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師匠の役員昇格

昭和60年7月、僕の師匠のF氏が遂に取締役になった。15年前、ご本人を含め彼が取締役になるなんて予測した人は1人もいなかったのではないか。凡そサラリーマンからは程遠い人だったのだから。自部門の人々も、他部門の人々も、奇人変人と言えばFさんの右に出るものはいないと誰もが思っていた。多分ご本人も。

仕事中にどこかに消えるわ、時間中にも拘らず家に帰ってしまうわ、朝は遅いわ。逆に何かに集中し出したら、平気で会社の事務室に泊り込むわ、上司の優柔不断は決して許さず楯突くわ。

最初の内は僕等も息を呑む思いで見ていたが、段々慣れて「ああ、またいつものことだ」と思うようになり、いつしか、そういうFさんの行動を賞賛する側になっていた。昭和40年代と言えば日本が高度成長の波に乗った時期ではあったが、会社の中はそれ以前の古いしきたりが充満していた時代でもあったから、余計にFさんの行動は目立った。

上司も周囲も、時代の尺度で彼を計ると、F氏は「異端」「規格外」「はみ出し者」という答えしか出て来なかったのはある意味責められない。だが、彼が僕等を使って成し遂げて行った数々の改革をしっかり見守り、普通のサラリーマンと違う彼の行動を、似非(えせ)でない、本物の変革者や革命家に共通な「心の自由」のなせる業と理解していた経営者が存在していたのだ。

時の社長で、以前、専務時代に1~2年、システムの担当役員をやられたことのあるS氏だった。S氏自身も、創業者のご子息という人物だったから、若い時からその言動も行動も、自ずと普通のサラリーマンではなかった。「自分の会社」をもっと良くするために、の一点で考え行動されていたから、矢張り慣習やしきたり、既成概念などいとも簡単に飛び越え、会社にいろいろな変革をもたらした人だ。

僕等新入社員の入社式で、「努力し頑張っていれば、必ずそれを誰かが見ていてくれる」とどなたか偉い人が講話で言っていたが、Fさんの本当の力を認めてくれたのがS氏だったのを知り、その講話が真実であることを今更ながら感じたものだ。我がF氏もS氏も同じ改革者の心で分かり合い、余人には測りがたい敬意の絆で繋がっておられたのかも知れない。

確かに、僕等もあの口の悪いFさんから、Sさんの悪口は全く聞いたことが無かった。それどころか、Sさんの進める企業戦略の素晴らしさを僕等に解説し、そういう人が社長を務める会社は絶対に発展するとFさんは断言しておられた。現にSさんが社長をされた6年間に、会社は業界9位から5位に大躍進したのだった。

役員になるべくしてなった人と違い、Fさんのような一見異端の徒と思わしき人間の実力を正しく理解し、役員に登用するこの会社は捨てたもんじゃないと思った。自分の師匠が正式に認められたのは自分のこと以上に嬉しい。僕は初めてこの会社が好きになった。

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