カリスマ
Fさんの昇進の時期と僕のそれとが妙に一致している。昭和60年、Fさんは取締役に就任し、僕は課長に昇格。昭和63年、Fさんが常務取締役に昇格すると同時に僕は次長に昇格。平成3年には、Fさんが常務を退任して顧問に就任。僕はその時部長になった。
Fさんからは一度も言葉で言われたことはないが、こうして振り返ると全く偶然とばかりは言い切れない何かがある。つまり、Fさんの意思というか意向が読み取れるのだ。つまり、彼が重責に就きシステム開発の現場から少しずつ遠ざかるのに合わせるように、僕を引き上げてくれていたということだ。
システム部門には当初、Fさんから僕の年齢までに20人以上の先輩達がいたが、その後の人事異動などにより、他部門に転出して行った先輩も多く、最後は5~6名の先輩だけになっていたのだが。これらの人達は、システム部門の第一期生と言われ、Fさんが直卒した世代だ。僕はその世代の末弟と自認していたけれど、どうも結果からすると、第二世代のヘッド役を期待されていたようだ。
それ迄は、Fさん又はNさんの下でやっていれば良かったから幾らか気楽だったが、システム開発部長に昇格してからは、僕の人生で最も苦しい時期に突入した。システムは旨く行って当たり前だから、褒められることはまず無く、システム・トラブルでも発生させようものなら、非難の嵐だ。社内外のシステムに対する期待や批判を一身に浴びるプレッシャーは、聞くとやるとじゃ大違い。
しかも、自分がシステム部門の責任者になると同時に、師匠と頼むFさんが表舞台から去ってしまった。いずれはそういう(Fさんの役員退任)時期が来るのは分かっていたことながら、この2つのことが同時に起きたのだから、楽天家のこんな僕でも、これからは全責任、全リスクを自分が負って行くしかないと覚悟を決めざるを得なかった。
Fさんは、僕の部下達から見ても、最早、奇人変人でなどなく、自分達の目指す人物像・理想像となっていた。今流に言えばカリスマ的存在に昇華していた。そういう強力なリーダーが去った後、組織が四分五裂することは良くあることで、我がシステム部門も例外ではなかった。僕は益々苦しくなって行ったのだ。


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