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母の死(1)

先週、母が88歳の生涯を閉じた。3年前、父も88歳で亡くなったから、仲の良いことではある。これは両親から僕等姉弟への、「お前達も米寿までは生きよ」という無言のメッセージなのだろうか。姉貴は兎も角、僕はこれまでずっと不摂生な生活を送って来たから、まるでその自信はないが・・・。

僕は東京の郊外に住んでいるが、4年前から両親はN市の姉夫婦の家に厄介になっていた。姉夫婦の家は、35~36年前に両親が東京に出て来るまで長い間住んでいた場所にあり、その後姉夫婦が元の家を建て替えたものだ。

僕もなるべく姉の家を訪ねるようにしたから、四半期に一度くらいは姉の家を訪ねただろうと思う。N市に移って半年を過ぎた時、父が他界した。死ぬ直前まで母といろんな話をしていたらしい。眠るような最期だった。そして今回は土曜日の夜突然、母が胸が痛いと訴えた。義兄の話だとかなり苦しそうだったので救急車で病院に担ぎ込んだのだそうだ。

心筋梗塞。緊急手術が行われた。義兄から連絡を受けた僕は、土曜日の最終の新幹線に飛び乗ってN市に向かったが、途中、携帯に義兄から再び電話があり、手術は成功したとのこと。だが、今晩は面会出来ないそうで、明日決まった時間に集中治療室で5~6分だけ面会が許されるとのことだったので、その晩は病院ではなく姉夫婦の家に泊まった。

翌日曜日お昼時、5分間の面会が許された。ICUに面会に行くのは初めてだった。昨日中に入った義兄や姉に習い、先ず靴全体を覆うビニール・カバーを両足に履き、大型ドライヤーのようなもので衣服全体の誇りを払い、最後に消毒液で両手をよく洗って入室した。

僕等3人が病室に入ると母は直ぐ気付いたようだった。姉に「凄く暑くて汗が出るからハンカチないか?」と言う。姉は早速ハンカチを取り出して、顔や首の汗を拭ってやった。僕はそれほど暑いとは思わなかったが、掛け布団が冬用のものだったから暑いのかも知れない。

そして、今度は僕を見て「驚いた?」。「そりゃ驚いたよ。だから昨日の最終の電車で駆け付けたんだ」「痛くて息が出来ないくらいだったよ。今度ばかりは本当に最期かと思った」「手術は成功したって先生が言ってるからもう大丈夫。まだ痛いの?」「そりゃ昨日に比べりゃ我慢出来るくらいの痛さにはなったけど、まだ少し痛いよ」。

母はそこまで言うと、「お前、会社の方はいいのかい?直ぐ戻った方がいいんじゃないかえ?」と子供の心配をする。還暦過ぎても母から見れば子供は子供なのだろう。「今日は日曜日だからそんな心配いらないよ」と言って安心させた。

あっという間に5分が経ち、最後に僕は母と握手し「じゃぁ、頑張ってね」と言った。母は「うん。良く来てくれたね」と笑いながら言った。その笑顔を見て僕は「ああ、これなら大丈夫だ。あと数年、90歳以上は生きられるだろう」と安心して病室を出た。僕はその足で駅に行き、新幹線で東京に戻った。

が、翌月曜日の昼頃、仕事中に義兄から携帯に電話があった。厭な胸騒ぎ。「もしもし。神童ですが、母になにかあったのですか?」「そうなんだ。ついさっき心臓が止まってしまったって。今医師が心臓マッサージやってるけど、近親者に直ぐ連絡してくれというので、君に電話したんだが・・・」。母の心臓停止は昨日と同じ昼の面会中のことらしい。「心臓止まって何分くらい経ちますか?」「15分くらいだと思うけど」。

それを聞いて僕はもう母は助からないと悟った。心臓停止から10分以上経てば脳に血液が行かず脳細胞がほぼ死滅する。義兄には「取り敢えず直ぐそちらに向かう旨伝えて電話を切った。更にその15分後もう一度電話があり、義兄の沈んだ声を聞かなければならなかった。「お母さんダメだった。死亡時刻は13時18分」と。

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