師匠のその後‐逆順‐
仕事と人生の師匠Fさんは、66歳でシステム子会社の社長を退任され、完全にリタイアされてからは、悠々自適の毎日を送っておられた。そんな穏やかな日々に最悪の事件が起こった。ご子息が会社で倒れられ、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。まだ30代半ばの若さだった。
ご子息のMさんは、僕等と関係の深いN社の社員で、人伝てにも将来を嘱望された優秀なSEと聞いていた。僕も仲人をお願いしたため、何回もお宅にお邪魔した関係で、Mさんを小学生の頃から良く知っていただけに、僕にとっても耐え難い悲しい出来事だった。Fさんや奥様のご心中は、察して余りある。
当然のように僕等弟子達は、取る物も取り敢えずお通夜に駆け付けた。葬儀はシステマティックに行われる一般の葬儀と違い、今は亡きご子息のMさんが大好きだったという「ビートルズ」の曲が次々にエレクトーン演奏される「音楽葬」だった。
Fさんも気丈に振舞われ、最後に挨拶をされた時もしっかりと話されたが、お開きとなり僕等がFさんに近付きお悔やみを言った時、「おお、君達か。仕事が忙しいのにわざわざ来てくれて、本当にありがとう・・・」と、そこまで仰るのが精一杯。Fさんの目から大粒の涙が堰を切ったように流れ落ちた。僕等の顔を見た瞬間、恰も、堪えていた悲しみが堰を切ったように。
お慰めする言葉さえ見付からない。僕等にとっては、厳父のように厳しく、少しでも手を抜くと落ちるカミナリの激しさは半端じゃなかったし、仕事をやり抜いた時は満面の笑みで喜んでくれた。喫茶店で僕等と話す時は本当に楽しそうに、音楽・スポーツ・芸術・科学・哲学・政治を時間も忘れて話してくれた。
Fさんの「喜」と「怒」と「楽」は、現役時代、沢山の場面を通じて知っていたが、この夜、初めてFさんの深い「哀」を見た。Fさんの涙を見て、僕は心が抉られるような痛さを覚えた。
逆順。子供に先立たれた親の言いようのない悲しみ。僕は思った。この世の中、不幸の数は限りなくあれど、子供を亡くした親の悲しみを超える悲しみはないと。
それから1年程経った頃、Fさんからお便りを貰った。「あれから随分と苦しみましたが、漸く最近、夫婦で普通に散歩が出来るくらいに快復して来ました」と書かれていた。それを読んだ僕は、「快復」という文字より「随分苦しみました」に目が行き、最愛のMさんを亡くされた悲しみの深さを改めて思い、目頭が熱くなった。


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