プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 2月 2008

エピソード(1)

多摩地区の先行実験も終盤に差し掛かかった頃、社内ではF部長が会社の経営会議に、分散型オンライン・システムの全店展開計画を上申すべく、取締役会用の議案作成に入った。当然、僕もSもそれに狩り出されたが、こういう経営会議用の議案作成は先輩のNさん(課長)達の仕事だったので、僕等はNさんやHさんのお手伝いとして参加した。

システムの内容や現場の事務の変化などの細かな点は、僕とSが一番良く知っているから、勢い、僕等の言ったことが議案に色濃く反映される。だが、なかなかFさんのOKが出ず、何度も何度も書き直しさせられた。

何度目かのNGの時、F部長にその理由を尋ねたら、F部長は「システムの中身がどうなっているかなんて、細かいところはどうでも良いんだ。このシステムは他社と何が違うのか、それが何故良いのか、このシステムによって、会社がどう変わるのか、全国の営業部門が今までとどう変わるのか、その変化は会社にとってどれだけプラスなのか、全く明確でない」と言われた。

更に、「ミニコンはホスト・コンピューターより安いとは言え、会社にとっては大きな投資になる。経営陣にそこを理解して貰わないと、投資判断が出来ない。それだけでなく、こんな議案では神童やSのやった仕事の本当の価値が経営陣に伝わらない。それを伝えるのがNの責任なのだ」。

F部長にそこまで言って貰えたのは嬉しかったが、その分、N課長には申し訳なかったと思った。僕等の作ったシステムの中身を説明して、経営陣に投資をお願いするのだと思ったから、僕は、それを一生懸命にNさんに伝えると同時に、そういう議案の下書きをして来たのだ。ところが、それは完全に間違いだった。

僕はN課長に深くお詫びし、Fさんの求める議案は、手前味噌みたいで製作者の自分には書きにくいし、経営者の視点でなど、考えたこともないからとても無理とお伝えして、議案作りから降ろさせて貰った。但し、経営会議や取締役会には、システムの中身の質問が出た場合に備えて、僕もオブザーバーとして参加させられた。

システムの問題は経験者でないと理解するのが難しいと思われていた時代。1回の経営会議で結論を出すのは無理だったため、2回目に漸く計画が了承された。その間、会議では経営陣(特に社長)から質問が相次ぎ、それをFさんが答えるのではなく、N課長が答える。Nさんも臆することなく堂々と答え、質問者の理解を得て行った。

Fさんの凄さを2つ感じる場面であった。その1つは、Fさんの意図した議案が、社長が最終判断するのに必要な内容に見事に合致していたのが証明されたのを目の当たりにしたことだ。Fさんは現在部長ではあるけれども、物の考え方は社長だった。

2つ目は、分散型システム構築を通じて、僕とSがFさんから集中的に鍛えられていると感じていたが、それはどうやら誤りで、僕等の先輩達(特にN課長)には、経営陣へのプレゼンテーターとして、中央の舞台へのデビューが仕組まれていたのだった。

2月 29, 2008   No Comments

終った

その後、1~2年掛けて、新事務システムとして予定していたコア業務以外の膨大な機能の開発を終了し、それを多摩地区での実験に加えた。Sが率いる「制御システム」開発チームの方も、多摩地区だけで稼動している分には、センターから出向くのも比較的容易だが、全国展開になればそうは行かない。遠隔地でも困らないようにあらゆる機能を自動化・リモート化しなければならないから大変だった。

それらの開発が完了してから全国展開を開始し、約2年間掛けて全国全ての店(当時500店に増えていたが)に分散型オンラインを導入し終えた。その間、「営業店に訳分からんコンピューターなどいらん」との店長さん達の抵抗に遭遇したりもしたが、各地の当システム推進係が多摩地区と連絡を取って現場の実際の声を聞いた結果、システム導入後の方が圧倒的に事務ロードが軽くなったとの答えが決め手となり、その後はスムーズに展開出来た。

八王子支店・立川支店・小金井支店といった多摩地区の営業店には、最初の実験から最終段階までの全部の過程で協力をして貰ったが、事務担当の彼女達から僕等に浴びせられる意見は、決して心地良いものではなく、辛口極まりない意見・感想のシャワーが多かった。

僕等も必死で彼女等の指摘に一つ一つ対応したのではあるが、これからシステム導入で不安がる全国の営業店に対して、そんな彼女達が「怖がらないで、早く事務を切り替えた方がいい」と説得に回ってくれたのだ。思ってもみなかった。僕等システム開発チームと多摩地区の連帯感をこの時ほど感じたことはなかった。心から感謝した。

全国展開が遂に終った。Fさんに「ミニコンを使おう」と言われた時から、都合5年掛かった僕等の大仕事はやっと完了したのであった。

最後の営業店でこのシステムが無事稼動したのを確認した翌週、F部長は僕等のためにわざわざ新宿京王プラザホテルで、システム部門全員を集めた完成記念パーティーを開催してくれた。嬉しかった。涙を辛うじて堪えた。

直属の部下、他のセクションの人々、全ての人達の協力がなかったら完成しなかった大仕事だったから、集まった人全員に心から感謝した。そしてSとは何も言わず硬い握手を交わした。言葉は要らなかった。

2月 27, 2008   No Comments

先行本番開始

この原票計上システムとそれにリンクした会計システムをセットにした営業店事務の「分散型オンライン・システム」を、いよいよ実際の営業店3店舗で先行稼動させることが決まった。3店とは八王子・立川・小金井の各支店である。

とは言え、まだその時点のシステムは、事務のコア(中核)部分のみだから、予定している内容全体からすれば、まだほんの一部だったが、営業店にすれば、事務の大変革となる部分なので、数店で良いから早く本番実施して、実績を積み重ねながら改善に改善を重ねることになっていた。

一方、Sがリーダーを務めて開発して来た「制御システム開発チーム」も、3店舗での先行実施を目指して、必要最低限の機能は全て用意すべく、突貫工事により間に合わせた。本番当日、僕は店側に張り付く責任者となり、Sには、コンピュータ・センターに残って、不測の事態に備える責任者になって貰った。

事務システム開発側と制御システム開発側から夫々1名、事前にこの新事務システムのオペレーション教育を受け、現地指導に当たる女子社員1名の各店3名の編成で、昭和56年8月1日、現地に飛んだ。Fさんは僕に「爽やかな印象を残して来い」と言って送り出してくれた。

僕は立川支店を担当することにした。八王子支店はもう何回も行き来して、新事務システムもかなり理解して貰っていたが、立川支店は初めてなので、初日と二日目は、レクチャー、実技研修、質疑応答など、特に事務を行う女子社員に新しい事務の全体像を理解して貰うことに重点を置いた。

最初の内は、実際の事務も、システム部門から指導員として派遣された女子社員が自ら行なって見せ、事務員の理解を深めて行った。1週間も経つ頃には、事務員もテキパキとは行かないまでも、何をどうすれば良いのか理解が出来たらしく、少しずつ慣れて行った。

システムの初期故障も含め、様々な問題も発生したが、各店とも概ね好意的に協力してくれた。この現場への張り付き対応は、月末の量的ピークを乗り切り、月末締切処理(月締)というマンスリー処理が終る9月初めまで行われた。この間に、突然、社長が立川支店に僕等のシステムを見に来たのには驚かされた。

僕等はシステム作りと新事務の定着に全精力を注いでいたので、経営者がこれをどう見ているかなんて、全く考えたこともなかったが、会社にとっては一大改革になる取り組みだから、最高責任者が現地を視察するのは至極当然のことなのかも知れない。

説明役は僕がやるしかなかった。途中、社長が支店長に「君はこのシステムを理解出来たのかね?」と質問され、支店長が困惑気味だったのが印象的だった。

2月 26, 2008   No Comments

試作品第三号

「神童!お前は1人じゃないぞ。全員でおまえをサポートする」とのF部長のメッセージを、先輩のNさんから間接的に伝えられ、僕のFさんへのわだかまりは完全に氷解してしまった。多分、Fさんの口から直接伝えられるよりも、僕にとっては遙かに素直に受け止めることが出来た。何せこの騒ぎに巻き込まれた人(Nさん)の声を通じてだったから、第三者の証言のように真実の言葉として僕の心を打ったのだと思う。

僕は早速、S君にも声を掛け、「営業店事務オートメーション化チーム」を召集し、入力ミスを劇的に減らすために、今までのシステムをチャラにして、もう一度、一から作り直すことを宣言した。

この会議には、事の成り行きを心配したメーカーのSEのKさんも参加してくれた。彼はプロジェクトの最初から参加してSを助け、ミニコンのOSを一緒に作ってくれた実力者だ。この「事務システム開発」のピンチに際して、彼の参加は心強かった。嬉しかった。先輩達が考えてくれた対策も参考にしながら、早速僕は前回の実験データを詳細に分析させ、何かエラーのパターンはないか調べさせた。

その結果、前回「項目番号+項目内容」の入力方式に変え、項目番号にCD(チェック・ディジット)を付けても、相変わらず項目番号の入力誤りが多い。それも、入力原票が、何行にも亘る縦横の表形式のもので、かなり狭いスペースに無理やりレイアウトしたような細かな帳票の入力に間違いが集中している。表の各マス毎に項目番号がふられているのだが、入力担当者は一行上とか下の項目番号を間違って打ってしまうケースが多いことに気が付いた。これでは番号にCDを付けてもコンピューターは間違いを認識出来ない筈だ。

プロジェクト・メンバーと相当激しい議論をした結果、帳票の中の表形式の項目については、「項目番号+項目内容」の入力方式はそぐわない、そういう箇所だけは、原票のイメージの通りの画面を作って、画面上の該当の欄に入力して貰う方式に戻さざるを得ないとの結論となった。その他幾つもの改善を盛り込んで、試作品第三号は1ヶ月で完成した。正に突貫工事、その間、殆んどのメンバーは会社に泊り込み、家には1週間に1~2度帰れば良い方だった。

今度は、試作品第二号のシステムも保存しておき、全く同じ入力原票で、第二号での入力、第三号での入力、それにプロのパンチャーによる入力の3者比較を行った。結果が出る瞬間は、正に神に祈る心境だ。「人事を尽くして天命を待つ」。この言葉が、この時ほど相応しいと思える場面はなかった。

結果が出た。試作品第三号は、遂に!遂に!遂に!プロのパンチャー並みの水準という結果が出た。試作品第一号の時から入力実験を都合3回も行い、その全てに参加してくれた八王子支店や、パンチャーに心から感謝した。

そして3回の作り直しにも拘らず、よく投げ出しもせずに、最後まで僕に付いて来てくれたプロジェクト・メンバーとは抱き合って喜び、その夜は久し振りに街に繰り出した。勿論僕の奢り。ここ数ヶ月は小遣いも残業代も使う暇さえなかった。だからこの夜は大盤振る舞い。

2月 25, 2008   No Comments

不覚の涙

F氏に罵倒され、そのことに逆切れして、そのまま会社から帰って来てしまった日は、金曜日だったので、翌土曜日曜は会社が休みだった。

その2日間は、そのことを考えないようにしても、どうしても頭がそっちの方に行ってしまう。カミサンは「どうかしたの?会社で何かあったの?」と盛んに聞くので、「何でもない。仕事が旨く行かないだけだ」と少しだけ情報を伝えるに止めた。カミサンも心配なのだろうがそれ以上聞くのは我慢したようだ。

直後は、僕も腹に据えかね会社を辞めようと思ったものだが、このまま言われっ放しで引き下がるのも悔しいという思いが強くなっていた。自然と「どうしたら入力ミスは減るか」をああでもないこうでもないと考えては、「いや、もういいんだ。やるだけのことはやったんだから」と思考を止め、暫くしてはまた考え出すという繰り返しを2日間続けた。食事中でも、風呂に入っても。

考えが纏まらない内に、月曜の朝が来てしまった。「俺は今日会社に行くのか?行かないのか?」「辞めるならそれを伝えに出社する日になるんだぞ」。自問自答。しかし、自分の中では明確に決めた訳ではないものの、多分、これから通勤電車に乗って会社に着くまでには、「仕事を途中で放り投げて辞めるのは男らしくない、曲がりなりにもケリを付けてから(喩え失敗は失敗でも正式にその結論を出してから)辞めるべきだ」という結論になるだろうことを予感して家を出た。それでも迷ってるなら途中で引き返せばいい。

会社に着くなり、先輩のNさんが「神童!ちょっと」と言って、小部屋に僕を呼んだ。「この土日、俺やHさん、Mさん、それにKさんがFさんから会社に呼び出されてな、今神童がやってることがピンチを迎えているから、お前等も知恵を出せってね。大した知恵は出ないんだけどさ、ここに纏めておいたから参考にして貰えればいい」と。「え!これ、2日間論議された纏めですか?」と僕。「何せFさん、知恵出すまで帰さないと言うんだ。結局土曜の夜は徹夜になっちゃって。参ったよ」。

僕は思わずNさんに「スイマセン」と深々と頭を下げた。「おっと、ホントに大したアイデアが出た訳じゃないんだから、やめてくれ」。僕は、自分のことで先輩達に迷惑を掛けてしまったという思いで胸が締め付けられた。

Nさんは「今日Fさんは出張で一日いないので、それを俺から君に渡すように言われたんだ」と言ったあと、更に付け加えた。「それから、俺達にな。お前等は神童の先輩だろうが、先輩なら先輩として、神童を絶対に孤立させるんじゃない!って、Fさん強い調子で言ってたよ」。

不覚にも僕はNさんの前なのに涙が滲んでしまった。昭和56年の初夏の頃だった。

2月 22, 2008   No Comments

師匠の怒り

再びチームの総力を挙げて入力精度向上策を巡らせた。「項目番号+項目内容」の入力で意外と項目番号を間違うケースが多いので、帳票を改定して項目番号にCD(チェック・ディジット)を付けて入力ミスを防いだり、帳票自体のレイアウトを変えたり、また、入力内容のコンピューター・チェックを可能な限り強化して、精度向上に努めた。これらの改善には更に1ヶ月を要した。

だが何度実験をやっても、入力ミスの割合は劇的には改善しなかった。僕は自分の中では、やれることは全部やり尽くしたが結果はダメだった、万策尽きたという思いが心を覆った。仕方なくF部長に報告した。

「人を引っ張っていく奴が何だその暗い顔は!お前がそんな顔してたらお前の手下は救われないではないか。お前は元気に振舞うのが最大の仕事だ!もっと明るくせい!」。僕はFさんにえらくどやされた。そんなこと言ったって、との思いから「素人に、プロのパンチャーの精度を求めるというのが土台無理なんじゃないでしょうか?」と言ってしまった。

Fさんの顔が見る見る内に、僕に対する軽蔑を含んだ激しい怒りの表情に変わった。「1度や2度失敗したくらいで諦めるのか、お前は?そんなことならさっさとやめてしまえ!」。広いフロアーに響き渡るような大きな声。僕の胃袋が痙攣でも起こしたのではないかと思えるような、腹にズシンと来る怒声。大勢が席を並べているフロアーなのに、誰一人しゃべらない。完全なる静寂。S君が遠くから心配そうに僕を見ていた。僕はいたたまれず「失礼しました」とだけ言ってフロアーを出た。

大勢の前であんな叱り方はないだろうと、僕もFさんに腹を立て、その日はFさんを見習ってそのまま家に帰ってしまった。「さっさとやめてしまえ」と言ったのは、分散型オンラインの開発をやめろという意味か?会社を辞めろという意味か?

確かに師匠のFさんに破門を言い渡されたも同然だから、それなら今の会社を続ける意味もない。だけど34歳でも転職は可能か(当時はまだ転職は一般的でなかった)?1歳と4歳の子供を抱えて路頭に迷わせる訳にも行かないし、どこか拾ってくれるところはあるか?次々に邪念が襲って来る。

駅から自宅まで歩いて7分程の距離なのだが、真っ直ぐ家に帰るには早過ぎる時間帯なのと、暗い顔をカミサンに見せたくないのとで、駅から反対側の多摩川の河川敷に向かい、子供達がサッカーの試合をやっているのを眺めていた。

2時間もそこに座っていただろうか。頭の中を、急に前途が閉ざされたとの思いや、会社を辞めた後のこと、Fさんの怒ったあの顔あの場面などがグルグル駆け巡る。仕方ない、家に帰るとするか、と立ち上がった時、突然気持ちの整理が付いた。結局僕は、Fさんに自尊心をいたく傷付けられたことを怒っているだけだ。会社を辞める辞めないは、少なくても今日中に結論を出すのは止めようと。

家に帰り着いた時には、「このまま言われっ放しで引き下がるのは悔しいな」との思いに変わっていた。

2月 17, 2008   No Comments

試作品第二号

試作品第一号は、プロトタイプとは言え、みんなの知恵を出し合いながら必死に作り上げたものだから、充分とは言えないまでも、いい線は行っている筈と思っていたが、そんな期待は木端微塵に潰えた。「今の手作業事務の方が良い」という八王子支店の女性陣の言葉にガックリ。

それでも、気を取り直してもう一度最初から設計し直した。特に八王子支店の女性陣に評判の悪かった入力方式には、無い知恵を絞りに絞って入力負荷軽減に努めた。1例を挙げれば、住所の入力では、都道府県名の最初のカナと市区郡名の最初のカナの2文字を入力すると住所候補が画面に表示される(候補が一つだけの場合は自動確定)ので選択して市区郡までを確定させる。次に町村名の最初のカナを入力し同じように候補の中から選択して町村を確定させるといったアイデアなど。

また、当時の端末画面の表示能力の低さから、入力原票(入力対象の事務帳票)と同じイメージを画面表示しようとすると6~8画面にも及んでしまい、反って煩雑なため、入力すべき項目(帳票に記載のある項目)のみを対象として、「項目番号+項目内容」の形で次々に入力して行く方式に改めた。

S君のチームの制御システムも、ミニコンとホスト・コンピューター間のデータ伝送上の宛先制御のやり方を巡って苦戦をしていた。簡単に言えば、ミニコンの中で、どの端末から来たデータをどこに送って、その答えのメッセージを間違いなくまた元の端末に返す機能をどういう方式にするかで喧々諤々の論議が続いていた。

遂に最適な方法を見出したところで、一気に発想が拡がり、その考え方を拡張すれば、何もデータ伝送だけの話ではなく、このデータをどのプインターに出したいのか、どのディスクにファイルしたいのか、どのプログラムに引き渡したいのか、これら全てが宛先制御となるのだから、同じシステムで全部制御出来ることを発見。チームは俄然活気付いた。

そうこうして、今度は2ヶ月を経て試作品第2号が完成した。前回と同じように八王子支店の女子社員に実験して貰った。操作性は前回に比べて見違えるほど良くなったと言って貰えた。だが、新たな難問が発生してしまったのだ。入力誤りの頻発だ。これまでは、センターでプロのパンチャーに入力して貰っていたのを、営業現場の素人に入力させるのだから、何の手も打たなければ入力精度の悪化は必然だった。僕がその問題に気付くのが遅過ぎた。

2月 15, 2008   No Comments

試作品第一号

分散型オンライン開発チームは当初、僕以下6名程でスタートしたが、アメリカから帰国した後、チームを3人ずつの2チームに分け、僕がヘッドを務める「営業店事務オートメーション化」チームと、Sをリーダーにした「制御システム開発」チームに分けて夫々が構想を深堀りし内容を固めて行った。1週間毎に両者の刷り合わせを行い、軌道修正の検討やより良い方法の発見などに努めた。

勿論僕が主管する「営業店事務オートメーション化」は、それまで、業界全体がそうであったように、紙とボールペン・算盤(電卓)で全ての事務をこなしていたのを、事務員(女子社員)が自席に1人1台のオンライン端末を持ち、端末機の指示に従って事務を遂行する形に変えることである。

これにより、難しい計算や仕分けなどはコンピューターが行うし、間違いは即座にコンピューターが指摘するので、人間側の事務処理負担が大きく軽減されることを狙いとしている。

システム部門の先輩と同期の人が支店長を務める八王子支店を紹介して貰い、何度か出掛けては、現状の事務の姿や問題点を確認し、現地の人達とも議論を深めながら、コンピューターの支援する事務処理のイメージを固めて行った。

これに対し、「制御システム開発」チームのミッションは、上記事務システムが稼動出来る全ての環境条件を用意することなのだが、通常、ホスト・コンピューターであれば、この部分はOSと言ってメーカー側が用意するシステムなのだが、如何せん、工場のライン制御用のミニコンにはベーシックなOSが有るにはあるが、事務用に必要なOS機能など無いに等しい。

従って、S以下の同チームは、所謂DC(通信制御)DB(データベース制御)を初めとして、自ら、或いは、メーカーのSEと協同で、事務用OSを一から作り上げることが求められたのである。1金融機関のシステム部門がそこまでやるのは聞いたことがないが、ミニコンを使うと決めた以上仕方ない。

何度目かの刷り合わせ会議で、議論はそろそろ切り上げて、必要最低限の機能だけでも開発に入ろうということになり、両チームともコア部分のシステム作りに取り掛かった。

3ヶ月程で、ミニマム・システムが出来上がり、両システムの接続実験もまずまず。それでも幾つも不都合(バグ)が見付かり、更に1ヶ月を要して、最初のプロトタイプと呼べるものが出来上がった。

八王子支店からも女性陣にコンピューター・センターに来て貰い、出来たばかりの事務システムを端末操作して貰った。

結果は甘くなかった。制御システム側で用意された機能のままでは、今後追加開発する事務システムが複雑になり過ぎることが判明。もう少し踏み込んだ、面倒見の良い制御システムにする必要がある。一方、八王子支店の女性陣からは、「入力負荷が大変。このままのシステムなら、今の手作業事務の方が良い」、と宣言されてしまった。やり直しだー!!!あーあ。

2月 13, 2008   No Comments

潜航・専行・先考

帰国翌日、会社に顔を出して、Fさんに帰朝報告し、様々な費用精算処理やシステム部門のメンバーへの説明会などをこなして、Fさんの許しを得て、時差ぼけ解消・体力回復のため翌日から1週間休ませて貰うことにした。

後から聞いたところでは、これには先輩達から「神童とSに甘過ぎるのではないか」とのクレームがFさんに上がったらしい。実は、僕とSとで帰りの飛行機の中で、夫々が1週間、自分の分担部分をどうしたら出来るか、真剣に考えて持ち寄ろう、それを擦り合わせて、また、夫々が考えよう、これを数回繰り返せば何とか正解に近付くのではないか、と話し合っていた。

僕等は通勤時間ももったいないので、表向き時差ぼけ解消を理由に家で仕事することにしたのだった。1週間で答えを出せる自信が全く無かったので、Fさんにも本当の理由を言えなかっただけだ。だが、必要だと思うところを雑音を気にせず実行出来るようになったのは、矢張りFさんの薫陶の賜物か、はたまた、アングロサクソンの思考に50日間も付き合ったからか。

Sは、他のプロジェクト・メンバーが、僕等の海外研修中に、日本に残ってこつこつ集めてくれた様々な種類のミニコンの資料や、彼等なりに調査してくれた報告書などを持って自宅に向かった。

自宅からは、日頃親しくしている、あるコンピューター・メーカーのSEに電話を掛けまくって、ミニコンに用意されている制御機能の内容を確認したり、そのSEに自分の考えている機能を実現するのに何か良い方法はないかなど、様々聞き出しながら構想を固めて行ったらしい。何度かはSの方からメーカーに出向いたと言う。

僕の方はと言えば、営業店舗で行われている事務処理の全貌が事務マニュアルに纏められているので、それを持ち帰って精読し、質問はそのマニュアルを作った事務部門の張本人に、矢張り電話で確認した。また営業店長をやっている同期の男に電話して現場の実態を確認したりもした。

端末を使いながら行う新しい時代の事務処理の形を考えるにしても、現在の事務の内容とそのやり方を知っておかないと、洩れの無い設計にならないからだ。但し、今度出社したら、一度営業店を訪れて、自分の目で直に、現在の実際の事務のやり方を見ないといけないと強く思った。

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2月 12, 2008   No Comments