ技術でも代替エネルギーでも中小企業支援でも、将来の日本の食い扶持確保のために。
   

2010 年 3 月 5 日   No Comments

沖縄(7)

  
  20分の休憩後、第2部は高岡建治の「太陽は燃えている」(原曲はエンゲルト・フンパーディンク歌)で始まった。会場から「オオ!」というどよめきの声。今まで沢山彼の歌を聴いたが、この曲が高岡建治の大声量とフィーリングに一番合っていると思った。

  ということは、マンディー(おじさんバンドのボーカル)にも、これを練習させなくては(おじさんバンドの斉藤さんとマンディーは高岡建治の歌い方をお手本にしている)。

  そしていよいよ岡崎友紀。自分のヒット曲を歌った後の彼女のMC。

「私が30年ほど前、沖縄海洋博に招かれて沖縄に来た時に、ファンとして来てくれて、私と握手したかったけど勇気が無くて握手出来なかったという女性の方が、このライブのチラシを見て、今度こそ握手したいと来てくれています。次の曲は、そんな彼女の隣で歌いたいと思います」

と言って、マイクを持ってレストラン中程のテーブルまで進み、その女性の隣に腰掛けて歌い始めた。女性は感無量といった表情。それを見ている僕の心も温まる光景だ。歌い終わった後、2人はがっちり握手した。その女性の目には涙が光っていた。

  最後に高岡・岡崎のデュエットで「ニューヨーク・ニューヨーク」を熱唱してくれた。神戸出身の高岡建治が神戸復興を願ってライブを開催した姿や、9.11のニューヨーク・テロから立ち上がろうとする人々の姿に触発されて、原曲に岡崎友紀がオリジナルの日本語詩を付けたもの。

  2人の歌唱力と体全体を使ったパフォーマンスの素晴らしさは、マンハッタンでミュージカルを見ているような錯覚さえ覚えた。

  引き続き、マスターの息子さんと、息子さんの友達のお兄さんという2人による沖縄の歌ライブ。三線と太鼓の音が「あぁ、ここは確かに沖縄だ」と思わせてくれる。沖縄の音楽を堪能していたら、入口からある男が腰低く入って来た。「しんちゃん」と呼ばれる、沖縄では超の付く有名人だ。

  僕も、2008年の12月に公演で来た時、「しんちゃん」がゲスト出演で出てくれたのでよく覚えている。兎に角しゃべらせれば腹を抱えるくらい面白い。沖縄では「綾小路きみまろ」より遥かに人気があるのだ。
   

2010 年 3 月 4 日   No Comments

教会でライブ(2)

 
  今回のライブでは、たまたま「クーペ&Shifo」のスタッフに柏美女軍団というグループがいて、彼女達の地元なのでその関係者も大勢駆け付けてくれた。

  柏美女軍団の1人、聡子。幼稚園の先生。只今サックス特訓中なのだが、彼女の勤め先の幼稚園の先生達が大勢詰め掛けてくれた。

  もう1人はくっちん。彼女はデパートなどに入っている専門店の洋品販売マネージャー。目下アコーデオン練習中。今日は、そのアコーディオン教室の先生と生徒十数人でアコーディオン・オーケストラとして演奏してくれるという。

  実は、聡子もくっちんも、今日は「クーペ&Shifo」+おじさんバンドに加わって演奏することになっている。所謂デビューの日なのだ。それもあって、前の晩、クーペの店で最終特訓して今日に備えている。僕等にとっても大変楽しみなのだ。

  Shifoトリオ(ベース:純次さん、ドラム:僕)で1曲演奏した後直ぐに2人が呼ばれた。彼女達が加わって2曲。「ウェーブ」と「コーヒールンバ」。ピアノに合わせてアコーディオンが入る。くっちんなかなか良い。聡子のサックスも練習の時より音が良い。デビューの舞台としたら絶対に合格点でしょう。なかなかやるなぁ。大したもの。

  Shifoに促されて夫々が挨拶。2人とも堂々としたもの。時間があればもっともっとしゃべりたいといった趣き。全く動揺なし。「あがる」ということを全く知らない子供達。デビューの舞台なのに何であんなに平気なんだろう。32歳の身空で。

  くっちんは兎も角、聡子なんて華奢な身体で弱々しくさえ見えるのに、ステージに上がると、嬉しくてしょうがないといった風情で演奏もし、しゃりもするんだから、おじさん、もう分からない。

  休憩時間に、アコーディオン隊がドボルザークの「新世界」6分バージョンを演奏してくれた。これがまた素晴らしかった。十数台のアコーディオンが一斉に音を出すと、なかなかの迫力だ。初めて見聴きするアコーディオン・オーケストラ。「新世界」が好きになりそう。

  その後クーペが登場して会場を沸かせ涙流させ、説得力ある鈴木牧師の講話に聞き入り、この日のライブを終えた。

  千葉県初上陸で、教会ライブというのも初めだった。これまで、老人ホーム → 病院 → お寺 → 霊園 と、還暦過ぎの慰問コンサートに相応しい場所で、暗示の順番でやって来たが、何か足りないなと感じていた。

  そう教会だ。ジグゾー・パズルの最後の1ピースがやっと揃った。欲言えばどこぞのモスクでやれたら完璧だな。お寺、教会、モスク、と来れば世界3大宗教慰問ライブ達成だから。
 
                                 教会でライブ  ― 完 -
   

2010 年 3 月 3 日   2 Comments

教会でライブ(1)

  
  先週は千葉県でライブをやって来た。それもキリスト教会で。2月は誠に忙しい。毎週のようにライブ。名古屋、沖縄、そして千葉。今回は柏市の教会で行なったのだが、鈴木牧師という方が自分の教会に招いてくれたのだ。

  何かの講演会で、鈴木牧師とクーペが講師側で同席したことがあり、話してみたら、2人ともテレビ番組「アンビリーバボー」に取上げられたという共通点があり、一気に親しくなったという縁で今回のライブが実現したのである。

  クーペはホームレス寸前だった時に娘から来た手紙で奮起して、28年ぶりに娘と再会出来た奇跡。鈴木牧師は人の道を踏み外した人生から、人の道を説く人生へ転換出来た奇跡。

  僕等は例によって、最小構成で臨んだ。即ち、「クーペ&Shifo」とベース(純次さん)&ドラム(神童)の4人構成。

  楽器と4人を乗せたワンボックス・カーで教会に乗り着けた。教会の建物には一風変わった看板が高々と掲げられていた。「人生やり直し道場」。鈴木牧師は教会でその道場も主宰されており、道を誤った人達の更生の支援をされているのだ。

  早速中に入れて貰った。玄関を入ると、直ぐに礼拝堂になっているものと思ったら、1階はヒップホップの練習スタジオになっていて、小学生達が大勢インストラクターの指導を受けていた。全く教会らしくない。

  純次さんは面白い。「あんな小さいうちに、人生やり直してるんだ」と呟く。

  どうやら礼拝堂は2階らしい。ライブはそこでやるのだそうだ。礼拝堂に行ってみるとこれがまた、先入観としてある礼拝堂とは全く異なっている。

  正面が教壇のようになっていて、中央にステンドグラスのような模様の大きな十字架が掲げられているので、辛うじてキリスト教会だと分かるくらいで、教壇に向かって椅子が並べられ、教壇の横にはグランド・ピアノが置いてある。教会というよりもカルチャー・センターの大きな教室のような雰囲気だ。

2010 年 3 月 2 日   No Comments

沖縄(6)

 
  会場の「おきなわ道楽」(レストラン)はほぼ満席。ライブは和やかな内に始まった。最初はShifo(シンセ・ベース)と大森教授(ピアノ)と僕(ドラム)のトリオで5~6曲。このところオープニング曲に使っている「クレオパトラの夢」。このアップテンポのジャズ・ナンバーが僕にとっては非常に乗り易い。

  その後はいつもやる曲を数曲演奏した後、クーペが沖縄の思い出を詩にしてShifoが作曲した「サトウキビもらった」を演奏。続いて「恩納村の海は恩納村の海のまま」というオリジナル曲。地元を歌った曲だけに、観客からの拍手も一層大きかったようだ。恩納村の観光案内ビデオのテーマ曲に採用されている曲だ。

  そしてShifoトリオ、最後の曲は「どっちでも不思議」。歌い終わってShifoが「ではここでクーペを呼びたいと思います。クーペです」。クーペは会場の一番後ろからステージに向かう。その間、クーペの登場を待ちに待っていた客はやんやの喝采で迎えてくれた。

  それもその筈で、今日のお客さんは、クーペが過去4~5回の沖縄公演で知り合った、多くの方々だからだ。闘牛関係の会社の人々や、泡盛の酒造メーカーの社長以下数名のグループ、月桃そば製造会社の社長と従業員、くるくまという総合食品会社の役員さんご夫妻。

  それに、6月に石川市民会館で1000人規模の「クーペ&Shifo」コンサートを主催してくれる、リハビリ団体の会長さん達、更に地元の商工会議所の実力者などもいる。みんな「クーペ&Shifo」を気に入ってくれていて、後ろ盾になってくれている人達だ。これらの人々とクーペが知り合いになれたのも全部「おきなわ道楽」のマスターのお膳立てがあってのこと。

  今回「クーペ&Shifo」を見るのが初めてという人も多いが、沖縄全土で週1度、「クーペ&Shifo」のラジオ番組が流れており、それを聴いてくれているリスナーの方々もかなり多かった。Shifoはラジオを聴いて来てくれた人達がいることに大感激だった。
 
  会場はこのような人達ばかりだから、ほぼ全員が既に「クーペ&Shifo」ファンと言って良い。そんな打ち解けた雰囲気の中、クーペのショーが始まった。

  「悟りじゃ」を皮切りに、「頑張らないで」他数曲、最後に「25年ぶりの手紙」で第1部のステージを終えた。ここまで1時間余り。第2部を「高岡建治・岡崎友紀のライブ」に当てていたから短めにしたようだ。観客の反応の良さに、クーペやShifoのみならず、僕も大森教授も心から演奏を楽しめたライブだった。

2010 年 3 月 2 日   No Comments

沖縄(5)

  
  午後4時頃「ココナッツ・ムーン」を出て、車3台で今晩のライブ会場となる「おきなわ道楽」というレストランに着いた。会場に入ったら、ステージの上に組み立て前のドラム・セットが置かれていた。「おきなわ道楽」のマスターが、東京から持ってくるのは大変だろうと、近くの学校からドラムを借りておいてくれたものだ。

  僕がドラムの組み立てを行なっている間、Shifoはマイクの音量や音質の調整を行なっている。Shifoがおじさん風のPA(音響さん)にテキパキと指示を出す。それも終わり、1~2曲リハーサルを行って僕等の準備は完了。

  次に高岡建治と岡崎友紀のリハーサル。高岡建治はいつも、僕等おじさんバンドをバックにジャズを歌ってくれるのだが、今日は、持って来たCDを流してカラオケをバックに岡崎友紀とデュエットなどを何曲か歌うということだ。

  ところが、高岡氏が持って来たCDは中身が全然違うものだったことが判明。万一を考えて一緒に持って来たMDの方は間違ってないらしい。だが、「おきなわ道楽」のマスターに聞いてもMDプレーヤーはないと言うし困り果てていたら、PAのおじさんが、「じゃぁ、私が家から持って来ましょう」と言ってくれた。

  その間、休憩となり、僕と先生はレストランのベランダに出て、夕日に輝く海を見ながら、マスターが振舞ってくれたビール・ジョッキを傾けていた。このレストランは、高台に作られ、且つ、2階建ての2階だから恩納村の海(東シナ海)が一望に見渡せるのだ。

  30分も経っただろうか。PAのおじさんが車で戻って来た。デッキを片手に抱えてレストラン内に消えた。そして、10分後、また、PAのおじさんは同じものを抱えてレストランから出て行った。車に何か忘れ物でもしたんだろうと思っていたら、車ごとまた何処かへ行ってしまった。あれっ?

  Shifoに訊いたら、「間違ってまたCDデッキを持って来ちゃって、MDを取りに家に戻った」とのこと。えっ! PAのおじさんがとってもユーモラスに見えて笑えるのだが、もう5時半を優に過ぎている。客は6時過ぎには入り始めるだろうから、リハが出来ないかも知れない。最悪、MDデッキが無かったら、高岡・岡崎のステージはどうするんだろう。

  気を揉んでいたら6時過ぎて、PAのおじさんが違うデッキを持って現れた。今度は大丈夫らしい。ShifoがOKサインを送って来た。早速、高岡・岡崎ペアのリハーサルが行なわれた。既に客席には何組も座っていたが、何とか間に合った。高岡建治も自分が間違って別のCDを持って来てしまったことが原因だったので、PAの彼に平身低頭してたのが可笑しかった。

  後からマスターが言うには、彼はPAの専門家ではなくて、バンドマンなので見よう見真似でPAを覚えたらしい。この日はボランティアでリハーサルにだけ付き合って貰ったんだとか。

  結局彼はその後のライブの最後までPAをやってくれたのだ。乗り掛かった船とは言うものの、なかなか出来ることではない。心の温かい沖縄人の一端を見た思いだった。

2010 年 3 月 1 日   No Comments