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母の死(2)

僕等が結婚して5年後から、両親と同居して来た。僕たちの2人の子供(上が女、下が男)も出来て、所謂3世帯家族であった。子供達の友達が家に遊びに来ると「サザエさん家みたい」とよく言われたものだ。それが4年前、両親は我が家を出て、N市の姉夫婦の家に厄介になった。

両親は、特に父は、85歳を過ぎた辺りから望郷の念を強め、昔自分達が住んでいた場所に建っている姉貴夫婦の家に移りたがった。加えて、最期は実の娘に看取られたいとの思いが嵩じて行った。その思いを理解してくれていた姉貴夫婦は、義兄の退職を期に両親を迎え入れてくれたのだった。

尤も、これには、25年同居して両親に尽くしてくれたカミサンは、心穏やかではなかったのだが、最後は両親の我が儘を優先してくれた。こういう場合亭主は気を使うのよ。長い間面倒を看たのに最後はお前じゃないみたいなことになったら普通怒るよね。一方で開放感はあってもさ。

抑え難い望郷の念、その一点でカミサンを説得し、引越し前には会食をセットして、その場で我妻への感謝の言葉を両親から言って貰うように根回ししたり、勿論、僕もカミサンが両親に尽くしてくれたことへの感謝として記念品を贈呈したりして、両親をN市に送り出した。

しかし、僕が一番感謝しているのは義兄だ。何故なら銀行員として62歳まで働き、リタイア直後に僕の両親を引き取ってくれたのだから。退職後夫婦でゆっくり海外旅行でも温泉旅行でもしたいだろうに。退職後は誰にも縛られずに悠々自適の生活を送りたいだろうに。しかも、長男夫婦(僕達)が健在で両親と同居しているのに、それでも父の希望(わがまま)を聞き入れ引き取ってくれたことには、本当に頭が下がった。普通出来ることではない。

N市に移って半年を過ぎた時、父が他界した。死ぬ直前まで母といろんな話をしていたらしい。眠るような最期だった。そして3年後、母もあっけなく逝ってしまった。ただ、父の時は死に目にも会えず、最後に会ったのが2ヶ月前だったのとは違って、亡くなる前日に病院で面会し、母と握手をして笑顔で別れる機会があったことに感謝している。母に。姉に。義兄に。

別れと言えば、これまで僕は母と3回の別れをして来たように思う。1度目は、18歳の時。大学に入学するために、親元を離れて遠く仙台に旅立ったN駅のホームでの別れ。2度目は僕が28歳で結婚をした時。そして3度目が今回の母の逝去。前の2回は僕の門出を喜びながらも、どこか淋しげな母の表情が忘れられないのだが、今回は病室のベッドの上で弱わよわしそうではあっても、僕が来たことを喜んでくれた母の表情に、淋しさは全く出ていなかった。あれが永遠の別れになってしまったというのに。

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