プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 5月 2008

他流試合(1)

「好きこそ物の上手なれ」とは言うが、なかなか僕のドラムの腕が上がらない。音楽が好きで、ドラムを叩くのが大好きで、クーペの店で素人セッションをやらせて貰うようになった。そのうちに「クーペ&Shifo」のバックバンドをやるようになった。それから3年以上も経ったが、僕の腕前は最初の頃と殆ど変わりがない。

それなのにクーペは日比谷野音や国際フォーラム・NHKホールなど彼等のヒノキ舞台でも僕らおじさんバンドを懲りもせず使い続ける。クーペ曰く「おじさんバンドは上手くなくていいんだよ。おじさんバンドの持つ空気を観客に伝えたいんだから」。

そうは言っても、僕が大失態を演じて、「クーペ&Shifo」の晴れの舞台をぶち壊してはいけない。コンサート直前には練習にも熱が入る。しかし、コンサートが終わってしまえば、再び緊張感もなくなり、元のレベルに戻ってしまう、という繰り返しだった。

「上手くなくていい」と言い続けてくれていたクーペが、4月のNHKが終わった後僕に、「3年以内に絶対にニューヨークのカーネギー・ホールに行く。ジャズの本場でコンサートをやる訳だから、神童さんもちゃんと習いに行ってドラムの腕を上げてよ」と言った。

しかしこの僕は、学校卒業後、誰かから何かを習うという経験を全く持たない人なのだ。ゴルフ然り、スキー然り、ドラム然り。見よう見まねでやって来た。上手い人のやり方を盗みながら勝手に練習して何とか習得するというやり方だ。若しかしたら仕事だってそうだったかも知れない。

だから、僕には教わり方というのが分からない。ゴルフ練習場などで、プロに教わっている人を見掛けることが多いが、生徒の方が実に旨く先生を乗せている。愛想も良くて質問も的を射ていて、先生が自ずと一生懸命になるように持って行っている。

僕にはそんな芸当は出来ない。だが一方では、自己流だから一定のレベル以上にはなれないのかも知れないとは思う。そこで何か方法はないかと考えてふと思い出した。他流試合で鍛える方法だ。

僕の大学の時のバンド仲間のAが、月一回位のペースで都内あちこちのライブハウスでサックス演奏をやっている。彼は四日市の食品会社の社長さんで、普段はそちらに住んでいるのだけれど、毎月2~3日、東京の会合で上京する。その時に、知り合いのプロのジャズメン達とセッションしているのだ。

そうだ。そこでプロの演奏を聞かせて貰ったり、馴染でないお客さんの前でAやプロと一緒に緊張感溢れる演奏をさせて貰おう。2年前、一度だけ六本木で同じメンバーに僕も加わってセッションしたことあるからAに頼んでみよう。

5月 31, 2008   No Comments

CO2削減

最近の世論調査で見ると、一般人の環境問題に対する認識度が急激に上がっているようだ。個人の努力では「小まめに電気を消す」「使わない時は家電のコンセントを抜く」「マイカーをなるべく使わず公共交通手段を使う、または歩く」などなど。これらを1億人が本気で実践したら、CO2の削減量は物凄いことになりそうなものだが、そうはならないだろう。

全国民が一斉にそういう努力をするなどあり得ないからだ。また、公共交通手段と言っても、地方ではそれ自身がプアーだ。個人個人の努力は大事ではあるけれども、それで生まれる効果は残念ながらそれほど大きくない。多分、更なる上昇を抑える程の効果ではないか。

僕は前から目に見える効果を生むのは、個人レベルの努力だけではだめで、国全体の枠組設定や、ある種強制力を持って対策しないとどうにもならないと言って来た。東京都が何年か前に打ち出した、ディーゼル車の独自排ガス規制や締め出しなどがその例に当たるだろう。

先日の朝日新聞に、与党のサマータイム導入議連が活動再開を申し合わせた、という記事が載っていた。何故、今頃夏時間導入運動なのだろう?京都議定書採決では主導的役割を果たした日本。7月のサミットでは地球温暖化対策を重要議題にすると張り切っている日本。その日本が何故、未だに夏時間を採用していないのか、その方が驚きである。

議員達がサマータイムの導入を様々な方面に働き掛けないと導入出来ない事情って何だろう?記事には、日本と時差がなく、同じく夏時間未導入の韓国とも連携して実現を目指したい、とあるが、他国は兎も角、自国だけでもさっさと導入すれば良いではないか。

6月~9月の1年の3分の1の期間だけでも、全国の全て家の電灯・全ての町の街燈・全ての店のネオンサインの点灯時間が1時間節約されるのだから、その効果は抜群に大きい筈だ。実際に検討すれば5月初日~10月末日まで半年間のサマータイムも可能だろう。

与党の議員が、他国の力を借りてでも、何とか夏時間の実現を目指そうと悲壮感を漂わせるのは、何やら強い反対論を意識してのことだろう。

しかし僕には、日本が夏時間導入をサッサと決められない理由が分からない。サマータイムがどういう新しい問題を招来するのか?誰が反対するのか?与野党を問わず省資源・排ガス削減に反対する議員なんていないでしょう?どなたか、夏時間導入の反対論をご存知の方、教えてくれませんか?

5月 25, 2008   No Comments

靖国神社

一昨日、東京は一週間振りに快晴となった。朝食の時にカミサンに「天気が良いから何処か近間に出掛けてみようか?」と投げ掛けてみた。「そうね。都内のお寺や神社で2人共まだ行ったことがない所ってどう?」と言う。

「いいね。明治神宮や浅草寺は何回も行ってるし、花園神社じゃつまんないし・・・」「靖国神社は行ったことあるの?」とカミサンが聞く。「ない。今丁度何かとドキュメンタリー映画が騒がれているから行ってみるか」

てな訳で、僕は生れて初めて靖国神社を訪れた。都営新宿線の九段下で降りて直ぐの所に靖国神社に入口はあった。御堀端の道路は、毎年冬に行われる東京女子マラソンの最後の長い上り坂で、4年前、それまで独走していたQちゃんが急に失速してアテネ五輪への道が途絶えた因縁の場所だ。その道路を挟んで反対側には武道館が見える。

さて、僕とカミサンは靖国神社に向かう。僕が生れてこの方一度もここを訪れたことがないのは、ここが愛国主義や軍国主義の聖地と思っていたので、何となく精神的障壁が高く、靖国神社を本能的に敬遠していたのだ。

考えてみれば還暦も過ぎいい年して、右だ左だと今もって物事をステレオタイプに考えている自分がいて何だか滑稽に思えた。靖国神社の実物も知らずに何となく好ましくないと思っている自分を少し恥じた。カミサンは偉い。妙な偏見も先入観もなく、極々単純に、今まで行ったことない神社だから行こうと言う。

大きな大きな鳥居をくぐると、中央に高い台の上に乗った銅像が現れる。眉毛が際立って太く長いその人物は大村益次郎(村田蔵六)。彼が戊辰戦争で戦死した兵士を供養するために作ったのが靖国神社の始まりだそうだ。

更にもう一つの鳥居をくぐって本殿にお参りをしたあと、正面向かって右手にある資料館「遊就館」を見て回った。僕の大学時代の友人は、靖国神社そのものは全く違和感なかったが、「遊就館」の中は完全に右翼思想の資料館だった、これから外国との付き合いを考えればあれは止めた方がいい、と以前言っていた。

だが、僕が見て回った限りでは、友人が言うほどとんでもないものとは思わなかった。特攻隊員が残した母に宛てた手紙や、兄弟を思う手記などは、心打つものがある。米国でも英国でもその手の記念館には、戦死した兵士が書き残した手紙や詩が必ず展示されているから、万国共通だ。

しかし、そこに書かれている「お国のために死ぬのは男の本懐です」という言葉は本当の本音だったのだろうか。20歳の男が「まだ死にたくない」と言えなかった時代の空気にこそ、そら恐ろしさを感じる。

5月 20, 2008   No Comments

奇妙なこと

会社生活を卒業し、それまでとは全く違う日常生活に入って、いろいろ感じることが多い。特にそれまで気にも留めなかった、おかしなことを幾つか挙げてみたい。

その一、市役所で戸籍謄本を取るのと除籍謄本をとるのでは値段が違う。除籍謄本とは、ある戸籍について、死亡または結婚で全員が抹消(除籍)された戸籍謄本のことだ。各自治体で単価は少し違うらしいが、どこの町も似たような差を設けている。僕の住む街では戸籍謄本は450円/Ⅰ通、除籍謄本は750円/1通だ。

4年前に父が死に、最近母が亡くなったことで、両親の戸籍は除籍となった。今回様々な手続上それらが必要なので市役所に行って初めて、戸籍謄本と除籍謄本の違いと夫々の値段の違いが分かった。

係員の作業をカウンター越しに見ていると、どちらも端末からオンラインで紙に打ち出している。操作の煩雑さは何も変わらないように見えるのだが・・・。40年近くSEをやって来た者からすれば、システム処理上両者の差は何もない筈だし、区別して管理する必要もない。除籍謄本はアクセス頻度が低いから別にファイルしている、というのが理由なら、頻度の高いデータより安い装置に格納出来るのだから寧ろ値段は逆ではないか。

「値段が違うのは何故ですか?」「何故なんでしょうかねぇ。コンピューターで作成するようになる前からずーっとそうでした」。答えになっていない。

その二、5時以降銀行のATMで自分の口座からお金を下ろすと105円取られる。その理由は何なのでしょうねぇ?コンピューターに残業代払うため?だけど、仮に誰もATMに現れなくたってコンピューターはスタンバイ(残業)してるんだよ。変だねぇ。

もしそうなら、5時前に下ろす時は105円僕らが貰いたいね。以前はカウンターの女子行員が事務処理をこなしてやっとお金が引き出したのを、代わりに僕らがATMで事務をやってやってんだよ。そっちはタダで、5時過ぎたら銀行が105円頂きますとはチト不公平じゃありませんか。

その三、支持率が落ちれば落ちるほど延命できる福田政権の不思議。福田政権発足時60%を超えていた支持率が、直線的に下降して今や20%。胡錦濤さんが来ようが、道路特定財源の一般財源化を閣議決定しようが、下降直線に変化ない。

普通これほどの状況になれば、与党から危機感が高まって、首相を後退させないと自分達も危ないとなったものが、そんな雰囲気がない。誰が首相をやっても支持率は上がらない、今は解散総選挙に勝ち目がない、というのが与党議員の本音なのかねぇ。ということは自分達の政策や主張は民意を反映していないのを良く理解しているということ。

福田さんの支持率が低過ぎて、当分の間解散すべきでない、という党内世論の追い風に乗って福田政権はまだまだ続く・・・。

5月 14, 2008   No Comments

嗚呼!母校

皆さんは松代という場所をご存知だろうか?長野市内を南に下ると犀川を渡った所に古戦場として有名な川中島(信玄と謙信の戦)があり、更に千曲川を渡ると松代となる。先日そこを訪れた。

僕は小学校1年から4年まで、松代小学校に通っていた。そのあとは長野市内の小学校に転校したのだが、学校生活の最初の場所だったから思い出も深い。当時は埴科郡松代町という住所であったが、今は長野市松代町。実は大学時代に1度だけ松代を訪れ、小学校や、海津城址、象山神社(佐久間象山は江戸時代の松代藩の出身)などを見て回った。

その時は、記憶の中の松代と現実の松代にそれほど大きなギャップを感じなかったが(とは言え、メイン・ストリートはもっと広いと思っていたけどこんなに狭かったかなぁとは感じたが)、それから40年経過して再び訪れてみると、道路の位置は変わらないものの、街並みや家並みが全く変わってしまって、記憶にある松代とは似て非なる町であった。自分が住んでいた場所を特定することさえ難しかった。

しかしながら、小学生の時、赤穂浪士の討ち入りに出てくる吉良邸の門とよく似ているなぁと思っていた小学校の校門は、当時そのままの形で僕を迎えてくれた。これには僕も大いに感激したのだった。

僕は胸躍らせて中に入ろうとしたら、傍らの受付窓口から、「入場料を頂きます」と声が掛った。何!と思って理由を聞いたら、ここは松代藩の藩校跡で、中は当時のまま保存して、皆さんには入場料を頂いてご覧頂いているとのこと。これには流石の僕もビックリ。母校がそっくり藩校跡として観光資源になっていたのだ。

「ここは、私が通っていた小学校だったのですが??!!」「ああそうだったんですか。私もここで習いました。現在の小学校はすぐ近くのあちらに鉄筋で建て変えられました」と教えてくれた受付のお爺さんはかなりの年配者だった。

3百円払って中に入った。各建物前には立て看板のような説明書きが随所にあるが、古い建物の位置関係や景色は正しく55年前のそれであった。入口近くの小さな建物は厩。学校だった時は何に使ってたんだっけ。その反対側は門番の詰め所。昔もそれがあったなぁ。正面には畳の間が幾つも繋がっている。長い建物。師範その他の藩校講師陣の控えの間らしい。

その左には弓の道場。奥に進むと剣道場が現れる。僕らの時は体育館が2つあり、広い方は当時新しく作った体育館だったと思うが、この剣道場は小さい方の体育館だった。主にマット運動などをやった微かな記憶がある。そして、その右手奥が藩校の教室。教室と言っても長い廊下に面して幾つかの畳の間があって、生徒はそこで座って授業を受けたと説明書きにある。

僕らは、この畳の間の南廊下を「松の廊下」と呼んでいた。当時は授業の一環でよくこの畳の間で幻燈や映画を見たものだ。「松の廊下」を眺めながら、暫し当時の仲間や今は亡き恩師の思い出に浸ったのであった。

5月 13, 2008   No Comments

信友会

20年以上続いている信友会という会がある。元々は信州出身のベンチャー起業家やビジネスマン、その仲間などが集った極く少数の飲み会だったそうだ。そのうちに友人の友人なども参加するようになり、今では12~13人の会になっている。

まだ上場をしていない会社の経営者達が多いのだが、その業種は多種多様で、ソフトウェア開発会社、印刷会社、事務機販売会社、人材紹介業(民間ハローワーク)、コンサル会社、フリーランス、金融機関システム子会社などだ。

当初の信州出身者という入会資格も、時が経つに従って徐々に寛容になり、奥様が信州出身なら可、信州に勤務経験があるからOK、名前に一文字「信」の字が入っているからOKと、誠に自在な規約に変わって行った。

要するに、メンバーが気に入って、是非参加して貰いたい人には、何とでもこじつけて入会を認めて来たというおおらかな会だ。僕も途中から加えて貰った口だが、一応は信州出身だから当初の資格条件に合致していた。

年に1~2度、幹事持ち回りで、安くて美味しい店を探しては集っていた。その内、ただ飲んでるだけじゃ能がない、ということで、夫々の人が、メンバーの実務に役立つ情報や話題を持ち寄り、勉強会を兼ねたりもした。その後は、メンバーの転勤や昇進、退職などを口実に集まるように変わって行った。

つい2週間前は、蓼科で泊まり込みのゴルフ・コンペを行った。これは、実は昨年8月の国際フォーラム・ライブに全員が来てくれたお礼に、9月頃僕が一泊ゴルフ旅行の幹事をやることになっていたのだが、僕が夏に入院したりポリープ切除手術をしたため延び延びになっていたものを半年遅れで開催したものだ。

但し、今回は僕の退職と時期が重なってしまい、退職祝いも兼ねるということになってしまったので、幹事がお祝いをされるというのも妙なものなので、幹事は僕の友人で新加入のY君にお願いした。次こそ僕がやらねば。

金曜の夜は前の会社の保養所に泊まって、翌土曜日がゴルフだったのだが、皆が美味しい美味しいと言いながら料理を食べるので、保養所の料理人も気を良くして、一品余計に出してくれたり、翌日の朝食を竹の子ご飯にしてくれたり大サービス。保養所の一室を借りて2次会。そこで僕は皆から退職祝いを頂いた。

この保養所、メンバーもとても満足してくれた。僕は何かホッとした気分で朝、ゴルフ場に向うことが出来た。数日前までの天気予報では一日中雨の筈が何と快晴、日本晴れ。天気にも恵まれ言うことなし。しかし、ゴルフのスコアだけはいつものようにどしゃ降り。まっ、いいか。皆が喜んでくれたのだから。

5月 8, 2008   No Comments

中国人の愛国心?

4月26日(土)は母の49日法要で、長野市にいた。その日は丁度オリンピックの聖火リレーが市内で開催された日だった。

僕は前日、新幹線で長野入りしたのだが、その列車の中からして、中国語の話し声で埋まってしまったと思われる位の喧騒だった。東京から1時間半ほど、日本人は我がもの顔の中国人に遠慮して、ずっと話すのを我慢していたのではないかとさえ思える。

少なくても、母の49日法要に向かう僕としては、生前の母に思いを致しながら、静かに向いたかったから、余計に迷惑だった。が、やはり、1時間半の辛抱だと自分に言い聞かせて我慢した。

長野に降り立ってみれば、いたる所にそれと分かる人達が群れを成していた。明日の聖火リレーで北京オリンピック支持、チベット独立反対を叫ぶために全国からこの地に集まって来たのだろう。

若い彼らを見ていると、母国が今や世界経済の牽引国になったことに、えも言えぬ満足感と誇りで満ち溢れ、世界は中国の言うことを聞くべきだと主張しているように映る。それは、まだ世界が中国を過小評価し、何かとクレームを付けることに我慢が出来ないといった裏腹な感情なのかも知れないが・・・。

直接彼らと話した訳ではないから無責任なことは言えないが、僕の疑問は何故彼らがわざわざ高いお金を掛けてまで遠くから長野に集結して、聖火リレーの傍で中国万歳を叫ばなければいけないのか、という点である。

聖火の通る世界の国々で彼らがそうすればするほど、人道問題他国内諸問題を圧殺する中国の思想的閉鎖性、乃至、後進性をアピールすることになってしまうのに。北朝鮮に通ずるものを感じるという人さえいる。世界中から中国脅威論や中国異質論が浮上しなければ良いと思うが・・・。

嘗て戦前の日本がそうだったように、それが今の中国の国粋主義ということなのだろうか。しかし、僕ら全共闘世代は、彼らと同じくらいの年齢の当時既に、国の行うことに対しては全てを疑って掛る癖が付いていたから、中国至上主義を唱える中国の若者の、それも外国に留学しているような、謂わば中国のエリート達の心が理解出来ない。

5月 4, 2008   No Comments

復帰します(3)

退職した翌々日、15年振りに人間ドックに行って来た。

前職の会社では責任者として、全社員に人間ドックに行くようにお触れを出したものだ。責任部署の総務部長には人間ドック皆受診を達成したら特別表彰するからと言明しながら、僕が行かないのだから皆受診が達成する筈もないのだが、それでも総務部長が頑張ってくれて2年間で受診率を85%から、97%まで上げてくれた。

僕が何故人間ドックを受けなくなったかと言えば、1つは、自分の身体は自分が一番良く知っているという思い上がり。もう一つは多分、待ち時間の長さが厭で遠ざかってしまったのだ。1つの検査から次の検査までの待ち時間が途轍もなく長かった。朝一番に行っても、検査が終了するのは午後3時近かった。

今回受診しようと思ったのは、昨年秋に、生まれて初めてポリープ除去手術を経験し、思い上がりが少し揺らいだのと、人生の大きな節目だから今後のために現時点の身体の状態を確認しておこう思ったからだ。

長い待ち時間に備えて僕は2冊ほど文庫本を持ち込んだ。ところが、4月の初めということもあり、受診者が極めて少なかったためか、何と50分程で全ての検査が終了してしまった。流れ作業のように全てがテキパキと進んだのには驚いた。

最後に院長からの説明があったのだが、この院長、会社の顧問医でもあるので以前から面識があったからか、「神童さん、本をお持ちになったようですが、読む時間ありましたか?」と来た。流れ作業みたいだったから勿論そんな時間はなかった。

「そうでしょう。看護師や事務員にお客様を絶対に待たせてはいけないと口を酸っぱく言っています。そのためにお客様に時間予約して貰っているのですから」と少し誇らしげ。成程ね。こんなに簡単なら毎年来てやってもいいな。僕らのことを「お客様」と呼ぶのも良い。

「私は都合が付かなくて行けませんけど、今度のNHKホール頑張って下さい」「それは残念ですが、頑張ります・・・。ところで先生。肝心の所見は?」「ああ、そうでしたね。血液検査などの結果は1週間後になりますが、それ以外では全く問題ありません。目も耳もOK。胃も腸も肝臓・すい臓・脾臓・腎臓・心臓全部大丈夫ですよ」って。

ほんまかいな。さっささっさと手際良くやってくれたのは良いけど、何か見落としてない?カミサンには最近耳が遠くなったの、物忘れが酷くなったの言われてるし。「血液検査の結果や、総合成績表はご自宅に郵送しますから」とのことで全て終了。

1週間後結果が自宅に送られて来た。「高脂血症の値が高めで且つコレステロールが高いので一度医者に相談することをお勧めします」。なっ。そうすんなりは行かないものよ。

翌日近所のクリニックに行った。先生曰く「この位の値じゃうちでは薬出しませんけど、どうしてもと仰るなら出しますが。どうします?」「じゃぁ、いいです」。何か無駄なことやったような、そうでもないような、すっきりしないのよ。そう言やぁ、昔もそんな感じだったなぁ。それで人間ドック行くの止めちゃったんだっけ。思い出した。

5月 1, 2008   No Comments